6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

10/19(日)18時 近藤譲全ピアノ曲 曲目解説

感想集 http://togetter.com/li/738137

大井浩明 Portraits of Composers [POC] 第17回公演 近藤譲全ピアノ作品
2014年10月19日(日)18時開演(17時半開場)
両国門天ホール (130-0026 東京都墨田区両国1-3-9 ムラサワビル1-1階)
JR総武線「両国」駅西口から徒歩5分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/

※【京都公演】 2014年11月3日(祝・月)15時開演(14時半開場) 京都 Cafe Montage
近藤譲ピアノ作品集───(ピアノ:大井浩明、お話:近藤譲)

【演奏曲目】  (○はピアノ独奏版)
c0050810_23404156.gif●《クリック・クラック》(1973) (約11分)
○《視覚リズム法》(1975)[全6楽章] (約13分)
○《形は影にしたがう》(1975/2011) (約10分)
○《歩く》(1976) (約6分)
○《撚(よ)り II》(1980) (約13分)
●《記憶術のタンゴ》(1984) (約3分)
●《ピアノのための舞曲「ヨーロッパ人」》(1990) (約7分)
○《早春に》(1993) (約9分)

 ~中入り 約15分~

●《高窓》(1996) (約7分)
●《夏の小舞曲》(1998) (約5分)
●《メタフォネーシス》(2001) (約9分)
●《リトルネッロ》(2005) (約7分)
●《イン・ノミネ <レスニェフスキー風子守唄>》(2006) (約3分)
●《長短賦》(2009) (約5分)
○《テニスン歌集》(2011) (約14分)
  序 - I.子守唄 - II. - III.牧歌
○《ギャマット》(2012) (約1分)
●《観想》(2013) (約1分)



近藤譲 Jo KONDO
c0050810_23241496.jpg  1947年東京生まれ。1972年東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。1977~1978年、ロックフェラー3世財団より奨学金を得、ニューヨークに滞在。1979年カナダ・カウンシルの招きでヴィクトリア大学において客員講師を務める。1986年ブリティッシュ・カウンシル・シニアー・フェローとしてロンドンに滞在。1987年にはアメリカのハートフォード大学コンポーザー・イン・レジデンス。同年、及び2000年にはイギリス・ダーティントン国際夏期講座でも講師を務める。ハーヴァード大学、ニューイングランド音楽院、ヨーク大学、ケルン大学、ハンブルク音楽大学、ハーグ音楽院を始めとして、欧米の多くの大学で自作についての講演を行っている。1980年、現代音楽アンサンブル「ムジカ・プラクティカ」を結成、1991年の解散まで、音楽監督を務めた。作品は英ヨーク大学音楽出版と米C.F.Peters社から出版され、録音はHat Art、ALM、フォンテック、ドイツ・グラモフォン等のレーベルからリリースされている。「パリの秋」(仏)、「アルメイダ国際音楽祭」(英)、「フィレンツェの5月」(伊)を始めとして多くの国際音楽祭において特集が組まれている。著作に『線の音楽』、『音楽の種子』、『耳の思考』、『<音楽>という謎』、『音を投げる--作曲思想の射程』、『聴く人 (homo audiens)』等、翻訳にケージ『音楽の零度』(編訳)、ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』(共訳)等。「Contemporary Music Review」編集委員。お茶の水女子大学名誉教授。2012年、アメリカ芸術・文学アカデミー終身名誉会員に選出された。



プログラムノーツ ――― 近藤譲

《クリック・クラック》 Click Crack (1973年)
c0050810_23252763.gif  高橋悠治の委嘱、1974年1月同氏により献呈初演。私の最初のピアノ独奏曲であるこの作品は、1本の旋律線からできており、その旋律線は、奏者がピアノのいくつもの鍵を無音のまま押さえることから生み出されるハーモニックス音の「暈(かさ)」に彩られている。このハーモニックス音の「暈」は、音量が非常に小さく、ほとんどいつも聴こえるか聴こえないかの境目にある。この音楽は、聴衆に向けて演奏されるものであるよりも、むしろ、演奏者自身が演奏しながら聴くための個人的な音楽である、と言ってよいだろう。
  この曲は、アップライト・ピアノを念頭に置いて書かれた。アップライト・ピアノは(少なくとも私の耳には)、演奏会用の大きなグランド・ピアノに比較すると、構造上の弦交差のせいで、より多様なハーモニックス音を生み出し得るように思える。又、縦に張られた弦は、演奏者に距離的に近いので、演奏しながらハーモニックス音を聴くには有利でもある。


