11月23日(水・祝) アイヴズ全ピアノソナタ+藤井健介新作 (その2)

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コンコード散策の記───武田将明

  (・・・)昨日(2016年2月29日)はボストンから少し足を伸ばしてコンコードに行ってきた。ごく簡単に覚書を残しておく。

  ボストンからコンコードには鉄道で比較的簡単にアクセスできる。Harvard Squareから一駅のPorter SquareまでRed Lineに乗り、そこからFitchburg行きのcommuter railに乗り換れば、およそ30分でConcord駅に着く。commuter railの切符は片道8.5ドル。駅から町の中心部までは徒歩で10分〜15分くらい。最初に目に入るのはthe Concord Free Public Libraryという立派で趣きのある図書館(写真001)。そこから少し進んで左に入るとVisitor Centerがあるが、冬は閉まっている。ただし公衆トイレは利用できるので、サイクリストたちが休憩をしていた。町の中心部には景観を配慮した瀟洒な店舗や宿屋が並ぶ(写真002)。スターバックスやダンキンドーナッツまで、観光地仕様の色調になっていた。南北戦争の戦没者を追悼するモニュメントが大通りの中心にあり、ここが観光の基点となる。
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(※写真はクリックすると拡大表示されます。)

  今回の主要な目的はソロー関係の場所を訪ねることなので、まずはあのウォールデン湖(英語だとWalden Pondなのでウォールデン池とも訳せるが、やはり湖でないと気分が出ない)に向かう。途中、ソローの盟友(というか世話人?)のエマソンの旧家があり、いまは記念館となっているのだがやはり冬場はお休み(写真003)。ちなみに徒歩では遠いので行かなかったソローの生家跡もこの季節は中に入れない(もっともメールや電話で連絡すれば開けてくれるようだ)。それに対し、『若草物語』のオルコットの旧家は年中無休(写真004)。これは時間の関係で外から見学するに留めたが、周りには車が多く停まっていた。さすがの人気ぶり。
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  話を戻すとエマソンの家のあたりからウォールデン湖まではEmerson-Thoreau Ambleと名づけられた森の中の小道をたどって行くことができる。この道でなければ、交通量が多く、歩道もないような道路を歩かねばならないので、徒歩でウォールデン湖に向かう場合にはお勧めする。ただし、水辺は板や橋で整備しているとはいえ、途中にはぬかるんだ道もあるので濡れても大丈夫な靴で行くべき。このEmerson-Thoreau Amble、実際にこのふたりが通っていた道を再現したものらしく、気持ちのよい自然を満喫できる。きっと草木生い茂る夏場であれば、さらに愉快だろう。まあ、こんな季節にわざわざ徒歩で観光する人間はわたしくらいだったようで、ロマン派的寂寥感を味わうには最高の時期だったのかもしれない。特に往路では、時間が比較的早かったこともあり、1.6マイルほどをそぞろ歩くあいだほとんど人に会わなかった。

  (写真005-017)はAmbleの途中の写真。(写真5)Emerson Houseの裏手にある入口(空地の奥なので少し分かりにくい)。(写真009)途中、フェアリーランド池と呼ばれる場所があるが、これはウォールデン湖ではない。このあたりはソローがオルコット家の娘たちとベリー摘みを楽しんだ場所だという。(写真010)この近くに住んでいた解放奴隷の名にちなんで「ブリスターの湧き水」と呼ばれている場所。地下から水が湧いているらしいが、観察してもよく分からなかった。なお、この標識はとても小さくて分かりにくい。わたしは一度素通りしてしまった。(写真011)途中、「ソローの小路」なる別の散歩道の案内もあった。1マイルくらいの丘をのぼる道らしいが、ウォールデン湖まであと少しなので寄り道はしない。(写真012)途中、車道を渡ることもある。(写真013)しかしすぐにまた森に入る。車の音に包まれながら森林散策するのは不思議な感覚だ。(写真014)『ウォールデン』にも登場するソローの豆畑の跡。豆は一粒もなかった。(写真015)いよいよ湖が見えてきたが、いったん向きを変えてソローの小屋の跡地をみる。(写真016, 017)ソローが自給自足の生活を試みた小屋の跡。もっとも町から歩いて行ける場所なので、よくエマソンなどの友人と会ってはいたようだ。
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  (写真018-028)はウォールデン湖とその周辺。『ウォールデン』にも書いてある通り、湖面の色は場所によって緑や青に変化する。湖岸は細かい白砂か砂利に覆われている。砂浜のような場所もあり、夏には湖水浴を楽しむ人もいるようだ。小屋の跡地から湖をはさんだ対岸には鉄道の線路が敷かれている。脱文明の「聖地」には似つかわしくないが、実はソローがウォールデン湖に住む前年から同じ場所を鉄道が走っていた。そしてこの線路を通ってわたしもコンコードに来たことになる。湖岸を散歩していると、ときおり通過する電車によって静寂が破られた。ソローの小屋のレプリカは、湖から道路をわたった駐車場のとなりにあるので、徒歩で湖を訪ねる人はうっかりすると行きそびれるかもしれない。再現された小屋の近くにはvisitor centerがあるのだが、いまは改修中。近々"Thoreau"ly renewedされるというダジャレが湖岸の空気をさらに寒くしていたが、きっと夏にはにぎわうだろう。
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  空腹になったが、プレハブ小屋の売店にあった食べ物は3ドル50セントのチョコレートのみ。しかし徒歩圏内で売っている食べ物はこれしかなさそうだったので購入し、湖面を眺めながらハックルベリー風味のチョコという、なぜかマーク・トウェイン風?の貧しい食事をすます。

