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3月17日(火) 第12回公演(その1)

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大井浩明 Beethovenfries
16 Dec 1770 - 26 Mar 1827

第十二回公演 《光、光乞ひ、光より光騙り取る》
Light, seeking light, doth light of light beguile

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_11454540.jpg

京都文化博物館 別館ホール
(旧日本銀行京都支店、明治39年竣工/重要文化財)
2009年3月17日(火) 18時30分開演

【使用楽器】
ジョン・ブロードウッド John Broadwood 1816年 ロンドン製
73鍵(CC-c4) イギリス式アクション 音域別に2分割された木製ダンパーペダルならびにウナコルダ・ペダル
[フォルテピアノ・ヤマモトコレクション蔵]

【助成】
アサヒビール芸術文化財団  (財)ローム ミュージック ファンデーション 芸術文化振興基金  朝日新聞文化財団

【参加公演】
関西元気文化圏

【協力】
アクティブKEI


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《演奏曲目》

ソナタ第30番ホ長調Op.109(1820)
 第1楽章 Vivace, ma non troppo - Adagio espressivo - Tempo I - Adagio espressivo - Tempo I
 第2楽章 Prestissimo
 第3楽章 Gesangvoll, als innigster Empfindung / Andante molto cantabile ed espressivo
第1変奏 Molto espressivo - 第2変奏 Leggiermente - 第3変奏 Allegro vivace
- 第4変奏 Etwas langsamer als das Thema / Un poco meno andante ciò è un poco più adagio come il tema
- 第5変奏 Allegro, ma non troppo - 第6変奏 Tempo I del tema, Cantabile

福井とも子:フォルテピアノのための《夜想曲Ⅰ》(2009、委嘱新作・世界初演)

ソナタ第31番変イ長調Op.110(1821/22)
 第1楽章 Moderato cantabile molto espressivo
 第2楽章 Allegro molto
 第3楽章 Adagio ma no troppo - Recitativo: più adagio - Klagender Gesang / Arioso dolente, Adagio ma no troppo
-Fuga, Allegro ma non troppo - Ermattet, klagend / Perdendo le forze, dolente, L'istesso tempo di Arioso
-L'inversione della Fuga. / Die Umkehrung der Fuge, L'istesso tempo della Fuga poi a poi di nuovo vivante / Nach und nach wieder auflebend
-Meno Allegro. Etwas langsamer - tempo primo


福井とも子:フォルテピアノのための《夜想曲Ⅱ》(2009、委嘱新作・世界初演)


【休憩15分】

福井とも子:フォルテピアノのための《夜想曲Ⅲ》(2009、委嘱新作・世界初演)

ソナタ第32番ハ短調Op.111(1821/22)
 第1楽章 Maestoso - Allegro con brio ed appassionato
 第2楽章 Arietta, Adagio molto semplice e cantabile



3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_20303154.jpgフォルテピアノのための《夜想曲》(Ⅰ子守歌 Ⅱ数え歌 Ⅲ夢想曲)     福井とも子

作曲しようとする際には、まずその楽器で何が出来るのかを考えるのはごく自然なことだろう。この曲の場合はそれが「フォルテピアノ(ジョン・ブロードウッド1816年ロンドン製)」だったわけだが、困ったことに私はこの楽器をほとんど知らない。委嘱を受けた時は見たことも触ったこともなかった。その後見学には行ったものの、未調整の状態だったためおそらくあまり参考にならないと思われた。どうしようか・・・?一聴衆として考えてみた。音楽ファンならまずどんな音なのか聴きたいだろう。本等によると音域によってとても音色が変わるそうだ。想像できない。だったら・・・・ということで73鍵盤全部に登場してもらうことにした。1曲目「子守歌」は両手で73鍵を一通り巡るという曲である。同じ音を連打したり、2音でトリルしたり、短い音形を続けて反復したりということはあるが、それらを1回と数えれば1つの音は1回しか出てこない。つまり1曲が73個の音で出来ていることになる。1音1音の音色を味わってみたいという欲求である。2曲目「数え歌」は同じような音形を最高音から最低音まで繰り返し、各音域でどう響くかという興味。またフォルテピアノ独特の音色を得られるという“ウナ・コルダ”も多用してみた。寝られないときにやる(ホントにやる?)「羊が一匹・・・・」のフォルテピアノ版みたいなもの。3曲目「夢想曲」は1曲目と同様のアイデアであるが、それを和音で試した。それと蘇ったブロードウッドに現代の洗礼を少し・・・。


