8/25(金) ソラブジ《オープス》& 古川聖《ノベレッテ集》完演


by ooi_piano

11/13(土)POC第3回公演/伊左治直氏 作品解説

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【ポック #3】 〈塩見允枝子×伊左治直〉
Mieko SHIOMI × Sunao ISAJI
2010年11月13日(土)午後7時 門仲天井ホール 
Sat, 13 Nov. 2010, Mon-naka Tenjo Hall, Tokyo

大井浩明(pf+performance) 柴田暦(recitation、※) 伊左治直(performance、#)

●伊左治直:《墜落舞踏遁走曲》(1997)
Sunao ISAJI:FALLINGDANCE Getaway (fuga?) (1997)
●塩見允枝子:《フラクタル・フリーク》(1997/98/2002、全曲通奏による東京初演) 第1番「カスケード」
Mieko SHIOMI: (1997-2002) Tokyo premiere with all 4 pieces -No.1 "CAsCAde"
●伊左治直:《虹の定理》(1998/2002)
Sunao ISAJI:Teoría del arco iris (1998/2002)
●塩見允枝子:同第2番「鏡の回廊」
Mieko SHIOMI: No.2 "A Mirror Cloister"
●伊左治直:《海獣天国》(2010、委嘱新作初演)
Sunao ISAJI:Marine mammal Paradise (2010) commissioned work, world premiere
●塩見允枝子:《午後に又は夢の構造》(1979)(ピアノと朗読のための※)
Mieko SHIOMI:In the afternoon, or the structure of the dream (1979) [with Reki Shibata, recitation]

(休憩15分 intermission 15min.)

●伊左治直:《ガルシアは寒かった》(2006)
Sunao ISAJI:García tenia frio (2006)
●塩見允枝子:同第3番「パラボリック」
Mieko SHIOMI: No.3 "Parabolic"
●伊左治直:《ビリバとバンレイシ》(2010、委嘱新作初演)
Sunao ISAJI:Biriba and Sweetsop (2010) commissioned work, world premiere
●塩見允枝子:同第4番「彩どられた影」
Mieko SHIOMI: No.4 "Animated Shadows"
●塩見允枝子:《シャドウ・ピース》+《バウンダリー・ミュージック》(1963/2010、新ヴァージョン初演、#) 
Mieko SHIOMI:Shadow Piece + Boundary Music (1963/2010) new version premiere [with Sunao Isaji, performer]
●伊左治直:《魔法の庭》(2001)
Sunao ISAJI:Il giardino magico (2001)

