7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

1/26(土)ケージ《南のエチュード》公演

  「やがては、誰しも騒音も聞こえぬ所へ行かねばならぬのだから、せめて生きている間は、騒音でも何でも聞こえることに感謝しなければならぬと思う」 宮城道雄(1894~1956)

[ポック#14] ジョン・ケージ生誕100周年(その2)
2013年1月26日(土) 17時
開演 代々木上原・けやきホール 大井浩明(ピアノ) 
●J.ケージ(1912-1992):南のエテュード集(1974-75) (全32曲/全4集、通奏日本初演)(約3時間30分)
第1巻 I - II - III - IV- V - VI - VII - VIII
第2巻 IX - X - XI - XII - XIII - XIV - XV - XVI
(休憩)
第3巻 XVII - XVIII - XIX - XX - XXI - XXII - XXIII - XXIV
第4巻 XXV - XXVI - XXVII - XXVIII - XXIX - XXX - XXXI - XXXII
■Facebook イヴェントページ
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【チケット料金】 〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円  〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円
【チケット取り扱い】 ローソンチケット(各公演1回券のみ) tel. 0570-084-003 http://l-tike.com/ Lコード:37455
(株)オカムラ&カンパニー(下記)
【お問い合わせ】 (株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com  http://www.okamura-co.com/

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c0050810_15455378.jpg【紹介番組】 ラヂオつくば 84.2MHz 「つくばタイムス・ドッピオ」
1/23(水) 24:00~24:30(=1/24(木) 午前0時~0時半)
 ※ケージ《易の音楽》《冬の音楽》から《南のエチュード》へ至るピアノ音楽についての大井インタビュー、ならびに《冬の音楽》の演奏

放送電波はつくば市内しか届きませんが、インターネットでのサイマル放送がエリア制限なくお聴きいただけます。
サイマル放送(Windowsパソコン)での聴き方
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ジョン・ケージ素描(下) ―――野々村 禎彦

c0050810_15461531.jpg 易を立てた結果を五線譜に記すか、音楽要素を厳密に示した図形楽譜(時間枠・音域・音量幅などの初期条件のみ奏者が設定)を用いていたケージの作風は、音楽家生活25周年コンサートの頃から変わり始めた。記号を書いた透明プラスティック板数枚と指示書で、譜面作成も奏者に委ねたより自由度の高い偶然性へ向かった。この路線の最初の作品が《Variations I》(1958) だ。次作《Fontana Mix》(1958) は、彼自身による電子音楽版が名高い。チューダーはニューヨーク楽派の実験的なピアノ曲をほぼ一手に担当していたが、50年代末から自作電子回路を用いた独自のライヴエレクトロニクスを始め、程なくピアノ演奏を引退した。するとケージは、作曲の中心をライヴエレクトロニクスに移して共演を続ける道を選んだ。

 第一作は、任意のオブジェにコンタクトマイクを取り付け、微小振動を増幅して大きな音響を取り出す《Cartridge Music》(1960) 。実験音楽の無理解な演奏は、無理に大人数を集めて大音量を得ようとするから起こる。本質を把握した奏者のみ起用し、大音量は電気増幅で実現すれば一応解決する。彼は生演奏を重視し録音には懐疑的だったが、生音への拘りはない。《増幅されたトイピアノのための音楽》(1960) や《ピアノのための音楽85》(1962) は電気増幅が前提で《Variations II/III/IV》(1961/62/63) のシリーズはIと同様の図形楽譜を持つが、フィードバック混じりの強烈なノイズで特徴付けられる。《4分33秒》第2番の《0分00秒》(1962) は、日常的動作から生じ普段は意識されない微小音響を増幅して聴かせる。

 やがて彼の志向はマルチメディア・パフォーマンスに移ってゆく。V(1965) 以降の《Variations》シリーズはその傾向が顕著で、《Musicircus》シリーズ(1967-) へと繋がってゆく。キーワードは「多元性」。《Black Mountain Piece》(1952) と理念は共通しているが、当時は「前衛芸術」に限定されていた対象が、「サーカス」らしく泰西名曲や大道芸まで広がった。彼は並行して《HPSCHD》(1967-69) をレジャーレン・ヒラーと共作した。古今の楽曲をコンピュータ・プログラム化した易経で処理して作ったチェンバロ譜の生演奏をヒラーのコンピュータ音楽と一緒に会場を囲むスピーカーから放出し、会場中にスライドが投影される。この時期のケージのパフォーマンスとしてはこれでも穏当な部類だが、クラシックの既成曲を素材にする発想と易経をプログラム化する手法はその後に受け継がれた。