福井とも子
ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会奨学生賞受賞(1992)、秋吉台国際作曲賞受賞(1994)、日本音楽コンクール作曲(室内楽部門)第3位入賞(1999)他、受賞歴少々。またISCM香港(2002)、ISCMザグレブ(2005)に入選している。これまでダルムシュタット国際夏期現代音楽講習会(1994,96,2006)、ヴェネツィアビエンナーレ(2002)、韓国テグ国際現代音楽祭(2004)、武生国際音楽祭(2005)、ソウル・パンムジーク・フェスティヴァル、ベルリン・メルツムジーク等から招待、委嘱を受ける。作曲活動に加え、国内外の大学等でのレクチャーや演奏会の企画・制作等を積極的に行う。2001年より現代音楽演奏団体、next mushroom promotionを主宰。プロデュースを手掛け、第8回公演は2005年度サントリー音楽財団佐治敬三賞を受賞した。東京在住。大阪音楽大学、関西学院大学講師。



フラウト・トラヴェルソの美しい響きを求めて
                               花田忠彦


「フルート・音楽への屈折した愛情」

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_031496.jpgピアノを始めたのは小学低学年でしたが全くものになりませんでした。その後、高校入学と同時に起死回生の思いで始めたモダン・フルートをどんどん好きになって3年経った頃、京都大学に入学しました。そこで色々な偶然や必然が作用して、とある音楽サークルに入りましたが、そこではいくつもの大切な出会いがありました。鍵盤楽器奏者の大井さんや作曲家の野村誠さん、河合拓治さんとお会いしたのもまさにここ。京都大学という学問を志す人が多いと思われるところで、極めて真剣に音楽に向き合っている彼らのような音楽的才能のある人物が思い思いの活動をされており、非常な衝撃を受けました。フルートを始めて3年目の私にはまったくの別世界、異次元空間に迷い込んだのかと思うほどでした。
時が経つほどに次第に友人達とも打ち解け始めて、少しずつその異次元空間に引き込まれていきました。そこで音楽との向き合い方に対してとても大きな影響を受けました。私の中にある音楽に対する愛情をはっきりと自覚する事ができ、それをしっかりと育てていくという、大切な土壌だったと今でも好ましい感情とともに思い出します。

もっともこのサークルで抱いた思いは必ずしもポジティブなものばかりでもありませんでした。とにかく周りには自分には到底釣り合わないと思えるような、個性的で才能豊かな仲間が大勢いる訳で、(今でもまだまだ未熟ですが今以上に)未熟な青年期にあった私は時に酷い劣等感、憧れ、コンプレックス、ジェラシー、焦り、などなど、色々な感情がないまぜとなり、微妙な精神状態となる事も多々あったという事を告白しなければなりません。そういう様々な複雑な感情が入り混じる多感なフルート好きの青年は、次第に自分の心の中に奇妙で強力な信念、滑稽な信念を次第に醸していきました。
「現在流布しているフルート音楽の大部分はクズである。耳に綺麗に響くだけの空虚でくだらない音楽ばかりである。」
「このように下らないフルート音楽を世界に撒き散らしている世界のフルート奏者に習う事など何ひとつない。むしろ汚い音でも不完全なテクニックでも、胸を打つ音楽へ耽溺するべし。」

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0313632.jpgこの、コンプレックスが入り混じった、世間に対して斜に構えた、ちょっと悲壮で滑稽で激しい思い込みのもとに闇雲に突き進んでいったのがまさに自分の大学時代でした。
とにかく、フルートらしい、美しいフルートは吹きたくなかった。美しく吹けないのではなく、吹かないのだ、と思い込みたかった。多くのフルート奏者のような美しい音ではなく、むしろバイオリンの大家、ヨーゼフ・シゲティのような、音の美しさを一見無視したかのような、それでいて胸に迫りくるような音楽を目指したかった。表層的な演奏しかしないフルートの名手より、心を打つバイオリンの大演奏家のような、あるいは情緒豊かなバスバリトンの大歌手のような、あるいは詩情溢れる優れたピアニストのような胸を打つ音楽が演奏できるフルート奏者になりたかった。

そんな、思いを抱きつつ、とにかく闇雲に自分の感覚だけを信じて、フルートのCDを聞いてはバカにして否定し、バイオリンの名手達の演奏を賛美し、特にロマン派の生き残りのようなクダクダな演奏をフルートで真似して、怖いものなしでひたすら突き進んでいきました。

