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The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo

野々村禎彦氏による演奏会批評 http://www.web-cri.com/review/1007_ooi-NVS_v01.htm

大井浩明 ピアノ・リサイタル
《新ウィーン楽派ピアノ曲集成》

ヴォーカル(※)/柴田暦 

2010年7月31日(土)午後7時開演(午後6時半開場)
当日券のみ・全自由席3000円
公園通りクラシックス(渋谷・東京山手教会B1F)
〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F
tel. 03-3464-2701(hall) / 03-3423-6343 (office) http://www.radio-zipangu.com/koendori/

[演奏曲目]
ベルク:ピアノソナタ 作品1 (1907)
シェーンベルク:3つのピアノ曲 作品11 (1909)
シェーンベルク:6つのピアノ小品 作品19 (1911)
シェーンベルク:5つのピアノ曲 作品23 (1920-1923)
シェーンベルク:ピアノ組曲 作品25 (1921-1923)
シェーンベルク:ピアノ曲 作品33a(1928) & 作品33b(1931)
〈休憩 15分〉
シェーンベルク(川島素晴編):オペラ《モーゼとアロン》より「黄金の仔牛の踊り」(1926/32)
ウェーベルン:ピアノのための変奏曲 作品27 (1936)
シェーンベルク(E.シュタイン編):《月に憑かれたピエロ》 作品21 (1912)(※)
 [第1部] 1.〈月に酔い〉 - 2.〈コロンビーナ〉 - 3.〈伊達男(ダンディ)〉 - 4.〈蒼ざめた洗濯女〉 - 5.〈ショパンのワルツ〉 - 6.〈聖母(マドンナ)〉 - 7.〈病める月〉
 [第2部] 8.〈夜(パッサカリア)〉 - 9.〈ピエロへの祈り〉 - 10.〈盗み〉 - 11.〈赤いミサ〉 - 12.〈絞首台の歌〉 - 13.〈打ち首〉 - 14.〈十字架〉
 [第3部] 15.〈郷愁(ノスタルジア)〉 - 16.〈悪趣味〉 - 17.〈パロディー〉 - 18.〈月のしみ〉 - 19.〈セレナード〉 - 20.〈帰郷(舟歌)〉 - 21.〈おお なつかしい香りよ〉


The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_1025997.jpg 「新ウィーン楽派」(Zweite Wiener Schule=第2ウィーン楽派)という概念は、アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)の弟子エゴン・ヴェレスが1912年頃から流通させたものである。「第1ウィーン楽派」はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンからなるとされた。しかし、本公演で取り上げられるシェーンベルク、ベルク、そしてウェーベルンの3人が、かなり複雑な相互的影響の関係にあったとはいえ、その美学においても、無調と12音技法の開拓においても、古典ウィーン楽派としてひと括りにされている3人と同じくらい異なる個性を持つ芸術家であったことは言うまでもない。

 それでも、「ウィーン楽派」という派閥性を強く示唆する言葉には、世紀末ウィーンの大衆に迎合した芸術に、半ば宗教的な使命感を持って反旗をひるがえした前衛的芸術家そしてカリスマ的指導者としてのシェーンベルクの仕事を考えれば、妥当な側面もある。以下にみるように、シェーンベルクの初期の無調の音楽は理性によるコントロールの排除と、それによって可能となるほとんどヒステリックな感情の表出を一つの理想としていた。1900年代の終わり頃からは、しかし、シェーンベルクは自らの音楽を「歴史の必然性」の下の論理的、理性的な帰結として主張するようになった。彼は自分自身を不協和音の「解放者」として、音の問題に立ち向かい、未知の世界を開拓する「探検家」として、そしてオーストリア・ドイツの芸術音楽伝統の正当な「後継者」として位置づけた。

The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_1035967.gif アルバン・ベルク(1885-1935)は、シェーンベルク一派のユートピア的思想と妥協を許さない調性の完全否定からはやや離れた存在である。彼はそのキャリアを通じて「歌」の作曲家であり続けた。1904年にシェーンベルクの下へ弟子入りした時、彼のポートフォリオには歌曲しか入っていなかったし、1920年以降に書かれた『室内協奏曲』(1923-5)、『抒情組曲』(1925-6)、『ヴァイオリン協奏曲』(1935)などの成熟期の器楽作品においても、根底に据えられているのはシューベルト、シューマンからドビュッシーやマーラーへ通ずる肉感的な抒情表現である。

