Blog | Hiroaki Ooi


9/20(水) 現代日本人作品2台ピアノ傑作選
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12/13(日) マーラー《大地の歌》ピアノ伴奏版 (上)

感想集 http://togetter.com/li/809779

c0050810_15481814.jpg2015年12月13日(日)19時開演(18時半開場)
公園通りクラシックス(東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://k-classics.net/
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp

青栁素晴/テノール(※)、 大川博/バリトン(#)、 大井浩明/ピアノ

■G.マーラー:《リュッケルトの詩による5つの歌曲》(1901/02) [全5曲](作曲者自身によるピアノ伴奏版)(※) [約20分]
  I. 僕の歌をのぞき見ないで - II. 優しい香りがした - III. 俗世から消え失せた - IV. 真夜中に - V. 美しさゆえに愛するなら

■G.マーラー:《子供の死の歌(亡き子を偲ぶ歌)》(詩:リュッケルト)(1901/04) [全5曲](作曲者自身によるピアノ伴奏版)(#) [約25分]
  I. 今や太陽は明るく昇る - II. 今になってみればよくわかる、なぜあんなに暗い炎を - III. おまえのママがドアを開けて入ってくると - IV. 私はよく考える、あの子たちは出かけただけなのだと! - V. こんな天気の時

  (休憩15分)

■G.マーラー:交響曲《大地の歌》(1908)[全6楽章](作曲者自身によるピアノ伴奏版) [国際マーラー協会(ウィーン)監修] (※)(#) [約60分]
  I. 地上の苦を詠う酒宴歌(原詩:李白) - II. 秋に寂しき女(原詩:張籍あるいは銭起) - III. 磁器の園亭(原詩:不明) - IV. 岸辺にて(原詩:李白) - V. 春に酔える男(原詩:李白) - VI. 告別(原詩:王維、孟浩然)


青栁素晴 (テノール) Motoharu AOYAGI, tenor
c0050810_1605468.jpg  福岡県出身。国立音楽大学声楽科卒業。1989年ヴェルディ作曲「オテロ」のロデリーゴ役でオペラデビュー。1996年ベルリン・ドイツ・オペラの首席演出家ヴィンフリートバウエルンファイントの薦めによりドイツ、ベルリンに留学。2000年に帰国。その後二期会で2004年12月の「イエヌーファ」のラツァをはじめ「魔笛」のモノスタトス、「さまよえるオランダ人」のエリック、「天国と地獄」のプルート、「ダフネ」のアポロ」等で出演。他では「オテロ」「タンホイザー」「パルシファル」のタイトルロール、トゥーランドット」のカラフ、「カルメン」のドンホセ、「魔笛」のタミーノ『アイーダ』のラダメス「カヴァレリア・ルスティカーナ」のトゥリッドゥ「夕鶴」の与ひょう等を歌う。2006年5月にはハノーファー州立歌劇場で「さまよえるオランダ人」のエリックを2014年12月にはマケドニア、スコピエ劇場で「夕鶴」の与ひょうを歌う。東京交響楽団、山形交響楽団、九州交響楽団、東京シティーフィル、広島交響楽団等との共演もある。二期会会員。国立音楽大学非常勤講師。公式サイト: aoyagi-m.com


大川博 (バリトン) Hiroshi OOKAWA, bariton
c0050810_1672564.jpg  国立音楽大学声楽学科卒業、同大学院音楽研究科声楽専攻修了。二期会オペラ研修所マスタークラス55期修了。修了時に優秀賞を受賞。これまでにオペラ《フィガロの結婚》フィガロ、伯爵役、《コジ・ファン・トゥッテ》グリエルモ、ドン・アルフォンソ役、《ファヴォリータ》アルフォンソ役、《愛の妙薬》ベルコーレ役、《ドン・パスクアーレ》マラテスタ役、《椿姫》ジェルモン役、《仮面舞踏会》レナート役、《蝶々夫人》シャープレス役、《ラ・ボエーム》ショナール役、《妖精ヴィッリ》グリエルモ役、《カヴァレリア・ルスティカーナ》アルフィオ役、《アンドレア・シェニエ》ジェラール役、オペレッタ《こうもり》ファルケ役、日本の作品では松井和彦作曲《金の斧、銀の斧》悪いきこり役、《泣いた赤鬼》木こり役等で出演。サイトウ・キネン・フェスティバル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》でバスソロのカヴァーキャストとして参加。またベートーヴェン作曲《第九》、バッハ作曲《マタイ受難曲》、《ヨハネ受難曲》、モーツァルト作曲《レクイエム》等のソリストを務める。二期会会員。





