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Blog | Hiroaki Ooi

フランコ・ドナトーニ&杉山洋一(その5)

(つづき)
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イタリア、正確に言えばミラノに住み始めて暫くすると、現代音楽界でのドナトーニの位置が少しずつ見えてきた。
毎年世界の何処かで彼のフェスティヴァルが催され、クラシックだけでなく、ジャズの演奏家までもが彼の作品を好んで取り上げている事も知った。
日本から見えるドナトーニは、かなたの星雲の中心に煌めく一等星のようなもので、周りには目に見えぬ無数の星が引力を受け巡行していた。
近距離から見れば、圧巻な光景であって、その中心で彼は無邪気に光り続けていた。

彼を崇拝する一連の作曲家の中でも、特に若い世代の一派があって、どうにも好きになれなかった。
殆ど同世代だが、共に集っては似たような作品ばかりを書き合い、揃って大金持ちの息子だったりするので始末が悪い。
そんな人種の醸し出す退廃的な臭いが充満していた。
ヨーロッパ文化の裏側を何千年も培ってきた、独特の黴臭さか。
そんな重苦しさが耐え難かった時期があって、何もする気がおきなかった。
音楽とは何なのか、誰か答えて欲しいと叫び続けていた。

この、しっとりと肌に染みる、地面を這う霧のような空気は、音楽ではないだろう。
何度も自問自答を繰り返していて、暫くドナトーニにも会えなかった。
併し、ヨーロッパ人の音楽とは、その空気だったのかも知れない。
違う文化に生れ育った人間は、まずその空気を認識する術を学ばなければならなかった。何かはっきりしないものが、自分の裡で軋み合っていて、毎日をやり切れない思いで過ごした。
ドナトーニの意味が自分の中で見えなくなっていた。

論理とか理屈は、一度信じてしまうと宗教の働きすら醸し出すもので、その許しなしに人は事象を眺められなくなってしまう。
その向こうに音楽があるに違いない。
それが分かれば分かる程、葛藤は茨の垣根のように立ちはだかり、行く手を拒んだ。
「そこまで自分で納得出来たのだから」
或る時、ふと思った。
「少しずつ茨を払ってゆこう」
何時か向こう側に抜けられるかも知れない。
98.03.08


必要な旅支度を一応終え、部屋を簡単に掃除する。
明日の朝六時十五分にタクシーを呼んであって、フランコを拾ってリナーテ空港から飛ぶ予定になっている。
あたふたと準備に追われたこの一月は飛ぶように過ぎ、夢を見ているようだった。
その間に桜は散り始め、目の前には葉桜の青が映えている。
儚い桜の花を追うように、きらめく春に向かう。
妙な心地だ。
日本に帰ったどの時とも違う感覚に少し戸惑っている。
結局茨の垣根を抜けたのか。
自問自答を繰り返してみるが、答など返ってこない。
透明な気体を、すうっと躯が吸い込んだ気がした。
98.03.某日
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この六月九日にドナトーニが71歳の誕生日を迎える。
色々個人的に感謝している事もあり、彼の誕生日祝に「フランコII」を書き手渡して来た。作曲も終盤に入ってくるとまるで長旅の伴侶との別れを惜しむかの気分に陥り、音にも少し寂しさが混じる。
ドナトーニが何時も作曲を旅程に喩えていたのを思い出していた。

四月上旬から三週間、日本でドナトーニと共に過ごした。
二月にロンドンから帰って来ると疲労と自己健康管理能力の悪さから持病の糖尿が悪化して寝たきりになっていて、実はこの四月の訪日は実現不可能と思われていた。
部屋を訪ねると室内はむっとした病人の臭いが鼻を付き、書きかけのスコアの音符は殆ど崩れかけ臨時記号もどの音符に付いているのか判読不能な程で思わず泣きそうになった。ずっとベッドに寝たきりで、手土産のケーキは台所で切り分け差し出した。
ふと見ると彼はもう寝息を立てていて、強い薬の副作用なのだった。
何度となく彼を訪ねるうち、門番の老夫婦と言葉を交わすようになった。
誰か訪ねて来ないのかと聞くと、毎朝医者と看護婦が検診に来て、時たま彼女やミラノに住んでいる下の息子が見舞う程度だと聞き意外だと思った。

