4/17(日) メシアン「20のまなざし」朗読付きオリジナル原案版

c0050810_10672.jpgMessiaen en peine 煉獄のメシアン (全3回公演)

渋谷・公演通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5、東京山手教会B1F) 全自由席3000円
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp http://k-classics.net/


【第一回公演】 2016年4月17日(日) 午後6時開演(午後5時半開場) 全自由席 3,000円
 山村雅治(朗読)+大井浩明(ピアノ)

●O.メシアン(1908-1992):《幼な子イエスに注ぐ20のまなざし》(全20曲、1944)
――ドン・コルンバ・マルミオン、モーリス・トエスカのテクスト朗読を伴うオリジナル原案版/東京初演
 I.父のまなざし
 II.星のまなざし
 III.交換  
 IV.聖処女のまなざし
 V.子にそそぐ子のまなざし
 VI.その方によって万物はつくられた
 VII.十字架のまなざし
 VIII.いと高きところのまなざし
 IX.時のまなざし
 X.喜びの聖霊のまなざし

(休憩 15分)

 XI.聖処女の初聖体拝領
 XII.全能のことば
 XIII.降誕祭
 XIV.天使たちのまなざし
 XV.幼な子イエスの口づけ
 XVI.預言者、羊飼いと東方三博士のまなざし
 XVII.沈黙のまなざし
 XVIII.恐るべき塗油のまなざし
 XIX.眠っていてもわたしの心は目覚めています
 XX.愛の教会のまなざし


c0050810_112650.jpg  オリヴィエ・メシアン Olivier Messiaen (1908-1992) をめぐる考察は20世紀音楽研究の重要な一角をなす。メシアン研究を取りまく状況が重大な転機を迎え、新たな角度からのまなざしがそそがれるようになったのは、メシアンとその妻であるピアニスト、イヴォンヌ・ロリオ Yvonne Loriod (1924-2010) が没して以降である。作曲家がみずからの作品および思想の普及に介入することはめずらしくないが、自作の受容に関してメシアンが行った配慮の仕方は異常なほど緻密である。そのことは、自作の演奏会に際してみずからプログラム・ノートを執筆したこと、ほぼ半世紀を費やして自身の音楽世界を言語化しようとしたことに現れている。しかし、メシアンの影響力を当の作曲家以上に利用したのは、そのピアノ曲の書法の形成に大きく寄与し、いわば「弟子のなかの弟子」としてメシアンの教えの正統性を伝え続けたロリオである。ロリオ亡き後のメシアン研究は、メシアン=ロリオが封じてきた事実のいくつかを明るみに出している。
c0050810_124517.jpg  メシアン=ロリオと研究者との交流が実を結ぶこともなかったわけではない。ロリオがまだ存命であった2005年、シェフィールド大学のピーター・ヒル Peter Hill とナイジェル・シメオン Nigel Simeone は、それまで未公開だった数々の情報を盛りこんだ浩瀚なメシアン伝を刊行した。これは近年のメシアン研究がもたらした最も大きな成果であり、彼らはメシアンの手帳にアクセスするという特権を得て、ほぼ日単位でメシアンの活動の詳細を公表することに成功した。ロリオ存命中に開始されたこの「脱神話化」は、彼女の死没を機に本格化する。メシアン関連のアーカイヴがフランス国立図書館に移管されたことをきっかけに、メシアンと交流をもたなかった若い世代の音楽学者が、「偉大なるメシアン」という伝説(その構築が他ならぬメシアン=ロリオによって行われたことを忘れてはならない)ないし「メシアン教会 l’église Messiaen」の形成過程を暴く試みに着手している。この流れと同時に進行しているのは、シメオンらイギリスの研究者とミリアム・シメーヌ Myriam Chimènes らフランスの研究者を中心とする、ナチス占領下のパリにおける音楽活動の研究である。イヴ・バルメール Yves Balmer とクリストファー・ブレント・マレー Christopher Brent Murray は、メシアンが存命中語ることを避けていた、対独協力的な色彩をもつ活動へのメシアンの関わりを明らかにした。

