Blog | Hiroaki Ooi


9/20(水) 現代日本人作品2台ピアノ傑作選
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■2005/04/19(火) きょうびはやんねー・リローデッド(1)

急告:このブログでも御紹介致しましたアイスランド人作曲家、アトリ・インゴルフソン氏の作品が、明日(4月20日(水))19:30より神奈川県民ホール小ホールで演奏される、とのメールを氏から頂いておりました。宜しければ是非。 愛知万博での初演予定はキャンセルになったとの由。

――――――――――――――――――――――――――

野々村禎彦(よしひこ)氏の念入りな演奏会批評がアップロードされたのに背を押されて、シュパーリンガー《エクステンション》の註解補記――にかこつけた諸問題の考察――をしてみたいと思います。タイトルについては、作曲者は英語読みして欲しいようです。





c0050810_2282440.jpgバロック時代に書かれた文献で、奏法についての詳細な解説のあとに、「しかし何より大切なのは《良い趣味》である」とあり、しかもその肝心の《良い趣味》については何も具体的記述が無い―――・・・ほどには厄介ではなくても、このシュパーリンガーの譜面では、あるひとつのアクションを説明するためにかなり読み取りにくい幾つかの記号が組み合わされていて、作曲者が目の前で解説してくれなければそのアクションを想像さえ出来ない箇所が多々あります。逆に言うと、一見不可能な指定でも、作曲者によくよく確認してみると、一応はギリギリ演奏可能な、シンプルなひとつのアクションを示しているわけです。

ブーレーズのように作曲家として功成り名遂げて最高権力まで手に入れても、難曲は難曲のまま演奏されないもののようですから、況やシュパーリンガーをや。 またソリストが弾けるようになるまでシコシコ付き合っていれば良い独奏曲では無く、演奏時間も法外に長いので、上演する機会も自ずと制限されます。ほとんど暗譜しないと演奏出来ないほどのパッセージが続き、やたら苦労させられるわりには、ヴィルトゥオジテを観客に誇示する機会もゼロ(その意味ではソラブジ以下か)。わざわざ練習前にフライブルクまで作曲家を詣でて、奏法解説してもらわないことには、1小節も練習さえ始められない(ということを気付くのにまた時間がかかる)。ここまで演奏家のモチヴェーションを誘発しない作品も珍しいかも。 「あの頃は難しけりゃいいって感じがあったからなぁ」とは、《エオンタ》の影響濃い《エアーⅠ》のリハーサル時の近藤譲氏の回想ですが、とまれこの《エクステンション》は戦後の現代音楽ムーヴメントの最後の打ち上げ花火(1979年作曲)に位置している、と言えましょう。

作曲家との打ち合わせ時に、自分の書いた音符について彼ら自身が全然「分かっていない」ことに、失望を覚えるケースもままあります。 が、特に現代においては、良い作曲家というのはあくまで「面白いテクスト(楽譜)を書ける人」、というのが私の定義でして、演奏家として読み取った音像さえ面白ければ、「そこに何が書いてあるかを分かり易く解題する」義務はありません。
たいていの現代作品の難曲は、練習方法の開拓を別にすれば、要するに「書いてあることをそのまま弾けば」お終いなので、ラクと言えばラクです。ケージの図形楽譜でさえテュードアは一切「質問」はして来なかったそうですから、よほどのケースで限り、まずは自分ひとりで弾けるようになれる筈のものなのです。