ある友人にその話をすると、最近彼は昔のように社交的ではなくなって、周囲も余り近付きたがらなくなったと少し寂しそうに語った。
歳を取って自分の作曲だけで満足するようになったのだろう。
そう言われて殆ど戸惑っていた。
出発まで後一月を切っても、彼の容態は変わらず一日寝たきりの生活をしていて、とても苦しかった。
日本側と講習や演奏会の準備云々に毎日のように連絡を取り合っていて、彼がどれだけ日本で楽しみにされているか痛感していたし、周囲が説得しても彼は旅行を止める事に納得しなかった。
もし今回取り止めたら彼が又日本にゆける機会があるのか。
だったら今回無理しても連れてゆくべきなのか。
毎日迷い続けていた。
出発の三週間程に日本側に全てを話し延期の可能性を打診して貰ってから、意を決し「秋に延期しよう」と提案した。

インターネットで毎日糖尿病に関する資料を漁っていた。
特に食生活の管理について一体何が食べられて、何を食べさせてはいけないのか、何も知らない私は必死になっていた。
もし彼が日本で倒れたら責任は当然私や招聘側に来るのは必至で、それより世界から愛されている作曲家にかけられる責は自分の想像を遥かに超えるものがあった。
胃薬を呑んでみても食欲はなく、夜も眠れなくなった。
「とんでもない。秋は秋で忙しいし、絶対今日本にゆくよ」
日本の招聘元からも殆ど困惑の表情が受けとられた。
そこまで言うのなら、腹を決めよう。
裸のまま寝息を立て、訪ねて行った事すら知らない作曲家を眺めながらそう思った。

日本側にはもしもの事態に備え糖尿に強い医師に渡りをつけておいて貰い、こちらのかかりつけの医師からは詳しい診断書と、与えられている数多くの薬などの指示を書きつけて貰った。
当然普段必要なインシュリンのケースなどに関する説明を聞く事も忘れなかった。
友人の看護婦に話すと「爆弾抱えて旅行するようなものね」と慰められ、毎日アドルノや彼に関する難解な書物を読み漁りながら過ごしていた。
すっかりドナトーニが何を考えていたのか忘れていた自分にとって、彼のレッスンを助けるのは大役以外の何ものでもなかった。
演奏のように教師が弾いて聴かせる事が出来ない替わりに、作曲のレッスンは言葉でのコミュニケーションが全てだ。
楽譜を見て単純にどこが良いどこが悪いというのではなく、何故そうなるのかという互いの基本理念の確認作業からレッスンの方向性が生まれる。

色々な事に焦りを覚えながら、日本へ発つ数日前から毎夜彼が日本で発狂する夢に魘されて、いつも夜中に飛び起きていた。
出発の朝早く、タクシーで迎えにゆくと、彼は既にすっかり準備を整えて待っていた。
タクシーに乗って、先ず朝のインシュリンを打ったかどうか確かめた後、
「こうなったからには、互いにこの旅行を楽しまなきゃね」
そう言いつつ殆ど自分を奮い立たせていた。
98.06.09
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この春にドナトーニと広島を訪れた。
日本へ向う機内から彼は戦時中の話を繰返していた。
「昨日の事のようだ」
ムッソリーニは、日本やドイツに比べ随分早くアメリカ軍に倒れた。
第二次世界大戦末期、ナチスは北イタリアで子供を中心に人さらいをしていて、子供だったドナトーニも、住んでいたヴェローナがドイツ軍に包囲された事がある。
その時の母親の「早く教会に逃げて」と言う叫び声は忘れられないと苦しそうに話した。
「連れてゆかれた子供は、もう見つからないんだ」
だからどうしてもドイツにだけは住めないのと言う。
「アメリカの兵士は恰好良かった。車上からガムやスパゲッティを配ってね。皆こぞって貰ったものだ。何しろパリッと糊の良く効いた軍服なんて見た事がなかった。その頃は母さんと婆さんがアメリカ軍の軍服を洗濯して日銭を稼いでいたよ。食べるものもない位貧しかったからね」

