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Hiroaki OOI Official Blog

8/26(金)19時 一柳慧個展@芦屋

c0050810_21562392.jpgPOC [Portraits of Composers] 特別公演
一柳慧 個展

2016年8月26日(金) 19時開演(18時半開場)
山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com

一柳慧(プレトーク)
大井浩明(ピアノ、笙(※))


一柳慧(1933- ):《トッカータ》(1953)
《ピアノ音楽第1》(1959)
《ピアノ・メディア》(1972)
《タイム・シークエンス》(1976)
《星の輪》(1983)(※)
《ピアノ音楽第9》(2015)

  (休憩 15分)

《時の佇い I 》(1983/86)第1楽章 (※)
《雲の表情》(1984-99)より
  -- 雲の表情 I
  -- 雲の表情 II
  -- 雲の表情 III
《時の佇い I 》(1983/86)第2楽章 (※)
《雲の表情》(1984-99)より
  --IV. 〈雲の澪〉
  --V. 〈雲霓(うんげい)〉
  --VI. 〈雲の瀑〉
《時の佇い I 》(1983/86)第3楽章 (※)
《雲の表情》(1984-99)より
  --VII. 〈雲の錦〉
  --VIII. 〈久毛波那礼(くもばなれ)〉
  --IX. 〈雲の潮〉
《時の佇い I 》(1983/86)第4楽章 (※)
《雲の表情》(1984-99)より
  --X. 〈雲・空間〉


西田博至氏寄稿 〈一柳慧のピアノ音楽から〉


一柳慧 (作曲/プレトーク)
  1933年2月4日、神戸生まれ。作曲家、ピアニスト。作曲を平尾貴四男、池内友次郎、ジョン・ケージ、ピアノを原智恵子、ヴィヴェレッジ・ウェブスターの各氏に師事。第18回(1949)および第20回(1951)毎日音楽コンクール(現、日本音楽コンクール)作曲部門第1位入賞。1954年から57年までニューヨークのジュリアード音楽院に学ぶ間、エリザベス・クーリッジ賞(1955)、セルゲイ・クーセヴィツキー賞(1956)、アレキサンダー・グレチャニノフ賞(1957)を受賞。
  「20世紀音楽研究所」フェスティバルの招聘により1961年帰国。自作および日欧米の新しい音楽の紹介と演奏をおこない、さまざまな分野に強い刺激を与える。1966–67年、ロックフェラー財団の招聘により再度渡米、アメリカ各地で作品発表会をおこなう。1976年、ドイツ学術交流会(DAAD)の招聘でベルリン市にコンポーザー・イン・レジデンスとして半年間滞在。欧州各地の音楽祭で自作の発表と邦人作品の演奏をおこなう。その後も再々訪欧し、ヨーロッパのプロ・ムジカ・ノヴァ・フェスティヴァル(1976)、メタムジーク・フェスティヴァル(1978)、ケルン現代音楽祭(1978、 81)、オランダ音楽祭(1979)、ベルリン芸術週間などから委嘱を受ける。
  1981年《ピアノ協奏曲第1番「空間の記憶」》で第30回尾高賞を受賞。1984年に、作曲、演奏、プロデュース活動に対して中島健蔵最優秀賞を、また《ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」》で2度目の尾高賞を受賞。同ヴァイオリン協奏曲は、同年2月にニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカ初演された。同じ年の6月には現代音楽祭「今日の音楽」のテーマ作曲家として、西武劇場において多数の作品が演奏され、同じ月には日仏文化サミットの一環として、武満徹とともにパリのシャンゼリゼ劇場でフランス国立管弦楽団によるオーケストラ作品の演奏会が行われた。1985年5月、フランス共和国芸術文化勲章を受章。1988年11月、サントリー音楽財団(現、サントリー芸術財団)の主催による「作曲家の個展――’88 一柳 慧」で、同財団委嘱の《交響曲「ベルリン連詩」》を発表。この演奏会は、1989年1月の第30回毎日芸術賞を受賞する。1989年にはこれまでの一連の活動に対して京都音楽賞大賞を、《ピアノ協奏曲第2番「冬の肖像」》により3度目の尾高賞をそれぞれ受賞。翌1990年、《交響曲「ベルリン連詩」》で、4度目の尾高賞を受賞。
  80年代から90年代にかけて、国立劇場からの委嘱により、《往還楽》、《雲の岸、風の根》、《伶楽交響曲「闇を熔かして訪れる影」》などの、雅楽、伶楽、声明、舞のための大規模な作品を継続的に発表。1989年9月には、国立劇場の二つのホールを同時に使用する《伶楽交響曲第2番「日月屏風一雙 虚諧」》が初演。1989年に伝統楽器群と声明を中心とした合奏団「東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブル—新しい伝統」(TIME)を組織。以来、アメリカ各都市と、イギリス、ドイツ、オーストリア、フランス、ノルウェーなどヨーロッパ各地の演奏旅行をおこない、ベルリン・フェスティヴァル(1992)、ウィーン・モデルン(1996)、ハダースフィールド現代音楽祭(1992)、ウルティマ・オスロ現代音楽祭(1997)など多くの音楽祭に出演した。自身の伝統楽器群と声明、舞のための《道》、《道Ⅱ》など、欧米各地で演奏された。2002年には第33回サントリー音楽賞を受賞。2004年、パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)のコンポーザー・イン・レジデンスに就任。2006年、3作目のオペラ《愛の白夜》を初演。
  1999年に紫綬褒章を、また2005年には旭日小綬章を受章。2008年文化功労者。現在、TIMEの芸術監督、アンサンブル・オリジン――千年の響き音楽監督、日本音楽コンクール顧問、セゾン文化財団評議員、サントリー芸術財団評議員、神奈川芸術文化財団芸術総監督等などをつとめ、現代音楽の普及にも携わる。最新作に、交響曲第9番《ディアスポラ》(2014)、ピアノ協奏曲第6番《禅 - ZEN》(2016)、交響曲第10番《さまざまな想い出の中に》(2016)等。
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# by ooi_piano | 2016-08-22 12:48 | POC2015 | Trackback | Comments(0)

8/20(土) ストラヴィンスキー特集+中田粥新作初演 (その1)

連続ピアノリサイタル in 芦屋 2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
後援/一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)


c0050810_10102442.jpg【第三回】2016年8月20日(土)午後6時開演 (午後5時半開場)

●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):スケルツォ(1902) 2分
:4つのエチュード Op.7 (1908) 8分
  I. Con moto - II. Allegro brillante - III. Andantino - IV. Vivo
:バレエ音楽「火の鳥」より3つの場面(1910)〔グイド・アゴスティ(1901-1989)による独奏版〕 12分
  魔王カスチェイの凶悪な踊り - 子守歌 - 終曲
:ペトルーシュカからの3楽章(1911/21) 15分
  ロシアの踊り - ペトルーシュカの部屋 - 謝肉祭
:ドイツ人の行進曲の思い出(1915) 1分
:3つの易しい小品(1915) 4分
  行進曲 - ワルツ - ポルカ
:子供達のワルツ(1917)  1分


  (休憩10分)

●イーゴリ・ストラヴィンスキー:交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、日本初演) 21分
  故宮の祭礼 - 二羽の夜鶯(本物の夜鶯と機械仕掛けの夜鶯) - 皇帝の病気と快気
:11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版) 4分
●モデスト・ムソルグスキー(1839-1881):《ボリス・ゴドノフ》序幕より民衆の合唱「なぜ我らを見捨てられるのか、我らが父よ!」(1869/1918)(ストラヴィンスキーによる独奏版、日本初演) 1分
●イーゴリ・ストラヴィンスキー:ピアノ・ラグ・ミュージック(1919) 3分
:管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーの思い出に(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、日本初演) 8分

  (休憩10分)

