10/6(金)シェルシ《アクション・ミュージック》+川島素晴《アクション・ミュージック》初演

【ポック[POC]#32】 2017年10月6日(金)19時開演(18時半開場)
シェルシ中期傑作集

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大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
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●A.シルヴェストリン(1973- ):《凍れる音楽》(2015、世界初演) 3分
●G.シェルシ(1905-1988):組曲第8番《ボト=バ》(1952、東京初演) 〔全6楽章〕 30分
 I. Agitato - II. Non troppo sostenuto - III. - IV. Lento - V. Lento - VI. Lento
●G.シェルシ: 《アクション・ミュージック》(1955) (東京初演) 〔全9楽章〕 16分
 I. - II. Iniziando - III. Lento dolce - IV. Martellato - V. Violento - VI. Brillante - VII. Pesante - VIII. Veloce - IX. Con fuoco

 (休憩10分)

●川島素晴(1972- ): 《アクション・ミュージック》(2017、世界初演) 〔全9楽章〕 30分
 I.隣接する5本指 - II.少音程12音和音によるアルペジョ - III.各音域での両手和音 - IV.影のあるグリッサンド - V.複数弦によるホケット - VI.手移り - VII.ジャンプ - VIII.ポリル - IX.マルシュ・リュネール
●G.シェルシ: 組曲第11番(1956、東京初演) 〔全9楽章〕 35分
  I. - II. Lento - III. Intenso e animato - IV. Barbaro - V. Velato - VI. Feroce - VII. Sostenuto - VIII. - IX.



アレッシオ・シルヴェストリン:《凍れる音楽》(2015)
  ピアノ独奏のための《凍れる音楽》は、法隆寺東塔の建築設計上の比率に想を得て作曲された。塔の高さ122尺(34メートル)、そして裳階を伴う三重の屋根に基づき、曲の速度は56、84、112と加速する。34メートルの高さ、10メートルの相輪(先端部)、1から始まり34に至るフィボナッチ数列(パスカルの三角形)などに関連付けられつつ、ピアノ全音域を3分割する音群、リズム・拍節構造が操作される。Audible Cities作曲コンクール(サンフランシスコ)第1位受賞作品。

アレッシオ・シルヴェストリン Alessio Silvestrin, composer
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  1973年イタリア生まれ。モンテカルロ市グレース王妃ダンスクラシック・アカデミーを卒業後、スイス・ローザンヌのルードラ・ベジャール学校にて学ぶ。その後ベジャール・バレエ・ローザンヌ、リヨンオペラ座バレエ団にてダンサーおよび振付家として活躍。1999 年よりウィリアム・フォーサイス率いるフランクフルトバレエ団に所属。退団後もフォーサイスカンパニーのゲストアーティストとして活躍。建築家 安藤忠雄氏が手がけた「21_21 Design Sight」のオープニングプログラムにて、ウィリアム・ フォーサイスのインスタレーション作品「Additive Inverse」でパフォーマンスを披露。その他にも、コロンブスのウェクスナー・芸術センター、バーゼルのバイエラー美術館、ロンドンのサドラーズウェルズやテートモダン等にて、ウィリアム・フォーサイスの作品でパフォーマンスを披露。
  2003 年より日本を拠点にフリーランスアーティストとして活動を始め、日本国内および海外の国々で様々な活動に関わる。愛知芸術文化センターによるダンスオペラ「青ひげ城の扉」にて、演出・振付・映像・美術を担当し、自身も出演。Noism05「Triple Bill」委嘱による「DOOR INDOOR」を発表。新国立劇場コンテンポラリーダンス「ダンスプラネット No. 18」では、音楽をトム・ヴィレムが担当した作品「noon afternoon」をマイケル・シューマッハと共演。山口情報芸術センターによる「混舞(Dance mix)」プロジェクトにて振付を担当、また、自作のビジュアル・アートを展示。ブラジルのダンス・カンパニー “Sao Paulo Conpanhia de Danca” から委託を受け、「Poligono」の振付・演出を担当する。当作品はJ.S. バッハの「音楽の捧げものの」に基づき、カンパニーのオープニング・プログラムのために創作されたもので、ブリュッセルの室内楽グループ “Het Collectief” によって再演された。新国立劇場にて、ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番に基づく「Opus 131」を発表。
  また、ヴィチェンツァ市の音楽学校およびモンテカルロ市のアカデミー音楽学校ラニエール III にて音楽も学ぶ。作曲家フランチェスコ・ヴァルダンブリーニの指導のもと、トリコルダーレ (Tricordale) 音楽という新楽派に加わり、フィボナッチ数列等を用いて拡張されたセリー体系に基づく音楽は自身の振付作品にも使用している。イタリア・ヴェネチア・ダンスビエンナーレからの招聘で、能楽師・ 津村禮次郎とともに「Ritrovare/Derivare」を自作の曲を使用し上演。セルリアンタワー能楽堂にて、プラトンの対話篇「パイドン」に基づく「かけことば」を自作のヴァージナル曲の自演とともに上演。Noism「OTHERLAND」では、日本の伝統文化に対する独自の切り口で「折り目の上」を発表し、ピアノ、フルートそれぞれのためのソロ作品を同作品のために、能楽に着想を得て作曲。イタリア文化会館で上演されたソロパフォーマンス「星座と星群」では、デル・ブオーノ(16~17世紀)、シュトックハウゼン、コデクス・ファエンツァ117(15世紀)、自作「17の俳句」をチェンバロやトイピアノ、日本の伝統打楽器で演奏し、自作の映像も駆使して、時代や文化、芸術領域を横断する世界を表現。ロワイヨモン財団の委嘱で、モデュラ計算や魔法陣を用いて作曲された「三つの渦」を発表。アンサンブル室町の委嘱で、魔法陣・トリコルド・素数配列等によって短歌の韻律を拡張した「31の短歌」を発表。 http://alessiosilvestrin.com/



