7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

11月23日(水・祝) アイヴズ全ピアノソナタ+藤井健介新作 (その1)

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c0050810_723323.jpg大井浩明 POC[Portraits of Composers] 第27回~第31回公演 《先駆者たち Les prédécesseurs》
大井浩明(ピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
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【ポック[POC]#28】 2016年11月23日(水・祝) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン

■チャールズ・アイヴズ(1874-1954): スリーページ・ソナタ(1905) 約8分
  Allegro moderato - Andante - Adagio - Allegro / March time

■チャールズ・アイヴズ:ピアノソナタ第1番(1902/09)  約45分
  第1楽章 Adagio con moto - Andante con moto
  第2楽章 Allegro moderato (第1節 [IIa]) - Allegro 「宿の中で」(第2節 [IIb])
  第3楽章 Largo - Allegro
  第4楽章 (Allegro) [IVa] - Allegro/Presto [IVb]
  第5楽章 Andante maestoso - Allegro
  
 (休憩15分)

■藤井健介(1979- ):《セレ Sèlèh》 (2016)(委嘱新作・世界初演)  約4分

■チャールズ・アイヴズ:ピアノソナタ第2番《マサチューセッツ州コンコード 1840~1860年》(1909-15) 約45分
  第1楽章 〈エマスン〉
  第2楽章 〈ホーソーン〉
  第3楽章 〈オルコット親娘〉
  第4楽章 〈ソロー〉


藤井健介:《セレ Sèlèh》 (2016)
c0050810_12121846.jpg  アンサンブルのための近作で私は、自律的に動く複数の線をまずは同居させ、それから衝突を調整し、全体の辻褄が合う道を探るという作曲方法を試している。具体的には、独奏曲のように1つの声部を始めから終わりまで作り、終われば次の声部を別個に作り、重ね、調整する、という方法である。ある声部を作る際にはコンピュータでループレコーディングを行いながら、実際のテンポで鍵盤を弾き、「納得のいく動きが作れるまで」MIDIデータの録音を行う。これは、ある“調子”や“節”を共有する人々による架空の民族音楽をトレースするような作曲方法かもしれない。
  本作もその作曲の延長線上にあるが、「トレース」に、より重きが置かれている。特に本作では、記譜されることのない民族音楽的なリズムの揺れを五線上の音価として定量的に記譜することで、そのグルーヴに再現性を与えることを試みた。曲中の各フレーズのリズムは、ジャワガムランのなかでも形式が同じ数曲の音源をコンピュータで解析して音のアタックを検出し、得られた特徴的な連なりを抽出・再構成することで作られている。つまり本作はガムランにおけるある奏法の「訛り」の標本化でもある。西洋式記譜のグラフ上にマッピングされたそれらは視認し難く、演奏困難だが、正確であればあるほど、Tempo rubato や Senza tempo よりも複雑かつ自然な揺れとズレが聴こえてくるだろう。
  セレ Sèlèh とはガムランにおいて、4拍ごとに形成される小節のような時間単位の最終拍(4拍目)の音を意味する用語だが、今回は「辻褄合わせ」を象徴する語句として題に戴いた。ヘテロフォニーとされるガムランの音響は、1本の線から分岐した変奏の集合にも聴こえるが、実際のところ、もともと自律した異なる線がそれぞれセレへの方向感をもつことによって、最大公約数のような太い線が現れる様子に近い。(藤井健介)

