7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

12/23(金・祝) バルトーク主要ピアノ曲集+東野珠実新作 (その3)

承前


c0050810_832549.jpg (注1)この文章は小島亮さんがいよいよ『アリーナ』編集からも引退される、と聞いて、一も二もなくお引き受けし、準備したものである。筆者が小島さんに出会ったのは、ハンガリー留学中の二十年前のことだ。その日以来、小島さんがブダペストを離れるまでの数ヶ月間、三日と空けずどこかでお会いし、強烈な印象を持った。あまりに強烈すぎて、小島さんが去った後、ブダペストが空っぽになったような気がして淋しくて仕方なかった。筆者が留学から帰ってからも、奈良で、あるいは一時小島さんが住んでいた東京の不思議なアパートで、あるいは学会で、そして予期せぬところで偶然に、お会いして、その度に硬直した日常を粉々に打ち砕くような話を聞き、心の底から楽しんだ。思えば筆者が初めて出した著作も小島さんが単身(半ズボンで)出版社に乗り込んで、話を付けて来てくれたものだった。小島さんの著作はもちろん読むたびに刺激を与えてくれた。とりわけ「セント・ラースロー病院の日々」(『ハンガリー知識史の風景』風媒社、二〇〇〇年に所収)は、一種の闘病記なのだが、それを超えてなぜかあのブダペストの空や風を思い出させてくれて、おもわずハンガリーに帰りたくなる。稀代の名エッセイだと思う。書きたいことが溢れてきて、文脈が乱れているが、それほど筆者は小島さんに魅せられ、影響を受けたのだ、と思っていただきたい。そしてそういう経緯があるにも関わらず、このような小論しか準備できなかったことを恥じるばかりである。小島さんが、今後もますます縦横無尽に活躍されますように。
 なおこの雑記のうち、リゲティに関する部分については、すでに雑誌『奏』や『コンフリクトのなかの芸術と表現:文化的ダイナミズムの地平』(大阪大学出版会、2012年)に発表した文章と重複していることをお断りしておく。

 (注2) 「不気味なほど」というのは、リゲティがバルトークの作品を知らずに書いた、と述べているからである。つまり、若い頃のリゲティはあまりにもバルトークの書法を自らのものとしていたので、自分の作品として書いたはずのものが、バルトークの未知の曲そっくりだった、ということを後から知って驚いた、というのだ。György Ligeti, Gesammelte Schriften, Band 2(Veröffentlichungen der Paul Sacher Stiftung Band 10,2) , hrsg. Monika Lichtenfeld, Schott, 2007, S.141.

 (注3)この事情については、クルターグがリゲティとの思い出について書いた次の小文が絶好の案内となろう。György Kurtág, ”Mementos of a Friendship: György Kurtág on György Ligeti”, in György Kurtág: three interviews and Ligeti homages, ed. by Bálint A. Várga, University of Rochester Press, 2009, pp.89-114.

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by ooi_piano | 2016-12-10 16:48 | POC2016 | Comments(0)