一種のバンカラでしょうか。

この思い込みはかなり恥ずかしいのですが、この思いはその後もずっと私の音楽生活に影響を与え続ける事になります。そもそも、この「反骨精神(?)」がなければ多分私が古楽器に触れる事はなかったでしょうし、古楽を深く愛する事はなかっただろうとも思う以上、とても大切なものだったと思います。


「ところで、フルートの事情」

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0315479.jpg話は少し変わって、フルート音楽について少し概観しておきたいと思います。フルートを含む室内楽曲・独奏曲に限ると、何故か古典派以降ロマン派の時代に名曲が少ないのです。モーツァルトはフルートに美しい曲を多数残してくれました。でも、クラリネット五重奏とフルート四重奏の完成度を比較してちょっと悔しく思うフルート吹きは私だけではないかも知れません。ピアノとフルートの為の愛すべきソナタを書いてくれたのを素直に嬉しく思う反面、のちに書かれたバイオリンソナタの充実を聴くにつれ、私にはむしろ妬ましくも羨ましく感じられます。
ベートーベンはバイオリンやピアノ、チェロなどに室内楽曲をたくさん残しましたが、フルートには数曲の小品を書いてくれただけ。
ブラームスに至るとクラリネットやバイオリン、ビオラやチェロなど様々な独奏楽器の為に美しいソナタや室内楽曲をものしましたが、フルート向けの室内楽には実質手をつけてくれませんでした。
そんな事情を反映してか、ベートーベンのバイオリン協奏曲や、モーツァルトのバイオリン・ソナタ、ブラームスのバイオリン・ソナタをフルート向けに編曲してコンサートで演奏したりCDに収録するフルート奏者もたくさんいらっしゃる。フルート奏者達のこの時代の名曲への乾き・飢えを感じざるを得ないところです。

1750年以降、それまで1つしかキーが使われていなかったフルートに、キーを追加していくという方法がイギリスで開発されました。その後ヨーロッパ各地で4キー、6キー、8キーなどの楽器が少しずつにポピュラーになっていきました。これによりフルートはより明るく、均一な響きを獲得してくのです。同時に歌口が拡大され、大きなホールでのオーケストラの中でも使えるだけの音量を獲得していきました。
ですが、それに伴いバロック時代のフルートが持っていた不均一でも独特の陰影を持つ美しいニュアンス、音量は大きくはないが豊かな音質変化を利用したアーティキュレーションの多彩さという魅力を徐々に失っていったのは致命的だったのかも知れません。このような状況のせいで、19世紀に入ってからはオーケストラの中での活躍こそ目覚しいものの、室内楽の主役としての魅力的なレパートリーが激減してしまったと思うのは私だけでしょうか。
19世紀のロマン派期に作られたフルートの室内楽のほとんど唯一の名作品は、極論するとシューベルトの「萎める花」による序奏と変奏くらいかも知れません。

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0332893.jpgともかく、フルートが室内楽で脚光を浴びるようになるのは近代になってから。フォーレ、ドビュッシー、プーランク、イベール、メシアン。そしてプロコフィエフ、ヒンデミット、マルタンなどなど、フランスをはじめとする各国の作曲家達がそれぞれ数曲ずつフルート向けの室内楽を書いてくれなかったら、多くのフルート奏者は今よりももっと退屈で人生を持て余す事になったでしょう。
私もこれらのレパートリーに次々挑戦していきました。フルートを始めて4年目程度の入門者には手に余るものばかりでしたが、下手でもそれなりに楽しいし、聴き映えする曲も多いし、時々は褒められる事もあるし、やりがいもありました。
でも、数年もそういうのが続くとやっぱり飽きてきてしまうのですね・・・、そもそもそんなに沢山素晴らしい曲がある訳ではありませんし。
バイオリンやピアノをいつも羨ましく感じていました。レパートリーの多さに困る事はあるでしょうが、魅力的な曲が少ないという事で悩む事なんて無いでしょう。あぁ、何で自分はフルートなどという不完全で悲しい楽器を選んでしまったんだろう、と少し後悔するほどでした。

そのような後悔の反面、実はフルート吹きで良かったとちょっと嬉しく思っていた事もあったのです。フルートの室内楽のレパートリーは、確かに古典派以降と限ると非常に少なくて、バイオリンやピアノの名曲の数々と比較すると悲しくなるほどです。ですが、幸いフルートにも黄金時代がありました。バロック時代を一つの極とする古典派以前の時代です。