藤井健介 Kensuke FUJII, composer
c0050810_12124165.jpg  1979年生。器楽の作曲、音源制作、ラップトップによる電子音即興、ジャワガムラン演奏を行う。東京音楽大学作曲科卒業、作曲を伊左治直に、ジャワガムランを佐藤まり子に師事。近作に、《Dubbing Dance Steps》(2010, vn/va/vc)、《Daphne and Violet》(2012、va/viola da gamba/cb/pf)、《Apple Symbols ttf CPY》(2015、ラップトップ即興のためのプログラム)等。演出家・小池博史とパパ・タラフマラ以来これまで長く協働し、そのパフォーミング・アーツ作品に多数参加。近年では《注文の多い料理店》《銀河鉄道》《マハーバーラタ Part 1〜3》等で作曲を担当。エレクトロ・アコースティック作品《Varfix》がジョグジャカルタ現代音楽祭の招聘作品となる。映像作家・田中廣太郎との協働によるミュージック・ヴィデオ『Varfix』でDOTMOV2010入選。「Contemporary Conversations 04」「電力音楽奉納演奏会」などでラップトップ演奏を行う。ガムラングループ「ランバンサリ」所属。邪伝説バンド「平和ボケ」ラップトップ担当。




アイヴズは、どの「戦後前衛」の先駆者だったのか ───野々村 禎彦

c0050810_12172068.jpg チャールズ・アイヴズ(1874-1954) が正式な音楽教育を受けたのは、1894年にイェール大学に入学してからだが、基礎的な教育は同年に逝去した父親のジョージ・アイヴズから受けていた。南北戦争で北軍軍楽隊の隊長を務めた父は、その後もアマチュア吹奏楽団を率い、彼は父の楽団の打楽器奏者として音楽を始めた。13歳から教会のオルガン奏者を務め、最初の作品はオルガン独奏のための《アメリカ変奏曲》(1891) である。当時の米国国歌(英国国歌《女王陛下万歳》に独自歌詞を付けたもの)に基づく変奏曲であり、賛美歌・フォスターなどの民衆歌・クラシックの泰西名曲の旋律を素材とする、彼のその後の創作の出発点でもある。

 賛美歌の伴奏がオルガン奏者の仕事、民衆歌や泰西名曲は父の趣味ということだが、,彼が父から受けた影響は大きかった。近所の吹奏楽団を集め、調もテンポも違う曲を広場のあちこちで演奏して複調・ポリテンポ・音響の空間配置等を試みていたことは名高いが、これに限らず「前衛的」とされるアイヴズの試みはすべて父譲りだという。大学で和声規則を学んで困惑する息子に「気に入らなければ守る必要はない」とすら教えた。こんな父のもとで育った彼にはアカデミズムは保守的すぎた。交響曲第1番(1898-1901) は大学卒業作品に手を加えたものだが、この程度の穏健な曲でも悪ガキ扱いされる現実を前に、「不協和音で飢えるのはご免だ」と、保険業界を生業に選んだ。

c0050810_12174287.jpg ファイ・ベータ・カッパに属する優秀なアイビーリーガーだった彼は、生業でも才能を発揮した。1907年に後輩と起業した保険会社では、1930年に引退するまで副社長を務めた。生命保険特約のセット販売相続税節税計画の設計という、現在でも保険会社のドル箱の商品を開発し、1918年には業界の古典とされる指南書も書いている。社長は後輩に任せて表舞台には立たなかったのは、起業前に心臓発作を起こした健康上の理由もあるが、天職である作曲に時間を割くためだろう。安息日の仕事である教会オルガン奏者も続け、東部諸州から呼ばれる腕前になっていたが、起業翌年に結婚(パートナーの名前はハーモニー)すると生活のリズムは一変し、オルガン奏者は引退した。

 弦楽四重奏曲第1番(1901-02) の終楽章では初めてポリテンポを試み、交響曲第2番(1897-1902) は盛大な不協和音で終結するが、それ以外の部分は大学時代の作風を引きずった後期ロマン派的なもので、これら初期作品は父の域にも達しているとは言えない、交響曲第3番(1901-04) は賛美歌に基づくオルガン曲のオーケストラ版であり、室内管弦楽のための3楽章20分程度の規模も手伝って4曲の交響曲の中では最初に初演され(それでも1946年)、翌年にピュリツァー賞を受賞したが、本領を発揮した曲ではないため演奏には立ち会わず、賞金も初演の実現に尽力し指揮も行ったルー・ハリソン(西海岸時代のケージの盟友)に手渡した。交響曲第2番は1951年にバーンスタイン/NYPが初演したが、この時も隣家でラジオ中継を聴いただけだという。