●中田粥(1980- ):ピアノとエレクトロニクスのための《Pieces of Apparatus I》(2016、委嘱新作初演)  10分
●イーゴリ・ストラヴィンスキー:5本の指で(1921) 8分
  I. Andantino - II. Allegro - III. Allegretto - IV. Larghetto - V. Moderato - VI. Lento - VII. Vivo - VIII. Pesante
:ピアノ・ソナタ(1924) 9分
  I. - II. Adagietto - III.
:イ調のセレナード(1925) 12分
  頌歌 - ロマンス - ロンドレット - 終止曲
:タンゴ(1940) 3分
:仔象のためのサーカス・ポルカ(1943) 4分


c0050810_10114396.jpg中田粥:ピアノとエレクトロニクスのための《Pieces of Apparatus I》(2016、委嘱初演)
  この作品ではピアノを、振動を発生させる装置と捉え直す。楽器とはそもそも振動を聴覚化させる装置であって、音楽は振動が聴覚化した一つの現象にすぎない。そして譜面とはその現象を再現するためのものであるが、実際の演奏で再現されること自体は確率の問題である。この作品は楽器を装置と捉え直すことによって音楽の持つ、振動する現象という部分のみを抉り出す試みである。


c0050810_10122692.jpg中田粥 Kayu NAKADA, composer
  1980年東京生まれ。2006年洗足学園音楽大学音楽学部作曲科卒業。作曲作品に、交響曲《チッポのなぞなぞ》、室内楽《チッポのなぞなぞの答え》、木管五重奏曲《太陽とりさん》、《クールなカメレオンは自転車を想像する》、ヴァイオリン・フルート・ドラム・ギターのための《クールなカメレオンは自転車を想像する Ⅱ》等。舞台音楽の作曲、ミュージカルのバックバンド、即興演奏活動などを経て2013年、サーキットベンディングの一種、電子楽器数台分の剥き出しにされた回路基板を用い、「バグシンセ」「bugsynthesizer」と名付けてリアルタイムに電子回路をショートさせる方法で演奏活動を開始。参加グループ:《《》》(metsu)、相ieトtナ(略)、zzzt、そばうどん。 公式サイト: http://www.kayunakada.com




【関連公演】
c0050810_1084355.jpgСТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ ~二台ピアノによるストラヴィンスキー傑作集~
2016年9月22日(木・祝)19時開演(18時半開場)
浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ

公園通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://koendoriclassics.com/
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp


■ストラヴィンスキー=米沢典剛:《4つのエチュード》(1917/2016、世界初演)
  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
■ストラヴィンスキー=米沢典剛:《舞踊カンタータ「結婚」》(1917/2016、世界初演)
  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴
■ストラヴィンスキー=米沢典剛:《舞踊音楽「春の祭典」》(1913/2016、世界初演)
  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り

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ディアギレフと三人の作曲家たち
<ストラヴィンスキーをめぐって> もうひとりのwith Diaghilev賛 ─────山村雅治


Мы за все твои сироты Беззащитные, Ах да мы тебя-то Просим, молим со сле зами, Со горучими.
 われらは皆みなし児、よるべなきみなし児。ああ、われらは汝に願う、祈る、涙とともに、熱い涙とともに。     (ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』冒頭合唱より)


1

c0050810_8251939.gif  稀代の興行師・ディアギレフという呼び名にはいささかの抵抗がある。彼は興行師にはちがいないけれども、バレエ・リュスの公演を打つ年ごとに「あたらしい」ものを展開した興行師としては、彼はいつも金がなかった。公演に資金を出してくれるロシアの王族や貴族たちに絶えず無心していた。その名の通りの「興行師」なら、濡れ手に粟のぼろ儲けをしなければならない。しかし、かつて彼は一度も儲けたためしがなく、無一文のうちに生を閉じた。金があったのは生涯でただ一度、生後3ヶ月で亡くなった母の遺産を受け継いだときであり、一部を使えるようになった1891年からの学生時代であり、それも乳母を養い、義弟たちを育てるために費やさなければならなかった。
  1895年の夏、翌年から美術批評を書き、芸術に関わる仕事を始めることになる、まだ23歳だった彼は義母に手紙を書いている。そこには醒めた自己分析がある。「まず、僕は大ペテン師です。ただし天才的な。第二に、強力な誘惑者です。第三に、度胸があります。第四に、かなり理屈っぽいですが、主義主張はほとんどありません。第五に、才能はないみたいです。でも、僕は真の天職を見つけました。芸術家のパトロンになることです。いろいろ恵まれています。無いのは金だけです。Mais ça viendra (でも、いずれはいってくるでしょう)」。
  バレエ・リュスを率いることになったのちも、この楽天性は生涯かわらなかった。セルゲイ・ディアギレフ(Sergei Diaghilev 1872-1929)は「生活、そんなものは家来にまかせておけ」という芸術家の気質を生涯もっていた。そして、いつも金がない興行師であるよりも、「偉大な総合芸術の企画者・制作者」だった。

c0050810_8263620.jpg  バレエ・リュスのパリでの公演は1909年にはじまり、ディアギレフが没する1929年まで続いた。ディアギレフの熱い旋風が巻き込んでいった美術家は、初期のバクストやブノワから、やがてアンリ・マティス、ジョルジュ・ルオー、アンドレ・ドラン、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、モーリス・ユトリロ、ジョルジョ・デ・キリコ、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、マリー・ローランサン、ココ・シャネルら、当時の絵画とファッションの前衛たちの名が並ぶ。
  また、作曲家・編曲家にはチャイコフスキー、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、ボロディン、チェレプニン、ストラヴィンスキー、プロコフィエフらロシアの作曲家のほか、ドビュッシー、ラヴェル、アーン、シュミット、フォーレ、サティらフランスの作曲家、ドイツの作曲家の音楽ではリヒャルト・シュトラウス、スペインのファリャも音楽を書いた。ディアギレフはシェーンベルクにもバレエ音楽を委嘱しようとしたが、これは果たせなかった。Diaghilev: A Life 1st Edition by Sjeng Scheijen Oxford University Press; 1 edition (September 1, 2010) 『ディアギレフ』シェング・スヘイエン著 鈴木晶訳 みすず書房刊を参照)。

  バレエの振付は、まず古典バレエを基礎にしたフォーキン。そしてニジンスキー(Vaslav Nijinsky 1890-1950)が「牧神の午後への前奏曲」で革命を起こした。ニジンスキーが去ってから加入したレオニード・マシーンは団の解散後「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」で活躍し、ジョージ・バランシンも同じくモンテカルロで活動。その後アメリカに渡りバレエ学校を設立し、現在の「ニューヨーク・シティ・バレエ団」を設立した。彼らのほかにも活動の場所をアジアに定めたダンサーたちもいる。上海バレエ・リュスには、やがて小牧正英が参加し、プリンシパルとして踊った。


2

c0050810_8273161.jpg  ディアギレフと彼に関わった芸術家たちとの関係のありかたはさまざまだった。
  ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862 -1918)の生理は、バレエ曲の新作を依頼した初対面のディアギレフを受け付けなかった。1909年7月、楽譜出版社のデュランに宛てて、手紙を書いている。「頼まれているバレエ曲が書けない。大体、18世紀イタリアを舞台にしたバレエをロシア人ダンサーが踊るなんて、ばかげているとしか思えない」。「ディアギレフはフランス語がよくできないので、会話はどこかぎくしゃくしたものになった」。また1912年、『遊戯』の制作過程でも「ニジンスキーと彼の子守り(ディアギレフ)がやってきた。すでに書いた部分を聞かせてくれと頼まれたが、断った。野蛮人どもが私の感性を嗅ぎ回るのは不愉快だ」。その名作をディアギレフの「数小節延ばした方がいい」という助言を受け入れて「格段に華麗に」仕上げることができても、なおドビュッシーは最後までロシア人への不信感を捨てなかった。ディアギレフのことを「石をも躍らせる恐ろしいが魅力ある男」といった彼でさえ。また、ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel 1875-1937)は『ダフニスとクロエ』をようやくのこと上演したあと、『ラ・ヴァルス』を書いたがディアギレフにバレエ作品としての上演を却下されて、その後は関係が悪化した。

  ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovich Stravinsky 1882 -1971)は残った。1910年の『火の鳥』から、ディアギレフが没してバレエ・リュスが終焉を迎える前年の1928年の『アポロ』まで、作品を書き続けた。それだけでなく、バランシンのバレエ団のために『カルタ遊び』(1937)、『アゴン』(1957)を書き続けた。
  1909年、バレエ・リュスを旗揚げしたあと、ディアギレフの最大の課題は、新しいロシアのバレエを創りあげることだった。ロシアの歴史、民話や伝説を題材にしての作品。アレクサンドル・アファナシエフの民話集をもとにした『火の鳥』の台本を、デイアギレフ、フォーキンらでつくりあげた台本を得て、まずリャードフに依頼したが、仕事が進まないのですぐに諦めた。イーゴリ・ストラヴィンスキーを思い出した。1909年春に、ペテルブルクの音楽院で管弦楽曲『花火』を、バレエ・リュスの振付師、主役ダンサーだったフォーキンとともに聴いて、彼を認めた。ディアギレフは深い感銘を受けた。「新しく、独創的だ。あの音づかいは大衆を驚愕させるだろう」と語っている。
  数年前からその名を知り、父・フョードル・ストラヴィンスキーはマリインスキー劇場のバス歌手であり、ディアギレフはその劇場につとめていたので親しみもあったのだろう。まもなく、イーゴリのもとにディアギレフの使いが訪れた。

  1910年6月25日 パリ、オペラ座『火の鳥』
  音楽/ストラヴィンスキー指揮/ピエルネ
  美術(装置・衣装)/ゴロヴィン、バクスト 
  振付/フォーキン 
  出演/カルサヴィナ、フィキーナ、フォーキン、ブルガコフ

c0050810_8283983.jpg  パリでの2回目のバレエ・リュスの演目は『謝肉祭』(シューマン)、『ジゼル』(アダン)、『シェエラザード』(リムスキー=コルサコフ)、『オリエンタル』(ロシアと北欧の音楽)に、誇らしい新作としてストラヴィンスキーの『火の鳥』が上演された。話題作はニジンスキーが踊り、バクストの美術が賞賛された『シェエラザード』だった。『火の鳥』の音楽は当時、「メロディがない。まったく音楽に聞こえない」と失笑する人もいたし、稽古中のダンサーたちには、ストラヴィンスキーが「ピアノを弾いているというよりは、壊している」ように見えた。しかし、初演時の観衆には熱狂的に迎えられ、ゴロヴィンの美術も当時のロシアの舞台美術の頂点といわれた。バレエにおいても音楽においても、バレエ・リュスは前衛芸術の世界に属していることが認められた。
  ドビュッシーも賞賛した。「完璧ではありませんが、いくつかの点ではひじょうに優れています。少なくとも、ダンスのおとなしい奴隷にはなっていません。ときどき、まったく聞いたことのないリズムの組み合わせが聞こえます。フランスのダンサーたちは、こんな音楽に合わせて踊るのは拒むでしょう。なるほどディアギレフは偉大な男であり、ニジンスキーは彼の預言者です」。やはり楽譜商デュランへの手紙で。 (つづく
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# by ooi_piano | 2016-08-04 10:13 | コンサート情報 | Trackback(1) | Comments(0)

8/20(土) ストラヴィンスキー特集+中田粥新作初演 (その2)

つづき

3

  1911年6月13日 パリ、シャトレ座『ペトルーシュカ』
  音楽/ストラヴィンスキー指揮/モントゥー 
  美術/ブノワ
  振付/フォーキン
  出演/カルサヴィナ、ニジンスキー、フォーキン、オルロフ、チェケッティ、ショラール

c0050810_8583415.jpg  1911年1月、ニジンスキーが帝室マリインスキー劇場を解雇され、バレエ・リュスは夏休みだけではなく一年中公演できる体制になった。すでにパリだけではなく、前年にはベルリンで、この年はモンテカルロとロンドンでも開催。4月19日のモンテカルロ公演ではニジンスキーが初めての主役を『薔薇の精』(ウェーバーの音楽「舞踏への勧誘」)で踊り喝采を博した。これはニジンスキーに「その並外れた跳躍力を披露する機会をたっぷり与える」ために構想された作品で、以後、看板作品のひとつになった。
  5月からはローマ公演。6月の『ペトルーシュカ』の稽古も同時に進められていく。しかし、振付師フォーキンは、リズムが複雑でなかなか振付ができない。ストラヴィンスキーも朝から晩までピアノの前に座り作曲を続けている。指揮者のモントゥーは「他には誰もいなかった」という理由で選ばれたのだが「その曲と作曲家にすっかり魅了されていた」。
  本番の日が来た。ニジンスキーは、いよいよ大作の主役になって『ペトルーシュカ』を踊った。フォーキンの振付の源泉はスタニスラフスキー模倣的演劇技法であり、脇役の一人ひとりに至るまでの略歴を書き「役になりきり人物を生き返らせろ」と指示した。人形芝居小屋の人形ペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人が、小屋の主である老魔術師に生命を吹き込まれる。ペトルーシュカのバレリーナへの恋心、男盛りのムーア人はむき出しの男性性をもってバレリーナの目を奪う。ペトルーシュカの嫉妬。ムーア人は邪魔者のペトルーシュカを追い回し、ついに刀で斬り殺す。魔術師は彼を修理しようとするが、とつぜん芝居小屋の上にペトルーシュカの幽霊が現われる。魔術師にむかってこぶしを振り上げると魔術師は逃げ出してしまった。ニジンスキーに与えられた振付にはほとんど跳躍はなく、自分の役者としての才能だけが頼りだった。そして見事に成功した。


4

  1913年5月29日 パリ、シャンゼリゼ劇場『春の祭典』
  音楽/ストラヴィンスキー指揮/モントゥー
  振付/ニジンスキー
  美術/レーリッヒ
  出演/ピルツ

c0050810_8591983.jpg  『火の鳥』を書いているさなかに、ストラヴィンスキーは幻を見た。
  「サンクトペテルブルクで『火の鳥』の最後のページを仕上げていた頃のある日、束の間の幻をみた。私は他のことで頭がいっぱいだったので、その幻の出現には仰天した。空想の中で、私は荘厳な異教の儀式をみた。輪になって座った老賢者たちが、若い娘が死ぬまで踊るのをみていた。春の神を喜ばせるために、彼らは娘を生贄にしていたのだ」。(『ディアギレフ』シェング・スヘイエン著 鈴木晶訳)。引用元の書物には同じ内容の言葉に続いて「『春の祭典』の主題だった」。と付け加えられる。(Chroniques de ma vie by Igor Stravinsky , Éditions Denoël et Steele, 1935 。邦訳は『私の人生の年代記』イーゴリ・ストラヴィンスキー著 笠羽映子訳。スヘイエンはこの書をスティーヴン・ウォルシュが書いたとしている)。
  この幻を、彼はニコライ・レーリヒとともに新しいバレエ作品として構想しはじめた。ディアギレフも夢中になった。『ペトルーシュカ』から2年を経て、1913年に初演の日を迎えた。指揮者のモントゥーは、曲の完成(1912.11.17)後にディアギレフに呼ばれ、ストラヴィンスキーがピアノで弾くのを聴いた。
  「古いアップライト・ピアノはがたがた揺れ続けていた」「このままでは彼は爆発するか、失神してしまうだろう」「私自身も猛烈な頭痛がした」「この気の狂ったロシア人の曲なんか音楽じゃない」「とにかく部屋を逃げ出して、どこか静かな場所へ行き、痛む頭を休ませたかった。そのとき団長が私のほうを振り返って、にっこり笑った。『これは大傑作だ、モントゥー君、この曲は音楽に一大革命を起こし、君を有名にするだろう。だって君が指揮するんだからね』。むろん、私は指揮をした」。(『ディアギレフ』前掲書)。
  初演の夜に起きたのは、まさしく暴動だった。ストラヴィンスキーは回想する。
  「前奏曲の冒頭で、早くも嘲笑が起きた。私はむかついて席を立った。最初はまばらだった示威行為がしだいに客席全体に広がり、それが反対の示威行為を誘い、瞬く間に劇場全体が怒号に包まれた。公演の間じゅう、私は舞台袖のニジンスキーの横にいた。彼は椅子の上に仁王立ちになって、「16、17、18」と叫んでいた。ダンサーには独特の拍子の取り方があるのだ。当然ながら、あわれなダンサーたちは、客席からの騒音と、自分たちの足踏みの音で、何も聞こえないのだった」。「公演の後、私たちは興奮し、怒り、憤慨し、そして幸福だった。ディアギレフ、ニジンスキーとレストランに行った。ディアギレフの感想はただ、『私の狙い通りだ』」。

