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Blog | Hiroaki Ooi

12/12(水) ファーニホウ&シャリーノ公演 紹介番組+概説

【紹介番組】
c0050810_3332396.jpgラヂオつくば 84.2MHz 「つくばタイムス・ドッピオ」
12/5(水) 24:00~24:30(=12/6(木) 午前0時~0時半)

 ※野々村禎彦さんのインタビュー・・・POC#13のリスニング・ガイドとして、「ポスト戦後前衛世代について、ファーニホウとシャリーノを中心に」「『新しい単純性』あっての『新しい複雑性』、新しい複雑性の超絶技巧志向とスペクトル楽派の音響志向の美味しいとこ取りが独学者シャリーノ、という図式」etc。

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「ポスト戦後前衛世代」について:「新しい複雑性」を中心に ――― 野々村 禎彦

c0050810_3362872.jpg 戦後前衛は70年代に入ると行き詰まった。独自語法の開発を続けたクセナキスやラッヘンマンは例外で、50年代半ばに確立した「総音列技法+管理された偶然性」のマイナーチェンジだけでは高々20年が限界だった。伝統的な時間構造の上にトーン・クラスターを乗せる書法の賞味期限はさらに短かった。植民地解放・人種差別撤廃・パリ5月革命と続いた改革の機運も、米国ベトナム撤退の達成感と引き替えに萎み、戦後前衛を経済的に支えた芸術への援助も、オイルショックによる世界不況で水を差された。ショスタコーヴィチ(1906-75) とブリテン(1913-76) という伝統書法の大家が相次いで世を去り、調性を用いるハードルも大幅に下がった。かつて戦後前衛を支えた作曲家たちの伝統/調性回帰はこうして顕著になる。

 だが、前衛的な音楽は戦後前衛世代とともに雲散霧消したわけではない。ロックの世界を見ても、前衛的/実験的な試みは連綿と続いている。「芸術」や「崇高」が逃げ口上にならない世界でも、商業的にはマイナスな創造行為に自発的に向かう動きは常に存在する。現代音楽界だけが例外のはずはない。ただし、戦後前衛世代と「ポスト戦後前衛世代」には大きな違いがある。戦後前衛世代では、前衛書法を用いるのが「芸術的な態度」、それ以外は「保守反動」という意識が強かったが、ポスト前衛世代にはこの類の図式は通用しない。前衛的アプローチは趣味嗜好以上のものではなくなり、指標となる唯一の中心も時代様式も存在しない。

 戦後前衛世代は物心ついた時に「戦後」を引きずっていた世代までだとPOC#11の解説で書いたが、ポスト戦後前衛世代もそこから始まる。ヨーロッパではラドゥレスク(1942生)、H.デュフール(1943生)、ファーニホウ(1943生)らから始まり、グリゼー(1946生)、ミュライユ(1947生)、シャリーノ(1947生)らベビーブーム世代で最初のピークを迎える。ここに挙げた作曲家のうち、今回の主役のファーニホウとシャリーノ以外は「スペクトル楽派」に属し、ファーニホウが主導した「新しい複雑性」と共に、この時期の潮流を代表する。独学者シャリーノの音楽はどちらにも属さないが、両者の良い所取りと言えなくもない。

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c0050810_3375071.jpg ドイツでは70年代半ばから、戦後前衛でタブー視されてきた調性的要素や単純なリズムを導入したトロヤーン(1949生)、W.リーム(1952生)、フォン=ボーゼ(1953生)らが台頭し「新表現主義」「新ロマン主義」「新しい単純性」などと呼ばれた。ただし中心人物W.リームの書法は伝統語法と前衛語法の複雑なアマルガムであり、表現主義的ではあるが「ロマン主義」でも「単純」でもない。すなわち、これらの呼称はジャーナリスティックなものにすぎない。英国では同じ頃、ファーニホウ(1943生)とフィニシー(1946生)が「新しい複雑性」と呼ばれ注目された。彼らは歳も近く仲も良く、初期シュトックハウゼンのような不合理音価に覆われた複雑な譜面を書いていた。だが、ピアニスト=作曲家フィニシーの「複雑性」はゴドフスキー編曲版と同種のヴィルトゥオーゾ志向の産物で、総音列技法に代わる語法を開拓したファーニホウとは本来同列には扱えない。すなわちこの呼称は、アンチ「新しい単純性」=「新しい複雑性」というさらにジャーナリスティックな図式の産物だ。ただし、この傾向が英国から始まったことには意味がある。

