■2005/07/11(月) あなたはピケンポ、わたしはドレンロ


c0050810_16133182.jpgプロコフィエフ27歳(すなわち87年前)の日本滞在日記、確かにとても面白いです。目下全文はロシア語でしか読めないようなので、その点でも貴重な訳出ですね。日程に合わせて「リアルタイム」で発表してゆくのもユニーク。「今日は暑い」などという記述が生々しく感じられますから。




渡航許可を得るときに、「それは精神の革命性でしょう」などと口八丁手八丁なのは流石。ちゃっかり日支比などの現地女と楽しんでいるのも流石(このあたり、どのくらい子息や訳者の校閲カットが入っているものか)。「偉大なロシア人作曲家を挙げて下さい」と言われ、「ストラヴィンスキーとミャスコフスキーと私」と正直に答えたのは、なかなかセンス良いと思います。

プロコフィエフ第1、第2、第3ソナタ、風刺、束の間の幻影などが、早くも1918年に作曲者自身の手によって帝都初演されていたのは、ブレーズ《主なき槌》1958年日本初演、ケージ《0分00秒》1961年世界初演、クセナキス《ヘルマ》1962年世界初演に匹敵する早さですね。マーラー第4交響曲世界初録音がその9年後(昭和2年)新響、というのも頷けます。
調性の希薄さ(すなわち音楽の「革新性」)が客受けに全く関係していないことには、流石のプロコフィエフも毒気を抜かれた様子(笑)。案外良い薬になったのでは。メシアンやシュトックハウゼンの日本贔屓も、ひょっとすると「(音響の新奇さへの)ブーイングが存在しない」ことも一因かもしれません。

「ベートーヴェン等の演奏内容は日本人は何も理解しておらず、拍手は音符の多寡に比例する。」などと文句を言っていますが、そんなもん21世紀の欧米でも基本的にそうだろうし、帝政ロシアでも似たようなものだったでしょう。だいたいプロコフィエフがベートーヴェン作品をきちんと弾けたとは思えません。それこそ息子が述懐するように、全部「プロコフィエフ化」していた筈です。

c0050810_16134939.jpgそもそも、プロコフィエフ自身が全く日本音楽を理解出来なかったのは、ピアノ協奏曲第3番終楽章で、《越後獅子》に似て非なる珍妙なペンタトニック主題が出現することで裏付けられましょう。雅びやかな長唄をコサックダンスの出来損ないに仕立て上げ、アメリカのような途上国で商売をしたがる莫迦さ加減をちょっとは自省しろと言いたい。(もっとも作曲者は、これは日本の旋律のパロディではなく、第1楽章ピアノ主題のヴァリアントに過ぎない、と強弁するかもしれません。)

この終楽章コーダ近くに、白鍵トーンクラスターの2音ずつのアルペッジョ、という非常にユニークな書法があります。結果的にはほとんど白鍵の上下グリッサンドにしか聞こえませんが、何をヒントにこういう書法を発想したんでしょうね。
ここの指使いをどうしているか児玉桃さんに伺ったら、「みんなソレ訊くんですよね(笑)」との仰せ。「私は5-43-21・1-23-45というふうに取っていますが、姉は5-4-3-2-1・1-2-3-4-5です」との由。姉妹どちらもお弾けになるのね・・・。
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Commented by dr-enkaizan at 2005-07-16 01:02
始めまして、いつも草葉の陰で楽しんで拝見させてもらってます。
オマケに勝手にリンクにいれおりスイマセン。
今回のトピックに関連したネタをTbさせてもらいました。
もう流血クセナキスで著名なかたに、怪しいTBをすることは、電脳網界隈で一般に言われる、「糞トラックバック」と申す恥ずかしい行為なのですが。
お許しの程。
Commented by ooi_piano at 2005-07-16 11:10
御丁寧に恐れ入ります。今調べてみると、大田黒元雄氏は1893年東京生れ。1912年(19歳)で渡欧・ロンドン大入学、大戦勃発のため帰国。1915年(22歳)で《バッハよりシェーンベルヒ》を上梓、翌年に雑誌《音楽と文学》を創刊して、自らピアノを弾きドビュッシーやスクリャービンを紹介したそうです。1918年に氏がプロコフィエフに会った時は、それぞれ25歳と27歳だったわけですね。1920年には《デビュッシー以後》を出版。
それにしても、ゲルマンスキーとかモデルンスキーとか、みんなヒマね(笑)。墓前に征露丸詰め合わせ、水引に「膺懲露助」。第6ソナタが君が代だったら、第7ソナタはホワイト・クリスマス、第8ソナタはラ・パロマということに?
琴の平調子は分離型テトラコルドから成っていますので、古代ギリシアにそういう旋法があっても不思議では無いですよね。Scottish National Orchestraと言えば、蛍の光は呂旋法か。それにしても、「流血クセナキスで著名なかた」ねぇ・・・。 「《マッドマックス》撮影時に死者続出!!」みたいなもんだなあ(←実際は軽傷者2名のみとか)。トホホ。
Commented by dr-enkaizan at 2005-07-18 04:45
恐縮です
なんと「ノリ」の素晴らしい・・・・恐れ入りました。
>大田黒元雄氏
氏とピアノを挟んで対話が「高飛車」だったのですが・・・・あれは日記にある謎の譜面コレクターなイギリス人の家での対話だったのかも?
>墓前に征露丸詰め合わせ、水引に「膺懲露助」
日本とロシア(ソビエト)は政治に文化と国境紛争における微妙な関係にあったことが件のプロコ日記からも感じますよね。
Commented by dr-enkaizan at 2005-07-18 04:46
連続してスイマセン
次に
>琴の平調子は分離型テトラコルドから成っていますので、古代ギリシアにそういう旋法
最近某掲示板で「スキタイ組曲」で暴れさせてもらったのですが、あれを聞く聞く機会おおくなり、ふと気づくのは?確かに初期のプロコフィエフの興味は一時期、調性というより、後期リストやムソルグスキーに見られるような音程の動きあったような気もしますね。その点では白鍵四重奏曲は調性移動すると黒鍵盤が無くなる旋法だったアイデアは、むしろテトラコルドの組み合わせの概念として、結びついてきそうな思いになりますが、なんか自分でも旨く説明できていないのでいずれ。
>「《マッドマックス》撮影時に死者続出!!
それを出すと冒頭に出てくる最初に出てくる三下悪人の
「俺は孤独なナーイトライダー」のまねを車でしたくなります(笑)
(無論その後の警察の追尾を受けて狼狽して幼児逆行するあたりも含めて)あっ・・・・・またネタ系の糞書き込み失礼しました。
by ooi_piano | 2005-07-11 16:12 | Comments(4)