c0050810_23262394.gif《視覚リズム法》 Sight Rhythmics (1975年)
  1975年11月横浜で高橋アキにより初演。元々、5楽器(ヴァイオリン、バンジョー、電気ピアノ、スティール・ドラム、チューバ)のための室内楽曲として書かれた。これは、そのピアノ独奏版である。曲全体は、6つの非常に短い楽章から成っている。それらの楽章は、互いに極めて類似しており、一見どの楽章もほとんど同じように感じられるかもしれないが、注意深く聴けば、違いに気付くはずである。このような音楽書法を、私は、「偽反復」と呼んでいる。文字通りの「反復」は、どこにも進行ぜずに滞留するが、それに対して「偽反復」は、ほとんど「反復」の場合のように静止的でありながら、同時に、秘められた変化と動きを表す。動性を秘めたこのような状態を言い表すには、「力動的静止」という、矛盾を孕んだ言葉が適当かも知れない。この音楽での「力動的静止」の体験は、私達の日々の暮らしに喩えることができるだろう。私達の生活はほとんど同じ毎日の繰り返しだが、しかし、今日は決して昨日と同じではないのだから。

《形は影にしたがう》 The Shape Follow Its Shadow (1975/2011年)
  原曲は樋口洋子委嘱による2台ピアノ作品であり、1975年に樋口のリサイタルで高橋アキとのデュオで初演。2011年に編曲されたピアノ独奏版は、2012年12月に独ケルンで井上郷子により録音初演。曲全体は、非常にゆっくりとしたリズムの1本の持続的な線(旋律)から成っている。その線は、比較的厚みのある和音のアタックの後にその尾のように延びて残る薄い音(「影の音」)によって形成されており、つまりこの曲を形付けているのは、よく耳を傾けなければ聴き逃してしまうほど微かなそうした「影の音」である。

《歩く》 Walk (1976年)
c0050810_2326522.gif  1979年1月東京で、樋口洋子により初演。《視覚リズム法》と同じく、この作品も又、室内楽曲のピアノ版である。フルートとピアノのために書かれた原曲は、シンコペーション的なリズムを特徴としているが、そのリズムは、気楽で、しかしやや縺(もつ)れ気味の、私自身の(或いは、他の誰かの)歩行のリズムを想い起こさせるかもしれない。
  私は、こうした《視覚リズム法》や《歩く》のピアノ版を、独立の作品と考えている。勿論、原曲の主な特徴の一つであった音色の多様性は、ピアノ版には最早存在しない。しかし一方、音色の単一性のお蔭で、聴き手の耳は、旋律線と、和声やリズムのテクスチャーに、より容易に集中できるようになる。その結果、ピアノ版では、《視覚リズム法》はより旋律的に、そして《歩く》はより明瞭なリズム的なテクスチャーによってもっとユーモラスに響く。

《撚(よ)り II》 Strands II (1980年)
  1980年12月東京で高橋アキにより初演。この作品は、元々、2台又は3台のピアノが曲全体を通じて全ての音をユニゾンで奏するという演奏形態を前提にして書かれた。私の作品の中で、「ユニゾンの合奏」の系列に属する曲である。「ユニゾンの合奏」とは、簡単に言えば、合奏に参加する全員が同じものを奏するということである。しかし、《撚り II》は、今日の演奏のように、複数のピアノではなく、ピアノ独奏で演奏してもよい。この場合、独奏者は、聴こえない相手と共に合奏していると想像しながら演奏することが望ましい。
  この作品が《撚り II》と題されたのは、この曲で用いられている旋律とリズムの素材のほとんどが、7楽器(フルート、コールアングレ、電気ピアノ、スティール・ドラム、バンジョー、ヴィオラ、コントラバス)のための《撚り I》(1978年)から取られているからである。しかし、同じ素材が用いられているとはいえ、これら2曲は随分と異なっており、《撚り II》が《撚り I》のピアノ版であるわけではない。