川島素晴:ピアノ独奏のための《アクション・ミュージック》(2017)

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 大井浩明とは、1992年の「秋吉台国際作曲セミナー&フェスティバル」のときに同室者の一人だった。そこで出会って以来、ピアノ曲《静寂なる癈癲の淵へ》(1992)、四重奏曲《ポリプロソポス I 》(1995)、《クセナキス「シナファイ」のためのカデンツァ》(1996)、《ピアノのためのポリエチュード「ポリスマン/トランポリン」》(2001)、ピアノ編曲《シェーンベルク「黄金の仔牛の踊り」》(2007)、《ピアノのためのポリエチュード「ポリポリフォニー」》(2007)、といった作品を初演して頂いた。出会って15年の間にしては比較的多くの作品を協働してきたが、気付けばそれ以来はご無沙汰しており、今回は10年ぶりの初演機会となる。

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 私は普段、自作品の創作姿勢として「演じる音楽」(演奏行為の連接から音楽を構築する)という理念を掲げている。1994年から言い始めたこの語は、師である近藤譲の「線の音楽」の影響から、独自の音楽論を導くにあたり採った「◯◯音楽」という標語で、「Action Music」なる英訳は2000年に作品集CDを制作した際に後付であてがったものである。この英訳を考えるにあたり、当然、ジャクソン・ポロックらが1940年代から行いハロルド・ローゼンバーグが1952年に用い始めた「Action Painting」なる絵画技法の名称を意識したわけだが、シェルシに《Action Music》(1955)なる同名作品があることも、松平頼暁の1980年代の著作に「アクション・ミュージック」なる語が登場することも、当時はあまり意識していなかったと思う。特に、1990年代はシェルシ再評価と研究がようやく進みつつある時代で、当該作品の2001年の録音音源が発売されたのが2004年であるため、2000年時点ではシェルシの《Action Music》は知る人ぞ知る存在だったはずである。私自身はもちろん、シェルシにせよ松平頼暁にせよ、「Action Msuic」なる語は「Action Painting」の音楽方面への転用ではないかと思うが、シェルシのそれが1955年のピアノ作品として極めて独創的で且つ完成度の高いものであること(たとえそれが彼自身の即興演奏に基づく書き起こしであろうとも)を踏まえると、シェルシの評価が生前から正当になされ、本作が周知のものとなっていたら、私自身が、少なくとも英語で「Action Music」なる語を標榜することはやりにくかったであろう。

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 今回、10年ぶりの協働に際し大井浩明が私に課したお題は、《Action Music》という題名でのピアノ新作、つまり、シェルシの名曲《Action Music》への文字通りの対峙であった。それは、シェルシが62年前に成し遂げていた「ピアノ音楽の新しい可能性」をいかに乗り越えるか、そして今日、私自身が「ピアノ音楽の新しい可能性」をいかに提示可能か、という命題に他ならない。シェルシに同名作品があることを知ったのは確かヴァンバッハの録音がリリースされた2004年当時だったはずだが、それ以来、まさかこのような題名で、それもピアノ曲を書こうとは思いもよらなかった。しかし、今回は敢えてその命題に応えることとした。
 シェルシのそれが9章から成るため、私も9曲の連作を構想した。そのうち何曲が完成し、何曲が初演されることになるかは現時点では不明であるが、ここにその構想を示しておく。