 英国現代音楽界には戦後前衛第一世代が存在しなかった。ティペット(1905生)やブリテン(1913生)の次世代は、P.M.デイヴィス(1934生)とバートウィスル(1935生)、戦後前衛第二世代の作曲家である。60年代の彼らは劇場性を表看板に、前衛的と言えなくもない作風だったが、70年代に入ると「英国音楽」の伝統を踏まえた「新・新古典主義」に落ち着いてしまう。シュトックハウゼンの助手として総音列技法を身に着けたカーデュー(1936生)も、自由度の高い図形楽譜/集団即興グループAMM/アマチュア音楽家のためのテキスト作品…と2、3年おきに方向性を変えた末、70年代に入るとどの方向性もブルジョア的だったと自己批判して政治活動に打ち込み、民衆的な素材を伝統的な形式で展開する「新・社会主義リアリズム」に転向した。戦後前衛世代は1945年当時の年齢という世界共通の区切りで二分され、第二世代上限の彼らでも第一世代の代わりにはなれなかった。

c0050810_3382750.jpg ファー二ホウはこのような閉塞状況の中、戦後前衛第一世代に相当する大黒柱を英国作曲界に通そうとした。ピアノ独奏のための《エピグラム》(1966) と《3つの小品》(1966-67)、《弦楽四重奏のためのソナタ》(1967)、出世作となるフルート独奏のための《カッサンドラの夢の歌》(1970)、《ファイヤーサイクル・ベータ》(1969-71) などの初期作品は「遅れて来た前衛」の趣。結局彼は英国作曲界の保守性に早々に見切りをつけて60年代末から留学を重ね、フライブルク音楽大学教授に着任したK.フーバーの助手として1973年にドイツに移住して、戦後前衛の限界に挑み始めた。総音列技法草創期の演奏家の生理を無視した複雑な譜面が、管理された偶然性を程良く導入した「弾き易く効率的」な譜面に取って代わられるうちに、演奏不可能性の瀬戸際で生まれるオーラも失われた、本来の前衛音楽を取り戻そう! この主張は当初、前衛書法へのノスタルジーと批判的に捉えられたが、《時間と動きの習作》シリーズ(I: バスクラリネット独奏(1971-77), II: チェロ独奏とライヴエレクトロニクス(1973-76), III: 16独唱者とエレクトロニクス(1974))、フルート独奏のための《ユニティ・カプセル》(1975-76)、弦楽四重奏曲第2番(1979-80)、ピアノ独奏のための《レンマ-イコン-エピグラム》(1981) などを通じ、常套化した前衛書法に代わる独自書法の結果としての複雑性の美学が認知されてゆく。

 やがて彼はダルムシュタット現代音楽夏期講習で講師とクラーニヒシュタイン音楽賞作曲部門の審査を担当し、「新しい複雑性」の次世代をプロモートした。英国ではディロン(スコットランド, 1950生)、デンク(1953生)、クラーク(1957生)、バレット(ウェールズ, 1959生)ら、フライブルク音大からはヒュープラー(1956生)、マーンコプフ(1962生)らがこの傾向に加わった。総決算的な連作《発明の牢獄》(1981-86) も高く評価されて、ヨーロッパでの仕事は一段落した。ただし、次世代の作曲家たちのその後は、この方向性の困難を予告していた。80年代には尖っていたディロンも、90年代半ばになると後期武満風の穏当な作風に落ち着いた。「新しい複雑性」本来の独自書法開拓に努めたヒュープラーは大病の影響もあって十分な評価を得られず、「ファーニホウ風の曲」の再生産に励んだマーンコプフが、御大離欧後のヨーロッパでこの傾向の中心人物に収まった。

c0050810_339515.jpg ファーニホウは1987年からカリフォルニア大学サンディエゴ校音楽学部に移る。レイノルズを中心にコンピュータ音楽に強く、当時は湯浅譲二も教授陣の一員だった。彼はヨーロッパ時代には関心が薄かったIrcam的デジタル音響を導入し、作曲ソフトウェアを積極的に使い始める。弦楽四重奏曲第3番(1987)・第4番(1989-90)、打楽器独奏のための《ボーン・アルファベット》(1991)、弦楽三重奏曲(1995) などの作品があり、後に米国アカデミズムの重鎮になったチェルノヴィン(1958生)を教えたが、総じて中休みの時期にあたる。1999年にスタンフォード大学音楽学部に移ると、まずベンヤミンの死を題材にしたオペラ《影の時》(1999-2004) に取り組んだ。基本編成は合唱とアンサンブルの小品7曲を並べて1幕7場のオペラと称する姿勢は、シュトックハウゼンの《光》シリーズを思わせる。ピアノ弾き語りのための〈自然の本性に抗する営為〉(1999-2000) はオペラの転換点にあたる第4場、ラスベガスのピアノ芸人がベンヤミンを冥界に導く場面である。弦楽四重奏曲第5番(2006)・第6番(2010) をはじめ、近年の彼は創作ペースを上げている。

