6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


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J.S.バッハによるクラヴィコード演奏法・教授法について (上)

※9年前、アルケミスタ・武田浩之氏のメルマガ用に執筆した文章のサルヴェージ第3弾です(未改訂)。この奏法論は、音量の小さいクラヴィコードをいかにチェンバロ的にブンブン鳴らし切るか、に主目的を置いているように思われ、現在では私は賛同しません。ただ、クラヴィコードのタッチに慣れる一過程としては有効かもしれません。



J.S.バッハによるクラヴィコード演奏法・教授法について

c0050810_2274131.jpg昨年末(2003年)スイスで行われた、ミクローシュ・シュパーニ氏の講習会に参加し、そこで筆者(大井)が『たまたま知るところとなったもの』(>J.S.Bachの言葉)を、御紹介したいと思う。以下の4つの部分からなる。主部は、(iii)のグリーペンケルルによる手記の部分であり、それ以外は補足に過ぎない。

(i) 前口上(大井)・・・・グリーペンケルルの手記[(iii)]本文の概説や、巷間のクラヴィコード奏法、近代的ピアノ奏法との比較などを行う。(ii)のシュパーニによる序文・脚注は、読者対象をクラヴィコード奏者に設定しているので、それに対する補足となっている。

(ii) 序文(シュパーニ)・・・・オランダ『国際クラヴィコード』誌へ(iii)が掲載された時(2000年11月)に、シュパーニが寄せた序文。グリーペンケルルの手記が書かれた経緯、内容説明など。(2004年6月17日更新)

(iii) 本文(グリーペンケルル)・・・・1819年に発表された、グリーペンケルルの手記の拙訳。これはもともと、「半音階的幻想曲とフーガ」の校訂版への序文として出版されたもので、まず「バッハ・タッチ」についての詳細な説明があり、そののちフォルケルによる「半音階的幻想曲」の演奏解釈について述べられている。(2004年6月21日更新)

(iv) 解説(大井)・・・・シュパーニの講習会に参加し、彼がどのようなタッチを行っていたかの目撃レポート。(iii)の本文はかなり明瞭に記述してあるが、理解の一助になれば。(2004年6月22日更新)

参考リンク http://www.clavichord.info/engl/linkeng.htm 



前口上(大井浩明)

1.この手記までの流れ

c0050810_2261899.jpg大バッハの長男W.F.バッハ(1710-84)、ならびに次男C.P.E.バッハ(1714-88)から直接情報を得た、伝記作者J.N.フォルケル(1749-1818/テュルクより一歳年長)に拠れば、大バッハは初学者にまず「彼独自の打鍵法を教える」ことに集中したと云う。すなわち、「全ての指がクリアで美しいタッチを習得するまで」、「ある種の練習課題をあてがい」、数ヶ月間続けさせた。そののち、この練習課題の音型を使った作品〜《6つの小プレリュード集》や《2声のインヴェンション》等〜へと教えを進めていった。フォルケルの弟子であったF.C.グリーペンケルル(1782−1849/パガニーニと同い年)が、1819年に出版した《半音階的幻想曲とフーガ》の校訂版への序文で、その実例について具体的に触れている。

シュパーニによる脚注にもあるように、この覚書は欧米のオルガン雑誌で、近年少なくとも3度(1983年に2度、1988年に1度)発表されている。しかしながら、オルガニストのみならず、クラヴィコーディストにもほとんど認知されていないらしい。

なお、このグリーペンケルルの弟子であるピアノ教師、E.エッゲリンク(1813-1885/ワーグナーと同い年)による、《初学者と上級者のためのヨハン・ゼバスティアン・バッハの流儀に基づく基礎的で迅速なクラヴィア演奏教育の手引きと研究》(1850)でも、このメソッドについての言及があると云う。

