[増補]3月10日(火) 第11回公演

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大井浩明 Beethovenfries
16 Dec 1770 - 26 Mar 1827


第十一回公演 《宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない》
Im Weltall hört dich niemand schreien.

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京都文化博物館 別館ホール
(旧日本銀行京都支店、明治39年竣工/重要文化財)
2009年3月10日(火) 18時30分開演

【使用楽器】
ジョン・ブロードウッド John Broadwood 1816年 ロンドン製
73鍵(CC-c4) イギリス式アクション 音域別に2分割された木製ダンパーペダルならびにウナコルダ・ペダル
 
マテーウス・アンドレアス・シュタイン Matthäus Andreas Stein 1820年頃 ウィーン製
75鍵(FF-g4) ウィーン式アクション ペダル4本(ウナコルダ、ファゴット、モデラート、ダンパー)
[どちらもフォルテピアノ・ヤマモトコレクション蔵]


【助成】
アサヒビール芸術文化財団  (財)ローム ミュージック ファンデーション 芸術文化振興基金  朝日新聞文化財団

【参加公演】
関西元気文化圏

【協力】
アクティブKEI


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《演奏曲目》

ソナタ第27番ホ短調Op.90(1814)
 第1楽章 Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck
 第2楽章 Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen

ソナタ第28番イ長調Op.101(1816)
 第1楽章 Etwas lebhaft und mit der innigsten Empfindung / Allegretto, ma non troppo
 第2楽章 Lebhaft, Marschmäßig / Vivace alla Marcia
 第3楽章 Langsam und sehnsuchtvoll / Adagio, ma no troppo, con affetto
 第4楽章 Zeitmaß des ersten Stückes / Tempo del primo pezzo: tutto il Cembalo ma piano
- Geschwinde, doch nicht zu sehr, und mit Entschlossenheit / Allegro

有馬純寿:フォルテピアノのための《琥珀のソナチネ》(2009、委嘱新作世界初演)

【休憩15分】

第29番変ロ長調Op.106「ハンマークラヴィーア(Hammerklavier)」(1817/18、ロンドン初版に基づく)
 第1楽章 Allegro
 第2楽章 Adagio sostenuto / Appassionato e con molto sentimento
 第3楽章 Scherzo: Assai vivace - Presto - Prestissimo - Tempo I
 第4楽章 Introduzione: Largo - Un poco più vivace - Tempo I - Allegro - Tempo I - Prestissimo
- Allegro risoluto: Fuga a tre voci, con alcune licenze



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有馬純寿
フォルテピアノのための《琥珀のソナチネ》


このコンサートシリーズに足を運んでいる方にはすでにお分かりだと思うが、フォルテピアノという楽器は一般的に思われているような現在のピアノの前身あるいは発展途上にある楽器といったものではまったくなく、むしろ現在のピアノとはまったく異なる音の嗜好や方向性を持つ「ありえたかもしれないもうひとつのピアノ」といえるのではないだろうか。

ツィンバロンなどの打弦楽器にも近い減衰の短い「弦」の響きそのもの音色、音域そして強弱によって異なる音色のパレット、軽量の消音機構がもたらす独特の残響感、音量よりも音色変化装置として働くウナコルダ・ペダルなど、現在のppppからffffまで安定して均一な響きを生み出そうとする重厚長大なピアノが進化の過程でそぎ落としていった、さまざまな魅力的な響きの「味」を持つ。

しかも一口にフォルテピアノといっても、年代やアクション機構の違いなどにより、それぞれの楽器の響きはこれまたひと括りにはできない。ちょうど同じエレクトリック・ピアノといってもフェンダーローズとウーリッツァーが別の楽器として認識されているように。
そうしたフォルテピアノの響きは、もしピアノの前身という先入観を持たず音のみを聞いたとしたら、ある種の民族楽器の音色を想起するかもしれない。さらには弦にボルトやゴムをはさみ多彩な音色を生みだすプリペアド・ピアノに近い楽器と感じる可能性すらあるように思える。少なくとも自分には、フォルテピアノはピアノ前史の古ぼけた古楽器としてではなく、ユニークな音のパレットをもつ未知の楽器として立ち現れた。