広島を訪れる事は、色々思う処があったに違いない。
原爆の恐ろしさを何度となく口にして資料館を見たがった。
朝、資料館の前の記念公園に着くと鳥肌が立った。
彼は何も話さず黙って資料館を巡り、最後に、
「すごく悲しい」
ぼそりと言った。

案内をしてくれた人は困った顔で言った。
「これを見てしまうと、誰も観光しようなんて気分ではなくなってしまうんです」
だから結局広島は、原爆を常に背負ってゆかなければならない。
「長崎のような歴史的な文化体系もなかったですし」
原爆を素材に数え切れない文学や絵画、音楽作品が生まれた。
「結局その檻の中に縛られてしまうのです」
原爆を最初に発明したイタリア人天才物理学者は、その後発狂して行方知れずになったと言う。
98.08.06


梯子を借りに門番のMの処に顔を出した。
ふと横を見ると金閣寺の絵端書が飾ってある。

山門から金閣寺まで、足が不自由な老人には随分長い道程だ。
休みながら中学の修学旅行生に混じってゆっくり歩く。
半時間はたっぷり掛かっただろう。
それまで手を後ろで組み俯き加減に歩いていたドナトーニが、池に映る寺を認めて立ち止まった。
じっと寺に見入っていて、私も黙っていた。

三分程立ち尽くしていて、
「帰ろう」
私に声を掛けた。
「もっと近くから観たくないの」
「この手のは、遠くから眺めるから素敵なんだ」
そう言うと、ゆっくり歩き始めた。

ドナトーニがどこか出掛ける度に絵端書を書く相手がいた。
彼の主治医だ。
「可哀そうに。忙しくて何処にも旅行に出掛けられないから、こうして書いてやるのさ」
東京、京都、広島と計三通、自分のサインがのたくっただけの絵端書を書いた。

広島のホテルで朝食を摂りながら、彼の家族や女友達にも絵端書を出そうと提案した。
「イタリアに戻ればどうせすぐ会うから必要ないよ」
そういうものではないと説得すると、差し出した絵端書を見比べながらどれを誰に出そうか、などとまんざらでもない様子だった。
爺さんが生きていたら、こんな風に付き合えたか。
目の前の老人を不思議な気分で見つめながら、ぼんやりと思った。

ミラノに戻って暫くして、様子を伺おうと電話をすると、
「お前に礼を言おうと思っていた矢先だったよ。絵端書どうも有難う」
嬉しそうな声が応えた。
「そら見た事か」
電話口で思わず北叟笑んだ。
98.08.某日
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ドナトーニと二人でY先生の茶室に招かれた時の事を思い出した。
純和風造りの家は彼には驚きの連続だった。
糖尿で足が悪く、ドナトーニは特殊な靴を履いている。
靴底が柔らかくなっているのだと思う。
室内履きも特別なサンダルを常用していた。

家には上がるのに靴を脱がなければならず、三和土から玄関へ上るのに何時も非常に苦労した。
実際、玄関に腰掛けさせるのも一苦労だったのだから。
当然、腰掛けてしまえば靴は脱げない。
意外に玄関は高かったのだ。
甲斐甲斐しく靴紐を解き脱がせていたりするのを見て、Y先生のお母様曰く、
「昔の書生さんのよう」
端から見ていれば近いものがあっただろう。