c0050810_902726.jpg  音楽について、ドビュッシーはすでに『ペトルーシュカ』について「この作品は、いわば音の魔法に満ちています。人形の魂が魔法の呪文で人間になるという神秘的な変容。それを理解しているのは、これまでのところ、きみだけです。きっときみはこれから『ペトルーシュカ』よりも偉大な作品を書くでしょうが、これはすでに金字塔です」と賛辞を送っていた。『春の祭典』についても「ラロワ邸でいっしょにきみの『春の祭典』を弾いたことを今でもよく覚えています。あのときの思い出は美しい悪夢のように頭にこびりついています。あのときに受けた衝撃をなんとか甦らせようとするのですが、なかなかできません」。
  『春の祭典』は、同時代の音楽家に深刻な影響を与えた点で『トリスタンとイゾルデ』以降の最も重大な事件だった。

  振付はニジンスキー。彼の振付作品として『牧神の午後への前奏曲』『遊戯』に続いての三作目になった。『牧神』を成功させた後もニジンスキーはマラルメの詩を読んでいなかったし、詩人の名前も知らなかった。『春の祭典』を振り付けるときにも、総譜を読めず楽器も演奏できないニジンスキーに、ストラヴィンスキーは「まず彼に音楽の初歩、つまり音価、拍子、テンポ、リズム以下もろもろの手ほどきから始めなければならなかった。稽古は難渋をきわめた。主役は妹ブロニスラヴァ・ニジンスカが妊娠してしまったため、急遽マリヤ・ピルツが代役となった。ピルツに対し、ニジンスキー自らが踊って見せた生贄の乙女の振付は実にすばらしく、それに比べて初演でのピルツの踊りは、ニジンスキーの「みすぼらしいコピー」に過ぎなかった。
  完成した作品は前2作と同じく、古典的なバレエとはまったく異なるものだった。いくつもの群舞の独自の動きが全体として不調和な舞台を創る。これは古典的なバレエを期待した人は戸惑う。作曲者にさえ理解を超えるものだった。
  1909年以来、バレエ・リュスとニジンスキーに魅了されていたハリー・ケスラー(ドイツの外交官で国際的に有名な芸術愛好家)は、この作品に圧倒された。「突然、まったく新しい光景が出現した。これまで一度も見たことのないような、心を鷲づかみにし、納得させる光景が。芸術における新しい野蛮性と、反芸術性とが、一度にやってきたのだ。すべての形式は破壊され、その混沌から新しい形式が突然に出現する」。
  ニジンスキーの振付には『牧神』とちがってエロティックな身振りはなかった。透けない生地の衣装もダンサーの体を覆い、肌も体の線も見せない。そして、ダンサーたちは舞台を走り回り、内股で腰を曲げ、首をかしげたまま回ったり飛び上がる。


5

c0050810_913855.jpg  上演後の8月15日、一座は座長ディアギレフだけをのこしてブエノス・アイレスに出航する。到着後の9月10日、ディアギレフへの嫌悪が頂点に達していたニジンスキーはバレリーナのロモラ・ド・プルスキーと結婚式を挙げた。この知らせを聞いたディアギレフは激怒する。同性愛者の男性は、若い青年の愛人が異性とつきあうことを許さない。道を女性とともに歩くこと、仲よさげに女性と喋ることすら許せない。いつも、いつまでも自分の「女」として仕えなければならない。ニジンスキーは掟を踏みにじったのだ。彼は即座にバレエ・リュスからの解雇を決断。その後、ニジンスキーは自分のバレエ団を結成して公演するが、当然のことながらディアギレフのマネジメントの能力はなく、惨憺たる失敗に終わった。バレエ・リュスには興行上の理由で1916年の北米ツアーで復帰して、ニジンスキーは『ティル・オイレンシュピーゲル』(リヒャルト・シュトラウス/音楽)に振付をして、踊った。シュトラウスはバレエ・リュスの作品として『ヨゼフの伝説』を1914年5月17日に初演) の振付をし、上演。しかし、すでに彼の精神は病魔に襲われはじめていた。自ら書きつけた舞踏譜は『牧神の午後への前奏曲』の一作だけだった。

  ニジンスキーは現代バレエを切り拓いた先駆者だった。のみならず、彼の古典バレエの約束を打ち破る踊りは、現代日本の「舞踏」にまで及んでいる。舞踏家、笠井叡は「ニジンスキーも『牧神の午後』以降は完全に舞踏です」と発言している。(『土方巽の舞踏』慶應義塾大学出版会刊)。そして「Butō」の研究家、アリクス・ド・モランは、土方巽の『疱瘡譚』を語るなかでニジンスキーにも触れている。「ニジンスキーの課題は、調和のとれた動きに基いたクラシックの語彙と手を切ることであった。ニジンスキーは足を内に向ける姿勢によって不具の醜くなった身体性を浮上させ、グロテスクの印を焼き付けることに成功したのだ」。(横山義志訳 同書)。


6

c0050810_923178.jpg  ニジンスキーを失った1914年の新作は、5月17日のリヒャルト・シュトラウスの音楽によるバレエ『ヨゼフの伝説』と、ストラヴィンスキーのオペラ『ナイチンゲール』(夜鶯)だった。ディアギレフがニジンスキーに代わる主役を踊る男性バレエ・ダンサーとして新しく加入させたのは、やはり同性愛の愛人にしたレオニード・マシーンだった。
  シュトラウスの新作はさほど評判を呼ばず、一座の命運はオペラにかかった。リムスキー=コルサコフの『金鶏』をオペラ・バレエとしてフォーキンが振り付けた作品が、もうひとつのオペラだった。
  舞踊劇の形をとった『ナイチンゲール』(夜鶯)は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話にもとづくオペラ・バレエ。曲の一部は『火の鳥』以前に書かれ、残りは『春の祭典』以後に書いた。ストラヴィンスキーは作風の変化が速い。少し長い曲なので、繋ぎ目がわかってしまう。しかし、素晴らしい部分の繊細な音色感は美しく、フランス音楽(もちろんドビュッシーとラヴェル)から得た成果が聴きとれる。
  この年1914年に始まった第一次大戦は1918年まで終結せず、バレエ・リュスを構成していた人たちは、これまで通りには芸術活動ができにくくなる。また、ロシア革命が1917年に起きる。ディアギレフらは故国に帰ることができなくなった。

c0050810_934869.jpg  この間、ストラヴィンスキーのバレエ・リュス上演作は、1915年の『花火』。これは旧作を舞台作品に仕上げたもの。それだけだった。『ナイチンゲール』のバレエ改作版、『ナイチンゲールの歌』(夜鶯の歌)は、1916年に企画されて、公演が実現したのは1920年だった。アンリ・マティスが美術を担当した。振付はマシーン。音楽は20分程度に圧縮したもので、東洋の音階が魅力的だ。ストラヴィンスキーは1959年に来日し、この曲を演奏した。曲に自信があったのだろう。原作の童話は中国の皇帝の御殿と庭園が舞台になり、訪れる人が夜鶯(さよなきどり、ともいう)の声を賞賛し、皇帝も聞いて感動した。ある日、日本の皇帝から細工物の夜鶯が贈られる。宝石で飾られた夜鶯はいつも同じ節で美しい鳴き声を奏で、いつしか本物の夜鶯はいなくなってしまう……

