c0050810_7485570.jpg【ポック[POC]#30】
2017年1月22日(金・祝)18時開演(17時半開場)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席)

【予約/お問合せ】 
合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
※お問い合わせ・メールフォーム: http://www.opus55.jp/index.php?questions

チラシ表側(pdf)  チラシ裏側(pdf)



c0050810_3141715.jpgイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):
ピアノソナタ 嬰へ短調(1903/04)〔全4楽章〕(日本初演) 28分
  I.Allegro - II. Scherzo, Vivo - III.Andante - IV.Finale. Allegro
四つのエチュード Op.7 (1908) 8分
  I. Con moto - II. Allegro brillante - III. Andantino - IV. Vivo
ペトルーシュカからの3楽章(1911/21) 15分
  ロシアの踊り - ペトルーシュカの部屋 - 謝肉祭
交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、東京初演) 21分
  故宮の祭礼 - 二羽の夜鶯(本物の夜鶯と機械仕掛けの夜鶯) - 皇帝の病気と快気

 (10分休憩)

大蔵雅彦(1966- ):《where is my》 (2016)(委嘱新作・世界初演) 4分
イーゴリ・ストラヴィンスキー:11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版) 4分
《兵士の物語》による大組曲(1918)(作曲者による独奏版、日本初演) 25分
  I.兵士の行進 - II.兵士のヴァイオリン - III.王の行進曲 - IV.小コンセール - V.3つの舞曲(タンゴ/ワルツ/ラグタイム) - VI.悪魔の踊り - VII.コラール - VIII.悪魔の勝利の行進曲
ピアノ・ラグ・ミュージック(1919) 3分
管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーの思い出に(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、東京初演) 8分
コンチェルティーノ(1920)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 6分

 (10分休憩)

八重奏曲(1923)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 16分
  I.シンフォニア - II.主題と変奏 - III.終曲
ピアノ・ソナタ(1924) 9分
  I. - II. Adagietto - III.
イ調のセレナード(1925) 12分
  頌歌 - ロマンス - ロンドレット - 終止曲
タンゴ(1940) 3分
仔象のためのサーカス・ポルカ(1943) 4分




大蔵雅彦:《where is my》 (2016、委嘱新作)
  本作はかつて現実に存在した音のみを使って生成された現実に重ねあわせるためのCメジャーペンタトニックスケールとその派生物からなるブルース尺度構造物であり、習慣的動作=手癖を取り除くためにMIDIシーケンサー上でステップ入力により作曲された。いくつかのパートではX軸とY軸の入れ替えと混同の手法が使用されている。(大蔵雅彦)

c0050810_315399.jpg大蔵雅彦  Masahiko OKURA, composer
  リード奏者、作曲家。1966年生まれ。1993年より中里丈人とのテクノイズ/ダブユニットDub Sonic Warriorで都内のクラブ、ライブハウスを中心に演奏活動を開始。以降アルトサックス、クラリネット類、自作楽器での即興演奏の他、Gnu(1998~ Reeds+Bassx2+Drumsx2編成のパズルジャズ/ファンク/ロックバンド)、室内楽コンサート(2006~2011 杉本拓、宇波拓との共同企画による作曲シリーズ)、 石川高、ジャン=リュック・ギオネとの即興トリオ(2007~)、Active Recovering Music (2013~ スライドホイッスルアンサンブル)、They Live(2016~ 宇波拓とのダークアンビエントデュオ)などで活動。USBメモリーレーベルNo Schools Recordings主宰(2015~ )。 https://soundcloud.com/masahiko-okura https://soundcloud.com/no-schools-recordings



ストラヴィンスキーの全体像───野々村 禎彦

c0050810_317031.jpg イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971) はサンクトペテルブルクを代表するオペラ歌手を父とし、少年時代からピアノ演奏を中心に音楽に親しみ、同地の芸術サークルに加わった。帝政ロシアはフランス文化圏に属し、アカデミズムはフランス同様保守的だったが、民間芸術サークルを通じてフランクやドビュッシーの小編成作品には触れることができた。在野の運動として始まったロシア五人組もこの時期にはアカデミズムの一翼を担っており、彼はむしろチャイコフスキーを好んだ。ただし、両親は息子が堅実な人生を歩むことを望み、サンクトペテルブルク大学法学部に進ませた。

 だが、彼の音楽への情熱は止まず、独学で作曲を始めると、友人を通じてリムスキー=コルサコフと知り合い、ピアノソナタ(1903-04) から本格的に指導を受けるようになった。師は音楽院の教授だったが、年長で独立心旺盛な(対位法を独学で身に着けるほどの)彼は音楽院には向かないと判断し、1908年に世を去るまで個人指導を続けた。泰西名曲や自作のピアノ草稿を管弦楽化させ、自分の仕上げと比較して玄人芸を学ばせる独特な教授法も水に合い、交響曲第1番(1905-07) を作品1と定めるまでに成長した。《花火》(1908) や《4つの練習曲》(1908) は修業時代を締め括る作品という位置付けになるが、ディアギレフは《花火》の初演に接してこの新進作曲家に注目し、立ち上げたばかりのバレエ・リュスの新作として《火の鳥》(1909) を委嘱した。

c0050810_3182612.jpg 《火の鳥》の成功は、ロシア民謡に取材した素材の新鮮さも理由のひとつだが、彼はバルトークのような組織的・科学的収集を行ったわけではない。この路線を継いで《ペトルーシュカ》(1910-11) を書いたが、両作の間の飛躍は大きい。複調の使用や不協和音の多用といった書法レベルでの変化もあるが、それ以上に持続の作り方が土台から変わっている。この飛躍の契機はドビュッシーとの直接の出会いだった。ロシアはバルトークのハンガリーよりは文化的に進んでおり、彼はドビュッシーの音楽を修業時代から知ってはいたが、《火の鳥》初演の晩にドビュッシーの方から彼を訪れ、新作を最初に見せて作曲の背景や秘密まで共有する、親密な個人的交流が終生続いた。

 《ペトルーシュカ》はドビュッシーにも刺激を与え、バレエ・リュスの委嘱で《遊戯》(1912) が生まれた。この曲の全面的な形式の自由は同時代には理解されず、約50年後に総音列技法が行き詰まり、ヨーロッパ戦後前衛の作曲家たちが打開策を探る中でようやくドビュッシーの真意が理解されたわけだが、同じシリーズの次の演目が《春の祭典》(1910-13) だったために、そのインパクトの陰に埋もれてしまったことも大きい。不協和音を一見不規則なリズムで打楽器的に叩き付ける書法は強烈で、前期ストラヴィンスキーの作風はしばしば「原始主義」と呼ばれてきた。

c0050810_3185887.jpg 彼は《春の祭典》と並行して、ふたつの実験的な作品を書いた。極めて無調的なカンタータ《星の王》(1911-12) を献呈されたドビュッシーは衝撃を受け、「プラトンの言う『永遠なる天体のハルモニア』のような非凡な音楽……我々の住む星ではまだ地の深みに埋まったままだろう」と返信した(実際、初演は1939年)。またシェーンベルク《月に憑かれたピエロ》(1912) の初演を聴いて、《3つの日本の抒情詩》(1912-13) で応えた(この試演を聴いたラヴェルは《マラルメの3つの詩》(1913) を書き、声と小アンサンブルという編成は小ブームになった)。いずれも「原始主義」とは程遠い音楽であり、この呼称の浅薄さは明白だ。なおブーレーズは「ストラヴィンスキーは生きている」という論文(1953) で、《春の祭典》はリズム細胞の精緻な(一見不規則に見えるほど複雑な)操作に基づいて書かれていると解き明かした。実は「原始主義」の対極の音楽だったのである。

 《春の祭典》初演の騒動は、ニジンスキーの振付によるバレエの異様さも大きな要因だったとされる。翌年の演奏会形式による上演は絶賛され、「原始主義」という誤解は長く残ったがオーケストラのレパートリーとして定着した(ただしドビュッシーは初演時点で、自身の《海》や《管弦楽のための映像》における試みを発展させた音楽だと冷静に受け止めた)。初演後程なく、私的な理由でニジンスキーがバレエ・リュスを解雇されたこともあり、バレエの再演は1920年まで行われなかった。第一次世界大戦後の資金難の中、ココ・シャネルの多額の援助で実現したマシーンの振付による上演は大成功を収め、バレエのレパートリーとしても定着した。その後も多くの振付が生まれている。

c0050810_320050.jpg 《春の祭典》を経たストラヴィンスキーは、第一幕を書いた後はバレエ・リュスの委嘱を優先して放置していたオペラ《夜鶯》(1908-09/13-14) をまず仕上げた。第一幕と第二幕の間にストーリー的にも断絶があり、音楽様式が大きく変化しても不自然ではない、という判断だった。後にディアギレフがこのオペラのバレエ化を打診すると、彼は第二幕以降の素材を交響詩《夜鶯の歌》(1917) として再構成し、バレエもそれに基づいて上演された。バレエ・リュスから毎年のように委嘱を受けるようになると、彼は大半の時間をヨーロッパ各地で過ごしていたが、《夜鶯》の初演後に久々にロシアに戻り、《結婚》(1914-17/23) のテキストとして民衆詩集を大量に買い求めたのが、祖国との長い別れになった。スイスの仕事場に戻った2週間後に、第一次世界大戦が勃発した。