 1910年に出版された単一楽章の『ピアノソナタ』(Op. 1)でベルクは、シェーンベルクが説いた「発展的変奏」の原理を応用する形で、作品全体に通じる主題的連続性を確保する事に成功した。トライトーンに始まりロ短調の主和音に終止する冒頭4小節に、作品を構成する素材のほとんどすべてが凝縮されている。伝統的なソナタ形式の各部はテンポの変化によって示されるが、アッチェレランドやリタルダンドの頻出によって、全体としてはとてもルバートな印象だ。半音階的進行上の経過和音の連続も多く、調性感が恒常的に流動する中で少数の動機が徹底的に労作され、劇的なクライマックスの後、葬送的な厳粛さで作品が閉じられるのは、後期ロマン派風、もっと具体的に言えば“トリスタン的”である。

The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_1053529.jpg シェーンベルク自身はピアニストではなかった。しかし、本公演で演奏される5つのピアノ独奏のための作品は、1900年代終わりのロマン主義の終焉から、第一次世界大戦を取り巻く不安を反映したモダニズムの黎明を経て、1930年はじめまでに確立される12音技法を実践した抽象表現主義に至るまで四半世紀にわたって作曲され、後のピアノ音楽に多大な影響を与えた作品群であり、また20世紀初頭の芸術音楽(とそれに付随する思想)の激動を俯瞰する意味でも重要である。

 『3つのピアノ曲』(Op. 11, 1909年)と『6つのピアノ小品』(Op. 19, 1911年)は12音技法が開拓される以前の無調作品である。シェーンベルクはこれらの作品で、ワーグナー、マーラー、そしてリヒャルト・シュトラウスの仕事によって当時すでに臨界点に達していた調性音楽を棄却し、後期ロマン派を越えた未知の領域に足を踏み入れたとされる。Op. 11の最初の2曲では主要動機の発展および回帰がはっきりとあり、伝統的な形式への意志が感じられるが、モノドラマ『期待』(Op. 17)と同時期に書かれた第3曲(Bewegt=速く、動きを持って)は暴力的なまでに激しいジェスチャの連続で、形式的な対称性や動機的展開といったものは欠落し、密度の高い音の複雑な対位法的絡み合いが前面に押し出されている。この頃ブゾーニに宛てた手紙の中でシェーンベルクは「私が懸命に追いかけているのは、あらゆる形式、あらゆる結合と論理の象徴からの完全な解放である」と宣言している。

 Op. 19は、後にウェーベルンと結びつけられることになる警句的な簡潔さへの試みで、6曲のうち4曲は9小節しかない。冷たい目が空虚に瞬きするような長3度の音程が繰り返される第2曲、諧謔的な足取りが突如として切り裂かれるように断絶する第4曲など、最低限の音で各曲に固有の雰囲気が構築される。真っ白な虚空にかすかに響く風のような和音が重なり、世界が停止しているような印象さえ受ける終曲はマーラーの葬儀の後に書かれたもので、「とても柔らかな表現で(mit sehr zartem Ausdruck)」「息のように(wie ein Hauch)」締めくくられる。

The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_107048.jpg シェーンベルクが12音技法—「互いにのみ関連した12の音を用いて作曲する方法」—を理論化し始めたのは第一次世界大戦が勃発した1914年頃で、その成果が作品に結実したのは1920年代に入ってからのことである。作品の一貫性を担保するために、デーメルやゲオルゲなど、抒情的で象徴主義的な詩人のテクストに依拠する必要がなくなったシェーンベルクは、ロンド、ソナタ、三部形式などの古典的な形式を再導入し、合唱や管弦楽のための作品をベートーヴェン的な規模で構想するようになった。『5つのピアノ曲』(Op. 23, 1920-3)と『ピアノ組曲』(Op. 25, 1921-3)は、このような過渡期に位置する作品である。

 Op. 23は音列の技法が意識的に取り入れられた初めての作品であると同時に、『3つのピアノ曲』と『6つのピアノ小品』 、そして『架空庭園の書』(Das Buch der Hängenden Gärten, Op. 15, 1908-9)や『月に憑かれたピエロ』(Pierrot Lunaire, Op. 21, 1912)などで探求されてきたピアノ書法の集大成でもある。装飾音、分散和音、対位法、技巧的パッセージ、アーティキュレーションなど、伝統的なピアノ奏法が半音階的な楽想に拡大、応用され、革新的なピアノ作品の可能性が示されている。リズムの伸縮、音域の移動、音の配置による密度と質感の操作など、動機(音列)の発展も緻密で隙がない。ただし、音列に12の半音階すべてが登場するのは「ワルツ」と題された終曲のみで、例えば第3曲(Langsam)では冒頭の5音(変ロ、ニ、ホ、ロ、嬰ハ)が基本音列として展開されるが、音程の相対的順序が厳密に保持されているわけではない。