c0050810_1219283.jpg 《スリー・ページ・ソナタ》(1905) は、自ら「甘やかされた坊やを閉じこもった箱から引きずり出し、軟弱な耳を叩き出すためのジョーク」と述べており、アイヴズがアイヴズになった最初の作品と言えるだろう。旋律素材こそ初期作品と共通するが、不協和音やポリリズムの大胆さが桁違いだ。彼の作品は管弦楽曲から知られていったが、譜面の細部は矛盾の山だった。文字通りの日曜作曲家が演奏を前提とせずに書き溜めた譜面なので当然とも言えるが、全体像をソルフェージュして書いたのではなく、ピアノで一音一音探りながら書き進められたのは明らかだ(このような素人っぽさは必ずしも欠点ではなく、演奏してみなければわからないような後期作品のカオスが結果的に実現した)。その意味でも、ピアノ独奏曲にこそ彼の音楽の本質は純粋な形で表現されているはずだ。

 ブレイクスルーの後は、《宵闇のセントラルパーク》(1906)、《答えのない質問》(1908) など、彼らしい曲が次々と生まれ始める。この時期の作品では、タイトルから連想される出来事やコンセプトが極めて直接的に音楽に変換されるが、あまりに直接的であるが故に音楽的コンテクストすら剥ぎ取られ、賛美歌や民衆歌を素材にした描写音楽のはずなのに、最終結果はむしろ後期ヴェーベルンに近いような、奇妙な音楽的平衡状態が得られる。ピアノソナタ第1番(1902-09) は、この時期の特徴を煮詰めた作品。楽章ごとにひとつのコンセプトが繰り返し提示され、旋律素材は純粋な素材にすぎない(クラシックのような動機としての関連も、前衛音楽における引用のような意味付けもない)。

c0050810_1219462.jpg ピアノソナタ第1番に代表される時期と第2番(1904-15) に代表される時期(組織的・体系的な作曲を行わなかったアイヴズの場合、音楽の特徴は概ね作曲終了年代で決まる)の過渡的な性格を持つ(彼自身がそのように位置付けている)作品が、《ロバート・ブラウニング序曲》(1908-12) である。ブラウニングの他、エマーソンやホイットマンらの名を冠した序曲が並ぶ《文学者たち》という大作を構想したが、結局完成したのはこの曲だけだった。文学者の肖像を音楽で描く意図と、素材の意味性に頼らず単一コンセプトで押し通す姿勢は折り合いが悪く、強烈な不協和音があてどなく積み重なる、表現主義期シェーンベルクが錯乱したような、奇怪極まりない音楽が果てしなく続く。作曲年代は次の大作《交響曲:ニューイングランドの祝日》(1887-1904/09-13) と重なっており、新たな様式を固めて行く中で、かつての無意識の選択を意識的に振り返って完成に漕ぎ着けた。

 《ニューイングランドの祝日》は、〈ワシントン誕生日〉(1909-13)、〈戦没将兵追悼記念日〉(1909-12)、〈独立記念日〉(1911-12)、〈感謝祭と清教徒上陸記念日〉(1887-1904) の4曲からなる。幼年時代の祝日の思い出を描いた3曲に、賛美歌による若書きオルガン曲(教会オルガン奏者を始めた時期の曲)を管弦楽化した初期作品を付け加えた構成だが、各曲が伝統的な意味でのストーリーを持っているのが前の時期との大きな違いで、それに沿った形で素材の意味性を活用し、素材を変形して象徴的な意味を持たせたりしている。結果的に音楽の成り行きは伝統的なあり方に近づき、初期作品を組み込んで対比を強調することも可能になった。