2.シュパーニ氏経歴

1962年ハンガリー生れのクラヴィコード奏者。もともとチェンバロ出身で、ブダペストで学んだのちインマゼールに(チェンバロを)師事。パリとナントの国際チェンバロコンクールで優勝。目下BISレーベルに、C.Ph.Eバッハの独奏作品ならびに協奏曲の全曲レコーディングを、クラヴィコードとタンジェント・ピアノで行っている。つい先日(2004年春)にもパリ国立高等音楽院でチェンバロとフォルテピアノを中心としたマスタークラスを行い、「バッハ・タッチ」についても触れたとのこと。

彼のクラヴィコード演奏は、タンジェントが決してビビらず音自体に安定性があり、豊かな響きと音量を持ち、またそれらから導かれる芯のある美しい音色と音楽作りが印象的であった。80人程度の聴衆のためのリサイタルを聞いたが、音量には全く問題が無かった(一説には、PA無しで300人でも鑑賞可能だと云う)。驚くべきことに、彼はクラヴィコード・チェンバロ・フォルテピアノ・スタインウェイを、同時に、しかも美しく演奏していた。

3.クラヴィコード講習会

c0050810_2282427.jpg講習会はC.Ph.E.バッハのクラヴィア作品がテーマだった。会場にはチェンバロ、フォルテピアノ、スタインウェイ・グランドピアノの他に、スイス・クラヴィコード協会の提供による新旧・大小6種類のクラヴィコードが陳列され、受講者は自由に楽器を選択することが出来た。また、クラヴィコードが描かれた当時の絵画多数も同時に展示されていた。シュパーニのリサイタルやレッスンで主に使用された楽器は、クリスティアン・ゴットロープ・フーベルト(18世紀後半)の専有弦型モデル(5オクターヴ)を、トマス・シュタイナー(バーゼル)がコピーしたものだった。なお、取り上げられたエマヌエル作品は、ソナタ集よりト長調Wq.50-2、ロンド・イ短調Wq.56-4、ト長調Wq58-1、ハ短調Wq.59-2、ニ短調Wq.61-2等々であった。

私(大井)の場合、最初に「自分はチェンバロ奏者であり、出来ればクラヴィコードのための『タッチ』が知りたい」と言ったため、一応作品は演奏したものの、3日間で数時間受けたレッスンは、事実上「タッチ原則」についてのトレーニング——グリーペンケルルの[譜例1]の如く、ひたすら人差指と中指で2音を弾くような——のみに費やされた。
以前はクラヴィコードを弾く時、高音域での小指や、和音の中声部を弾く中指などが、どうしてもビリつきがちであったが、これはトレーニング後に著しく改善された。また、このトレーニングを「ラクダのように」指先へ覚え込ませることは、チェンバロ演奏におけるタッチ制御、ならびに複数の鍵盤楽器間でのタッチの互換性について、後述のような示唆を与えることとなった。
講習会中に、「このようなタッチは、貴方のオリジナルなのか」と問うたところ、「これはグリーペンケルルの覚書に言及されているものだ」とシュパーニ氏は答え、後日その原文を送って下さった。

4.「バッハ・タッチ」の特徴

c0050810_2291384.jpg【1】「手を丸めて」、「指を鍵盤に垂直に立てて(小指は関節を伸ばして外側には傾けず、親指は軽く曲げて)」、「鍵盤の手前端を弾いて」、

【2】なおかつ、「指を高く上げずに小さな動きで」、「指の付け根と手首と肘は同じ高さで(手首が凹まないで)」、「肘や手首が硬くならずに」、等という指示は、ラモーやサンランベールやクープランの教本にも見られる、典型的な打鍵法である。4-3によるトリルや、2-3の繰り返しによる上昇音階などの「歴史的指使い」は、【1】のような「丸めた手」を前提にしている。

【3】また、J.S.バッハのクラヴィア演奏についてクヴァンツやフォルケルが描写したような、「打鍵ののち、指を鋭く曲げて、指先をキーの前部へ滑らせ、急激に引く」モーションは、エマヌエル・バッハ言うところの「シュネレン」に似ている。キー上に置いたおはじきを、指先で手前へ飛ばすような動き・作用であり、打鍵後に指を真上へ「持ち上げる」のでは無い。遅いパッセージにおいても、キーの手前方向へ「滑りあげる」こと。『バッハ・タッチ』においては、特殊効果としての「シュネレン」というよりは、次項(【4】)で述べる「指先がキーを手前へ引っ張っていた」結果の、事後的な慣性運動と捉えるべきだろう。