The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_1074766.jpg シェーンベルク自身はOp. 25を12音技法の手順を踏んで作曲した「最初の大きな作品」とした。「プレリュード」では12音からなる音列がそれぞれ4音からなる3つの部分に分かれ、これらが音楽的操作の基本ユニットとなる。基本ユニットと、それらの反行形(音列上の音の音程関係をを上下反転させることによって得られる音列)を三全音移行したもの、そしてこれらの逆行形(音列上の音の順序を逆にすることによって得られる音列)は「トニック」として、また基本ユニットをそのまま三全音移行したものは「ドミナント」して扱われる。調性音楽において和音が担っていた機能を12音技法の生成する音型に持たせようというわけだ。このように、音列とその変形という新しい作曲リソースを確立された形式の中で実験する試みは、「組曲」というバロック的枠組みの使用や、Op. 23よりも均整のとれたリズムと対位法書法にも見て取れる(例えば第4曲「メヌエット」のトリオは2声の反行カノンである)。

 Op. 33の二つのピアノ曲(それぞれ1928年と1931年作曲)はOp. 23とOp. 25の発展的統合と考えられる。Op. 33aでは、冒頭に掲示されるそれぞれ4音からなる3つの和音が素材となっているが、展開はOp. 25より自由で、構成音は続く3つの和音で即座に入れ替えられる。これらの和音を構成する12音が音列として提示されるのは終盤、たった一度だけである。作品全体の構造はOp. 33a, bともにOp. 23よりシンプルで、ことに「カンタービレ」と指定された部分には驚くほど旋律的な音型や和音も登場するし、対位法的な声部の重なりもOp. 11の終曲のように破天荒なものではなく、12音技法を深く究めたという確信を感じる筆致である。

The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_1092442.jpg 1920年代中盤から構想が練り始められ、1933年にアメリカへ亡命した後も草稿が続けられたが、ついに未完に終わったオペラ『モーゼとアロン』は、厳しさを増す反ユダヤ主義の渦中でシェーンベルクが自身のユダヤ的なルーツを探った大作としても興味深いが、同じユダヤ系の背景を持ち、才気溢れる作曲家としてシェーンベルクに期待を抱かれながら、1927年に決別したクルト・ヴァイルとの論争を映す鏡として見る事もできる。モーゼは「表象されえぬもの」としての語りえぬ神への信仰の下、無調の伴奏を背にシュプレヒシュティンメ(Sprechstimme=旋律的でない、話すような発声法)で選ばれた民を導こうとする。対して、モーゼを全ての民に理解させることを己の使命とするモーゼの弟アロンの声は抒情的なテノールで、音楽にも調性感が侵入する。シェーンベルクは、キッチュに成り下がった大衆芸術にふける聴衆を「偶像のために神を裏切った」イスラエルの民に、自分自身をモーゼに重ね合わせたのである。

 シナイ山に登ったモーゼの帰還を待つことができなかったイスラエルの民の要望に応えてアロンが制作した黄金の仔牛と祭壇。この偶像が崇められ、生贄と酒肉に溢れた狂喜乱舞の破滅的な儀式が行われる様子を圧倒的な音楽表現で描写したのが、「黄金の仔牛の踊り」を含む第2幕第3場である。このシーンの凶暴性は無調・音列主義的というよりはむしろストラヴィンスキーを思わせることも多く、管弦楽と打楽器によってつくり出される巨大な塊状の音が津波のように押し寄せ嵐のように暴れ回る。

The Second Coming: piano works by Schoenberg, Berg and Webern @Tokyo_c0050810_1010552.jpg アントン・ウェーベルン(1883-1945)は「我々は調性の首をへし折った」と言って、ある意味では師のシェーンベルクよりも厳粛に12音技法を追求し、極めて禁欲的な作品を残した。『ピアノのための変奏曲』(Op. 27, 1936)は雪の結晶のように冷徹で厳格な構造を持つ。第1楽章はABAの三部形式、第2楽章は2声のカノンのようなスケルツォで、古典的な意味で「変奏曲」と呼べるのは第3楽章のみだが、ウェーベルンは「変奏」という言葉を、12音技法を用いた音列の連続的発展という広義で用いたのだと考えられる。それぞれの楽章で縦横様々な音列の幾何学的操作が試みられており、「変奏」されるのは主題ではなく12音技法の手続きである、と考える事もできる。