◆第1曲「隣接する5本指」
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 シェルシの《Action Music》は、ほぼ全面的にクラスターの使用が見られる。従って本作ではクラスターの使用は控えるべき、との考えと同時に、その事実へのリスペクトを示すことを両立させることを考えた結果、5本指を隣接させることで弾ける白鍵クラスターの5種の形態、即ち、「ドレミファソ」「レミファソラ」「ミファソラシ」「ファソラシド」「シドレミファ」(「ソラシドレ」「ラシドレミ」はそれぞれ同じ音程のものがあるので除かれる)を用い、これら5種の音程に紐付けたキャクターを維持しつつ、その音程を踏襲する移高型をも駆使する作品となった。例えば、「ドレミファソ」と「シドレミファ」は、同じ白鍵クラスターであっても、全く異なる表情を持つ。本作は、そのような、白鍵クラスターの表情の差異を聴くことを出発点としている。

◆第2曲「少音程12音和音によるアルペジョ」
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 ここでは、「アクション・ミュージック」という語を1980年代より定義していた松平頼暁へのオマージュを構想した。松平頼暁と言えば、1980年代から全音程和音を用いた「ピッチ・インターヴァル技法」を実践していることで知られる。全音程和音とは、短2度から長7度まで、全ての音程を含む12音音列(全音程音列)を、低音から高音に積み上げることによって得られる和音である。それをそのまま踏襲するわけにはいかないので、ここでは、逆に「なるべく少ない種類の音程によって得られる12音音列」を下から積み上げることによって得られる和音(例えば完全5度を重ねていく響きも12音を重複なく重ねることが可能である)、即ち「少音程12音和音」を用い、そのアルペジョによって構成している。

◆第3曲「各音域での両手和音」
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 ここでは、私の作品におけるピアノ書法としてしばしば用いている、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番冒頭における、低音域、中音域、高音域のそれぞれで、両手で和音を弾く型を用いている。私は、2台ピアノ協奏曲《Manic-Depressive III》(1999)にて初めてこの型を用いたが、そこではチャイコフスキーそのもの(変ニ長調のコード)を奏でる瞬間もある。しかし今回、大井浩明によるお題の中に、「クラシック名曲の引用禁止」という条項もあったため、ここではチャイコフスキーの当該作に登場する和音そのものは用いられていない。(それにしても、このような型で和音を奏でるだけで、充分にチャイコフスキーのそれと認知し得てしまうとは、この大胆なアイデアの威力には感服する他はない。)

◆第4曲「影のあるグリッサンド」
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 ソステヌート・ペダルによるピアノの残響効果については、ラッヘンマンの諸作品など、先行例は多数ある。ここでは、無音で押さえた和音をソステヌート・ペダルで用意した上でグリッサンドを行う奏法による残響効果を探求している。(この効果自体は、私自身《ピアノのためのポリエチュード「トランポリン」》他で実践しているものである。)そしてそれを、内部弦のグリッサンドでも行う効果へと転用している。これについては、カウエル《エオリアン・ハープ》における効果そのものであるが、本作ではこれらの効果をシームレスに接続する試みがなされている。

◆第5曲「複数弦によるホケット」
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 ピアノの弦に触れ倍音を出す効果は、さして目新しいものではないが、ここでは、複数弦によって異なる倍音を出しつつ一つの旋律を奏でる。ホケットとは、中世の技法で複数声部が一つの旋律を交互に奏でる効果であるが、ここでは複数の弦がホケットを実践する。シュパーリンガーの作品など、倍音奏法の究極的な実践例は枚挙にいとまがないが、ここでは旋律線を実行するために、想定される音をはずせないというハードルが課せられる。大井浩明のお題にあった「クラシック名曲の引用禁止」は、クラシック音楽以外には適用されていないため、ここではリトアニア民謡(といっても、それを引用して有名になってしまったクラシックの名曲があるが)を引用している。

◆第6曲「手移り」
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 大井浩明は、笙も演奏する。笙も演奏するピアニストのための作品として、笙の合竹(和音)の移行に伴う「手移り」のかたちを、ピアノの和音に適用したらどうなるか、ということを構想した。そのような実践を行っていけば、必然的に雅楽の構造を参照することになる。時折きかれる腕のクラスターは、雅楽において打ち込まれる楽太鼓の役割と近似する。
 一方で大井浩明は、オルガンも演奏する。オルガン独特の効果として「スウェルボックス」の開閉がある。ここでは、その効果に相当する効果をピアニズムとしても要求している。