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0335520.jpg全音楽譜出版社が発売している青い表紙の「ベーレンライター原典版」でバッハやヘンデル、テレマンと言ったバロック時代にフルートの名曲の定番が数冊出版されているのは、日本のフルート学習者にとっては大変な幸福ではなかったかと思います。私もフルートを始めて程ない高校1年の頃にこれらの楽曲を楽譜屋の棚で知り、すぐに楽譜を入手しました。
バッハのソナタを始めて吹いたのは、フルートを始めて8ヵ月ほどしてからでした。これは高校時代の音楽の授業での自由課題だったのですが、それ以来バロック音楽に対してもフルート音楽の大きな部分という事で注意は払い続けていました。

ただ、正直なところ、バッハのソナタには(誰もが凄いと言っている事もあって)敬意を払っていましたが、テレマンやヘンデルと言った作曲家の作品が非常に素晴らしいと心から実感できるようになるにはまだまだ時間がかかりました。全く思い違いも甚だしいと今なら思うのですが、当時はちょっとややこしい練習曲という程度にしか注意を払ってはいませんでした。
私がバロック音楽の豊穣なる世界を知るのはずっとずっと後のことになります。


「ファースト・コンタクト」

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0325282.jpgNHK FMのバロック音楽の番組をたまたま聴いていた時に、不思議な響きのフルート曲が流れてきました。大学1年の頃だったと思います。チェンバロと弦楽器の通奏低音に伴奏された、2本の素朴な響きのフルート曲。何だか不思議な響きだ、、、と思ったのを今でもしっかりと思い出す事ができます。演奏が終わった後に、解説がバッハの2本のフラウト・トラヴェルソと通奏低音の為のソナタである事を告げたのですが、これが「フラウト・トラヴェルソ」という楽器をはっきりと意識した最初の瞬間でした。

もちろん、本当に知らなかった訳ではなくて、例えば新宿のフルート専門店、村松楽器にも当時からフラウト・トラヴェルソが棚に展示してあったので見ていたと思います。木でできており、キーが1つだけでリコーダーのように指で直接音穴を塞ぐタイプのバロック時代に用いられたフルート。その後、私の情熱の対象となる楽器の存在を、この時にはっきりと知覚したのでした。

この放送の演奏はヨーロッパで活躍中の演奏者によるものでしたが、ビブラートがほとんど掛からず、少しくすんだような木目調の雰囲気。アーティキュレーションが非常に極端に強調されている、ちょっと奇妙な音色の不思議な演奏。そんな風に感じました。何か可能性の予感を感じさせる、心惹かれる演奏に思えました。

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0343581.jpgこの演奏を聴いてから、モダン・フルートでバロック音楽を演奏する時、迷いを感じるようになりました。モダン・フルートでもアーティキュレーションを強調する事はできますし、ビブラートを抑えて吹くことはできます。ですが、この時に聴いたような演奏は聴いた事もないし、思いつきもしなかった。
大学2年の時、大井さんが積極的に企画に加わったとある演奏会に出演した時、まさに放送の時に聴いた曲をモダン・フルートで演奏したのですが、放送の演奏をちょっと真似して極端なアーティキュレーションをつけた演奏を試みました。ちょっと面白かったのですが、でも、何か、心の中で違和感が残りました。

ヤッパリナニカチガウ・・・。

思えば、この時に感じた違和感が少しずつ熟成し大きくなり、のちに私を強烈に突き動かす事になっていくのです。


「セカンド・コンタクト」

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0345022.jpgそんな違和感を感じてはじめた頃、非常に素晴らしい事を知りました。
日本の楽器メーカーの「トヤマ楽器製造株式会社」が、樹脂製の本格的なフラウト・トラヴェルソを発売している。それも、歴史的な楽器を元に作った非常に高品質な楽器であるとか。
有名なフルートの専門店の店頭で、外国製の非常に高価なトラヴェルソが販売されているのは知っていましたが、今まで触った事もない未知の楽器に何十万円も支払う事は最初から不可能と思っていました。ですが、5万円程度で本格的な楽器が手に入るというのは、迷っていた私にとっては渡りに船でした。知り合いの楽器屋さんに頼んで少し値引きをして貰って入手する事ができました。