 その後数年は、この時買い集めたテキストを用いた小編成アンサンブルを伴う声楽曲が創作の中心になる。その背景には亡命生活を強いられる中での望郷の念があるのは言うまでもない。《プリバウトキ》(1914)、《猫の子守唄》(1915-16)、《狐》(1916) と続く一連の作品は、ヴェーベルンの同時期の声楽曲と比肩し得る凝縮の美学を持つが(《プリバウトキ》と《猫の子守唄》はウィーンで初演され、立ち会ったヴェーベルンは彼の才能に驚嘆した)、大戦中は大編成作品の上演は困難だったという事情も大きい。この時期はバレエ・リュスも開店休業状態で、新作上演はサティ《パラード》(1916-17) のみ。ディアギレフに依頼され《結婚》もピアノ譜までは完成したが、上演の目処は立たなかった。ストラヴィンスキーは個人的な委嘱と祖国からの送金で細々と食い繫「でいたが、1917年にロシア革命が起こると祖国に残した全財産は没収され、経済的苦境に陥った。

c0050810_321591.jpg そこで彼とスイスの仲間たちが発案したのは、楽器を持ち運べる小アンサンブルのための音楽劇を作り、旅芸人のように演奏旅行することだった。ロシア民話に基づく音楽劇《兵士の物語》(1918) は3人の朗読・ヴァイオリン・コントラバス・クラリネット・ファゴット・コルネット・トロンボーン・打楽器という編成で書き上げられ、大戦末期の同年9月に初演されたが、折悪しくスペイン風邪が流行し、音楽家もスタッフもみな感染して巡業は行われなかった。彼は翌年、この企画を援助したスイスの実業家に感謝の印として《クラリネットのための3つの小品》(1919) を献呈したが、このパトロンはこの曲に加えて、《プリバウトキ》、《猫の子守唄》、《兵士の物語》トリオ版(1919) などからなる、スイス時代の彼の仕事を俯瞰する個展をスイス各地で主催することで応えた。

 《兵士の物語》は、旅芸人一座よろしく既成曲の断片の寄せ集めという体裁を持ち、まさにロシア民衆歌の時代と新古典主義の時代を繫ョ作品だが、寄せ集めた素材には当時流行していたラグタイムも含まれる。ロシア民謡を素材にした作品群で名を挙げ、スペインの酒場で耳にしたアラブ風音楽を素材に、自動ピアノのための《マドリッド》(1917) を作った作曲家だけに、黒人音楽の要素が強い新大陸発の民衆音楽には強く惹かれ、まず11楽器のための《ラグタイム》(1917-18) に取りかかり(完成は《兵士の物語》よりも後、《狐》に続くツィンバロムの使用は、ホンキートンク・ピアノの効果を模したのだろう)、アルトゥール・ルビンシュタインから名技的なピアノ曲を委嘱された機会に《ピアノ・ラグ・ミュージック》(1919) を書き、この音楽の王道編成も制覇した。

c0050810_3215012.jpg 《兵士の物語》を新古典主義の始まりと看做すかどうかは意見が分かれる。この潮流の理論的始祖はブゾーニ、音楽的始祖はドビュッシーであり、《白と黒で》(1915)、《練習曲集》(1915)、3つの室内楽ソナタ(1915/1915/1916-17) はストラヴィンスキーも通暁していたはずだ。この潮流がヨーロッパの主流になった背景は、普仏戦争以来の独墺系音楽の優位への、第一次世界大戦を背景にしたラテン諸国の反発であり、後期ロマン派~表現主義の複雑な和声を排した「古典回帰」が旗印になった。ドビュッシーの場合には、ラモーやクープランらフランスのバロック音楽への回帰だった。ドビュッシー追悼曲の拡大版である《管楽器のシンフォニー集》(1920) ではドビュッシー最晩年のこのような傾向は当然意識されている。ラグタイムやジャズのような民衆音楽を含むパッチワーク的構成も新古典主義の特徴である。それにもかかわらず、《兵士の物語》は新古典主義には含めないとする場合には、弦楽四重奏のための《コンチェルティーノ》(1920) が弦楽四重奏のための《3つの小品》(1914) と変わらぬ尖鋭的な書法を保っていることが大きな根拠になる。

 《狐》《兵士の物語》と、大戦中は自分の手の届かないところで仕事を得ていた彼にディアギレフは嫉妬していたが、新作上演が困難な中でもD.スカルラッティ/トマシーニ《上機嫌な夫人たち》、ロッシーニ/レスピーギ《風変わりな店》と、イタリアの有名作曲家の未出版曲を再構成したバレエが当たりを取ったことを踏まえ、ペルゴレージの素材を図書館で集め(ただし夭折の作曲家には偽作も多く、今日の研究ではその少なからぬ部分は同時代の他の作曲家のものだった)、それらを再構成したバレエの作曲を彼に打診した。ロシア民謡を素材にする際も、原曲を尊重するバルトークのスタンスとは対照的な、原曲を切り刻む再構成が身上だった彼にとって、かねてから関心があった後期バロックの作曲家と自由に戯れるのは魅力的な提案で、《プルチネルラ》(1919-20) が生まれた。

c0050810_3224140.jpg ディアギレフの指定通りの大管弦楽ではなく、アンサンブルを独奏者の集合体=合奏協奏曲として扱うスイス時代に慣れ親しんだ編成を用い、単なる編曲の域を超えて不協和音や複調を忍び込ませ、原素材を批評的に再構成する、新古典主義の出発点にふさわしい作品になった。彼はその後30年にわたりこの様式の延長線上で作曲したが、それ以前よりも作品の質にばらつきが出たことは否定できない。例えば、敬愛するチャイコフスキーの音楽を素材にしたオペラ《マヴラ》(1922) やバレエ曲《妖精の口づけ》(1928) は、《プルチネルラ》や盛期バロックの作曲家リュリの音楽を素材にしたバレエ・リュスのための最後のバレエ曲《ミューズを導くアポロ》(1927-28) ほどには成功していない。彼が考えていたよりも、この様式は素材を選ぶように思われる。

 個々の曲の優劣を語るのは総説としては不毛なので止めるが、総じて言えば特定の編成への最初の取り組みが最も成功しており、経験を重ねるほどにマンネリ化する傾向がこの様式では目立つ。積み重ねによる深化が期待できない、マンガで言えばギャグマンガのような様式であり、クラシック音楽の常識は通用しない。《プルチネルラ》の初演直後にフランスに移住した彼は、1939年9月にハーヴァード大学客員教授着任を機に第二次世界大戦勃発直前のヨーロッパを離れ、そのまま米国に亡命した。この際の講義録は『音楽の詩学』としてまとめられており、そこで強調されているのは対位法の重要性とロマン主義(ヴァーグナーに仮託された)の不純さへの非難だが、この理念と彼の新古典主義のあり方には齟齬があるのではないか。彼の新古典主義における対位法は、即興的な機知を発揮する枠組として機能し、ロマン主義的な素材はこの速度に感情の錘を付けるためにそぐわない。

c0050810_3233648.jpg 特に米国亡命後の作品ではこの矛盾が露わになる。大編成の「代表作」ほど音楽は堅苦しくなり、彼の創造性は、《サーカス・ポルカ》(1942)、《オード》(1944)、《エボニー協奏曲》(1945) のような作品表の隙間を埋めているかに見える小品に専ら表れている。ただし、彼の新古典主義の時期を真に代表するのは、フランス時代は《詩篇交響曲》(1930)、米国時代は《ミサ曲》(1944-48) という、同時期の他作品とは隔絶した宗教曲である。これらの作品は、『音楽の詩学』で示された理念との矛盾はないが、新古典主義に拘る必然性も感じさせない。彼の法的な身分ははスイスに亡命した1914年から米国市民権を得た1945年まで、フランス市民権を得た1934年以降数年以外は常に亡命ロシア人であり、著作権法的に不利な立場にあったので当座の生活費が必要だったという理由付けも可能かもしれないが、それだけでは困窮していたスイス時代の作品の質の高さは説明できない。

 新古典主義時代を締め括る大規模なオペラ《蕩児の遍歴》(1948-51) を書き上げると、彼はこの様式ではこれ以上書き続けられないと判断し、『音楽の詩学』の理念をより純粋に実現すべく、ルネサンス音楽の対位法を研究し始めた。程なくシェーンベルクが逝去し、個人的な確執から遠ざかってきた12音技法を忌避する理由もなくなった。1948年から助手を務めた指揮者のロバート・クラフトは、当時の米国における現代音楽の伝道師であり、彼を通じて新ウィーン楽派の作品を多く知った。なかでもヴェーベルンの音楽は、表現主義の身振りを残すシェーンベルクとも後期ロマン派的素材を新古典主義的に処理したベルクとも違い、ルネサンス音楽の対位法に根ざした、彼の理念を体現した音楽だった。当時の米国にはバビットのような独自のセリー主義者が現れ、カーターやセッションズも新古典主義から12音技法に転じ、コープランドまで12音技法を使い始めていた。

c0050810_3263011.jpg ただし彼は、同時代の流行として性急に12音技法を取り入れるのではなく、《ミサ曲》より先に進むための手段として、ゆっくりと身に着けていった。まず《カンタータ》(1951-52) では主題をセリーのように扱い、《ディラン・トマス追悼》(1954) では旋法的5音音列でセリー操作を行い、《カンティクム・サクルム》(1955) でようやく12音音列を用いた。彼が求めたのは厳格な対位法であり、オクターブの12音を均等に扱って調性感を消すことは目的ではなかった。最終的に12音音列に落ち着いたのは、6×2、4×3などのより細かいグループ化が可能で、構造化に都合が良かったからである(この点もヴェーベルンに倣っている)。この意味で、バレエ曲《アゴン》(1953-57) には特に注目したい。作曲年代から想像される通り、新古典主義的な素材と12音音列に基づいた素材が混在しているが、両者は全く矛盾なく一体化しており、12音技法は彼の血肉の一部になった。

 米国実験音楽は彼の眼中にはなく、ブーレーズやシュトックハウゼンとしばしば会って戦後前衛の動向を知ろうとした。ピアノと管弦楽のための《ムーヴメンツ》(1958-59) は、彼のテクスチュアが最も戦後前衛に近づいた瞬間である。同時期の作品表には宗教的作品が並び、静的な対位法構造を着実に築き上げた。だが彼はそれだけでは満足せず、TV用オペラ《洪水》(1961-62) で《アゴン》のダイナミズムを取り戻すと、管弦楽のための《変奏曲》(1963-64) では12声部の対位法の極致と彼らしい運動性が交錯する「20世紀で最も密度の高い音楽」(フェルドマン)を実現した。最後の大曲《レクイエム・カンティクルス》(1965-66) はもう少し落ち着いた調子で、セリー時代の創作を総括している。70歳から新しい語法に取り組み、創作歴の最後がピークになるのは並大抵のことではない。「彼の晩年は、ブラームスのように豊かだった」(シュトックハウゼン)。

c0050810_3272797.jpg 彼の歩みは20世紀音楽の歴史そのものであり、彼の「後世への影響」を議論することには意味がない。彼の後半生の理念を彼以上に体現した作曲家がヴェーベルンであり、戦後前衛の歴史はヴェーベルンの先に続いている。彼が米国実験音楽には全く関心を示さなかったのは、20世紀音楽の歴史を彼とケージに集約する上ではむしろ都合が良い。複数の音楽様式にまたがって活動を続ける中で、50年以上世界の第一線に留まった作曲家は、20世紀ではこのふたりだけである。