◆第7曲「ジャンプ」
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 ピアノの全音域にわたる演奏は、ときにハードな全身運動となる。「演じる音楽」の理念としては、そのような「演奏行為の共有体験化」を引き起こし易い演奏内容こそ、最も求められる種類のものである。だから、一般的な意味でのヴィルトゥオーゾの演奏は、それ自体が「演じる音楽」なのであり、事実、私自身はそのような演奏を好む。しかし一方で、それをそのまま実践するのであれば、既成のヴィルトゥオーゾ作品には叶わないであろう。そこでここでは、聴覚的な印象と、実際の演奏行為との間に齟齬があるような内容を探求することとした。第3曲「各音域での両手和音」におけるような、聴覚的な印象がそのまま身体的な状況と合致するタイプの作品とは真逆の効果を生む方法として、極めて激しい跳躍運動を行わなければ演奏不可能な楽想だが、そのような激しさを伴う聴覚的な印象にはならないような奏法となっている。

◆第8曲「ポリル」
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 前述のように、大井浩明のために作曲した作品の系譜に《ポリエチュード》というものがあり、現在「ポリスマン」「トランポリン」「ポリポリフォニー」「ノンポリ」の4曲が作曲されているが、そのうち最初の3曲は大井浩明により初演されている。本作の中に包括されつつも、《ポリエチュード》の第5曲としても位置付けられる作品を、と検討した結果、様々なトリル奏法をパラレルに演奏するアイデアを得た。層状のトリルという意味を示す「ポリトリル(Poli Trill)」、略して「ポリル(Porill)」である。


◆第9曲「マルシュ・リュネール」
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 本年(2017年)6月、ラッヘンマンのピアノ新作《マルシュ・ファタル》が初演された。満を持しての新作、しかも日本での世界初演ということで、現代音楽業界最注目の作品であったが、一聴するとロマン派スタイルのキッチュなマーチそのものである本作は、賛否両論を巻き起こした。私には、ピアノのアコースティックの可能性に関する新しい註釈を見いだせたため、やはりラッヘンマンは常に新しい表現の可能性を探求している、と理解した。しかし一方で、同じマーチをテーマにしても、更に新しい可能性があり得るのではないか、との夢想も捨て難かった。そこで、「魔性のマーチ」に対抗して「月に憑かれたマーチ」とし、ラッヘンマンとは異なる視点でマーチに新しい光をあてたいと考えた。(川島素晴)




川島素晴 Motoharu Kawashima, composer
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 1972年東京生れ。東京芸術大学および同大学院修了。1992年秋吉台国際作曲賞、1996年ダルムシュタット・クラーニヒシュタイン音楽賞、1997年芥川作曲賞、2009年中島健蔵音楽賞、2017年一柳慧コンテンポラリー賞等を受賞。1999年ハノーファービエンナーレ、2006年ニューヨーク「Music From Japan」等、作品は国内外で演奏されている。1994年以来「そもそも音楽とは『音』の連接である前に『演奏行為』の連接である」との観点から「演じる音楽(Action Music)」を基本コンセプトとして作曲活動を展開。自作の演奏を中心に、指揮やパフォーマンス等の演奏活動も行う。いずみシンフォニエッタ大阪プログラムアドバイザー等、現代音楽の企画・解説に数多く携わり、2016年9月にはテレビ朝日「タモリ倶楽部」の現代音楽特集にて解説者として登壇、タモリとシュネーベル作品で共演した。また執筆活動も多く、自作論、現代音楽、新ウィーン楽派、トリスタン和音等、多岐にわたる論考のほか、曲目解説、コラム、エッセイ等も多数発表している。日本作曲家協議会理事。国立音楽大学准教授、東京音楽大学および尚美学園大学講師。



ジャチント・シェルシ覚え書き────野々村 禎彦
(*筆者による推薦音源リンク付)

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 シェルシは北イタリア沿岸の小都市ラ・スペツィアの貴族の家に生まれ、教育は専ら個人教授で身に着けた。一家でローマに移った後、彼はまず文学に興味を持って詩作に没頭し、ヨーロッパ各地を旅してジャン・コクトー、ヴァージニア・ウルフらと親交を結んだ。その後作曲も行うようになり、1930年頃から作品を発表し始める。当初は未来派の影響が強かったが、やがてスクリャービン流の作曲法を学び、30年代半ばから末にかけて、後期スクリャービン風の膨大なピアノ独奏曲を残した。この時期の作品から戦後の独自の作風の萌芽を探すのも興味深いが、本日は時間的制約の関係で取り上げない。これと並行してベルクの弟子から12音技法を学び、イタリア最初のセリー主義者になる。またペトラッシらと共同でドイツ、フランス、ソ連等のモダニズムの最先端を積極的に紹介するが、元々は未来派などの前衛的な音楽を支持していたファシスト政権がナチスとの関係を深めるうちにユダヤ系作曲家排斥などを通じて前衛的な音楽を抑圧し始めたため、彼の心はイタリア音楽界から離れ、第二次世界大戦勃発を機にスイスに移住した。