c0050810_2291748.jpgさて、まず《エクステンション》冒頭のピアノ・パートの(内部)奏法説明頁から。
☆点線の矢印 “saite leicht gedaempft mit dem finger” は、音高が少しは聴こえるように弦を消音すること(片手で弦をかるく押さえて消音、片手で鍵盤を演奏)。
☆一方、実線の矢印 “fest gedaempft” は、弦を指でギュッと押さえつけて完全に消音してしまい、結果として「カツン」というノイズしか聴こえなくしてしまうもの(だったらどの弦を押さえたって変わらんやんけ、とは言いっこ無しヨ~)。
☆実線矢印が2つ重なっているもの “2 von 3 saiten gedaempft” は、3本の弦のうち2本を完全消音して鍵盤を弾くもので、「ピーン」という音色になります。
☆白抜きの矢印 “starker druck (mit daempf-finger oder plektron)は、以下の項目のピック奏法についての指定です。ピックを弦にギュッと押し付けてグリッサンド、という際などに指示されています。
☆“in den saiten hinter dem steg, gegenueber den stimmstiften” は、高音域弦の奥の弦留めのすぐ手前をチカチカと(ピックで)グリッサンドすること。ピッチは不規則であるべきであり、弾く場所を誤ると半音階が露骨になるので注意。
☆そのすぐ下の、”dasselbe bei den stimmstiften.” とは、手前(鍵盤側) の弦留のそばあたりで弦をチカチカとグリッサンドすること。ピッチは不規則になるはずです。以上の2つの奏法の記号の区別は非常にまぎらわしいですが、太い横線のみのものが前者、細い横線も加えられているのが後者。 この作品でいきなり頻出するこの2つの奏法でさえ、作曲者によって明確に定義されるまでは、どう区別して良いのか全く見当もつきませんでした。
☆倍音奏法(flageolett)については、3つの音高が同時に示されています。一番下の四角括弧[ ]で囲われた音符は、実際に弾く鍵盤の音です。 一番上の丸括弧( )で囲われた音符は、結果として生じる音高を示しています。 その2つに挟まれた菱形◇の音符は、もう片方の手で弦上を軽く触れるポイントを表していますが、しかし楽器によってその場所は異なってくるものですから、この表示にこだわらず最適ポイントを探し当てること。 頻出する2次倍音や3次倍音については、それぞれの音高の弦長の1/2や1/3(あるいは2/3)をつなげていった横方向の曲線が、弦上でなんとなく「見えて」くるように準備練習すると良いでしょう。


c0050810_2342717.jpg☆テンポについては、「4分音符60以下(=1小節1秒以上)で」、とあります。あるパートが極度に難しいアンサンブル曲(協奏曲を含む)の場合、ゆっくり目の「定テンポ」を、ある程度のフレーズ枠ごとにきちっと設定しておく方が良いでしょう。ドゥオ程度なら、微調整も付け易いです。
☆このように1拍毎に小節線がある場合はまだ良いのですが、1小節4拍あるいは6拍でかつ16分音符で複雑なパッセージが続く際、往々にしてそれぞれの音符の臨時記号がどれくらい「作曲家の頭の中で有効だったか」が問題となります。ですのでやはり、「臨時記号は(反復時を除いて)その音のみに有効」、という、バロック時代ゆかりの記譜法が最も効率的だと申し上げたい。
ついでながら、シャープがぐちゃっと潰れてナチュラルと区別がつかなかったり、密集和音でどの音にどの変位記号がついているのか判読しにくかったりするのは、ことに難曲の場合、非常に神経を逆撫でされます。なんとかして下さい。 また、リズムのスペース・ノーテーション(あるいは拍節のカウント自体)が正確に出来ていないとか、ト音記号で書いたつもりなのかヘ音記号で書いたのかよく覚えて無い、等々も論外です。自作のソルフェージュさえ出来ていないことをわざわざ暴露してどうするのか。「作曲家のミス・ノートは、演奏家のミス・タッチの10倍も恥ずかしいものなんだよ」(故・平義久氏談)。 面白いことに、内容的に一流の作曲家であればあるほど、ミス・ノートもほとんど見当たりません。
☆《エクステンション》では、ピアノ・パートは4段で記譜され、最上段を「2オクターヴ上」、最下段を「2オクターヴ下」で読まねばなりません。通常はそれぞれ「1オクターヴ上」、「1オクターヴ下」という方式を採ることが多いですので、要するに読みにくくなっています。まず奏者はこれに慣れなければなりません。読みにくい記譜は、奏者のモチヴェーションを奪いがちです。
☆ペダル記号指定について。 これも困ったことに、「1」とあるのがソフト・ペダル、「2」とあるのはダンパー・ペダル、「3」はソステヌート・ペダルです(凡例にはいちいち明記していません)。 混亂を招くだけだと思うのですが・・・。 そういえば、フランス流儀に倣ったJ.S.バッハを除いて、ドイツ・バロックの作曲家達はいちいち自分自身の装飾記号を使っておりましたなあ。
☆ペダルと言えばこの作品では、「内部奏法を行いながら」(すなわち立ち上がって両手を前へ突き出した状態で)、仔細に指定されたダンパー・ペダルとソステヌート・ペダルを「同時に使用する」箇所が多々あります。私のように縦幅・横幅あるピアニストでも、そういう体勢でバランスを取ることは、ほとんど不可能でした(2本のペダルを片足で同時に踏むことになります)。 なお、幾つかのデモ録音を聞いたのちに、作曲者に「あのペダル指定を譜面どおりに行っている演奏家がかつていたのか」と質問したら、「さあ?」と回答したことを一応御報告致します。