【関連公演】
СТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ ~二台ピアノによるストラヴィンスキー傑作集~
2016年9月22日(祝・木) 浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ

ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)
  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)
  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)
ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)
  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り
(アンコール)ストラヴィンスキー:魔王カスチェイの邪悪な踊り
プロコフィエフ:邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り
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# by ooi_piano | 2017-01-05 00:02 | POC2016 | Trackback | Comments(0)

c0050810_03814.jpg大井浩明 POC[Portraits of Composers] 第27回~第31回公演 《先駆者たち Les prédécesseurs》
大井浩明(ピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
チラシ表側(pdf)  チラシ裏側(pdf)




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c0050810_810105.jpg【ポック[POC]#30】
2017年1月22日(日)18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)

イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):
ピアノソナタ 嬰へ短調(1903/04)〔全4楽章〕(日本初演) 28分
  I.Allegro - II. Scherzo, Vivo - III.Andante - IV.Finale. Allegro
四つのエチュード Op.7 (1908) 8分
  I. Con moto - II. Allegro brillante - III. Andantino - IV. Vivo
ペトルーシュカからの3楽章(1911/21) 15分
  ロシアの踊り - ペトルーシュカの部屋 - 謝肉祭
交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、東京初演) 21分
  故宮の祭礼 - 二羽の夜鶯(本物の夜鶯と機械仕掛けの夜鶯) - 皇帝の病気と快気

 (10分休憩)

大蔵雅彦(1966- ):《where is my》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
イーゴリ・ストラヴィンスキー:11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版) 4分
《兵士の物語》による大組曲(1918)(作曲者による独奏版、日本初演) 25分
  I.兵士の行進 - II.兵士のヴァイオリン - III.王の行進曲 - IV.小コンセール - V.3つの舞曲(タンゴ/ワルツ/ラグタイム) - VI.悪魔の踊り - VII.コラール - VIII.悪魔の勝利の行進曲
ピアノ・ラグ・ミュージック(1919) 3分
管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーの思い出に(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、東京初演) 8分
コンチェルティーノ(1920)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 6分

 (10分休憩)

八重奏曲(1923)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 16分
  I.シンフォニア - II.主題と変奏 - III.終曲
ピアノ・ソナタ(1924) 9分
  I. - II. Adagietto - III.
イ調のセレナード(1925) 12分
  頌歌 - ロマンス - ロンドレット - 終止曲
タンゴ(1940) 3分
仔象のためのサーカス・ポルカ(1943) 4分



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c0050810_811861.jpg【ポック[POC]#31】
2017年2月19日(日)17時開演(16時半開場) 松涛サロン(渋谷区)

古川聖(1959- ):《七つのノベレッテン》(2017)(委嘱新作・世界初演)
カイホスルー・ソラブジ(1892-1988):《オプス・クラウィケンバリスティクム(鍵盤楽器の始源に捧げて) Opus Clavicembalisticum》(1930/全曲による日本初演)〔全12楽章〕(約4時間)

 【第一部】 (50分)
I. 入祭唱 3分
II. コラール前奏曲 13分
III. 第一フーガ(四声による) 12分
IV. ファンタジア 4分
V.第二フーガ(二重フーガ) 16分

 (休憩10分)

【第二部】 (1時間半)
VI.第一間奏曲(主題と49の変奏) 45分
VII.第一カデンツァ 5分
VIII. 第三フーガ(三重フーガ) 35分
   [第一主題 10分 - 第二主題 11分 - 第三主題 12分]

 (休憩10分)

【第三部】 (1時間40分)
IX. 第二間奏曲 56分
   [トッカータ 5分 - アダージョ16分 - 81の変奏によるパッサカリア 35分]
X. 第二カデンツァ 3分
XI. 第四フーガ(四重フーガ) 32分
   [第一主題 8分 - 第二主題 7分 - 第三主題 8分 - 第四主題 10分]
XII. 終結部(ストレッタ) 8分



(終了)÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━
c0050810_855583.jpg【プレイベント】 2016年9月22日(木・祝) 19時開演(18時半開場) 公園通りクラシックス(渋谷区) 
●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):《4つのエテュード》(1917)、舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)、舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913) (共演/浦壁信二)


c0050810_863877.jpg【ポック[POC]#27】 2016年10月10日(月・祝) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●見澤ゆかり(1987- ):《Vivo estas ĉiam absurda》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
●アルノルト・シェーンベルク(1874-1951):浄められた夜 Op.4 (1899)[M.ゲシュテールによるピアノ独奏版(2001)](日本初演)、室内交響曲第1番ホ長調 Op.9(1906)[E.シュトイアーマンによるピアノ独奏版(1922)]、三つのピアノ曲 Op.11(1909)、六つのピアノ小品 Op.19(1911)、五つのピアノ曲 Op.23(1920/23)、ピアノ組曲 Op.25(1921/23)、ピアノ曲 Op.33a(1928)、ピアノ曲 Op.33b(1931)、室内交響曲第2番変ホ短調 Op.38(1906/40)[米沢典剛によるピアノ独奏版(2016)](世界初演)


c0050810_873735.jpg【関連公演】 2016年11月16日(水)18時20分開演(17時50分開場) 静岡文化芸術大学・講堂(浜松市)
●アルバン・ベルク=米沢典剛:《抒情組曲》〔全6楽章〕(1926/2016、ピアノ独奏版・世界初演)、アルノルト・シェーンベルク=米沢典剛:《映画の一場面のための伴奏音楽 Op.34》(1930/2016、ピアノ独奏版・世界初演)、アントン・ウェーベルン=米沢典剛:《交響曲 Op.21》(1928/2016、ピアノ独奏版・世界初演)


c0050810_883180.jpg【ポック[POC]#28】 2016年11月23日(水・祝) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●藤井健介(1979- ):《セレの物語》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
●チャールズ・アイヴズ(1874-1954): スリーページ・ソナタ(1905)、ピアノソナタ第1番(1902/09) 〔全5楽章〕、ピアノソナタ第2番《マサチューセッツ・コンコード》(1909/15) 〔全4楽章〕





c0050810_891668.jpg【ポック[POC]#29】
2016年12月23日(金・祝)18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●東野珠実:《星筐(ほしがたみ) IV》(2016)(委嘱新作・世界初演)
●ベラ・バルトーク(1881-1945): ラプソディ Op.1 Sz.26 (1904)、14のバガテル Op.6 Sz.38 (1908)、アレグロ・バルバロ Sz.49 (1911)、3つの練習曲 Op.18 Sz.72 (1918)、舞踏組曲 Sz.77 (1925)、ピアノ・ソナタ Sz.80 (1926)、戸外にて Sz.81 (1926)、弦楽四重奏曲第4番 Sz.91 〔全5楽章](1928/2016、米沢典剛によるピアノ独奏版・世界初演)[Péter Bartók(1924- )による最終校訂エディション(1991/2009)使用]






POC2016:戦後前衛の源流を求めて────野々村禎彦

c0050810_21303021.gif POCシリーズも今年度で6期目。今回の特集作曲家はみな19世紀生まれであり、このシリーズでは従来試みられなかった、若手/中堅作曲家(特集作曲家ではない)への新作委嘱も毎回行っている。昨年度のシリーズも、60年代以降に生まれた作曲家の特集ではなく、戦後前衛第一世代の作曲家の補遺であり、いよいよネタ切れ…と思う向きもあるかもしれない。だが、このシリーズは近年の大井の活動の中ではむしろ特異な位置にある。彼の普段の活動の中心は、新作委嘱と古典を組み合わせたプログラムであり、委嘱先も現代音楽業界での常連ではなく、アウトサイダーや境界領域で活動する音楽家(や非音楽家!)が主体。今回のプログラムの方が大井の本来の姿なのである。

 もちろん、19世紀後半に生まれ、主に20世紀前半に活動した作曲家を漫然と並べているわけではない。戦後前衛に焦点を絞ったシリーズにふさわしく、戦後前衛(第一世代に限らない)に直接的な影響を与えた作曲家に限られ、すると1874年生まれのシェーンベルクとアイヴズが最初になる。この戦後前衛の源流にあたる作曲家たちに大きな影響を与えた、「源流の源流」のドビュッシーは対象外である。ストラヴィンスキーの新古典主義とバルトークの「夜の音楽」への影響は言うに及ばず、アイヴズの深い淵のような無調ポリフォニーも、彼の音楽がなければ有り得なかった。彼の音楽とは無関係でいられたのは、シェーンベルクとソラブジくらいかもしれない。

c0050810_21312484.gif 生年だけ見ればラヴェルは1875年であり、シャリーノを筆頭に、彼の直接的な影響下にある戦後前衛の作曲家も少なくないが、彼もまた「源流の源流」に他ならない。作曲家としては遅咲きだったドビュッシーと早熟なラヴェルは、影響を与え合うライバルだった(《版画》―《鏡》―《映像》―《夜のガスパール》―《前奏曲集》という時系列)。ラヴェルの影から解放されたドビュッシーは、今度はストラヴィンスキーを意識し、《白と黒で》《練習曲集》で彼の進むべき道を示した。

 シェーンベルクを「戦後前衛の源流」のひとりに数えるのは今日では自然だが、前衛の時代には決してそうではなかった。特に戦後前衛第一世代にとっては、新ウィーン楽派でモデルになった作曲家はまずヴェーベルンであり(管理された偶然性以降の時代にベルクも加わった)、シェーンベルクは「12音技法と引き換えに新古典主義に退行した反動」にすぎない。またヴェーベルンベルクは、《浄夜》や《室内交響曲第1番》の後期ロマン派を佃煮にしたような作曲家を、「別な惑星の大気」を感じさせる清々しい無調音楽の作曲家に変貌させた、「源流の源流」とみなすことも可能だ。

c0050810_2132418.gif 紆余曲折を経て、シェーンベルクが「戦後前衛の源流」として見直された背景はふたつある。前衛の時代を代表するドイツの作曲家は、電子音楽の体現者シュトックハウゼンと、視覚的要素を重視しヨーロッパの伝統に疑義を突きつけたカーゲル(及びその縮小再生産版のシュネーベル)程度だったが、前衛の時代以降に頭角を現したラッヘンマンファーニホウ(英国を早々に見限った)は、当初こそ「伝統の異化」を標榜していたものの、しだいに伝統主義者の側面を露わにし、そこでモデルになったのはブラームスマーラーとの連続性が明確なシェーンベルクだったことがひとつ。カーゲルやシュネーベルすら、いつの間にかドイツ音楽の伝統の再利用を創作の中心に移していた。

