9月23日(祝)公演 「彼岸のクセナキス」

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大井浩明 Portraits of Composers 〈POC〉#6
クセナキス(1922-2001)歿後10周年・全鍵盤作品演奏会
2011年9月23日(祝) 午後6時開演 Hakuju Hall


音響  有馬純寿
協力  モモセハープシコード株式会社
楽器  ノイペルト社「バッハ・モデル」 61鍵(FF-f3)  260cm x 105cm 170kg
     二段鍵盤(4'/8'sup/8'inf/16'、バフストップ付) 5本ペダル


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【演奏曲目】

《6つのギリシア民謡集》(1950/51)
  1.「踊るとムスク(麝香)の匂いが」 2.「むかし恋ひとつ」 3.「やまうずらが山から降りてきた」 4.「クレタ島の3人の坊さん」 5.「今日は暗い空」 6.「ススタ」
《ヘルマ - 記号的音楽》(1961)
《エヴリアリ》(1973)
《ホアイ》(1976、#)
《ミスツ》(1980)
  (休憩15分)
《コンボイ》(1981、#/※)
《ナアマ》(1984、#)(日本初演)
《ラヴェル頌》(1987)
《オーファー》(1989、#/※)

大井浩明(ピアノ+モダン・チェンバロ(#))、神田佳子(打楽器助演※)

〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円 〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円
全5公演通し券 一般12,000円 学生10,000円 
3公演券 一般7,500円 学生6,000円

【チケット取り扱い】 ローソンチケット 0570-084-003 Lコード:39824
ヴォートルチケットセンター 03-5355-1280 (10:00~18:00土日祝休)
*3回券/5回券はヴォートルチケットセンターとミュージック・スケイプでお求めいただけます。

【お問い合わせ】 ミュージックスケイプ マネジメント部 tel/fax 03-6804-7490 (10:00~18:00 土日祝休)
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彼岸のクセナキス ――――野々村 禎彦

c0050810_15163.jpg 1954年11月末のある早朝、ヴァレーズ《砂漠》の世界初演のためにパリに滞在していたヘルマン・シェルヘンを、ひとりのギリシア人青年が訪れた。この青年はGRMのスタジオでヴァレーズ作品のテープパート制作を手伝っており、この大指揮者に紹介された機会に、自作の譜面を見てもらう約束を取り付けた。シェーンベルク《月に憑かれたピエロ》の初演以来、シェルヘンは20世紀を代表する前衛音楽を発掘しながらキャリアを重ねてきたが、その秘訣は、無名の作曲家でもまず会って譜面を見ようとする姿勢にある。

 もちろん、この作業には空振りも多い。この青年が見せたスコアも、ストラヴィンスキーやメシアンの模倣の域を出ない曲ばかりだった。面倒なことになる前にお引き取り願おうと、譜面を返すシェルヘン。だが青年がドアに手をかけた時、見慣れない紙の束が残っていることに気付いた。「これも譜面ですか?」ブーランジェやメシアンに内々に見せた時は暖かい励ましの言葉をもらったスコアをにべもなく突き返され、青年はすっかり意気消沈していたが、建築技師の仕事の合間に製図用紙に書き溜めた新作のスケッチも一緒に渡していたことを思い出した。「はい…」気に入られるとは思えず、黙っていたのだ。タイトルは《メタスタシス》。

c0050810_1514880.jpg シェルヘンが手書きの譜面を読み始めると、空気が一変した。「冒頭のグリッサンド…どうやったらこんなことを思いつけるんだ?」「いま書かれているどんな音楽にも似ていない、なんてことだ!」「正直言って、これは音楽ですらなく…全く別な世界から来た発想じゃないか?」読み終わるや否や、シェルヘンの方から演奏を申し出(翌年6月、弦楽器パートを縮小した版をロスバウトが初演)、作曲法を論文として出版することを薦めた(彼は音楽出版社を運営していた)。

