6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

ケージ《冬の音楽》の奏法について

12/29《冬の音楽》公演・感想集 http://togetter.com/li/430851

  案外良い曲だったのと、比較的容易にアプローチ可能とも思えたので、ジョン・ケージ《冬の音楽(ウィンター・ミュージック)》の奏法について。

c0050810_10222636.gif  まず出版自筆譜で困るのは、どのポイントが「段(行)の開始地点」であるか、はっきりしない事です。私は横幅は42.5cmであると仮定し、それを8分割した5.3cmを1セクションとして、ト音+ヘ音2段譜×5行の五線譜へと全20ページを写譜しました。全曲だろうが部分だろうが、写譜しないとまず演奏不可能です。《シナファイ》をサラベールの「ピアノ・パート譜」でそのまま、譜めくり付きで弾くのが「不可能」であるのと同様です。作業の所要時間は、諸要素の確定プロセスを含めて、20~30時間といったところでしょうか。慣れない人は、五線譜を8分割する縦線を引くことでさえ面倒な事でしょう。
  ケージの他作品からの個人的な比較では、1セクション(5.3cm)は3~5秒程度が妥当に思えます。3秒なら全曲は40分、5秒なら67分。今回の公演では、「1時間程度のプログラム」という前提でしたので、60のテンポで1セクション5カウントで演奏しました。無音部分でも楽譜を見ながらカウントは続けました。演奏中は見もしないストップウォッチを、開始前にわざわざピッと鳴らしてみせるのは茶番です。

c0050810_7472665.gif  この作品で演奏者自身が決めなければならないのは、「音部記号の選択」「音の選択」「強弱の決定」「どの音をハーモニクスにするか」の4つです。この4つさえ決めてしまえば、あとは「解釈」の必要も無いので、演奏自体は非常に簡単な作品です。「自由に(free)」奏者が決めてよい、という指定はケージの罠で、結局は易経(乱数)を活用するのが、最もラク、かつ「最も良い結果」が得られるように思います。
  五線の上下に書かれている音部記号は、そのセクションが終わる(五線が切れる)までずっと有効です(序文に書かれていないが見れば分かります。第5頁第3段最後の和音のミスを除いて、全ては明瞭に規定)。音部記号が異なる場合、序文に指定されている通りに、どちらかを選択しなければなりません(一つ一つの和音について毎度吟味要)。2つの要素から1つを選ぶ乱数は、例えば1,2,1,1,2,2,2,2,1,2,2,2,1,2,1,1,2,1,2,1,2,1,1,1..といった調子です。私は何も考えず、これに従いましたが、特に不都合は発生しませんでした(違う表記をしてある複数の音が一つに重なることは何箇所かある)。このくらいなら硬貨で決めても余裕ですね。
  第2頁第4段冒頭のように、五線上側にト音記号、五線下側にヘ音記号、10個の音の和音の上に「3-7」と書かれている場合、10個の音のうち3つをト音記号、7つをヘ音記号で読みます。10個のうちから3個の音を選ぶのも乱数です。例えば、(3,8,9) (1,5,6) (2,3,9) (4,6,9) (2,8,9) (1,5,8)...といった具合。これも機械的に当て嵌めていくだけです。組み合わせですから、選ぶ音が少ないほうの音部記号を利用しましょう(mCn=mCm-n)。
c0050810_1025234.jpg  強弱の決定は、和音毎に行いました。pp, mf, mp, fff, f, fff, p, mp, ff, mf, mf, mp, mp, p, ff, ff, ff, pp, pp, mp, f, mf, ff, ppp, ppp, pp, f, fff, pp...などという具合。《南のエチュード》の面倒さに較べれば、《冬の音楽》でのこの作業は一瞬にして終了した感じでした。上記の一例でも明らかなように、案外p/pp/pppは続いたりします。《冬の音楽》では、演奏者がその場凌ぎでテキトーにデュナーミクを決めている場合、幅広い音域のトーン・クラスターなど、まず十中八九、景気の良いフォルテでブッ叩いてますから観察してみましょう。
  和音が押さえられない場合、事前に無音でハーモニクスとして確保しなければなりません。これは易経では無理で、指の広がり、音楽的判断を含む現実的な要請があります。高音域はそもそもダンパーが開放されていますので、これを度外視すれば、ほぼ全曲の記譜に矛盾はありません(他の一流作曲家と同じ程度のパーセンテイジの瑕疵)。ハーモニクスを響かせようとすれば、なんだかんだで低音域が有利です。強音なら中音域でもそこそこ可能ですが、弱音だとほとんど聴こえません。そもそもハーモニクス音じたいが、楽器から数メートル離れれば聞こえにくい。実音として弾くのは、出来るだけ沢山の音数であることを優先しつつ、もちろん音の選択に多少のセンスも必要でしょう。書き直してみると、調性的な和音が意外に多いのに驚きますが、演奏中に何かが「機能」する瞬間は特にありませんでした(これも勿論弾き方の匙加減次第)。和音が連続する場合は、事前の無音ハーモニクスも適宜調整すれば宜しい。
  自分でヴァージョンを作らないといけない、というのは、一見面倒な作業に思えますが、他方、いまやクラシックでは実現の難しい「極めて個性的な」演奏を、誠に簡単に実現出来る、とも言えます。

