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2017年12月4日(月) 18時30分開演(18時開場)
東京オペラシティ 近江楽堂 一般5000円/学生4000円

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685 – 1750) : クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ BWV1014 - 1019
第1番 ロ短調 BWV1014 [全4楽章] 約15分
  Adagio - Allegro - Andante - Allegro
第2番 イ長調 BWV1015 [全4楽章] 約13分
  (Dolce) - Allegro - Andante un poco - Presto
第3番 ホ長調 BWV1016 [全4楽章] 約17分
  Adagio - Allegro - Adagio ma non tanto - Allegro
 (休憩 15分)
第4番 ハ短調 BWV1017 [全4楽章] 約15分
  Largo - Allegro - Adagio - Allegro
第5番 ヘ短調 BWV1018 [全4楽章] 約16分
  (Lamento) - Allegro - Adagio - Vivace
第6番 ト長調 BWV1019 (最終版) [全5楽章] 約17分
  Allegro - Largo - Allegro - Adagio - Allegro


c0050810_13170294.jpg【お問い合わせ】 yurikaviolin@kvj.biglobe.ne.jp tel 03-6411-1977(辻) 
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阿部千春  (バロックヴァイオリン)
  塩川庸子氏、尾島綾子氏、前澤均氏、金倉英男氏、村上和邦氏、菊地俊一氏に師事。武蔵野音楽大学卒業後、ドイツ・シュツットガルト国立音楽大学でスザンネ・ラウテンバッハー氏に師事。在日中より菊地俊一氏、永田仁氏を通して古楽に関心を持っており、1994年トロッシンゲン国立音楽大学古楽科に入学、バロックヴァイオリンをジョルジオ・ファヴァ氏に師事。ディプロム終了後、同大学院にてフランソワ・フェルナンデス、エンリコ・ガッティ、ジョン・ホロウェイ各氏のもとで研鑽を積む。
  1999年、ドイツ産業連盟・ドイツ財界文化部主催の”古楽・弦楽器コンクール”にて特別奨励賞を受賞。大学院修了後、スコラカントルム・バジリエンスィス(バロックヴァイオリン、ヴィオラ・ダモーレ)、ケルン国立音楽大学(古楽科室内楽専攻)に在籍。在学中より、オーケストラ/室内楽奏者、ソリストとして数多くの演奏会、CD、各地放送局の録音に参加、ヨーロッパ各国に活動範囲を広げる。現在、ドイツ・ケルンに在住。ヴィオラ・ダモーレ奏者としても活動。コンチェルトケルンでは演奏の他、資料研究も担当。国内においては2009年から2012年にかけて大井浩明氏とのモーツァルト・ヴァイオリンソナタ全曲シリーズを完結。2013年にはバッハのヴァイオリン無伴奏全曲演奏会を開催する。 公式サイト http://chiharu.de/ (ブログ随時更新中)






バッハのヴァイオリンソナタ集について―――阿部千春


曲集の成立・出典

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 Johann Sebastian Bach ヨハン・セバスティアン・バッハ( 1685 – 1750 ) の " クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ " 6曲は、ケーテン時代 ( 1717 – 1723 ) の終わり頃、1720年以降にチクルスとしてまとめられたと考えられています。ヴァイマール時代から少しずつ書き溜めていたと見られ、ライプツィヒに移ってからも ( 1723 - )手を加えていったようです。宮廷での演奏、ライプツィヒではコレギウム・ムジクムでも活用されていたかと思われます。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001 - 1006 には自筆譜が残っており1720年という年代が記されていますが、このソナタ集 BWV1014 - 1019 には自筆譜が残っていません。バッハ自身、また彼の相続者が管理に疎かったこともあり、19世紀半ばまでに室内楽のかなりの自筆譜が紛失しました。
 1802年に出版されたJohann Nicolaus Forkel ヨハン・ニコラウス・フォルケル ( 1749 – 1817 ) による最初のバッハ伝にはこのような記述があります。 「 この6曲はケーテン時代に完成された。彼のこの分野における最初のマイスター作品と言えるだろう。作品集を通してフーガ的技法が使われており、クラヴィーアとヴァイオリンとの間でのカノンは歌唱的で性格に富んでいる。ヴァイオリンパートにはプロ的技術が要求される。バッハはこの両方の楽器の技術的・音楽的可能性を熟知していた。」
 ヴァイマール ( 1708 – 1717 ) では1714年からコンサートマスターとして任命されたこともあるバッハは、当時オルガンの大家として有名でしたが、ヴァイオリン / ヴィオラの演奏にも精通していました。当時、通奏低音のレッスンでは先生がヴァイオリンで旋律を担当し生徒が伴奏していくという形がスタンダードだったと言われています。バッハがこの6曲の演奏に際して、ヴァイオリンパートを受け持ったことも十分考えられます。

 現存するもっとも古い出典は、1725年頃のバッハ本人と当時ライプツィヒ・トマス学校で学んでいた甥のJohann Heinrich Bach ヨハン・ハインリヒ・バッハ の手で書かれたチェンバロ譜で、ベルリン国立図書館に保管されています。この楽譜と一緒に保管されているヴァイオリンパート譜は、その数年後にブラウンシュヴァイクの宮廷音楽家Georg Heinrich Ludwig Schwaberg ゲオルク・ハインリヒ・ルードヴィヒ・シュヴァーベルク ( 1696 – 1772 ) がライプツィヒ滞在の折に紛失した譜の代わりとして書いたものです。

 バッハの次男Carl Philipp Emanuel Bach カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ ( 1714 – 1788 ) が1774年に記しています。「 6曲のこのクラヴィーアトリオは敬愛なる父の作品の中でも特筆に値する仕事である。50年を隔ててなお素晴らしい作品と言える。」
彼は、父ヨハン・セバスティアンがこのチクルスを作曲した当時非常に斬新な手法だったチェンバロのオブリガート楽器としての室内楽での使用 ( チェンバロはそれまでは室内楽において通奏低音楽器としての扱いが普通だった )、音楽的内容の質、そして緩徐楽章における歌唱的な技法を高く評価しています。自身このスタイルを「旋律楽器とチェンバロのためのトリオ」と分類、同じ手法での作品を残しています。
 この手法は伝統的なトリオソナタの編成 ( 2つの上声と通奏低音 ) をヴァイオリンとチェンバロに振り分けたもので、6曲のソナタの大半がこの形をとっています。この手法には経済的効果もあり、腕の立つ2人の奏者によっての演奏は、同じ演奏効果をより少ないリハーサルによって可能にするものでした。また、バッハが活躍したドイツ・チューリンゲン / ザクセン / ベルリン地方で作られていたチェンバロは特に高音において音の伸びがよく、ヴァイオリンとの旋律的掛け合いの効果を狙うことができたと見られます。マニュアル指定が後の版にもないため、1段鍵盤の比較的小さい楽器を使ったことも考えられます。

 さらにこの編成での利点は、通奏低音の和声的なぶ厚い層が削減されることを通して全体の響きが軽くなり、対位法の構造がよりはっきりする点にあります。また、一つの旋律をチェンバロが担当することで、2 つの旋律楽器を用いた伝統的なトリオソナタ形式よりも旋律が絡み合い、より軽快さ、リズム / 構成の明確さを生み出します。