c0050810_2361752.gif☆ピアノの最初の入り、第41小節 “mit finger knoechel auf stahlrahmen klopfen” は、指の関節でピアノ内部の金属フレームをコツンとノックすること。場所によってノック音の高さが違うので、それを第44小節で利用する。
☆第47小節では、片手でd-esを消音しながら同時にピックで奥の弦を演奏。弦(や鍵盤のへり)をはじくためのギター用ピック(プレクトラム)は、硬い(厚い)もの(番号は「6」)と、薄め(柔らかめ。番号は「2」とか)のものと、出来れば3種類準備する。私の意見では、指に装着するタイプのピックで無ければ、演奏不可能(作曲者はそこまでは断言しなかったので始末が悪い)。
☆第48小節、最高音cのみが消音ナシ。なお、fの横にある「φ」のような記号は、#のミス・プリントです。この(有)Peer音楽出版の譜面は、一見自筆譜ファクシミリに見えますが、実は出版社による清書譜です。よって、「写譜ミス」が存在します。(サラベールから出ている武満徹《For Away》も同じ問題が見られます。)
☆第49小節、”vorne an den tasten” は、鍵盤の手前の垂直部分をピックでカタカタカタ、と正確に3回グリッサンドしてノイズを出します。聴こえにくいけど。 言うまでも無いことですが、どちらの手で弦を押さえどちらの手で鍵盤を弾くか、いつどのタイミングで小道具をどちらの手で取るか、それぞれのペダルをどちらの足で押さえるか、等々の詳細は、あらかじめ完全に決定しておかなければなりません。そして、これらの「振り付け」だけは暗譜しておかないと、まったく演奏不能に陥ります。
☆第55小節、cisと同時にダンパー・ペダルを踏み込み、すぐ弦を直接消音(レゾナンスがワ~ンと響く)。
☆第59小節、 “pizz (in der mitte (senkrecht) der saite)”は、ダンパーペダルを踏み込み、disの弦の真中あたりを指で上(垂直)方向につまみあげ、緩やかに解放してブ~ンと音を出したのち、ゆっくりペダルを挙げると「ギロジロリ~」というノイズが発生する効果を期待しています。(弦は横方向ではなく縦に振動させたほうが、ダンパーによるノイズdaempfer-geraeuschが出やすい。)「記譜されたテンポ・リズムよりも、楽器がうまく響き渡ることを優先せよ」、とのことでしたが、これは演奏家を違えての数度の再演を経、2005年に61歳を迎えた作曲者の言葉ですので、ある程度「悟っている」ものがあります。恐らく初演時は遥かに融通が利かなかったことでしょう。
☆余談ながら、この最初の2ページで、あまりの難しさに相当ウンザリします(笑)。ことに、初めから決然と「指装着型ピック」を使用していない場合は。


c0050810_2395378.jpg☆第61小節、e音のみ消音。
☆第63小節~第64小節、アウフタクトのas音ハーモニクスは1/3低いはずで、ちょっとした素敵な効果が見込めるところですが、楽器の型によってはこの音域上で弦が互いに重なりあっているので、弦と弦の間に無理矢理指を捻じ込みつつ、苦労して苦労して探り当てることになります。 結局、直前のリハーサルを聞いた作曲者によるossia案は、「pizz2回に変更」というものでした。 (だったら最初から楽譜にその代替案を書いていれば、不毛な苦労はせずに済んだものを・・・)
☆第69小節、sfffのbのあとにダンパー・ペダルで捉えられるレゾナンスはpppであること。すなわち、ペダルを踏むタイミングが遅れても良い。「タイミング優先」のレゾナンスもあるので注意すること。
☆第72小節、小さなシンバルFingerzymbel(=金属皿。2月の演奏会では広めのティースプーンで代用)を弦の上に置くや否や鍵盤を弾き、弦の上で皿がはずんで「ビりぢャリン」というノイズを聞いてすぐにその金属皿を弦に押し付けて消音。作曲者私有のFingerzymbelは、直径5センチくらいの金属製の小さい皿(丸い小型シンバル、真中に突起あり)で、中央部分に、指頭を通す紐(バンド)がついている(付いてなくても良い)。
☆第76小節、冒頭のes-cとd(g)は同時に弾かれるべきものです。片手はdのためのハーモニクスのポイントをおさえつつ、esの弦をはじく。
☆第80小節、低音asのあと高音aをフォルテで弾いて、すぐそれをもう片方の手の手の平で消音daempfen mit der flachen hand、そのaのレゾナンスをダンパー・ペダルで捉える。
☆第88小節、鍵盤でg音を無音で押さえておいて、もう片方の手で弦をはじく。
☆第97小節、要するに片手がcis-cisのオクターヴを鍵盤上で弾くことになる。