c0050810_23412640.gif《記憶術のタンゴ》 Tango Mnemonic (1984年)
  1983年に、アメリカのピアニスト、イヴァ・ミカショフから、彼が計画した「国際タンゴ曲集」に曲を寄せるようにという依頼があった。曲は、3分以内の短いもので、タンゴと何らかの係わりを持つ、というのが条件だった。その依頼を受けて書いた私の「タンゴ」は、オブリガートを伴うコラールで、そのオブリガートは、タンゴのリズムの骨格(又は、残滓)を映している。イヴァ・ミカショフにより1985年4月14日、バッファローの北米現代音楽祭にて献呈初演。


《ピアノのための舞曲「ヨーロッパ人」》 A Dance for Piano “Europeans” (1990年)
  1991年2月東京で、井上郷子により委嘱初演。この作品は、1990年のクリスマスの日に、ほとんど即興的に短時間で作曲された曲で、言わば、鍵盤の上ではなく直接五線紙の上で行なった即興演奏のようなものである。この音楽の気紛れな成り行きは、ある程度までこうした作曲法の結果かもしれない。副題は、私がこれを作曲した折に偶々ヘンリー・ジェイムズの小説『ヨーロッパ人』を読んでいたことに由来する。しかし、その小説とこの音楽の間には、内容の点でも形式の点でも、それ以上の繋がりはない。この作品は、何かしらダンスを想わせるリズム的な特徴を持つ抽象的な音楽である。

《早春に》 In Early Spring (1993年)
c0050810_23415460.gif  マンドリン奏者の川口雅行からの委嘱を受けて、1993年の早春にマンドリン独奏曲を書いた。それが《早春に》である。作曲を終えてから、私は、その曲はそのままピアノで演奏しても充分に効果的であることに気付いた。ピアノ独奏版は同年ケルンで、クリスティ・ベッカーにより初演された。この曲は、1本の旋律線で出来ているが、その旋律を構成する各音が1オクターヴ上又は下の同じ音名の音(私はこれを「影の音」と呼んでいる)を伴っている。これらの「影の音」は、本体の旋律構成音とは同時にではなく、不規則に遅れて現れ、そこからこの音楽偽対位法的なテクスチャーが生じている。





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c0050810_23423925.gif《高窓》 High Window (1996年)
  委嘱者・井上郷子により、1996年2月東京にて献呈初演。《高窓》は、非常に静的な和音の連続に終始する一種のコラールである。これは、私自身の作曲様式に適した和音の組成と和音進行──即ち、「和声法」──を例証する試みの一つであった。


《夏の小舞曲》 Short Summer Dance (1998年)
  委嘱者・井上郷子により、1999年2月東京にて献呈初演。1998年の夏、井上がヘッセン放送協会(フランクフルト)のスタジオで、その時までに私が作曲していた9曲のピアノ作品のCDアルバムの収録を行った。その機会のための新作として書かれたのが、この作品である。この曲は、《ピアノのための舞曲「ヨーロッパ人」》と同様に、ほとんど即興的な仕方で作曲された(但し、今回の作曲は1日では終わらず、数日間を費やすことになった)。これら2つの曲は、ダンス的なリズムとテクスチャー、そして、気紛れな音楽的成り行きの点で、或る程度まで共通している。尤も、《夏の小舞曲》では、更に高度な演奏技術が要求されている。

《メタフォネーシス》 Metaphonesis (2001年)
c0050810_23431627.gif  カナダ人ピアニスト、イヴ・エゴヤンならびにカナダ芸術評議会の委嘱、2003年2月トロントで同氏により献呈初演。「メタフォネーシス」(「メタ音化」とでも訳せばよいのだろうか)は、私自身が1970年代半ば頃に初期の「線の音楽」を説明するに当たって使った用語である。それは、音楽を聴取する場合にも作曲する場合にも、音自体よりも音相互間の関係性に着目するという姿勢を表している。当時の「線の音楽」連作の諸作品がその名の通り非常に線的な音楽であったのに対して、近年の私の音楽は響きが厚くなり、和音の連鎖とでも言い得るような形のものになってきた。しかし、そうした違いにも拘らず、私の関心は相変わらず音相互間の関係性(この場合は、和音相互間の関係性)にある。私がこのピアノ独奏曲を「メタフォネーシス」と名付けることにしたのは、そのためである。


