3月17日(火) 第12回公演(その2)

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(承前)

「そして、フラウト・トラヴェルソへのとてもゆっくりしたアプローチ」

c0050810_0363997.jpgモダン・フルートを習い、リコーダーを習い始めていた頃、既に本命はフラウト・トラヴェルソしかない!という予感は十分過ぎるほど熟してきていました。でも、リコーダーの教師は探すことができたけれど、フラウト・トラヴェルソの教師はどうやって探せばよいのだろう???

とりあえず立ち止まって、形から入っていく事にしました。
樹脂製のフラウト・トラヴェルソは既に持っていましたが、やっぱり木材でできた「本物の」楽器を持ちたいと思うのは人情です。実は、この樹脂製のトラヴェルソは非常に高品質で、ちょっとやそっとの木製のトラヴェルソよりずっと良い楽器であるのを後に知るのですが、当時はまだそんな事も知りません。
木製のフラウト・トラヴェルソの市場価格は今よりもずっと高額でした。最初に木製のフラウト・トラヴェルソを入手したのは、妻が婚約の記念に買ってくれたものでした。その後、当時急速にポピュラーになりつつあったインターネットを使って、非常に多くの種類の楽器が世界中の楽器製作者によって製作されている事を知りました。様々な歴史的な楽器を元にした、様々な材質(ツゲ、黒檀、グレナディラ、象牙などなど)の楽器が非常にたくさんの楽器製作者により作られている。いやおうもなく興味が刺激されます。個人輸入を勉強して、丁寧に手紙を書いてカタログを貰って楽器を注文する方法を覚えていきました。

そうして異なる様式の笛を3本ほど輸入した頃、とうとう本気でフラウト・トラヴェルソを専門とする先生に習う事を決心しました。先生の手がかりが思いつかなかったので、新宿のフルート専門店、村松楽器に紹介をお願いすると、一も二もなく先生を推薦頂き、連絡先を教えてもらいました。こんなに簡単に先生が見つかるなら、もっと早くに調べれば良かった・・・。
すぐに電話を掛けるとさっそくレッスンの予約を受けて頂けました。とうとうフラウト・トラヴェルソを本格的に勉強できるんだ!


「そして、フラウト・トラヴェルソの初めてのレッスン」

c0050810_036544.jpg最初のレッスンで、挨拶もそこそこに持って行ったバッハやテレマンの無伴奏曲を吹くように言われました。そして真っ先に指摘されたのは、「音が強すぎる。音が汚いね、フラウト・トラヴェルソの美しい音が出る吹き方はフルートとは全く違うんだよ。」 

それまで、音は綺麗に十分に鳴っていると思っていました。でも、強すぎるんですか?そもそも、フラウト・トラヴェルソの美しい音ってどんな音なんだろう???

次に驚いたのは、作曲された当時に作曲者や写譜者が手書きした手稿譜や、作曲された時代に出版された初期印刷譜(これらはよくファクシミリ譜と呼ばれます)を教材として用いる事でした。現代に出版されている楽譜の中には、バロック期の演奏習慣などを全く考慮せず、ロマン派的な解釈で「改良」が加えられているものが多数ある為、何も知らずにそういう害のある「改良」を避けられるという意味で、当時のファクシミリ譜を使うというのは安全との事。なるほど、楽譜にも色々と落とし穴があるという事なのか。
落とし穴はともかく、当時の息吹が感じられるファクシミリ譜を使うと、より気分が盛り上がるという効果もありました。

最初のレッスンで、手持ちの楽器を3本持っていきました。一つは最初に入手した、アウロスの樹脂製のフラウト・トラヴェルソ、これはステインズビー・ジュニアというイギリスの楽器のレプリカ。二つ目は、デンナーというドイツの製作者の楽器に基づいて製作されたツゲ製の4本繋ぎのレプリカ。最後にオットテールというフランスの楽器に基づく3本に分かれる楽器のレプリカ。それぞれを試奏してもらったのですが、オットテールというフランスの楽器を試して頂いた時、「物凄い楽器だね、何で君はこんなの持っているの? オリジナル楽器の響きがするね、これは」。

オリジナル楽器の響き? 一体何の事だろう???