【4】以上に加えて、グリーペンケルルの手記は、「ゆるめた手・肘・腕から指先へ伝わる重みを、指先がキーを引っ張る力で支える(=すなわち指の根元が支点になっている)」、「指先へ伝わる重みは、ゆるめた肘によって、加減あるいは一定保持される」という、画期的な指摘を行っている。曰く、「腕からの重みと、指の弾力性の結合こそが、バッハ・タッチの要諦なのである」。クラヴィコードの発音原理上、「キーの底までしっかり弾く」タッチは最低条件であろう。こういった内的な「重みの移動」は、外からは見えないが、音質には如実に現れる。外見上は指先のみの、モショモショした動きである。

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上記の【2】と【4】を組み合わせて、手は丸めずに指を前方へゆったりと伸ばした弾き方が、1905年にブラウトハウプトが発表した近代的「重力奏法」と呼ばれるものである。[——しかし今でも、「指先がキーを引っ張る力で重みを支える」点については、言及されないことが殆どである。——]

クラヴィコード演奏に関してのこの『バッハ・タッチ』の利点は、なによりもまずタンジェントが安定するため、音程・音量・音色に関する諸問題が一挙に解決することである。これは、発音直後に、すみやかにキーを不動保持する状態へ持ち込めることに因る。【3】と【4】を両立させることが、『バッハ・タッチ』修得の第一歩となる。加えて、肩からの重みを利用しつつ指先を微細にコントロールするため、鍵盤の重みにタッチが左右されにくくなり、楽器間をある程度自由に往来することが可能となる。オルガノ・プレーノの重たいタッチなどとの互換性も念頭に置きながら、考案されたのかもしれない。

このようなタッチの発明が、逆にクラヴィコード製造そのものへも相互的に影響を及ぼした、というシュパーニの指摘は興味深い。クラヴィコードのみならず、時代を遥かに下ったモダン・ピアノにさえ、このタッチが適用出来る所以であろう。

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クラヴィコードでは、指で触れたとき出る音が小さく、タッチも軽いので、チェンバロ同様「鍵盤の戻りを感じながら」奏していると、どうしてもフニャフニャした「さぐり弾き」になりがちである。ここに、アフォーダンスの罠がある。もちろん「さぐり弾き」でも「それなりの音」は出るが、果たしてその音は「伸びがあり歌うような音」だろうか?

楽器そのものがその奏法や様式を教えてくれる、などということは、クラヴィコードにとってのJ.S.バッハ、あるいは電子楽器オンド・マルトノにとってのジャンヌ・ロリオがごとき、例外的偉才にのみ可能なのではないだろうか。シュパーニ氏のクラヴィコード演奏は、安定して表情・音量豊かな音を持ち、ダイナミック・レンジもモダンピアノと同程度に幅広いものであった。この楽器が、平均律クラヴィア曲集のような「複雑な」作品にも、十分対応出来ることが察せられた。

#もちろんこの指訓練課題は、なによりも「最初の2ヶ月」の初学者を対象としたものであり、指の形を保つ筋肉の「質」がしっかりすれば、基本形からどんどん離れて、指を伸ばし手の甲を下げ「撫でるように」弾いたり、あるいは、「引っ掻く」モーション無しに十分離鍵がコントロール出来たり、ということも考えられるだろう。指を立てようが伸ばそうが、脱力した手・腕の重みを活用する原則は変わらない。バッハがフリーデマンに与えた装飾音一覧表が、あくまで初学者のための教育目的の凡例集であるのと同様、音楽的要求に従って臨機応変に対処すべきであろう。