バロック時代におけるソナタの誕生と発展

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 器楽曲という分野は17世紀を通して大きな発展を遂げました。ルネサンス時代、主に声楽ポリフォニーが教会・宮廷において芸術音楽として演奏され、高い水準の対位法技法が確立させます。1600年頃、その複雑な構造とは違う、歌詞を簡潔な形で聞き手に伝えるモノディーの運動がイタリア・フィレンツェで興り、通奏低音という演奏習慣が確立されます。この頃機能が改良され性能が向上してきた楽器を用いての楽曲にも、このモノディー様式・通奏低音の習慣の影響が見られるようになりました。Michael Praetorius ミヒャエル・プレトリウス ( 1571 – 1621 ) の著書、Syntagma musicum 音楽大全 ( 1619 ) にソナタについての記述が見られます。「Sonata ソナタという語はCanzonen カンツォーネと同様、人の声ではなく、楽器を用いて演奏される曲に使われる。ただしこの二つの語には違いがある : ソナタは重々しく荘厳なモテットの様式で作曲される。一方カンツォーネは細かい音を用いた、新鮮で軽快、そして速い楽曲である。」
 特にヴァイオリンという楽器はその音域の広さと自由な表現の可能性とで、器楽の歴史上、大きな役割を担いました。器楽という意味で使われていたソナタという語は、次第に決まった形式を指すようになります。1700年に出版されたArcangelo Corelli アルカンジェロ・コレルリ ( 1653 – 1713 ) のヴァイオリンソナタ集作品5は18世紀を通して全ヨーロッパに大流行した作品集です。この作品5は前半6曲が教会ソナタ、後半5曲 ( 最後の12番はラ・フォリアの主題による変奏曲 ) は室内ソナタの形式が用いられています。
 教会ソナタ・室内ソナタの概念が定着したのは18世紀に入ってからです。Sébastien de Brossard セバスティアン・ド・ブロサール ( 1655 – 1730 ) の音楽辞典 ( 1703 ) には次のようにあります。「教会ソナタは教会という場にふさわしく荘厳な楽章で始まり、フーガを用いた速く生き生きとした楽章が続く。その後1楽章よりさらに厳然な楽章が奏され、最後は再び速い曲で締めくくられる。この最後の楽章は2番目のものよりさらに軽く流れるような曲で、フーガはあまり用いられない。」「室内ソナタは室内で奏されるのにふさわしく、小さな舞曲を集めたものである。プレリュードまたは小さなソナタ ( ソナティネ ) で始まり、同じ調性の舞曲が次々と演奏される。」
 アルカンジェロ・コレルリは教会ソナタ形式によるトリオソナタ集作品1、作品3において4楽章形式を用いました。作品5では教会ソナタ形式による前半6曲に5楽章形式を用いていますが、4楽章形式に速い楽章を挿入した拡張版と言えるでしょう。


バッハのソナタにおけるイタリア様式の影響

 バッハは "クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ " 6曲のうち、1番から5番 ( BWV 1014 – 1018 ) に緩・急・緩・急の4楽章からなる教会ソナタ形式を使っています。第6番は他の5曲とは違い、室内ソナタ的な構造になっています。コレルリの作品5における5楽章形式の教会ソナタを前提にした可能性もあります。

 バッハが先達の作品を写譜し勉強していたことはよく知られていますが、ヴァイマール滞在中の1713-1714年頃、イタリアの最新の音楽に触れるチャンスがありました。当時のヴァイマール - ザクセン候Ernst August Iエルンスト・アウグスト1世 ( 1688 – 1748 ) の甥、Johann Ernst IVヨハン・エルンスト4世 ( 1696 – 1715 ) は音楽的才能に非常に恵まれており、1713年夏アムステルダム滞在の際、最新の出版譜を大量に購入し持ち帰ります。その中に1711年に出版されたAntonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ ( 1678 – 1741 ) の協奏曲集 ”調和の霊感” 作品3がありました。ちょうどこの頃バッハの作風に顕著な変化が現れます。他の作曲家からの編曲のうち6曲は、ヴィヴァルディ・作品3からのものです。
 次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハが、1754年に出版された追悼文の中で触れているのが、父ヨハン・セバスティアンがヴィヴァルディから学んだ „musikalich denken“ ( 音楽的に考える: 音楽的思考 ) という新しいメソードです。バッハはヴィヴァルディの作品3を研究し、そのメソードを理解、発展させ、伝統的作曲技法の限界を超えた可能性を開拓、18世紀初頭に急速に発展した作曲法に大きな貢献を果たしました。ヴィヴァルディが作品3で導入した "Ordnung, Zusammenhang, Verhältnis“ ( 秩序 / 規律、連結、繋がり ) による音楽の組み立ては、簡潔明快さ・その単純さからくる自然のエレガンスと、知的に計算された複雑さ・多様性からのインテリゲンスという、美学的に両極端の2つの見地の組み合わせを可能にしました。アイデア / モチーフの組み立ての秩序を認識し、そのアイデア / モチーフの間を連携させ、全体の構築していく方法は、それまでの伝統的な作曲技法になかった可能性を広げます。バッハはこのヴィヴァルディが提示した新しい方法に、伝統的・厳格な対位法技法、内声部の旋律的な流れ ( これはバッハの通奏低音におけるレアリゼーションに典型的に示されています )、和声の緻密さを加え、これらを機能的、本質的に統括しました。
 ヴィヴァルディが提示した天才的な作曲システムと、それをさらに発展させたバッハの統括的なシステムはこの後18世紀の音楽史に大きな影響を与えていきます。

 バッハはクラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ6曲において、トリオソナタの書法による二重奏ソナタの形式をベースに、イタリアの新しい作曲のメソードを取り入れ、リトルネロ形式やコンチェルト形式を加えたチクルスを完成させたのでした。


ソナタ6番の成立にまつわる経過

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 第6番にはバッハ本人による3つの版が残されています。この3つの版に共通して使われているのが、第1楽章に置かれているアレグロ ( 初版ではヴィヴァーチェ、第2版ではプレスト )、ラルゴ、
アダージオの3つの楽章です。音楽学者Hans Eppsteinハンス・エップシュタインは、この3つの楽章は紛失したフルートとヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタが元となっているのではとの仮定を提唱しています。音域、音型から、これはフルートとヴァイオリンではなく、2台のヴァイオリンのためのトリオソナタだったのではという意見もあります。

初版 : 1725年までに完成
Vivace
Largo
Cembalo Solo
Adagio
Violino solo è Basso
[Vivace ] Repetatur ab initio

 初版のCembalo Solo とviolino solo è Bassoは、同じ1725年に出版されたパルティータロ短調BWV830にCorrente 、Tempo di Gavottaとしてチェンバロソロ用に書き換えられています。その出版のためか、バッハはこの2曲の代わりにヴァイオリンとチェンバロによるカンタービレを入れ、第2版としました。

第2版 : 1725年 ( 又は1728年 ) 以降
Presto ( 初版の第1楽章と同じ )
Largo
Cantabile ma un poco adagio
Adagio
[Presto] ad Initio repetat(ur)

 Cantabile ma un poco adagio は結婚カンタータ „Herr Gott, Beherrscher aller Dinge"「主なる神、万物の支配者よ」BWV120a ( 1729年 ) のソプラノとヴァイオリンによるアリア"Leit, o Gott, durch deine Liebe" 「神よ、あなたの愛によってお導きください」から器楽ヴァージョンとして引用されました。ヴァイオリンパートはそのまま、ソプラノのパートはチェンバロの右手が担当します。ちなみにこのカンタータには別の版があります。( 1730年にアウグスブルク信仰告白で使われた版„Gott, man lobet dich in der Stille“ 「神よ、讃美はシオンにて静けく汝に上がり」BWV120bは紛失。1742年に市参事会員交代式で再演された版はBWV120として残っている)

最終版 : 1740年代 ?
Allegro ( 初版の第1楽章と同じ )
Largo
Allegro ( Cembalo solo )
Adagio
Allegro
 最終版でバッハはチェンバロソロを復活、新しく作曲してCantabileの代わりに付け加えます。最終楽章のアレグロは1731年以前に作曲されたと考えられる結婚カンタータ "Weichet nur, betrübte Schatten“ 「しりぞけ、もの悲しき影」BWV202のアリア "Phöbus eilt mit schnellen Pferden“「フェーブスは駿馬を駆り」の、通奏低音が担当する駿馬の足音の模倣音型を用いた楽章です。


クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ BWV1014 - 1019

第1番 ロ短調 BWV1014
 6曲中で唯一リトルネロ形式を用いておらず、このソナタ集の中で成立が一番古い可能性があります。

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1楽章 アダージョ 6/4拍子 ロ短調                           
 独唱アリアの形を取り、オーケストラの前奏のようなチェンバロの3度音型で始まり、ヴァイオリンがその上でアリア的旋律を奏でます。後半はチェンバロとヴァイオリンの掛け合いになり、二重奏曲としての様相となります。ヨハネ受難曲、そしてロ短調ミサの冒頭と同じ調性での、哀愁に満ちたアリア。

2楽章 アレグロ 2/2拍子 ロ短調
 三部構成 ( 第6番の1楽章と同じく、ダ・カーポ形式 ) による、3声のフーガ。中間部は長調となり、主題が動機分解され展開。後の時代のソナタ形式を思い起こさせるスケールの大きな楽章です。

3楽章 アンダンテ 4/4拍子 ニ長調
 伸びやかなトリオソナタ形式のデュエット。ため息の音型も使われ、メランコリーな情感が漂います。

4楽章 アレグロ 3/4拍子 ロ短調
 二部構成の3声によるフーガ。8分音符の反復音型による強い性格の主題、16分音符のなめらかな対旋律がコントラストを成す楽章です。


第2番 イ長調 BWV1015

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1楽章 ( 速度表示なし ) 6/8拍子 イ長調
 3声による模倣対位法。ヴァイオリンパートにはDolceドルチェと書かれています。牧歌的な穏やかな楽章。

2楽章 アレグロ ( 1725年頃とされる原典、また他の18世紀の写譜にはアレグロ・アッサイとある )  3/4拍子 イ長調
 三部形式によるフーガの技法を用いたリトルネロ形式。中間部に協奏的な効果が用いられている、華やかな楽章です。

3楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ ( 1725年頃の原典にはアンダンテ・センプレ ) 4/4拍子 嬰ヘ短調
 オスティナートとしての分散和音の伴奏による、2声の厳格なカノン。版によってはStaccato sempreとの記述があるリュートのような伴奏の上に、もの悲しげな旋律がカノンとして展開します。

4楽章 プレスト 4/4拍子 ( 1725年頃の原典、また他の多くの版で2、またはアラ・ブレーヴェ ) イ長調
 3声のフーガによる二部形式の楽章。3楽章とは打って変わり、朗らかな曲想。


第3番 ホ長調 BWV1016

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1楽章 アダージョ 4/4拍子 ホ長調
 分厚いオーケストラの響きを思い起こさせるチェンバロの5声の伴奏音型に、ヴァイオリンが堂々とアリアを奏でる、スケールの大きな楽章。音楽学者エッピシュタインは、1714年に作曲されたカンタータ " Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen"「泣き、嘆き、憂い、怯え 」BWV 12のシンフォニアとの関連を指摘しています。チェンバロによる伴奏は、このカンタータにおけるヴァイオリンの伴奏音型からの転用と見られます。一種のオスティナートと解釈できます。

2楽章 アレグロ 2/2拍子 ホ長調
 1楽章とは一転してラフな感じのフーガの技法を用いたリトルネロ形式。三部からなります。

3楽章 アダージョ・マ・ノン・タント 3/4拍子 嬰ハ短調 
 ヴァイオリンとチェンバロの右手によるデュエット。バスの音型は1楽章と同様オスティナートと見ることができます。ここでは4小節に渡るオスティナート音型が階段状に使われています。

4楽章 アレグロ 3/4拍子 ホ長調
 オーケストラの響きを想定した、華麗なフィナーレ。リトルネロ形式によるフーガ。協奏曲の様式で、中間部には3連符の旋律と冒頭の16分音符の音型が競い合うがごとく交替で現れます。



第4番 ハ短調 BWV1017

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1楽章 ラルゴ ( 1725年頃の原典、また他の18世紀後半の写譜にはシチリアーナとの表示がある ) 6/8拍子 ハ短調
 シチリアーノのスタイルによるヴァイオリン独奏と通奏低音の二部形式。チェンバロによる16分音符の、シチリアーノ風の分散和音は、通奏低音のレアリゼーションの好例です。ヴァイオリンが奏でる旋律内の6度跳躍は、鎮魂歌のような曲に用いられる表現手段の一つで、後半では旋律内の跳躍が大きくなり、さらに強い表現となります。マタイ受難曲のアルトとヴァイオリンソロによるアリア、“Erbarme dich"「わが神よ、憐れみたまえ」を彷彿させる二部形式の楽章です。

2楽章 アレグロ 4/4拍子 ハ短調
 3声のリトルネロ形式によるフーガ。テーマに含まれる音程跳躍が3度、5度、8度、10度と広くなり、ダイナミックな効果を生んでいます。

3楽章 アダージョ ( 18世紀後半のコペンハーゲンに保管されている写譜にはアダージョ・マ・ノン・タント )  3/4拍子 変ホ長調
 1楽章と同じく、ヴァイオリンのソロと通奏低音のスタイル。チェンバロの分散和音はここでは8分音符による3連符で書かれています。旋律線にはエコー効果を狙った強弱の指定があります。また、分散和音の3連符に対して、旋律には付点のリズムが現れます。このような場合、同時代の音楽家たちの記述にあるように、緩徐楽章において付点のリズムは書かれてある通りに奏し、リズムを3連符に合わせることはなかったようです。旋律を浮かび出させる手法と言えるでしょう。

4楽章 アレグロ 2/4拍子 ハ短調
 二部形式のようなフーガ。2楽章の主題の変形とも取れる、やはり音程跳躍を使った主題を用いています。展開部においては、この主題とは性格の違う16分音符によるなめらかなテーマを用い、コントラストを出しています。



第5番 ヘ短調 BWV1018

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1楽章 ( 速度表示なし )  3/2拍子 ヘ短調
 18世紀の写譜の中にはラメントと記されているものもあり、哀愁に満ちた楽章です。チェンバロで同じ音型が音域を変えて繰り返され、オルガンによるプレリュード形式のひとつをとっています。モノトーンなチェンバロ音型にヴァイオリンの旋律がそれに分け入るように歌われます。
 チェンバロのこの音型は、モテット" Komm, Jesu, komm „ 「来れ、イエス、来れ」BWV229のモチーフと同じもので す。( „die Kraft ver-schwindt je mehr“ 「力がどんどん尽きていく…」という歌詞の箇所 )

2楽章 アレグロ 4/4拍子 ( 1725年頃の原典、また幾つかの他の写譜ではアラ・ブレーヴェ ) ヘ短調
 2楽章としては珍しく、繰り返し記号のついた反復二部形式をとっています。主題はヘンデルのように単純で直接的、力強く、後半で出てくるもう一つの新しいフーガ主題はそれに対しなめらかな16分音符から成っています。この二重フーガの技法はバッハの作品の中でも特別のものです。

3楽章 アダージョ 4/4拍子 ハ短調
 6曲中で唯一、3楽章に他の楽章と同じ短調を用いています。ここでは役割が交代し、ヴァイオリンが通奏低音のレアリゼーションを8分音符で伴奏、チェンバロは流れるような分散和音を奏でます。初版ではこの分散和音は16分音符でしたが、後に32分音符の音型に変更されました。

4楽章 ヴィヴァーチェ 3/8拍子 ヘ短調
 リトルネロ形式のフーガ。半音階進行とシンコペーションを用いたジーグと言えます。ラメントの最終楽章に速い舞曲の形式を用いたのは、“Totentanz“「死の舞踏」を意識したのかもしれません。