  バレエ作品『プルチネルラ』も1920年の初演。ピカソが美術を受け持った。伝ペルゴレージの手稿や印刷譜からの18曲をストラヴィンスキーが編曲した。もう1913年ははるか昔に過ぎ去り、作風の変容は、編曲時1919年のストラヴィンスキーを先駆者ではなくしてしまっていた。この頃から1950年までの作風を、それまでの「原始主義」にかわる「新古典主義」と名付けられ、それ以後、若い友人で彼の仕事の協力者だったロバート・クラフトの示唆によってシェーンベルクの「十二音技法」を採り入れて、さらに「セリー主義」へと歩みを進めた。クラフトは書いている。「1952年3月8日。彼は遠回しにシェーンベルクの七重奏曲(作品29)に触れ、それが彼に強烈な印象を与えたという。40年ものあいだシェーンベルクを『実験的』『理論的』『時代遅れ』と片付けてきたので、シェーンベルクの音楽が実質的には自分自身の音楽よりもより豊かであるという認識に、衝撃を受けている」。(Stravinsky: Chronicle of a Friendship by Robrt Craft, Vanderbilt Univ. Pr. 1994 邦訳は『ストラヴィンスキー 友情の日々』ロバート・クラフト著 小藤隆志訳 青土社刊)。


7

c0050810_943890.jpg  バレエ・リュスの歩みを振り返ってみよう。1915年はリムスキー=コルサコフの旧作『雪娘』。1916年はフォーレの『ラス・メニナス』、そして、ンジンスキーの最後の『ティル』。1917年にはストラヴィンスキーの旧作『花火』。そしてディアギレフが最後に見出した若い才能、イーゴル・マルケヴィッチが評価してやまなかったサティの『バラード』。1918年に
  1921年、プロコフィエフの『道化師』が初演。ファリャ編曲による『クァドロ・フラメンコ』とともに。1922年はストラヴィンスキーの2作品。ニジンスカが踊ったバレエ『狐』とオペラ『マヴラ』。
  1923年6月23日に上演された新作バレエ・カンタータ『結婚』は、歌手を伴った作品で、これはしかし、往年の創造力が舞い戻ってきたかのような傑作のひとつになった。それもそのはずだ。構想は1912年には芽生えていて、1914年に着手された。1915年にはディアギレフに2場までの音楽を聴いてもらっていた。振付はソ連を亡命して1年足らずのブロニスラヴァ・ニジンスカ。美術と衣装はナターリヤ・ゴンチャローワ、指揮はエルネスト・アンセルメ。
  翌1924年は多くの作品が上演されたが、新しいものはミヨーの『青列車』。この舞台で新しく前年に入団したセルジュ・リファールが踊った。幕をピカソが描き、衣装はココ・シャネルだ。1925年は振付家にバランシンが入り、リエーティ作曲の『バラボー』が上演されるなど。1926年にはニジンスカとバランシンの振付作品。サテイ作曲・ミヨー編曲の「びっくり箱」も。1927年には、ストラヴィンスキーが復帰する。オペラ『オイディプス王』。サティの『メルキュール』、プロコフィエフの『鋼鉄の歩み』、ともにマシーンの振付で上演された。1928年、ストラヴィンスキーの『ミューズを導くアポロ』。1929年5月21日、プロコフィエフの『放蕩息子』をバレエ・リュスとしての最後の上演を果たした後、8月19日にディアギレフはベニスで生涯を閉じた。看取ったのは看護していたセルジュ・リファール、そして16日、晩年の忠実な秘書だったボリス・コフノが駆けつける。二人ともディアギレフが愛した青年だった。18日にはミシア・セールとココ・シャネルも最後の病床に間に合った。


8

c0050810_954973.jpg  ディアギレフが8月12日、病床で口ずさんだのは『トリスタン』と『悲愴交響曲』の一節だった。ストラヴィンスキーは8月21日に知らせを聞いて愕然とした。ここ数か月の冷えた関係に胸がかきむしられた。26日になってから、ようやくヌーヴェリに手紙を書いた。「手紙を書くのは辛いのです。沈黙したままでいたいと思います。それでも手紙を書けば、愛するセリョジャを突然に失って私が感じている鋭い痛みが、あなたにもわかってもらえるでしょう」……。ストラヴィンスキーの妻、ヴェラは「年齢とアメリカがストラヴィンスキーの性格を変える以前、あの人はディアギレフにしか心を開きませんでしたわ。そして留意した批評は、ディアギレフのものだけでした」と言った。((『ストラヴィンスキー 友情の日々』ロバート・クラフト著 小藤隆志訳 青土社刊)。

  ストラヴィンスキーにも世に別れを告げる時が来る。1971年3月31日、クラフトは「ラズモフスキー四重奏曲」と「悲愴交響曲」のレコードをかけ、ストラヴィンスキーは「チャイコフスキーの最高の音楽だ」と言って喜んだ。4月4日、重い病床の枕もとでクラフトは「悲愴交響曲」の最終楽章を流した。それがストラヴィンスキーが聴いただろう最後の音楽になった。4月6日に巨星は墜ちた。 

Да здравствует ! уж как на небе солнцу красному, Слава ! cлава !
 万歳! 空にはすでにかくも赤き太陽! 栄えあれ! 栄えあれ!
(ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』冒頭合唱より)

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# by ooi_piano | 2016-08-04 07:23 | コンサート情報 | Trackback | Comments(0)

連続ピアノリサイタル in 芦屋 2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

連続ピアノリサイタル in 芦屋 2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

c0050810_1753814.jpg山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000 3回通しパスポート¥7000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
後援/一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)



【第三回】2016年8月20日(土)午後6時開演 (午後5時半開場)
●中田粥(1980- ):ピアノとエレクトロニクスのための《Pieces of Apparatus I》(2016、委嘱新作初演)
●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):スケルツォ(1902)、4つのエチュード Op.7 (1908)、バレエ音楽「火の鳥」より3つの場面(1910)(G.アゴスティによる独奏版)、ペトルーシュカからの3楽章(1911/21)、ドイツ人の行進曲の思い出(1915)、3つの易しい小品(1915)(独奏版)、ムソルグスキー《ボリス・ゴドノフ》序幕より民衆の合唱「なぜ我らを見捨てられるのか、我らが父よ!」(1917)(ストラヴィンスキーによる独奏版、日本初演)、交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、日本初演)、11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版)、ピアノ・ラグ・ミュージック(1919)、管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーを悼んで(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、日本初演)、5本の指で(1921)、子供のワルツ(1922)、ピアノ・ソナタ(1924)、イ調のセレナード(1925)、タンゴ(1940)、仔象のためのサーカス・ポルカ(1943)