ピアノ作品総説  ――――――――――伊左治直

■序
  大井浩明氏とは、1995年1月に水戸芸術館での塩見さんのイヴェント『ジョンケージローリーホーリーオーバーサーカス』で共演して以来のお付き合いになる。その同年3月、フルートとピアノのデュオのための《“KO….”“OK!”》の委嘱初演、2004年ジャーマンチェンバロのための《機械の島の旅(夜明け)》の委嘱初演(その後、モダンチェンバロやクラヴィコードでも度々再演)、2005年ロマンティックオルガンによる《機械の島の旅(黄昏)》のルクセンブルク初演、2008年バロックオルガンによる《橋を架ける者》のベルギーでのCD録音等々、これまで大井氏には幾度となく演奏して頂いてきた。そして昨年には、ベートーヴェンの大フーガ編曲版の一部手直しをお手伝いしたが、それはフォルテピアノの演奏だった。
  なんと、「ピアノソロ」の演奏は、(出会いより15年後の)今回が初めてのことになる。
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■ピアノ作品について
  過去の作品を振り返ると、デュオからオーケストラまでの編成の中ではピアノの登場機会は、かなり多い。クラシックはもとより、ジャズのコンボ、特にクインテット以下の小編成でのピアノの硬質な響きは、わたしをとても魅了していて、「アンサンブルとしてのピアノ」は自然に受け入れられていたのだ。
だが、ピアノソロ作品、となると、(おそらく他の作曲家と比較してみても)とても少ない。これは20代の頃、弦,、管楽器のように音の質感が多様であるものへ強い興味があったこととも関係があるだろう。楽器と一対一で向き合う時には、鍵盤を押さえれば苦もなく正確に鳴り響くピアノより、わたしのような素人が弾けば奇妙な倍音が含まれたり、音が曲がってしまったり、息ノイズの方が楽音より多くなってしまうような楽器に、逆に、楽器としてのある種の「信頼」のようなものがあったのかもしれない。これは、もしかしたら「鉄の塊が空を飛ぶなんて騙されている(←飛行機のことです、念のため)」に似た感覚とも言える。
  したがって、ピアノと正面から向き合わなければならなかった最初のソロ作品《墜落舞踏遁走曲》の作曲は、難航した記憶がある。とはいえ、その一方で、いわゆる調性のあるピアノ小品は《墜落舞踏遁走曲》よりも前から作曲されて今日に至っている。今思うと、これらの小品は、ピアノという楽器を(無意識のうちに)別の角度から捉えていたのだろう。そして、「現代音楽」とは別の機会に、友人や私自身で演奏され、現在も作曲中の子供向けの小品を含めると、かなりの数になっている。なお、《魔法の庭》など、その一端が本日演奏されるが、これらは決して気楽に書かれたものではなくて、作曲時の集中力の比重は他の作品と何ら変わることは無いことを明言しておきたい。
  それはさておき、《虹の定理》以降の作品は、それら調性作品の経験にも助けられて、自由に、身体的にも開放されて作曲できた気がする。10数年前にはピアノと同様の理由で苦手だった打楽器もまた、ピアノ共々、今ではわたしの中で最重要な位置を占めるに至ったことを思うと、ホント、人生とは何が起こるかわからないものである。


●墜落舞踏遁走曲
  1997年3月、カザルスホールにて門光子さんにより委嘱初演。
  ある日わたしは、「墜落」と「堕落」は、よく似ている、ということから、『墜落舞踏』という架空のダンスのためのシリーズ物の作曲を思い立った。そして曲名にはそれぞれ、西洋音楽の形式の訳語をあてることにした。ちなみに、このシリーズは他に《墜落舞踏行進曲》《墜落舞踏綺奏曲》がある。
なぜこの作品が遁走曲になったのか(鍵盤楽器のための作品ということはあったと思うのだが)、また、どのように作曲したのか(多少はFugaを意識していた筈だが)…13年も前のことで、全く覚えていません。

  さて、大バッハをはじめ多くの偉大な先人たちの英知の結晶ともいうべきFugaが、邦訳されたら「遁走曲」とは、これ如何に。ずいぶんと、あんまりなんじゃありませんか。もっとほかに厳粛な訳語はなかったのだろうか。なにせ「とんそうきょく」である。「とんそう」「とんそう」「とんそう」etc.フォントを変えてみてもなおのこと、おかしさは増すばかりである。その語感も含めての作曲であったことは、なんとなく覚えている。
  その一方で、純情きらりと光る昭和初期は旧東京音楽学校時代、Fugaを「遁走曲」と真摯に呼び、研鑽を積んでいたであろう大先達の演奏家の方々に、わたしは(真面目に)敬意を持っていることもまた、付け加えておきたい。

  これは最初のピアノソロ作品である。大概、音大生であれば在学中にピアノソロ曲の一つも書いていそうなものだが、その作曲は学生生活を終えて2年も後のことであった。
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●虹の定理
  1998年11月、中野ゼロホールで開催された「ガルシア・ロルカ生誕100年祭」において、門光子さんにより委嘱初演。
  スペインの詩人、ロルカは《ジプシー歌集》や《カンテ・ホンドの詩》など、民族色の強い作品がよく知られているが、わたしはそれ以前の初期詩の多くにこそ、強い魅力を感じている。そこでタイトルは、初期詩の一つ《七人の娘の歌—虹の定理》(Cancion de las siete doncellas – Teoria del arco iris)から取られた。なお、この作品は2002年に中嶋香さんにより改訂初演されている。
  曲の最後の連打音を、大井氏は「出来ればカンテレとか民俗楽器風に弾きたい」と語っていた。彼の繊細な指からどのような響きが現れるか楽しみである。