 スイス時代の彼はイギリス人女性と幸福な結婚生活を送ったが、作曲ペースは落ちた。祖国を離れて自らの創作を客観的に眺めると、後期スクリャービン風の即興的な素材に、音列操作で無調の衣をまとわせた程度の曲では満足できなくなったのだろう。ムッソリーニ政権は1943年7月の連合国軍侵攻でたちまち瓦解したが、今度はドイツ軍が侵攻してムッソリーニを奪還し、傀儡政権は北部山岳地帯でヒトラー自殺直前まで抵抗を続けた。ローマは1944年6月に解放され、シェルシも帰国して作曲活動を再開したが、この時彼は貴族の趣味にふさわしい決断を下した。自分ひとりで書き上げる作品に限界があるならば、自ら選ぶのは素材やイメージに留めて緻密な構成はプロに任せればよい。腕利きの演奏家を雇って試演させ、仕上がりを確認して手を入れれば、「代筆」ではなく「共同作曲」だ——このようにして作られた最初の作品が《弦楽四重奏曲第1番》(1944) であり、確かにこの曲から突然、バルトーク1番を無調にしたような密度の高い音楽に変貌している。1947年から作曲アシスタントはヴィエリ・トサッティ(1920-99) に交替し、ふたりの共同作業は20年近く続いた。

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 これが単なる「趣味の作曲」ならば何の問題もないが、イタリア作曲界を超えて注目される存在になるとそうもいかない。トサッティとの最初の代表作、カンタータ《言葉の誕生》(1948) はISCM大会で初演され、ブーレーズとケージの往復書簡集がこの作品への論評で始まるほど、国際的にも注目されていた。ただし彼らの評価は手厳しく、録音を聴いた限りでは筆者も同意見だ。12音技法自体は珍しいものではなく、共同作曲のメリットは乏しい。合唱とオーケストラという大編成になると、試演によるチェックにも限界があり、そもそもトサッティ自身の作風は極めて保守的(Youtube上の音源を聴く限り、マリピエロ(1882-1973) やカゼッラ(1883-1947) の方がまだ進歩的に思えてしまう)である。もちろん共同作曲の事実は公にはされなかったが、イタリア作曲界では既に「公然の秘密」であり、初演を指揮したデゾルミエールは《言葉の誕生》を称賛したが、業界では嘲笑されていたという。彼はこの初演から程なく、「12音技法と自らの作風が相容れない」ために精神の平衡を崩し、精神病院で療養に入ったとされるが、主な要因はそれよりも、共同作曲に対する業界の態度と、スイス時代の妻がイタリア帰国に同意せず別れたことに由来する心労の方ではないか。

 50年代初頭、療養中のシェルシはピアノのひとつの音を何時間も弾き続け、響きの世界に分け入ることを通じて精神の平衡を取り戻したという。禅やヨガなどの東洋思想に傾倒したのもこの時期で、その影響は音楽の素材にも及んだ。作曲活動復帰第1作が《組曲第8番》(1952) であり、本日のプログラムは病気療養からのリハビリを思わせる執拗な同音反復のシンプルな音楽から始まる。彼のこの時期の「作曲」とは、ピアノの即興演奏を録音し、採譜のプロが細かく譜面に起こし、最後にトサッティがまとめたもの。その後のピアノ独奏曲ではピアニスティックなフレーズが増え、自ら譜面を書いていた30年代を思わせる瞬間もしばしば。即興演奏の記憶に基づいた作曲は鍵盤楽器の歴史とともに始まるが、シェルシ作品の特徴は即興演奏をまず録音し、記憶を介した抽象化では削ぎ落とされてしまうニュアンスまで取り込んだところにある。また膨大な同工異曲を書いた30年代とは違って、ピアノ独奏曲の作曲が安定すると、今度は管楽器弦楽器の独奏曲も同じ方法論で作り始めた。もちろん楽器が違えばピアノの手癖は通用せず、音響特性を踏まえて慎重に素材を準備する必要がある。この変化はピアノ独奏曲にもフィードバックされ、作曲作品らしい構築性が加わってくる。シェルシにとっては自分で手を動かしていないから、トサッティにとっては自分が書きたい音楽とは全く違うからこそ、素材の可能性を引き出すことに集中し、汲み尽くすたびに作曲の難度を上げて新たな可能性に挑んでゆく、客観的でシステマティックなアプローチが実現したのだろう。本日、「シェルシらしいシェルシ」が始まる曲の次に取り上げるのは、断片的でダイナミックな方向性の頂点《アクション・ミュージック》(1955) と、《組曲第8番》以降の総括を意図し、特に旋律的で瞑想的な方向性が光る《組曲第11番》(1956) であり、彼はこの2曲でピアノ独奏曲はひとまず打ち止めにした。

