POC#4 [12月15日(水)] 杉山洋一解説

c0050810_18555232.jpg

  第1回~第3回公演同様、POC第4回「平義久×杉山洋一」の告知番組が、以下の時間帯に放送されます。
   ゲストに伊左治直氏をお迎えし、桐朋学園大学入学直後の杉山氏の早熟っぷりや「冬の劇場」設立のいきさつ、私(大井)と平氏・杉山氏の出会いなどを御紹介しております。

●12/6(月) 18:00~18:30
●12/8(水) 24:00~24:30(再放送)


ラヂオつくば: FM 84.2 MHz
同時間帯に、インターネットのサイマル放送でもお聴きいただけます。
(このサイマル放送には地域制限はありませんので世界中で聴くことができます。)


サイマル放送聴取方法:
Windowsの場合:
http://www.simulradio.jp/  のページを下にスクロールすると
「関東」の中に「ラヂオつくば」がありますが、
そのリンクの右側にある「放送を聴く」をクリックすると再生が始まります。
「ラヂオつくば」をクリックするとラジオ局のページに行ってしまうのでご注意ください。)

Mac の場合:
インターネットから
mms://ir298.com/IRTsukuba/radiotsukuba.asx
をアクセスして再生いただく形になります。
VLCという無料のソフトを使う方法があります。


ピアノとわたし―――――杉山洋一

  実は自分はピアノがほとんど弾けない。正確にいえば、弾けなくはないが、到底弾けるというよべるものではない。ピアノは高校に入る直前に独学ではじめ、一度目の受験は高橋悠治さんの「毛沢東」を弾いたのだが、ピアノがひどすぎて浪人してしまった。二度目はプーランクを弾いた。それから初めて試験のためにまじめにピアノをさらうようになった。実のところ、自分は指に問題があったりして、子供の頃からいつもピアノを遠巻きにしていただけで、実際にさわってみると下手ながらたのしいものだった。もっとも、周りはピアノに特に秀でた作曲の友人ばかりだったので、最初から自分の目標はきわめてひくいものだった。
  とはいえ、弾くのは楽しいピアノを書くという感覚がまったく掴めぬまま大学生活もおわり、あれから20年ちかくたって、いつのまにか意外なくらいピアノの作品があることに、あらためてびっくりした。なにしろ、普通のピアニストの指使いの感覚が自分にはないので、当然のようにどれも自分の手癖がみえるか、不器用な書き方をしているのが目に余るが、一度書き終えた作品はひどかろうと日記のようなものだとおもっているので、特に手を入れないと決めている。特に一貫したピアノとの距離感やつきあい方があるわけでもなく、作曲技法的に標榜するものもなく、ここで聴かれるのは、おなじような音の趣味で一貫性のない作品のつらなりになってしまう。
  ただ演奏会は作品を鑑賞するより、演奏家のエネルギーを存分に愉しむべきだとおもっているので、昔からよく知っている大井くんのていねいで大胆な演奏を自分もみなさんと一緒に愉しむ心積もりで、今から心を躍らせている。尊敬する大先輩、平さんの作品と並べていただけること何より光栄に思っており、この機会を与えてくれた大井くんに、改めて心からお礼をもうしあげたい。
c0050810_18563535.jpg

Diventa piu chiara quando ridi... ( 1995) 君が微笑めば、それはより一層澄んでゆく
  高校から大学まで同期だった作曲の星谷晋太郎の死を悼み作曲。冒頭の旋律が崩れるなかで音列が形成され、リズムは星谷の名前を数字に読み替えた。ドナトー二やゴルリの作曲技法に影響をうけている。臍にあたる部分に南聡作品の引用がある。曲名はタルコフスキーの「ノスタルジア」に登場する狂人の台詞による。オルガンのためのL'aria è qualcosa gira intorno alla tua testa(空気はあなたの顔の周りにそよいでいて)と対を成し、 "O madre, o madre, l'aria è qualcosa che gira intorno alla tua testa, diventa piu chiara quando ridi...." と、原文では一つの台詞。冬の劇場において新垣隆により初演。