 「新しい複雑性」は、前衛音楽不毛の地英国に生まれ、前衛音楽衰退期に全盛期を迎えたファーニホウが始めた、戦後前衛の失地回復運動とみなせる。彼は戦後前衛衰退の原因を書法の硬直化に見て、演奏家の生理に妥協しない複雑な譜面を指標に、作曲家ひとりひとりが新しい前衛書法を見出せば解決できると考えた。だが、言うは易く行うは難し。彼は70年代にはこの理念を実践していたが、80年代以降は自ら開拓した語法をなぞる手並みが聴き所になってしまった。ましてやフォロワーたちをや。だが、「新しい複雑性」は戦後前衛の縮小再生産には終わらなかった。ファーニホウの米国移住後十余年を経た21世紀に入ると、彼に直接師事しなくても十分な情報が得られるようになり、むしろその距離が独自語法を生むにはプラスに働き、米国の若い世代に「新しい複雑性」の理念を体現した作曲家が現れ始めた。J.エッカルト(1971生)の作風はファーニホウに似ているが、その全盛期に匹敵する生命感に満ちているのは、模倣ではなく自らの身体感覚に引きつけた再発見を行っているからだ。キャシディー(1976年生)は奏者が身体の各部分(弦楽器なら右手と左手、管楽器なら右手・左手・息)の動きを各々独立に指定したタブラチュア譜を用い、出音を意識しない複雑な身体運動から苛烈な音響を引き出している。

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c0050810_3392636.jpg イタリアは19世紀後半にようやく統一国家となり、都市国家の集合体という意識はいまだに強い。前衛の時代には、時代様式を意識してある程度共同歩調を取っていたが、一極集中体制が崩れると再び各都市が独自の美学を競う状況が訪れた。折しもマデルナは1973年に世を去り、ノーノは中国が米国と手を結びソ連が第三世界と敵対する世界情勢に絶望して孤高の晩年様式に向かい、ベリオは米国在住期の輝きを失い、ブソッティとカスティリオーニは個人様式に閉じこもり、コルギ(1937生)ら前衛第二世代は決定打を欠き…という中で、《煙》(1976) で独自書法に至った遅咲きのドナトーニ(1927生)と、60年代末から斬新な音響を生み出してきたシャリーノ(1947生)の2トップが現代音楽界を牽引する状況が続いた。

 シャリーノは早熟な独学者で、W.リーム同様、作品表は10代の作品から始まる。W.リームの世代になると懐疑の対象になる戦後前衛の美学を、5歳年長のシャリーノはすんなり受け入れた。彼は生楽器による「新しい音響」を目指したが、70年代ラッヘンマンのような伝統と隔絶した新奇さではなく、伝統の拡張ないし伝統奏法を新しい文脈で扱うことだった。彼は生地パレルモで現代音楽祭を主催したローマの作曲家エヴァンジェリスティ(1926-80) に弦楽四重奏曲第2番(1967) を献呈したが、この縁で最初のオーケストラ曲《子守歌》(1967-69) がヴェネツィア・ビエンナーレに推薦された。彼は現代音楽界デビューを機にローマに移り、1977-82年にはミラノ音楽院で教鞭を執ったが、以後は専業作曲家としてイタリア中部の小都市チッタ・ディ・カステッロに居を構え、新作初演でも滅多に離れないという。

 斬新な弦楽器書法は初期から彼の代名詞で模倣者も多い。さまざまな倍音奏法を混ぜ、弦を縦に擦る疑似ホワイトノイズで空間を敷き詰める。ヴァイオリン独奏のための《6つのカプリース》(1976) はこの書法を詰め込んだ代表作。ピアノのための第1ソナタ(1976) もリスト/ラヴェル流ヴィルトゥオーゾ書法を継承している。《ハルポクラテスの像》(1974-79) や《アスペレン組曲》(1979) など、特徴的音型を執拗に反復し幻想的な音響で長い時間枠を埋めた作品が、この時期の真骨頂。やがて彼の関心は木管楽器(特にフルート)に移る。息の制御とキー操作の組み合わせを虱潰しに探索し、この楽器の特殊奏法のカタログを書き換えた。80年代に入ると「新しい単純性」の時流を意識して調性的音型や三和音もパレットに加えた。オペラ《ローエングリン》(1982-84) は、この時期の音響世界の集大成。ピアノのための第2ソナタ(1979-83) と第3ソナタ(1987) も、この時期の輝かしい書法を伝える。後期フェルドマンを思わせる長時間化も進み、《中心を共有する詩 I, II, III》(1987) は非常に限定された素材による各1時間近い協奏曲の3部作である。