  帰路もEmerson-Thoreau Ambleを通る。Fairyland Pondで往路とは違う岸辺をたどったほかは、基本的に同じ行程。ただ、湧き水の名前の由来となった解放奴隷のブリスターが住んでいた家の跡を示す碑に立ち寄った。ウォールデン湖を出て車道をわたり、Ambleの道に入ってすぐ、左に折れる小路がある。そこを入ると間もなく、素朴な石の碑が立っていた。
  この時点で午後2時くらい。5時45分の電車で帰る予定なので、まだまだ観光できそうだ。

  Emerson-Thoreau Ambleを名前の通りのんびり歩き、またEmerson Houseの前に戻った。そこからLexington Roadを町外れの方に歩いて行くとLouisa May Alcott's Orchard House(写真101, 102)。季節外れでもここだけは車が何台も停まっているのですぐに分かる。ガイドつきツアーで中を見学できるが今回はパス。この季節に唯一開いている記念館をわざわざ外したのは、別に『若草物語』に含むところがあるわけではなく(まあ、特別好きとは言えないけれども──『ガラスの仮面』で北島マヤが演じた場面は脳裏に焼き付いているが──なんて言うとファンの方から顰蹙を買いそう)、他にいくつも回りたいところがあるからだ。
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  Orchard Houseの隣家を見学する人は当然のように誰もいないが、実はこのThe Waysideという建物も文学愛好者には見逃せない場所だ(写真103, 104)。Orchard Houseより前にオルコット家が住んでいただけでなく(そのころはHillsideと呼ばれていた)、オルコット家が一時期コンコードを去ると今度はThe Scarlet Letter(『緋文字』)の著者ナサニエル・ホーソーンも居住した家なのだ。ここは現在改修中。そもそも冬場は閉館だったはずだが。きっと観光シーズンまでには工事も終わるだろう。
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  ちなみにLexington Roadという名前からアメリカ独立戦争を連想した人は正しくて、まさにここコンコードとその近隣のレキシントンにおいて、アメリカ植民地軍とイギリス軍とが最初の戦火を交えている。1775年4月19日の出来事だった。
  それはさておき、Lexington Roadを引き返して三たび閉館中のEmerson Houseの横をすぎ(近所の人からは時代を超えたエマソンのストーカーと疑われたかも知れないが)、その道路の向かいにあるコンコード美術館に立ち寄った。大人は10ドル。小さいながらも煉瓦作りの建物も美しく(いい写真がなくて残念)、館内の説明も丁寧で、時間があればぜひ訪問すべき場所である。私の目当てはエマソンとソローの書斎を実際の調度品を用いて復元した展示だが、それ以外にも18世紀と19世紀を中心にしたアメリカの市民生活に関する展示や、先述のレキシントン・コンコードの戦いでイギリス軍の接近を警告するのに使われた伝説のランプなど、興味深いものを見ることができる。それから、この美術館の外にもソローの小屋のレプリカが作られていた(写真105)。ウォールデン湖のものと変わらないが、こっちの方が少し年代を感じさせた。
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  さて、目当てのエマソンとソローの書斎だが、自分としてはこれを見るだけで10ドルの価値は十分すぎるほどにあったと思う。エマソンの書斎は家族や友人との交流を感じさせ、彼の著作がまさに活発な議論から吹き出すようにあふれたものだと想像させる(写真106)。彼はいつも揺り椅子に座りながら膝の上で原稿を書き、子どもたちが周りで遊んでいても気にしなかったという。これに対してソローの「書斎」として展示してあるのは緑色の小さな机と椅子だけ(写真107)。さすがにある程度本は持っていただろうが、例のウォールデン湖の小屋にもこの机と椅子を運んで執筆していたらしい。また、家には鍵をかけないのに、この机の鍵だけはかならず閉め、他人に書き物を見られないように注意していたようだ(鍵穴の周りの塗装が剥げているのがその証拠ということだ)。この二人が無二の友人だったというのだから、ワーズワースとコールリッジの組み合わせにも匹敵する、最高の二人組ではなかろうか。そしてアメリカ文化の素人として無責任に言わせてもらうならば、このふたつの書斎の対比のうちに、アメリカ文化の美質が凝縮されているように思える。家庭と社交を重視し、親密な対話のなかから新しいものを創造する気持ちのよい自由と、余計なものを省き、独力で生の本質を摑もうとする厳しくも激しい探究心(これが本を積み上げた「書斎」で思索に耽溺するものとは異なり、外界との風通しが意外によい──家に鍵をかけない──のも重要だろう。ソローの偏屈さにはスティーヴ・ジョブズを思わせるところがある)。明らかに矛盾するようだが、これが両立できたことによって、アメリカという「交通」と「自然」(ただしこれは文明と未開の対比とは似て非なるものだ。ソローの著作には、ネイティブ・アメリカンや解放奴隷に対する共感が率直に示されている)を空前の規模で抱え持つ人工国家はひとつの新しい文明を築くことができたのだ。