c0050810_2404775.jpg☆第102小節、消音しつつ、ピックで普通に弦をはじく。「ピチッ」という音がする。 ・・・むなしいか?むなしいのう。
☆第106小節、消音記号が抜けている。
☆第109小節、gisの連打音は、勿論(ピックで)3本弦を平行方向にグリッサンドして得られる効果。
☆第110小節のcis音のプリペアードは、曲が始まる前にやってしまっておいてOK(この音をそれまで使わないので。いつ外すかは演奏者の裁量による)。硬目(コルクに近いくらい)のインク用消しゴムの一端に、3箇所ザクザクと楔型にくっきりとした切れ込み(太めの溝)をカッターで入れて、それをキュッと3本弦に差し込む(=3本弦)。 楽器によって3オクターヴ上のcis-disがうまく得られない場合には、普通の消しゴム(と割り箸など)を弦と弦の間に差し込んで、だいたいのところを狙うこと。「ハーモニクスの種類は多様でありりうる。弦にあまりにガッチリ食い込み過ぎるのも良くないが、消しゴムだけで完全に消音はされないだろうから、まぁ大丈夫だろう」、との由。
☆第112小節のピックによるumwicklungは、ピックを使うよりも、例えばプラスチック製のコップ(色付きで良い)や容器の口の縁で、縦方向にキチキチキチ・・・と滑らせたほうが、豊かな音がします。コップの材質はカチカチに硬いものではなく、柔らか目であり、低音弦に押し当てると材質がしなって、弦へのコンタクトが一点では無いような感じになる。これで弦を縦にこする。あくまでノイズは正確に4回、キ・キ・キ・キ、という風に。
☆第115小節のfis-aは、短3度のクラスターです。
☆第117小節、gisは普通に鍵盤で弾き、もう片方の手でそれを内部で消音しつつhをピチカート。
☆第120小節、mit striknadel beruehrenとは、編み棒の先端で横から低音えつけて消音。しっかりaの2本弦のうち1本をかるくビビらせ、終わりにもう1本の弦もビビらせてすぐに編み棒でそのまま押さえて消音する。ここで使用する編み針は、鉛筆の3分の1くらいの太さで、毛糸用のしっかりしたもの。長さは20cm~30cm(長くて良い)。重要なのは、一方の端っこに大きめの「毛糸留め」が付いていること。これにより、ピアノ内部に置いたときに、弦の隙間から落下するのが防げる(あるいは後で自分で何かを引っ付けても良い)。全曲の最後には、この編み針を弦の上に置いて、音域全体をプリペアドする(あんまり効果的じゃないけど)。
☆第125小節、mit fingernagel daempfenは爪で2本弦のうち1本(左右どちらでも)を消音、2小節後にもう一本を爪で消音。
☆第126小節、”1.2.3. Saite…. daempfen mit plektron” は、3本弦を一本ずつプレクトラムで「ピッ」と消音してゆく(弦は順不同で良い)。
☆第137小節、一つ目は軽く消音しつつ鍵盤で弾く。2つ目のfisはピックで弦をはじく。
☆第138小節、1つめのpのfisは音高が聴こえる。2つ目のfisはギュッと消音されているので「カチッ」というノイズだけである。
☆第139小節、ピックの代わりに前述のコップ使用を推奨。正確に3回「キチキッ」と音がすること。
☆第144小節、第147小節、第149小節、第152小節の奥の弦留ノイズは、die gleiche saite wie vorherでおおよそ同じ音高になるように。
☆第155小節に書かれているbの4オクターヴを無音で押さえておく作業は、第154小節冒頭で行っておかねば間に合わない。「una corda」はそのあとにhにかける。同じhの音色は第162小節で繰り返される。
☆第157小節のアウフタクトのgは、手でバッと消音(レゾナンスは残る)。
☆第171小節、e音のみ消音して、他の響きは残る。
☆第175小節、少しタイミングを遅らせてダンパー・ペダルを踏み込む。
☆第185小節、fisの3本弦の消音の順番は、ピック→指→ピック。
☆第229小節、無音のh-fは、2音だけではなくその音域間のトーンクラスター。第231小節もトーンクラスター。曖昧な出版譜(と他の要因)により、唯一の公式録音CDでは陳腐な減5度が鳴り響いている。
☆第234小節、mit fingernagel vorne ueber tastenは、鍵盤「上」の水平面を爪でカチカチ滑べらせてノイズを出す。
☆その直後のa連打のパッセージ、片手は弦を軽く消音して始めて終わりはしっかり押さえるに至らせる(完全消音)。So gleichmaessig wie moeglich出来る限り均等に・・・・均等であれば回数は多くて構わないそうです。

