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■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん

■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_1371531.gifピアノ専攻生からアドヴァイスを求められたときに、自分としては的確に助言しているつもりなのになかなか演奏が改善されないことが多く、かねがねコミュニケーションの障壁を感じておりました。ところが先日、あるアマチュア愛好家に幾つか意見を言ったら、面白いようにその場で変化が見られたので(隧道効果?)、気を良くして幾つかポイントをメモしておくことにします。「演奏法の言語化」が拙ブログのテーマでもありますし。
この愛好家の方は幼時から高校生までは先生につき、その後の数年間は自分で考えつつ独学状態、ということでした。すなわち、「体に無理な奏法」を義務的に自分に強いる、ということは無かったようです。



◆最初の第一歩
■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_7505777.jpg袖から舞台に出てきて、楽器の前でお辞儀をして、椅子に座ってしばらくして弾き出す、というところまでを、何度かリハーサルしてみよう。椅子に座ってすぐに、「家で弾いている時の感じ(モード)」まで、体の状態を持っていかねばならない。これには慣れが必要である。その「感じ」がやって来ないからといって、演奏前に無意味に鍵盤上で指をウロウロ逡巡させてみせたりしないこと。椅子は低めで、浅く座る。
作品の最初の一節はとても重要なので、夜中の4時に叩き起こされてもすぐ弾けるように、よくよく練習しておくこと。


◆鍵盤の「戻り」を感じるために(脱力/レガートの第一歩)
同じ指(例えば人差し指)でゆっくり同音を連打してみる。指だけで弾くのではなく、手首全体で、あるいは肘から、なるたけ肩から、出来ることなら「鎖骨から」弾いてみよう。背筋は伸ばしていたほうが良い。
連打だからといって、いちいち鍵盤を一番上まで戻す必要は無い。鍵盤を途中から打鍵し直しても音は出る(アップライトなどでは難しいかも)。やりにくければ一度椅子から立ち上がって、垂直方向(真上)から試してみると良い(つねに同じ指で連打)。それを着席時にも出来るようにすること。立ち上がって指を垂直に立てて鍵盤を押すと、当然ながら指は「鍵盤の底まで」届く。「鍵盤の底まで弾きましょう」と言われると、単に表面をガチガチと叩くだけの結果に終わりがちである。適切に力をヌイていれば(=鍵盤の重みを指先で感じていれば)、指は「鍵盤の底まで」おのずと沈んでいくだろう。
ペダル無しでも音が途切れないように、連続的にゆっくりと同音を打鍵してゆく。高音域より低音域のほうがやりやすい。指は鍵盤表面とつねに接触している。鍵盤が指先を押し返す感じがつかめた時に、楽器との「一体感」が生まれましたか?その感覚は非常に大事です。音色も変わったんじゃないかな。同音連打だけではなく、違う音への移行にもそのタッチを適応してみること。

◆手・手首の形が崩れる
速い連続オクターヴなどで指の根元がヘッ込む女性もいれば、筋骨隆々の男性でもベートーヴェンの緩徐楽章で指がヘッ込んでしまうこともある。どちらも「弾きにくい」と感じているはずである。指の根元や手首がヘッ込むと、肩からの力/重みが指先に効率的に伝わらないからだ。
肩・肘・手首ともに力はヌケていないといけないが、しかしそれを人に見せる必要はない。力をヌイたせいで手の形がグニャグニャと崩れるのも勿論困る。形を崩さないための「意識が通っている」(=最小限分の筋肉の緊張)必要がある。例えば我々は「歩く」という動作を日常的に非常にラクに行っているけれども、赤ん坊のときは骨や筋肉の支えが出来るまでは無理であった。
ある和音を弾いたときに指の第1関節や付け根(根元)がへっこむ、あるいは手首が不必要に低く下がるのは、いわゆる「指が弱い」からであるが、これは筋力の絶対値とは直接関係が無い。ハンマー投げのオリンピック選手でも、ピアノを弾かせた時にマムシ指は有り得る。また、「手の大きさ」は本質的な問題では無い。重要なのは、指の形が崩れないための筋肉の使い方、筋肉への「意識の通し方」である。必要な筋肉は既にあなたの手に備えられている
少しでもピアノが弾きにくいと感じたなら、自分の眼で指の形が自然かどうか、チェックしてみよう。触覚は聴覚を妨害するものである。オーヴァーアクションしつつピアノを弾くのは気分が良いものだが、それが技術的障害を引き起こしているなら、元も子もない。