c0050810_135667.jpg  本公演は、近年のメシアン研究によって明らかとなった事実――《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし Vingt regards sur l’Enfant-Jésus》(1944年作曲、1945年初演。以下《まなざし》)はもともと演奏会用作品ではなく、朗読を伴うクリスマス用のラジオ劇として構想された――にもとづいて、その幻に終わったプロジェクトを再現する日本初の試みである。本公演では、《まなざし》に合わせて朗読される予定だったトエスカのテクスト『降誕 La Nativité』と、メシアンが《まなざし》の創作で依拠したマルミオン『神秘のなかのキリスト Le Christ dans ses mystères』を中心に、『聖書』、『聖フランチェスコの小さき花 Fioretti』、十字架のヨハネの詩、メシアン『リズム、色彩、鳥類学総説』の一節が朗読される。トエスカとマルミオン以外のテクストに関しては、スコアに記された各「まなざし」のエピグラフを手がかりに、それぞれに関係する一節を複数の文献から抽出した。プーランク《子象ババールの物語》を引き合いに出すまでもなく、朗読+ピアノという上演形態はフランスでとりわけ一般的である。

c0050810_145066.jpg  本作品がラジオ用の委嘱作品であったことを明らかにしたのは、《まなざし》の創作に際してメシアンにテクストを提供したトエスカ本人であるが、委嘱主たるアンリ・バロー Henry Barraud (1900-1997) もまた、1986年に行われたインタヴューで、フランス国営放送音楽監督在任時に委嘱した音楽作品として《まなざし》を挙げている。1943年のナチス占領下のパリでは、翌年8月のパリ解放とともにフランス国営放送となるラジオ局、すなわちピエール・シェフェール Pierre Schaeffer (1910-1995) の実験スタジオで、音楽・演劇・詩といった複数のジャンルを横断する芸術番組が創作されていた。この種の萌芽的な試みはのちにミュジック・コンクレートとして結実することになるが、シェフェールの同僚バローはこのような関心にもとづいてメシアンにクリスマス用の音楽劇を委嘱した。台本を依頼されたのは、当時パリ県警に勤めていた文学者モーリス・トエスカ Maurice Toesca (1904-1998) である。メシアンとトエスカは1944年2月初めころ打ち合わせを行っており、手紙のやりとりとメシアンの手帳から推測すれば、両者は《まなざし》完成の前後に少なくとも3回会っている。2人はその後3月ころから別々のペースで各自の創作を進め、トエスカは7月後半、ベルナール=ドラピエール邸で開かれた演奏会でメシアンに原稿を渡した。メシアンは8月末に作曲を終え、9月9日にトエスカに電話で完成の旨を伝えているが、そのとき完成された楽章の数は、当初トエスカと合意していた12のちょうど倍の24であった。当初は短縮したヴァージョンを放送することも検討されたようだが、件のラジオ劇は結局実現することなく終わった。初演はベルナール=ドラピエール邸で9月11日(トエスカの日記によれば12日)、トエスカらを前に行われた。抜粋初演が行われたのは、ラ・ブリュイエール座で開かれた連合軍のための演奏会だった。ここではロリオがドビュッシーの前奏曲から2曲、《夜のガスパール》、メシアンの《前奏曲》第3、第5、第8曲、《ロンドー》、そしてメシアン自身が〈幼な子イエスの口づけ〉を演奏している。1944年11月17日には、パリ国立高等音楽院のホールで被献呈者ロリオが〈喜びの聖霊のまなざし〉と〈幼な子イエスの口づけ〉を演奏した。公開全曲初演は1945年3月26日、ロリオによってサル・ガヴォーで行われている。約1か月後の4月29日には、ロリオの代母ネリー・シヴァド Nelly Sivade の家で2度目の全曲演奏が行われ、イベール、オーリック、プーランク、ソーゲ、A. チェレプニン、デゾルミエールらが出席した。トエスカはその後、このとき書いたテクストを再利用し、ミシェル・シリー Michel Ciry (1919-) の挿画を添えて絵本『降誕』を作っている。この未完に終わった計画のささやかな副産物である『降誕』は、しかしながら1952年に限定150部で出版されたまま、《まなざし》ほどの知名度を得ることなく、古書蒐集家のコレクションの一部となる運命をたどった。