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 さらにチェロ独奏曲《トリフォーン》(1956)・《ディトーメ》(1957) やピッコロとオーボエのための《リュック・ディ・グック》(1957) などを経て、ピアノ即興を素材とする作曲の可能性は極めたと見ると、彼は即興演奏の楽器をオンディオーラ微分音を出せる電気オルガン)に切り替えた。《弦楽三重奏曲》(1958)、9金管楽器と打楽器のための《前兆》(1958)、クラリネットと7楽器のための《キャ》(1959) と、1音の微分音的なゆらぎを顕微鏡的に拡大する革新的なコンセプトを編成を拡大しながら深化させてゆく。このコンセプトを純化した、室内オーケストラのための《1音に基づく4つの小品》(1959) の豊かさの前では、同時代に一世を風靡したペンデレツキ、リゲティ、ツェルハらの音群音楽すら、児戯に思えてくる。オネゲルとマルティヌーの網羅的研究の他、スペクトル楽派(特にラドゥレスク、ドゥミトレスクら「裏楽派」)の研究でも名高いベルギーの音楽学者ハリー・ハルブライヒが「現代音楽の歴史はすべて書き直さなければならない:いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられないとまで主張したのは、まさにこの時期の作品に由来する。

 特に、後述する平山美智子(1923-) のための声楽曲の作曲が軌道に乗ってから数年間の作品群:《弦楽四重奏曲第3番》(1963)、大オーケストラのための《ヒュムノス》(1963)、ヴァイオリン独奏曲《クノイビス》(1964)、《弦楽四重奏曲第4番》(1964)、女声合唱のための《イリアム》(1964)、チェロ独奏曲《イグール》(1965)、ヴァイオリンと18楽器のための《アナイ(1965)、4人の独唱、オンド・マルトノ、混声合唱、オーケストラのための《ウアクサクタム》(1966) は、各々20世紀の該当編成を代表する傑作だ。例えば《クノイビス》は、当たり前のように1弦1段の3段譜で書かれ、ある弦の持続音に別な弦が微分音で上下行してまとわりつくような、楽器の常識を超えた難度の場面が続く。しかもそれは技巧のための技巧には終わらず、緊張感に満ちた音空間を生み出す不可欠な要素として鳴り響く。この水準の奏法を全楽器に要求して譜面は最大13段に達する《弦楽四重奏曲第4番》は、彼の特異な弦楽器書法の集大成である。これらに匹敵するヴァイオリン独奏に牽引されたアンサンブルが、彗星の尾のようにゆらめく《アナイ》は、それまでの緊張の塊のような音世界に深い瞑想性も加わった、一段上のステージの作品。また合唱曲は彼にしては比較的穏当な作品が多かったが、《イリアム》はこの時期の作品の中でも見劣りしないラディカルな書法を持つ。

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 以上の要素がすべて注ぎ込まれたのが、彼の終生の代表作《ウアクサクタム》である。《アナイ》のアンサンブル書法と《イリアム》の合唱書法の上でオンド・マルトノが弦楽器ソロの役割を果たす(元々の素材は微分音電気オルガンである)、と図式的にはまとめられるが、マヤ文明の伝説という格好のモティーフのもと、過剰なはずの諸要素のバランスが奇跡的に取れて本作は生まれた。編成的にもモティーフ的にも、ヴァレーズ終生の代表作《エクアトリアル》(1932-34) の現代版という位置付けがふさわしい。シェルシ作品の素材になった即興の録音は、現在はある程度公開されているが、私的録音の限界はあるにせよ、その即興と最終的な作品の密度や情報量の落差は大きいこの録音を渡されてあの編成を思いつくことはまず不可能で、たとえ自分で譜面を書くことはなくても、編成を含む音楽のイメージはシェルシのものに違いない。また、いくら編成やイメージは指定されていたとしても、この素材からあの音響を引き出すことは誰にでもできることではなく、20年近く共同作業を積み重ねたトサッティならではの仕事である。実際、トサッティの作品表を眺めると、シェルシのピークにあたる時期は如実に創作ペースが落ちている(数年かけてコツコツ書く類の大作はあるが、霊感に任せて一気に書き上げる類の作品がパタッと途絶えている)。《ウアクサクタム》の達成は、トサッティにとってもひとつの区切りになり、この曲をもってアシスタントを退任した。

