2/22(日)POC#21 野々村禎彦氏寄稿「日本のポスト戦後前衛世代について」

日本のポスト戦後前衛世代について ────────野々村 禎彦

c0050810_235221.jpg ヨーロッパのポスト戦後前衛世代は、ラドゥレスク(1942-2008)、ファーニホウ(1943-) らに始まり、グリゼー(1946-98)、ミュライユ(1947-)、シャリーノ(1947-) らベビーブーム世代でピークを迎え、ディロン(1950-)、ゲレーロ(1951-97)、サーリアホ(1952-) らから第二世代に入り、リンドベルイ(1958-)、バウクホルト(1959-)、ビローネ(1960-) らに至る作曲家たちの総称である。整理に便利な概念なのでPOCシリーズの解説では多用しているが、まだ一般的ではない。新しい複雑性やスペクトル楽派などのいくつかの潮流と、アペルギス(1945-)、シャリーノ、モネ(1947-)、ゲレーロ、デュサパン(1955-)、バウクホルトらの一匹狼に大きく分かれ、潮流で整理すると60年代生まれ以降の世代にも連綿と続いているように見えるが、バレット(1959-)、ピサロ(1961-) らまで下ると実験的ポピュラー音楽との境界が消失することが、世代区分の根拠になる。

 ただし、一見戦後前衛の反復に見えるポスト戦後前衛の諸潮流には、根本的な違いがある。戦後前衛は本質的にインターナショナルな運動だったのに対し、ポスト戦後前衛の諸潮流の始まりは国ごとのローカルな事情によるところが大きい。新しい複雑性は、戦後前衛第一世代を持たなかった英国でその欠落を埋める運動として始まり、ファーニホウのドイツ移住と戦後前衛の衰退が重なった結果、戦後前衛の失地回復運動として旧大陸でもリアリティを持った。スペクトル楽派は、アカデミズムの保守性が際立っていたフランスにおける、五月革命を起爆剤にした遅れてきた前衛運動(実際、五月革命でローマ賞の制度のみならず選考委員も一新され、楽派第一世代の受賞につながった)に他ならない。どちらの運動も、第一世代は発祥国の局地的なサークルとして始まったが、第二世代に至ってアカデミズムに組み込まれ、海外留学が容易になったことも背景に一挙に国際化した。

c0050810_236121.jpg 以上を前提に、今回は日本のポスト戦後前衛世代を取り上げるが、上記前提から明らかなように、日本に第一世代は存在しない。近藤譲(1947-) を第一世代の一匹狼と捉える向きもあろうが(その方が一般的かもしれないが)、POC#17の総説で述べた通り、近藤とその同世代の米国実験音楽に強い影響を受けた作曲家たちは、戦後前衛第二世代の最後とみなすのが適切だと筆者は考えている。他方、世代の切れ目を象徴するのは横島浩(1961-)、鈴木治行(1962-) らであり、こちらはヨーロッパと変わらない。またこの世代は、千野秀一(1951-)、灰野敬二(1952-) から内橋和久(1959-)、大友良英(1959-) まで、日本の実験的ポピュラー音楽の黄金世代であり(秋田昌美(1957-) を筆頭に、いわゆる「ジャパノイズ」を世界に広めた世代でもある)、ポスト戦後前衛に関する情報の鎖国状態が長く続いた特殊状況下でも、世代の切れ目は一致するのは自然な成り行きである。

 戦後前衛との切り分けが難しい「ドイツ音響作曲」や、米国実験主義の一側面を継承したヴァンデルヴァイザー楽派も含め、ポスト戦後前衛の諸潮流はみなヨーロッパ発であり、インターネット普及以前の日本では、この潮流の一員に加わるのは留学することとほぼ同義だった。特に日本では、本来この潮流とは異質な電子音楽でも同様の状況だった。80年代に入る頃から電子音楽の中心課題は大型コンピュータを用いた音響合成に移ったが、日本のナショナルセンターだったNHK電子音楽スタジオは、この変化に全く対応できなかったことに由来する。上原和夫(1949-) は70年代初頭から15年余りニューヨークで音楽活動を続ける間にこの変化を受け入れ、莱孝之(1954-) はユトレヒト音大ソノロジー研究所でコンピュータ音楽を草創期から学び、古川聖(1959-) はベルリン工大でコンピュータ音楽を学んだ後、カールスルーエ・ZKMでアルゴリズム作曲の研究を続けている。

