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Blog | Hiroaki Ooi

野々村禎彦氏POC推薦文

●3月25日オルガン・リサイタル 感想まとめ
●6月18日ピアノリサイタル(山路・田村・夏田・望月他) 感想まとめ その2
●7月16日ピアノリサイタル(シュトックハウゼン日本初演) 感想まとめ
●8月27日ピアノリサイタル(塩見+リゲティ) 感想まとめ


ヨーロッパ戦後前衛音楽の「演奏実践(パフォーマンス・プラクティス)」再考―――野々村 禎彦

c0050810_1533839.jpg 90年代前半、知る人ぞ知る独学のピアニストだった頃から、大井のスタンスは一貫している。まず、歴史に残るべき作品を「古典」に引き上げること。ヨーロッパ戦後前衛を代表する作曲家を中心に、それも曲目を絞って磨き上げた演奏を提示するのではなく、多少荒削りでも全作品演奏にこだわって作曲家の全体像を捉えようとしてきた。そして、新作委嘱を通じて新たな才能を世に出すこと。例えば、木ノ脇道元と結成したデュオで朝日現代音楽賞を受賞した時の受賞記念リサイタルは、全曲委嘱新作だった。しかもそこに並んでいたのは、いまや日本作曲界を支える中堅(当時の若手)作曲家たちで、彼らの創作歴の転回点になった作品も少なくない。

 独学時代の意欲的な活動が評価され、数々の受賞歴を経てヨーロッパ留学が決まった時、彼はベルン芸術大学でブルーノ・カニーノに師事した。音楽史に造詣が深く室内楽奏者として高名なカニーノは、クラシックレパートリーと音色のコントロールを高い水準で修得するという当初の目的にかなうことに加え、前衛の時代にはアロイス・コンタルスキーと並ぶ前衛レパートリーのチャンピオンだった。大井の選択にはブレがない。また師は、古楽奏法の重要性を認識して自らの演奏にも取り入れ、チェンバロも弾く。大井も留学の機会にピアノの祖先にあたる楽器を網羅的に学び、独自の考察を加えて自らの音楽をさらなる高みへと導いた。

c0050810_1553271.jpg ここ10年ほどの大井の活動では古楽器演奏が相対的に目立っていたが、昨年度のPOCシリーズ第1期で現代音楽への変わらぬ情熱を示した。「歴史に残すべき作品を《古典》に引き上げる」という基本姿勢は、オール日本人プログラムでも手加減はない。松下眞一・松平頼則・塩見允枝子・平義久・松平頼暁という、いまだ実力に見合った評価を得ていない戦後前衛・実験音楽の「大家」たちを、野村誠・山本裕之・伊左治直・杉山洋一・田中吉史という、かつて新作を委嘱し、その後も期待に応えて現代ピアノ曲のレパートリーを広げ続けている(それも、ヨーロッパや日本の「主流」とは一味違う形で)同世代の作曲家たちと組み合わせた。では、大井の青春の記念碑を並べたかのような今年度のプログラムは、今日においてどのような意味を持つのだろうか?

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 初回(9/23)のクセナキスは、まさに大井の名刺代わりのレパートリー。難曲として名高い《シナファイ》を独学時代に征服し、渡欧後はピアノ、チェンバロ、オルガンのための全作品をひとりで弾いてヨーロッパ現代音楽界の度肝を抜いた。《シナファイ》の実況録音はやがて作曲者にも激賞され、タマヨ/ルクセンブルク・フィルによる管弦楽作品の系統的録音でピアノソロを担当することになる。クセナキスは、数学や統計学の知識からインスピレーションを得たわけだが、楽器の演奏伝統にこだわらない姿勢は結果的に、ルネサンス時代に広まったがその後淘汰された奏法や、さらに源流にあたる民族楽器の奏法の記憶を呼び起こしていた。この発見を経て大井は、サラベール社の歿後10年記念冊子『クセナキスに挑む Oser Xenakis』に、指揮のタバシュニクやヴァイオリンのアルディッティらと並んで、「ピアニスト代表」として寄稿している。