ともかく、楽器としてはオットテールのレプリカが一番素晴らしいという事が分かったのですが、楽器のピッチがちょっと特殊な為、レッスンでは415Hzの標準的なバロックピッチの楽器を使う事になりました。それから、このオットテールのレプリカ楽器は自分の中でフラウト・トラヴェルソの美しい音の基準点となっていきました。


「たくさんの発見」

c0050810_0355889.jpgレッスンに通い始めて、毎回新しい発見の連続でした。
フラウト・トラヴェルソは大音量はでないけれども、音量を小さくしていく事はとても得意で、楽器が出せる一番小さな音と一番大きな音の差である「ダイナミック・レンジ」は非常に大きい。息の変化に対する音質の変化もとても敏感で、またそれを時間的な微妙な変化を伴うようする事で積極的に表現に利用する事ができる。
強いタンギングと弱いタンギングを組み合わせて、アーティキュレーションをモダン・フルート以上にくっきりと掘り込んでいく事ができる。モダン・フルートのような「歌うような」表現はもちろん、アーティキュレーションを更に深く掘り込んでいく事でまるで「喋っているような・語りかけるような」表現もする事ができる。

昔、モダン・フルートでアーティキュレーションを極端に付けてみて違和感を感じましたが、それはモダン・フルートの生理に反した事をしているからで、フラウト・トラヴェルソでは生理に反する事なく、ごく自然にアーティキュレーションが付けられる事が分かってきました。

レパートリーの面でも、非常に大きく世界が広がりました。レッスンでは、ブラヴェ、オットテールといったフランス・バロックの重要作品が真っ先に取り上げられました。そこで用いられるイネガールと呼ばれる不均等な音の分割法、様々なバロック時代固有の装飾法などを学ぶ事により、今まで知らなかったバロック音楽の豊穣な世界が急激に広がっていきました。これらの技法を正しく用いる事により、一見単純な譜面のテレマンの音楽も、非常に濃厚に香りたつ素晴らしい美を示してくれる。

バロック音楽の基本的な語法を教えて頂くにつれて、表現の範囲が広がっていくのが分かりました。フラウト・トラヴェルソは、よく誤解されるような素朴な発展途上の楽器などでは決してなく、むしろその時代・時代のニーズに応じて極度なまでに洗練された、非常に深い表現力を備えた楽器だったのだとはっきりと知る事ができました。

フラウト・トラヴェルソの性質を知るにつれて、自分がフラウト・トラヴェルソに惹かれている理由がどんどんと明らかになってきました。フラウト・トラヴェルソは、私の求めていた弦楽器のような、あるいは人の声のような表現力を持つ楽器だという事を、はっきりと感じる事ができるようになってきたのでした。ここに至り、モダン・フルートの活動は完全に停止し、すべてのエネルギーをフラウト・トラヴェルソに注ぎ込む事にしました。

時に横道に逸れ、時に逡巡し、時に迷走し。ですが、それまでのすべての道が、フラウト・トラヴェルソにつながっていたのだと、今では強く確信する事ができます。それくらい、フラウト・トラヴェルソは自分にとって運命的な楽器であり、大切な出会いであったのだと思います。


「フラウト・トラヴェルソの美しい音」

c0050810_0373223.jpgさて、フラウト・トラヴェルソの最初のレッスンで指摘された、「フラウト・トラヴェルソの美しい音」とは何か。これは自分にとっての大テーマとなりました。
これを少しずつ感じる事ができるようになってきたのは、レッスンを通いはじめて相当経ってからだったと思います。フラウト・トラヴェルソの「芯」の音の周りに、オーラのように漂う「響き」。この、微妙な響きの美しさこそがフラウト・トラヴェルソの美の核心と感じるようになりました。