七人の娘の歌 − 虹の定理

(天空に、落日の見本のような虹)
七つの声の心、七人の娘
(白い大気のなかに、とおく七羽の小鳥)
七人の娘が死に絶える
(なぜ九人では、二十人ではなかったのか?)
川は娘たちを運ぶけれど、誰もそれを目にすることは出来ない。


●海獣天国
c0050810_23284530.jpg  2010年に作曲。本日が初演。
  わたしは作曲する時、演奏家のキャラクターや、作品が演奏されている風景をイメージすることが多く、この作品もその系列の一つである。
  昨年春、前述の《大フーガ》を含むベートーヴェン作品を、大井氏が各時代楽器で演奏するBS放送を見た。クラヴィコードからフォルテピアノまでの数種の楽器が、(いずれもグランドピアノより小さいこともあっただろうが)わたしには奏者に包容されているように見えた。その印象は、このPOCシリーズでのピアノの演奏に、間近で接してみても変わらなかった。奏者と楽器が対峙しないピアニスト、ピアノを包容できる奏者は極めて稀であろうし、それは彼の類い稀な資質であろう。そして、その姿にラッコ、トド、オットセイ、アシカetc.愛らしくも恐ろしげでもある海獣たちが重なって見えたのは、とても自然なことだったと思う。そういえば武満徹は鯨に憧れていたことを、いまふと思い出した。
  この曲は、海獣たちの祝福の踊りのなかで幸せに包まれたハッピーエンドを迎える。


●ガルシアは寒かった
  2006年12月、津田ホールにて碇山典子さんにより初演。
  この年はショスタコーヴィチの生誕100年で、日本での出版元である全音楽譜出版社の主催により、彼にちなんだピアノ作品の委嘱新作を集めた演奏会が開かれた。この作品は、その演奏会のために作曲されたものである。
  この演奏会の一月前、わたしは林光さん、寺嶋陸也さんらと、池田逸子さん企画の『ロルカ祭』に参加した。この年はロルカの没後75周年でもあったのだ(ちょっと微妙な記念年なところがまた、よかった)。そこで、このショスタコーヴィチ企画で、わたしは《交響曲第14番》の1、2楽章をもとに再作曲を施すことにした。この1、2楽章にはガルシア・ロルカの詩がロシア語訳でテキストに使用されていたからである。
  ロルカは、スペインでも特に暑く「真夏は、まるでフライパンの上のようだ」とまで言われるアンダルシア地方の出身である。その彼の詩が、こともあろうにロシア語訳され(!)、しかもショスタコーヴィチによって作曲される(!?)。ロルカ愛好家としては、そのギャップの衝撃度はかなり大きいのだ。ロルカもさぞや寒かろう…、というところから、このタイトルとなった。そして、ショスタコーヴィチは映画音楽も手がけていることとも関連し、ここでは架空の短編映画『ガルシアは寒かった』を想定し、それに劇中伴奏曲を付ける、という状況設定を自らに課して、作曲した。
  《ロルカは寒かった》ではなく《ガルシアは寒かった》としたのは、あえて「ロルカ」の名前を出さないことで、なにか抽象的に関係を暈して、イメージを制限したくなかったからである。
  楽譜は全音楽譜出版社「PIANO2006」に収録。
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●ビリバとバンレイシ
  2010年に作曲。本日が初演。
  ビリバとバンレイシはともに、外見は異様だが食すれば甘く美味なトロピカルフルーツの名前である。ビリバは「伯爵夫人の果物」、バンレイシは「伯爵の果物」と呼ばれ親しまれている。余談ながら(題名から推察頂けると思うが)この作品は来月3日に初演予定のギターソロ《熱帯伯爵》とも関係がある。