 今回のクセナキス・プログラムはチェンバロ曲の比重が高いが、この楽器の一般的イメージのかそけき響きを期待すると、完膚無く裏切られるだろう。鋼鉄製のフレームを持つモダンチェンバロをさらに電気増幅した、最凶の高周波ノイズ発生器がそこにある。このパンクなノイズの絨毯爆撃を打楽器がサポートするデュオ2曲は、さらに興味深い。《コンボイ》は同時期の《テトラス》と並ぶ原初的なエネルギーが噴出し続ける音楽、《オーファー》は最晩年のクセナキスを特徴付ける無時間的な謎めいた沈黙の音楽。打楽器の神田佳子は、クセナキス作品を含む幅広いレパートリーを持ち、ポピュラー音楽との境界領域にも意欲的に取り組んでいる。

 2回目のリゲティ(10/22)も、大井のキャリアでは特別なレパートリー。今日では「現代弾き」を志す音大生の必修科目の感がある《練習曲集》だが、まださほど注目されていなかった90年代前半から取り組んできた。1993年、ある作曲コンクールの審査員として来日したリゲティが演奏審査での大井の解釈を絶賛して以来、作曲者と直接連絡を取り、未出版の新曲の自筆譜を取り寄せては日本初演してきた。リゲティは古今東西のクラシックレパートリーに通暁していたが、チェンバロ曲はもちろんピアノ曲にも、バロック時代の鍵盤音楽から借用した発想が詰め込まれている。古楽奏法のメスの切れ味を試すには格好の素材である。

c0050810_15114688.jpg 3回目のブーレーズ全曲演奏(11/23)は、メシアンの弟子にふさわしい《ノタシオン》、シェーンベルクの使徒にふさわしい第1ソナタ、ヨーロッパ戦後前衛の最初の金字塔である第2ソナタ、ケージとの出会いと訣別が刻印された第3ソナタ、その後数10年の指揮者や音楽行政官としてのキャリアの結実(あるいは成れの果て)としての近作という、作曲家としての個人史を見事に辿る内容だが、第1ソナタから第2ソナタへの飛躍は、J.S.バッハ《オルガン・ミサ》や《フーガの技法》の分析の賜物であり、これらの作品も手中に収めた大井による解釈が楽しみだ。なお、上記の変遷の中で最も大きなギャップは《ノタシオン》と第1ソナタの間にあるが、そこを繋ぐ《ソナチネ》も含めた選曲は抜かりない。フルートの寺本義明は、現在都響首席奏者を務めているが、高校・大学の学内オーケストラでの大井の先輩でもある。

 4回目の韓国プログラム(12/23)も大井ならでは。尹・姜・朴・陳という、韓国の現代音楽を代表する4世代の巨頭のピアノソロ曲を網羅し、辛うじて一夜に詰め込んだ。ヨーロッパ時代の大井は、「東アジア代表」という意識で日本以外の東アジアの作品も積極的に弾いていたが、特にとは縁が深く、練習曲第1番を世界初演し、練習曲第5番を委嘱した際に前4曲の改訂版も併せて世界初演している。日本の場合と同じく、韓国の現代作曲家たちにとっても伝統音楽との距離の取り方は大きな課題だった。4世代を代表する4人の作品を作曲当時の滞在国や韓国の政治状況と見比べながら聴くと、多くの示唆が得られるだろう。また韓国の場合、ドイツに定住するのが国際的評価を得る定番コースになっており、ドイツ留学・滞在を10余年で切り上げてソウル大学に戻ったの動向は、ヨーロッパ経由のルートでは見えにくかった。80年代の大作を含む今回の一挙紹介は、再評価の良い機会になるだろう。重量級のプログラムが並ぶ今期でも群を抜くボリュームの回、心して臨まれたい。