 エヴァンジェリスティ亡き後は、ノーノが作品の普及に一役買った。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズのノーノ特集(1987) は、シャリーノが日本で本格的に紹介された最初の機会になった。《夜の寓話》(1985) の斬新な音響と、ヴァイオリンとオーケストラの編成でメンデルスゾーンの協奏曲を全面的に引用するわかりやすさは強い印象を残した。1990年のノーノの死は彼の音楽にも大きな影を落とし、ピアノのための第4ソナタ(1991-92) と第5ソナタ(1994) の暗い表情は前作までの明るさとは対照的だ。「新しい音響」の探求は続き、サックス四重奏と百人のサックス奏者のための《口、足、音》(1997) ではキー・クラップ音のみの音世界を常軌を逸した編成で実現した。《海の音調の練習曲》(2000) は 100+4 奏者のフルート群とサックス群が掛け合い、歌と打楽器も加わるさらにわかりやすい作品。このように同じ発想を使い回す姿勢は、専業作曲家ならではと言えるだろう。

 集大成的なオペラ《マクベス》(2002) の後も、彼は年数作のペースで新作を書き続けている。松尾芭蕉の俳句による《あかあかと I, II, III》(1968) 以来日本への思いは強く、近作にも『和泉式部日記』に基づくオペラ《霜から霜へ》(2006) がある。初来日は、2005年のサントリーホール国際作曲委嘱シリーズでようやく実現した。この時の委嘱作《音の影》(2005) は発音行為に伴う噪音にスポットを当てた作品。「新しい音響」への意欲は依然衰えていない。2012年には1月のコンポージアムと11月のポリーニ・パースペクティヴ(《12のマドリガル》(2007) 他の日本初演)で2回来日しており、シャリーノ・イヤーは本公演で締め括られる。

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c0050810_3401963.jpg 「ポスト戦後前衛世代」は現在まで続いていると思われたかもしれないが、本稿で述べたのは「新しい複雑性」の継続であり、この世代は50年代末に境界がある。本稿で取り上げた作曲家たちでは、バレット(1959生)が世代の切れ目にあたる。現代作曲家は彼の音楽活動の一側面に過ぎず、エレクトロニクス即興音楽家としてポール・オベルマイヤーとのデュオ即興ユニットFURT、Evan Parker Electro-Acoustic Ensembleへの参加、FURTに幅広い世代の即興音楽家を加えたユニットfORCHなどの活動に多くの時間を割いている。90年代後半からは大編成作品にエレクトロニクスパートを加えて自ら担当することが増え、fORCHを結成した2005年以降は即興の成り行きを規定した作品も増えた。FURTは1986年から活動を始めたが、現代音楽の演奏家と即興音楽家を兼ねる者もこの頃から増えている。

 ポスト前衛世代では、前衛的アプローチは「芸術的な態度」を保証するわけではなく、もはや趣味嗜好以上のものではなくなったが、50年代末以降に生まれた世代では、現代音楽というジャンルの選択自体も趣味嗜好以上のものではなくなった。逆に、バレットのようなジャンル横断的な活動が「芸術的な態度」を保証するわけでもないが、自由即興音楽をはじめとする実験的ポピュラー音楽の豊かな広がりはいまや質量ともに現代音楽を凌駕し、あえて現代音楽という制約の多いジャンルを選ぶからには、このジャンルでなければ実現できない音楽を目指さなければ意味はない。もはや紙数も尽き、本稿の趣旨からも外れるので個人名までは挙げないが、ポスト戦後前衛世代以降の優れた現代作曲家は、みなこの状況を自覚している。
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Commented by n at 2012-12-05 03:42 x
フランコ・エヴァンジェリスティ、ですよ。
Commented by n at 2012-12-05 05:00 x
>>>独自書法に至った遅咲きのドナトーニ(1927生)と、60年代末から斬新な音響を生み出してきたシャリーノ(1947生)の2トップが現代音楽界を牽引する状況が続いた。>>>

万人に受け入れられるように書くなら「(ツェルボーニ内紛が原因と見られる)戦後第二世代の決定打を欠く中それぞれの都市はまったく相互にかみ合わず、RICORDI、ZERBONI、EDIPAN、BERBEN、RUGGINENTI、SONZOGNO所属の作曲家たちが休むことなく新作を提出し続ける状態が2000年ごろまでは続いた」。
by ooi_piano | 2012-12-05 03:13 | POC2012 | Comments(2)