 このようにケージの関心は自ずと狭義の音楽から離れて行った…わけではない。彼はこの方向性にはなかなか自信を持てず、自分の歩みが本当に正しいのか、しばしば易経に訊ねていた。結局彼は、サティ《ソクラート》のリズム構造をそのまま用い、音選択も原曲の雰囲気を保った《Cheap Imitation 安っぽい模造品》(1969) で、記譜された作品に復帰する。その後数年は、声のためのソロ《Song Books》(1970)、12本のテープのための《Bird Cage》(1972)、小オーケストラとテープのための《Etcetera》(1973) などの作品があるが、前後の時期よりも筆は滞りがちで、同時期のシュトックハウゼンと同じく、今後進むべき道を迷っていた。
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 この時期の最後に対照的な2曲が生まれた。旧友グレート・サルタンの委嘱による《南天のエチュード集》(1974-75) は、天球の南半分にあたる星図を素材に、星の密度を易経で五線譜に変換した4時間の大曲。もう1曲は《樹の子供》(1975)。米国実験音楽界では例外的に、彼は一貫して即興を否定してきた。因習や手癖、表面的な技巧に支配されて限界がある、という即興観はヨーロッパ戦後前衛の見方と全く変わらない。そんなケージが、本作で初めて即興を許容した。植物素材10種類(サボテンや蔓植物が推奨され、楽器に加工されたものは不適切)を必要に応じて増幅する限り、演奏伝統や技巧を発揮する余地はなく、即興の問題点は回避されているが、それまで守ってきた大原則を破るほど、当時の彼は煮詰まっていた。

 米国建国200年記念行事の一環として、米国の主要6オーケストラが共同委嘱した《Apartment House 1776》(1976) は、ケージの大きな転機になった。1776年当時の米国の楽曲のみを素材とし、調性感や伝統的な拍節感を残して易経で再構成した。建国当時の主要宗教を代表する4人の独唱者が合唱隊を率い、会場に散らばった小オーケストラ(=軍楽隊)と《Musicircus》にならって演奏する。初演ではそれ以外の団員が、ソローのスケッチ361枚を連歌に見立てた図形楽譜作品《Renga》(1975-76) を同時演奏した。彼の従来の偶然性に基づいた作品が無調的かつ無時間的だったのは全部の音を易経で選んでいたためで、調性音楽を素材に分割単位を調整すれば調性感も拍節感も自在に出せる。しかし大域的な音楽の流れは持たないので、従来型の作品と同時演奏しても違和感はない。音楽要素とは無関係な規則で音選択を行う結果、テクスチュア設定の自由度は極めて高くなる。自らの技法の利点を再認識し、再び作曲ペースは上がった。

c0050810_1548269.jpg 《南天のエチュード集》の評価は徐々に高まり、同様の作品の委嘱が相次いだ。チェロまたはピアノ(あるいは両方)のための《北天のエチュード集》(1978) は、北半球の星図を用いた《南天》よりはコンパクトな作品。ポール・ズーコフスキーが依頼したヴァイオリンのための《Freeman Etudes》は天球全体の星図を用い、アクロバティックな跳躍と重音で演奏限界に挑み続ける、演奏家との共同作業。1巻途中でズーコフスキーと決裂したが、ヤノシュ・ネギシーが引き継ぎ、3巻途中まで書かれた(1977-80)。アーヴィン・アルディッティと知り合って創作意欲を取り戻し、全4巻32曲が完成した(1989-90)。ケージは自作に積極的に取り組む演奏家が少なかった時期は奇特な演奏家に礼を尽くしていたが、多くの演奏家が競って取り上げるようになると、ベターと判断した奏者に冷徹に乗り換える面も見せ始めた。例えば、《30の小品》(1983) はクロノス弦楽四重奏団のために書かれたが、アルディッティと知り合ってからは専ら彼の弦楽四重奏団に演奏を委ねた。