c0050810_154262.jpg  本公演で朗読されるもうひとつの重要なテクスト、ドン・コルンバ・マルミオン Dom Columba Marmion (1858-1923) の『神秘のなかのキリスト』は、サント・トリニテ教会のオルガニストに着任したばかりのメシアンが司祭から読むことを勧められた本である。それ以降、『神秘のなかのキリスト』はメシアンの愛読書のひとつとなった。メシアンはつねにみずからを信仰者と規定し、「私は生まれつき信仰をもっています」と語っていたが、実際に彼が聖書を初めてひもといたのは20歳前後のころであり、教会オルガニストになった当初、メシアンのカトリックについての知識は十分ではなかったと推測される。「おとぎ話の超現実から信仰の超自然へと、私は気づかぬままに導かれていったのです」と語っているとおり、メシアンはシェイクスピア劇や寓話を愛でることを通してカトリックに接近した。さらにメシアンは、「私にとって最も重要だった人物は母です!」と告白しており、マリアの母性を描く降誕の物語に興味を示したことは想像にかたくない。《まなざし》の第4曲〈聖処女の最初の聖体拝領〉は母性へのオマージュであるとメシアンみずから述べている。メシアンはこのほか、具体的なインスピレーションの源として、ジョルジョ・デ・キリコの絵に描かれた卵形の顔の人物(〈時のまなざし〉)、ミケランジェロ《最後の審判》(〈天使のまなざし〉)、マリア、イエス、リジューのテレーズが描かれた版画(〈幼な子イエスの口づけ〉)、アンジェ城に展示されているタペストリー(〈恐るべき塗油のまなざし〉)を挙げている。メシアンによれば、音楽面では〈星のまなざし〉の主題が公現祭第2晩課で歌われる「曙の胎から Ante luciferum genitus」に、〈全能のことば〉の主題は韓国の「慢大葉」に由来する。また、〈恐るべき塗油のまなざし〉には、音価の縮小と拡大が2つのパートで平行する箇所があるが、メシアンによればこれはバリの音楽の特徴である。 なお、《まなざし》の作曲に着手する2週間ほど前、メシアンはベルナール=ドラピエール邸でバリの音楽のレコードを聴いている。

c0050810_163147.jpg  《まなざし》を構成する20の楽章は、「~のまなざし」というタイトルをもつ楽章とそうでない楽章に分けられる。当初メシアンは「まなざし」を含まない楽章を最後にまとめるつもりだったが、最終的にはこれらの楽章が全体に散りばめられる形となった。配置は主題の配分、数の象徴にもとづいて決められており、第1曲〈父のまなざし〉で提示される「神の主題」は、第5曲、第10曲、第15曲、第20曲に登場し、第10曲を境に全体は前半と後半に分けられる。ヒルによれば、《まなざし》は5曲を単位とする4つのグループからなり、第12曲から第14曲、第16曲から第18曲を3曲ずつのまとまりとみなすことが可能である。この他の主題としては「星と十字架の主題」(星はキリストの降誕、十字架はその死を象徴する)が第2曲〈星のまなざし〉と第7曲〈十字架のまなざし〉に用いられ、のちに《トゥランガリラ交響曲》(1946-1948) で登場する「愛の主題」も第6曲と第19曲に現れる。作曲技法の点で新たに導入された要素としては、「リズム人物 personnages rythmiques」を音高に応用した「非対称的拡大 agrandissement asymétrique」があり、「リズム・カノン canon rythmique」も第5曲、第6曲、第9曲、第14曲、第17曲で登場する。「移調の限られた旋法 modes à transposition limitée」、「付加音価 valeur ajoutée」など『わが音楽語法』で紹介された技法もふんだんに盛り込まれている。

c0050810_17734.jpg  メシアンの創作史において、《まなざし》は《アーメンの幻影》(1944)、《神の臨在の3つの小典礼曲》(1943-1944) とともに、ロリオとの出会いをきっかけにして生まれたトリロジーを形成する。これらはいずれもカトリックにおける愛と信仰をテーマとするが、その後メシアンは「トリスタン三部作」(《ハラウィ》、《トゥランガリラ交響曲》、《5つのルシャン》、1945-1949)で人間同士の愛と死を扱ったあと、《4つのリズム・エテュード》(1949-1950) に代表される実験期、そして鳥の時代へと移っていく。(平野貴俊/音楽学)
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by ooi_piano | 2016-04-10 22:34 | コンサート情報 | Comments(0)