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6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_1964552.jpg

(《ハラウィ》の一節が刻まれたメシアンの墓碑銘)


渋谷・公演通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5、東京山手教会B1F) 全自由席3000円
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp http://goo.gl/FaEVmk


〈Messiaen en peine 煉獄のメシアン〉第三回公演
2016年6月26日(日) 午後6時開演(午後5時半開場)

伊藤晴(ソプラノ)+大井浩明(ピアノ)

O.メシアン:《前奏曲集》(全8曲、1929) 約34分
 I.鳩 II.悲しい風景のなかの恍惚の歌 III.軽快な数 IV.過ぎ去った時 V.夢のなかのかすかな音 VI.苦悩の鐘と告別の涙 VII.静かな嘆き VIII.風のなかの反映

O.メシアン:《天と地の歌》(全6曲、1938) 約28分
 I.ミとの時間(私の妻のために) - II.沈黙の先唱句(守護天使の日のために) - III.人形ピリュールの踊り(私の幼いパスカルのために) - IV.穢れなき虹(私の幼いパスカルのために) - V.真夜中の裏表(死のために) - VI.復活(復活祭の日のために)

  (休憩15分)

O.メシアン:《ハラウィ - 愛と死の歌》(全12曲、1945) 約57分
 I.お前、眠っていた街よ II.こんにちは、お前、緑の鳩よ III.山々 IV.ドゥンドゥ・チル V.ピルーチャの愛 VI.惑星の反復 VII.さようなら VIII.音節 IX.階段は繰り返し言う、太陽の身振り X.愛の星鳥 XI.星のカチカチ XII.闇のなかに


伊藤晴 (ソプラノ) Hare ITO, soprano
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_199358.jpg  武蔵野音楽大学大学院修了。(公財)日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第25期修了。第9回藤沢オペラコンクール第2位、第82回日本音楽コンクール入選。パリ地方国立音楽院(CRR)コンサーティスト・ディプロマ課程修了。日本オペラ連盟文化庁新人育成公演《修道女アンジェリカ》アンジェリカ、 武蔵野音楽大学本公演《コジ・ファン・トゥッテ》フィオルディリージ、 文化庁次代を担う子供の文化芸術体験事業《魔笛》パミーナ、山形交響楽団《ヘンゼルとグレーテル》グレーテル、藤原歌劇団創立80周年記念公演《ラ・ボエーム》ムゼッタ、小澤征爾音楽塾IIIV子どものためのオペラ《子供と魔法》安楽椅子&こうもり、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ《フィガロの結婚》スザンナ、コンヴィチュニー・演出アカデミーinびわ湖《ラ・ボエーム》ムゼッタ等の他、現代オペラでは丹波明《白峯》待賢門院、石黒晶《みすゞ》タイトルロール、水野修孝《天守物語》亀姫等に出演。昨年(2015年)はセイジ・オザワ松本フェスティバル子どものための音楽会《第九》ソリストに抜擢され、ロームシアター京都竣工式において同ソリストを小澤征爾指揮の下務める。藤原歌劇団団員。公式サイト http://www.hareito.com/





メシアンの三人のミューズ ~ソヴァージュ/デルボス/ロリオ ──甲斐貴也


「聖母」セシル・ソヴァージュ

  6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_9561587.jpg私はあなたの周りにいる
  乳色の実を覆う緑のアーモンドのように
  絹のような幼い種を包む
  綿毛のある柔らかい鞘のように
    (セシル・ソヴァージュ「私の子、蒼い胎児…」より)



6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_9571858.gif  メシアンは1908年12月10日、シェイクスピア作品の仏訳で知られる英語教師の父ピエール・メシアンと、詩人の母セシル・ソヴァージュの間に生まれた。セシルが懐妊中から出産後にかけて書いた全20篇の詩集『芽ばえる魂』には、胎児と肉体的につながっている一体感の幸福と、出産による別れの悲しみ、荒んだ外界に送り出すことへの罪の意識、生を受けた者にやがて必ず訪れる死の予感など、様々な母の思いが詠われている。その中で胎児が男子であると直感し、音楽、自然、東洋、鳥といった後のメシアンが関心を向けるものが詩句のなかに見られることを、メシアンは予言的と受け取り、自らを音楽家の道に導いたのは母セシルであると考えていた。「母は私にとって聖なるものである。それは聖マリアへの敬愛に似ている。」
  はたして幼少から音楽の才を現したメシアンは11歳でパリ音楽院に入学する。だがあまりに繊細な心を蝕まれたのか次第に鬱状態が募っていった最愛の母は、メシアン19歳の1927年8月26日に突然病没してしまう。その悲しみの大きさは想像するに余りあるが、メシアンは母の愛に報いるために発奮し、音楽院で多数の一等を受賞し、聖トリニテ教会の主任オルガニストに就任するなど、一人前の音楽家としての道を歩み始める。「私にとって母の死は、私のキャリアの一つの出発点ともなった」と語るメシアンは、どのようにしてそれを乗り越えたのだろうか。両親は信仰者でなかったにもかかわらず、「生まれながらの信仰者」を自任していたメシアンが、実際に聖書を読んだのは20歳前後であることが近年知られるようになったが、それが母の死の時期に重なることは注目されるだろう。亡き母の霊魂の不滅を信じることで深い喪失感から立ち直ることができたのならば、メシアンの最大のテーマである信仰も、母セシルが自らの命と引き換えに与えたと言えるかもしれない。