どうすれば楽器から響きを十分に引き出す事ができるでしょう。簡単な答えはないかも知れませんが、特にモダン・フルートを吹いていた人達がはまりやすい問題を指摘する事はできます。それは息の圧力の強さです。とにかく、フラウト・トラヴェルソが反応する息のスピード、圧力は、モダン・フルートよりもずっとずっと弱いのです。ですので、モダン・フルート経験者にとって一番重要で困難なのは、「ひたすら脱力すること」と言えるのではないかと思います。これはレッスンでもずっと注意されてきた美しい音を出す為の秘訣でした。今でも、常に脱力できているかどうか、常に自戒を込めてチェックしていますが、まだまだいつでも脱力できるまでには至っていません。多分、一生精進を続けていかなければならないでしょう。

一つ目の秘密は脱力にあるとして、それでは二つ目の秘密はどこにあるのか。
どうやらそれは、楽器の方に秘密があるようでした。どんな楽器が美しい音を出す事ができるのか。
この事を知りたくて、先生を何度も質問攻めにした事があります。こういう直感的な事はなかなか言葉で説明を求められても上手に答えを返すのはとても難しい事だろうと思います。多くの問答を繰り返しながら、少しずつ美しい音を出す楽器のイメージが自分の中にうっすらとたちあらわれてくるような気がしてきました。でも、いまだ私にはこの問いに明確に答えを出す事ができません。

大きな手がかりを与えてくれそうなのは、最初のレッスンで先生から聞いた「オリジナル(楽器)の響き」というイメージ。良質なオリジナル楽器に備わっている響き。その響きを共有するのは、オリジナル楽器と呼ばれる骨董的価値を持つ楽器だけでなく、オリジナル楽器のデザインからコピーされたレプリカ楽器にもあるらしい。その「オリジナル楽器の響き」を共有するレプリカ楽器は、ごくごく少数の製作者による、少数のモデルに限られるらしい。


「オリジナル楽器について」

c0050810_0363037.jpgオリジナル楽器の響きと先生が最初のレッスンで喋ったように、18世紀に作られた、骨董品的な価値をも持つオリジナル楽器にはこのフラウト・トラヴェルソの美しい響きを持つものが多数残されているようです。日本ではオリジナル楽器を実際の演奏に使用している方は沢山いらっしゃり、その典雅な響きをコンサートやCDで堪能する事ができるのはとても幸運な事だと思います。
一方、海外の演奏家のCDなどに使用される楽器を見ても、オリジナル楽器を用いている例は極めて少ないようです。これはちょっと面白い違いのように思います。

そういえば、高名なフルート/リコーダー奏者であるフランス・ブリュッヘンが、オリジナル楽器のリコーダーを使ってレコーディングしたレコードが以前でていました。オリジナル楽器のリコーダーを用いた素晴らしい音楽を紹介した、非常に重要な価値を持つものだと思います。そんな、オリジナル楽器の素晴らしさを世に知らしめた彼ですが、その裏で面白いお話も残っています。ブリュッヘンが若かりし頃、各地の博物館に所蔵されている楽器を片っ端から吹いた結果、多くの楽器にヒビなどの重大なダメージが発生したのだとか。博物館に置かれている楽器はもう何百年もの間使われる事がなく、非常に乾燥して安定した状態にあった筈で、それに急激に息の湿気が触れた為に木材が膨張したのでしょう。その結果、多くの博物館では管楽器に一般の方が試奏するのは極めて難しくなってしまったとか。博物館は将来の世代に過去の文化遺産を引き継いでいくという大切な使命があるので、楽器のダメージを防ぐ努力を怠らないのはもちろん重要な事でしょう。でも、一概に全ての楽器へのアクセスを非常に厳格にしてしまうのはとても残念な事のように思います。
現在は、トレーニングを受けたスペシャリストのみ、楽器に触れ、計測し、試奏する事ができるようですが、多くの志高いスペシャリストが多くの素晴らしい楽器に触れ、それにより素晴らしい楽器を作り、あるいは音楽を演奏して頂く事がとても大切だろうと思います。