  といったあやしげな文明論を妄想しながら美術館を後にして、エマソン、ソロー、ホーソーン(ちなみに彼は立ったまま執筆していたらしい)、オルコットの眠るスリーピー・ホロウ墓地へと向かう。時刻は午後4時。帰りの電車が気になりはじめるが、いったん町の中心に向かってLexington Roadをさらに引き返し、別の通りに入ると間もなく「スリーピー・ホロウ墓地」と書かれた看板が目に入った(写真108)。実は墓地に到着する前、iPadで地図を見ながら歩いている私を見た地元の人が「Authors' Ridgeは墓地の奥だよ」と声をかけてくれていたので、「奥」を目指して進む。ところがこの墓地、あまりに広すぎてどこが本当の「奥」なのかよく分からない。間違えてまだまだ手前のところで丘を上がったりしながら、ようやくAuthors' Ridgeの標識を発見した(写真109)。「作家の丘」とでも訳せるこの言葉から分かるように、上記の文筆家たちの墓はすべて小高い丘にある。
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  丘を上がってすぐ目に入るのが、向かい合ったソローとホーソーンの墓。ソローの墓は、比較的大きな家族の墓標のまわりに、それこそiPadくらいの大きさしかない個人の墓標が並んでいる(写真110, 111)。それも"Father"と"Mother"という個人名のないものまで。ホーソーンの墓も家族と一緒だが、(私の確認不足でなければ)Nathanielと明記された墓標はなかった(写真112)。また、(これもいつできたのかは知らないが)なぜかホーソーン家の墓には鎖がめぐらされていて、足を踏み入れるのがためらわれた(写真113)。謎めいた『緋文字』の作者らしい墓地と言えばそうなのだが。ソロー家の墓からひとつふたつ隔てたとなりにオルコット家の墓がある。こちらも大きな墓標のまわりに個人の墓標が並び、あのルイーザ・M・オルコットの墓標はこれもなぜか二種類あり、いずれも大作家らしからぬ慎ましさだった(写真114-116)。一輪の花の周りに何本もの鉛筆が供えられているのが微笑ましい。エマソン家の墓はすこし先、Ridgeのなかでも一等地にあり、ここはいまでも子孫の墓標が増え続けている様子で、墓場でさえも賑やかな印象を受けた(写真117, 118)。エマソン個人の墓はひときわ大きく、また特別な石を使ったもので、実は裏手に回らないと墓標と分からなかった(写真119)。
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  迷ったこともあり、時刻は午後4時45分。帰りの電車までちょうど1時間。これまでチョコレートだけでさんざん歩き回ったことを思うとそろそろ駅前にもどってコーヒーでも(あるいはビールでも)飲みながら電車を待つのが賢明かと思ったが、コンコードといえば見なければならないものがもうひとつあるので、早足でそこに向かう。また一度町の方面に戻り、そこからMonument Streetを北上すると、15分くらいで(かなり急いだので、普通の徒歩だと20分くらいか)The Old Manseという建物に到着する(写真120)。ここはエマソンの祖父の代からエマソン家が住んでいた場所で、後にはホーソーンも住むことになる(先述のThe Waysideよりも前である)。当然のごとくここも休館なのだが、入口には"Closed"という看板の下に"Welcome!"と書かれた黒板があった(写真121)。これはニューイングランド風のアイロニーだろうか。どこかホーソーンっぽい感じがする。さて、このOld Manse、とてもよさそうな建物だったので、観光シーズンにコンコードを訪ねる人は、少し足を伸ばしてぜひ見学すべきだろう(写真122)。近くには川が流れており、ボートを出すための小屋もいい感じで保存されている(写真123)。ちょうど夕暮れを迎え、うらぶれたボート小屋の向こうから差す夕陽が川べりを彩りはじめた(写真124)。
