木戸敏郎氏:「三人称の雅楽《リヒト》」(つづき)

(承前)

五、再構造化された三人称の雅楽


c0050810_18155889.jpg シュトックハウゼンに代表されるダルムシュタット楽派が築いたセリエールともトータルセリエリズムとも呼ばれている理論は、シェーンベルクに代表される新ウイーン楽派のセリーの理論を音高だけでなく、音のあらゆる情報量に敷衍したもので、セリーを音の情報量すべてにあてはめてトータルで機能させる仕組みである。二十世紀の音楽運動の集大成であり、その後のスペクトリズムの基盤ともなった理論である。

 シュトックハウゼンは雅楽の古典を脱構造して得た雅楽の音の伝統を、トータルセリエリズムで再構造化して ヤーレスラウフ アウス リヒト(歴年――ひかりより)という作品を作り出した。国立劇場の委嘱は開場十周年を記念する作品であって、僅か十年でも歴史である。歴史は時間に抽象され、古典を脱構造して得られた音の情報量は時価(タイムヴァリュー)に特化された。時価とは音の持続である。
 この作品は1977という初演年の四桁の数字がモティーフである。まず、雅楽の楽器を四桁の時価の順にサンプリングする。


笙    音が延々と持続するから               千年の位
龍笛   肺活量にさほど負担はなく、比較的音の持続が続くから 百年の位
篳篥   肺活量に負担が大きく、ブレスによって持続が短いから 十年の位
琵琶・筝 撥絃楽器で音は瞬間的であるから           一年の位

1977の数字が大きく描かれたステージの上にそれぞれの位を表す舞人を割り当て、その背後に四桁の位取りを表す前記の楽器をレイアウトし、各楽器の時価の差を1・9・7・7の数字をパラメータ(媒介変数)にして補正しながら全体の楽器の演奏を統合する。舞人はそれぞれを担当する楽器の演奏と連動する。即ち、

一年の位の舞人が7の数字の上を七回移動する間に、十年の位の舞人は7の数字の上を一回移動する。
十年の位の舞人が7の数字の上を七回移動する間に、百年の位の舞人は9の数字の上を一回移動する。
百年の位の舞人が9の数字の上を九回移動する間に、千年の位の舞人は1の数字の上を一回移動する。
千年の位の舞人が1の数字の上を一回移動した時点で、この作品の演奏は終了する。

途中三度、歴史の流れを中断してソロまたはデュオが各楽器の特色を存分に活かして挿入される。

最初に   百年の舞人のための龍笛のソロ
二度目は  一年の舞人のための琵琶と筝のデュオ
三度目が  十年の舞人のための篳篥のソロ

この三つのソロまたはデュオを抜粋して組曲仕立てにして京都芸術劇場春秋座で再演したのであった。

 雅楽の楽器の各々の異なる時価を1977という初演年の数字をパラメータにして一つに統合するメカニズムはようやく二十一世紀に入って実現したEU圏内の各国の経済事情の差をパラメータで調節して、単一通貨ユーロで統合したメカニズムにそっくりである。然も二十五年も早く時代を先取りしたものであった。何よりも調性で統一するのではなく多様な情報量をパラメータで統合したものであったことに二十一世紀を予感させるものがあった。更に、ソロまたはデュオは通貨統合のパラメータによる規制から開放されたEUカルチャルキャピタルシティの創設に相当するもの、といえよう。然し、二十世紀第四四半期の日本では理解されることはなかった。(別稿 ベルク年報2009参照


六、方法論としての「リヒト」

 公演が終ってシュトックハウゼンが帰国する前日、私達がお別れの挨拶を交わした際、私は色紙を用意しておいて彼にサインをお願いした。この大仕事を協力して完遂した思い出として、是非とも残しておきたい記念品である。私は鳩居堂の一番上等な色紙を用意した。色紙の表は白い画仙紙、裏はやや茶色がかった紙に僅かに金箔の屑を散らして、縁を表裏まとめて狭く金箔で縁取っている。

 シュトックハウゼンは渡された色紙を手にとって丁寧に吟味していた。白い画仙紙の面と金箔を散らした面とを何度も見比べていたが、結局箔を散らした面を選んだ。色紙の常識からすれば裏である。色紙は独自の黄金分割による穏やかな矩形であり、その縦位置がいわゆる色紙型である。然し、彼はこれを横倒しにして、横位置で使うことにした。彼は鞄からサインペンを取り出した。これが黒ではなく青だったことが興味深い。親愛の意を視覚的に表したハート型の図形を交え、1977とHIKARIは大文字の楷書体、あとは筆記体である。

 いま、私はこの色紙を軸装の色紙掛けに掛けて和室の床に飾っている。軸装の色紙賭けは色紙の慣例どおり縦位置にしか掛けられないから、横位置にして横書きにした色紙を縦位置にすると、洋書の背表紙と同じで文字は横倒しになり、筆記体の左から右へ流れるように進むエネルギーは下から上へ立ち上がる勢いに変わった。これまで見たこともないレタリングである。

 以上のプロセスはヤーレスラウフの作曲のプロセスに共通していて大変興味深い。そのメカニズムを構造主義に準拠して分析してみよう。一般的な構造主義では脱構築と言い習わしているが、私は再構造化と対称をなす概念としてこれに平仄を合わせるためにあえて脱構造という語を使っている。また、「ポイエティック」と名付けられた方法論を援用して伝統と創造のメカニズムを解析することも有効だと思う。ポイエティックはギリシャ語のポイエシス=創造にちなんだ用語で創造学とでも言うべき方法論。プレポイエティック、ポイエティック、ポストポイエティックの三段階に別れている。フランスのC.N.R.S(国立科学研究所)を中心に研究が進められてきた伝統と創造に関するメカニズムである。