■東洋学者フリードリヒ・リュッケルト

c0050810_1692072.gif  詩人、東洋学者のフリードリヒ・リュッケルト(1788-1866)はベルリン大学東洋言語学教授を務めたが、アラビア語、ペルシア語に通じた他、実に44ヶ国語の文献を扱い、現代でも用いられる『コーラン』独訳をはじめとして、ヒンドゥー教の聖典『ギータ・ゴーヴィンダ』、古代インドの作家カーリダーサの『シャクンタラー』、ペルシャ詩人フェルドウシィーの『シャー・ナーメ』、同じくペルシャ詩人サアディの『果樹園』、古代中国の『詩経』など数多くのオリエント文学作品の翻訳を残している。
  『詩経』は、孔子(紀元前552‐紀元前479)が収集した民歌を編纂したと伝えられる中国最古の詩篇で、後の『楚辞』、(李白、王維らの)唐詩、宋詞などと共に中国古典文学を代表する文学作品である。リュッケルトによる独訳(1833)は、富士川英郎『西東詩話』(玉川大学出版部)によれば、フランス人宣教師アレキサンドル・ド・ラ・シャルムAlexandre de la Charme (1695-1767)によるラテン語訳『孔子 詩経または詩の本』Confucii Chi-king: sive, Liber carminum(1830独コッタ社刊)からの重訳であり、更に詩人らしく自由な翻案が加えられている点で、ハンス・ベトゲの『中国の笛』(1907)の先駆とも言える。中国詩ドイツ語訳の嚆矢は、Peter Perring Thoms (1790-1855)の英訳詩集『中国の求愛詩』Chinese Courtship: In Verse(1824)を読んだゲーテによる翻案である19篇の小編『中国=ドイツ年暦・日暦』Chinieisch-deutsche Jardes=und Tages-zeiten(1827)だが、ゲーテとリュッケルト以後、1893年リヒャルト・デーメルが(おそらくは友人ハンス・ハイルマンの助力を得て)詩集『けれども恋はAber die Liebe』で、李白「悲歌行」の翻訳「中国の酒宴歌Chinesisches Trinklied」を取り上げるまでの約70年間にわたりその流れは途絶えることになる。早熟な読書家マーラーは少年時代ギムナジウムで、中国文学の西欧への影響をテーマにした未完の小論を残しているというが、それはおそらくゲーテとリュッケルトの2編を対象としたものであったのだろう。
c0050810_1611619.gif  リュッケルトは、シューベルトの連作歌曲集『冬の旅』『美しき粉屋の娘』で知られる詩人ヴィルヘルム・ミュラー(1794-1827)の友人だったが、ミュラー早世後にその遺児で、比較宗教学創始など多大な業績のある東洋学の碩学マックス・ミュラー(1823-1900)が東洋に関心を持ったきっかけは、リュッケルトの薫陶によるものであったという。マックスには、我が国インド仏教学の先駆者南條文雄(1849-1927)、や笠原研寿(1852-1883)、高楠順次郎(1866-1945)が師事しており、南條が編纂した『法華経』サンスクリット語原典、英訳『大明三蔵聖教目録』は、今日でも高く評価されている。東洋学者リュッケルトの遺徳は遥か我が国にまで及んでいるのである。
  詩人としては、ドイツ文学史の資料によってはその名が見られないなど、必ずしも一流として扱われていないが、近年批判校訂版の全集出版も進み、再評価が進んでいる。同じくかつて二流扱いを受けながら再評価されているヴィルヘルム・ミュラーの『冬の旅』は、同時代の大作曲家カール・マリア・フォン・ヴェーバー(1786-1826)に献呈された、その作曲を期待された詩集であり、図らずもシューベルトとの出会いによってドイツ歌曲史上の最大傑作歌曲集を生み出しているが、ミュラーは自作についてこう語っている。「僕は楽器を弾くことも歌うこともできない。だが詩を書いたとき、僕は歌っているし、楽器も弾いている。もし僕が自ら旋律をあてがうことができたなら、自分の歌を今よりもっと気に入るのだが。でも安心するとしよう。同じ感情を持った心に行き着くことができるだろう。その心はことばから旋律を聴き出し、それを僕に返してくれる。」(渡辺美奈子『ヴィルヘルム・ミュラーの詩作と生涯―「冬の旅」を中心に』2010年)
c0050810_16121093.gif  往々にして言われるように、二流の詩だから作曲の余地があるのではなく、歌曲の作曲を考慮して作られた上に、優れた作曲家のインスピレーションを引き出す芸術性を持っていたからこそ、リュッケルトの詩からもシューベルト、シューマン、そしてマーラーの名歌曲が生まれたと見るべきだろう。
  『子供の死の歌』を含むマーラーのリュッケルト歌曲群は、第5、第6交響曲と同時期に書かれており、いわゆる「角笛交響曲」のような直接的引用は無いものの、相互の関連が指摘されている。管弦楽伴奏版は10名程度で演奏する小編成のオーケストレーションが施されており、マーラーの指揮による上演はムジークフェラインザールではなく、室内楽用のブラームスザールで行われていたことが分かっている。マーラー自身も、これらの歌曲を大編成の管弦楽で演奏することは悪趣味だとする発言を残した。こうした特異な編成は、その後のシェーンベルクやヴェーベルンの作品群の先駆となっている。


