モーツァルト協奏曲第1回 曲目紹介

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c0050810_9181611.jpg  モーツァルトのクラヴィア協奏曲は本日最初に演奏される第5番から始まります。その前に存在するK.37, 39, 40, 41の4曲は、当時流行していた様々な作曲家によるギャラントスタイルのクラヴィアソナタをモーツァルトが管弦楽とクラヴィアのためのコンチェルトに仕立て直したもの。K.107の3作品はJ.Ch.Bachのやはり独奏ソナタを弦楽とクラヴィアのためのコンチェルトにアレンジしたものです。クラヴィア協奏曲はモーツァルト以前にも作曲・演奏された例はあるにしても、この頃性能が著しく向上し安定した演奏ができるようになったピアノの普及を受ッ、モーツァルトによって大きく発展をみたジャンルと言えるでしょう。

  入念に準備され生み出された第1作目の第5番 ニ長調の協奏曲は18歳の誕生日の目前に完成されました。直前まで行われていたイタリアへの大旅行での経験が存分に生かされたはじけるような"Allegro"楽章。歌に満ちた豊かな楽想、ドラマティックな様式。ウィーンに移り住んだモーツァルトが1782年に自ら演奏していることからもうかがえるように、かなりの自信作でした。
 
c0050810_9193182.jpg  二十歳を迎えたモーツァルトは、自分の活躍する場としては小さすぎる街、ザルツブルクへの不満を日々募らせてゆくことになりますが、それでも旧知の間柄にある音楽仲間や貴族たちから頼りにされる充実した日々を送っていました。モーツァルトや姉が演奏するために作曲された協奏曲第6番 変ロ長調にもそんなモーツァルトの気力漲る青春の歌にあふれています。"Allegro aperto"「開放的なアレグロ」と指示された第1楽章の快活さ、叙情的な第2楽章のまどろみ、第3楽章の陽気のよい日に散歩を楽しむようなくつろいだ感じに思わず笑みがこぼれます。
 
  彼の人生の中では珍しく旅のない年となった1776年。しかしながらザルツブルクで行われる結婚式や卒業式、叙勲のお祝いといったような様々な行事のために「ディヴェルティメント」や「セレナード」といった、その場で消費されゆく機会音楽が量産されました。人の心の機微を知る社交的なモーツァルトならではの心地よさに訴えかける気の利いた音楽たち。第8番 ハ長調の協奏曲もこれらの系列に並ぶ素敵な作品です。やはり"Allegro aperto"という速度表示をもつ第1楽章。主和音を駆け上がる音型から始まります。ウィットに富むおしゃべりのような第2楽章。第3楽章ではメヌエットがおどけた調子に戯れます。この協奏曲は、モーツァルト家に弟子としても出入りしていたホーエンザルツブルク城砦の司令官夫人、リュッツォウ伯爵夫人のために作曲されました。

c0050810_9201718.jpg  1776年から77年初頭にかけてフランスからザルツブルクを訪れたジュノム嬢。クラヴィアの腕前、容姿など伝えられているものはないのですが、第9番 変ホ長調協奏曲の華麗な楽想、技巧的なクラヴィアパート、特に第2楽章のメランコリックな調べから後世の人々はジュノム嬢に対し憧憬の念を抱くようにまでなりました。第1楽章の快活な第1主題と朗らかな第2主題の対比、第3楽章の無窮動的なテーマを遮るように登場するエレガントなメヌエット。オペラアリアのような哀愁に満ちた第2楽章。モーツァルト自身も傑作と自認していたようで、1780年代のウィーンでもこの協奏曲をたびたび演奏していたという記録が残されています。

  二十歳前後のモーツァルトはザルツブルクへの不満を抱えながらの生活だったとほとんどの伝記に書かれていますが、故郷の慣れ親しんだ人々とのくつろいだ生活、イタリアの空気を存分に吸った感じやすい若い心のパッション、これらの作品にはザルツブルクという土地ならではの人懐っこさが存分に含まれているのです。[塚田聡]
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by ooi_piano | 2010-03-13 09:10 | コンサート情報 | Comments(0)