【第一回】2016年6月18日(土)午後6時開演 (午後5時半開場) 〔終了〕
●橋本晋哉(1971- ):ピアノ独奏のための《ゆたにたゆたに》(2016、委嘱新作初演)
●クロード・ドビュッシー(1862-1918):2つのアラベスク(1888/91)、スティリー風タランテラ(舞曲)(1890)、ベルガマスク組曲(1890/1901)、ピアノのために(1896)、版画(1903)、仮面(1904)、喜びの島(1904)、映像 第1集(1905)、同第2集(1907)、子供の領分(1906/08)、舞踊詩「遊戯」(1912/13)(作曲者による独奏版/日本初演)、12のエチュード集(1913/15)
 


【第二回】2016年7月16日(土)午後6時開演 (午後5時半開場) 〔終了〕
  [※] ・・・水本明莉(助演)
●小林純生(1982- ):ピアノ独奏のための《フーガ》(2016、委嘱新作初演)
●モーリス・ラヴェル(1875-1937):グロテスクなセレナード(1893)、古風なメヌエット(1895)、亡き王女のためのパヴァーヌ(1899)、水の戯れ(1901)、ソナチネ(1903/05)、鏡(1904/05)、夜のガスパール(1908)、ハイドンの名によるメヌエット(1909)、マ・メール・ロワ(1908/10)[※]、高雅で感傷的なワルツ(1911)、ダフニスとクロエ 第2組曲(1909/12)(L.ロックによる連弾版、日本初演)[※]、 …風に(1913)、クープランの墓(1914-17)、舞踏詩「ラ・ヴァルス」(1919/20)(作曲者による独奏版)



水本明莉 Akari MIZUMOTO (助演/7月公演)
c0050810_1754337.jpg  1993年生まれ。ピティナ・ピアノコンペティション全国決勝大会にてB級銀賞、E級金賞、F級ベスト賞、Jr.G級銀賞、G級銀賞受賞。第65回全日本学生音楽コンクール高校の部大阪大会第1位。第8回堺国際コンクール高校の部第1位。第21回宝塚ベガ音楽コンクールピアノ部門第3位。第15回いしかわミュージックアカデミーIMA音楽賞受賞。第13・14回浜松国際ピアノアカデミーに参加。第18回松方ホール音楽賞奨励賞受賞。第8回エトリンゲン青少年国際ピアノコンクール(ドイツ)特別賞受賞。第1回アジアピアノコンペティション第1位(マレーシア)。第5回メトロポリタン国際ピアノコンクール ドビュッシー賞受賞。リベイラン・プレート交響楽団(ブラジル)、ニューフィルハーモニック大阪、大阪チェンバーオーケストラと共演。2009年度ヤマハ音楽振興会音楽奨学支援奨学生。ピアノを永島香、クラウディオ・ソアレス、武田真理、服部久美子、チュンモ・カンの各氏に、作曲を大久保みどり氏に師事。現在、ニューヨークのジュリアード音楽院に在籍し、ジュリアン・マーティン氏に師事。



橋本晋哉 Shinya HASHIMOTO (委嘱作曲/6月公演)
c0050810_1755134.jpg  1971年生まれ。エリザベト音大博士課程を経てパリ国立高等音楽院修了。2002年アヴァン・セーヌ(フランス)第1位、日本現代音楽協会演奏コンクール第2位、2003年ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール特別賞、「東京現音計画」のメンバーとして第13回佐治敬三賞受賞。アンサンブル・イクトゥス、ミュージック・ファブリック、アンサンブル・アンテルコンタンポラン等での演奏、アゴラ音楽祭、レゾナンス音楽祭(IRCAM)への出演等。秋山和慶指揮東響とのB.シュテルンのテューバ協奏曲《生贄》日本初演、飯森範親指揮東響とのH.ラッヘンマンのテューバ協奏曲《ハルモニカ》日本初演、杉山洋一指揮都響とのM.スモルカのテューバ協奏曲《テューバのある静物画》日本初演など、テューバの超絶的ヴィルトゥオーソとして確固たる評価を得ている。16世紀フランス由来の古楽器「セルパン」を用いての古楽分野での活動も多い。作曲作品に、独唱のための《夜想曲》(2006)、フルート四重奏とセルパンのための《グリモワール》(2007)、バリトンとチューバのための《海峡》(2010)等。公式サイト: http://shinyahashimoto.net



小林純生 Sumio KOBAYASHI  (委嘱作曲/7月公演)
c0050810_1756664.jpg  1982年三重県菰野町生まれ。作曲を伊藤弘之と湯浅譲二に師事。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011)、 インターナショナル・ミュージック・トーナメント (2010)、 ICOMS国際作曲コンクール (2011)、 シンテルミア国際作曲コンクール (2012)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015)、サン・リバー賞(2015)、 ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)等に入賞・入選。ルーマニアのアイコン・アーツ現代音楽際 (2013) 、武生国際音楽祭 (2010、 2013、 2014)、韓国の統営市国際音楽祭 (2015) 、スロバキアのメロス・エトス国際現代音楽祭(2015)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、イデー・フィクス・アンサンブル、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、ネクスト・マッシュルーム・プロモーション等により作品が演奏されている。現在は英国カンタベリーに在住、ケント大学博士課程で韻律論の研究に従事。公式サイト: http://sumiokobayashi.com/



中田粥 Kayu NAKADA  (委嘱作曲/8月公演)
c0050810_1757639.jpg  1980年東京生まれ。2006年洗足学園音楽大学音楽学部作曲科卒業。作曲作品に、交響曲《チッポのなぞなぞ》、室内楽《チッポのなぞなぞの答え》、木管五重奏曲《太陽とりさん》、《クールなカメレオンは自転車を想像する》、ヴァイオリン・フルート・ドラム・ギターのための《クールなカメレオンは自転車を想像する Ⅱ》等。舞台音楽の作曲、ミュージカルのバックバンド、即興演奏活動などを経て2013年、サーキットベンディングの一種、電子楽器数台分の剥き出しにされた回路基板を用い、「バグシンセ」「bugsynthesizer」と名付けてリアルタイムに電子回路をショートさせる方法で演奏活動を開始。参加グループ:《《》》(metsu)、相ieトtナ(略)、zzzt、そばうどん。 公式サイト: http://www.kayunakada.com


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# by ooi_piano | 2016-07-26 00:32 | コンサート情報 | Trackback(1) | Comments(0)

8月14日(日) ラヴェル:ピアノ協奏曲@京都

洛星交響楽団楽友会演奏会
https://www.rakusei.gr.jp/blog/4472/ 
2016月8日14(日)14時開演(13時開場)
京都コンサートホール大ホール (自由席)
一般 1500円/高校生以下 500円
指 揮:山本貴嗣 Takashi Yamamoto
ピアノ:大井浩明 Hiroaki Ooi

●ロッシーニ/ウィリアム・テル序曲
  〔指揮:西尾望 演奏:洛星交響楽団(現役中学・高校生演奏)〕
●ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
●プロコフィエフ/交響曲第5番 変ロ長調 作品100