■リュッケルトの詩による5つの歌

  「美しさゆえに愛するなら」を除いて1901年の夏、アルマとの出会いの直前に作曲された歌曲群で、各曲に直接の関連性は見られず、当初は個別に出版された。

1.僕の歌を覗き見ないで(1901年6月)
  曲集中でも最も民謡的な作品。マーラーはこれを内容に乏しい作品とみなし、それゆえに、真っ先に一番好まれることになるだろうと語ったが、マーラー流の韜晦であろう。マーラーの親友バウアー=レヒナーは、まるでマーラー自身が書いた詩のようだと評している。

2.優しい香りがした(1901年8月)
c0050810_1614474.gif  ドイツの初夏にその花(リンデンバウム)が爽やかな甘い香りをもたらすリンデは、和名をセイヨウボダイジュといい、シューベルトの『冬の旅』で「菩提樹」と訳されてあまりにも有名だが、釈迦がその下で悟りを開いたインド菩提樹とは本来何の関係も無い樹木である。樹皮が柔らかくしなやかであることからリンデという名がついたとされ、リュッケルトはこの詩で樹木の名と言葉をかけている。
  シューベルトの「挨拶を贈ろう」、シューマンの「献呈」に並ぶ、リュッケルトの愛の詩に作曲された歌曲の傑作であるこの曲が、アルマとの出会いの前に書かれていたことは興味深い。同じくリュッケルトによる『子供の死の歌』が、作品を完成した後で自らも長女を失うという、悲劇的な予言となったことはあまりにも有名だが、こちらは3か月後の11月に出会うアルマへの熱烈な愛の予言になっているのだ。
  マーラーは原詩の詩行を一部入れ替えて有節形式を崩し、各節を通作的に変容させている。

3.私は俗世から消え失せた(1901年8月)
  李白が影響を受けている中国南北朝時代の詩人鮑照(ほうしょう414-466)の詩『詠史』には、漢代末期の隠者巌君平の生き方がこのように詠われている。

寒暑在一時 季節は絶えず移り変わり
繁華及春媚 花も人もわが世の春を謳歌する
君平独寂寞 その中で巌君平はひっそり生きている
身世両相棄 世間を棄て、世間も彼を棄てて


  李白は「古風其の十三」でこれを引用している。

君平既棄世 巌君平は既に世を棄て
世亦棄君平 世もまた巌君平を棄てた


  興膳宏氏はこの詩について「『寂寞』に甘んじ、あえて『寂寞』を選び取る生き方は、不遇な知識人の精神的な支えとして継承されてゆく」と指摘している(『鑑賞中国の古典 文選』角川書店)。こうした中国的隠逸の思想に通じるリュッケルトの詩について、作曲当時首席指揮者を務めていたウィーン・フィルとの軋轢から逃れて別荘に滞在していたマーラーは、まったくもって自分そのものだと語っている。

4.真夜中に(1901年8月)
  神のいない世界、神に祈る者のいない地上を描く『大地の歌』と全く対照的に、眠れぬ夜の不安と苦悩の全てを神に委ねる人が描かれるが、その有節的単調さと後半の唐突に盛り上がる賛歌のコラールをパロディと見る向きもある。