 スペクトル楽派第二世代の野平一郎(1953-) と田中カレン(1961-) にはPOC#16の総説でも触れたが、野平は当時のIRCAMの花形研究だったリアルタイム音響合成にも深く関わり、《挑戦への14の逸脱》(1990-91/93) など、ヨーロッパ時代の代表作では積極的に利用している。また彼はアンサンブル・イティネレールのピアニストとしてスペクトル楽派を中心に現代作品演奏を数多く行い、このような経験の違いが共通する出自と経歴を持つ田中との帰国後の活動の違いにつながっている。その後のスペクトル楽派は日本の伝統的なフランス系アカデミズムと相性の良い方向に向かったこともあり、日本からは多くの作曲家が参加したが、これは本稿の対象ではない。

c0050810_2374146.jpg  ドイツの前衛音楽にはいくつかの整理法がある。筆者の「ドイツ音響作曲」は、噪音を組織化する方向性を総音列技法を核とする戦後前衛世代の主流とは別系統とみなし、ヘスポス(1938-) やハイン(1938-) のような非アカデミックな作曲家も含む形でまとめる試みだが、アカデミズムに限ると、カルコシュカ(1923-2009) とケレメン(1924-) に始まりラッヘンマン(1935-) が引き継いだシュトゥットガルト音大出身者を指す「シュトゥットガルト楽派」と、K.フーバー(1924-) がフライブルク音大に移りファーニホウも加わってからの門下生を指す「フライブルク楽派」を双璧とみなすことが多い。だが、特徴的な語法よりも師弟関係を重視する整理法はそもそも前衛音楽にはそぐわない上、カルコシュカとラッヘンマンに学んだシュパーリンガー(1944-) がK.フーバーの後任としてフライブルク音大教授になり、K.フーバーに学んだ細川俊夫(1955-) が後にラッヘンマンに傾倒し親交を結んだ例を見ても、両「楽派」の対立図式でドイツの状況を捉える見方には限界がある。

 この意味でも重要な細川は、日本の音大には馴染めずベルリン芸大の尹伊桑(1917-95) のもとで作曲を本格的に学び始めた。武満徹にも通じる初期の抒情的な作風は、彼の音楽の核になっている。その後師事したK.フーバーは、普遍性重視の尹とは対照的に、非ヨーロッパの作曲家には自国の伝統に目を向けるよう指導し(彼の弟子から妻になった朴泳姫(1945-) の作風は典型的)、細川は笙の和音を音楽の基層で鳴り続ける「母胎音響」とする書法を確立した。尾高賞を最初に受賞した《遠景I》(1987) はこの時期の代表作だが、《断章》シリーズ(1988-89) と《鳥たちへの断章》シリーズ(1990-91) でそこから離れ始め、《Landscape I》(1992) でノーノ《断章、静寂…ディオティマへ》(1980)、《Vertical Time Study I》(1992) でラッヘンマン《アレグロ・ソステヌート》(1989) を参照して次の時期に入る。またこの時期の彼は、秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルの音楽監督としてポスト戦後前衛の動向を日本の若手に積極的に伝えようとした。音楽祭最終年の1998年にはノーノ《プロメテオ》(1981-84/85)、東響コンポーザー・イン・レジデンス時代の2000年にはラッヘンマン《マッチ売りの少女》(1990-97/2000) の日本初演を監修している。