第6番 ト長調 BWV1019 ( 最終版 )
 第3楽章を中心としてシンメトリーな構造となっています。

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1楽章 アレグロ ( 初版ではヴィヴァーチェ、第2版ではプレスト 、18世紀後半の写譜にはモルト・ アレグロとあるものもある) 4/4拍子 ト長調
 イタリアの協奏曲の形式を用いた、華やかで軽快な楽章。リトルネロ形式で、ソロと合奏の交替効果を狙っています。他のソナタとは違って5楽章形式をとるこの6番のソナタで、バッハは冒頭に速い楽章を置きました。初版、第2版ではこの楽章が最終楽章としてもう一度演奏されます。

2楽章 ラルゴ 3/4拍子 ホ短調
 すべての版に共通して使われている楽章です。コレルリのトリオソナタの形式を模した、バスの8分音符の音型の上に模倣技法での上2声の掛け合いで始まり、4声部での反復進行と主題の模倣、そしてフリギア終始で3楽章へと続きます。

3楽章 アレグロ 4/4拍子 ホ短調
 チェンバロの独奏。2声部で書かれた二部形式。

4楽章 アダージョ 4/4拍子 ロ短調
 2楽章のように、コレルリのトリオソナタ形式を思い起こさせる始まりで、フーガ技法、半音階進行、シンコペーションを使ったトリオとなります。
 
5楽章 アレグロ ( 18世紀の写譜の中にはアレグロ・アッサイとあるものも ) 6/8拍子 ト長調
 ジーグとも言える、ギャロップの音型を用いた爽快な三部形式のフーガ。1楽章の性格を引き継ぎ、チクルスの締めくくりとなります。



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【過去の公演】
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朗読:濱田壮久神父 バロックバイオリン:阿部千春 オルガン:大井浩明  テオルボ:蓮見岳人
H.I.F.v.ビーバー(1644-1704):《ロザリオのソナタ》(全16曲、1674)
〈キリストの誕生〉 - 喜びの神秘 Der freudenreiche Rosenkranz -
  第1番「お告げ」 - 第2番「訪問」 - 第3番「降誕」 - 第4番「キリストの神殿への拝謁」 - 第5番「神殿における12歳のイエス」
〈受難〉 - 哀しみの神秘 Der schmerzhafte Rosenkranz -
 第6番「オリーヴ山での苦しみ」 - 第7番「むち打ち」 - 第8番「いばらの冠」 - 第9番「十字架を背負うイエス」 - 第10番「イエスのはりつけと死」
〈復活〉 - 栄光の神秘 Der glorreiche Rosenkranz -
 第11番「復活」 - 第12番「昇天」 - 第13番「聖霊降臨」 - 第14番「聖母マリアの被昇天」 - 第15番「聖母マリアの戴冠」 - 終曲「守護天使」


阿部千春(バロック・ヴァイオリン)+大井浩明(チェンバロ)
●ビアージョ・マリーニ (1594-1663):ヴァイオリンのための変奏ソナタ第3番 (1629)
●ジョバンニ・バッティスタ・フォンターナ (1589?-1631):ソナタ第6番 (1641)
●カルロ・ファリーナ (c.1600-1639):ソナタ “ラ・デスペラータ”(1628)
●マルコ・ウッチェリーニ (c.1610-1680):ソナタ第3番 “ラ・エブレア・マリナータ”(1645)
●ジョバンニ・アントニオ・パンドルフィ・メアッリ(1624-c.1687):ソナタ “ラ・クレメンテ” 作品3-5 (1660)
●アンジェロ・ベラルディ (c.1636-1694):カンツォーネ第1番作品7 (1670)
●アレッサンドロ・ストラデッラ (1639-1682):シンフォニア第6番(1670s)
●カルロ・アンブロジオ・ロナーティ (c.1645-c.1712):ソナタ第5番(1701)
●アルカンジェロ・コレッリ (1653-1713):ソナタ作品5-10 (1700)

2009年7月25日 W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのパリ・ソナタ集 (全6曲、1778)
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)
●ト長調K.301 (293a) 全2楽章
●変ホ長調K.302 (293b) 全2楽章
●ハ長調 K.303 (293c) 全2楽章
●ホ短調 K.304 (300c) 全2楽章
●イ長調 K.305 (293d) 全2楽章
●ニ長調 K.306 (300l) 全3楽章

2010年10月13日 W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのアウエルンハンマー・ソナタ集 作品2 (全六曲) (1778/81)
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)
●ヘ長調K.376(374d) 
●ハ長調K.296
●ヘ長調K.377 (374e)
●変ロ長調K.378 (317d)
●ト長調 K.379 (373a)
●変ホ長調 K.380 (374f)

2012年2月10日 ピリオド楽器によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ全曲シリーズ 最終回
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)
●ソナタ第40番 変ロ長調 K.454 (1784/1784出版)[全3楽章] Largo/Allegro - Andante - Allegretto
●フランスの歌《羊飼いの娘セリメーヌ》による12の変奏曲 ト長調 K.359(374a) (1781/1786出版)
●ソナタ第41番 変ホ長調 K.481 (1785/1786出版)[全3楽章]
●《泉のほとりで》による6つの変奏曲 ト短調 K.360(374b)(1781/1786出版)
●ソナタ第43番 ヘ長調 K.547 (1788)[全3楽章]
●ソナタ第42番 イ長調 K.526 (1787/1787出版)[全3楽章]
●ソナタ第39番 ハ長調 K.404(385d)(1782)[全2楽章]


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# by ooi_piano | 2017-11-15 12:54 | コンサート情報 | Comments(0)

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Portraits of Composers(POC) 第32~第36回公演

大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
チケット予約フォーム http://www.opus55.jp/poc.html


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【ポック[POC]#34】 2017年12月22日(金)18時開演(17時半開場) フェルドマン主要ピアノ作品
●由雄正恒(1972- ):《セクシー・プライムズ》(2017、委嘱新作初演)
●シュテファン・ヴォルペ(1902-1972):《闘争曲(バトル・ピース) I~VII》 (1942/47、日本初演)
●モートン・フェルドマン (1926-1987):《天然曲(ネイチャー・ピース) I~V》(1951)、《変奏曲》(1951)、《交点 2》(1951)、《ピアノ曲》(1952)、《外延 3》(1952)、《合間 1~6》(1950/53)、《交点 3》(1953)、《三つの小曲》(1954)、《ピアノ曲》(1955)、《ピアノ曲A(シンシアに)/B》(1956)、《当近曲(ラスト・ピース) I~IV》(1959)、《ピアノ曲(フィリップ・ガストンに)》(1963)、《垂直の思考 4》(1963)、《ピアノ曲》(1964)、《ピアノ》(1977)、《マリの宮殿》(1986)



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【ポック[POC]#35】 2018年1月27日(土)18時開演(17時半開場) フィニッシー自選ピアノ代表作集
●木山光(1983- ):《ピアノ・ソナタ》(2017、委嘱新作初演)
●マイケル・フィニッシー(1946- ):《英吉利俚謡(イングリッシュ・カントリー・チューンズ)》(1977/1985)〔全8楽章 /I.緑なす草場 II.夏の盛りの朝ぼらけ III.花飾を君に贈ろう IV.5月と12月 V.嘘と奇蹟 VI.シーズ・オブ・ラヴ VII.愛おしい人 VIII.打てよ太鼓、吹けよ横笛〕、《ヴェルディ編曲集》(1972-2005)より「合唱付き七重唱: 見よ、この殿方はいかにして [エルナーニ]」 「ロマンツァ: 私はさまよい歩くみなしごに [運命の力]」、《音で辿る写真の歴史》(1995–2001)より終曲「陽光の食刻」(日本初演)、《「テレーズ・ラカン」から五つの断章》(1993/2005、日本初演)、《第三の政策課題(イギリスのEU離脱に抗して)》(2016、日本初演)、《献呈新作》(2017、世界初演)