 もうひとつは、ブーレーズが「怠惰による偶然性」と非難したケージ及びニューヨーク楽派の音楽が、ヴァンデルヴァイザー楽派を経てドイツ音楽の伝統に回収されたこと。彼らの音楽は、実は米国実験音楽としては異端であり、その源流は若き日のケージがシェーンベルクに師事し、終生最も影響を受けた人物のひとりとしてリスペクトしていたことに由来する。即興の可能性を疑い、理念を厳格に形にする姿勢は、師シェーンベルクが体現した精神の深いレベルでの継承に他ならない。ケージらの音楽の性格は、米国実験音楽の多数派の「大らかさ」とは全く異なっている。

c0050810_21334169.gif このようなシェーンベルクの位置付けを前提にすると、なぜアイヴズが今回取り上げられたのかも見えてくる。「米国実験音楽の源流はアイヴズであり、彼は奇しくもシェーンベルクと同年生まれ」という単純な話では決してないのだ。非アカデミックな「アメリカ音楽」(中南米も含む)を包括的に内外で紹介し、文字通りの「日曜作曲家」アイヴズを見出して最初に出版したカウエルこそ「米国実験音楽の源流」にふさわしい。ピアノ独奏曲も一晩に余るくらい書いている。だが彼の「実験」は「戦後前衛」とは接点がないタイプのものであり、POCシリーズにはふさわしくない。

 もちろん、アイヴズの音楽も「戦後前衛」との直接の接点はない。シェーンベルクのテニス仲間であり、ベルクのオペラを参照して《ポーギーとベス》を書き上げたガーシュウィンの方が、まだ近いかもしれない。「トーン・クラスターの使用」「微分音調律」「音楽の空間性の探求」といった要素に切り分けて、アイヴズの音楽の「前衛性」が喧伝された時期もあるが、このような要素への分解を徹底すれば、セリー主義以外の「戦後前衛」の構成要素の大半は19世紀までの音楽に見出せる。

c0050810_21343028.gif アイヴズの音楽の本質的な特徴は、今回の曲目で言えば第2ソナタの第3楽章のような素朴な調性と、第4楽章のような深遠な無調が全く矛盾なく並んでいるところにある。これは戦後前衛における「引用」や「異化」とは性格を異にし、対立する美学を折衷主義に陥らずに受け止める、真の多文化主義と呼べる。これこそが、米国実験音楽の大らかな多数派に欠けている美質であり、ニューヨーク楽派(及びチューダー、オリヴェロス、テニー、初期ミニマル音楽)以降で体現しているのは、フランク・ザッパやジョン・ゾーンをはじめ、実験的ポピュラー音楽の最も先鋭的な音楽家たちである。これがアイヴズを「源流」とみなす意味であり、今回の委嘱作曲家の人選にも反映されている。

 1880年代前半に生まれたストラヴィンスキーとバルトークを「源流」とみなすことは、シェーンベルクとアイヴズの場合よりも議論の余地は少ない。ストラヴィンスキーは、第一次世界大戦後から戦後前衛が歴史的地位を確立するまで、「芸術音楽」のマジョリティであり続けた新古典主義の中心人物であり、アンチ新古典主義は戦後前衛勃興期の活動の原動力だったという意味でも、「源流」とみなせる。そもそも、アンチ意識は似た者同士だからこそ生まれる。新古典主義も戦後前衛も、同じ新即物主義の土壌から生まれた。美学は共有するが素材や技法だけが違うから、内ゲバになる。

c0050810_21354191.gif バルトークは、民謡収集で得られた素材を作曲に持ち込んだ、というレベルではヨーロッパ周縁部(中南米やアジアも含む一般的な概念)の多くの作曲家のひとりに留まるが、それを抽象化・普遍化する姿勢において突出していた。特に、クラシックの伝統における抽象化の頂点である弦楽四重奏においてその美質は発揮された。ペンデレツキやリゲティらの前衛の時代の作例は言うに及ばず、その影響はポスト前衛の時代まで及んでいる。クセナキス《テトラス》、ラッヘンマン《精霊の踊り》、グロボカール《ディスクールVI》、シュニトケ《弦楽四重奏曲第4番》という、80年代のこの編成を代表する多様な作品ですら、各々バルトークの3・4・5・6番のマイナーチェンジとみなせる。

 ただしピアノ独奏曲に限ると、ふたりの独自性は十分に発揮されているとは言い難い。ストラヴィンスキーの新古典主義は、原素材の編成やコンテクストを置き換える過程が面白いが、抽象度の高いこの編成では十分に機能しない。彼は最終的に、戦後前衛の点描書法まで取り扱うようになったが、この編成で扱った対象ははるかに狭いことが傍証になる。バルトークの場合も、ピアノの打楽器書法ではカウエルら、「夜の音楽」ではドビュッシーらとの本質的な差異は見出せない。こちらはストラヴィンスキーの場合とは反対に、元々抽象的な素材では「抽象化力」が発揮されないのだろう。

c0050810_2137586.gif だが、彼らがモダニズムに目覚める以前の最初期の作品から、従来は副次的だと顧みられなかった作品まで、一晩で網羅的かつ年代順に聴き進めることで、新たに見えてくるものがあるのではないだろうか? POCシリーズの全曲演奏主義にはそのような狙いがあり、戦後前衛を代表する作曲家たちの場合には大きな成果を挙げてきた。今回のプログラムでは、ストラヴィンスキーとバルトークに関して、このシリーズならではの発見が特に期待される。

 最後に、誰にとっても意外であろう、ソラブジ《オプス・クラヴィチェンバリスティクム》全曲。前衛の時代が過ぎた後、かつての「前衛弾き」たちが続々と挑んだことも手伝って、アルカン作品やゴドフスキ編曲版など、所謂「体育会系」ピアノ曲愛好家たちの間でカルト的な人気を集めている。ただし、この5時間近い規模ですら、このピアニスト=作曲家の創作歴の中では、「中程度の長さのまとまりの良い曲」なのだが。

c0050810_2138154.gif この作品が、直接的に「戦後前衛の源流」のひとつとみなせるのかどうかは疑わしい面もあるが、ピアニスト=作曲家が、退嬰的とまでは言えないが前衛的とも言えない、演奏家として慣れ親しんだ語法で即興的な手癖を交えて長大かつヴィルトゥオジックな作品を量産することは、戦後前衛を経たポスト前衛の時代の見慣れた風景ではある。ジェフスキしかり、フィニスィーしかり。大井は最近、ジェフスキ《「不屈の民」変奏曲》もレパートリーに加え、「源流」に挑む良い時期ではある。

 ただしソラブジは、ブゾーニの薫陶を受けたJ.S.バッハをリスペクトする作曲家であり、この作品の表題は『チェンバロ風の鍵盤作品』を意味することは、ピアニスト=ソラブジの後期ロマン派的な手癖も手伝って、必要以上に忘れられていたのかもしれない。作曲家=ソラブジがこの作品で意図していたのは、新即物主義を背景にしたモダニズム版《フーガの技法》だったのではないだろうか? POCシリーズの目的は、古楽奏法を通じてクラシックレパートリーの真価を引き出した体験を通じて、作曲家自身も気付いていない現代作品の真価を引き出すことだったのを、いま一度思い出そう。
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# by ooi_piano | 2016-12-31 10:32 | POC2016 | Trackback(1) | Comments(0)

c0050810_14332910.jpg──朗読、バロックバイオリン、通奏低音の演奏で辿る聖母マリアの秘蹟──
H.I.F.v.ビーバー(1644-1704):《ロザリオのソナタ》(全16曲、1674) [二夜連続公演]
2016年12月28日(水)&29日(木) 18時30分開演(18時開場)
横浜・末吉町教会 (横浜市中区末吉町1丁目13)
 [京急線・日ノ出町駅出口から徒歩約4分/黄金町駅出口から徒歩約7分/ブルーライン伊勢佐木長者町駅6B出口から徒歩約8分]

[第一夜 12月28日(水)18時30分開演]
 〈キリストの誕生〉 - 喜びの神秘 Der freudenreiche Rosenkranz -
 第1番「お告げ」 - 第2番「訪問」 - 第3番「降誕」 - 第4番「キリストの神殿への拝謁」 - 第5番「神殿における12歳のイエス
 〈受難〉 - 哀しみの神秘 Der schmerzhafte Rosenkranz -
 第6番「オリーヴ山での苦しみ」 - 第7番「むち打ち」 - 第8番「いばらの冠」

[第二夜 12月29日(木)18時30分開演]
 第9番「十字架を背負うイエス」 - 第10番「イエスのはりつけと死
 〈復活〉 - 栄光の神秘 Der glorreiche Rosenkranz -
 第11番「復活」 - 第12番「昇天」 - 第13番「聖霊降臨」 - 第14番「聖母マリアの被昇天」 - 第15番「聖母マリアの戴冠」 - 終曲「守護天使」





c0050810_6592793.jpg【出演】
朗読:濱田壮久神父
バロックバイオリン:阿部千春
オルガン:大井浩明
テオルボ:蓮見岳人


【チケット】全自由席 一回券 5000円 一般通し券 8000円/学生券一回券 4000円 学生通し券 7000円
【申し込み・問い合わせ】 03-6411-1997 yurikaviolin[at]kvj.biglobe.ne.jp (辻)