 即興性を取り入れた作品も引き続き書かれた。《枝々》(1976) は《樹の子供》のアンサンブル版、続編の《入江》(1977) は水を入れた法螺貝と焚き火の音響のための作品、さらなる続編《即興III/IV》(1980/82) は、カセットレコーダーのアンサンブルのための作品。従来型の自由度の高い図形楽譜作品では《龍安寺》(1983-85) が名高い。グリッサンド可能な旋律楽器と打楽器という編成で、旋律楽器が龍安寺石庭に置かれた石をトレースしたグラフを図形楽譜として奏し、打楽器は石庭の砂利を模した音型を黙々と叩く。《Apartment House 1776》以降も、賛美歌を素材にした調性的な作品は多い。《Quartets I-VIII》(1976) ではオーケストラの4奏者が交替で発音する。同時期の近藤譲作品を思わせる和声進行しそうでしない展開に加え、発音源が動き回り飽きさせない。声楽曲としては、《讃歌と変奏》(1979)、《鯨のための連祷》(1980)、《8 Whiskus》(1984) などがある。

 《____, ____ ____ circus on ____,》(1979) は、任意の書籍をパフォーマンス化する手引書という体裁の、《Musicircus》の理念を受け継いだコンセプチュアルな作品だが、具体例としてラジオ作品《Roaratorio, an Irish circus on Finnegans Wake》(1979) を制作した。彼が私淑するジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の朗読に、アイルランドを象徴する音楽やフィールドレコーディングが重ねられる。最初に適切な素材が選ばれていれば、その組み合わせは易経に委ねるのが一番、という割り切りは潔い。本作に音素材を提供したのは、かつて絶望の淵に沈んでいた彼を救ったギタ・サラバイだった。なお、この作品を委嘱したのは西ドイツ放送。この頃から彼の音楽の受容の中心は、英語圏よりもヨーロッパ、特にドイツ語圏に移っていった。この時期の最後を飾る大作《Europeras 1&2》(1987) も、フランクフルト歌劇場の委嘱で書かれた。上演は好評で、《Europeras 3&4》(1990)、《Europera 5》(1991) と、順次縮小編曲を行った3種類の版が存在する。

c0050810_15494651.jpg 《Two》(1987) に始まるナンバーピースは、ケージが最晩年に到達した境地。《N^n》というタイトルは「N人の奏者によるn番目の作品」を意味する。最小編成の《One》だけで13曲、最大編成は《108》(1991) のシリーズは全50曲に及ぶ。シリーズは共通の記譜法を持ち、各パートは独立で「タイム・ブラケット」の組からなる。タイム・ブラケットは開始と終了の時間(演奏開始からストップウォッチで測定)及び音高と強度が指定された音符群を含み、各音符はこの時間枠内の任意のタイミングで、任意の順序で奏される。多くの曲では楽器編成は固定され、微分音程が指定された曲もある。各パートは原則的には対等だが、《One》や《Two》と100人超えの曲で、「協奏曲」風の同時演奏が可能な組合せもある。

 編成と音楽の佇まい(音高・強度の分布と音密度)を決めることが「作曲」であり、音高と強度は厳密に指定する一方、音価や発音タイミングの詳細は奏者に委ねても問題ない、というのがケージの見立て。さまざまな編成で50曲書いても規則を変更する必要が生じなかったことは、この方法論の有効性を示している。編成に応じた「作曲」も巧みで、例えば《Five^3》(1991, トロンボーンと弦楽四重奏) では全楽器が微分音を容易に出せるので半音を7分割し、通常のアンサンブルでは聴けない近接音程間のうなりの効果を引き出した。大編成作品の大半はドイツの放送オーケストラの委嘱で書かれ、ケージ作品受容の変化が如実に表れている。

c0050810_15503483.jpg 最後にケージ受容の変遷について。偶然性以前に関しては、ブーレーズがプリペアド・ピアノの本質的な魅力を伝えようとしたが、ヨーロッパでも日本でも殆ど伝わらなかった。黛敏郎《プリペアド・ピアノと弦楽のための小品》(1957) は受容としては早いが、扱いは「ピアノの音響効果」に留まっている。打楽器アンサンブル作品の評判も程なく伝わったが、民族音楽に由来する中南米の打楽器作品と同列に扱われ、ストラスブール打楽器合奏団ですらその水準の理解だった。これらの作品の本格的受容は、偶然性の音楽が十分に理解されてからの出来事だ。