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【ポック[POC]#36】 2018年2月24日(土)18時開演(17時半開場) 知命作曲家特集
●山口恭子(1969- ):《zwölf》(2001、日本初演)
●望月京(1969-):《メビウス・リング》(2003)
●原田敬子(1968- ):《NACH BACH》(2004)より抜粋
●田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011、委嘱作・東京初演)
●山路敦司(1968- ):《通俗歌曲と舞曲 第一集》(2011、委嘱作・東京初演)
●木下正道(1969- ):《「すべて」の執拗さのなかで、ついに再び「無」になること II 》(2011)
●西風満紀子(1968- ):《wander-piano II (harmony go!) 》(2015、日本初演)
●夏田昌和(1968- ):《ガムラフォニー II》(2009)、《センターポジション》(2018、委嘱新作初演)
●伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018、委嘱新作初演)


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2017年9月20日(水)19時開演 東音ホール(巣鴨) 浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)

●ストラヴィンスキー(1882-1971):《結婚(儀礼)》(1917)
●一柳慧(1933- ):《二つの存在》(1981)
●西村朗(1953- ):《波うつ鏡》(1985)
●篠原眞(1931- ):《波状 B》(1997)
●南聡(1955- ):《異議申し立て――反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井眞木の思い出に Op.57》(2003/10)
●湯浅譲二(1929- ):《2台のピアノのためのプロジェクション》(2004)
●西風満紀子(1968- ):《melodia-piano I/II/III》(2014/15、世界初演)
(終了)




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●川島素晴(1972- ):《アクション・ミュージック》(2017、委嘱新作初演)
●アレッシオ・シルヴェストリン(1973- ):《凍れる音楽》(2015、世界初演)
●ジャチント・シェルシ(1905-1988):《組曲第8番「ボト=バ」》(1952、東京初演)〔全6楽章〕、《アクション・ミュージック》(1955、東京初演)〔全9楽章〕、《組曲第11番》(1956、東京初演)〔全9楽章〕
(終了)


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【ポック[POC]#33】 2017年11月4日(土)18時開演(17時半開場) ウストヴォリスカヤ全ピアノソナタ集
●水野みか子:《植物が決める時》(2017、委嘱新作初演)
●ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ピアノ・ソナタ第1番 (1926)
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006):ピアノ・ソナタ第1番 (1947)、ピアノ・ソナタ第2番 (1949)、ピアノ・ソナタ第3番 (1952)、ピアノ・ソナタ第4番 (1957)、ピアノ・ソナタ第5番 (1986)、ピアノ・ソナタ第6番 (1988) (終了)




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POC2017:戦後前衛の裏側に踏み込む────野々村 禎彦

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 POCシリーズも今年度で7期目。前年度は19世紀生誕のモダニスト特集だったこともあり、もう「現代音楽」には戻ってこないのではないか? と不安だった方も少なくないだろうが、そんなことはない。ただし、何から何まで元通りではなく、若手・中堅作曲家への委嘱と組み合わせるスタイルは前年度を踏襲している。そして特集作曲家も戦後前衛の落ち穂拾いではなく、その枠組みを引っくり返した異能者揃い。戦後前衛の全貌をその前史も含めて辿ってきたのは、〈歓喜の歌〉よろしく、今年度のためだったのだ! 逆に、戦後前衛に物申せるのはこのレベルのアウトサイダーに限られ、チンケな折衷主義者の出る幕ではない、ということでもある。



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 まずはシェルシ。ダッラピッコラやペトラッシと同世代のイタリアの作曲家であり、マリピエロやカゼッラらとノーノやベリオらとの狭間の世代の存在と見る向きもありそうだが、とんでもない! 彼の音楽が広く知られるようになったのは1980年代に入ってからだが、微分音程のうなりに焦点を絞った誰にも似ていない音楽はその後数年で爆発的に演奏されてゆき、1988年に死を迎えた時点で「いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられない」と評価されるまでになっていた。「メディチ荘で過ごしていると、変な老人が寄ってくるから気をつけろ」というローマ賞の先輩たちの忠告を守らなかったグリゼーとミュライユは、彼の音楽に導かれてスペクトル楽派の活動を始め、楽屋を訪れた「変な老人」の音楽に心酔して80年代の「シェルシ・ルネサンス」を牽引したのは、アンサンブル2e2mの主宰者メファーノ、アルディッティ弦楽四重奏団、チェロのウィッティ、コントラバスのレアンドル、ピアノのミカショフとシュレーダーら、錚々たる顔ぶれだった。

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 彼の死後程なく「ジャチント・シェルシ、それは私だ」と題するインタビューが音楽学雑誌に掲載され、1940年代半ば以降の彼の「作曲」は、即興演奏(の録音)を助手が譜面化したものだったと明かされたが、シェルシ名義の作品の評価が揺らぐことはなかった。その核心は微分音オルガンによる即興の録音を素材とする《1音に基づく4つの小品》(1959) 以降の作品であり、ピアノ独奏曲はその前史に位置付けられるが、これまで日本で主に取り上げられていたのは後期スクリャービンの面影が強い中庸を行く作品だった。ピアノのひとつの音を何時間も弾き続けて倍音構造に聴き入ることを通じて精神の平衡を取り戻した、というエピソードそのものの作曲復帰作《ピアノ組曲第8番》と、暴力性と瞑想性の両極を体現してピアノ独奏曲の時代を締め括る2曲《アクション・ミュージック》《ピアノ組曲第11番》という選曲は、彼の凄味をこの編成で体験するには最もふさわしい。

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 続くはウストヴォリスカヤ。ショスタコーヴィチが高く評価していた弟子の女流作曲家という扱いだったが、彼女の真価が知られるようになったのはシェルシよりも遅く、1990年代に入ってからである。シェルシの音楽の評価ポイントは、戦後前衛の音群音楽の抜本的アップグレードという、クセナキスの音楽と対をなすものだったが、ウストヴォリスカヤの根幹はあくまで調性音楽だった。だがそれは師の再生産に留まるものではなく、調性音楽の始源――後期モンテヴェルディがルネサンス音楽から訣別した瞬間に匹敵する暴力性を体現していた。旧ソ連の崩壊過程でグバイドゥーリナ、シュニトケ、ペルトらの演奏機会は増えたが、程なく新ロマン主義に飲み込まれて牙を抜かれていった。その中で、真のラスボスである「ハンマーを持った聖女」への関心が徐々に高まっていった。

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 シェルシのピークは1950年代末から1970年代初頭まで、戦後前衛の音群音楽のピークと時期は同じで、今回取り上げられるピアノ曲はその直前の姿を伝える。他方、ウストヴォリスカヤのピークは《コンポジション》3曲(1971, 1973, 1975) と交響曲第2番(1979)・第3番(1983) に絞られる。いずれもポスト前衛時代に書かれた特異な編成(例えば《コンポジション》第2番は、コントラバス8挺、ピアノ、巨大な木材とハンマー)のアンサンブル曲であり、「私の音楽は、生死を問わず誰の影響も受けていない」という言葉通りの音楽である。だが、彼女のピアノソナタ6曲が書かれたのは1947-57年と1986-88年、習作期を脱した直後と最晩年(交響曲第5番(1989-90) が彼女の最後の作品)であり、彼女のピークを想像するには少々物足りない。そこで、師ショスタコーヴィチが最も尖っていた時期のピアノソナタ第1番(1926) と並べて、彼女の異才を照らし出す形を取った。

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 そしてフェルドマン。ケージと並ぶニューヨーク楽派を代表する作曲家だが、「ケージは窓を開けた、私は少し閉めた」という言葉が、彼のスタンスを象徴している。ケージが易経に基づく偶然性の音楽を始めた1951年は、彼が図形楽譜に基づく作曲を始めた年でもあり、このふたつの手法が楽派の基本的語彙になった、ただし「偶然性」の理念は楽派で共有されても、ケージの音選択手法を採用したのはケージ自身のみで、他メンバーは専ら図形楽譜を採用した。ブラウンはジャズ畑出身、ウォルフも即興が得意なピアニストで、一音ごとに易を立てる家事労働のような地味な作業に耐えられたのはケージだけだった。フェルドマン以外は図形楽譜の自由度を高め続け、後にケージも可動プラスティック板に図形を描く「天才的発明家」らしい発想で参戦した。だがフェルドマンは1960年代まで、自由度を上げ下げする試行を地道に続けた。チューダーのような「図形楽譜解釈の専門家」以外にも弾いてほしかったからだが、この歩みを全曲演奏で追体験するのがPOC流である。