【主催】 洛星交響楽団楽友会(洛星中学・高等学校オーケストラ部OB) https://www.facebook.com/rakuseioborchestra
【問い合わせ】 080-4238-2016(担当:吉川)  rakuseiobconcert2016[at]gmail.com

c0050810_11332264.jpg山本貴嗣 Takashi Yamamoto, conductor
  洛星30期生。大阪大学人間科学部卒。幼少よりピアノとソルフェージュを学ぶ。洛星交響楽団でコントラバスを演奏、大阪外国語大学管弦楽団で学生指揮をつとめた。1995年〜2001年 けいはんなフィルハーモニー管弦楽団音楽監督。この間、同楽団のすべての演奏会とバレエ公演を指 揮。ザ・シンフォ ニーホールでの特別公演ではベルリオーズ、ラヴェル、イベールの作品を取り上げ好評を博した。2003年より長岡京市 民管弦楽団アドヴァイザリー・コンダクターとして、現在に至るまで数多くの演奏会を指揮してきており、長岡京音楽祭 「国民文化祭記念コンサート」にも2012年、2015年の二度に亘って登場した。一方、バレエ指揮ではプロのダンサーや演出家からの信頼が厚い。近年では「淡路島舞台芸術祭」でチャイコフスキー「白鳥の湖」全幕、兵庫県芸術文化センターでプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」全幕の各公演を成功させた。合奏トレーナーとしても数々の楽団で活動しており、前回(2013年)の洛星交響楽団楽友会演奏会でもトレーナーを務めた。


c0050810_1134214.jpg西尾望 Nozomi Nishio, conductor
  相愛大学音楽学部卒業。森純子、斉藤建寛の諸氏に師事。卒業後、フリーのチェロ奏者としてオーケストラや室内楽等で活動を展開する傍ら、相愛大学オーケストラ指導教員、大阪芸術大学オーケストラ奏者を兼務する。2000年4月より洛星中学・高等学校に赴任、部創立者・小笠原義明氏の後任として洛星交響楽団常任指揮者となり、的確かつ情熱的な指導で高い評価を得ている。毎年4月に開催されるチャリティーコンサートでは、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番《革命》、リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェヘラザード》、チャイコフスキー:交響曲第4番、シューベルト:交響曲第8番《グレート》等の大曲・難曲にも取り組んでいる。学外での活動としては、NPO法人オペラプラザ京都第9回公演においてモーツァルト:オペラ「魔笛」全二幕を指揮、一昨年8月京都コンサートホールにて行われたエルサレム・ユース・コーラス招聘コンサート、ならびに今年5月のロームシアター京都メインホール(旧京都会館第1ホール)での京都男声合唱団定期公演では、京都フィロムジカ管弦楽団と洛星交響楽団他の合同オーケストラも指揮し、絶賛を博した。
 〈ココロコミュ〉サイトでのロングインタビュー:http://www.cocorocom.com/labo/interview/nishio.php



c0050810_11355178.jpg洛星交響楽団楽友会
  洛星交響楽団楽友会は、洛星中学・高等学校オーケストラ部のOB会であり、3年に一度、会員であるオーケストラ部OBを中心にその家族や活動の趣旨に賛同するメンバーを集めて演奏会を開催している。今回は現役オーケストラ部の部員も数名参加しての演奏となる。
  1957年に洛星中学・高等学校オーケストラ部が小笠原義明先生を中心に有志で創設されて59年、OBには、佐々木真氏(3期生 元・東京交響楽団首席フルート奏者、日本フルート協会会長、日本演奏連盟理事)、 寺本義明氏(26期生 東京都交響楽団首席フルート奏者)、大井浩明氏(30期生 ピアニスト)、中田延亮氏(36期生 指揮者)など、数多くの演奏家を輩出している。
  演奏家のほかにも、故安井敏雄氏(5期生 元相愛大学音楽学部音楽マネジメント学科長)、中川真氏(大阪市立大学文学研究科教授、国際センター所長(音楽学))、岡田暁生氏(21期生 京都大学人文科学研究所教授(音楽学))、山田治生氏(25期生 音楽評論家)、故吉村渓氏(25期生 音楽評論家)、荒木源氏(26期生 小説家)(映画「オケ老人!」原作者)など、音楽の世界で活躍しているOBも数多い。
  1997年に 最初の演奏会を開催して以来、今回は7回目の演奏会となる。当初は、学校や同窓会の記念行事に合わせて不定期に演奏会を開催していたが、近年では概ね3年に一度の頻度で定期的に演奏会を開催しており、「第九」(2002年)、「巨人」(2010年)、「英雄の生涯」(2013年)など大曲にも取り組んでいる。
 

c0050810_11365255.jpgコンサートホールのアクセス
■電車でお越しの場合
  京都市営地下鉄烏丸線北山駅下車1番または3番出口 南へ徒歩5分
■車でお越しの場合
  北大路通から下鴨中通(府立大学前交差点)を北上、もしくは北山通りから下鴨中通(北山駅前交差点)を南下
  駐車場利用可:8:00~23:00、約100 台収容可能、30 分ごとに250 円、車高制限2.1m
■バスでお越しの場合 
  京都市バス、4系統もしくは北8系統で北山駅前バス停下車 南へ徒歩5分
  京都バス 京都コンサートホール前バス停下車
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# by ooi_piano | 2016-07-10 10:34 | コンサート情報 | Trackback(1) | Comments(0)

7/16(土) ラヴェル全ピアノ曲+小林純生新作初演 (その1)

連続ピアノリサイタル in 芦屋 2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
後援/一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)


【第二回】2016年7月16日(土)午後6時開演 (午後5時半開場)
  [※] ・・・水本明莉(助演)

c0050810_16332988.jpg●モーリス・ラヴェル(1875-1937):グロテスクなセレナード(1893) 3分
:古風なメヌエット(1895) 6分
:亡き王女のためのパヴァーヌ(1899) 6分
:水の戯れ(1901) 5分
:ソナチネ(1903/05) 11分
  I. 中庸に - II.メヌエット - III.生き生きと
:鏡(1904/05) 28分
  I.夜蛾 - II.悲しい鳥たち - III.海原の小舟 - IV.道化師の朝の歌 - V.鐘の谷
●小林純生(1982- ):《フーガ ~モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、委嘱新作初演) 7分

 (休憩10分)

●モーリス・ラヴェル:夜のガスパール - アロイジュス・ベルトランによるピアノのための三つの詩(1908) 23分
  I.水の精 - II.絞首台 - III.スカルボ
:ハイドンの名によるメヌエット(1909) 2分
:マ・メール・ロワ(鵞鳥婆) - 子供のための5つの小品(1908/10) [※] 18分
  I.眠りの森の美女のパヴァーヌ - II.親指小僧 - III.レドロネット、陶器人形の女王 - IV.美女と野獣の対話 - V.妖精の園
:高雅で感傷的なワルツ(1911) 15分
  I.中庸に - II.かなり緩やかに - III.中庸に - IV.生き生きと - V.ほとんど緩やかに - VI.活発に - VII.やや落ち着いて - VIII.終曲

 (休憩10分)

:ダフニスとクロエ 第2組曲(1909/12)(レオン・ロック(1839-1923)による連弾版、日本初演) [※] 15分
  夜明け - 無言劇 - 全員の踊り
:初見課題用前奏曲(1913) 1分
:ボロディン風に(ワルツ)(1913) 2分
:シャブリエ風に(グノー《ファウスト》第3幕「花の歌」によるパラフレーズ)(1913) 2分
:クープランの墓(1914/17) 25分
  I.前奏曲 - II.フーガ - III.フォルラーヌ - IV.リゴードン - V.メヌエット - VI.トッカータ
:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(1919/20) 13分


使用エディション: ロジャー・ニコルス校訂による原典版(Edition Peters, 1991/2008)



小林純生 Sumio KOBAYASHI, composer
c0050810_9184831.jpg  1982年三重県菰野町生まれ。作曲を伊藤弘之と湯浅譲二に師事。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011)、 インターナショナル・ミュージック・トーナメント (2010)、 ICOMS国際作曲コンクール (2011)、 シンテルミア国際作曲コンクール (2012)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015)、サン・リバー賞(2015)、 ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)等に入賞・入選。ルーマニアのアイコン・アーツ現代音楽際 (2013) 、武生国際音楽祭 (2010、 2013、 2014)、韓国の統営市国際音楽祭 (2015) 、スロバキアのメロス・エトス国際現代音楽祭(2015)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、イデー・フィクス・アンサンブル、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、ネクスト・マッシュルーム・プロモーション等により作品が演奏されている。現在は英国カンタベリーに在住、ケント大学博士課程で韻律論の研究に従事。公式サイト: http://sumiokobayashi.com/