前奏曲集 Préludes (1929)

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_9581232.jpg  母の死の2年後、パリ音楽院在学末期の1929年に作曲されたピアノ曲『前奏曲集』は、メシアンの実質的な処女作品と言える。各曲につけられた詩的なタイトルはもちろん、印象派風の色彩には、ドビュッシーの影響を作曲家自身も認めているが、ドビュッシーが目立って使っておらず、その後メシアン自身が「移調の限られた旋法第2番」と名付けた8音音階を効果的に用い、独自性を主張している。
 メシアンはこの曲の色彩が、教会のステンドグラスの青を基調とするとし、「私はこれらの曲を青い和音の刺しゅう、青い和音のペダル音、青い和音の房や軽快な滝のような心づもりで扱った」、と語った。1930年初演のピアニスト、アンリエット・ピュイグ=ロジェは、メシアンに「白やバラ色のドレスは着ないで欲しい。明るいブルーか青緑色のドレスにして欲しい。それは水の色、葉の色、空の色のイメージだから。」と言われたと証言している。
  ところが、後年にメシアン自身が執筆した同曲のレコード解説には、作品全体を支配する色を紫色、オレンジ色、緋色とし、各曲個別の色彩を列挙している。メシアンは前奏曲集作曲後の1931年、スイスの画家ブラン・ガッティの影響により、「音と色との間に存在する調性とニュアンスとの交感を設定し」ていたが、その時もこの関係にさほどの重要性を認めておらず、1941年の「寒さと飢えに苦しんだ捕虜生活中に「視覚連想」(色彩と聴音との内的同時性)を獲得したとされるので、この色彩設定は後付けということになる。
  「当時私は20歳だった。私はまだ、私の人生を変えてしまうことになるリズムの研究には手をつけていなかった。私は鳥を熱愛していたが、まだ鳥の歌声をどのように記譜したらよいのかわからなかった。けれども私はすでに音 ― 色彩の音楽家だった。(中略)『前奏曲』の標題の裏には色彩の研究が秘められている。」

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_9592716.jpg1. 鳩 / "La colombe"
(すみれ色の木目模様のついたオレンジ色)
2. 悲しい風景のなかの恍惚の歌 / "Chant d'extase dans un paysage triste"
 (冒頭と末尾はねずみ色、薄紫色、プロシャ・ブルー。中間部はダイアモンドのようにきらめき、銀色。)
3. 軽快な数 / "Le nombre léger"
 (紫色の木目模様のついたオレンジ色。)
4. 過ぎ去った時 / "Instants défunts"
 (ビロードの光沢をもったねずみ色。薄紫と緑色の反射光。)
5. 夢のなかのかすかな音 / "Les sons impalpables du rêve"
 (和音を連続させるブルー・オレンジの旋法が、紫、緋色の旋法と重なり合う。)
6. 苦悩の鐘と告別の涙 / "Cloches d'angoissse et larmes d'adeu"
 (鐘の部分では多数の旋法が混じり合い、 いくつもの鐘の「ウーン」という結合音とすべての上方倍音がきらめく振動と化す。別れは緋色、オレンジ色、紫色である。)
7. 静かな嘆き / "Plainte calme"
 (ビロードの光沢をもったねずみ色。薄紫色と緑色の反射光。)
8. 風のなかの反映 / "Un reflet dans le vent"
 (緑色の木目模様のついたオレンジ色といくつかの黒い斑紋とが交互に現れる。第2主題は最初の提示でブルー・オレンジ、2回目の提示ではグリーン・オレンジの色を帯びる。