チラシpdf  FB公式ページ  FBイベントページ



c0050810_12511257.jpg濱田壮久神父 (朗読)
  逗子市生まれ。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、東京カトリック神学院に入学。2007年司祭叙階。横浜司教館、千代田・八幡・静岡教会助任を経て2011年5月、ザンクトゲオルゲン哲学・神学大学大学院(ドイツ・フランクフルト)に留学。留学中、ケルン大司教区ケルン日本人共同体、デュセルドルフ日本人共同体、リンブルク教区フランクフルト日本人共同体、マインツ教区バード・ナウハイムフィリピン人共同体を司牧。2015年7月、松本カトリック教会協力司祭。2016年4月より港南カトリック教会、末吉町カトリック教会主任司祭、聖母幼稚園宗教主事。


c0050810_1251524.jpg阿部千春  (バロックヴァイオリン)
  塩川庸子氏、尾島綾子氏、前澤均氏、金倉英男氏、村上和邦氏、菊地俊一氏に師事。武蔵野音楽大学卒業後、ドイツ・シュツットガルト国立音楽大学でスザンネ・ラウテンバッハー氏に師事。在日中より菊地俊一氏、永田仁氏を通して古楽に関心を持っており、1994年トロッシンゲン国立音楽大学古楽科に入学、バロックヴァイオリンをジョルジオ・ファヴァ氏に師事。ディプロム終了後、同大学院にてフランソワ・フェルナンデス、エンリコ・ガッティ、ジョン・ホロウェイ各氏のもとで研鑽を積む。
  1999年、ドイツ産業連盟・ドイツ財界文化部主催の”古楽・弦楽器コンクール”にて特別奨励賞を受賞。大学院修了後、スコラカントルム・バジリエンスィス(バロックヴァイオリン、ヴィオラ・ダモーレ)、ケルン国立音楽大学(古楽科室内楽専攻)に在籍。在学中より、オーケストラ/室内楽奏者、ソリストとして数多くの演奏会、CD、各地放送局の録音に参加、ヨーロッパ各国に活動範囲を広げる。現在、ドイツ・ケルンに在住。ヴィオラ・ダモーレ奏者としても活動。コンチェルトケルンでは演奏の他、資料研究も担当。国内においては2009年から2012年にかけて大井浩明氏とのモーツァルト・ヴァイオリンソナタ全曲シリーズを完結。2013年にはバッハのヴァイオリン無伴奏全曲演奏会を開催する。


c0050810_1253398.jpg蓮見岳人  (リュート・テオルボ )
  奈良生まれ。京都大学文学部史学科卒業後、リュートを佐々木政嗣氏に師事。 1991年、ドイツに移り、ケルン音楽大学に入学、コンラート・ユングヘーネルに師事。 1997年首席卒業後、フランクフルト音楽大学で今村泰典氏に師事。さらに、ロルフ・リースルヴァント、ロバート・スペンサー、ロバート・バルトー各氏の講習会に参加。 室内楽をシェティル・ハウグザンド、ライナー・ツィッパリン、ミヒャエル・ショッパー、ミヒャエル・シュナイダーに師事。その後再びケルン音楽大学で歴史的室内楽の課程を修了、国家演奏家の資格を取得。
  西南ドイツ放送局交響楽団、ケルン・ギュルツェニヒ交響楽団、カールスルーエ・ヘンデルフェスティヴァル・オーケストラ、オランダ・ヒルヴェルスム放送室内管弦楽団(フランス・ブリュッヘン)、フローニンヘン・北オランダ交響楽団、アムステルダム歌劇場オーケストラ(ロイ・グッドマン)、エンスヘデ・オランダ交響楽団、オペラ・ネーデルランス、ケルン室内管弦楽団、コンチェルト・ケルンなどとこれまで共演。 ソロおよび通奏低音奏者として主にドイツ、オランダ、日本で幅広く活動している。



【使用楽器】
ヴァイオリン
作者不詳 南ドイツ 1700年頃
作者不詳 ブレシア? 1690年?
作者不詳 ブレシア/北イタリア 17世紀前半
作者不詳 ドイツ 1800年頃 (辻有里香氏所蔵)
テオルボ
M. Tieffenbrucker (1620年頃)モデル、2004年 Andreas von Holst 製作
バロックテオルボ(ニ短調調弦)として使用。
ポジティフオルガン
   ガルニエ社制作、1999年


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ハインリヒ・イグナツ・フォン・ビーバー:《ロザリオのソナタ集》
Heinrich Ignaz Franz von Biber: Rosenkranzsonaten


【第一夜】 12月28日(水)

「キリストの誕生」− 喜びの神秘 −
Der freudenreiche Rosenkranz

c0050810_6412089.jpg第1番 お告げ ニ短調
Die Verkündigungd-Moll
スコルダトゥーラなし senza scordatura : g - d' - a' - e"
Praeludium – Variatio / Aria allegro /Variatio / Adagio – Finale


c0050810_6413560.jpg第2番 訪問 イ長調
Die HeimsuchungA-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : a - e' - a' - e"
Sonata (– Presto) – Allaman(de) – Presto          


c0050810_6415367.jpg第3番 降誕 ロ短調
Geburt Christih-Moll
スコルダトゥーラ scordatura : h - fis' - h' - d"
Sonata (– Presto – Adagio) – Courente / Double – Adagio


c0050810_642830.jpg第4番 キリストの神殿への拝謁 ニ短調
Darstellung im Tempel d-Moll
スコルダトゥーラ scordatura : a - d' - a' - d"
Ciacona ( /Adagio / Presto / Adagio )


c0050810_6423026.jpg第5番 神殿における12歳のイエス イ長調
Auffindung im TempelA-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : a - e' - a' - cis"
Praeludium (– Presto ) – Allaman(de) - Guigue – Saraban(de) / Double




「受難」− 哀しみの神秘 −
Der schmerzhafte Rosenkranz

c0050810_6424714.jpg第6番 オリーヴ山での苦しみ ハ短調
Jesus am Ölberg c-Moll
スコルダトゥーラ scordatura : as - es' - g' - d"
Lamento


c0050810_643035.jpg第7番 むち打ち ヘ長調
Geißelung Christi F-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : c' - f' - a' - c"
Allamanda / Variatio – Sarab(ande) / Variatio


c0050810_6431775.jpg第8番 いばらの冠 変ロ長調
Krönung Christi mit der DornenkroneB-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : d' - f' - b' - d"
Sonata. Adagio (– Presto) – Guigue / Double. Presto / Double 2



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
12月29日(木)
「受難」− 哀しみの神秘 − (続)
Der schmerzhafte Rosenkranz

c0050810_6433466.jpg第9番 十字架を背負うイエス イ短調
Die Kreuztragung a-Moll
スコルダトゥーラ scordatura : c' - e' - a' - e"
Sonata – Courente / Double – Finale


c0050810_6434625.jpg第10番 イエスのはりつけと死 ト短調
Die Kreuzigung g-Moll
スコルダトゥーラ scordatura : g - d' - a' - d"
Praeludium – Aria / Variatio (– Adagio)




「復活」− 栄光の神秘 −
 Der glorreiche Rosenkranz

c0050810_644182.jpg第11番 復活 ト長調
Auferstehung Christi G-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : g - g' - d' - d"
Sonata – Adagio – Surexit Christus hodie (Choralpartita) − Adagio


c0050810_644137.jpg第12番 昇天 ハ長調
Himmelfahrt Christi C-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : c' - e' - g' - c"
Intrada – Aria Tubicinum – Allamanda – Courente / Double


c0050810_6443187.jpg第13番 聖霊降臨 ニ短調
Sendung des Heiligen Geistes d-Moll
スコルダトゥーラ scordatura : a - e' - cis" - e"
Sonata – Gavott(e) – Guigue – Sarabanda


c0050810_6444519.jpg第14番 聖母マリアの被昇天 ニ長調
Himmelfahrt Mariä D-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : a - e' - a' - d"
(表示なし) – Grave / Adagio – Aria – Aria – Guigue


c0050810_645232.jpg第15番 聖母マリアの戴冠 ハ長調
Krönung Mariä im Himmel C-Dur
スコルダトゥーラ scordatura : g - c' - g' - d"
Sonata – Aria – Canzon – Sarabanda


c0050810_6452413.jpg終曲 パッサカリア 守護天使 ト短調
Passagalia Der Schutzengel g-Moll
スコルダトゥーラなし senza scordatura : g - d' - a' - e"
Passagalia



c0050810_6404028.jpg

 15のロザリオの秘跡をテーマにしたこのソナタ集は(16曲のソナタからなっています)音楽史上特異な位置を占める作品です。現在唯一残っている原典はドイツ・ミュンヘンのバイエルン州立図書館に保存されており、1905年に現代譜として出版されるまで忘れ去られていました。

 ハインリッヒ・イグナーツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644 〜 1704) は、ヨハン・ハインリッヒ・シュメルツァー、ヨハン・ヤコブ・ワルター、ヨハン・パウル・ヴェストホーフに並ぶ17世紀のヴァイオリンの巨匠です。北ボヘミアのヴァルテンブルク (現チェコ) に生まれました。シュメルツァーの元で研鑽を積んだと言われ、1668年から1670年の間クロムニェジーシュ のカール・リヒテンシュタイン−カステルコルノ公に仕えていました。公の注文した楽器を受け取りに、当時一番とされていたヴァイオリン製作家シュタイナーの工房へ出発した彼は、そのまま無断でザルツブルクに向かいそこの宮廷楽団の仕事を得ます。作曲家としても活躍した彼は、宮廷のみならず教会のためにも作品を残しています。大司教庁1100年記念の1682年に書かれた53声部のザルツブルク大聖堂祝典ミサ曲は、イタリア建築様式の大聖堂の構造を生かしたヴェネチア・複合唱様式の傑作です。