《琥珀のソナチネ》はそうしたフォルテピアノの音色の特徴を、できるだけストレートに聴かせようとした意識しながら作曲を進めた。タイトルが示すとおりこの曲は小さな6つの部分からなる小品で、調性感のある短い密集和音、高音域の点描的な旋律、句読点のような最低音域の単音という3つの素材を用い、それぞれが部分ごとに異なる方法で音高とリズムの乱反射をおこしながら進んでいく。

曲全体をとおして3/4拍子ではあるが、表拍と裏拍のニュアンスの違いなど、拍節のイントネーションを意識したため、楽譜上は一見複雑なリズムとなっており、さらには音楽の流れは時折足を止めるので、結果的にぎくしゃくとした時間の連なりを生み出している。またほとんどの部分はppからmf程度の音量となっている。

作曲に際し、この曲のために作成したプログラムによる音素材の生成から楽譜化まですべての行程でコンピュータを用いている。


c0050810_23185731.jpg《琥珀のソナチネ》という曲名は、長い年月を経て生まれた小さな宝石を意味する。だが「ソナチネ」という言葉が暗示する「小ささ」は、単に曲の長さや楽章数などの「小ささ」を指すのではなく、音量や音域の増大をひたすらめざしたピアノ音楽史の展開とは真逆の、さまざまな要素を「より小さくする」技術があったとしたどんな楽器や音楽が生まれただろうか? という夢想にもとづく。

また、「琥珀」も石化した樹脂という年代を経たものの代名詞としてだけではく、偶然にも琥珀に閉じこめられた昆虫や種子などが、現在は途絶えてしまった驚くべき生命の進化史の枝葉(たとえば最長9mにも達するという古代の菌類「プロトタキシーテス」)をいまに伝える、時としてタイムカプセルとなる琥珀のイメージとしての意味合いのほうが強いかもしれない。
そういえばフォルテピアノの楽器の色も、現代の黒光りするそれと異なり、木目が映える美しい琥珀色だ。


さて、曲についての能書きはこれくらいにして、ベートーヴェンの後期の大曲に挟まれた間奏曲として、まずは楽しんで聴いていただけ幸いである。大井氏の演奏によって、フォルテピアノのキュートで鮮やかな響きが広がることを期待しつつ。


有馬純寿
1965年生まれ。エレクトロニクスやコンピュータを用いた音響表現を中心に、実験音楽、即興演奏、現代音楽などジャンルを横断する活動を展開している。作品もライブ・パフォーマンスからCD、サウンド・インスタレーションなど幅広い。また現代音楽作品の電子音響の演奏家としても、また室内アンサンブルのメンバーやソリストとして、これまでに多くの電子音響を伴う作品の演奏を手がけ高い評価を得ている。本年は70年代までの日本の電子音楽作品を集めたコンサート、篠崎史子(harp)、大石将紀(sax)との器楽と電子音響のための作品を集めた演奏会などが予定されている。会田誠、小沢剛ら同年生まれの作家との「昭和40年会」をはじめ美術家とのコラボレーションも多く国内外の展覧会への参加も多い。ソロCDに『Archipelago』、『A Study in helix』などがある。現在、帝塚山学院大学人間文化学部准教授。


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フォルテピアノとの出逢い

                      正田朝子

c0050810_1753202.jpg 「これはいけるかもしれない。」私はその時、フォルテピアノのレクチャーコンサートの会場で、モーツァルトの演奏に釘付けになっていた。今まで体験したことのない、鮮やかな音がフォルテピアノから紡ぎだされていた。私が長い間ずっと、自分のモーツァルト演奏に持っていた不満が解消されるかもしれないという光が、射し込んで来た。「この楽器を弾いてみたい!」。

 それまでも、フォルテピアノに接する機会がないわけではなかった。オーストリアやドイツを旅行した際には、モーツァルトやベートーヴェンなど作曲家ゆかりの記念館や楽器博物館で、何度か目の当たりにした。最初は、「え、これが、こんな華奢な楽器が、ベートーヴェンが使っていたモノ?!」と肩すかしをくらった感じだった。幼少の頃からピアノを習って来たけれど、「ベートーヴェンの作曲は楽器の発達とともに」などと本で読んだりもしていたけれど、当時作曲家が実際にどんな楽器を使っていたのか、正直あまり考えたことがなかったのだ。実物を目の前にすると、「てことは、後期のソナタも、こんな小さな楽器で弾いていたんだ・・・」とその大きさが意外に思えた。

