6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

12/13(日) マーラー《大地の歌》ピアノ伴奏版 (下)

(つづき)

■『大地の歌』Das Lied von der Erde 
  ~ピアノ版『大地の歌』から読み取れる物語展開~

1.「地上の苦を詠う酒宴歌」Das Trinklied vom Jammer der Erde 原詩:李白
c0050810_16385223.gif  原詩の「悲歌行」は古くから偽作説があったため我が国では等閑視されていたが、近年中国では真作説が有力になっており、日本でも李白晩年の傑作との評価が出始めている。原詩に比較的忠実なハイルマンの独訳に、ベトゲが題名変更の他かなりの翻案を加えている。

 a) 題名を「悲しみの歌」から「地上の苦を詠う酒宴歌」に変更。
 b) 杯を黄金にすることで、王侯級の華麗な宴席の情景にした。
 c) 悲嘆を吐露するリフレインを、生も死も暗いという箴言(しんげん:戒めの言葉)にした。
 d) 「ただひとつ確実なものは、最後にニヤリと笑う墓」などシニカルな詩句を追加。

  こうして侘しい酒席で人生無常を嘆く詩は、富貴の人々の集う華麗な宴席で、多分に挑発的に無常を説く情景となった。ベトゲは何故このような翻案をしたのだろうか。その出典となりそうなものが、ベトゲが典拠のひとつとするサン=ドニ『唐代詩集』所収の李白小伝にある。そこには、李白が玄宗皇帝に詩才を認められて宮廷に招かれたが、その奇矯な振る舞いを皇帝の取り巻きの貴族たちに憎まれ、ついに追放された史実が記されているのである。つまりベトゲの翻案詩の情景は、玄宗皇帝の宮廷の宴席における李白の振る舞いを想定したという推測が成り立つ。『大地の歌』作曲当時、ウィーン宮廷歌劇場総監督辞任劇の渦中にあったマーラーが、この設定に興味を持たぬはずはあるまいが、実際マーラーが作曲した音楽は劇的で緊張度が高く、悲嘆よりも斜めに構えた諧謔的な傾向が強い。
  マーラーはベトゲの追加したシニカルな詩句を含む第3節後半をリフレインごと削除して有節形式を崩し、劇中歌的な第3節の独立性を明確にした。管弦楽版ではホルンのfffで轟然と提示される、猿の鳴き声を表す4度音程のライトモチーフ的動機は、ピアノ版では続くトリルによる半音下行 (第3, 4小節)の、宴席の喧騒・笑い声の動機のffに対してfであり、猿の声が遠景から響く遠近関係が明らかである〔譜例1〕。(漢詩における悲哀の象徴である猿声は、森の樹上に住むテナガザルのものであり、ニホンザルの騒音的鳴き声とは全く異なる)
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  喧騒を遮って乾杯を制止した李白は、人の死の運命を説き、「悲しみの歌」により哄笑を起こすと予告し、空海の「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」を思わせる箴言「闇なのだ、生も死も」 “Dunkel ist das Leben, ist die Tod!” を垂れる。第2節では玄宗皇帝(この家の主)の酒蔵を讃え、リュートの演奏を予告し、再び箴言を垂れると、それまで李白の口上を嘲るように頻出していたトリルは、御前での歌と演奏を静聴するかのように鎮まり、リュート弾き語りによる酒宴歌「悲しみの歌」が始まる。ここから、前2節では歌詞の“Lied” (第36, 37小節) の部分でだけ響いたトレモロが支配的となる〔譜例2〕。 
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  管弦楽版では(第2ヴァイオリンの)ppp~ppであるために目立たないトレモロの存在感が大きいのはピアノ版の特徴であり、動機としての重要性を示す。猿声動機の構成音A, Eを含むことから、宴席の世俗的な喧騒を表すトリルと対照的な、森(自然界、異界)の響きであろう。トレモロと猿や鳥の鳴き声を背景にリュートの演奏が始まり(第210小節から)、後半は歌とリュートが交互に現れる弾き語りの情景となる。老子の「天長地久」を引用した、人生無常と物欲の空しさを説く歌が進むと、俗物たちの嘲笑のようにトリルが散発し始め、ついに歌を遮ってトリルがffで爆笑するように現れる(第325小節)。予告どおり、歌によって哄笑が引き起こされたのだ。だが間髪を入れず李白は猿の出現を告げる(第328小節)。森の樹上で鳴いていたはずの猿の一匹がいつの間にか墓場に現れ、月光を浴びて叫ぶ禍々しい姿。人間の死の運命を象徴する凶兆の出現に、人々は恐れおののき、これ以後トリルの笑い声は一切沈黙する。わが意を得た李白は猿声の4度下行(第353小節)と笑い声の半音下行(第358-359小節 = 第3-4小節)を歌う。今度は李白が人々を嘲笑する番なのだ〔譜例3〕。
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  地獄落ちの9度下行で人々が倒れ伏すと猿の姿が消えたのか音楽は静まる。一曲歌った李白は約束どおり乾杯を促す。人はその運命の杯を飲み干さなければならないのだから。3度目のリフレインはピアノ版ではまさかの長調で明るく歌われ、最後の“Tod!” で突如暗転し短調の和音を響かせる。続くコーダは、「急速に幕」のト書きがふさわしいような終結和音で閉じられる。
 第1曲にこのような物語を想定すると、『大地の歌』全曲からも物語展開が浮かび上がってくる。李白の宮廷における俗物たちとの対決を発端として、失意、過去の美化された回想、現実逃避、そして長安からの追放までを辿っていると考えられるのだ。