 大司教の街ザルツブルクは地理的・政治的特殊性を生かし、文化の中心のひとつとして賑わっていました。前任者の絶対君主制を引き継いだ大司教マクシミリアン・ガンドルフ・フォン・クーエンブルク公の元では、権力の象徴としてレベルの高い楽団が結成されていました。ビーバーやムファットといった音楽家がそれぞれの持ち味を生かし活躍します。大司教は消防法や衛生法を作り市民生活の向上を図る一方、警察国家的な監視統制を敷いていました。1678年には109人が魔女狩りの犠牲として処刑され、1684年には1000人ものプロテスタント信者がザルツブルクから追放されました。
 富と権力への執着がエスカレートしていたローマ・カトリック教会への批判が高まる中、16世紀のキリスト教世界には宗教改革の波が押し寄せます。カトリック教会内においても、1534年のイエズス会の設立など、教会本来の宗教生活を取り戻そうとする運動が起こります。17世紀には反宗教改革の運動が盛んになり、その一環としてロザリオ信心会の設立が相次ぎました。
 ロザリオの祈りは13世紀に形がまとまり、初の信心会がドイツ・ケルンで1474年に結成されました。ザルツブルクでは1631年に設立され、大司教マクシミリアン・ガンドルフは1674年にそのメンバーとなります。イエズス会のギムナジウムで学んだビーバー自身も信仰熱心だったと思われ、1678年副楽長就任の際にその感謝の印としてロザリオのソナタ集を公に献呈したのではと推測されます。
 2008年、ザルツブルク大司教庁図書館でひとつの印刷物が発見されました。ロザリオ信心会入会の心得が記されている案内のようなもので、ビーバーがソナタ集に用いた15の秘跡の絵がそこにあります。長い間議論されてきたソナタ集の成立年も、この印刷物の発行年と同じ1678年とみられます。


 ロザリオの祈りは、カトリック教会において、天使祝詞「アヴェ・マリア」を繰り返し唱えながら福音書に記されているイエス・キリストの生涯などの信仰箇条を黙想していく祈りです。この信仰箇条を神秘 (玄義) と呼び、これは喜び・苦しみ・栄えの神秘と分けられています。2002年には教皇ヨハネ・パウロ2世によって「光の神秘」が付け加えられました。

 〈喜びの神秘〉 1. お告げ(受胎告知) 2. エリザベト訪問 3. 降誕 4. 主の奉献 5. 神殿にて

 〈苦しみの神秘〉 1. ゲッセマネの苦しみ 2. むち打ち 3. いばらの冠 4. 十字架 5. はりつけと死

 〈栄えの神秘〉 1. 復活 2. 昇天 3. 聖霊降臨 4. 聖母マリアの被昇天 5. 聖母マリアの戴冠 

 〈光の神秘〉 1. キリストの洗礼 2. カナの婚礼 3. 宣教のはじめ 4. 主の変容 5. 聖体の制定


 ヨハネ・パウロ2世教皇が2002年に公布した使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』によって、月・土曜日に「喜び」、火・金曜日に「苦しみ」、木曜日に「光」、日、水曜日に「栄え」の神秘が黙想されロザリオの祈りが捧げられるようになるまでは、月・木曜日は「喜び」、火・金曜日は「苦しみ」、日、水、土曜日は「栄え」の神秘が一週間ごとに各曜日に振り分けて黙想され、ロザリオの祈りが捧げられてきました。

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楽曲について

 このソナタ集は儀式に用いられる典礼音楽ではなく、私的な信心を目的にしたもので、17世紀における標題音楽の一例です。テーマとなる各神秘に関連した調性、形式、音型を用いて具体的・間接的にその情景を表しています。
 絵画的・直接的な描写は、例えば12番「昇天」冒頭のファンファーレ音型、7番「むち打ち」終わりの叩くような音型に見られます。特定のメロディー・形式の使用による情景推測の手法は、11番「復活」における復活祭賛歌「今日キリストは蘇られた」(surexit christus hodie)や、6番「オリーヴ山での苦しみ」冒頭の「ラメント」(Lamento)において使われています。3番「降誕」には9番「はりつけ」に出てくるモチーフの引用があり、誕生における”死への暗示”とも解せられます。1番「お告げ」の冒頭の音型は天使の到来を思い起こさせ、11番「復活」冒頭におけるモチーフの音高を変えての使用は天使との会話を暗示しています。

 チクルスの調性を見てみると、1番〜5番「喜びの神秘」、11番〜15番「栄えの神秘」にはシャープ系の調性が使用されています。ニ短調 (1番、4番、13番) は教会旋法のドリア調にあたり、伝統的な書法により調号は書かれていません (現在はフラットひとつで記されます) 。6番〜10番「苦しみの神秘」ではフラット系の調性が使用されています。イ短調で書かれている9番では、Finaleで属音による持続低音(ホ長調主和音) が使われています。これは教会旋法のフリギア調で哀しみ・苦しみの調として使われていました。

 特別な技法として、スコルダトゥーラ (変則調弦) が1番と16番を除く14曲に指定されています。

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 ヴィオラ・ダ・ガンバにも通じていたビーバーは、調弦法の変更には慣れていたと思われます。この技巧により、普通の調弦法 ( g - d'- a'- e" ソ、レ、ラ、ミ) では得ることのできない独特な響きを実現することができます。
 曲の調性に合わせた調弦法では開放弦が共鳴し楽器の鳴りがよくなります。また6番のような調弦法では共鳴しにくい抑えられた響きとなります。11番においては、4本の弦のうち真ん中の2本を駒の手前とペグボックスの中で交差させ、十字架の象徴としています。この調弦法によって隣り合わせの2本がオクターブとなり、メロディーのオクターヴでの演奏が簡単になります。

 またこのソナタ集には様々な形式の混合が見られます。アタナシウス・キルヒャーが言うところの「スティルス・ファンタスティクス」(Musurgia universalis 普遍音楽、1650年) による即興的なプレリュード (1番、5番、10番、14番) 、バリエーション形式の舞曲 (4番のシャコンヌ、16番のパッサカリア)。典礼を前提としていなかったのもあり、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、ガヴォットといった舞曲を多く取り入れ、当時ドイツ語圏で組曲という意味としても使われた"Partia"の形をとっています。これらの舞曲には変奏 (Variatio, Double) がついているものもあります。また、アリアとそれに続く変奏もあり、11番は復活祭賛歌"surexit christus hodie"をテーマとしています。

 15の神秘の最後に付け加えられているパッサカリアには守護天使の絵がついています。g-f-es-d ( ソ、ファ、ミ♭、レ ) の4つの音をオスティナートバスとしての( 65回繰り返されます ) 変奏曲ですが、この4つの音から成るテトラコードには守護天使への賛歌 "Einen Engel Gott mir gegeben" (ケルン、1666年) や、賛美歌 " Süßer Jesus, süßer Christus " ("dolcis christe" グランチーニ作曲、1646年) との関連を見ることができます。
 1571年10月にレパントの海戦においてトルコ軍に対して勝利を収めたことを記念し、教皇ピオ5世が10月7日をロザリオの祝日と定めました ( 10月はロザリオの月とされています)。また1670年クレメンス10世が守護天使の祝日を10月2日とし、ロザリオの祝日と守護天使の祝日を一緒に祝う習慣があったと言われます。ビーバーはこの習慣に従い、最後に守護天使のパッサカリアを付け加えたのではと推測されます。(阿部千春)


本日の演奏について

 ピッチは時代・地域により異なっていました。1939年ロンドンでの国際会議で、a'=440Hzと定められ、現在では442〜443Hzがよく使われています。
  ビーバーの時代のハプスブルク圏では教会においてヴェネチアの高ピッチ、宮廷などその他でそれよりも半音低いピッチが使われることが多かったのですが、ザルツブルクにおいては高ピッチ(約465Hz) が一貫して使われていたようです(ブルース・ヘインズ著 "A history of performing pitch" より)。 本日の演奏ではこのピッチを採用しています。
 また使用するヴァイオリンには当時のセッティングと同様、金属の巻線なしでのガット弦、弓はザルツブルク大聖堂で発見された17世紀の弓のコピーを用い、当時に近い響きを想定しています。


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【過去の公演】
2015年9月7日 《17世紀イタリア・ヴァイオリン音楽の精華》
阿部千春(バロック・ヴァイオリン)+大井浩明(チェンバロ)

●ビアージョ・マリーニ (1594-1663):ヴァイオリンのための変奏ソナタ第3番 (1629)
●ジョバンニ・バッティスタ・フォンターナ (1589?-1631):ソナタ第6番 (1641)
●カルロ・ファリーナ (c.1600-1639):ソナタ “ラ・デスペラータ”(1628)
●マルコ・ウッチェリーニ (c.1610-1680):ソナタ第3番 “ラ・エブレア・マリナータ”(1645)
●ジョバンニ・アントニオ・パンドルフィ・メアッリ(1624-c.1687):ソナタ “ラ・クレメンテ” 作品3-5 (1660)
  (休憩)
●アンジェロ・ベラルディ (c.1636-1694):カンツォーネ第1番作品7 (1670)
●アレッサンドロ・ストラデッラ (1639-1682):シンフォニア第6番(1670s)
●カルロ・アンブロジオ・ロナーティ (c.1645-c.1712):ソナタ第5番(1701)
●アルカンジェロ・コレッリ (1653-1713):ソナタ作品5-10 (1700)


2009年7月25日 W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのパリ・ソナタ集 (全6曲、1778)
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)

●ト長調K.301 (293a) 全2楽章
●変ホ長調K.302 (293b) 全2楽章
●ハ長調 K.303 (293c) 全2楽章
 (休憩)
●ホ短調 K.304 (300c) 全2楽章
●イ長調 K.305 (293d) 全2楽章
●ニ長調 K.306 (300l) 全3楽章


2010年10月13日 W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのアウエルンハンマー・ソナタ集 作品2 (全六曲) (1778/81)
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)

●ヘ長調K.376(374d) 
●ハ長調K.296
●ヘ長調K.377 (374e)
 (休憩)
●変ロ長調K.378 (317d)
●ト長調 K.379 (373a)
●変ホ長調 K.380 (374f)


2012年2月10日 ピリオド楽器によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ全曲シリーズ 最終回
阿部千春(クラシカル・ヴァイオリン) 大井浩明(フォルテピアノ)

●ソナタ第40番 変ロ長調 K.454 (1784/1784出版)[全3楽章] Largo/Allegro - Andante - Allegretto
●フランスの歌《羊飼いの娘セリメーヌ》による12の変奏曲 ト長調 K.359(374a) (1781/1786出版)
●ソナタ第41番 変ホ長調 K.481 (1785/1786出版)[全3楽章]
 (休憩)
●《泉のほとりで》による6つの変奏曲 ト短調 K.360(374b)(1781/1786出版)
●ソナタ第43番 ヘ長調 K.547 (1788)[全3楽章]
●ソナタ第42番 イ長調 K.526 (1787/1787出版)[全3楽章]
●ソナタ第39番 ハ長調 K.404(385d)(1782)[全2楽章]
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# by ooi_piano | 2016-12-24 14:34 | コンサート情報 | Trackback | Comments(0)