 ただし、そういう博物館では、生の音はなかなか聴くことができない。なので日本で、何回かレクチャーコンサートに足を運んでみたりもした。ただ、そういう場だとクラヴィコードから始まって様々な楽器を紹介することが多かったり、広い会場で楽器が遠かったりで、なんとなく「こんな楽器もあるんだぁ、この楽器はこんな音かぁ」で終わってしまっていた。だが、この日のレクチャーコンサートは、モーツァルトに的をしぼって解説と演奏をしてくれて、フォルテピアノならではのモーツァルトの響きを楽しむことができた。パラパラと本当に軽やかなタッチ、弱音ペダルを使った時のハッとするような暗くくぐもった音色。そして語りかけてくるようなアーティキュレーションや間合いなど。私はそれまで、モーツァルトを弾きながら「きっと楽譜にはもっと素敵で面白いことが書かれているはずだと思うのに、それがわからない、掘り出せない」と、自分の演奏のつまらなさにウンザリ、がっかりしていた。どうやれば、生き生きとした演奏になるのか。四角四面でない、かといってロマン派的なアプローチは何か違う、何かもっと「語る」ような演奏はどうしたらできるのか。…というようなことを、ぼんやりと感じ続けていた。それがこの日のレクチャーコンサートの演奏を聴いて、「自分はこんな演奏がしたいんだ、こういう手法(?)を学びたい!」と興奮してしまったのである。

c0050810_17551554.jpg 実は私はこれより前に、本当に少しだけチェンバロをかじったことがあるのだが、その時も「今まで現代ピアノで苦労してバッハとか弾いていたのは、何だったの?」と思ったのだった。チェンバロならば、各声部が立ち上がるように現れてくれるし、なんかもったりしていたパッセージがくっきりと輪郭を描いてくれる。この楽器を使えば、表現したいことがとても楽にできそうだということを思い知らされたのだった。もちろんそれと、自分がチェンバロを弾けるようになるということとは、別物なのだが・・・。

 そんなわけで、このレクチャーコンサート以来、フォルテピアノを弾いてみたいという願いがおさまらず、迷ったけれど思いきってレッスンに行くことにしてしまった。全くの初心者だし、誰か知り合いに先生を紹介してもらったわけでもないし、我ながら無謀というか「先生に失礼かも・・・」と思わないでもなかった。もちろん自宅にフォルテピアノなどあるはずもないし、近い将来買える予定もない。けれど、チェンバロを習っていた時もやはり自宅に楽器がなくてもレッスンはしてもらえたし、きっとなんとかなるだろうとわりと楽観的に門を叩いたのだった。そこはアマチュアの強さ(図々しさ)と言われれば、そうなんだろうと思う。

 念願かなって、レッスンの初回。恐る恐る、フォルテピアノの鍵盤を押すと、「え、これで終わり?!」。鍵盤がとても浅いのだ。誤解を恐れずに言うと、おもちゃのピアノみたい。現代ピアノの感覚で弾くと、あっという間に音が割れてしまう。現代ピアノでの指の感覚からすると、弱音域くらいの狭い範囲で微妙に調整していく感じだ。どのくらいが適切なのか、先生にアドヴァイスをいただきながら、手探りで弾いていく。制御にものすごく神経を使い、気づいたら汗をかいていた。脱力どころの話ではない。息も止まっていたかもしれない(笑)。