c0050810_239641.jpg 二度目の尾高賞受賞作、ハープ協奏曲《回帰》(2001) は、細川の創作歴の大きな節目になった。彼はこの年から武生国際音楽祭の音楽監督に就任し、武生国際作曲ワークショップをその中に組み込んだが、クラシックや伝統邦楽が中心の音楽祭の一環であるため、秋吉台とは自ずと性格も異なる。西村朗によるインタビュー(2005) でも、ヨーロッパの現代音楽祭を「非人間的」「末梢的」「音楽として喜びがない」と批判しており、《回帰 Re-turning》というタイトルはそのような文脈にふさわしい。ウィーンフィルやベルリンフィルからの委嘱作も、通常のクラシックコンサートの中で演奏されることを前提に書かれており、近年の細川作品を「戦後前衛」に連なる音楽と捉えるのは、彼にとっても本意ではないだろう。ただしこの「回帰」は一般的な伝統回帰であり、「本来の自分」への回帰ではなかった。「東洋はしょせん別枠」なヨーロッパではこの差異は問題ではないのだろうが、《断章》《鳥たちへの断章》シリーズを記憶していると、思いは複雑にならざるを得ない。

 三輪眞弘(1958-) は、細川と同じく尹のもとで作曲を本格的に学び始めた。その後シューマン音大でも学ぶが、以後の創作に本質的な影響を与えたのは、バーロウ(1945-) から私的に学んだアルゴリズム作曲だった。高校時代にプログレバンドで活動していた頃も、シンセサイザーの華やかな音色には全く興味が持てなかったという嗜好の持ち主だけに、彼は大型コンピュータによる音響合成には惹かれず、パソコンのプログラミングを独習してこの方向に進んだ。日本での出世作《歌えよ、そしてパチャママに祈れ!》(1989) は、ボリビア民謡の素材をアンサンブル編成に変換したアルゴリズム作曲作品だが、オリジナル曲のエンドレステープを演奏中にラジカセで流し続ける。初期代表作の《東の唄》(1992) は五音音階から日本民謡風の旋律を自動生成するシリーズのひとつで、ピアノのリアルタイムサンプリングとプレイヤーピアノによる再生、リアルタイム作曲とサンプリング音声による歌唱まで同一のプログラムで管理する一見徹底したコンセプトを持つが、音楽の中心はラヴェル《クープランの墓》の引用。このような脱中心的な仕掛けが彼の真骨頂だ。

c0050810_2394415.jpg フォルマント合成の試みに通俗的な衣をまとわせた過渡期を経て彼はアルゴリズム作曲に戻るが、コンピュータによる演算結果を音響化する従来方式ではなく、アルゴリズムを人力で行えるほど単純化して演算の過程を音響化し、「音楽的」な演算過程を持つアルゴリズムの探索にコンピュータを用いる「逆シミュレーション音楽」というコンセプトを提唱した。最後に人力演算の由来とされる祭祀的伝統を捏造し、「人間的な営み」から音楽が生まれた体裁を整えることも、コンセプトの一部だ。この斬新な発想は国際的に高く評価され、2007年のアルス・エレクトロニカ・デジタル音楽部門でゴールデン・ニカ賞(最高賞)を受賞した。ただしコンセプトの面白さと音楽の面白さにはズレがあり、翌年の芥川作曲賞を受賞した《村松ギヤ・エンジンによるボレロ》(2003) の核心は、弦楽器の三分音の上下行を直前の音符との相対音高で指定した結果、時間とともに誤差が蓄積して壮大なクラスターに至る、作曲者の意図せざる側面にある。《59049年カウンター》(2014) がこの路線での現在までの集大成だが、冒頭の濃密な音響が全く展開せずに続くうちに感覚が麻痺してくる異様な時間体験。この無時間性を乗り越える試みが、POC#20での委嘱新作を含む「新調性主義」である。

 この世代では、藤枝守(1955-) もアルゴリズム作曲に取り組んだ。彼の基本的発想はクラシックの既存の旋律をアルゴリズムで装飾して変容させてゆくことで、デビュー作の《フォーリング・スケール》シリーズ、初期代表作の《遊星の民話》シリーズとも、米国UCSDに留学し湯浅譲二らに学ぶ以前からの路線である。彼は留学中にパーチ、ハリソンら純正律志向の米国実験音楽の影響(音楽学者として米国実験音楽を研究するパートナー柿沼敏江の影響でもある)を強く受け、『響きの考古学』(音楽之友社, 1998) を著す。帰国後はDTMソフトを用いた電子音即興等を経て、植物の葉の電位変化をMIDI信号に変換する、銅金裕司の「プラントロン」システムの出力信号の音楽化という新たな発想を得た。当初は出力信号を電子音化したサウンドインスタレーションの形態を取ったが、やがて出力を器楽化した《植物文様》シリーズが創作の中心になった。純正調律した楽器の共鳴を経験して電子音響への関心は薄れ、さまざまな純正調律の響きの差異の提示がコンセプトになった。

