松下眞一追悼個展・曲目解説

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演奏曲目について

c0050810_1541632.jpg松下眞一: ピアノのための三楽章《可測な時間と位相的時間》 (第I曲 - 第IIa+第IIb曲 - 第III曲)
  1957年夏に初稿、59年春に第2のヴァージョンが書かれたのち、作曲者の意思で1960年に全面的に加筆された。1957年7月の日付を持つ《ピアノのための三つの断片 Trois Sections pour piano》の第3曲「運動 Mouvement」に、《三楽章》第1曲と同じ楽想が見える。世界初演は1959年3月31日(横井和子/大阪)、ヨーロッパ初演は1965年10月11日(ヘルムート・ロロフ/ベルリン)。1962年音楽之友社より出版。第3曲の最後のページに、被献呈者・横井和子の名前(片仮名で「ヨ・コ・イ」)が、五線譜上の8分音符と16分音符で描かれている。「ラジカルな生命感が強調されている部分(すなわち可測な部分)と、在来のビートの観念に支配されない部分(位相的な部分)とから成っていて、この曲での作曲者の主要課題は、ピアノと言う楽器を通しての“音楽時間”の問題への挑戦であった」(松下)。具体的にどの部分が「可測」、あるいは「位相的」であるかは、作曲者は言及していない。


c0050810_1554810.jpg松下眞一: スペクトラ第1番
  ピアノのための《スペクトラ》シリーズは、当初全12曲が構想されたが、完成したのは第1番~第5番のみであり、第6番《12のバガテル》は前半6曲だけが遺された。スペクトラ連作について、松下はこう語る。「暫くピアノ独奏の作品から遠ざかっている間に、室内アンサンブルやピアノを伴ったシンフォニックな作品のなかで色々とためして来た事を集積し、ピアノという楽器の「表現の可能性」をあらゆる角度から探り出して、定着してみたかった」。
  シリーズ第一作である《スペクトラ第1番》は1964年大阪で作曲。ワシントン=ボルティモア・ピアノフェスティヴァルにて、委嘱者セルマ・エプシュタイン(Selma Epstein)により初演。献辞無し。ウィーン・ウニヴェルザル社より出版。「厳格な音群構成と、即興的偶然性とが、ピアノの可能性をどれだけ展開し得るかということへの、ひとつのアタックである」(松下)。
   曲は12のセクションから成る。最初の4つのセクションは、マザーグース〈This Is The House That Jack Built〉のように少しずつ重ねて積み上げられ、そこを抜け出してから音楽が始まる。


松下眞一: スペクトラ第2番
  仏ロワイヤン音楽祭委嘱により作曲、1967年3月27日大阪で完成。翌月、同音楽祭にてイヴォンヌ・ロリオにより初演、同氏に献呈。翌年6月に本荘玲子により日本初演。1970年《音楽芸術》誌の付録として音楽之友社より出版。
  6つの断片には《オノゴロ(淤能碁呂)島》といった、古事記に基づく標題がつけられているが、「これらはなんら写実的・文学的な意味を意図せず、ただこれら神話のもつ民族的な夢の雰囲気を背景としてピアノの音色と技法への新しい可能性を追求したものである。作曲法は群論的方法によっている」(松下)。第3曲《天照大神とスサノオ(須佐之男)の尊》の後半では、4年後に書かれた《スペクトラ第4番》同様、各断片の順序が一定の制限下で可変的な書法が採られている。


c0050810_1562576.jpgI.クセナキス: ヘルマ - 記号的音楽
  1960~61年に作曲、1962年2月23日に草月会館コンテンポラリー・シリーズ11 「高橋悠治第二回リサイタル」で、武満徹《コロナ》や湯浅譲二《プロジェクション・エッセンプラスティック》とともに初演。委嘱者高橋に献呈。ヘルマとは、めばえ、基礎、つながり、などを意味する。ピアノの88鍵を全集合とし、その中から20~30音に組分けされた三つの音高の集合A、B、Cを論理的に操作(ブール代数)するところから、[論理=集合論的]記号的音楽musique symboliqueと名付けられた。まず曲の冒頭では、全集合が加速をともなって提示され、その後三つの集合およびその否定(補集合)が、線形または雲として示される。約4分余り経ったところで急に静かになる箇所が、最初に演算(論理積)が行われる部分である。その後、究極の集合F(オイラー円表示では二色問題に見られるような縞模様)へ向かって演算が重ねられていく。いわばこの曲は、その後「ふるいの理論」として探求された、音階の構成原理やその変形方法の「めばえ」と言えよう。


c0050810_1583251.jpg松下眞一: スペクトラ第4番
 音楽之友社創立30周年記念委嘱により、1971年夏ハンブルクで作曲。翌年第6回日独現代音楽際で平尾はるなにより初演。献辞無し。同年音楽之友社より出版。
  十箇の短い断片と、ほとんど沈黙による終結部(Coda)から成る。演奏順序から強弱・テンポ、断片間の間合いやアクションに至るまで、多様な「偶然性」が追求された作品である。断片7の楽譜には穴(窓)が開いており、そこから下に重ねたページ(=過去あるいは未来)が覗けるようになっている。断片10は譜面を上下反転させ、時間を逆行させる形で演奏しても良い。断片の幾つかには、理論物理学の微分方程式が書き込まれている。冒頭に演奏される断片1は朝永振一郎の多時間形式による場の量子論のシュレディンガー方程式、トリルとトレモロが連続的に顫動する特徴的な断片6がアインシュタインの宇宙方程式、全曲で最も静かな断片9は散乱作用素のダイソン展開、といった具合である。本日は「サイコロを振らず」、全断片を満遍なく巡る確定的なヴァージョンで演奏する。