■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_17314357.jpg指はしなやかな弧を描いたまま一定の形を保っており、根元を中心に回転する。その回転角度は僅かなものである。手首は不動だが、「硬直」はしていない。もし弱い指(中指、薬指など)の第1関節が凹んでしまう場合は、ひとまず厚目のプラスチック製バンソコで固定してみるのも手かもしれない。どうしても凹んでしまう時は、頭で「第1関節を凹ませたく無い」と強く念ずることが肝要である。指の根元から「指だけで弾く」(=手の甲の高さを一定に保つ)プロセスがうまく行かない場合は、「今は重みをかけたくない」と強く念ずること。手首が硬くなってしまうなら、「手首がエラスティックでありますように」と祈ること。脳の可塑性を信じているうちに、神経回路が再構築される筈です。
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指先は、可能な限り「立って」いる(=作用点を最小限にする)べきである。「指を寝かせると、豊かなビロードのような音が出ます」云々はひとまず忘れること。力をヌイた状態で親指がまっすぐ伸びるケースがあるが、基本的に親指は緩やかに弧を描いているべき。そして指先端の斜め側面(内側)で鍵盤を押す。支点は親指の根元と言うよりは、手首近く(親指の「腿」の付け根)である。親指先端の最も適切な作用点を見つけるには、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドを親指だけで、ラクに連続して弾いてみると良い。これも「同音連打」と同様、最初は椅子から立ち上がって垂直方向(真上から真下へ)から打鍵すれば、移行時に指がピョコピョコ上にあがることなく、腕から指先まで一体となったモーションになる。後述するが、こういった「体の使い方」は、つづまるところ自分自身で見出していくしか無い。
親指・小指etcで黒鍵を弾く場合でも、指は立てるよう心がけよう。押さえる場所は、黒鍵の最も手前のポイントを選ぶ。黒鍵と白鍵からなる山と谷を、最短距離で結ぶこと。手首が上下方向だけではなく左右方向にもほどよく脱力出来ていれば、指先が旅ゆくままに最適な手首のポジションが自動的に選択されるはずである。ショパンのエテュード集以上のレベルでは、手首の水平方向の自動的な脱力は必須の基本テクニックです。
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一定の拡がりを持つ和音をつかむ時にどうしても手の形が崩れてしまう場合、それぞれの指にかかる重さ、テンションを「調整」(コーディネイト)してみよう。そのポイントは手の甲である。中指と親指でマルを作ったとき手の甲が最も安定するが(他の4本の指が上に跳ね上がらないこと)、そこから緩やかに親指を横へ持ってゆく。手の甲が安定していれば、下腕→手首→指の根本までは、ほとんど常に直線を保つはずである(だいたいにおいて、硬直している親指がガンのことが多い)。手首の位置は高過ぎず、また低過ぎもしない。
また、正しい音を掴もう、和音をあてようと思った瞬間に指がリキんで、かえって和音が掴めなくなることがある。指に不必要な力が入ると音が当たらなくなるのみならず、音色も硬くなってしまう(=これが最大の弊害)。プロセスとして、鍵盤上ではなく例えばテーブルの上で、一番ラクな手の形を実験してみる。「跳躍が当たらない」というケースでも、実際の跳躍距離を定規で測ってみて、その長さぶん、手をテーブルの上で移動させてみると良い。音をあてる必要の無い状況で、もっともシンプルなワンモーションを考える。


◆ピアノは簡単に弾ける楽器である
■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_7531981.jpg「ピアノ道」は長く険しく困難なものだが、ピアノを弾く、ということ自体は本来、非常に簡単な行為なはずである。プロ・ピアニストが「ラクラクと弾いている」ように見えるのは、実際にラクだからであり、しかめっ面etcは表面的な演出あるいはクセに過ぎない。面白いことに、ラクに弾いたとき――すなわち最小限の努力で弾いたときに、最大の効果(=最も美しい音色)が出る。ラクに弾けないなら、何らかのやり方が間違っている、と考えるべきである。力の入れ方・ヌき方、指・手首の角度やテンションのバランス、鍵盤を押さえる場所etc、「自分が最も気持ちよく弾けるツボ」を色々リサーチしてみよう。少なくとも練習時に」、頭や体が不如意にグラグラ動くのは良くない。ピアノ教師は色々とアドヴァイスすることは出来ても(悪意はなくても有害である可能性はある)、それはあくまで参考意見であり、最終的には自分自身(体と耳)でピアノ奏法を探り当てねばならない。それを覚悟しましょう。