 これが、クセナキスとシェルヘンの出会いだった。65歳の老人の気の迷い…では決してなく、聴衆はもちろん批評家にもなかなか理解されないクセナキス作品を、彼は辛抱強く紹介し続けた。1966年4月、聴衆の中に分散された大オーケストラのための《テレテクトール》が満場の喝采を浴び、批評家からも絶賛されてクセナキスが作曲家として評価を確立した瞬間を指揮台から見届けた2ヶ月後に、シェルヘンは世を去った。現代音楽に捧げたキャリアの最後を飾る大仕事だった。

c0050810_1522145.jpg 作品表の最初の作品には作家のすべてが含まれているとよく言われるが、それは《メタスタシス》も例外ではない。「音楽ですらない」のも、ある意味その通り。クセナキスの音楽は、グレゴリオ聖歌に対位声部を付けた時点からクラシック音楽が辿ってきた、「最小要素を積み上げて大伽藍を築く」方法では作られていない。彼はまず音楽の全体像を、時間を横軸、周波数=音高を縦軸とする2次元グラフとして描き、順次細部を埋めてゆく。伝統とは真逆の「外骨格」の音楽なのだ。

 細部を埋める手法は体系的である必要はない。《メタスタシス》でシェルヘンを驚かせたグリッサンドの曲線は、当時コルビュジェのもとで設計していた建築の図面から借用した。次作《ピソプラクタ》からは、一定時間内の音密度を決め、その密度を与える確率分布の式で計算して音を生成するようになる。言うまでもなく、この種の計算はコンピュータで行った方が効率的であり、個々の音はランダムに選ばれるため「旋律」を聴き取ろうとしても意味はない。ただし、この方法論では分布の母集団にあたる音のグループも音密度の変化も直観的に決めているため、これだけではやがてパターン化するおそれがある。

 そこでクセナキスは、人間は世界を集合論的に認知しているというピアジェの説を耳にして、曲中で使う音をいくつかの集合に分け、集合間の論理演算を行って新しい音のグループを順次生み出してゆく方法論を思いつき、まず《ヘルマ》(最初の独奏曲)で試みた。さらに、音を集合に分ける作業も、群論対称性を用いたフィルターで要素を選り分ける「ふるいの理論」を用いればシステマティックに行えることに気付き、2番目の独奏曲となるチェロのための《ノモス・アルファ》で最初に試みた。「ふるいの理論」で生成した音集合はもはや「旋法」に近く、線的構造は「旋律」として耳に引っかかる。

c0050810_15332.jpg ともあれ、「外骨格」をシステマティックに埋める方法論を確立し、クセナキスの創作は最初のピークに達した。「ふるいの理論」に先立ち、《エオンタ》《テレテクトール》などで音楽の空間性を追求し始めた60年代半ばから、他ジャンルにも大きな影響を与えた光と音のスペクタクル《ペルセポリス》が作られた70年代初頭までは、彼の「傑作の森」の時期と呼べそうだ。ミラン・クンデラが『裏切られた遺言』で彼の音楽を評した「人間達の通過以前もしくは以後の世界の、やさしくも非人間的な美」という言葉にふさわしい、超越体験を味わえる作品が並ぶ。

 コンスタントに傑作が書けるようになったと自覚すると、もっと直観的に作曲しても大丈夫なのではないかと考え始めるのが創作者の性。まず、外骨格のみを示す2次元グラフの代わりに、「樹形図」という枝分かれする曲線で2次元空間を埋めるパターン(1本の曲線を1声部とみなせば、そのまま図形楽譜として読める)を縮小・拡大・回転して貼り合わせて作曲する方法論を《エヴリアリ》で最初に試みた。さらに《ホアイ》の頃からは「ふるいの理論」も、音を集合に分けるための一般的な手続きというよりは、2オクターブないしそれよりも広い音域から「非オクターブ周期音階」を生成するための道具として専ら使うようになった。

c0050810_153481.jpg 直観的に描いた図形楽譜を読み取り、用いる音階によって旋律の印象を変える。初期には推計学や数学で理論武装したガチガチの「前衛音楽」に見えたクセナキスの方法論も、直観的で「わかりやすく」なった。実際、《ホアイ》の頃から作曲のペースも上がったが、これは作品の質のばらつきが大きくなったということでもある。この混乱状態が一段落した70年代末から80年代前半にかけては、60年代後半を核とする第一のピークに次ぐ、第二のピークとみなせる。第一のピークの宇宙的スケールとは対照的な、オリエンタルなエネルギーにあふれた作品が並ぶ。