Intermezzi I, II,III,IV (2000)
  2000年はイタリアで偶然指揮を学ぶことになり、そこで思いがけず知った演奏に於ける肉体性を、作曲に反映させられないか考えていた時期。これら間奏曲も、「演奏者の演奏行為は、音符を弾くことが全てではないはずだ。聴衆が音楽を通じて感じるものは、音ではなく、音を通して演奏者が伝える感情の起伏や、肉体性ではないのか」という仮定に基づく。
Iは演奏者の声や身体で発する薄いノイズが、ピアノの音に纏わりつく。IIは24声に及ぶ対位法。これら2作は冬の劇場で新垣隆により初演。IIIは沖縄の「国頭(くんじゃん)ジントーヨー」に基づく。すこし揺らぐ島唄のリズムはどことなく南イタリアのサルタレルロにも似ている。オーストリアErl音楽祭でAlfonsoAlbertiにより初演。IVは身体性の追求の極端な例で、演奏者は指使いのみ指定されたタブラチュアからアラベスク模様の音響を作り出し、自らの感情のみを表現する。ロマンツァという副題がついている。中川賢一によって初演。

Intermezzo V (2010)
  昨年秋Milano Musicaから委嘱された武満徹のオマージュを「湖のなかの小川」としてジャズ・ヴァイブラフォン奏者Andrea Dulbeccoのために書いた。その素材を解体しPOC のため再作曲を試みた。「小さな空」に基づく。

ビオンディネッタ
  Gérard Pessonより委嘱。彼が編纂する子供のためのピアノ曲集Musica Fictaに収録。ピエモンテの旧い民謡、ビオンディネッタに基づく、自由なパラフレーズ。曲想は民謡の歌詞とも繋がる。うら若い妙齢と羊飼いの淡い恋は厳格な父の反対に遭いすれ違いに終わる。

翔る(Vuelo)
  スペイン・フランコ政権下で囚われた詩人Muguel Hernandezが獄死直前、妻と幼い子供に捧げた詩の一つ「Vuelo(翔る)」に基づく。曲を通してホ音が中心音として執拗に貫かれるのは、韻を踏む詩とそこに、剥き出しとなる滾る想いへの共感による。ロマン派的ピアニズムからエルナンデスの豊潤な詩の世界に近づこうとした。中嶋香より委嘱、初演。

翔る(vuelo)
愛するものだけが飛ぶ。でも誰が
何よりも軽く、はなかい鳥のように、愛せるのだろうか。
生きたまま、立ち昇りたいと望むすべてのものを
憎しみが埋め尽くす。

愛する。でも誰が愛するのか。飛ぶ。でも誰が飛ぶのか。
僕は羽を欲する蒼を支配するにちがいない。
しかし愛はいつも遥か下の彼方にみえて、
絶対的の勇気を与える翼を見つけられず、悲しみに沈んでゆく。

はっきりとした欲望で、翼の生えた、燃えさかるものが、
巣を構えるため自由を求め、昇りつめようとした。
鎖に繋がれた男は逃げることを忘れようとした。
しかしそこには、勇気と忘却の羽が欠けていたのだ。

時にそれ程まで高く飛んだ。
肌の上に空が輝き、肌の下に鳥が輝いた。
それをひばりと間違えたお前であってくれ。
その他、すべてお前があられにして降らせてくれ。

お前は既に、残りの生命が、お前を囲っている板石なのを知っている。
お前の生命を呑み込む牢獄。
身体の中で、美しい鉄格子の中で、生命は過ぎる。
鉄格子から、血が自由にあふれ出す。

悲しい楽器を着るのは愉快だ。
炎を欲し、呼吸する管が、
いつでも使える熱望の剣が
閉じた地平線が口をあける身体が、すぐにも必要だ。

でもお前は飛ぶことはない。お前は飛べない。
空気が僕をつないでいる坑道を伝い、身体は徘徊する。
立ち昇るため、すさまじい苦難を強いて、お前は挫折したのだ。
お前は叫ばない。お前の後ろにひろがる風景は、無人で無音だ。

両腕は羽ばたかない。それはもしかして
心が大空にちりばめようとした、尾羽だったかもしれない。
血は孤独に闘うことに悲嘆し
二つの眼差しは、悪しき理解に再び悲しみに沈んだ。

どの街も、眠り、狂いながら目を覚まし、
牢獄の、燃えさかる夢の、雨を濡れそぼる夢の、沈黙を吐く。
飛ぶ力を失った、しわがれた虫のように、
男は横たわる。空は一人でに昇り、空気は動く。