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 だが1970年代に入ると、彼は図形楽譜に限界を感じて五線譜に回帰する。ただしこれは米国実験主義からの「転向」ではなく、彼がイメージする音世界を図形楽譜を用いずに実現する書法を見つけた、と捉えるべきだろう。編成=タイトルで統一されているこの時期は、自ら「ベケットの時代」と呼ぶあたりからも想像される通り、無時間的な持続の微妙なテクスチャーの変化に的を絞った、極めて内省的な作風の時期である。この時期の中心は独奏楽器とアンサンブル(しばしばオーケストラ、彼に言わせれば「ペダルのないピアノ」)のための作品群だが、多くのピアノ曲を自ら初演してきた彼の出発点は引き続きピアノであり、アンサンブルを用いる意味は色彩を豊かにすることではなく、アタックの立ち上がりを消して滑らかな音表面を得ることだった。この時期を締め括る《ピアノ》は、いよいよ満を持して出発点に帰ってきた、このプログラムのクライマックスである。

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 ここで彼は作風を再び転換し、今度はペルシャ絨毯のような、少数の素材を果てしなく繰り返すが細部はその都度微妙に変化する、「記憶と忘却の対位法」の時期を迎える。数時間に及ぶ長大な作品も珍しくなくなり、編成は総じて小さくなる。記憶への引っかかりを重視すると、必然的に調性的な素材が用いられる。ピアノ曲にも《三和音の記憶》と《バニータ・マーカスのために》という大曲があり、近年は演奏機会も増えているが、今回取り上げられるのは《マリの宮殿》、長時間化から再び凝縮に向かい始めた最晩年の境地である。これで彼の全人生を辿った…ことにはならない。ケージと出会って図形楽譜を使い始める以前、ウォルペに師事していた時期が抜けている。今回はこの時期の素朴な調性音楽の代わりに、ウォルペの代表作《バトル・ピース》を日本初演する。12音技法による濃密な大曲であり、チューダーがブーレーズの第2ソナタやシュトックハウゼンの前衛時代の鍵盤曲を軒並み米国初演できたのは、このウォルペ作品で鍛えられていたからだった。

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 20世紀後半を代表する3人の次はフィニッシー。英国でファーニホウとともに「新しい複雑性」を始めた作曲家と紹介されがちだが、二人のスタンスは大きく異なる。ファーニホウが目指したのは、英国には存在しなかった戦後前衛第一世代の音楽を蘇らせることで、英国の保守性を早々に見限ってドイツで一時代を築いた。「新しい複雑性」の次世代を代表するバレットも英国を離れ、独自の活動をオランダで続けている。しかしフィニッシーは英国に残り、その保守性と折り合いながら活動を続ける道を選んだ。それが可能だったのは、彼が優れたピアニストだったことが大きい。保守的な同僚たちとは演奏家として関わり、創作では馴れ合わなかった。ピアノ曲を創作の中心に据えれば自分で演奏すれば良いので、演奏会企画でも馴れ合わずに済む。「新しい複雑性」とは言ってもピアニストらしくヴルトゥオーゾ志向が強いが、「英国音楽」の悪弊には染まらずに筋を通してきた。

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 今回は彼の自選プログラムだが、まず大井がプログラム案を送り、その改良案として選曲された。彼には全曲演奏すれば2時間ないし6時間という大曲がいくつもあり、昨年度のソラブジ回のようにそれ1曲という選択も有り得た。だが大井が求めたのは、代表作の《英国田舎唄》を中心に創作史を俯瞰するプログラムだった。彼のピアノ曲の一つの軸である「編曲もの」の代表として《ヴェルディ編曲集》抜粋、民衆音楽を素材にした最初の曲《テレーズ・ラカン》抜粋、全6時間の集大成的大作《音で辿る写真の歴史》の終曲、彼の知られざる軸である、政治参加の側面を代表する《政策課題》シリーズの最新作、この日のための新作。彼の全貌を体験できるまたとない機会である。

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 そして最後は大井の同年代アンソロジー。そもそもPOCの第1期は、戦後前衛世代と同世代の日本の作曲家を組み合わせるコンセプトだったが、この回はさらに細かく、同学年(1968年4月~1969年3月生)に限定した。当初は内外半々程度を想定していたが、曲を比較検討するうちに日本国内に絞った方が稔りが多いという結論に達した。現代音楽界において、日本が依然アウトサイダーなのは否めない。録音や委嘱に至るまで欧米の楽譜出版社中心に回っているこの業界で、この構造に組み込まれている日本の作曲家は一握りである。だがそれは、新自由主義の進行に伴う地盤沈下に巻き込まれずに済むということでもあった。今期のテーマは、形を変えながらどの回にも通底している。



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# by ooi_piano | 2017-11-15 11:49 | POC2017 | Comments(0)


【ポック[POC]#33】 2017年11月4日(土)18時開演(17時半開場) ウストヴォリスカヤ全ピアノソナタ集

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大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
チケット予約フォーム http://www.opus55.jp/poc.html


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●ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ピアノ・ソナタ第1番 (1926) 13分
  Allegro -Meno mosso - Allegro - Adagio - Lento - Allegro - Meno mosso - Moderato - Allegro
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006):ピアノ・ソナタ第1番 (1947) 9分
  I. - II. - III. - IV.
同:ピアノ・ソナタ第2番 (1949) 11分
  I. - II.
同:ピアノ・ソナタ第3番 (1952) 17分
  Tempo I. - Tempo II. Meno Mosso - Tempo III.
 (休憩 10分)
●水野みか子:《植物が決める時》(2017、委嘱新作初演) 10分
  I. Arnica - II. トゥーランドットの庭 - III. 土の音
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ:ピアノ・ソナタ第4番 (1957) 11分
  I. - II. - III. - IV.
同:ピアノ・ソナタ第5番 (1986) 16分
  1. Espressivissimo - 2. - 3. Espressivo - 4. Espressivo - 5. Espressivo - 6. Espressivo - 7. - 8. A punto, aspro - 9. - 10. Espressivissimo
同:ピアノ・ソナタ第6番 (1988) 7分



水野みか子:《植物が決める時》
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  大井さんから委嘱のお話をいただいたとき、植物に関係する作品の第三弾を考えた。十年以上前に管弦楽のための《緑の波》を作曲したときには、豊かに実る穀物の畑をイメージしていた。第二弾、昨年作曲した《ピアノとエレクトロニクスのための リポクローム》は人参のカロチノイドにあるような黄色い色素に関係させた。
  本日初演していただく作品のタイトル《植物が決める時 tempus planta》は、 1557年に書かれたとされる「自然哲学」の書にヒントを得て作成したフレーズである。
  植物は行動しない。光、水、土などに反応することはあっても意志をもって次の動きを決めるということはなく、行動せずに根を張っていく。植物の魂によって決定される、底力ある「時間」は、人間意志に左右されずにどっしりした生命力で包んでくれるように思う。本作は、<Arnica>、<トゥーランドットの庭>、<土の音>の三曲で構成される。(水野みか子)