 この時期のシェルシには、もうひとつの大きな出来事があった。声楽家・平山との出会いである。イタリアに移住し《蝶々夫人》役で生計を立てていた彼女は、1957年にはシェルシと面識があったというが、管楽器ソロ曲を声楽用に編曲した、ひたすら持続音が続く譜面を渡されて途方に暮れていた。だが、彼の音楽の秘密は微分音オルガンによる即興だと耳にして、好奇心旺盛な彼女はそれを聴いて判断しようと思い立つ。共同作曲の秘密が漏れることを怖れていたシェルシは、周囲が寝静まった深夜に即興を録音していたが、彼女は真冬のアパートの玄関先で毛布にくるまって徹夜で聴き、彼の音楽は本物だと確信した。彼女は次の面会の機会に、あの日の即興を思い出して譜面に囚われずに歌った。自分の音楽の最初の理解者を前にして彼の創作意欲は燃え上がり、彼女の歌唱を前提にした《ホー》(1960) に始まる声楽曲群を書き始めた。ソプラノ、ホルン、弦楽四重奏、打楽器のための《クーム》(1962)、ソプラノと12楽器のための《プラーナムI》(1972)、そしてもうひとつの終生の代表作である、1時間近い連作《山羊座の歌》(1962-72)。
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 彼女は作曲上の秘密をある程度(まず素材は即興の録音だということを、後には彼が譜面を書いていないことまで)知っている協力者なので作曲の方法論も変わり、打ち合せに基づいた彼女の即興をシェルシが録音し、それを素材に譜面化が行われた。特に《山羊座の歌》では大半の曲が彼女のソロなので、やがて彼は精密な譜面化にも拘らなくなり、彼女が譜面を修正し自由に解釈するところまで認めるようになった。さまざまな特殊唱法を駆使した声のための作品は、まさに《山羊座の歌》の作曲時期でもある前衛後期に多く書かれた。バーベリアンの歌唱を前提にしたベリオの作品群はその代表であるが、唸り声や叫び声を含む地声の魅力を追求し、音楽が制度化される以前の呪術性を強く持った、平山の歌唱を前提にしたシェルシの作品群は、その中でも特異な位置を占めている。シェルシ終生の代表作に本質的に貢献した、ふたりの協力者は対照的だ。トサッティは彼の音楽には全く共感していなかったおかげで、中途半端な思い込みで彼の意図を歪めることなく、特異な音楽をそのまま譜面化することができた。平山は彼の音楽に深く共感し、通常の演奏家の領分を超えて、即興で素材を生み出し試演時に譜面に手を入れる、他の曲ではシェルシが果たした役割まで担った。

 トサッティ退任後は彼の弟子数人が作曲アシスタントを引き継いだが、誰も彼の代わりにはなれなかった。《ウアクサクタム》の次にあたる作品が即興の録音ほぼそのままのギター独奏曲《コ・》(1967) なのは象徴的だが、トサッティ後期には大編成作品が並んでいたシェルシの作品表は、突然小編成作品中心になる。混声合唱と大オーケストラのための《コンクス・オム・パクス》(1968) や《プファット》(1974) のような曲もあるが、楽章ごとに使用楽器を一変させ、クライマックスで突如大量の楽器を投入したりと、平板な曲想に物量攻撃で辛うじてコントラストを付けているに過ぎず、微分音のゆらぎを積み重ねたトサッティ時代の精緻な音楽はもはやない。ただし、トサッティ時代の作風は同時代の音群音楽の上位互換版に過ぎず、この時期の「誰もやらなかったバカな音楽」こそが代表作という見方もある。軽妙でユーモラスな男声合唱曲《TKRDG》(1968) やハープ、タムタム、コントラバスという編成が命の《オカナゴン》(1968)、戦前にも書かなかったような素朴な調性的声楽曲《3つのラテン語の祈り》(1970)・《応唱》(1970) など、従来とは異質な傾向がこの時期に一挙に現れるのは、中の人が頻繁に入れ替わっていたからだと捉えるのが自然である。
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 ただし、9楽器のための《プラーナムII》(1973)、チェロとコントラバスのための《さあ、今度はあなたの番です》(1974)、電気オルガン独奏曲《イン・ノミネ・ルーキス》(1974) など、病気療養直後の作品群を思わせるシンプルな持続音に最小限のゆらをまとわせた創作末期の作品群は、ヨーロッパ戦後前衛とは別系統の米国実験音楽に通じる深みを持っている。イタリア作曲界では孤立していた彼の音楽を理解して発表の場を与えたのは、〈新しい響き Nuova Consonanza〉音楽祭を主催し同名の集団即興グループ主宰したフランコ・エヴァンジェリスティ(1926-80) だけだったが、この音楽祭や最晩年の作風を通じて、ケージ、フェルドマン、アール・ブラウン、ジェフスキ、アルヴィン・カランら米国実験音楽の作曲家たちと親交を結んだ。