「フラウト・トラヴェルソの美しい響きを求めて」

c0050810_036455.jpg私の「オリジナル楽器の響き」への関心は高くなる一方でした。「オリジナル楽器の響き」を持つレプリカ楽器と出会う為に、世界中の著名な製作者に手紙を出し、次々と楽器を注文していきました。また、様々な楽器の展示会でも進んで試し、これはと思うものを入手。一旦拍車がかかると、なかなか減速する事ができなくなります。そうして色々なフラウト・トラヴェルソと出会い、いくつかの「オリジナル楽器の響き」に迫る音を出す楽器ともめぐり合う事ができました。

でも、まだまだ足りないと感じています。いつの日か、「オリジナル楽器の響き」の秘密を自分で知り、自分でもそういう楽器を作ってみたい。そんな気持ちが沸き起こり、沢山の文献を集め始め、博物館から歴史的なフルートの計測図面を取り寄せ、楽器製作者の知り合いに頼んで工房を見せてもらい、木材を購入して将来製作する為に乾燥を始めました。このプロジェクトは始まったばかり。まだまだ、何らかの成果を見るまであと何十年もかかる事でしょう。

チャンスがありオリジナル楽器を7本ほど入手する事ができました。大部分は18世紀後半にロンドンで製作されたものです。その中には、非常に価値の高い楽器も含まれており、オリジナル楽器の響きとは一体どういうものなのかを改めてはっきりと感じる事ができました。このオリジナル楽器を吹く時は一回5分までと決めています。確かに現在所有権を持っていますが、どうしてもこれらの貴重な楽器が私個人のものという実感が沸かないのです。ほんの少しだけその息吹を感じさせてもらうだけで、私は十分に嬉しく感じます。
これらの楽器の長い歴史の中の短い間にパトロンとして保護する小さな見返りとして、いつの日か、自分で旋盤を回してフラウト・トラヴェルソを試作する時、この楽器達が私が「オリジナルの響き」へ近づく為の大切な情報源として役にたって欲しいと願っています。
また、この楽器達がフラウト・トラヴェルソの素晴らしい響きを復元する事で貢献したいと考えています。近いうちに私の持つ楽器をベースとしたレプリカを作りたいと言っている楽器製作者がいます。こんな形ででも、フラウト・トラヴェルソの秘密に迫る事に貢献できればこれ以上ない喜びです。

c0050810_0255891.jpg楽器への文章が熱を帯びすぎてしまったかも知れませんが、楽器はあくまでも音楽に仕えるべきもの。それを忘れると音楽を忘れ楽器にのみ耽溺するというダークサイドに落ちてしまうのではないかとも思います。これからも、そういうバランスを大切にしつつ、フラウト・トラヴェルソの秘密に迫る旅をゆっくりと続けていこうと思います。
(2009年3月、カリフォルニアの青き空の下にて)
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Commented by 後藤知博 at 2009-03-18 13:35 x
昨日の演奏、拝聴しました。
大好きな曲ばかりで構成されているプログラムを偶然見つけて、7年ぶりに京都にきたのですが、その甲斐がありました。生演奏はとてもよかったです。

フォルテピアノという楽器はよく知らないのですが、きれいな音色ですね。
32番の変奏曲の前半から中盤のところ、音の粒がよく響いていて印象的でした。

今後も、機会があればこのような公演に足を運んでみたいです。
Commented by ooi_piano at 2009-03-18 19:06
御来駕有難う御座いました。
フォルテピアノと申しましても、時代順・様式別に多様でして、昨晩のブロードウッドもあくまでその一つ、ということになります。
ブロードウッドでラスト3曲を弾く醍醐味は、なんといっても、31番のレチタティーヴォで、ウナ・コルダからトゥッテ・レ・コルデへ一音刻みに音色を変容可能な点に尽きるかもしれません。
by ooi_piano | 2009-03-12 11:28 | コンサート情報 | Comments(2)