5.この文書の信憑性について

c0050810_2295038.jpg私はシュパーニ氏の弾いたクラヴィコード、チェンバロ、フォルテピアノ、スタインウェイの素晴らしい音色を実際に聴いたので、彼の提唱・賛同するこのグリーペンケルル・メソッドを信用する次第である。短期間のトレーニングで、タンジェントの安定性に成果が見られたのも事実である。覚書に残された、一見凡庸に見える幾つかの記述から、打鍵法という不定形なものを「復元」したシュパーニ氏の直観と努力には、頭が下がる。これこそ音楽考古学と呼ぶにふさわしい。

なお、この『バッハ・タッチ』はグリーペンケルル以降「絶滅」していたわけではなく、西洋音楽演奏の伝統の中で、細々とではあるが命脈はつないで来たはずである。例えば、私の師事したB.カニーノ(ピアノ)やDベルナー(チェンバロ)の演奏で、この「バッハ・タッチ」と似たような指の動きを見た記憶がある。

しかしそれは、彼らの本能的嗜好がたまたま導き出したものなのだろう。全ての指がクリアで美しいタッチを持つための、「『歴史的タッチ』の修得法」をはっきり言語化・メソッド化したものは、筆者の知る限り、このグリーペンケルルの覚書のみである。

それにしても、この基礎トレーニングの直後に、すぐさまインヴェンションやシンフォニアを弾かされた息子達や弟子達も、いい迷惑である。エマヌエルが《クラヴィーア奏法試論》で、くどいほど指使いパターンを挙げ、とっつき易いプローベシュテュックを多数付け加えたのも、頷ける。

6.本文の翻訳について

(III)の本文では、『バッハ・タッチ』訓練法の該当部分のみの抄訳も考えたが、「半音階的幻想曲」の奏法解説を含め、1819年という時点で書かれた興味深いドキュメントとして、全訳してみた。章付けは訳者によるものである。不備の御指摘など頂ければ、ウェブ発表の利点を生かして、どんどん改訂・加筆していきたいと思う。なお、多大な御教唆を下さった清水穣氏(同志社大学助教授)に、この場をお借りして御礼申し上げる。



(II) 《グリーペンケルルの手記による、ヨハン・セバスチャン・バッハのクラヴィコード演奏法》/
ミクローシュ・シュパーニ (訳:大井浩明)


〜オランダ『国際クラヴィコード』連盟誌 第4輯下巻(2000年11月)より〜

c0050810_2302542.gifバッハ・イヤーである2000年に、貴誌に何を寄稿すべきか色々迷った末、結論として、何より以下の文献をクラヴィコード奏者の皆さんに御紹介したいと思う。

フリードリヒ・コンラッド・グリーペンケルルは1782年に生まれた。彼は哲学と教育学を修め、生涯を通じて哲学・数学、ならびにゲルマン学の教鞭を執った。彼はオルガン等の鍵盤楽器も演奏したが、彼の名を不朽にしたのは、1844年9月にペータース社からバッハのオルガン作品集第1巻を出版したことだった。この世評高く入念な校訂版は、世界中のオルガニストに幾世代にも渡って使用された。一方、それを遡る1819年に、グリーペンケルルがバッハの半音階的幻想曲とフーガの単行譜を出版したことは、余り知られていない。その序文で、グリーペンケルルは、バッハ一門——すなわちバッハの息子や弟子、そして孫弟子によって注意深く保持されてきた鍵盤技術について詳述している。この序文は、バッハ自身が用い教えた鍵盤技術(特にクラヴィコードのための)の真正で根拠ある記述として注目される。実のところ、グリーペンケルルはフリーデマン・バッハとフォルケル〔注1〕を通して、バッハの孫弟子にあたるからである。フォルケルはフリーデマンと交友があり、レッスンを受けたことが確実視されている。グリーペンケルルによれば、フォルケルは「バッハ・タッチ」をフリーデマンに師事した。そして、グリーペンケルルはフォルケルからレッスンを受け、それを継承したのである。したがって、グリーペンケルルが半音階的幻想曲の校訂譜を公刊した狙いは、彼が耳にしたこの作品のフォルケルの演奏法を紹介するためであった。