 彼の旺盛な創作は、演奏時間10分に満たないが全作品中最大の編成を持つ《プファット》(1974) で一段落し、以後は自作のプロモーションが活動の中心になった。ローマの現代音楽の演奏会に足を運び、目をつけた演奏家を自宅に招いて、録音を流して譜面を見せる地道な活動だが、そうして密接な協力者になったのは、アンサンブル2e2mを主宰するメファーノ、アルディッティ弦楽四重奏団、チェロのウィッティ、コントラバスのレアンドル、ピアノのミカショフとシュレーダーら、錚々たる顔ぶれだった(目鼻立ちの整った女性奏者が多いのは、古稀を迎えた程度ではイタリア人男性の脂は抜けないのだろう)。イタリア在住のアルヴィン・カランと協力して自作録音のLP化も70年代末から80年代初頭にかけて行い、平山による声楽作品集を2枚、ウィッティによるチェロ独奏《三部作》全曲、アルディッティ弦楽四重奏団による最初の全集(当時は第4番まで)をリリースした。
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 この流れの中で、パフ/アンサンブル2e2mによる作品集(曲目は《キャ》《1音に基づく4つの小品》《オカナゴン》《プラーナムII》)が1982年にリリースされたのを契機に、「シェルシ・ルネサンス」が始まった。良き理解者による、アンサンブル編成の作曲家紹介としてベストの選曲だが、時代的条件も揃っていた。ミュライユ&グリゼーとシェルシの出会いから始まったスペクトル楽派がIRCAMの研究プログラムに選ばれ、彼らのルーツに位置する謎の作曲家への関心も高まっていた。コアな現代音楽の探求者ならば、ポスト戦後前衛の諸潮流(スペクトル楽派、新しい複雑性、ドイツ音響作曲など)が曲がり角を迎え、ラディカルな初期衝動から伝統との折り合いを付ける段階に入ったこと、米国実験主義はオリヴェロス(1932-)、テニー(1934-2006) らよりも下の世代には受け継がれず、頼みの綱のミニマル音楽も、和声進行を利用する「ポストミニマル」の段階に入って変わってしまったことなどに気付いており、閉塞感が溜まっていた。ポストモダンの潮流の中で、東洋思想の影響を標榜する即興的な音楽もブームになっていたが、戦後前衛と米国実験音楽双方の本質を踏まえた上で、「私は作曲家ではなく仲介者だ」と語るシェルシには、彼らと一線を画する圧倒的な「本物感」が漂っていた。ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習での二度の特集(1982, 84)の間にドイツの音楽学論文集Musik-Konzepteでも、現代作曲家としてはシュネーベル、ノーノ、メシアンに次いで取り上げられた(1983)。彼が地道に築いてきた協力者のネットワークを通じて網羅的な演奏が行われ、最後に残った合唱とオーケストラのための3作品の初演(ISCMケルン大会, 1987)は本公演もゲネプロも完売し、終演後はスタンディングオベーションが果てしなく続く伝説的な成功を収めた。この3作品を含むオーケストラ曲全集はヨーロッパの数あるレコード賞を独占した。

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 人生の最後に最大級の賞賛に包まれて、彼は1988年に亡くなった。「シェルシ・ルネサンス」の中心地はドイツやフランスで、イタリア作曲界での「公然の秘密」は伝わっていなかった。彼の死の直後に「ジャチント・シェルシ、それは私だ」と題するトサッティへのインタビューが音楽学雑誌に掲載され、共同作曲の秘密は公になったが、佐村河内守の一件のようなスキャンダルに発展することはなく、シェルシ作品の演奏や研究は現在でも続いている。むしろ、シェルシ作品の受容を通じて、「芸術音楽」側の意識は変わった。譜面化を経ない「録音メディア上での作曲」と共同作曲が、芸術音楽とポピュラー音楽を長年分かってきたが、電子音楽とシェルシ作品の受容を通じてこの溝は乗り越えられ、今日では現代音楽と実験的ポピュラー音楽の最前線に本質的な区別はない。ハルブライヒの意図すら超えて、「いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられない」。

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by ooi_piano | 2017-09-28 04:33 | POC2017 | Comments(0)