◆「レガート」「スタッカート」とは何か
昨日(7月2日)の記事を御覧下さい。
スタッカートについては議論が分かれましょうが、「鍵盤から指を離さないスタッカート」というのは、ピアノでは実際的では無いと思います(連続使用時に安定しないから)。スタッカート→「瞬間的に鍵盤の底に指が着地&リリース」→「手首のスナップを利用(しかし力点は肩であり、使うのは腕全体、というイメージ)」→「手首が凹状態になるのは宜しくない」→「空中からスナップ」。
このようにすれば、モーションとしてはレガートとスタッカートは同一原理に基づくことになり、ポルタートなどへの移行も自由自在です。
チェンバロやクラヴィコードにこれを適用すると、下部雑音が多すぎて使い物になりません(逆に言うと、ピアノでは多少の下部雑音に目をつぶれば安定性を得られる、ということです)。オルガンの場合、カヴァイエ=コル以降のモデルでは、ピアノ用のスタッカートでOKだと思います。


■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_17251455.gif◆シ~(導音)→ド(解決)
不協和→協和で解決、というのが西洋音楽の基本である。前者/後者を比べると、総じて音量は強め/弱め、音価は長め/短め、表現は豊か/控えめ、緊張/リラックス、というコントラストを持つ。このシンプルな原則を、ありとあらゆる箇所に適用すること。
指揮者チェリビダーケは、前者ではしかめっ面(シレソ)、後者ではスマイル(ドミソ)していたが、なかんづく合唱を指揮した時のその音色の変化っぷりは見ものであった。氏曰く、「自動的に顔が変化してしまう」(>ドキュメント映画《チェリビダーケの庭》)。
「音の大小や速度の増減が音楽的表現につながっていない」という問題は、そのほとんどがこの「しかめっ面→スマイル」の法則に帰結すると思われる。クセナキスの最も無機的なパッセージでさえ、この法則によって見違えるほど豊かになることを、私は井上道義氏から学びました(そういや彼はチェリビダーケ弟子だったな)。

◆メロディの「歌い方」(アゴーギク/テンポ・ルバートの基礎)
■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_814695.jpgあるメロディを「歌おう」とした時に、アウフタクトで粘る(小節線を粘って越える)というパターンに陥りやすいが、第1拍に不協和音程がある場合はその瞬間で「ストップ」し(不協和を味わう)、残りの拍は完全にインテンポ、という手もある。あるいはフレーズの継ぎ目で「ブレス」をする(ブレスしているポイントは「ストップ」しているが、その前後は完全にインテンポ)。そもそも西洋音楽は不協和音程を「聴く」ように書かれているので、少々大袈裟にやっても全く問題無い。
「その瞬間だけストップ、残りはインテンポ」という速度法の訓練としては、例えば4拍子の曲で1拍目に不協和音程があるなら、「1,2,3,4」のところをメトロノームに合わせて「1,1,2,3,4」として弾いてみると良い。アウフタクトで粘るのは禁則では無いが、同じ歌い回しのパターンが繰り返されると、人間の耳はすぐさま飽き出してしまう。最終的にはあくまでその場の気分で、即興的(不規則)にパターンを交替させてゆくこと。
・・・などと書くと非常に複雑なオペレーションに見えるが、実際にそのメロディを、堂々・朗々と声に出して歌ってみれば、案外自動的にそのたぐいのことは行っているものである。それを鍵盤でそのまま模倣すること。伴奏部とメロディを独立させにくい場合は、誰かに伴奏部をインテンポで弾いてもらい、その上で最大限自由に声を出して歌ってみること。下を向いて情けなく裏声でボソボソと歌ってはいけない。全世界に向かっているつもりで、口を最大限に広げて(アゴを手前斜め下にさげて)、身振り手振りをまじえて大きな声で表情豊かに歌いましょう。