 こんなおっかなびっくりのスタートだったが、レッスンに通うたびに、私はフォルテピアノの魅力の虜になってしまった。

c0050810_1756759.jpg まずは何と言っても、その軽やかなタッチ。「ころころと転がるような」というのは、こんな音色のことを言うのかと思う。そして更に、チェンバロのようにちょっとしたアーティキュレーションをつけやすいので、パッセージにぐっと表情が出てくる。このアーティキュレーションのつけ方は、チェンバロを習っていた時に教わったのと似ていることも多く、「なるほど、奏法というものは連続しているんだなあ」と納得した。考えてみれば当たり前だが、クラヴィコードもチェンバロもフォルテピアノも同時期に存在していたことがあるわけで、作曲家や演奏家は、これらの楽器をごく普通に弾き分けていたのだよなあと。ならば、全く断絶した奏法のわけがないよなあと。私が新鮮だったのは、「弾きにくい音型というのは、弾きにくいというそのことに意味がある」というようなこと。現代ピアノでは、少なくとも私は、弾きにくい箇所でもインテンポで弾けるように頑張ってさらうのが当たり前だったと思う。でもそうではなくて、間に合わないならばそういう時間が必要な音型ということで、間があいてもいい、間があかないとおかしい、それによって自然な流れができてくるんだと言われ、ハッとさせられた。そう考えると、いろいろなパッセージの音型の見え方が今までと違って来た。まあつまりは、自分は本当に読譜力がないということを、痛感しているわけだ。

 次の魅力は、音色の不均一さ。「不均一」と言うとマイナスイメージを抱きがちだが、そうではない。フォルテピアノは音域によって音色が均質でないので、高音は高音らしく低音はとても低音らしく、響いてくれるのだ。現代ピアノで弾くと「なんとなく全部中音域(実際、現代ピアノでは中音域になってしまうし)」という曲も、すごくダイナミックに響くのだ。恥ずかしながら、「あ、この曲のこの音は、もう最高音に近かったのか」と初めて意識したり、また低音の響きに圧倒されたり、それはそれは弾いていて楽しいのである。全体の音量は現代ピアノよりも小さいけれど、聴いた時の印象ははるかにスケールが大きいと思う。

 それからペダルの効果もすごい。フォルテピアノは音の減衰が早いので、ダンパーペダルを踏んでも現代ピアノのように音が濁らない。なので、ペダル踏みっぱなしにしていても、全然大丈夫なのである。この響き具合がなんとも魅力的。その昔、ベートーヴェンの楽譜とかでペダル記号に疑問を感じたこともあったけれど、フォルテピアノなら可能なんだと改めて思った次第だ。あとはなんといっても弱音ペダル。これを踏むと、ガラッと雰囲気が変わって、ぞくぞくしてしまう。現代ピアノだと弱音ペダルはなんだか単にボケた音になるだけな気がして、私は積極的に踏むことはなかった。だけど、フォルテピアノの弱音ペダルは、本当に「使わなきゃ損」だ。

c0050810_17554729.jpg フォルテピアノのレッスンに通い始めてほんのちょっと、入口に立ったところの私が実感として思いつくフォルテピアノの魅力はこんなところだが、これからもまだまだ楽しみが見つけられそうでワクワクしている。そのうち、ソロだけでなく弦楽器などとのアンサンブルもやってみたいなあと思ったりしている。フォルテピアノが伴奏をしているチェロソナタを生で聴いたのだが、フォルテピアノの音量だと全くチェロの邪魔をすることがなく、とてもバランスが良かったのだ。フォルテピアノが思いっきり弾いているのに、チェロがかき消されることなく朗々と響いていて、非常に心地よかった。このバランスを、一度自分でも体感してみたい。

 けれど自分はアマチュアで、当然のことだが現代ピアノを弾く機会が圧倒的に多い。「フォルテピアノじゃなきゃモーツァルトやベートーヴェンを弾く気にならない」とか言ってみたいけど、そうそう言えない(笑)。だから、フォルテピアノの弾き方を現代ピアノに少しでも反映させることができたらいいな、とも考える。チェンバロやフォルテピアノの奏法が連続しているのなら、フォルテピアノと現代ピアノの奏法も連続しているのだろうと思うのだが、まだ自分の中でうまくつながっていない。それでも、現代ピアノでモーツァルトを弾く時にもフォルテピアノの音が思い浮かべられるようになっただけでも、自分としては進歩なのかもしれない。また、私はチェンバロよりもフォルテピアノの方が弾きやすいと感じるので、それもフォルテピアノが現代ピアノと連続しているということなのかもしれない。

 と言いつつ実は、「次はやっぱりクラヴィコードも弾いてみたい」とも思っていたりするのである。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンも愛用していたというからには、弾いてみたらまた目からウロコなことがありそうだなあと、期待してしまうというもの。「弾いてみたい」と思っているだけなら誰にも迷惑をかけないし、まあ気長に温めておこうと思っている。
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by ooi_piano | 2009-03-07 22:55 | コンサート情報 | Comments(0)