水野みか子 Mikako Mizuno, composer
  東京大学、愛知県立芸術大学卒業。同大学院音楽研究科修了。工学博士。作曲と音楽学の分野で活動を展開。名古屋市立大学芸術工学部芸術工学研究科・情報環境デザイン学科教授。2016年パリ・ソルボンヌ大学招聘研究員。近作に、《尺八、箏とオーケストラのための「レオダマイア」》(2012)、視聴覚同期プログラムIanniXのための《Trace the City 》(2014)、三人の演奏者のための《かげきじゃないかげき》(2015)などがある。2016年5月、伊交流コンサート(ベネチア、トレヴィーソ)にてソプラノとピアノのための《Per acqua chiare》(2016)他を発表。同年9月アジア・コンピュータ音楽会議においてヴァイオリニスト木村まりによって初演された《ヴァイオリンとエレクトロニクスのための「行き交う光束」》はICMC2017において再演された。2016年6月より国際音楽学研究組織IReMusメンバーとして電子音響音楽研究を推進している。先端芸術創作学会JSSA運営委員、日本電子音楽協会 JSEM会長。EMS2017実行委員長。
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ウストヴォリスカヤと旧ソ連の戦後前衛―――野々村 禎彦
(※音源リンク付)

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 ガリーナ・ウストヴォリスカヤは1919年にペトログラード(1924年からソ連崩壊まではレニングラード、現在はサンクトペテルブルク)に生まれ、1939年にレニングラード音楽院に入学してショスタコーヴィチに師事した。レニングラードは独ソ戦における包囲戦の舞台であり、疎開を挟んで卒業は1947年までずれ込んだ。同年に大学院に進んで教鞭を執り始めたが(1977年まで続けた生業)ショスタコーヴィチには師事しなかったのは、文学の世界では1946年に進歩的な作家への批判が始まっており、翌1948年のジダーノフ批判を予期して、優秀な弟子は遠ざけておいたのだろう。彼女も活動初期には体制に順応し、ピアノソナタ第1・2番(1947, 1949) や社会主義リアリズム路線のカンタータ《ステファン・ラージンの夢》(1949) を書いた。この間もショスタコーヴィチは彼女に新作の草稿を見せ、彼女のヴァイオリン・クラリネット・ピアノのための三重奏曲(1949) 終楽章の主題を弦楽四重奏曲第5番(1952) や《ミケランジェロの詩による組曲》(1974) に引用している

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 だが1950年に大学院を修了すると、以後は独自の道を歩み始める。2オーボエ、4ヴァイオリン、ティンパニ、ピアノのための《八重奏曲》(1949-50) を書いた時点で既に一般的ではない編成への指向は明白で、この作品も「思想的に狭量」と批判されて1970年にようやく初演された。ただし、敬虔な正教徒でもある彼女は世俗的な成功や評価は望んでいなかった。ショスタコーヴィチのように激烈な批判を受けることはない代わりに、ひたすら無視された。それでも50年代は比較的多作で、ピアノソナタ第3・4番(1952, 1957)、ピアノ独奏曲《12の前奏曲》(1953)、交響曲第1番(1955) など10曲を書いた。しかし、チェロとピアノのための《大二重奏曲》(1959) から彼女は変わった。もはや師の面影は微塵もなく、彼女だけの強靭な持続が生まれた。この変化は彼女も自覚していたのか、次作はヴァイオリンとピアノのための《二重奏曲》(1964) まで空き、これが彼女の60年代唯一の作品になった。彼女は「生活のために書いた不本意な曲」(例えば《詩曲》第1番(1958)・第2番(1959))は作品表から抹消しているが、それも50年代に限られる。

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 彼女の沈黙の背景には、ソ連の音楽状況の変化もあった。ショスタコーヴィチは《アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲》(1967) から半音階的書法への傾斜を強め、弦楽四重奏曲第12番(1968)・交響曲第14番(1969)・弦楽四重奏曲第13番(1970)・交響曲第15番(1971) では部分的に12音技法も用いているが、その背景にはこの時期に戦後前衛世代の作曲家たちがセリー書法を導入して成果を挙げたことがある(また、自己を確立したウストヴォリスカヤは彼の作風を嫌悪するようになったのとは対照的に、この時期の彼は彼女の旧作を参照して音楽的持続を作っており、その旨を彼女に私信で伝えている)。その急先鋒はエディソン・デニソフ(1929-96) であり、彼がモデルにしたのはブーレーズだった。ソプラノと9楽器のための《インカの太陽》(1964) はブーレーズに献呈され、西側でもたびたび演奏されて彼の国際的名声の出発点になったが、音楽的にはあからさまにブーレーズ《主なき槌》(1952-55/57) を換骨奪胎したものである。

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 この「国際的成功」でデニソフは当局に危険視されたが、ショスタコーヴィチのように教職を追われることもなく、ドミトリ・スミルノフ(1948-) やエレーナ・フィルソワ(1950-) をはじめ、旧ソ連のポスト戦後前衛世代を代表する作曲家たちを門下から輩出した背景には、ノーノの存在が大きい。前衛の時代のイタリア共産党はソ連と友好関係を結び、党員のノーノは文化使節としてソ連をしばしば訪れていた。ナチスドイツに抵抗した共産主義者や、北ベトナムなどのソ連に支援された民族解放闘争を讃える音楽をセリー書法で生み出し続ける彼の手前、ソ連でこの方向性を代表するデニソフを冷遇するわけにもいかない。彼もホリガーと同じく、この書法をブーレーズの枠を超えて柔軟に発展させ、ピアノ三重奏曲(1971) とソプラノと6楽器のための《赤い生活》(1973) で頂点に達した。

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 同世代の作曲家たちも同様の書法から出発したが、その路線ではデニソフに伍することは難しく、独自の道を歩み始めた中で最初に頭角を現したのはアルフレート・シュニトケ(1934-98) だった。彼はアンドレイ・フルジャノフスキー監督(1939-) の実験アニメ『グラスハーモニカ』の音楽を担当したが、監督一人で寓話的な切り絵アニメを制作するのと並行して、先の見えない状況でシークエンスごとに音楽を付けて行くと、おのずと泰西名曲や大衆音楽の断片を表層的に切り貼りした、神経症的なカットアップ音楽になる。この音楽をほぼ転用したヴァイオリンソナタ第2番(1967-68) で独自の書法を確立すると、この路線を過激化させてゆく。チャイコフスキーと自身の映画音楽を混淆してジョン・ゾーンの音楽を予言したような交響曲第1番(1969-72) は画期的な成果だが、強烈な音楽は強烈な批判も招き、結局彼は教職を追われて長らく映画音楽で生計を立てることになる。

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 シュニトケの覚醒は短期的には彼に困難をもたらしたが、西欧の戦後前衛の後追いとは異なる道を示し、同世代への刺激になった。イタリア共産党が1973年にユーロコミュニズムに転換し、ノーノの庇護を失ったデニソフがピアノ協奏曲(1974) でジャズとの混淆に転じたのは象徴的である。ただしデニソフはこの様式に長居はせず、セリー書法と後期ショスタコーヴィチを折衷した(すなわち、間接的にウストヴォリスカヤに影響された)繊細で穏健な様式に落ち着いた。シュニトケは、ピアノ五重奏曲(1972-76) や合奏協奏曲第1番(1977) のような端正な多様式書法で西側に知られるようになったが、彼の本領は様式混淆を極めた合奏協奏曲第2番(1981-82) や宗教的緊張感を極めた交響曲第4番(1984) のような、テンションを振り切った音楽にあることは強調しておきたい。

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 この時期に新たに覚醒したのはアルヴォ・ペルト(1935-) だった。彼は60年代末までは多作で、セリー書法や多様式書法を試みていたが限界を感じ、交響曲第3番(1972) で中世・ルネサンス音楽に鉱脈を見出していったん作曲を中断した。1976年にルネサンス・ポリフォニーと三度和声を融合する新たな発想を得て作曲を再開し、繰り返される三和音と全音階の順次進行をシステマティックに重ねる「鈴鳴らし」様式を提唱した。調性的動機をミニマルに反復する見かけの類似から、70年代以降のヘンリク・ミコワイ・グレツキ(1933-2010) やジョン・タヴナー(1944-2013) らと「聖なるミニマリズム」と総称されることもあるが、新ロマン主義や神秘主義の文脈で調性に向かった彼らと、戦後前衛のシステム思考は保っていたこの時点のペルトの音楽の密度の差は明白である。