「ミ」の女 ~クレール・デルボスとの神聖な結婚生活

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_103511.jpg  母セシルの没後ほどなく、父ピエールは、母を失ったメシアン家の面倒を何くれなく見てくれていた元学友のマルグリットと再婚し、1930年にはその子、シャルル=マリーが新たな弟として生まれた。この父に対してどのような思いがあったのか、メシアンはほとんど語っていない。そして腹違いの弟の誕生とほぼ時を同じくして、メシアンの前に新たなるミューズが現れることになる。
  『前奏曲集』と1930年音楽院卒業作品の『3つの歌曲』(自作の詩2編と母セシルの詩1編による、失った母に寄せた内容)、管弦楽曲『忘れられた捧げもの』という初期の傑作をものして、作曲家としての道を歩み始めたメシアンは、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに師事した作曲家でヴァイオリニストのクレール・デルボスと出会う。彼女のヴァイオリン演奏に魅せられ、意気投合したメシアンは、クレールのヴァイオリンと自身のピアノによる演奏活動を始め、クレール、ジョリヴェ、ミゴー、レジュールらと、フランスに限らない各国の現代音楽作品を紹介する室内楽演奏会を主催する音楽グループ「スピラール(螺旋)」を結成する。新作の初演と共に、重要な作品を繰り返し上演することを重視する趣旨がその名に込められているという。翌年にはジョリヴェらと、新作の管弦楽作品を上演するための作曲家グループ「若きフランス」も結成している。 
  1932年に二人は結婚し、メシアンはヴァイオリンとピアノのための『主題と変奏』を作曲し、結婚の贈り物として彼女に献呈した。
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_103581.jpg  休日に二人でオーベルニュ地方の小村ヌサルグ=モワサックにクレールの家族が所有する館で過ごした折の写真が残されているが、この「シャトー・ブノワ」という旧館でメシアンは管弦楽曲『昇天 L’Ascension』(1933)を作曲した。今も当時のまま残るこの館は眼前に小さなカトリック教会があり、往時の愛と信仰と音楽に満たされた結婚生活が偲ばれる。そして1935年の全9曲からなるオルガン曲の大作『主の降誕 La Nativité du Seigneur』は、インド、ギリシャなどの多様なリズム技法が用いられ、メシアン創作活動の第2期の始まりとされる。
  同年にクレールは、メシアンの亡き母セシルの『芽ばえる魂』からの5編に歌曲を作曲している。長男パスカルを身ごもった時には、再度『芽ばえる魂』から8編を選んだ歌曲集『芽ばえる魂』を作曲した。メシアンはクレールとの結婚生活と信仰を歌う自作詩9編による歌曲集『ミのための詩』(同じ曲数の『主の降誕』の第1曲と同じモチーフが、同じく第1曲に用いられている)を作曲してクレールに捧げ、この2つの歌曲集は1937年4月28日に「スピラール」主催の演奏会で、ドラマティック・ソプラノのマルセル・ビュンレとメシアンのピアノにより同時に初演され、両曲共に出版された。そして3か月後の7月14日、待望の第一子が誕生し、「過越(パスク)の祝日」にちなみパスカルと命名される。
  『ミのための詩 Poem pur Mi』の「ミ」とは、メシアンがクレールにつけた愛称で、ヴァイオリンの第1弦(E線)のことであり、艶やかな美音を奏でるものの隠喩であるという。夫妻は作曲にあたりお互いに意見を出し合ったと言うが、当時の二人は、ロベルトとクララのシューマン夫妻以来とも言える、幸福で優れた音楽夫妻であったと言えるだろう。
  『ミのための詩』初演におけるビュンレの歌唱に感銘を受けたメシアンは、翌年に完成したその管弦楽版の出版譜に「ドラマティック・ソプラノのための」と但し書きをつけた。ビュンレはバイロイトでイゾルデとクンドリーを歌い、ブリュンヒルデ、エレクトラも得意とした当時フランス随一のワーグナー歌手である。少年時代より『ニーベルングの指輪』四部作を熱愛し、『トリスタンとイゾルデ』『パルシファル』を愛好していたメシアンが、広大な声域と長いブレスを必要とする『ミのための詩』を書いたのは、当初よりワーグナー的歌唱を想定していたと考えられる。
6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_105763.jpg  メシアンの歌曲はメシアン自身によれば「しばしばその規模や性格からいって、劇場的場面の縮図のおもむきを呈することさえある」のであり、こうしたワーグナー風のオペラティックな性格と、ブリュンヒルデの「ワルキューレの騎行」でのそれを思わせるオノマトペの多用に加え、グレゴリオ聖歌のメリスマに影響を受けた母音唱法、詩篇の朗誦風のレシタティーフ、メシアンが独自性を自負ずる「移調の限られた旋法」の使用、第2期の特徴となるエキゾティックなリズムの導入など、他のフランス歌曲には類を見ない様式となっており、ここにも作曲家としての独自性を確保しようとする強い意思が感じられる。
  ワーグナー楽劇とグレゴリオ聖歌の混淆という、メシアン歌曲の一種異様な性格はまた、敬虔な信仰への過剰なまでの希求と、相反するようにも思われるエロティシズムが読み取れる、メシアン自作の歌詞に見事に適合している。男性の、夫が妻に対して歌う詩を女声に託すのもまたユニークであると言えるだろう。