《リトルネッロ》 Ritornello (2005年)
  2006年2月東京で、井上郷子により委嘱初演。《リトルネッロ》は、或る程度まで《夏の小舞曲》の書法を引き継いでいるが、同時に、私の最近の作曲全般に表れている和音書法とブロック的な構成──即ち、比較的厚い響き、そして、諸構成部分の対比的な配置──という傾向を、端的に反映している。そして、曲題が示している通り、同一の(或いは、極めて類似した)楽句が曲中何度も再帰する。

c0050810_2344193.gif《イン・ノミネ(レスニェフスキー風子守唄)》 In Nomine (Berceuse a la Lesniewski) (2006年)
  後期ルネッサンス以来、バロック時代を中心として、多くの作曲家達が《イン・ノミネ》と題する曲を作曲した。それは、グレゴリオ聖歌の《Gloria Tibi Trinitas》を定旋律として用いた器楽曲である。その伝統を現代に蘇らせようと、ドイツのアンサンブル・ルシェルシュは、現代の何人もの作曲家に新しい《イン・ノミネ》の作曲を依頼している。その委嘱を受けて書いた私の《イン・ノミネ》は、和声的な性質のピアノ独奏曲で、この和声は、定旋律の構成音一音一音に和音による色彩付けを行うことから生じたものである。副題にある「レスニェフスキー」とは、ポーランドの論理学者スタニスラフ・レスニェフスキー(1886-1939)で、彼は、「メレオロジー」と称する、「部分と全体」に関する理論を提唱した。私は、音楽(或いは、曲)の構造は──特に私の音楽の構造は──、当の曲を構成する諸音のメレオロジー的総体に外ならないと考えている。初演は2006年6月、独フライブルクでジャン=ピエール・コローによる。


《長短賦》 Trochaic Thought (2009年)
  2009年3月、井上郷子により委嘱初演。この作品は、‘metre’ を素材として作曲されている。‘metre’ は、音楽用語としては「拍子」だが、しかし、この作曲の場合のそれは、その詩作法の用語としての意味、即ち、「詩脚の配列形式」である。西洋古典詩の基本的な詩脚の一つである長短格(トロカイオス)に準えて、長-短の2音の組み合わせを一単位とし、そこに生じるリズムを基礎素材にして曲全体が作られている。

《テニスン歌集》 Tennyson Songbook (2011年)
c0050810_23444321.gif  英バーミンガム現代音楽グループの委嘱によるソプラノと7楽器のための《テニスンが詠った歌三篇 Three Songs Tennyson Sung》は、19世紀イギリスの桂冠詩人アルフレッド・テニスン卿の長編詩『王女』The Princessの中に鏤められている「歌」cantoを歌詞とする作品で、短い器楽の「前口上」Avant-proposと、3つの歌(‘Sweet and low’, ‘Ask me no more’, ‘The splendour falls’)から成っている。これはそのピアノ独奏版であり、2011年3月東京にて、井上郷子により委嘱初演された。
  私の1990年以前のピアノ曲の多く、そして、今夜の演奏曲の中の《早春に》は、元々ピアノ以外の媒体のために書かれた曲のピアノ版だが、私はこの《テニスン歌集》で、再びそのようなピアノ曲の可能性を試みたいと思った。というのも、このような作曲プロセスは、最初からピアノのために作曲する場合とは異なったピアノ書法を齎すことがあるからである。このピアノ曲は、「序」に続いて、3つの「歌」から成り立っており、第1歌は「子守唄」Lullaby、第3歌は「牧歌」Idyllという副題を持っている。この曲は、原曲の構造をほぼそのまま保っているが、とはいえ、原曲との繋がりに捉われずに抽象的な器楽の歌として聴かれることを前提としている。

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c0050810_4465878.gif第1曲《やさしく しずかに》‘Sweet and low’

やさしく しずかに、 やさしく しずかに、
  西の海から 吹きくる風よ、
しずかに しずかに 流れて吹けよ、
  西の海から 吹きくる風よ!
逆巻く波越え 吹きゆけよ、
沈みゆく月の涯(はて)より 吹いてきて
  再びあの夫(ひと)を わたしに吹き戻せ、
可愛い坊やの眠る間に、可愛い坊やの眠る間に。