c0050810_23105659.jpg この世代で海外留学を経ていない前衛的な作曲家として、まず挙げられるのは中川俊郎(1958-) だろう。三善晃に師事しその作風を忠実に継承したアカデミックな作曲家はこの世代に少なくないが、中川は三善譲りの堅実な書法は専らCM音楽の職人芸に生かし、カーゲル(1931-2008) の強い影響下に、劇場性や引用を全面的に取り込んだ創作を進めた。武満、湯浅ら「日本の戦後前衛」は(ヨーロッパ滞在組の松下眞一らも)カーゲルを嫌悪し、細川によるヨーロッパの潮流の紹介ではカーゲルは「旧世代」なので対象から外され、その音楽に向き合ったのはアカデミズムの異端者たちだった。中川はピアニストとしても現代音楽演奏を中心に活動を続け(もちろん、カーゲル作品は彼の重要なレパートリーのひとつ)、劇場性や即興性の比重が高い作品のリアリゼーションを自ら行えることのメリットは大きい。ただし多芸多才な中川にとってのカーゲル的な要素は、アカデミックな音楽性を手っ取り早く異化して独自性を確保するための道具であり、母国アルゼンチンでは映写技師だった、二重のアウトサイダーならではの西洋文明や芸術制度への疑義までは共有していない。

 他方、今回の主人公の南聡(1955-) は、アカデミズムの異端としてカーゲルと同じ問題意識で創作を進めてきた(むしろ彼はカーゲルを直接的には意識していない)。東京藝大では野田暉行(1940-) と黛敏郎(1929-97) に学んだが、オリジナルな作曲家は師匠の影響を受けるものではない(近藤譲への長谷川良夫(1907-81) と南弘明(1934-) の影響を取り沙汰する意味がないように)。この経歴と、1986年から北海道教育大学で教鞭を執り続けたため作品発表も音楽著述も道内が多く、東京圏での演奏機会は日本現代音楽協会関係の催しが主だったこともあり、正当な評価には時間を要した。その際に大きな役割を果たしたのは、コジマ録音からリリースされた3枚の作品集(2010/12/13) であり、特に《昼》(2012) は同年度のレコードアカデミー賞現代音楽部門を受賞した。

c0050810_2312838.jpg 南作品を特徴付けるのは、中世の世俗音楽から自作に至る、クラシックの既存作品の徹底的な引用と、作品ごとに考案される数理的操作である。ただし、彼の引用には素材の意味性を利用する意図はなく、「無からの創造」が結果的にロマン主義の亡霊を呼び寄せることを警戒し、素性の知れた素材に基づいて作曲を進めるためのものである。従って彼の数理的操作は引用と矛盾するものではなく、むしろ既存の素材を客観的に操作するためには不可欠である。ピアノソナタのシリーズは軒並み引用の比重が大きいが、ソナタ4番の社会風刺のような隠れた意図を埋め込む際にも数理的操作は用いられ、アンサンブル作品では数理的操作の比重が大きい作品も少なくない(《鏡遊戯》(2010) はそのような傾向の作品集)。南の姿勢は、出世作《喩えれば…の注解》(1986/88) から一貫しており、創作ペースはその時々の公務や体調によって影響されるが、作品の質と密度は近作でも揺るぎない。ポスト戦後前衛の時代様式の後追いに汲々とせずとも、個人様式を貫けば一匹狼として国際的水準に達することは可能であり、時代様式の限界が露わになってようやく、時代は南に追いついた。
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by ooi_piano | 2015-02-13 20:53 | POC2014 | Comments(0)