5.美しさゆえに愛するなら(1902年夏~秋)
  リュッケルトが「シチリア風」と記した、イタリアの民謡詩に取材した詩形である。5曲中唯一アルマとの出会いの後、彼女のために書かれた作であり、この曲のみマーラー自身による管弦楽版は存在しない。


■小栗虫太郎『完全犯罪』と『子供の死の歌』

c0050810_16162113.gif  『子供の死の歌』は、マーラーの作品中でも我が国で早くから親しまれていた。1929年には新交響楽団第58回公演で、柳兼子独唱、近衛秀麿指揮によって日本初演されている。「5章からなる《なき子をしのぶ歌》は、この作者の中年後の歌曲のうち、李太白による《大地の歌》とともに最も重要なものである。(中略)民謡研究家であった作者は、その豊かな旋律に配するに、彼の円熟期における最も色彩豊かな管弦楽をもってして、この一編をあくところなからしめている。ことに最初の4章は、管弦楽器を主体とした室内楽といっても差しつかえない。(中略)《さすらう若人の歌》を燃えるようなチゴイネルの若者の声とすれば、この歌曲は教養ある家庭の父母の悲嘆の心とみることができる。」(近衛秀麿による公演解説より)
  その前年1928年の世界初録音、ハインリッヒ・レーケンパー独唱、ホーレンシュタイン指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団のSPレコードは我が国でも発売され(『亡き幼児らを偲ぶ歌』と題されていた)、今日でも通用する名演奏によってこの曲を鑑賞することが出来た。

  夢野久作『ドグラ・マグラ』、塔晶夫『虚無への供物』と共に、日本の推理小説史上における三大奇書に数えられる『黒死館殺人事件』の著者、小栗虫太郎(おぐりむしたろう1901-1946)の処女作『完全犯罪』(1933年)では、『子供の死の歌』が殺人の小道具に用いられている。
  舞台は中国雲南省奥地の八仙寨(はっせんさい)に、原人骨発掘に従事する英国人学者が建てた、趣味豊かな書斎や豪華な浴槽を有する異人館という奇抜な設定である。探偵役の主人公は、地域を支配する苗族共産軍ロシア人指揮官ワシリー・ザロフで、日本人は全く現れない。共産軍の司令部になった館に出入りする娼婦ヘッダが密室で突如狂笑したのち死亡するという怪死を遂げる。ザロフは毒殺に関する博学を駆使して推理するが、亡き英国人学者の娘で真犯人である科学者のローレル夫人は、おぞましい民族浄化思想によりロマ族のヘッダを殺害した事実を告白し、その手法を誇示する手紙を残して自死する。

c0050810_16192949.gif  「(前略)私のなし遂げた犯罪は、貴方には夢想さえも出来ない、殺人史上空前の形式だからです。(中略)実を申しますと、私が地下室の調子の狂った風琴(オルガン)で弾いた、マーラーの『子供の死の歌』は、ヘッダに餞むけた悲痛な挽歌であったと同時に、恐怖すべき殺人具だったのです。(中略) まず、風琴の最低音に当たる二つの管に、芝生で使う四つ股の護謨布管(ゴムホース)を取付けて、之を浴室に通ずる送湯管と連絡させました。それから、残った二つの支管は、風琴の内部に隠しておいた、或る二つの装置に連なっていたのです。その一つは第一酸化窒素即ち催笑瓦斯、もう一つは青化水素の発生装置でした。」

  こうして被害者ヘッダのいる寝室に、『子供の死の歌』の演奏と共に笑気ガスを送り込んで哄笑を惹き起こし、次いで青酸ガスで殺害したというのである。

  「完全犯罪――それは云う迄もありません。が、一面鑑賞的に見ても、充分芸術としての最高の殺人と云えるでしょう。人を殺す歌謡曲(リード)……何と女性らしい、切々たる余韻をお聴き取りください。」

  そしてザロフの調査により発見されたローレル博士の手紙により、自らも抹殺されるべき民族の末裔と知ったローレル夫人は、自らをも粛清したのであった。(創元推理文庫『日本探偵小説集6 小栗虫太郎集』所収)
  寺山修二(1935-1983)はエッセイ『死の曲』でこの場面を紹介している。