2.「秋の孤独な女」Die Einsame im Herbst 原詩:張籍または銭起
c0050810_16403969.gif  原詩は銭起「效古秋夜長」説(浜尾房子他)と張籍「呉宮怨」説(横山武『グスタフ・マーラー「大地の歌」とその原詩』滋賀大国文会)があるが、前半は銭起、後半は張籍に似ている。寵愛を失った宮女の嘆きの歌であり、枯れた蓮は加齢による容色の衰えがその原因であることを示唆し、第4曲の伏線となる。作曲当時の清朝中国ではこうした詩を君臣関係の比喩とする解釈が優勢だったが、『大地の歌』作曲のきっかけを作ったマーラーの友人で、三十年以上中国に暮らした中国学者フリードリヒ・ヒルトFriedrich Hirth (1845-1927米コロンビア大学中国学主任教授)はそれを知っていた可能性が高い。マーラーが管弦楽版で題を男性化したのは、第1曲の宴席での振る舞いを讒言され、皇帝の寵愛を失った詩人の嘆きを比喩的に描いたことを明確にするためと見ることも出来る。題名と内容から第5曲と対になると考えられる。

3.「磁器のあずまや」Der Pavillon aus Porzellan 原詩不明
  李白「宴陶家亭子」の人名「陶」を陶器と誤訳したというまことしやかな説があるが、仏訳したゴーティエには中国人の助言者丁敦齢がいたことから発想自体に無理がある。詩の内容も題名以外は似ても似つかず、とても原詩とは言えない。おそらくはゴーティエの訳詩集にいくつか存在する創作詩のひとつだろう。当時西欧で中国磁器は黄金並みの貴重品であったことから、磁器の建築物とは、翡翠の橋と同様のユートピア的景物と考えられる。管弦楽版では「青春について」への改題により第4曲と対になることが明確化された。

4.「岸辺にて」Am Ufer 原詩:李白
c0050810_16423129.gif  蓮根を採る労働歌である原詩を西洋人が乙女の花摘みの情景に変えたという珍説があるが事実誤認だ。李白の「採蓮曲」は、乙女が蓮の花を摘む情景を理想美として描き、そのはかなさを嘆く詩である。李白研究の第一人者として知られる市川桃子氏は、マーラーの作曲と管弦楽版の「美について」の題を、「採蓮曲」の真髄を理解したものとして高く評価している(市川桃子『中國古典詩に置ける植物描寫の研究 : 蓮の文化史』 汲古書院 )。


5.「春に酔える男」Der Trinker im Frühling 原詩:李白
  躁と鬱の極端な対比となるが、第2曲と対になる宮廷での失意の歌である。ベトゲが付加した最終節は説明的だが真意を突いている。原詩「春日醉起言志」は李白が宮廷を追放される直前、酒浸りになっていた頃に作られた諧謔詩であり、マーラーがそこまで知る由もないはずだが、驚くべき的確な選択だ。冒頭は荘子の「胡蝶の夢」の引用である。

6.「告別」Der Abschied  原詩:孟浩然/王維
c0050810_1644239.gif  自然派詩人の両雄として「王孟」と呼ばれた王維と孟浩然は堅い友情に結ばれていたが、仕官の夢破れた孟は王に見送られて山に隠棲した。ベトゲはサン=ドニの注釈で両者の友人関係を知り、2人の詩を見開きの両ページに並べた。

  「孟浩然は、次の詩の作者である王維の親友だった。孟浩然が待ち望む友人とは王維のことである。それに対して王維は孟浩然に「友との告別」の詩を書いたのだった。」(ハンス・ベトゲ『中国の笛』巻末注より)

  実際には孟浩然の「宿業師山房待丁公不至」はその題にあるように丁公を待つ詩で、王維の「送別」も送る相手を明記しない特異な送別詩であって孟浩然へのものではないが、大詩人2人の友情にちなんだ粋な演出ではある。
  マーラーはこの2編の詩を用いて2人の友情と別れを描くと共に、後半に第三者視点を導入して自らの心情を託し、第1曲の劇中歌から2度下行の「永遠ewig」を再現して全曲を閉じた。王維の「送別」は内容から見て架空の送別詩で、実体は自らを送る詩という説が有力であり、まさにその通りの解釈を施したマーラーの、眼光紙背に徹する読みの深さに驚かされる。

c0050810_1648146.jpg  『大地の歌』は、無常感を歌う唐詩のアンソロジーによる連作歌曲集であり、全6楽章の交響曲であるとともに、李白の宮廷追放劇による物語展開を持つ作品と言える。俗物たちの讒言(ざんげん)を受け、皇帝の寵愛を失って宮廷を追われ、失意のうちに去ってゆく優れた芸術家の物語はもちろん、李白の伝記的エピソードを表現しようとしたのではなく、マーラー自身の宮廷歌劇場総監督辞任と、新天地アメリカへの渡航を象徴した隠喩であろう。マーラーの当時の心境には諸説があるが、この隠しストーリーからは、内心相当に悔しい思いがあり、それを作品に昇華したと見ることも出来る。そしてそこから読み取れるマーラーの原詩に対する理解度は、通説よりもはるかに深いのである。(甲斐貴也 2015.12)
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by ooi_piano | 2015-12-06 11:33 | コンサート情報 | Comments(0)