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 戦後前衛の後追いから解放されてウストヴォリスカヤも創作力を取り戻し、まず3曲の《コンポジション》(1971/73/75:編成はピッコロ、チューバ、ピアノ / 8コントラバス、ピアノ、巨大な木製ブロックとハンマー / 4フルート、4ファゴット、ピアノ) を書いた。いずれも高音楽器と低音楽器をピアノが結ぶ極端な編成であり、ピアノの役割も両者を和声的に繋ぐのではなく、強烈なクラスターで一拍子を刻むことである。彼女がセリー音楽を受け入れなかったのは「前衛的すぎる」からではなく、近代西洋音楽の残滓を引きずって穏健すぎるからだった。この3曲はミサ通常文に由来する副題「我らに平和を与え給え」「怒りの日」「来たる者を讃えよ」を持つが、このキリスト教的な側面も保守主義と結びつくものではなく、クセナキスのビザンチン音楽理解と共通する、東方正教の汎理性主義と超越指向の音楽(ただしペルトとは対照的に極めて暴力的な)を結びつけている。この路線を継承して声を含むより大きな編成(特定楽器群のみ増強した、ピアノと打楽器を含む室内管弦楽)に拡大したのが交響曲第2番(1979)・第3番(1983) であり、この5曲が彼女の創作の頂点をなす。

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 ただし、彼女の充実は同時代の評価には直結しなかった。1985年にゴルバチョフがソ連書記長に就任して文化開放路線に転じるのと前後して、音楽の世界ではCDが普及し、この機に乗じて一挙に認知されたレーベルが幾つかある。そのひとつスウェーデンBISはシュニトケの全曲録音を現代音楽部門の看板にし(この録音シリーズは穏健な曲目から始まったが、これを受けてソ連国営Melodiyaレーベルがテンションを振り切った作品群の未発表録音をCD化して西側に販売し)、ヨーロッパの静謐なジャズを紹介してきたECMレーベルはクラシック部門開設にあたり、その方向性を象徴する作曲家としてペルトに白羽の矢を立てた。この方向性はペレストロイカ/グラスノスチ以降のロシア文化ブームを受けたものだが、彼らが選ばれたのは1980年にソ連から西側に亡命した世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメル(1947-) が彼らを積極的に取り上げていたことが大きい。むしろ、彼らとは比べるべくもないがクレーメルとは親交があった数人の作曲家も、前世紀末には頻繁に取り上げられていたことに、クレーメルの影響力の大きさを見るべきだろう。

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 シュニトケは1985年に脳梗塞で倒れた後も作曲を続けたが、全盛期の振り切ったテンションは戻らなかった。ペルトはクレーメルと同じく1980年に西側に亡命したが代表作は専らそれ以前、名声の高まりと共に新ロマン主義に飲み込まれ、後期ブリテンの音楽に共鳴し「鈴鳴らし様式」に至った時期の純粋さは失われれた。だが、彼らが峠を越えると今度はソフィア・グバイドゥーリナ(1931-) が注目された。敬虔なキリスト教徒の女性作曲家という表面的な部分では彼女とウストヴォリスカヤは被っており、ウストヴォリスカヤへの注目はまたもや遅れた。彼女の特徴は非主題的かつ無時間的な即興演奏に強い関心を持ち、旧ソ連の前衛的な作曲家の中では電子音響に関心が強かったことで、1975年にはヴァチェスラフ・アルチョーモフ(1940-)、ヴィクトル・ススリン(1942-2012) と即興演奏グループ「アストレイヤ」を結成した。この不定形の魅力は70年代の作曲作品にも共通する。

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 ただし彼女は70年代末から、宗教的な作品では内的プログラム(J.S.バッハの数の象徴のような、譜面には明示されない構成原理)を用いるようになり、80年代初頭からはフィボナッチ数列に基づいたセクション分割も行うようになり、局所的には無時間的でも大域的な流れは明確な、幾らか理解されやすい方向に変化した。この時期に、《音楽の捧げ物》の主題を用いた彼女の作品の中でも特にわかりやすいヴァイオリン協奏曲《オッフェルトリウム》(1980/82-86) をクレーメルが初演以降もたびたび取り上げたことで国際的認知も進んだ。《7つの言葉》(1982)、《声…沈黙…》(1986)、弦楽四重奏曲第2番第3番(1987) と代表作も次々と生まれ、民族解放闘争の時代以降の共産主義国に失望して政治性は薄く即興性の強い作風に変化した晩年のノーノに強く支持され(W.リームと並び称され)、クレーメルのためのヴァイオリン曲の録音パート制作を任されたこともあった。

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 彼らもシステム思考に支えられた戦後前衛の末裔ではあり、方法論をアップデートし続けなければ10年程度で古びて行く。デニソフは一度アップデートして《パウル・クレーの3つの絵》(1985) やヴィオラ協奏曲(1986) あたりまで、シュニトケも一度アップデートして弦楽四重奏曲第4番(1989) あたりまでは保たせたが、ペルトは高々80年代末まで、グバイドゥーリナも同じ頃に行き詰まった感がある(ノーノが1990年に亡くなり、ソ連崩壊後の混乱を避けて1992年にドイツに移住したのが分岐点になってしまった)。年下の「先輩」(西側での認知という点において)たちが峠を越え、Sikorski社と全作品の出版契約を結び、いよいよウストヴォリスカヤの時代が訪れたのだが…



c0050810_00313887.jpg 交響曲第3番以降の作品でまず注目すべきは、ピアノソナタ第5番(1986)・第6番(1988) である。クラスター絨毯爆撃の苛烈さは全盛期の諸作品すら凌ぐが、そこにアンバランスな楽器群を重ねて得た多様性はもはや見られない。彼女は編成に応じて書法を柔軟に変える器用な作曲家ではなかった。交響曲第4番(1985-87)・第5番(1989-90) も書いたが、実態は声と3-5楽器のための室内楽小品であり、極限的なテンションを広いキャンバスで持続させる、全盛期の筆力は既に残っていなかった。むしろ彼女の非凡さは、ここで筆を置いた(宣言したわけではなく、結果的にではあるが)ことだ。3大Bのように死の直前まで創作を続け、それが傑作に数えられる人生は幸福だが、政治力は得ても霊感は失い、晩節を汚す大作を量産してしまう大家は多い(戦後前衛世代では、Bで始まる作曲家に多いのは皮肉だ)。旧ソ連の戦後前衛世代は全盛期に当局に抑圧された反動なのか、霊感を失っても創作にしがみつく作曲家が多いだけに、彼女の潔い引き際はひときわ鮮やかだった。

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 しかし彼女は隠遁生活を続けたわけではなく、国際的な評価の高まりに応じて彼女の作品を特集する音楽祭やワークショップが増えると積極的に立ち会い、自作をあるべき姿で後世に残そうとした。特に、旧ソ連時代から彼女の作品に献身的に取り組んだ地元サンクトペテルブルクのピアニスト=指揮者オレグ・マーロフと、彼女の国際的認知に大きな役割を果たした指揮者=ピアニストのラインベルト・デ=レーウとは関係が深い(ただしマーロフへの評価は微妙だが、終生デ=レーウを高く評価し、実験主義ベースの解釈も支持)。彼女の作品でまず知られたのは編成的にも扱いやすいピアノ独奏曲であり、90年代にはマーロフ盤をはじめソナタの全曲録音が5種類リリースされたが、その演奏者の中にはシェルシ作品やフェルドマン作品も数多く録音しているマリアンヌ・シュレーダーとマルクス・ヒンターホイザーが含まれるのは、今年度のPOCの作曲家選択の裏付けにもなっている。

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# by ooi_piano | 2017-11-03 14:28 | POC2017 | Comments(0)