 第一の段階 色紙の場合、金箔を撒いた面を表としたことは古典的な色紙の概念の脱構造であった。料紙の情報量という点からいえば、確かにこの方が豊富である。ヤーレスラウフの場合、私が雅楽の音をサンプリングして送った資料は、雅楽の古典作品は脱構造されていたが、雅楽の音から出られないでいた。彼はこれを稽古場で実際の音を聞きながら修正して、雅楽の楽器の音へ脱構造した。プレポイエティックがこれである。

 第二の段階 脱構造して得た情報 ―― これが伝統である。―― を目的に合わせて再構造化することである。これこそ真の創造である。色紙の場合、彼は矩形の形を横倒しにして、横位置に使った。ドイツ語が横書きだからこうしたのである。また青いサインペンを使ったのは万年筆のインキが青いからだ。日本人なら黒を使うだろう。それは毛筆の墨が黒いからだ。状況に合わせて再構造化すると、こうなる。ヤーレスラウフの場合、開場十周年記念というテーマにあわせ、脱構造した音の情報量を時価に特化して、その差のばらつきを1977という初演年の数字をパラメータにして調節しながら全体を統合した。この辺がトータルセリエリズムを駆使するシュトックハウゼンのすごさである。古典を脱構造して得られた伝統を現代の状況に応じて再構造化したもの、トランスフォーメイションである。この部分がポイエティックだ。

 第三の段階 ポストポイエティックに相当する。第二段階で再構造化された作品をまたしても脱構造して次なる再構造化へ繋げる作業である。色紙の場合、横位置で左から右へ書き進められたレタリングを、色紙本来の在り方に準拠して縦位置に飾ること、これこそ第二次の創造活動である。ヤーレスラウフの場合は洋楽器ヴァージョンがこれに当たる。雅楽の音楽から必然的に出る音の情報量を洋楽器でトランスクリプトした音は洋楽器にとっては不条理な構造の音である。ここに意外な地平が拓けてくる。かつてドビュッシーが笙の合竹をトランスクリプトした近代和声もこれであった。そして、リヒト連作の棹尾を飾る「リヒトビルダー」では四桁の舞人が四人のソリストにトランスフォーメイションされて登場。また、遺作となった「ナチュアリッヒ ダウエルン(自然の持続時間)」は時価というテーマをピアノに応用したもので、いずれもヤーレスラウフのポストポイエティイクである。


七、古人の跡を求めず、古人の求めたる処を求めよ

 或る古典作品を規範として、これに準拠し、お手本として創作活動をする場合、二つの態度がある。一つは規範とする作品から直接的に学びながら製作する方法。吉川の想い描いている伝統の継承と称するものがこれである。然し、これではトランスクリプション(模写)でしかない。トランスクリプトされたものがお手本と同じ様子に仕上がっていればコピー、型をなぞれば形骸化するのは当然だ。お手本とは別の形のものに仕上がっていれば古典のうら成りというべきだ。もう一つは規範とする作品をいったん言葉に変換して、ということはいったん概念化して、その概念に準拠して製作する方法。概念化することで伝承は脱構造されて伝統が抽象される。これによる制作はトランスフォーメイション(伝統)となる。私が想定する伝統に準拠した創造とはこのようなことである。

 具体例を挙げて説明しよう。ニューヨーク・メトロポリタン美術館のサッカラーウイングは古代エジプト神殿を現代建築でトランスフォーメイションした傑作である。アスワンハイダムで水没する文化財を救済する目的の莫大な寄付金と引き換えに、巧みな交渉の末にアメリカが譲り受けた古代エジプトの小さい神殿をニューヨークに移築、その収納施設としてメトロポリタン美術館に増築したのがサッカラーウイングである。美術館の本館は古風な美術館であるが、サッカラーウイングは外壁が透明なガラス張りで、内部に移築された古代エジプトの神殿と全面透明ガラスの外壁を透して眺められる外のニューヨークのビル街とを同じ視野の内に把えることができる。

 注目すべきはガラスの壁面が垂直ではなく、下の方がやや外に押し出されて斜めに傾斜していることだ。この傾斜の角度は神殿の梯形をした外壁の傾斜角度を踏襲しており、この同じ傾斜角度を共有することによって古代エジプトの神殿と現代建築との間に共通項が成立しガラスの壁が無化され、神殿とビル群が並び立つことになる。この場合傾斜に特化したことが概念化に相当する。ニューヨークのビル群をパラディグム(連関要因)として引用できることで、この新王朝末期のさほどでもない小建築は鮮やかに異化される。そのシニフィケイション(意味作用)は強烈である。恐らく、サッカラーに在った頃、この神殿はこれほど輝いてはいなかっただろう。

 平泉中尊寺の金色堂は一九六二年から解体修理が始まり六八年に完成、この時鎌倉時代に架けられた木造の覆屋を別の場所へ移築して元の場所に鉄筋コンクリートの新しい覆屋が建てられ、現在金色堂はこの中に再建されている。文字通り「屋上屋を架する」とはこのことか、とでも言いたくなる状態で、オリジナルの金色堂の形をそっくりそのまま模倣したコンクリートの建物で、トランスクリプションの標本のような建築である。中に入るとそのお手本となった本物の金色堂が在るが、同じ形の大と小で、本物の金色堂が実際以上に小さく感じられる以外は何も語りかけてこない。相互に何の対話もなく、また我々に何も語りかけて来ない。模倣とはこんなものだ。世界遺産登録に躓いたのもこんなことが影響しているのではないか。
 「古人の跡を求めず、古人の求めたる処を求めよ」(古人の結果を真似るのではなく、古人の方法論に学べ)と言ったのはたしか道元だった、と思う。

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by ooi_piano | 2012-01-18 06:19 | POC2011 | Comments(0)