  さて、この曲は門天ホールという場所柄から、せっかくなら大井氏と共演できる曲を、ということで、書かれたもの。
  このPOCシリーズは、毎回がオリンピックと言える程の難曲揃いだが(しかも5ヶ月も連続で!)、ちょうど折り返しの今回ならば、一つくらい怠惰で冗長な曲もアリではないか、と思っている。怠惰で冗長と書くとネガティブだが、時間軸が歪んでいくように推移する作品、と書けば良いだろうか。
  わたしの作品集CD《熱風サウダージ劇場》の評に、長木誠司氏は「現実にあるものを異化しようとか、別の意味のように聴かせようといった戦略ではなく、現実そのものがひと揃いそっくり入れ替わってしまうような、奇妙なヴァーチャル現実感を味わわせてくれるという意味では、やはりユニークな創作と言うべきだろう。それは例えば夢のなかでどこまでも煙に巻かれて落下してゆくときの、重力から自由になった快感に近い。」と述べているが、その世界がこの曲からも感じて頂けるのではないかと思っている。

  なお、ビリバは英語で「Biriba」だが、バンレイシの方は「Sugar apple」や「Sweetsop」などの表記があるが「バンレイシ」そのものがないようだ。「レイシ」は「ライチ」の意味らしく、ならば「バンレイシ」のローマ字表記があってもおかしくない筈だが…。もしご存知の方がいらしたらお教え下さい。


●魔法の庭
  2001年6月、近藤嘉宏さんのCD(UCCP-1033)への書き下ろし。
  このCDは映画音楽などの、いわゆる「聴き易い小品」を集めた企画のもので、その頃のわたしは、ポピュラー音楽の中では、ジャズよりブラジル音楽に傾倒しはじめた時期だった。そして当時「現代音楽」しか音楽と関わる場が無かったわたしには、(ほとんどの作曲家とは逆に)これは、とても貴重な機会に思われ、そうとう気合いを入れて作曲したことを覚えている。
  委嘱に関しては、漠然とでいいけれど「水」からイメージを拡げてほしい、という話があり、水から海を思い、遠い異国を思う、という順にイメージが進み、異国の不思議な長方形の庭を思った。すなわちサッカーのフィールドへとイメージは進んだ。
  当時、イタリアはフィレンツェの「フィオレンティーナ」というチームで、ポルトガル代表のルイ・コスタという名選手が10番を背負いチームを牽引していた。彼と、当時のフィオレンティーナ、そしてポルトガル代表の試合は、一般的にイメージされる「球技」としてのサッカーとは、何かが決定的に違っていた。サイボーグのようなジダンや技巧的なメッシとも違う。そこには幻想的な空間と時間が広がっていたのだ。わたしには、このような陳腐な表現しかできないが、当時を知る人にはご理解(というより共感を)頂けると思う。それは確かに、普通ではなかった。

  …という話を始めると切りがないので、この辺でやめます。

  この曲は幸いなことに、初代ピアノ屋・岡野勇仁さん、ザウルス・赤羽美希さんはじめ、多くの友人のライブで演奏して頂き、また2005年には、「楽しいムーミン一家」のキャラクターデザインとしても知られるアニメーター名倉靖博さんにアニメーションをつけて頂いた。
  全音楽譜出版社から出版されている。
魔法の庭

緑が敷き詰められた広大な長方形では
時として信じ難いことが起こるもの

6は基点となり 10はまだ見ぬ世界へ穴をあける
1と5は意志の力
7は恐るべき斜線を引き 11の足は白く染まる
では21は? 21は最後の希望

踊れポルトゲーザ
踊れ 踊れ 踊れ

一面の青 横切る一点の白

呼吸が歌に変わるとき
紫の扉が開け放たれる
魔法の庭で何が起こったのか?

踊れ 踊れ 踊れ


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by ooi_piano | 2010-11-07 23:12 | コンサート情報 | Comments(0)