c0050810_12203382.jpg この特徴は、《ニューイングランドの3つの場所》(1903-14/29)、ピアノソナタ第2番、交響曲第4番(1910-24) など、他の同時期の作品にも当てはまる。アイヴズ最晩年の再評価は初期作品に留まっていたが、大指揮者ストコフスキーは交響曲第4番こそが「アイヴズ問題の核心」であると見抜き、演奏譜の準備と練習に多くの時間と費用をかけて1965年に初演と録音を実現し、アイヴズ像を一新した。結果的に、初演がこの年までずれ込んだことが、この作品にとってはプラスになった。戦後前衛が最初の曲がり角を通過し、B.A.ツィンマーマン《軍人たち》(1957-64) やベリオ《迷宮II》(1963-65) など、重層的な引用で特徴付けられる作品が最先端とされる時期に初演されたことで、「ヨーロッパの最先端を半世紀前に先取りしていた前衛作曲家」として見直されることになった。

 当時のアイヴズ受容は、作品を要素に切り分け、トーンクラスターの使用、微分音の使用、ポリテンポやポリリズムの使用、音響の空間配置といった「前衛的な要素」のみを評価し、素朴な調性的旋律が素材の中心だという明白な事実は「時代的な限界」として見ないことにするという、これはこれで歪んだものだった。また、再評価の原点が交響曲第4番だったことで、伝統的構成感こそが音楽的成熟の結果と看做され、専らこの時期の作品が「代表作」として扱われることにもつながった。

c0050810_1221881.jpg この時期の作品でアイヴズ自身がとりわけ重要視していたのが、ピアノソナタ第2番である。超越主義を信奉していた彼だけに、主導者エマーソンを第1楽章、超越主義に強く影響された文学者たちをそれ以降の楽章:第2楽章で純文学代表のホーソーン(『緋文字』)、第3楽章で大衆文学代表のオルコット(『若草物語』)、第4楽章でエッセイ代表のソロー(『森の生活』)の名を掲げ、未完に終わった《エマーソン序曲》の素材を活用し、《文学者たち》の構想も形を変えて実現した。

 この作品の自費出版に先立ち、彼は「あるソナタの前のエッセイ」という長文の自作解説を書いているが、そこでの「エマーソンとソローの印象派風の絵画であり、オルコット家(作家とその父)のスケッチであり、ホーソーンの軽妙な部分を反映したスケルツォである」という言葉が作品の狙いを端的に示している。すなわち、両端楽章はドビュッシーの音楽の強い影響を受けており(作品全体で引用されるベートーヴェンに並ぶ頻度で言及され、意識しているのは明白だ)、第3楽章は初期作品使用枠であり、第2楽章はホーソーンがバイロン『天路歴程』のパロディとして発表した短編『天国列車』に基づくプログラム音楽に他ならない(素材の意味性を利用するこの時期ならではの趣向)。

c0050810_12215217.jpg 1918年に再び心臓発作を起こした後の彼は、初期から最新の歌曲までをまとめた《114の歌曲》を1922年に自費出版するなど、出版を目指して自作を整理する方に重きを置き始める。これ以降の作品で重要なのは《四分音ピアノのための3つの小品》(1923-24) であり、この創作経験に基づいてピアノソナタ第2番の第2楽章を管弦楽化し、四分音パッセージ等をさらに堆積させて副指揮者2人を要する難曲にまとめたのが、交響曲第4番の第2楽章である。1926年に最後の曲を書いた後は、それ以外の方法で自作を世に問おうとした。例えば1929年にスロニムスキー/ボストン室内管から委嘱を受けると、《ニューイングランドの3つの場所》の縮小編曲で応え、国内初演に加えてヨーロッパツアーを提案し、費用は自らの寄付で賄った。この時は初演にも立ち会っており、代表作と初期作品では意気込みが違うが、生前に代表作を音にする機会は限られていた。