・・・ふぅ~~~。 ここまでで、やっと全体の4分の1です。分かり難い箇所だけに絞っているんですけど。 続きはまた今度。


c0050810_6584165.jpgさて、まことに余談ながら。
「初演者」あるいは「弟子」(「夫人」「とりまき」を含む)の伝える情報が無条件に信用出来るか、といえば、かなり怪しい。一見「第一次情報」に見えるだけに、始末が悪いです。

身近な例なら角が立たないかな。私はブルーノ・カニーノに4年間ピアノを集中的に師事した上で、彼が作曲したピアノ独奏曲《Tempo giusto per un Rag》を彼の臨席上で5回ほど演奏し、いつも辛口の彼にしては珍しく賛辞までもらいました。にもかかわらず、例えばカニーノの死後、どこかの誰かが「弟子筋」ということで私にこの作品の「レッスン」を頼んできたとして、作曲者カニーノの演奏解釈やアイデアをその人に伝えるのは、残念ながら不可能と言わねばなりません。
・・・てなことを、それこそカニーノ氏自身と議論しました。古楽演奏で有名なのは、「レオンハルトとその弟子」問題でしょう。レオンハルト氏自身は日々芸風が進展していっているにもかかわらず、弟子達は師事した時期のレオンハルトのコピーのまま変わらない。ゆえに、「60年代のレオンハルトを聞きたければデトロイトへ行け、70年代のレオンハルトだったらシアトルへ、云々」などという冗談も生れるわけです。

別の例を。私が新日フィルと共演した《シナファイ》の録音を生前のクセナキス氏が褒めてくれたのは事実ですし、そのことがきっかけとなってCD録音の話が来たのも有難かったですが、ぶっちゃけ、クセナキスは自分の曲を弾いてくれる人なら誰でも褒めていました(そうとしか思えない)。リハーサルも本番も遅刻だらけだったそうですから、あまり演奏の結果には拘ってなかったんじゃないだろうか。してみると、クセナキスと言えば何やら錯乱してガチャガチャ弾きまくるのが吉、というありがちな解釈パターンも、再考を要するでしょう。

先述致しましたように、良い作曲家というのはあくまで「面白いテクスト(楽譜)を書ける人」に過ぎず、そのテクストのリアリゼーション(=演奏)を作曲者自身がチェック出来るかどうか(正確さや解釈の是非を判断出来るか)は、残念ながら全く別問題です。戦後の大作曲家と言われる人々でも、お気に入りの女性が演奏してくれればそれでニコニコのA氏、オーヴァーアクション・猛スピード・大音量かつヒステリックに弾いていればあとはどうでも良い(としか思えない)B氏、金髪碧眼(「砂漠で掃除機をかける」)なら目をつぶるC氏、反体制なら何でもありのD氏 etc etc、枚挙に暇がありません。

c0050810_426434.jpgそれなら演奏家自身の耳はどうかと言えば、欧米の超一流と言われる人々でも、無心に「ブーレーズ真理教」に帰依なさっているのを案外よく見かけるはなぜでしょう。「ラヴェルのオンディーヌには100箇所『間違い』がある、とブーレーズ様が仰っただ」、てな具合。崇拝しているわりには、彼らがブーレーズの作曲作品にはまず手を出さないのも不思議なことです(「現代音楽へのコンプレックス」だけでは説明し切れない)。ブーレーズの自作解釈はこの10年で(またもや)大きく変化してきており、初期のモーレツ路線の譜面でさえ、全ての音楽情報が聴き手の耳に届くためにはテンポの大幅ダウンも辞さない、という、正にクラシカルなスタイルへ回帰しているそうですから(譜面の細部は最初期から一環してクラシカルだけれど)、「あの速度表示についていけない」という言い訳も出来なくなりました。