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  このボート小屋のとなりにある桟橋からはOld North Bridgeが見える(写真125, 126; 写真127は逆にOld North Bridgeからボート小屋を見たもの)。この橋こそ、件のレキシントン・コンコードの戦いで植民地軍がイギリス軍に発砲し、撤退に追い込んだ場所である(写真128-131)。ここで放たれた数発の銃声が、結果的には世界史を変えたことになる。エマソンの祖父と父は、Old Manseからその戦闘を目撃したという。だから、先ほどエマソンとソローの書斎を見て、アメリカ文明の縮図のようだと妄想したが、それは歴史的に見てまったく無根拠な話でもないらしい。ここコンコードはTranscendentalismの文化的中心となる前に、アメリカ独立の発端ともなっていたし、このふたつはOld ManseとNorth Bridgeという形で物理的に隣接さえしていたのである。エマソンを賢者と呼び、ソローを隠者と呼ぶのは必ずしも間違いではないが、その呼称によって彼らの活動の背景に広がっていた歴史のうねりが見えなくなってはいけないだろう。
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  これでざっくりとしたコンコードの報告を終える。どうにか早足で駅に戻り、ほとんど待たずに帰宅の電車に乗った。どうしてもビールが飲みたくなり、ケンブリッジ(もちろんイギリスではなくマサチューセッツ州の方)に戻ってから入ったパブの名前がなぜかPeople’s Republic(写真132)。オーナーが共産主義者というわけでもなさそうだが(ちなみにカード不可)、これがジョークとして受け容れられるのは、ここがアメリカでも特にリベラルな町だからだろう(そういえばコンコードにはバーニー・サンダースを応援する看板がちらほら見られた──と書いてから、今日(2016年3月1日)の大統領選挙の候補者争いの結果をみたら、マサチューセッツ州で共和党はトランプが圧勝。。。民主党はクリントンとサンダースがかなり熾烈な争いを繰り広げた末に、前者が勝利した)。現金の持ち合わせがなく、ATMで下ろすのも面倒(もう歩きたくない)だったので、一番安いフレンチフライとギネスを注文(しかしすごい食生活だな)。黙々と食べはじめたらとなりに座っていた人から「ポテトだけ食べるの!?」と驚かれた。それからなぜか1時間ほど話したが、南部の高校を出て学年でひとりだけ地元を離れてMITに入り、いまはここでスピーカーを作っている人だという。ギネスが好きなようで、私を同好の士と認めてくれたらしい。いろいろと楽しい話を聞いたが、それはまた何かの機会に。「ここは俺が持つから好きなだけ飲んでくれ」と言ってくれて、ギネスを3杯飲むことになった。私のグラスが空くと、こちらが何を言わずとも「彼にギネスを」と注文してくれた。おかげで大量のフライドポテトとギネスという、おそらく今後経験できないようなジャンクなディナーを楽しませていただいた。もっとも、彼自身は2杯目からバーボンと水の組み合わせに移行していたのが少し解せなかったけれども。(たけだ・まさあき、英文学)
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by ooi_piano | 2016-11-14 11:57 | POC2016 | Comments(0)