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【ポック[POC]#29】
2016年12月23日(金・祝)18時開演(17時半開場)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) 
[三公演パスポート8000円] 12/23(バルトーク)+1/22(ストラヴィンスキー)+2/19(ソラブジ)


【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
チラシ表側(pdf)  チラシ裏側(pdf)



ベラ・バルトーク(1881-1945):
ラプソディ Op.1 Sz.26 (1904) 21分
  Mesto/Adagio - Piùvivo - Presto
14のバガテル Op.6 Sz.38 (1908) 24分
  I.Molto sostenuto - II.Allegro giocoso - III.Andante - IV.Grave 〈俺が駆け出しの牛飼いだった頃...〉 - V.Vivo 〈ああ、家の前で...〉 - VI.Lento - VII.Allegretto molto capriccioso - VIII.Andante sostenuto - IX.Allegretto grazioso - X.Allegro - XI.Allegretto molto rubato - XII.Rubato - XIII.Lento funebre 〈彼女は死んだ...〉 - XIV.Valse, Presto 〈恋人が踊っている...〉

 (休憩10分)

東野珠実:《星筐(ほしがたみ) IV》(2016)(委嘱新作・世界初演)
ベラ・バルトーク:アレグロ・バルバロ Sz.49 (1911) 3分
3つの練習曲 Op.18 Sz.72 (1918) 8分
  I.Allegro molto - II.Andante sostenuto - III.Rubato/Tempo giusto
舞踏組曲 Sz.77 (1925) 17分
  I.Moderato - II.Allegro molto - III.Allegro vivace - IV.Molto tranquillo - V.Comodo - VI.Finale; Allegro

 (休憩10分)

c0050810_6203012.jpgピアノ・ソナタ Sz.80 (1926) 13分
  I.Allegro moderato - II.Sostenuto e pesante - III.Allegro molto
戸外にて Sz.81 (1926) 15分
  I.笛と太鼓で - II.舟歌 - III.ミュゼット - IV.夜の音楽 - V.狩
弦楽四重奏曲第4番 Sz.91 〔全5楽章〕(1928/2016、米沢典剛によるピアノ独奏版・世界初演)  23分
  I.Allegro - II.Prestissimo, con sordino - III.Non troppo lento - IV.Allegretto pizzicato - V.Allegro molto

 [Péter Bartók(1924- )による最終校訂エディション(1991/2009)使用]




東野珠実:《星筐IV Hoshigatami IV –Tokyo 2016.12.21.19:44 for Piano》 (2016、委嘱新作初演)
c0050810_4315165.jpg 音楽の楽しみは、響きの宇宙に星座を見いだす歓びではないか、と私は考えます。『星筐』(ほしがたみ)は、このコンセプトをもとに創作した雅楽合奏のための作品にはじまり(平成十三年度国立劇場作曲コンクール第一位・文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞)、以後、連作として様々な形態の表現を模索しています。
 今回、大井浩明氏のピアノソロコンサートプロジェクト”POC”の第29回公演タイトルにちなんで、「先駆的」という創作のリクエストをいただき、古今東西の楽譜というメディアについて思考を巡らし、私なりに当代のアプローチを行うこととしました。
 さて、先に“響の星座”という言葉を用いましたが、奈良で発掘されたキトラ古墳に記される星宿のように、古来、人々は無数の星々に意図的な縁を読み取り、天と人とのつながりに特別な思いを抱いています。かく言う私は古代より宇宙を表す音楽である雅楽の世界におりますが、本作のアイデアは、雅楽に出会うずっと以前、幼少期の記憶にさかのぼります。それは、まだ文字も書けない頃に初めて覚えた五線譜という記号の世界、そして、父の運転する自動車の窓から仰ぎ見る星空にいつも掛かっていた電線です。(身長100cmの視線は車窓を仰いで常に天空に向かっているのです (^_^)。すなわち、星空に向かって初めて覚えた“見立て”の技と、思考のフィルターを重ねて物事を観る楽しさ、喜びの感覚です。こんなことは皆が経験する些細な遊びですが、本作では、その遊びを当代のメディアに載せ替えて楽しんでみようという趣向です。
c0050810_4325525.jpg そこで、本年の冬至にあたる日時の星図に五線譜を重ね、大小の星々が音符として浮かぶよう作譜をし、《星座譜》と名付けました。複数の五線譜を重ね、透過して重なる音符の影をもって音の空間的な奥行きを表記する試みは笙と竽フためのMobius Link 1.1(1992年)という作品ですでに行っており、雅楽の文字譜に従って五線譜を縦に進行するルールなども指示しておりますが、当時、トレーシングペーパーなどを用いた透過表記の手法も、今や、コンピュータの画像処理によって簡単に実現することができます。もちろん、スタンダードな白黒の紙媒体の楽譜に落とし込むことを念頭にしつつも、現実の星々が夜空に色彩をもって大小に輝く姿も重要な演奏情報として取り入れることを意図し、CG画像表示メディア(iPad等)の併用を試み、表現方法の異なるレイヤーを行き来しながら演奏解釈のテーマ性、自由度を拡張させることを考えました。また、今回の星座譜においては、あえて譜表やテンポの指示もせず、多様な“見立て”が可能なよう、最低限のルールを配することとしました。
 演奏とは、一種、奏者による音響情報処理の結果です。しかし、それは客観的に数値化された事象を処理する機械的な作業とはまるで異なり、奏者の技量や経験、思考によって常に新たに生み出される時間の造形です。一般に楽譜という時系列に基づいたスクロール系の表記法に対して、一面の地図を広げて冒険に乗り出すような、さらには宇宙のように、図上にまだ表されていないような発見のチャンスを期待させるような楽譜があったらとの思いを巡らせます。
 さて、星図で設定した冬至は、天文学上は太陽黄経が270度になる瞬間を表し、いうまでもなく古代より様々な民族が重要視する暦の起点です。奏者が見出す音の星座を聴覚で観察し、時を満たす音の宇宙のなかで、おのおの“こころの筐(かたみ)に星をあつめて”いただければ幸いです。(東野珠実)



東野珠実 Tamami TONO, composer
c0050810_4333350.jpg  国立音楽大学作曲学科首席卒業。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科修了・義塾長賞受賞。ISCM、ICMC、国立劇場作曲コンクール第一位/文化庁舞台芸術創作奨励特別賞等受賞。雅楽を芝 祐靖、豊 英秋、宮田まゆみらに師事し、90年より笙奏者として国立劇場公演はじめ、タングルウッド音楽祭、ウィーンモデルン等、国内外の公演に参加。 Yo-Yo MA、坂本龍一らに招聘されるなど、創作・演奏を通じ国内外で多彩な活動を展開。雅楽演奏団体伶楽舎、現代邦楽作曲家連盟所属。
  代表作:雅楽のための『星筺(ほしがたみ)』、国立劇場委嘱『月香楽』、JAXA宇宙文化プロジェクト『飛天』、東京国際フォーラム開館記念創作ミュージカル『モモ』、石川県白山市立白嶺小中学校校歌『水と光と大地』、浄土真宗本願寺派伝灯奉告法要音楽等。
  CD『祝賀の雅楽』、『Breathing Media ~調子~』、雅楽古典曲笙調子全曲録音(平成23年度文化庁芸術祭参加作品)、John Cage『Two3,Two4』世界初全曲録音ほか。





音楽史の中のバルトーク ~後世への影響を中心に ───野々村 禎彦

c0050810_639874.gif バルトーク・ベーラ(1881-1945) は農業学校校長で音楽愛好家の父とピアノ教師の母の間に生まれ、幼時から音楽に親しんだ。父は32歳で早逝したが、母はピアノの才能に恵まれた息子を「天才少年」として売り出して生計を立てようなどとはせず、通常の教育を受けさせた。バランスの取れた教養を身に着けたことで、彼は多面的な人生を歩むことになった。

 今日の視点からは、彼はまず作曲家である。ドイツ圏では「3大B」はJ.S.バッハ、ベートーヴェンとブラームスないしブルックナーだが、普遍的視点に立てば3人目はむしろバルトークが相応しい、と通俗的にも言われる。鍵盤楽器のための練習曲に注力した点ではバッハ、弦楽四重奏曲に注力した点ではベートーヴェンの後継者であり、姓がBで始まる(ハンガリー語の姓名の順は日本語と同じ)有名な作曲家というだけの19世紀後半のふたりとは格が違う、ということだ。ただし、「3大B」という発想自体がドイツ音楽影響圏に特有のものであり、このような見方は、米国や日本のようなこの文化圏の周縁諸国が、彼に「周縁代表」を仮託した結果なのだろう。

c0050810_640769.gif だが、同時代におけるバルトークは、まずハンガリーを代表するピアニスト=ピアノ教師であり、次いで民謡研究で名高い音楽学者であり、知る人ぞ知る作曲家だった。本日最初の曲《ラプソディ》(1904) は、彼の伝統的な作曲修行の集大成=作品1であり、そのピアノ協奏曲版(1905) を携えて同年のアントン・ルビンシテイン国際コンクールに参加した。作曲部門は奨励賞に留まったが(この曲ですら斬新すぎるとされる、19世紀後半を代表するヴィルトゥオーゾが始めたコンクールらしい基準)、ピアノ部門ではバックハウスと優勝を争った。当代随一の国際コンクール2位という輝かしい経歴を携えて、彼は1907年に母校ブダペスト音楽院ピアノ科教授に着任し、リリー・クラウス、シャーンドル・ジェルジ、アンダ・ゲーザ、フリッツ・ライナー、アンタル・ドラティらを輩出した。自作演奏とシゲティの伴奏を中心とするCD数枚分の録音を聴いても、「作曲家としては」という但し書きを全く必要としない、ラフマニノフに匹敵する20世紀前半を代表するピアニストだったことがわかる。

 ただし、彼の意識の中では作曲と民謡研究は不可分の芸術行為であり、それと比べたらピアノ演奏や教育は生計を立てる手段にすぎなかった。1934年に科学アカデミー研究員として民謡研究に専念する職が提示されると、彼は喜んでピアノ科教授を辞している。その真意は、ナチスドイツの「頽廃音楽を排し国民音楽を称揚する」という方針に従って、民俗音楽研究を強化する一方で、不穏分子を音楽教育から遠ざけることだったのだが… 彼は祖国とナチスドイツとの関係が強まるにつれて亡命を考え始め、1939年に母を看取ってから亡命先に米国を選ぶ決め手になったのは、コロンビア大学の客員研究員としてハーヴァード大学の民俗音楽資料を分析する職が見つかったことだった。