男二人がかりで玄関から引き上げてみると、さて掴まる処がない。
彼は人前で肩を貸されるのを厭がった。
玄関でのやりとりも、いたたまれない思いだったに違いない。
よろめいて障子に凭れようとしても、細木の障子が役に立つわけもなく、応接間に辿り着く前に、彼の顔には薄く諦めに似た表情が浮んだ。

応接間に通されると今度は座椅子に坐らなくてはならない。
またしても男二人で抱え込んで何とか事なきを得た。
彼にも漸く安堵の様子が見えた。
「こんな家に住んでみたかった」
しばらく鴨居や柱を目で追ってから、軽く頷いた。
「ミラノのアパートも、こんな造りにしたかったのだけれど」

和式の家には憧れがある。
梁のうねりの大胆さと細木の繊細さが複雑な流れを生み出す。
たゆたうような時間に絡め込まれるのは、日本が培って来た文化の深さを表しているのだろう。

「対照性に内包された非対照性」
ドナトーニが絶えず口にする言葉だ。
対照性がある全体機能を約束し、保証された世界の中で自由を求める。
キリスト教の発想と無縁ではないのは明らかだが、目の前を縦横無尽に走る梁の木目の美しさを、彼は同じ言葉で形容した。
一見自由に流れて見える梁の中心にさりげなく掛けられた書が、全体を引き締めていると言う。
書の世界から外へ発想を広げるのではなく、箱の認識から内容を検証する辺り、実にヨーロッパ人らしい。

厄介を繰り返して小さな茶室に彼を通した。
まるで子供の様にまんじりともせず奥さんの立てるお茶の作法に見入っている。
一つ一つ作法の説明をするのだが、彼が表情を替えたのは、目の前に乾菓子と生菓子を並べられた時だけだった。その後彼は繰り返し作法の精確さと洗練度を讃えていた。
ミラノに戻ってからも、事ある度に金閣寺と茶室の出来事を引き合いに出した。
一々説明しながらお茶を受けるのは、個人的には余り気の乗る体験ではなかったのだが。
気が付くと茶室はすっかり夕暮れ色に染まっていて、炉の炭の赤が美しく映えていた。
98.9.某日

パドヴァの仕事を終え帰宅すると、深夜三時を回っていた。
疲れ果てていて車に乗るとすぐに眠り込んだが、マリアの「雪よ」と言う声に思わず目を醒ました。
ヴェローナを過ぎた辺りから深い雪が降り続き、家に着いて外の温度計を見ると零下二度でいつもより幾分暖かい気がした。
ここ数日ミラノは冷え込んでいて、朝晩零下五度以下まで下がっていた。
真っ赤な朝焼けに一面霜床の真っ白な風景がきらきら輝くのも美しかった。

ドナトーニがまた病院に戻ったとサンドロから聞き、小さな花束を携えて病院を訪れた。
幾分ふっくらした顔のフランコは、横臥して透析を受けていた。
下の息子のレナートがいて、ミラノまで送って貰う。
「結局自分の躯の老化を認めたくないんだよ」
少し困ったような、誇りの滲む口調で呟いた。
98.11.某日

ドナトーニを聖ラファエル病院のリハビリ病棟に訪ねると、相変わらずマリゼルラが甲斐甲斐しく世話をやいていた。
表情は非常に硬く、皺が驚くほど増えている。
「日本で美しかったのは黄金色の寺。醜かったのは日本の男」
ぶっきらぼうに呟いた。

以前嫌がっていた車椅子に腰掛け、昼食が遅いと苛立っていて、窓から差し込む外の光は、思いがけなく眩しかった。
マリゼルラにナプキンを掛けて貰い二人で食卓を準備するや否や、老作曲家は食事にむしゃぶりついた。
「あなたの好きなオレンジもあって、良かったわね」
病室の扉には、クリスマスの飾りが付けてあった。
98.12.23
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by ooi_piano | 2012-08-21 00:29 | 雑記 | Comments(0)