◆メロディと伴奏部の基本バランス
伴奏部が十分にピアニシモで柔らかければ、メロディをたっぷりとしたフォルテで弾いたとしても、全体として「ピアノ」に聞こえる。これがいわゆる「遠くまでよく飛ぶ音」、「深々としたピアニシモ」の実体である。要するに大抵の場合、「左手がデカ過ぎる」わけである。あまりに単純すぎて信じられないほど莫迦莫迦しいトリックだけれども、これが出来るか出来ないかで大違い。
伴奏部が3和音ならば、その上声部をわずかに強めに弾くと、さらにバランスよく聞こえることもある。上記の「不協和→協和」の法則により、常に各々のデュナーミクは変化していく筈なので、極言するとピアノ演奏では全ての音はそれぞれ異なった音色・音量を持つべきものである。「明るい/暗い」、「深い/浅い」、「重い/軽い」をはじめとする諸々の形容詞は、個々の奏者によるこれらの混ぜ合わせ方に対応している。
「歌うような音」を出すためには、指先で鍵盤を手前に引っ張るのがコツである(これは、指の形を一定に保つのにも役に立つ)。片手で複数の声部を柔らかく弾いている中で、ある特定の音を強調したい場合には、その鍵盤を指先で手前に引っ張ると、脱力が阻害されにくい。肩の重み(下向き)と、指先の力(手前向き)が均衡することになる。

◆ペダリングの基礎
どちらかと言うと「濁る」のを回避するあまり、ペダルが短すぎるケースをよく見かける。同じハーモニーなら、思い切って長いペダルを使用してみることも可能である。
それぞれの楽器のペダルの具合(硬い/柔らかい、ダンパーが離れやすい/にくいetc)や、演奏している場所の音響条件によって、踏み方(深く/浅く、長く/短く、の色々な組み合わせ)は全く違ってくる。「ペダルは耳で踏む」ことに徐々に慣れるべき。
上記の「メロディと伴奏声部の基本バランス」が出来るようになれば、ペダリングは相当ラクになるはずである。主声部と副次声部が適切なバランスで演奏されているならば、かなり長いペダルを使用しても濁りは気にならないからだ(――例えば、ほぼ踏み替え無しの、長く浅いペダル)。
「p」「pp」でソフトペダルを使うのは、まずは我慢してみよう。いくら心配だからといって、あらかじめ左足をソフト・ペダルの上にスタンバイするのはやめましょう。

◆音色の「変え方」
■2005/07/03(日) でんderüber出て来るばってん_c0050810_941386.jpg「音色」というと、上記の「長いペダル」ならびに「メロディ・伴奏部のヒエラルキー的バランス」を最大限に濫用した、世紀末的ロシア風グランドマナーの厚化粧・流し目アハンウフンイヤーンな蟲惑的音色がイメージされることが多い。まぁそれはそれで良し。
例えば右手のメロディの下で左手がFis-A-DからF-G-H-Dという進行をしている時、全体の音色をオレンジ色から水色へと変えたい、とする。前者を「明るく」、後者を「暗く」、ということなら、例えば最初はアルト声部(左手親指のD)を少し出しておいて、ハーモニーが変わったところでそれをやめるとともに、左手全体の音量を少し下げるetc。後者へ移るときに少し待って(躊躇して)も良い。ポイントは、最も重要な進行であるバスのFis-Fが「そこにある」=「聞こえる」こと(わざわざ強調する必要は必ずしも無い)、左手F-G-H-Dを揃えて弾くこと(しかしブツけない)、移るタイミングをよく準備しておいて「クリア」にすること(デカくすることではない)、変わった瞬間に「!」という涼しくなった皮膚感覚を自ら感じること、である。和声の変化が「クリア」であれば、ほとんどそれで充分とさえ言える。名曲であればあるほど、余計なことをせずに素材の良さをそのまま生かせば、聴衆に内容が届くように「書かれて」いるからである。
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ジェラルド・ムーア《お耳ざわりですか?》に、シューベルト《さすらい人の夜の歌》冒頭2小節の簡単なコラールで、彼がいかに「音色の芸術」に迫真していったかが微細に説明されているので、一読推奨です。

◆指使いの決め方
「正しい音高の鍵盤を叩いているかどうか」に真っ先に耳がゆくのは、初学者だけである。中級以上の演奏者、ならびに一般聴衆がまず聴いているのは、適切な音色やフレージングで演奏されているかどうかであり、従って運指法も「適切な音色が出せる指」を優先すべき。目先の音高確保は重要ではない。音色が正しければ、多少タイミングが遅くなっても全く問題無く聞こえる。よく見かけるのは、不必要なレガート・ラインを守ろうとして、自縄自縛になっている指使いである。
もっとも、「音高確保」と「音色」のどちらを優先するかは、各々のパッセージの種類や個々の手の条件によって全くケースバイケースであるし、同じ奏者であっても考えがどんどん変わってゆく、微妙な問題ではある。
by ooi_piano | 2005-07-03 17:06 | プロメテウスへの道 | Comments(0)

3/22(金) シューベルト:ソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演


by ooi_piano