c0050810_1519157.gif 最終回のシュトックハウゼン(2012/1/29)も大井の重要なレパートリーである。鍵盤曲シリーズの日本初演歴を眺めると、ヨーロッパ戦後前衛ピアノ曲のアイコンとも言える1番~11番はコンタルスキー、オペラ《光》から抜粋されたピアノ曲の12番~14番はヴァムバッハ、《光》からの抜粋だが、ピアノソロへのこだわりも捨てた15番《サンティ・フー》(シンセサイザーと電子音響)・16番(ピアノと電子音響)・17番《彗星》(電気鍵盤楽器と電子音響)は大井と、「現代弾き」3世代の代表が並ぶ。《光》シリーズ完成後、次なる《KLANG》シリーズの途中でシュトックハウゼンは亡くなったが、死の前年に完成し、このシリーズに属するピアノソロの大曲《自然の持続時間》の紹介も大井は積極的に行っており、部分初演・全曲初演とも日本では彼が担当した。

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c0050810_15202966.jpg 「演奏実践」と訳される、Aufführungspraxis / performance practice という音楽学用語がある。一般的には、特定の音楽様式に対応する特定の演奏様式を指す。言うまでもなく、この概念は古楽において特に重要だった。レパートリー拡大の要求から、「古楽復興」は19世紀から何度も唱えられてきたが、演奏実践への配慮を伴わない運動は、ロマン主義的演奏伝統の汚染拡大を意味する。モダンチェンバロのような楽器もその過程で作られた。結局、演奏実践の音楽学的研究と複製古楽器制作技術の発展を受け、ロマン主義的演奏伝統の除染を経て古楽奏法が確立されたのは、1970~80年代のことである。演奏実践の音楽学的研究は作曲におけるモダニズムと並行して19世紀末に始まったが、ヨーロッパ戦後前衛の達成に勝るとも劣らないゼロ地点からの革命だった古楽奏法に至るまでには、四半世紀を余分に要した。「除染」の手間のためだろう。

 だが、ヨーロッパ戦後前衛の演奏実践は、果たして自明なのだろうか。「現代弾き」が作曲者の監修のもとで演奏を繰り返し、録音や録画も行われているから確立している、と考えるのはナイーヴ過ぎる。演奏実践=作曲当時の演奏様式という図式が成り立つのは、作品も演奏様式も同時代限りで消え去る場合に限られる。古楽をも強く汚染したロマン主義的演奏伝統が、モダニズム以降の音楽に影響を及ぼさないはずがない。「現代弾き」がクラシックレパートリーを弾く時、カニーノのように演奏実践に配慮することはむしろ稀である。古楽奏法の衝撃は時を経ても衰えず、現代楽器の演奏様式すら根こそぎ変えつつあるのに対し、ヨーロッパ戦後前衛の衝撃は限定的で、オイルショック程度の外的要因で簡単に薄れ、主導した作曲家たちの多くはその姿勢を自ら捨てた。これらは、ヨーロッパ戦後前衛は演奏実践を伴わない中途半端な運動だったことの何よりの証拠ではないか?

c0050810_361814.jpg ヨーロッパ戦後前衛はシステマティックな作曲を旨とするため、作曲者も自らの作品の真価を知らないという事態は十分に考えられる。その場合、演奏実践によって作品の真価を引き出せる可能性があるのは、クラシックレパートリーの真価を古楽奏法を通じて引き出した経験を持つ奏者ということになるだろう。つまり、こういうことだ。POCシリーズ第2期は一見、ヨーロッパ戦後前衛を「古典」の塔に収める儀式の場に見えるかもしれないが、「ヨーロッパ戦後前衛は実はまだ始まってすらいなかった、真の衝撃はここから始まる」という、驚愕の第二部の開始宣言なのかもしれない。
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by ooi_piano | 2011-08-27 13:49 | POC2011 | Comments(0)