 不純物が一切取り除かれ、純粋に数学的なアルゴリズムのみによって構築されているかのような印象をウェーベルンの作品は与える。しかしウェーベルンは、実際の演奏に際しては意外にもロマン派的であった。ペーター・シュタトレンはOp.27についてウェーベルンから詳細な指導を受けたが、この時彼は作品の音列主義的な要素には一切触れず、演奏者の表現力を活かした演奏解釈を要求したという。12音技法によって生成される緻密な構造としての作品と、実際に聴取されることになる音の表象としての演奏とを、ウェーベルンははっきりと区別していたのである。

 本公演は、シェーンベルクが「直感的」無調時代から脱却し、より管理された構造を獲得する方法を模索しはじめた過渡期の代表作、『月に憑かれたピエロ』(Op. 21, 1912)で締めくくられる。シェーンベルクは1901年の終わりから翌年にかけて、批評家エルンスト・フォン・ヴォルツォーゲンがパリの洒脱で世慣れたキャバレー文化をベルリンに輸入しようとして開いたÜberbrettlという劇場で音楽監督を務めた。この作品では、歌と語り、囁きと叫びの間を官能的に揺れ動くようなシュプレヒシュティンメの使用や、管楽器と弦楽器それぞれ2人ずつとピアノからなる敏捷な室内楽的伴奏編成などに、キャバレー的な側面が見受けられる。

 7行からなる7つの詩を1セットとする3部構成、21のメロドラマ的シーンからなるこの作品のアイディアをシェーンベルクに与えたのは、初演時の主演女優、アルベルティーネ・ツェーメであった。今回の演奏では、その時と同様、「語り手」を女優である柴田暦が演じる。シェーンベルクの弟子の一人、エルヴィン・シュタインによるピアノのみの伴奏のための編曲は、ある意味ではよりキャバレー的であると言えるが、演奏は至難である。後期ロマン派の荘厳な大編成への志向を否定し、限定された手段の組み合わせで音楽的に最大限に豊かなヴァリエーションを獲得しようとしたシェーンベルクの器楽法の妙技が、1台のピアノで再現される。

 ピアノの最低音部で冒頭に掲示されるホ、ト、変ホの3音が、カノンやパッサカリアといった古典的な手法にのっとって体系的に発展し、全体の有機的な構成契機となる第7曲「夜(Nacht. Passacaglia)」には、感覚的で法則性を欠く無調の楽想をいかにして大規模な形式と親和させるか、というシェーンベルクのこの時期の問題意識がよく表れている。伝統的調性の放棄によって彼は不協和音を「解放」し、黄金の装飾にまみれた世紀末ウィーンの「退廃」音楽への反乱を成功させた。第一次世界大戦の勃発が間近に迫った大いなる混とんの時代の中で、しかし、シェーンベルクは、自らの精神的破滅を回避するためにも、理性のコントロールすることのできる形式的な原理を——12音技法という、新しい世界の新しい秩序の再来を——さらに追い求めなければならなかったのである。

Yuuki Ohta




柴田 暦 (ゲスト・ヴォーカル)Reki SHIBATA
 桐朋学園演劇科卒。演劇活動の後、次第にポップスから現代音楽に至るまでのヴォーカリスト活動に移行。'99年より、パフォーマンスカンパニー<時々自動>(主宰/朝比奈尚行)の全公演に、 歌手・パフォーマーとして出演し、マニラ・クアラルンプール・シンガポールへのアジアツアーにも参加。コントラバス・河崎純とのデュオ〈uni-marca/ユニ・マルカ〉で、CD〈uni-marca〉(ZIPANGUレーベル)をリリース。また、「幽霊はここにいる」(演出/串田和美)や、アジア4カ国の共同作品「演じる女たち」(総合演出/アヌラダ・カプール)に楽士・歌手として出演、造形作家・井上廣子写真彫刻展オープニングライヴ(代官山ヒルサイドテラス)、画家・富山妙子作品展(越後妻有アートトリエンナーレ2009)でのコンサートに出演するなど、演劇やアートとの交差も多い。共演者に、大友良英(ギター、ターンテーブル)、ブルーノ・カニーノ(ピアノ)、高瀬アキ(ジャズピアノ)など。 http://ongaku-tanteidan.hp.infoseek.co.jp/
by ooi_piano | 2010-07-28 04:28 | コンサート情報 | Comments(0)

3/22(金) シューベルト:ソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演


by ooi_piano