もしグリーペンケルルの序文が真正で独自な情報を含むと認められるならば(それは後述するように、多くの傍証がある)、これこそバッハのクラヴィコード演奏法ならびに教授法についての、現存する最も重要な情報源であるのみならず、クラヴィコード奏法に関する史上最も重要な文献であると推定しても、やり過ぎでは無いだろう。次に受け入れるべきことは、グリーペンケルルがバッハのクラヴィコード技術について語っている内容である。

c0050810_231142.jpgこの文章を注意深く読めば、グリーペンケルルによって記述されているテクニックは、あらゆる鍵盤楽器にあてはまるが、しかし明らかに最も適当のはクラヴィコードだと分かる。グリーペンケルルの入念で詳細な記述を読めば、誰でもかなり容易に彼の語るテクニックに習熟でき、そして試してみればその効能がクラヴィコードに最も顕著であるとを認めるだろう。もし効果が現れたなら(効果があると私は言わせてもらうが!)、クラヴィコードがバッハお気に入りの楽器だった〔注2〕、というフォルケルの言葉の信憑性を受け入れるもう一つの理由(この理由は重要だ)を持つに至る!かくしてグリーペンケルルの文章は、一般に推察されるよりもずっと、フォルケルの記述全てが信用に価するものだと証明してゆく。その上、グリーペンケルルの文章は、フォルケルのバッハ伝記に見られるバッハの演奏技術の描写と全く一致しているのだ。

その計り知れない重要性と、近年に少なくとも3度にわたる公刊を経ている〔注3〕にも関わらず、鍵盤楽器奏者の間でグリーペンケルルの文章はあまり知れ渡っていない。バッハのオルガン作品集第1巻でグリーペンケルルは、半音階的幻想曲への序文やフォルケルの伝記を参照しながら、バッハのテクニックについて簡潔な描写を繰り返している。にも関わらず、オルガニストにもバッハ・タッチはほとんど知られていない。本稿を通じて、あらゆる鍵盤楽器奏者がこの決定的な典拠を知る機会を提供したいと思う。

グリーペンケルルはバッハのタッチを描写するだけではなく、それを実際に習得するためのメソッドを開陳している。「インヴェンション」発祥についてのフォルケルの言葉を、我々は幾度読んだことだろう。 《最初バッハは弟子たちに指の訓練課題を与えた。それは数ヶ月ほどの練習を要するものであるが、同時に、勉強をもっと面白くするために、訓練課題を元にした小品をバッハは作曲した》。グリーペンケルルの文章は、バッハの訓練が実際にどのようなものであったかを示す唯一の文献である。この手引きには、あきらかに鍵盤楽器教育に関する深い洞察力が見てとれる。また、実に迅速な進歩を保証するものだから、バッハ一門の信ずべき伝統との関連の、追加証明になると私は思う。バッハの音楽に必要なテクニックを得るために、ここまで明確で徹底的な手段を、バッハ本人以外の誰が示せるだろうか?

c0050810_232733.jpgこの本文を実行に移すことで、我々は本当にバッハ・タッチを習得出来るのだろうか?グリーペンケルルのメソッドは、少なくともその目標に数段階近づく可能性を与えてくれる。グリーペンケルルの訓練課題を試みるクラヴィコード奏者は、あるテクニックを達成することが出来るが、それは確実で信頼できるタッチを保証し、また美しくしっかりした音に結実するものである。私見では、このテクニックには個人個人によって微妙な変種が考えられるが、それは手の形がそれぞれ違うからであり、それはバッハの時代も同様であった。このバッハ・タッチを会得出来たバッハ一門の演奏家の数は知られていない。 しかし18世紀ドイツの鍵盤演奏技術へのバッハの巨大な影響は否定出来ない。18世紀後半に製作されたドイツのクラヴィコードの最も優れた雛型は全て、多かれ少なかれバッハ一門、あるいは少なくともザクセン=テューリンゲン地方の音楽的環境と遺産に関連付けられることは、驚くべき事実である。疑いなく、J.S.バッハが発展させ教えた打鍵法のおかげで、クラヴィコードという楽器が会得されその繊細さが十全に発揮出来るようになったため、クラヴィコードを称揚する多数の奏者が輩出した。

