6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

松平頼則《美しい日本》について (石塚潤一)

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まえがき

  このピアノ組曲は1969年に中部日本放送から”美しい日本”という表題で芸術祭参加のため作曲を委嘱されたものである。

  いうまでもなくこれは川端康成氏がノーベル賞受賞の際に講演した”表題”である。
  しかしこの曲は別段同氏の文学的内容から着想されたわけではない。
  ただ日本の四季おりおりの自然の風景に美を見出すのはわれわれ日本人の共通の伝統的感情のようである。

  この組曲は「前奏曲、わらべ歌、草刈唄、平曲のパラフラーズ、朗詠風な幻想、筝曲風の終曲」からなっている。これらの音楽の素材は季節であり、風景であり、そうしてわれわれの祖先がそれから霊感されて日本の楽器(声も含めて)のために作曲した歴史的背景から間接的に結びついているものである。

  「わらべ唄」および「草刈唄」は名古屋地方のわらべ唄および民謡をもとにした自然への素朴なふれ合いを歌ったものである。
  「平曲のパラフラーズ」は平曲の中の一曲”横笛”に材題を求めたが、仏教的な運命の物語が京都の風景の中に展開する原曲をもとにピアノ曲への転写を試みたものである。
  「朗詠風な幻想」は牽牛と織女をテーマにした詩によるもので平安朝の唄の朗詠の様式から触発されたやや華麗なスタイルになっている。
  「筝曲風の終曲」は四季のながめがうたいこまれている”茶音頭”の筝曲風な奏法をピアノへ移したものである。

  この曲集は1969年の芸術祭参加のため同年の9月に井上二葉氏により録音された。そしてこの初演者により指使い(doigté)が指定されている。
1970.1. 松平頼則


松平頼則《美しい日本》について  ――――――――石塚潤一

  松平頼則は、作曲家であると同時に、一時期ピアニストでもあった。

  1925年、秋、帝国ホテルロビーで行われたフランスのピアニスト:ジル=マルシェックスによる6夜に亘る演奏会が、当時、慶應義塾大学文学部仏文科に学んでいた22歳の青年:松平頼則の転機となったことはよく知られている。

  この一連の演奏会で演奏された63曲には、日本初演曲が実に34曲、さらに世界初演曲が1曲含まれていた。日本では噂ばかりで実演に接することなど叶わなかった、フランス6人組やストラヴィンスキーの作品が、初めてまとまった形でコンサートにかけられたのである。この貴重な機会は、在京の趣味人の興味を惹き付け、後に梶井基次郎はこのコンサートの印象から掌編小説『器楽的幻覚』を書くことになるだろう。また、それはとりもなおさず、当時の日本の音楽家が、遠くヨーロッパで今まさに音楽史が拓かれつつある熱気を、間近で感じるとることに他ならなかった。

  このコンサートを転機としたがゆえに、松平頼則の音楽人生は決まった。創作の最前線を切り開く前衛作曲家としての未来が、この熱気の中で生まれたことは疑いない。同時に松平は、ここでのジル=マルシェックスのように、自らの楽曲はもちろん、ヨーロッパの最新の楽曲を紹介するピアニストとしても活動していくこととなる。後者には、当時の日本人演奏家の殆どは古典的な名曲しか眼中になく、自作の披露やヨーロッパ最新の楽曲の紹介は、自らの演奏で行わなくてはならない、という切実な事情も絡んでいたのだが。

  ピアニストとしての松平頼則は、1931年4月3日(この日は、長男:頼曉誕生の1週間後に当たる)の第1回を皮切りに、1934年11月までに4回のリサイタルを行っており、この中で、イタリアの作曲家:マリピエロの作品の日本初演すら行われている。また、ソロ・リサイタルに限らず、自作室内楽曲の演奏においても、松平自身がピアノを担当する機会は多々あった。自身のピアノによって初演された作品の一つ、フルートとピアノのための≪ソナチネ≫(1936)終楽章、プーランクからの影響が色濃い跳躍音形から、松平が‐当時の技術的水準を考えるなら尚更‐相当の弾き手であったことが見て取れよう。
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  4回のリサイタルを終えた後、松平は「指の回転に限界を感じた」という理由から、ピアニストとしての第一線から退き、作曲に専念することになる。当時、ヨーロッパから輸入される楽譜を筆写することで最新の音楽語法を学んだ松平は、いつしか雅楽と新古典主義的な作曲技法を結びつけることに開眼。以後、雅楽と西欧前衛最先端の結合は彼の終生のテーマとなる。そうした中、ピアノは松平が新時代を切り開くための一番強力なツールであり続けた。1940年代の松平作品を概観するなら、ラヴェルやドビュッシーの残り香が感じられなくもない弦楽器などの書法に比べ、ピアノの書法は図抜けて独創的かつ洗練されていることに気付く。そうした洗練は、新古典期を代表する作品である、≪古今集≫(1939‐45)やピアノのための≪ソナチネ≫(1948)の譜面からも見て取れるはずだ。

  松平頼則が初めて12音技法を取り入れたのも、1951年のピアノと管弦楽のための越天楽による≪主題と変奏≫第3変奏でのことだった。以後、松平は総音列技法、管理された偶然性、という西欧最前衛の技法を、雅楽を仲立ちに噛み砕いて行くが、そこでもピアノが果たした役割は大きい。松平の作品中最もユニークな形式の探求が行われた≪フィギュール・ソノール≫(1956)、一部に不確定性を導入したピアノと管弦楽のための≪3楽章≫(1962)、2台のピアノと打楽器のための≪ポルトレβ≫(1967‐68)など、松平は創作の節目で必ずピアノが主役となる作品をのこしている。