 行け、聖霊が君を導くところへ!
 神が結んだものを誰も引き離せない
 行け、聖霊が君を導くところへ!
 妻は夫の延長
 行け、聖霊が君を導くところへ!
 教会がキリストの延長であるように
  (『ミのための詩』~「妻」)

 朝の冷気と結ばれる湾曲した風景
 ああ僕の首飾り! ああ僕の首飾り!
 君の両腕が僕の首に絡みつくこの朝
  (『ミのための詩』~「首飾り」)

 
  著書『わが音楽語法』(1944)でメシアンは歌曲を自らの最重要ジャンルと位置付けており、その時点で完成していたメシアンの作品中で、歌曲は実に3分の1を占めている。クレールとの結婚生活の間、メシアンは歌曲作家であった。そしてクレールの作品もまた、メシアンの母セシルの詩による歌曲の他は、メシアンの主要な楽器であるオルガン曲がほとんどであり、夫メシアンへの献身的な愛情が伺われる。その夫妻の幸福な生活の頂点となる作品が、妻と、わが子パスカルへの愛を歌った歌曲集『天と地の歌』(1938)である。


歌曲集『天と地の歌』 Chants de Terre et de Ciel

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_106855.jpg 1937年の内に『ミのための詩』の管弦楽版を完成したメシアンは、翌1938年、『ミのための詩』の続編とも言うべき、クレールとの結婚生活に加えてパスカルへの愛を歌う歌曲集『プリズム』(全6曲)を完成する。作風としては前作の延長線上にあるが、母音唱法の拡大とオノマトペ(擬音語)の導入がなされ、ピアノパートもより充実したものになっている。前作同様自作の歌詞には聖書の言葉が引用される。同年3月マルセル・ビュンレの歌唱と作曲者のピアノによって初演され、出版時に『天と地の歌』に改題された。

1. ミとの契り
  直訳すると「ミとの賃貸借契約」となるのが奇妙なためか、原題から離れた邦訳も見られるが、キリスト教における「結婚は神からの信頼を得て貸し出された状態、という理解による」。二人が神によって土から造られたことが繰り返される。

2. 沈黙の讃美歌
  グレゴリオ聖歌風の長大なメリスマによる讃歌が輝かしく歌われる。

3. 可愛いピリュールの踊り
  第3曲と第4曲はパスカルに捧げられている。この曲は遊んでいるパスカルが描かれ、赤子に呼びかけるオノマトペとしてメシアンが創作した「マロンランレンヌ」が多用される。

4. 無邪気な虹
  第4曲では眠るパスカルへの父の思いを描く。

5. 真夜中の表裏
  無垢な乳児に比した大人の罪深さに父親はおののく。エリュアール、ルヴェルディらの詩を模したシュールレアリズム風。

6. 復活
  キリストの復活を高らかに歌う。

6/26(日) メシアン《ハラウィ》+《天と地の歌》 (その1)_c0050810_1072860.jpg  非リート的にドラマティックな歌唱による全6曲の歌曲集であることと、題名の類似からマーラーの『大地の歌』を連想もさせるが、仮に関連があるとしたら、それはマーラーへのオマージュではなくアンチテーゼとしてであろう。信仰を失った「神の死んだ世界」に生きる現代人のペシミスティックな死生観を歌う『大地の歌』に比べて、メシアンの『天と地の歌』は、まるで中世の宗教原理主義の時代に逆戻りしたかのような、天国と復活を信じる楽天的な確信に満ちている。それが、メシアン作品の音楽的魅力は認めつつも、今日より多くの人に強い共感を持たせることを困難にしているのだろう。

  こうして幸福の頂点にあったメシアン夫妻だが、いたましくもその直後から大きな不幸が忍び寄ってくる。クレールが出産後に体調を崩し始め、ついには記憶障害など脳に変調を来して、正常な家庭生活が営めなくなってしまうのである。病の妻に代わって男手一つでパスカルを育てるメシアンに、さらに戦火の暗雲が迫る。1939年の第2次世界大戦勃発である。 (つづく
by ooi_piano | 2016-06-22 08:55 | コンサート情報 | Comments(0)

3/22(金) シューベルト:ソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演


by ooi_piano