お眠り おやすみ、 お眠り おやすみ、
  やがて父さん 坊やのもとに戻るでしょう。
おやすみ おやすみ、 母さんの胸で、
  やがて父さん 坊やのもとに戻るでしょう。
ベッドに眠る 坊やのもとに戻るでしょう。
銀(しろがね)の帆船(ほぶね)は 西の涯から現れる
  銀(しろがね)の月の光の照る下を
お眠り 坊や、 お眠り 坊や、 おやすみなさい。


第2曲《もうこれ以上きかないで》‘Ask me no more’

もうこれ以上きかないで。月は海を引き寄せることができ、
   雲は大空から下りてきて七重(ななえ)八重(やえ)に
                        折り重なり、
   山や岬の形をとることもできるでしょう。
でも、なんて虫がいいの、私がハイの返事もせぬものを?
               もうこれ以上きかないで。

もうこれ以上きかないで。どんな返事をすればいいの?
   私、落ち込んだ頬や窪(くぼ)んだ眼なんていやなの。
   でもね、あなた、私、あなたに死なれたくないの。
これ以上きかないで、生きて欲しいと命じても困るので。
               もうこれ以上きかないで。

もうこれ以上きかないで。二人の定めは堅く決まってるの。
   流れに逆らって抗(あらが)っても、すべてすっかり無駄でした。
   大河が私を大海に運ぶままにして欲しいの。
もうきかないで、あなた。触れられれば参ってしまいます。
               もうこれ以上きかないで。


c0050810_444688.gif第3曲《夕べの光は照り映える》‘The splendour falls’

    夕べの光は照り映える
  城の壁にも歴史に古い雪の嶺にも。
    長く差し込む光は湖面に揺れて、
     轟きわたる瀑布(ばくふ)の飛沫(しぶき)は落下して光と躍る。
吹けよ角笛(bugle)、奔放の木霊(こだま)を渡りゆかせよ、
吹けよ角笛、答えよ木霊、幽(かす)かに、幽かに消え逝(ゆ)く木霊。

    おお聞けよ、聞け! かそけく、澄んで、
     もっとかそけく、澄んで、もっと遥かに響く木霊!
    おおやさしく、断崖絶壁から遥か彼方に
     妖精の国の角笛は幽かに鳴りわたる!
吹けよ角笛、紫こむる渓谷が木霊を返すのを聞こう。
吹けよ角笛、答えよ木霊、幽かに、幽かに消え逝く木霊。

    恋人よ、木霊は彼方の豊かな大空に消えて逝く。
     丘辺(おかべ)、野面(のづら)、川面に幽かに消えて逝く。
    われらが木霊は魂から魂へと渡りゆく。
     そして永久(とわ)に、永久に鳴り響く。

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《ギャマット》 Gamut (2012年)
  2012年12月、井上郷子は、私のピアノ作品集CD第2集(HatHutから発売予定)の録音を、ドイツの西部放送協会(ケルン)のスタジオで行った。その機会のための新作として書かれたのが、この作品である。この短い作品は、《テニスン歌集》と同様に、歌曲のピアノ独奏版である。原曲は、メゾソプラノと4楽器(アルト・フルート、ヴィオラ、エレクトリック・ギター、打楽器)のための《ルイス・ズコフスキーの4つの短詩》(2006年)の第4曲 <ギャマット>である。原曲の歌詞は、“Much ado about trees lichen / hugs alga and fungus live / off each other hoe does / dear owe dear earth terrace / money Sunday coffee poorjoe snow”。


c0050810_23452445.gif《観想》 A Contemplation (2013年)
  2013年11月東京にて、井上郷子により初演。長年の親しい友人であるドイツの作曲家ハウケ・ハーダーの50歳の誕生日の贈り物として書かれた曲。彼自身の極めてスタティックで繊細な音楽への、一種のオマージュでもある。低音の保続音の上で、ごく短い和声的なフレーズが、ほとんど変化なしに3度ずつ上昇しながら繰り返されて、1オクターヴ上の高さまで至る。
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by ooi_piano | 2014-09-30 23:57 | POC2014 | Comments(0)