  ならば、松平が急速に戦後前衛へと傾斜するこの時期に、ピアノ・ソロ作品をほとんど残していないことは少々奇妙だ。新古典期末期の≪ピアノ・ソナタ≫(1949)以後のピアノ曲といえば、ツェルボーニ社や全音によって出版された、子供のための平易な作品群が挙げられる程度。おそらく、松平は日々の修練の中でじっと待っていた。雅楽由来の「なにか創造されようとする前の期待にみちた素材の未整理なままの秩序」。これを音列技法という、極めて厳格な作法を用いて逆説的に結実させることが、松平の50~60年代の課題であった。ただ、その音世界は、雅楽由来のスライドする音程や笙を模したヴァイオリンのアンサンブル、言い換えればピアノ以外の楽器の力に多くを拠っていたことも事実。そうした楽器のイントネーションによらず、ピアノという、平均律の檻に閉じ込められた、機能的だがそれゆえに融通の利かない楽器「のみ」によって、自らの目指す音世界を表現すること。これが実現したならば、松平の作品は雅楽に取材しながらも、雅楽とは全く似ていない独自の境地へと飛翔するだろう。『美しい日本』が記念碑的な作品となったのは、そうした技術的/美学的課題に決着をつけ、松平が20年ぶりにピアノ・ソロ曲でもって最前衛へと復帰した結果であるからに他ならない。
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  ピアノ組曲≪美しい日本≫の作曲は1969年、中部日本放送の芸術祭参加番組のために委嘱された。題名は言うまでもなく、川端康成のノーベル賞受賞講演:『美しい日本の私』より採られたもので、委嘱者側の注文による。ゆえに、作品の着想は川端の講演内容とは無関係である。初演は1969年9月、井上二葉による放送用の録音で、レコードになった形跡はない。井上による指遣いが付けられた譜面が、その翌年、全音楽譜出版社より出版されている。しかしながら、全曲が舞台初演されたという記録は(少なくとも今回調査した範囲では)残っておらず、今回の演奏が全曲の舞台初演となる可能性もある。

  組曲は、『前奏曲』『朗詠風な幻想(七夕)』『わらべ歌』『草刈歌』『平曲のパラフレーズ(横笛)』『筝曲風の終曲(茶音頭)』の6曲からなる。作曲者による出版譜前書きから推察するに、当初は演奏順が異なり、『朗詠風な幻想』は最後から2番目に配置されていたようだ。『わらべ歌』『草刈歌』の2曲では、委嘱元を意識してか名古屋地方のわらべ歌と民謡より題材がとられ、新古典的な手法によってまとめられている。チェレプニンが認めた初期作品≪前奏曲二調≫(1934)の頃より、松平は増四度の音程関係を偏愛し、これは五音音階の旋法性と12音音楽を橋渡しする鍵として、前衛期の松平の作品にも頻出することになるのだが、『わらべ歌』では常にこの増4度関係にある音が旋律線へとまとわりつき、密集した音域で4声がストレッタ的に重なる『草刈歌』でも、各声部の関係に増4度が紛れ込んでいる。
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  『前奏曲』『朗詠風な幻想(七夕)』『平曲のパラフレーズ(横笛)』『筝曲風の終曲(茶音頭)』は、装飾音が入り組み西洋的な拍節を曖昧化する、前衛期の松平のスタイルで書かれている。ただし、素材となる日本の伝統音楽は時代背景からして様々である。

  朗詠は日本の古代歌謡の一つで、『和漢朗詠集』などに収録された漢詩の詞章に節をつけ、雅楽器の伴奏で自由なリズムで歌われるもの。ここで題材となっている牽牛と織姫をテーマにした詩による朗詠といえば、小野美材の漢詩「二星適逢 未叙別緒依々之恨 五更将明 頻驚涼風颯々之声」による『二星』に他ならない。松平は、1966年にこの素材をもとに声と11楽器のための≪二星≫を書き、のちに奈良ゆみのためにも同名の歌曲を作曲している。作曲者によれば、「平安朝の頃の朗詠の様式から触発されたやや華麗なスタイルになっている」とのこと。
 
  平曲とは、盲目の琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られる「平家物語」のこと。「横笛」はその巻十の一部、平維盛(たいらのこれもり)が高野山に逃げて落ちた際に逢った、滝口入道の回想が述べられている箇所で、横笛とは回想に登場する女性の名前である。『平曲のパラフレーズ』では、琵琶による爪弾きと、琵琶法師の朗誦が交互に出現する平曲の形式を踏襲すると同時に(爪弾きと朗誦の出現回数、その持続も「横笛」のそれに倣っている)、「口説(くどき)」、琵琶による間奏部分を経ての「三重」、「下げ」、と大まかに3部からなる「横笛」の構成も、そのままピアノ曲へと置き換えられている。

  茶音頭は文化文政期に京都で活躍した菊岡検校が作曲、八重崎検校が箏の手付をした地歌曲で、手事と呼ばれる歌と歌とを繋ぐ長い器楽部分を含む。『筝曲風の終曲(茶音頭)』では、茶音頭の箏の奏法がピアノへと移し変えられ、拍観念の希薄な『朗詠風な幻想』『平曲のパラフレーズ』とは一転して、(頻出する装飾音がこれを曖昧にする傾向があるものの)4分の2拍子が最後まで貫かれている。
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by ooi_piano | 2010-10-17 14:34 | コンサート情報 | Comments(0)