c0050810_701086.jpgひるがえって、日本のある世代層に顕著な武満信仰――万博もミュージック・トゥデイも伝聞情報でしかない今の30代以下には理解不能なことです――が、いまだに「J-現代音楽」とでも呼ぶべき一様式のファクターになっていることは、言うを俟ちません。「カンタータのような退屈な作品群を書いたバッハは打率3割だが、武満は打率8割だ」という発言(ドン引き)が、西洋音楽史の教鞭を執る音楽学者によってなされるのも、東京ならではのアットリビュートでしょう。
自分の耳に従って「自由」な言論を行うためには、野々村禎彦や清水穣のように音楽外の専門を持たなければならない(ように見える)のは、実に不幸なことです。耳の二次元化の津波(「もうオペラしか聞きたくない」等)が、いつ背後から襲ってくるか恐れ戦かなくてはならない、とは自戒の言葉でもあります。

シュパーリンガー演奏会に関する野々村批評への感想は、また次回に。
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by ooi_piano | 2005-04-19 21:27 | プロメテウスへの道 | Comments(10)
Commented by k.n. at 2005-04-21 06:50 x
結局のところ、マルトーは一番最初にやった演奏が一番良いのですよ。
Commented by k.n. at 2005-04-21 07:01 x
作曲家のミス・ノートが恥ずかしいというのは、芸大やパリ音楽院特有の完璧主義が、そのような主張を生むのでしょう。人によっては演奏家のミスタッチのほうが恥ずかしく感じるかも知れません。そういえばドナトーニの1977年以降の作品はミス・ノートの連続でしたが、ミスだとわかってしまえば、直せば済むことです。「勝手に直されても、それは作曲家の責任。直されても何も言われる筋合はなし。」直すまでに時間がかかる、一週間たっても練習できないじゃないか、という事態に陥るのは確かにストレスがたまりますが、、。
Commented by k.n. at 2005-04-21 07:18 x
そして、最後の追記。初期のフェルッチョ・ブゾーニの作品や近年のローレンス・クレーンの作品のテクストは客観的にも面白いとは思えないのですが、良い演奏家の下ではこれらの作品は別物のように輝いてきます。意図的に「貧しくつまらないテクスト」を演出するクリス・ニューマン、テクストの面白さが曲中で変化する後年のショスタコーヴィチしかり、、。確かに面白いテクストを引っさげると、見栄えはかっこ良いですし私の創作も「面白いテクスト」の創出に力を注いでいることは否定しません。が、「全ての優秀な作曲家がそうではない」はずです。
Commented by ooi_piano at 2005-04-21 09:23
・マルトー初演の実況録音、というのは寡聞にして聴いたことがありません。ガッゼローニでさえフリュート・ソナティヌなどを滅茶苦茶に弾いているのは周知の通りですから、当時あれだけのアンサンブル面子を集められたのかどうか(そしてその頃のブーレーズ青年がそれを統御出来るだけの指揮能力があったかどうか)。ミントン以降の録音も好きでは無いけれど。
Commented by ooi_piano at 2005-04-21 09:23
・平義久氏の言葉は、もちろん不如意なミスを犯した(と思われる)作曲学生へ向けられたものですので、えらく低次元な話題ではあります。「結果が面白くなるような『ミス』・ノート」なら、もちろん問題はありません。クセナキス《エヴリアリ》で篩の理論上、絶対に有り得無いと判断した音符がありましたが、自筆譜でも同じ音高だったので、最終的にこれは『ミス』・ノートのまま演奏することになります。メシアン《神によりて全てはなされたり》逆行部分のミス・ノートについてロリオ婆さんに問いただしたところ、「メシアンの書いたことは全て正しい」との御回答。ドナトニの「ミス」というのは、どういう種類のものなんでしょう。
・高橋悠治の幾つかの譜面はかなり手のつけようの無いものですが、例えば御喜美恵・クレメル・吉野直子などによって素晴らしい演奏が繰り出されることがありました。そういう可能性を持った譜面、ということは、やはり良いテクストである、と言えるでしょう。「演奏家として読み取った音像さえ面白ければ」、という私の記述は、そのあたりを想定しています。因みに、カニーノによるカーゲルの定義は、「私は何も言うことが無い、ということを言っている人」。