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松下眞一: スペクトラ第3番
  コンタルスキー兄弟の演奏を想定して作曲が開始されたのち、ケルンの打楽器奏者クリストフ・カスケルの母親のアドヴァイスにより、鍵盤奏者+打楽器奏者助演の形に落ち着いた。平尾はるなと有賀誠門により、日本で初演された。献辞無し、未出版(B4サイズで全32頁)。
  この作品では、おおむね鍵盤部分をピアニスト、内部奏法部分を打楽器奏者が担当するが、打楽器奏者は鍵盤奏者の「助演」のレベルを遥かに超え、ほとんど二重協奏曲と呼べるほどソリスティックな超絶的技巧を要求されている。ピアノ内部のおよそ7箇所(A~G)の部位を3種類のバチを目まぐるしく持ち替えつつ奏すると同時に、指頭・掌での撥弦・打弦、シンバルを打撃してそのままプリペアド(p.19)、ヘアピンやボルトや油紙による一時的なプリペアド(pp.24-27)、等々もこなさければならない。自筆譜表紙にはYAMAHAグランドピアノのための内部奏法箇所が図示してあるが、ピアノ内部の構造は製造会社と機種によって全く異なるため、その点でも注意深いリアリゼーションが必要となる。


c0050810_158563.jpgI.クセナキス: エヴリアリ
   1973年に作曲、同年10月23日にNYリンカーン・センターのアリス・タリー・ホールでの4回シリーズのリサイタルに於いて、マリー=フランソワーズ・ビュケにより初演。委嘱者ビュケに献呈。神経系や血管、雷、樹木の幹のように枝分かれしていくメロディー繊維の束が、時間-周波数軸においてヤブのようにからまりあい、突然の回転、膨張、変形を遂げる。作曲者のバリ島訪問の直後に書かれたためか、巡回置換による穴を空けられた連打音の箇所など、あたかもガムラン音楽のエコーを聴くかのようである。タイトルは、嵐に荒れ狂う海、その大海から生まれ空を旅する月、巨大な‘ふるい’の場、そして蛇の髪をもちその眼は人を石にする三姉妹ゴルゴーンの一人――広くさまよう、或いは遠くに飛ぶ女――などを意味する。
  


c0050810_1594197.jpg松下眞一: スペクトラ第5番
 1973年9月1日ハンブルクで完成、秘書のレナーテ・グレゴール夫人に献呈。未出版。全17頁が図形楽譜で書かれ、奏法指定は一切無い。生前に公表されなかったのは、同年に初演された任意楽器のための《精神集中 Konzentration――劫・虚・律》と同様、眺めて楽しむ(innerlichen Genuss)ことも念頭に置いた、私的な贈り物だったせいであろう。松下作品としては珍しくページ番号が振られていないが、発見時のページ順を試しに色々入れ替えてみると、非常に横長の一続きの絵巻物と看做せることが判明した。
  「pour piano」というタイトルや《第1番》《第3番》と共通したマレット記号から類推するに、この《第5番》にリアリゼーションを施すとなると、鍵盤奏法ならびに3種のマレットによる内部奏法をともなう、一人のピアニストのための独奏曲、と解釈するのが妥当であろう。してみると、緑色は鍵盤奏法、赤色は内部奏法、そして褐色はその積を指し示し、選択されるべき様式は恐らく「第1番」~「第4番」に見られるセリエル風なスタイル、となる。冒頭の多角形表示はスペクトラ第1番のようなセリーを示唆する一方、譜表の間隔が広すぎることから五線表示はあくまで目安と目される。手袋の使用が指定されたpp.3-9は、シュトックハウゼン・ピアノ曲Xのようなグリッサンドのイメージ、p.16の緑の枠線は絵巻物の異時同図法のように五線譜を順繰りに回転して読み進めていくことだろう。最後に突如現れるパルス楽句は、成道ののちの木鉦・木魚のように響くかもしれない。


I.クセナキス: ミスツ
  1980年作曲、翌年8月エディンバラにてロジャー・ウッドワードにより初演。初演者に献呈。非オクターヴ周期音階(この曲の場合、2と5と9を法にして得られた90半音周期のもの)を論理演算により巡回移調したものが、あるときは連続したメロディとして現れ、またあるときは指数型・コーシー型・双曲余弦型などの確率分布で一定の密度の「音の雲」を作り出す(酔歩運動)。同時に、線的多声法の一般化として《エヴリアリ》から始まった樹形曲線が、ここではその分岐する束を、極めて複雑なリズムにより際立たせられている。


c0050810_20840.jpg松下眞一: スペクトラ第6番 ~六つのバガテル
  松永通温ならびに平尾はるなにより委嘱。献辞無し、未出版。《12のバガテル》として構想され、前半の6曲は1984年4月から6月にかけて、1ヵ月半ほどの間に完成された(第1番-4月28日、第2番6月7日、第3番-5月28日、第4番-5月30日、第5番-5月31日、第6番-6月15日)。1990年12月25日に作曲者が逝去した後、第1・2・3・4・6番のみが1991年10月3日、東京で平尾はるなにより初演。この初演ライヴ録音はそのまま、上野晃の監修により1998年3月にCD化されている。
  なお、予告された第7番~第12番のタイトルは以下の通り(未完あるいは未発見)。VII. 第三プレリュード - フーリエ変換(Prélude 3 - La transformée de Fourier)、VIII. アンダルシアに(À l’andalucïa)、IX. 月の光(Clair de lune)、X. シャンソン(Une chanson populaire)、XI. 語れや、君、そも若き折、何をかなせし(Dis, qu’as-tu fait, toi que voilà de ta jeunesse?)、XII. 主よ、主よ、そは現し世なり(O Dieu, o Dieu, c’est la vie.)
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by ooi_piano | 2010-02-19 01:53 | コンサート情報 | Comments(0)