バッハこそは、中央ドイツにおけるクラヴィコード奏法(そして恐らくクラヴィコード製作についても)の父であった〔注4〕。

バッハの打鍵法は、その時代の演奏実践とは明らかに全く違っていたため、バッハが現代鍵盤楽器奏法の父であるという口頭伝承は、少なくとも部分的には本当だと言えそうである。 ここでは必要と考えられる幾つかの注釈を付けて、グリーペンケルルの文章をそのまま上梓する。注意深く研究しないと、本当に大事な点がハッキリしない書き方がしてある。折に触れ再読するたびに、さらなる情報が審(つまび)らかとなるだろう。文章の推移を用心深く分析されるよう、御忠告する。そして、良いクラヴィコードで試してみることが不可欠である。

添付した半音階的幻想曲のグリーペンケルル校訂版は、バッハの伝統による演奏実践について、多くのことを明らかにしている。この作品について、そしてその演奏についてのグリーペンケルルの見解は、非常に興味深い。にも関わらず、グリーペンケルル校訂版によってこの作品を弾く前に、最新の信頼すべき版を調べることをお勧めする。特に幻想曲において、グリーペンケルルの目的は原典資料に基づいた正確な譜面を提供すると云うよりも、フォルケルが演奏したそのままの似せ絵を再現することであった。それゆえ、このグリーペンケルル校訂版は、原典版ではなく、当時の演奏実践のドキュメントとしてのみ使用すべきである。今回割愛したフーガ部分については、事実上演奏に関する提言は含まれていない。また原典資料や、今日我々が「音楽学的に正しい」と呼ぶ版からは、細部において逸脱している。


【脚注/シュパーニ】

c0050810_233163.jpg[注1] ヨハン・ニコラウス・フォルケルは1749年に生まれ、音楽史家・理論家・作曲家・鍵盤奏者、そしてクラヴィコードの熱烈な守護者であった。彼のもっとも著名な出版物は、最初のバッハ伝記である、《ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯、芸術、作品について》であり、1802年にライプツィヒで出版された。

[注2] バッハのお気に入りの楽器がクラヴィコードであったというフォルケルの報告の信頼性は、何度も疑問視されてきた。しかし、W.Fr.とC.P.E.バッハ兄弟(フォルケルは彼らから情報を収集した)が自分達の父親について偽の肖像を描いたと仮定する理由はほとんどない(そのような事態はしばしば発生したが)。 J.S.バッハの偉大な息子の双方は、彼らの父親ならびに父親の成し遂げたものを崇敬していた。バッハの息子達が父親の音楽的遺産を拒否し、新しい技術と様式を頑固に採用したという伝説は、ロマン派時代の所産であり、息子たちにさえ異議をとなえられた、誤解されし天才としてJ.S.バッハを捏造している。 このことは後世のチェンバロ奏者たちに、フォルケルの報告を否定させ、クラヴィコードで弾くことを企てもしないうちに、バッハの音楽におけるクラヴィコードの重要性を否定させるに至った。(すまない、チェンバロ仲間たちよ。)

[注3] 
エヴァルト・コーイマン「バッハの鍵盤技術」 《オルガンHet Orgel》誌 第79巻、1983年第1号
エヴァルト・コーイマン「バッハの鍵盤技術に関する一つの史料」 《オルガン芸術 Ars Organi》誌 第31年次第1巻、1983年3月
クウェンティン・フォールクナー「J.S.バッハの鍵盤楽器に関するグリーペンケルル〜翻訳と注釈」 《アメリカのオルガニスト American Organist》誌 第22巻第1号、1988年1月、第63−65頁

[注4] 17世紀から18紀初頭までの小さな共有弦式のクラヴィコードでは、どっしり弦を張った大型の専有弦式の型で弾いた時に比べると、バッハ・タッチは余り明白ではない。バッハによる演奏技術の革新は、明らかに1720〜30年代のクラヴィコード製作の変遷への適切な反応であったし、おそらく相乗的にその変化へ新たな推進力を与えたのである。

(この項続く)
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by ooi_piano | 2013-10-11 02:34 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)