Commented by nakano at 2005-04-21 14:38 x
おせっかいながら出てきました(^^;)。マルトーのレコードでいちばん古いのは、Ades盤の前の仏Vega盤(カーン(A)&ドメーヌ・ミュジカル・アンサンブル)のようです。以前、ヤフオクに出品されていた画像を頂戴して(笑)下記サイトにアップしました。
http://www.geocities.jp/yoi_nakano/vega-marteau1.jpg
http://www.geocities.jp/yoi_nakano/vega-marteau2.jpg
Commented by k.n. at 2005-04-21 17:55 x
ドナトーニのミスとは、あるメソッドで音群を反行する際、7度ずらすつもりが6度ずらしちゃった、という種類を指すもので、このことは川島素晴及び杉山洋一の両氏によって指摘されており、杉山氏に到っては「間違いが美しい」とまで仰せのようですが、私は練習途中で気味が悪くなり、直せる範囲内で全て直してしまいました。直し方を「楽譜の風景」サイトの掲示板で紹介していますのでご一読ください。この修正法は日本初演版以後にも改訂を加えた決定版です。
グレツキの初期作品も、12音音列の逆行形を移し間違えるミスがあり、後年のグレツキが数的操作を放棄して小学生でも認知できるほどの音群の対比に向かったのは周知の通りです。確かに一番最初のマルトーが荒っぽいことは認めますが、それから少しあとに吹き込んだクラフト指揮の演奏は確かにやや上手かったですが、それほど印象には残っていません。
シェーンベルクの組曲のミス(ガヴォット)をポリー二が直して弾いているのは有名だと思うのですが、これは直さないほうが良かったかも。確か内田光子さんがシェーンベルクのピアノ協奏曲にもミスがある、ということで直して弾いたという話も聴きました。(これは未確認)
Commented by ooi_piano at 2005-04-22 07:48
Nakanoさんお元気でしょうか。カンタータはお好き?(笑)
さて、メイトリクス・ミスで楽譜の上に音符を定位しちゃったとしても、その上で作曲者(ドナトニなど)は一応は頭の中で鳴らして音響上のチェックだけはしてたかもしれないし、それを演奏家が無断でムタティス・ムタンディスする(あッ原田節の駄洒落ウィルスに感染しちゃった)のはどうかとも思われます。細かい臨時記号だけだと、ミスプリントの可能性もありますね。メシアン《全ては・・・》に関しては、そもそも移調有限旋法・不可逆リズムなどで神秘主義的牽強付会を垂れているわけですから、数ページぶんの時空間がギュルギュルと遡行してゆく中でその2音符だけ元の時系列のまま、というのは、神の御業への冒瀆と言えましょう(あの主題がジーグで書かれているのはインド神話と関係がある、というのが私の珍説)。そういやロリオって猶太人なんだってね。
Commented by ooi_piano at 2005-04-22 07:48
シェーンベルクに関しては、「霊感が私を導いているときに、音列表を気にすると思うのかね?」とか何とか、コーリッシュに逆切れしたんじゃなかったっけ。言うまでもなく、ブーレーズ真理教の発生は20世紀後半です。ウィーンのシェーンベルク研究所のサイトで自筆譜ファクシミリは見られますよ(パウル・ザッハー財団や松平頼則関係も倣って欲しいところ)。シェーンベルクop.25と《対位法的幻想曲》とストラヴィンスキー・ソナタあたりを、インチキ古楽奏法で弾いたアルバムでも作りたいなあ。ところでラヴェル《クープランの墓》のフォルラーヌやメヌエットって、ピリオド奏法的にはもっと「速く」ないといけませんよねぇ?前奏曲のトランブルマンも上からの筈だし(すなわちテンポは少し遅くなるべきか)。ビルスマの弾いたドビュッシー・ソナタは期待外れだったなあ。
Commented by k.n. at 2005-04-22 22:27 x
ラヴェル演奏は後年の演奏のほうが「遅く」、同時代者の演奏は「速い」。ラヴェルの指揮はそんなに上手ではありませんでしたが、ルバート無しでさっさと次に飛び込む、を何度も念入りにやるのははやりラヴェルの意向なのでしょう。
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