  「(前略)という訳だが、それからマーラーの『亡き子を偲ぶ歌』をきくのが怖ろしくなった。大学へ入った年の夏、女友達とききに行ったコンサートで、思いがけずこの歌が流れ出すと、私は悪夢にうなされたように、汗をびっしょりかいて気を失いそうになり、「このまま死んでしまうのではないか」と思ったものであった。」(河出書房新社 寺山修二コレクション『青少年のための自殺学入門』所収)

c0050810_16214739.gif  寺山が大学に入学した頃の演奏記録には、ゲルハルト・ヒュッシュ独唱クルト・ヴェス指揮NHK交響楽団(1952/7/12 日比谷公会堂)、マリアン・アンダーソン独唱 同(1953/5/22同)という当時の大歌手によるものがある。やや下って1959年、ヒュッシュに師事した中山悌一によるヴィルヘルム・シュヒター指揮同響との演奏がCD化されており、レーケンパー等の解釈の影響が窺えるものの、世界水準に達した名演奏である。この頃にはキャスリーン・フェリアー、フィッシャー=ディースカウによるLPレコードも発売されており、この曲に関して我が国の聴衆は早くから優れた演奏で鑑賞する環境に恵まれていたと言える。
  一連のN響の演奏記録でタイトルは『亡き子をしのぶ歌』とされている。それを一字漢字に改めた、現在定訳に近い『亡き子を偲ぶ歌』は、1957年の堀内敬三 編『世界大音楽全集 第19巻 (声楽篇 ドイツ歌曲集)』所収の、城山美津子訳による歌える訳詩の題が出典と思われる。小栗虫太郎『完全犯罪』が、近衛の日本初演やレーケンパーのSPレコード発売より後であることから見て、小栗は意図的に原題の直訳である『子供の死の歌』を用いたのであろう。


■歌曲集『子供の死の歌』(亡き子を偲ぶ歌)

c0050810_16231531.gif  リュッケルトは5人の子のうち2人を相次いで失った苦悩と、子供たちの生きた証を記すため、実に563篇に及ぶ詩を書き、詩人没後に出版された。当時の様子は新全集版に収録されたリュッケルトの妻の手記で明らかになっている(東京交響楽団HP掲載「2012年 マーラー・リーダー・プロジェクト」の、渡辺美奈子による解説『エルンストとルイーゼを偲ぶ歌』に翻訳が紹介されている)。
  マーラーがこの曲集中3曲を書き上げていた1901年10月、バウアー=レヒナーは日記にこのように記した。「《亡き子を偲ぶ歌》について彼は、それらを作曲したことを悔やんでおり、またそれを一度でも聴かなくてはならないこの世の人々が気の毒だ、と語った。それらの音楽の内容はそれほど悲惨なのだという。」(ナターリエ・バウアー=レヒナー『グスタフ・マーラーの思い出』高野茂訳 音楽之友社) 確かにこの曲集は、マーラーが創作の初期から一貫して主要なテーマとして扱ってきた「地上の苦」を表現した作品群の中でも、最もインパクトの強いものだろう。

1.今や太陽は明るく昇る
  愛する子を失った翌朝、何事もなく昇る太陽。日常はそ知らぬ顔で推移してゆく。現世、浮世とは永遠の一局面なのだ。愛する者の死によってそれを思い知らされた者は疎外感に苦しむ。

2.今になってみればよくわかる、なぜあんなに暗い炎を
  死の予兆に気付かなかったことへの悔恨。第5交響曲第4楽章アダージェット、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』を思わせる動機が用いられる。

3.お前のママがドアを開けて入ってくると
  今は失われた日常の小さな幸せの回想。

4.私はよく考える、あの子たちはでかけただけなのだと!
  子供たちの不在は出かけただけだという現実逃避。

5.こんな天気のとき
  子供の死に対する自責と祈り。マーラーは神の元での安息を願う最終行のあとに、その前の「母の家(Mutter Haus=「生家」の意でもある)にいるかのように」を繰り返して曲を締めくくり、重点を神から母に移した。自筆譜ではこれが「母の膝」(Mutter Schoss=「母胎」「子宮」の意もある)に変更されたあと、出版譜で元に戻されたことがわかっており、この部分にある「子守唄のように」の指示を含め、それをフロイト的に解釈する論者がいるが、あまりに穿ち過ぎの感もある。むしろ素直に、シューベルトの「子守唄」の「眠れ、眠れ、やわらかい膝の上で」Schlafe,schlafe in der Flaumen Schoßeを連想すべきだろう。 (つづく
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by ooi_piano | 2015-12-06 15:35 | コンサート情報 | Comments(0)
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