 だが、80年代末に、クセナキスの作風は再び変化する。饒舌なエネルギーは失われ、謎めいた沈黙と自作の引用に覆われた平板な音楽になった。その原因は従来のような作曲技法の変化ではなさそうだ。元共産ゲリラがソ連崩壊にショックを受けた、という可能性もなくはないが、アフガニスタン侵攻以降ソ連が急速に綻びゆく時期にエネルギッシュな作品を量産した事実とは矛盾する。むしろ素朴に、60歳代半ばを過ぎて体力が衰えたためではないか。年代が下るほど直観に頼って作曲するようになったため、影響も大きかったのだろう。ただし高橋悠治のように、老境を迎えて我々にはまだ理解できない時間感覚を得たのかもしれない、と積極的に捉える向きもある。《オーファー》はこの時期の入り口に書かれた。その後も彼の健康が回復することはなく、1997年の2作以降は筆を持つこともなかった。

c0050810_1541314.gif クセナキスの歩みを辿れば、彼の音楽の聴き方はおのずと見える。最小要素を積み上げる音楽ではない以上、細部に着目して分析的に聴こうとしても意味はない。外骨格を形作る、音楽の大きな流れを聴き逃さないようにしたい。作曲技法の詳細は外骨格の埋め方の詳細に過ぎず、音楽を聴く上では殆ど無関係である。強いて言えば、《ヘルマ》ではまだ線的構造はコントロールされておらず、音集合が論理演算で切り替わる瞬間の音色変化が聴きもの、《エヴリアリ》では「樹形図」による線的構造の諸相が聴きもの、《ミスツ》では「樹形図」は一段落して音階の対比が聴きもの、といった目安にはなるが、この程度なら「一聴すれば明らか」だ。

 ヨーロッパ戦後前衛音楽は、クラシック音楽の伝統を背負った作曲家たちが第二次世界大戦の喪失体験を背景に、全面的セリー技法などの前衛技法を用いて伝統の記憶を封印することで生まれたが、オイルショックやベトナム戦争終結など、戦後の枠組を超えた出来事が続く中でその封印が緩み、「新ロマン主義」と総称される伝統回帰の潮流が起こった。70年代半ば以降のクセナキス作品の変化は、一見この動きに呼応しているが、彼の歩みを辿れば音楽の本質に変化はないことがわかる。ただし、直観に頼る部分が増えたということは、独自の技法で理論武装する以前の地金が出るということでもあり、その意味で《ギリシア民謡集》は興味深い。

c0050810_1544469.gif ヨーロッパ戦後前衛の流れを汲む人々には、クセナキスの作曲技法の非体系性は目障りで、影響力は死とともに衰えるという予想が根強かった。だが、彼の外骨格の音楽はエレクトロニカ、特にかつてノイズと呼ばれていたジャンルと親和性が高かった。まず音楽の全体像を思い浮かべ、細部は金属オブジェのフィードバックやそれを模したDTMソフトの自動生成音響で即興的に埋めてゆく音楽のあり方はクセナキスの音楽に極めて近い。この種の音楽を代表するひとりメルツバウの多声部のコントロールは、基本的には即興で作られているとは信じられないほどだが、彼がリスペクトする音楽の筆頭にクセナキスの《ペルセポリス》や《ボホール》が挙げられているのを見ると、強靭な音楽の遺伝子は必ず後世の音楽家に受け継がれてゆくと確信できる。近年は、若い世代の作曲家たちがメルツバウらの音楽に注目し、その祖先としてクセナキスが再発見される流れも生まれている。
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by ooi_piano | 2011-09-20 01:42 | POC2011 | Comments(0)