c0050810_18572118.jpg

杉山洋一 Yoichi SUGIYAMA, composer
  1969年東京生まれ。作曲を三善晃、フランコ・ドナトーニ、サンドロ・ゴルリに、指揮をエミリオ・ポマリコ、岡部守弘に師事。指揮・作曲ともに日欧で活躍。作品はミラノ・ムジカ音楽祭、ヴェネチア・ビエンナーレなどの新作委嘱のほか、東京混声合唱団、多治見少年少女合唱団、ブルーノ・カニーノ/大井浩明デュオ、安江佐和子、加藤訓子などより委嘱をうけ、ヴェネチア・ビエンナーレ、ザグレブ・ビエンナーレ、ミラノ・ムジカ、エール・ティロル音楽祭、ボローニャ・アンジェリカ音楽祭、東京の夏、武生音楽祭など各地で演奏される。指揮者として、東京都交響楽団、アレーナ・ディ・ヴェローナ、ボローニャ・テアトロコムナーレ交響楽団、ジュネーブ室内管弦楽団、アンサンブルモデルン・オーケストラ、クランクフォールム、ニーウ・アンサンブル、コントルシャンなど各地で活躍。95年伊政府給費留学生として渡伊来、在ミラノ。現在ミラノ市立音楽院にて教鞭をとる。

作品リスト
間奏曲V ピアノのための (2010)
色ガラス歌集 尾形亀之助のテキストによる 5声とピアノのための(2010~)
舟歌 II  5楽器のための (2010)
ケン・サロウィワをわすれるな ウードゥー・ドラムのための (2010)
Diario 2010 ピアノ4手のための (2010)
湖の中の小川 ヴィブラフォンのための(2009)
カワムラナベブタムシ フルートとピアノのための (2008-2009)
Bianco I,II  バスフルートのための (2008)
ツリーネーション 打楽器のための (2008)
翔る ピアノのための(2007)
たまねぎの子守唄 ミゲル・エルナンデスのテキストによる 児童合唱のための(2006)
ビオンディネッタ ピアノのための(2006)
ノヴェレッテ 2本のリコーダー、クラリネット、打楽器のための(2006)
ひかりの子  ミゲル・エルナンデスのテキストによる 混声合唱のための (2006)
Clowd Dawning 5奏者のための(2004)
国境の向うで 5奏者のための(2003)
アリア ヴァイオリンのための(2002)
カンツォネッタ ハイネの詩による ソプラノと3楽器のための(2001)
舞曲Ⅱ トランペットとピアノのための(2001)
嬉遊曲Ⅱ2台ピアノのための(2001)
間奏曲 IV (ロマンツァ)ピアノのための(2000)
舟歌I ヴィオラと任意の3本のリムのための (2000)
間奏曲 III ピアノのための (2000)
間奏曲 I, II ピアノのための (2000)
綺想曲集 テープのための (1999)
道化師(ブルレッタ)ミラノ方言の諺のテキストによる2声とガンバ、チェンバロのための(1999)
綺想曲 フルートとギターのための(1998)
フランコII  フルートとピアノのための (1998)
夜想曲 リコーダーのための(1997)
ロンド ヴァイオリンと10弦楽器のための(1997)
舞曲 ホルンのための(1997)
嬉遊曲I 5楽器のための (1997)
おくりもの マリンバもしくは鍵盤楽器のための(1997)
わたしは、お前を 3打楽器のための(1996)
1923  リコーダー、ピアノ、アコーディオン、ギターと無声映画のための(1996)
灰 ウンベルト・サバのテキストによる 24の男声のための(1995)
ミロの太陽 ヴァイブラフォンとグロッケンシュピールのための(1995)
君が微笑めば、それはより一層、澄んでゆく… ピアノのための(1995)
沈みゆく太陽 小オーケストラのための (1994)
空気はこんなにも軽く、あなたの顔にそよいでいて オルガンのための(1994)
フランコI 6楽器のための(1993)
ルクレール「やさしい音楽の慰め」第2集より室内オーケストラのための編作(1992)
思い出 ピアノトリオのための(1992)
アラベスク W.B.イェーツのテキストによる ソプラノと11弦楽器のための (1991)
ロマンツァ オーボエ・ダモーレと小オーケストラのための(1990)

c0050810_1859859.jpg

●杉山洋一「ミラノ日記」(1997年3月~98年12月末日/初出 Yominet、文芸フォーラム yomiuri lane) [.tzzファイル]
  →.tzzファイルを読むためのT-Time5.5ダウンロード
●杉山洋一「しもた屋之噺」(2001年12月~2004年11月/初出 サイト「水牛」)[.tzzファイル]
●杉山洋一「しもた屋之噺」(2001年12月~現在)

◆ブルーノ・カニーノ+大井浩明による杉山洋一《嬉遊曲第2番》の世界初演ライヴ音源(2001年11月8日)
◆黒田亜樹氏による杉山洋一《間奏曲第2番》のライヴ演奏映像 (イタリア:Limenmusic、2010年収録)
[PR]
by ooi_piano | 2010-12-02 18:08 | コンサート情報 | Comments(0)