樹脂製とは言え、ずっしりと重い楽器はなかなかたいしたものに思えました。キーは一つしかついておりません。指使いはモダン・フルートとは違いますが、基本的な発音原理はモダン・フルートと変わるものではありません。同じように歌口に空気を吹き入れるので、それほど違和感を感じる事はありませんでした。歌口の大きさがとても小さいので、息の流れの向きには注意が必要でしたが、曲らしきものを吹けるようになるにはそれほどの時間は掛かりませんでした。とりあえず、モダン・フルートの時から持っていたバッハやテレマン、ヘンデルなどの楽譜をトラヴェルソで吹いてみました。

・・・。

なるほど、これはなかなか楽しいなぁ。
何だか音が小さいし、素朴な音だし、何だかちょっと調子っぱずれだけれど、ちょっと雰囲気あるかな。
おかしげなアーティキュレーションで吹くとちょっとそれっぽくなるかな。
などと一人で勝手に合点し、一人で悦にいったのでした。


「そして、社会人になって」

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_035535.jpgそうこうしているうちに大学を卒業し、会社へ就職。当然のように忙しい毎日にどんどん埋没していく訳ですが、おかしなもので、大学時代のようにいつでもフルートを吹けるできる状況ではないとなると、かえってフルートが吹きたくなってきます。もともと、天邪鬼な性格に生まれついたからなのだと思いますが、自由時間は激減したのに、フルートを吹く時間は倍増しました。
数年は一人で地道にさらいつづける日々が続きましたが、やっぱり合奏をしてみたくなってきます。でもいまさらオーケストラに入るのは無理だろうし、近くに室内楽を一緒に楽しめるようなグループも見つからない。どうしよう・・・。

そんな状況で思いついたのが、「それならフルート教室の先生について、合奏相手になってもらえば良いではないか」というアイディア。大学時代以来かたくなにフルートの先生に付く事を拒否してきましたが、この時も「何にも教えてくれなくていい、お金は払うので合奏を楽しむ相手になって欲しい」と心に秘めて、フルート教室のドアを叩いたのでした。

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_034591.jpgとにかく、割り切って利用すれば良いという事で実際にレッスンに通い始めてみると、案に相違して非常に楽しい。おまけに、色々とインスピレーションを受けるし、自分の独りよがりな音楽にコメントして貰えるのは大変ためになる・・・。
得る事が沢山ある事に気づき始めました。
あれほど突っ張っていたのは何だったのでしょう!
頑なだった青年は、ようやく20歳を大幅に超えてからようやく真剣にフルート教師につく事にしたのでありました。

一旦心のタガが外れると、今までかたくなだったのが馬鹿馬鹿しいと思えるほどで、色々な事がどんどんと入ってきました。なるほど、どうやら自分は自分勝手な思い込みで随分と回り道をしたんだな・・・。
ただ、この時点に至るまでに自分の中にある程度しっかりとした音楽に対する思い、スタンスができていて、上手に先生とコミュニケーションができるようになっていたというのはプラスに作用したと思いますし、単なる回り道という訳ではなかったように思うのです。無闇に先生の言いなりになる訳ではなく、自分の問題点を冷静に見つめながら先生の指摘を上手に吸収する事ができるような素地を作るのに、自分はとても長い時間がかかったという事なのだろうと思います。

3月17日(火) 第12回公演(その1)_c0050810_0342117.jpg大変運が良い事に、ついた先生はきわめて優れた教育者でした。そこで徹底的に基礎から教えて頂いたのですが、また大変運が良い事に、非常に長い間自己流でやってきた割にほとんど悪い癖がついていなかったのです。唇の空気が出てくる穴の形のコントロール法、息の使い方のコツ等を毎回のレッスンで徹底的に直されて、それにともないフルートの表現力が格段と広がるのを実感する事ができました。

こうして調子にのってくると興味は更にどんどんと広がっていきました。レッスンでバロック音楽も取り上げられるのですが、フルートでバロックを演奏する事への疑問がさらに増大していきました。それが高じてフルートのレッスンに加えてリコーダーのレッスンにもつく事にしました。リコーダーとフルートは似ている楽器と思っていたのですが、実際に習ってみるとまるで違う楽器であるのに驚き、更に自分の世界が広がっていきました。このようにして、少しずつ自分の中で来るべき「自分の楽器」と出会う為の「土壌」が耕されていったのでした。

(「その2」へ続く)
by ooi_piano | 2009-03-12 11:32 | コンサート情報 | Comments(0)

3/22(金) シューベルト:ソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演


by ooi_piano