〈主要作品〉
 《駆ける緑、うねる青》 (2009) [ピアノ五重奏]
 《アメジストの木の上で》 (2010) [fl, ob, cl, vn, vc, pf]
 《草とサファイアの平原》 (2011) [管弦楽]
 《雪のなかのヒバリ》 (2012) [フルートと弦楽合奏]
 《馥郁たる月の銀色のノート》 (2013、武生国際音楽祭委嘱) [fl, vn, va, vc, hp]
 《森から聞こえるのは…》 (2014、武生国際音楽祭委嘱) [リコーダー独奏]
 《水が咲いて》 (2014) [fl, cl, vn, va, vc, pf]
 《水面下の雪》 (2015、アジアン・コンポーザーズ・ショーケース委嘱) [cl, vn, va, vc, cb, pf]
 《レクイエムズ》 (2015) [マリンバと管弦楽]


小林純生:《フーガ ~モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、委嘱初演)
  この曲はラヴェルのフーガ、特にその構造を模して作曲されている。極めて幾何学的なその構造は楽曲の基盤として作品のバランスを整える。安定した土台の上に、ラヴェルのフーガは均整のとれた形で構築されているが、この曲では曖昧にぼかされた線が曲を形作る。音の交差や声部数の多さ、リズムの不安定さ、ヘテロフォニックな書法が線を、そして作品自体を霞ませる。
  フーガの体を成している限り、特に鍵盤楽器のソロ曲の場合、複雑すぎるフーガはおそらくただ無秩序な音の連続に聞こえるだろう。この曲のなかではその不安定な音の集合に秩序を与えるものとして、安定した形式に加えて、ラヴェル的な和声が重要な役割を果たしている。調性という規則によって、雲散しそうな線に形が与えられるが、この和声法は楽曲を締め付け過ぎはしない。
  上記の配慮があってもバランス次第で楽曲は極めて難解なものにも簡明なものにもなりうるが、理解と不理解のはざまで、平衡がとられている。(小林純生)


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Aloysius Bertrand (1807-1841): "Gaspard de la nuit" -- Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot (1836)



夜のガスパアル     (ベルトラン・詩)


I オンヂイヌ
  ・・・朧朧(おぼおぼ)しき調べ吾が仮寝(うたたね)を惑はし、
  哀しく嫋(なよよ)かに途絶へし歌聲(うたごへ)と聞き紛ふ囁(さゝめ)き、
  吾が枕邊に飄(たゞよ)ひたる心地こそせしか。
                   シアルル・ブリユノー ― 二人精(みたま)

―いで―  ―聽かれてよ―
其(そ)は妾(わ)ぞ、 オンヂイヌぞ、
欝(いぶ)せき月影映す汝(なれ)が窓をしも
玉の水滴(しづく)もて音(ね)を鳴かしむるは。

瞻(み)よ、館宇(しろ)の御令室(おんかた)は波文様(なみあや)の裳裾曳き
星辰(ほしぼし)抱く麗はしの夜と
熟睡(うまゐ)する瀛湖(うみ)をぞ凝眸(まも)りおはしたる。

波てふ波は 流(せ)に游(およ)ぐオンヂイヌぞ、
流てふ流は 妾が幽宮(おくつき)へ迂(くね)り導(ゆ)く小径(みち)、
妾が幽宮こそは 火と土(ち)と氣(け)のなす三角(みすみ)なれ
水底(みなそこ)揺蕩(たゆた)ふ陽炎の如(ごと)。

―いで―  ―聽かれてよ―
妾が御父(おんちゝ)は瑞枝(みづえ)もて擲(う)ち 飛沫(しぶき)揚げ給ふ。
妾が姉妹(はらから)は 若草萌え睡蓮(はちす)咲き 唐菖蒲(とうせうぶ)寓(やど)る島嶼(しまじま)を
泡沫(うたかた)の臀(かひな)もて愛撫(め)で 漁(いざ)り釣る髭長の絲柳をぞ戯(あざ)けたる。

妓(をんな)は囁(さゝめ)き歌ひつ。妓は指環を褒寶(かづけ)にて乞ふ、
吾が夫(せ)となりて
彼(か)の幽宮にて瀛湖の王(あるじ)たらんことを。

然(さ)るを吾が現身(うつそみ)の女(をんな)を愛するを聞きて
魍魎(あやかし)の妓  ―あな憂(う)たて―  と、
暫時(つと) 涕(なんだ)垂れ
・・・忽焉(たちまち) 哄(わら)ひさざめき
蒼冴(あをざ)めし吾が窓邊に雨と流れて消えにけり。



II 絞縊架(くびつりだい)
  彼(か)の絞縊架が邊(あた)りを蠕(うごめ)けるを何とぞ見る (フアウスト)

そも 何の音ぞも。
終夜(よただ) 咆吼(ほ)ゆる凩(こがらし)か、
将(は)た 吊られたる者の洩らす愁息(ためいき)か。

樹(たちき)の憫(あは)れを頼みて纏はりたる 石女(うまずめ)の蔦蘿(つたかづら)と
苔の中(うち)なる蟋蟀(こおろぎ)の挽歌(うたごえ)か。

聾(しひ)たる耳の邊(へ)を
勝鬨擧げ 獲物(さち)漁り飛ぶ羽蟲が角聲(つのぶえ)か。

あくがれ翔びて 禿頭(かむろ)より
血に塗(まみ)れし髪(くし)抜く甲蟲か。

将たは二尺なる毛氈(かも)を刺繍(かが)り
縊(くく)られたる首に飾らんとする土蜘蛛か。

其(そ)は 地の涯の都城(みやこ)の塁壁(ついぢ)より來たる
梵鐘(かね)の音なり。
夕さりて殷紅(あか)みゆく縊れたる者の骸(なきがら)。



III スカルボ
  牀(とこ)の下、爐(ひをけ)の中(うち)、厨子の中にも、見えざりき―誰(たれ)も。
  何處(いづこ)より入りて、何處よりか出(い)でたりつる。  (ホフマン―夜話)

嗟呼(あゝ)、吾(われ) 幾度(いくたび)か邂逅(まみ)えし、スカルボと。
月影鮮(さや)かなる 彼(か)の夜半(よは)ぞ、
黄金(こがね)の群蜂(むらばち)鏤(ちりば)めし碧(あを)き旛(はたもの)の上なる
白銀(しろがね)の貨(ぜに)の如(ごと)。

吾 幾度か聞きし、
吾が冥(をぐら)き閨房(ねや)に戰(そよ)ぎわたる 彼(か)の嗤(わら)ひを
吾が羅(きぬ)の几帳(とばり)を引き掻く 彼の爪を。

吾 幾度か見し、
彼の者 牀下(ゆか)に降り立ち片脚(かたし)にて
仙女(まこ)の紡錘(をだまき)さながら
吾が寝齋(むろ)に旋廻(くるめ)き渡るを。

彼(か)の時 吾 彼の者消ゆと思ひたりしか。
彼の侏儒(こびと) 月影浴び吾が眼前(まへ)に
巨(おほ)きに成り成りて
伽藍(みてら)の鐘楼(たかどの)と見ゆ、
其の尖帽(かうぶり)に黄金の鈴揺れて。

須臾(やがて) その體(からだ) かの貌(かほばせ) 倶(とも)に蒼冴め
燭(そく)の涙と透けゆき 色喪(う)せゆき、

然(さ)りて 彼の者 突如(うちつけ)に 見えずなりたりけり。

                   (安田 毅 ・ 譯)


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# by ooi_piano | 2016-07-04 18:19 | Trackback(1) | Comments(0)

8/26(金)19時 一柳慧個展(一柳氏によるプレトークあり)