c0050810_10264051.jpg  ケージ自身、《易の音楽》や《カリヨンのための音楽》など、「これは音楽では無い」と批判されそうな曲に限って、タイトルにわざわざmusicという言葉を加えているように思えます。いくら支離滅裂だったり、あるいは沈黙が長かろうと、易の残酷な結果に作曲家が耐え、演奏家が余計な脚色を加えずそのまま聴き手に届ければ、聴き手側は自由に受け取り、感じ、味わってくれます。沈黙(あるいは「退屈さ」)に耐えきれないのは、聴衆ではなく演奏家自身であることが多い。ケージは正直で、自分が書き上げた《易の音楽》や《冬の音楽》の譜面に、当初当惑したことを告白しています。そして、「そのうち慣れた」、と。
  《冬の音楽》では、「各々の音の残響・重層・相互浸透は自由である」(ケージ)と付記されているものの、single ictus(一撃)で奏される個々の音をそのまま配置していくだけで充分音楽として成立します。10月に《北天のエチュード》(1978)を日本初演した際も、いくら音が少なくて静かであっても、増幅してエコーかけて間を持たせようとは思いませんでした。開放したダンパーペダル(とソフトペダル)のぬるま湯のような響きに淫するのは、実験主義の名にふさわしくありません。宇宙では貴方の悲鳴は誰にも聞こえない---かどうかはともかく、ペダルによる残響が指定されていない、素の「無」の部分は、そのままにすべきです。沈黙を怖がる演奏家でも、《4分33秒》だけは平然と取り上げるのは、それが有名作品であり、5分弱で終わることを聴衆の誰もが知っていると安心出来るからです。

c0050810_10272963.jpg  《冬の音楽》は、部分だけを抜粋されたり、やれ20人で弾かれたり、ミュジサーカスとやらに利用されたり、部分素材としての活用が圧倒的ですが、全曲かつ独奏を経験してしまうと、それは邪道だと言いたくなる。
  一度目撃した集団演奏では、確か20台ちゅう5台くらいにスポンサー企業の社員(ピアノは素人)が割り振られており、「17分23秒になったら、目印の貼られた鍵盤をフォルテで叩く」etcとの事でした。してみると、20頁ちゅうの1頁、どころか、「1段」ですらなく、「部分を抽出して良い」という指定に甘えた、実にご都合主義的な拡大解釈と言わねばならない。そこまでして「ケージ」という名前にすがる必然性は無く、集団即興でもやれば宜しい。
  全20頁を独奏で通奏してみると、かなり見事な構成になっていることに気付きます(わざわざ「頁数」が自筆で書き込んであるので、それに従いました)。冒頭にいきなりガツンと据えられる沈黙(それが特に良かったという声も)、やっと動き出したと思った矢先に挟まれる第3ページの沈黙。その後、疎密を行き来しつつ(第6ページ第1段での印象的な連続する6つの単音etc)、音が並べられるが、曲の半ばを過ぎた第13ページで長い沈黙。それを断ち切るクラスター。再び動き出すものの、いよいよ終わりを予感させるあたりに横たわる、第18~19頁の巨大な沈黙のアンチ・クライマックス。第18頁第3段で突如現れるユーモラスなFのオクターヴは、全曲を締めくくる最後の打弦を予告している・・・というようなリスニング・ガイドも可能でしょう。

c0050810_10282697.jpg  こんな程度の事でも、ネットに一つメモ書きが有るのと無いのでは演奏状況が違ってくるかと思い、書き留めてみました。他の現代作曲家たちと違って、日本にケージ学者は5人も6人もいて、論文も訳書もまことに立派で(本当に)、雑誌でも定期的に特集が組まれているわりには、《冬の音楽》の全曲演奏は本公演が50年ぶりだったとか。これはおかしい。音楽は演奏され聴取されてナンボです。このブログで何度も強調しておりますが、情報の囲い込み(神秘化を含む)ほど、非生産的な愚行はありません。乱数発生用のファイルは御希望でしたらお送り致しますので、フォームからお申し込み下さい。
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by ooi_piano | 2012-12-31 02:44 | POC2012 | Comments(0)