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c0050810_12235621.jpg POCシリーズは「戦後前衛に焦点を絞った企画」だとたびたび紹介してきたが、「戦後前衛」が指し示す範囲は通常よりも広く、米国実験主義を代表するケージとその後継者としての近藤譲、及び「ポスト戦後前衛」を代表する作曲家は一通り取り上げられている。だがアイヴズは、彼らの同僚まで範囲を広げても、誰の先駆者でもない。今回のシリーズでは異端に見えるソラブジでも、ピアニストとしての手癖を交えつつ、前衛的でも退嬰的でもないが超絶技巧を駆使した作品を量産する作曲家という意味では、米国実験主義第二世代のジェフスキ(1938-) や、ファーニホウと並ぶ「新しい複雑性」の祖にあたるフィニスィー(1946-) らの先駆者と看做せなくもないのだが。

 一般には、アイヴズは米国実験主義の先駆者だと看做されているが、実際には誰とも異質である。ケージらニューヨーク楽派の本質は、理念を厳格に形にして即興性を排除する(彼らの図形楽譜は、五線譜への慣れを排除する手段である)シェーンベルク譲りの姿勢にあり、アイヴズの経験主義とは相容れない。米国実験主義の反対側を代表し、アイヴズの支援者でもあったカウエルやハリソンは、折衷主義的な姿勢においてアイヴズとは相容れない。彼が賛美歌や民衆歌を終生素材として用いたのは、それを通じて作品に社会的意味を与えるためではなく、純粋に愛していたからだった。唯一接点があるとすればナンカロウだが、アイヴズと同程度に隔絶した存在である。かつてリゲティは20世紀で真に突出した作曲家はアイヴズとヴェーベルンであり、ナンカロウは彼らに匹敵する作曲家だと主張したが、これはもうひとりは自分だと暗示するためのポジショントークに他ならない。

c0050810_12245123.jpg だが「戦後前衛」の範囲をもう少し広げ、フランク・ザッパ(1940-93) やジョン・ゾーン(1953-) のような実験的ポピュラー音楽も含めるならば、アイヴズはまさに彼らの先駆者である。彼らの音楽は多様式の混淆で特徴付けられるが、アイヴズが「前衛的」な諸語法と民衆歌をともに愛したようにザッパはヴァレーズやヴェーベルンとR&Bをともに愛し、ゾーンはカーゲルやウォーリネンとハードバップをともに愛した。彼らはみな折衷主義とは無縁だった。演奏家を通じても、アイヴズの理解者だったスロニムスキーは晩年にザッパと親交を結び、アイヴズ作品に積極的に取り組んでいるアンサンブル・モデルンはザッパ作品にも真摯に取り組んでいる。ピアニストとしてはアイヴズの権威のひとりであるステファン・ドゥルリーは、指揮者としてはゾーンのアンサンブル作品の権威でもある。POCシリーズで彼らが取り上げられていないのは、「一晩を埋める程度の鍵盤作品を書いている」という条件の問題にすぎない。今回のシリーズや芦屋での関連公演の委嘱作曲家に大蔵雅彦や中田粥が含まれているのは、このような背景があるからである。



次回予告─────────────────────────────
【ポック[POC]#29】 2016年12月23日(金・祝) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
  ●東野珠実:《星筐(ほしがたみ) IV》(2016)(委嘱新作・世界初演)
  ●ベラ・バルトーク(1881-1945): ラプソディ Op.1 Sz.26 (1904)、14のバガテル Op.6 Sz.38 (1908)、アレグロ・バルバロ Sz.49 (1911)、3つの練習曲 Op.18 Sz.72 (1918)、舞踏組曲 Sz.77 (1925)、ピアノ・ソナタ Sz.80 (1926)、戸外にて Sz.81 (1926)、弦楽四重奏曲第4番 Sz.91 〔全5楽章〕(1928/2016、米沢典剛によるピアノ独奏版・世界初演)
  [以上、Péter Bartók(1924- )による最終校訂エディション(1991/2009)使用]
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by ooi_piano | 2016-11-14 12:04 | POC2016 | Comments(0)