 偶然性の音楽は、《4分33秒》という判り易い記号のおかげで(誤解も含めて)世界中で話題になり、1954年のチューダーとの演奏旅行を通じてヨーロッパにも伝わった。ケージの発想はヨーロッパ戦後前衛を転倒する猛毒を秘めていたが、ブーレーズはプリペアド・ピアノを通じてケージを肯定的に紹介したことに責任を感じたのか、自らの作曲家生命と引き換えに、その毒を「管理された偶然性」に矮小化することに成功した。もっともケージは、1958年のダルムシュタット現代音楽夏期講習では自作やニューヨーク楽派の作品と並んでボー・ニルソン作品を、1962年の来日公演ではシュトックハウゼン《クラヴィア曲X》を取り上げており、自分たちの音楽がヨーロッパ戦後前衛と矛盾するという意識はないのかもしれない。

c0050810_15524280.jpg ケージ流の偶然性は、ミクロ構造を積み上げる論理の不在はクラシックの伝統の対極に位置するが、偶然性が介入するのは譜面を作成する段階までで、リアリゼーションに「即興」や「解釈」の介入を認めない厳格性は、総音列技法の理念と軌を一にする。ニューヨーク楽派ではこの厳格性は貫かれたが、ヨーロッパ戦後前衛における「管理された偶然性」は、専らこの厳格性を緩める役割を担った。管理された偶然性を通じて前衛語法の晦渋さから解放され、才能が開花したマデルナやベリオのような例もあるが、ケージ流の偶然性との対峙を経て総音列技法が止揚された可能性は「管理された偶然性」で骨抜きにされ、ズブズブと伝統回帰したのが現実だった。ただし、フェラーリやドナトーニのように戦後前衛から距離を取っていた作曲家はケージの本質を見抜き、批判的に受容して新たな道を切り拓いた。

 総音列技法を使いこなした作曲家は松平頼則、松平頼曉、松下眞一、篠原眞くらいだった日本で、ブーレーズの危機感は共有されるはずもない。ケージの東洋思想への傾倒に親近感を持った「実験工房」周辺の作曲家や評論家を中心に肯定的に受け止められてきたが、主な関心は音楽自体よりも思想に向けられた。1962年の来日公演は「ジョン・ケージ・ショック」(吉田秀和)と語り継がれてきたが、肝心の記録音源は放置されてきた(廃棄を免れた音源がごく最近CD化された)のは象徴的だ。ケージに師事しこの来日公演を企画した一柳慧の関心も、ケージ流の厳格な図形楽譜からポップな様式混合やミニマル音楽へ足早に移った。「グループ・音楽」同人らフルクサス参加組は良き理解者だったが、刀根康尚も小杉武久も日本国内での活動に限界を感じ、70年代に米国に移住した。特に小杉はマース・カニングハム舞踏団の音楽監督のひとりとして、ケージ作品の演奏も頻繁に行ってきた。

c0050810_15532112.jpg 委嘱状況に絡めて触れた通り、ヨーロッパでのケージ(及びニューヨーク楽派)への理解は前衛の時代が終わってから主にドイツ語圏で、N.A.フーバー、シュパーリンガー、W.ツィンマーマン、シュテープラーといった作曲家を中心に進んだ。エクリチュールよりも音楽思考を重視する伝統に加え、80年代以降英語圏を中心に新自由主義が広まり、現代音楽のような市場的価値とは無縁な芸術文化を継続的に支援する姿勢が維持されているのはドイツくらいという経済的な背景もある。

 ケージに限らず実験音楽は、作曲家周辺のサークル内での口承的性格が強いが、ナンバーピースは可能性を限定して普遍性に至った。この音楽のあり方に共鳴した作曲家たちは1992年にヴァンデルヴァイザー出版社を設立した。アントワーヌ・ボイガー(フルート)、ブルクハルト・シュロットハウアー(ヴァイオリン)、ユルク・フレイ(クラリネット)、マイケル・ピサロ(ギター)、ラドゥ・マルファッティ(トロンボーン)ら、即興にも堪能な作曲家=演奏家が集まった。録音を参照して練習を重ね、因習や手癖を排除する逆転の発想で即興のアポリアを克服した自由即興音楽は70年代以降急速に広まったが、それが当たり前になった世代が原点のケージに立ち返って「作曲」の意味を再考しているのがこの出版社に他ならない。この「楽派」を経て、ケージの音楽はようやく世代を超えて受け継がれた。
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by ooi_piano | 2013-01-15 15:10 | POC2012 | Comments(0)