                  *********

c0050810_6405938.gif 彼が独自性の高い作曲を始める契機になったのは、1906年からコダーイ・ゾルタン(1882-1967) と民謡収集を本格的に始めたことだった。翌年にコダーイ経由でドビュッシーの音楽を知り、民謡に見られる機能和声とは相容れない音組織が、ドビュッシー作品にも現れていることは啓示になった。民謡収集は近代化とともに失われてゆく過去を記録する学問的行為に留まらず、未来の音楽へ向かう道標にもなるということだ。オリジナル民謡に極力手を加えずに合唱曲や器楽曲に編曲することと、民謡から受けた霊感と同時代の音楽を融合した創作が、彼の音楽活動の両輪になった。前者の最初の代表作がピアノのための《子供のために》(1908-09)、後者の出発点が《14のバガテル》(1908) である。後者の作曲時点で彼が参照できたのは《版画》《映像》までのはずだが、この曲集には《子供の領分》《前奏曲集》を思わせる曲も含まれており、「その後のドビュッシー」をシミュレーションできるほど彼の理解は深かった。この曲集と《10のやさしい小品》(1908) でピアノ書法を掴むと、素材は民謡だが「ベートーヴェン第17番」のように響く弦楽四重奏曲第1番(1908-09) を挟んで、今度はドビュッシーの管弦楽書法を研究した。その成果が結実したオペラ《青髯公の城》(1911) の直後に書いた《アレグロ・バルバロ》(1911) は、音楽上の親殺しに他ならない。彼はドビュッシーを終生リスペクトし、《前奏曲集》全曲はピアニストとしてのレパートリーだった。米国議会図書館でのシゲティとのリサイタルでも、自作とともにドビュッシーのソナタを取り上げている。

 今日では20世紀を代表するオペラのひとつに数えられる《青髯公の城》は、作曲の動機となったオペラのコンクールには入賞すらできず、コダーイと始めた新ハンガリー音楽協会のコンサートも、演奏水準も聴衆の反応も惨憺たるもので、早々に活動を休止した。失意の連続に作曲への意欲は失われ、ピアノ演奏と教授以外の時間は民謡収集と分析に専念する日々が続く。民謡研究を進めるうち、ハンガリー周縁部に残るルーマニア民謡やスロヴァキア民謡の方が、学問的にも音楽的にも興味深いことに気付き、あくまでハンガリー民謡に研究対象を絞ろうとするコダーイとの違いが鮮明になってきた。多地域の民謡の比較を進める中で,、1913年にはアルジェリアまで足を伸ばしている。だが、このような調査は第一次世界大戦が始まると困難になり(さらに大戦が終わると、ハンガリーは周縁部の領土の大半を失ったためより困難になり)、彼は作曲に復帰する。

 《青髯公の城》は彼の創作史では突出して尖鋭的な作品のひとつで、《かかし王子》(1914-17)、《ピアノ組曲》(1916)、弦楽四重奏曲第2番(1915-17) 等よりも後の作品にすら聴こえる。だが、《青髯公の城》初演と同年の《3つの練習曲》(1918) は一転して極めて無調的であり、無調以降のシェーンベルク作品研究を窺わせる。彼は民謡研究と同じスタンスで同時代の音楽も収集・分析し、創作に生かした。《中国の不思議な役人》(1918-19/24) は《練習曲》の延長線上にストラヴィンスキー《春の祭典》の色彩とリズムの実験、さらにディーリアス《人生のミサ》の声楽書法も加え、この時期のモダニズムの最良の成果が凝縮されている。2曲のヴァイオリンソナタ(1921, 1922) も《練習曲》に連なる作品だが、今度は同一編成のシマノフスキ《神話》を参照している。このソナタ第1番のパリ初演にはラヴェル、シマノフスキ、ストラヴィンスキー、ミヨー、オネゲル、プーランクらが顔を揃え、バルトークも彼らと並ぶヨーロッパを代表する作曲家のひとりだと認知された。

c0050810_6415421.gif 《舞踏組曲》(1923/25) はブダペスト市制50周年記念式典の祝典曲であり、この時期には異質な民謡素材を素で用いた平明な組曲だが、彼が研究してきたハンガリー、ルーマニア、スロヴァキア、アラブの民謡を対等に並べ、右派ナショナリズムを掲げる当時の政権に異を唱えている。難航していた《中国の不思議な役人》の管弦楽化も済ませると(この際にストラヴィンスキーの新古典主義を研究した)ピアノ曲に集中的に取り組み、ピアノソナタ(1926)、《戸外にて》(1926)、ピアノ協奏曲第1番(1926) を一気に書き上げた。《ミクロコスモス》(1926/32-39) に着手したのもこの年だ。久々に作曲に集中すると創作意欲も高まり、弦楽四重奏曲第3番(1927)・第4番(1928) と、代表作が矢継ぎ早に生み出されてゆく。それまでの作品は、民謡素材と同時代の音楽語法を融合する手腕が聴き所だったが、この時期からは「バルトークがどのような語法を生み出したか」が聴き所になっている。また、弦楽四重奏曲第4番は抽象性では彼の頂点と看做される作品でもあり、ピアノ編曲は特に興味深い。

 続けてヴァイオリンとピアノのための《ラプソディ》2曲(1928)、《カンタータ・プロファーナ》(1930)、ピアノ協奏曲第2番(1930-31) を書いたが、長年構想を暖めていた《カンタータ》以外はいずれもピアニストとしてのレパートリーを増やすことを意図していた(2曲のヴァイオリンソナタは技術的にも内容的にも高度で演奏者もプログラムも選ぶため、アンコールでも取り上げられる程度の曲が必要だった)。これは彼のピアニスト=作曲家としての名声が高まり、演奏機会が増えたことを反映している(ピアノ協奏曲の初演はいずれもフランクフルトで、第1番はフルトヴェングラー指揮、第2番はロスバウト指揮)。また民謡編曲によるヴァイオリン二重奏練習曲集《44の二重奏曲》(1931) もこの時期に書かれ、《ミクロコスモス》の作曲も1932年から再開した、

 彼はストラヴィンスキーのように日課として作曲するタイプではなく、意欲の涌いた時に集中的に行うタイプだが、だからこそコツコツ積み上げる民謡分析の作業とは相補的で相性が良かった。彼の創作意欲に次に火が点くのは1934年、晴れてピアノ科教授を辞して民謡分析が本業になった時だ。弦楽四重奏曲第5番(1934)、《弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽》(1936)、《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》(1937) と、再び代表作が並ぶ。特に後2作を(後に《ディヴェルティメント》(1939) も)委嘱したパウル・ザッハーは、この時期の彼の創作を支えた人物である。ただしこの背景には、ナチスドイツが「頽廃音楽」の排斥を進めたため、中立国スイスでバーゼル室内管弦楽団を率いるザッハーからの委嘱の比重が相対的に高まったことがある。

c0050810_703453.gif 《コントラスツ》(1938)、ヴァイオリン協奏曲第2番(1937-38)、《ディヴェルティメント》、弦楽四重奏曲第6番(1939) というヨーロッパ時代末期の作品が軒並み全音階的で穏健なのは、意識の上では既に「亡命モード」に入っていたからだろう。彼の母はハンガリーを離れることを拒み(弦楽四重奏曲第6番の作曲中に死去)、また収集した民謡資料のうちハンガリー民謡分は出版計画のため亡命前に分析を終える必要があり、亡命は1940年10月までずれ込んだ。彼には米国での生活は水が合わず、渡米直後に《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》の協奏曲化を行った他は、作曲は全く進まなかった。ヨーロッパ時代のような著作権料収入と演奏活動を想定して、学問的関心を優先して低収入の非常勤職を選んだものの、米国が第二次世界大戦に参戦すると敵国になった祖国からの送金は途絶え、ピアノ演奏の機会も異国からの客人であった時ほどには得られず、生活は困窮してゆく。1943年に入ると白血病を発症して療養生活を余儀なくされ、絶望的な状況に向かうかに見えた。

 だが、この期に及んで米国の音楽家たちが援助の手を差し伸べた。自尊心の高い彼は施しを嫌ったが、ブダペスト音楽院の後輩で米国社会に適応したライナーとシゲティは、ボストン交響楽団常任指揮者クーセヴィツキーを介し、新作委嘱の前渡金として当座の資金を渡すことに成功した。こうして生まれた《管弦楽のための協奏曲》(1943) は、顧みられることが減った新古典主義後期の華やかな作品群中では例外的に、今日でも20世紀音楽トップクラスのポピュラリティを保っている。久々に大管弦楽作品を書き上げて自信を取り戻し、メニューインの委嘱で書いた無伴奏ヴァイオリンソナタ(1944) は最後の代表作になった。シャリーノ《6つのカプリース》(1976) をはじめ、20世紀においても無伴奏ヴァイオリン曲の大半はパガニーニやイザイの流れを汲むヴィルトゥオーソ小品だが、この作品はJ.S.バッハ直系の潜在ポリフォニー上に緻密に構築された大曲であり、中期を特徴付ける特殊奏法と後期を特徴付ける微分音が現代的な色彩を添えている。

c0050810_712328.gif 弦楽四重奏曲第7番、2台ピアノのための協奏曲(いずれも計画のみ)、ヴィオラ協奏曲(辛うじて補筆完成可能な草稿まで)など彼は多くの委嘱を受けたが、それよりも妻ディッタのためのピアノ協奏曲第3番(1945) を優先し、死の床で17小節のオーケストレーションのみを残すまで仕上げた。彼には珍しいシンプルで透明な音楽は、妻がソリストを務めることを前提にしたためでもあろうが、このような宗教的な簡素さは、《ミクロコスモス》の最良の数曲にも既に現れていた方向性であり、彼にあと数年の時間が残されていれば、この方向での探求をさらに深めていたかもしれない。 (つづく)


   
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# by ooi_piano | 2016-12-13 04:13 | POC2016 | Trackback | Comments(0)


1月22日(日) ストラヴィンスキー特集