6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

■2005/09/27(火) 影向の時節も今幾程によも過ぎじ

10月7日の公演《京の華舞台「心と技の共鳴」》の解題です。

c0050810_7233527.jpg第一部 仕舞「清経」(約十分)
世阿弥作の夢幻能。修羅物。豊前柳が浦に身を投げ空しくなった主君清経の遺髪を淡津三郎(ワキ)が清経の北の方へ届ける。悲しみの余り遺髪を返してしまった北の方の夢中に清経の霊(シテ)が姿を現し、夫婦は互いに恨み言を述べる。やがて清経は妻の恨みを晴らそうと自分が入水するまでの経緯、修羅道の苦しみを受けたが最期に唱えた十念のおかげで成仏できたことを語る。





c0050810_7251731.jpg第二部 チェンバロ独奏(約三十分)
武者の修羅の姿を演じる修羅物(破の序の位)を第一部、想像上の動物を演じる切能(急の位)を第三部とするなら、第二部のチェンバロ独奏は鬘物(かづらもの、破の破の位)のイメージで、と言われました。
女流作曲家(例えばエリザベト・ジャケ=ド・ラ・ゲール)やバッタリア(戦争)系を取上げれば良い、と言うわけでは無いでしょうし、また現在では例えば《ラ・ガルニエ》は「ガルニエ夫人」ではなく「ガルニエにまつわる小品」と訳すのが定説らしいので、案外適当な作品が見当たりません。タイトルからだけするとクープラン《第25オルドゥル》などは最適ですが、曲想はイマイチ。聖霊系だからって鳥物(《第14オルドゥル》、ラモー+ダカン+パスクィーニあたり)というのも凡庸。狂女物ということで検討していたマラン・マレーとアントワーヌ・フォルクレについては、第三部の始めと終わりに取上げることにしました。
色々考えた結果、神に仕えることになった若い女の嘆き《モニカ》、暁の光が赤く染まる中ガリラヤでの復活を女達に告げる御使の賛美歌《天使は励ましの御言葉もて》、優美な《幸せな思い》《蝶々》を含むクープラン《第2オルドゥル》、そしてフォルクレ《ジュピター》同様の稲妻が炸裂するロワイエ《スキタイ人の行進》という献立で参ります。
なおクセナキス作品のタイトル《ホアイ》は、ギリシア語で「酒を地面に献じて、冥界の神々に誠を捧ぐこと」を意味します。1961年に初来日したとき、京都で観能した彼は大いに感じ入り、「もし古代ギリシア劇が現代に生き延びていたら、このようなものだったのではないか」と漏らしたそうです。

c0050810_7263277.jpg第三部 「石橋」(約四十分)
[粗筋] 寂昭法師(じゃくしょうほうし、ワキ)が清涼山の石橋を渡ろうとしていると、樵人(前ジテ)が現れてそれを止め、菩薩の来現を待てと告げて去る。やがて文殊菩薩に仕える獅子(後ジテ)が姿を現し、牡丹花に戯れつつ雄壮な舞を見せ、御代の千秋万歳を寿ぐ。

[以下、原文と口語訳]

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謡曲「石橋」(金剛流)

 ワキ「これは大江の定基出家し。寂昭法師にて候。我入唐渡天の望叶い。只今清涼山に來り候。これは、はや石橋にて候。暫く休らい、橋を渡らばやと思い候。」
 シテ「松風の。花を薪に吹き添へて。雪をも運ぶ。山路かな。山路に日暮れぬ樵歌牧笛の聲。人間萬事様々に。世を渡り行く身の有様。物毎に遮る眼の前。光の陰をや送るらん。餘りに山を遠く来て雲また跡を立ち隔て。入りつる方も白波の。入りつる方も白波の。谷の川音雨とのみ聞えて松の風もなし。げにや謬つて半日の客たりしも。今身の上に知られたり、今身の上に知られたり。しばらく休まばやと思い候」
 ワキ「いかにこれなる山人。これは石橋候か。」
 シテ「さん候これこそ石橋にて候へ。向ひは文殊の浄土清涼山。よくよく御拜み候へ。」
 ワキ「身命を佛意に委せて。この橋を渡ろうずるにて候。」
 シテ「暫く候。その名を得給ひし高僧貴僧と聞こえし人も。此處にて月日を送り。難行捨身の行にてこそ。橋をば渡り給ひしに。獅子は小虫を食はんとても。まづ勢ひをなすとこそ聞け。我が法力のあればとて。行くこと難き石乃橋を。たやすく思ひ渡らんとや。あら危しの御諚やな。」
 ワキ「たゞ世の常の行人は。左右なう渡らぬ橋よなう。」
 シテ「御覧候へこの瀧波の。雲より落ちて数千丈の。瀧壷までは霧暗うして。身の毛もよだつ谷深み。」ワキ「巌峨々たる岩石に。」
 シテ「僅に懸る石の橋。」
 ワキ「苔は滑りて足もたまらず。」
 シテ「わたれば目も眩れ。」
 二人「心もはや。」
 地謡「上の空なる石の橋。上の空なる石の橋。まづ御覧ぜよ橋もとに。歩み臨めばこの面は尺にも足らずして。下は泥梨も白波の。虚空を渡る如くなり。危しや目も眩れ心も消え消えとなりにけり。おぼろけの行人は。思ひも寄らぬ御事。」
 ワキ「尚々この橋の謂はれ委しく御物語り候へ。」
 地謡「それ天地開闢のこのかた。雨露を降して国土を渡る。これ即ち天の浮橋とも云へり。」
 シテ「その外国土世界に於いて。橋の名所さまざまにして。」
 地謡「水波の難を遁れ。萬民富める世を渡るも。即ち橋の徳とかや。然るにこの石橋と申すは人間の渡せる橋にあらず。自れと出現して。つづける石の橋なれば石橋と名を名づけたり。その面僅に尺よりは狭うして。苔はなはだ滑かなり。その長さ三丈餘。谷のそくばく深き事。千丈餘に及べり。上には瀧の糸。雲より懸りて。下は泥梨も白波の。音は嵐に響き合ひて。山河震動し。雨土塊を動かせり。橋の氣色を見渡せば。雲に聳ゆるよそほひの。喩へば夕陽の雨乃後に虹をなせる姿また弓を引ける形なり。」
 シテ「遥かに臨んで谷を見れば。」
 地謡「足すさましく肝消え。進んで渡る人もなし。神變佛力にあらずは。誰かこの橋を渡るべき。向ひは文殊の淨土にて常に笙歌の花降りて。笙笛琴箜篌夕日の雲に聞え来目前の奇特あらたなり。暫く待たせ給へや。影向の時節も今幾程によも過ぎじ。」
 
 (中入)  
 後シテ(獅子の精)の出
 (獅子の舞)

 地謡「獅子團乱旋の舞楽の砌。獅子團乱旋の舞楽の砌。牡丹の英匂ひ充ち満ち大筋力の獅子頭。打てや囃せや牡丹芳。牡丹芳。黄金の蕊現れて。花に戯れ枝に伏し轉び。げにも上なき獅子王の勢ひ靡かぬ草木もなき時なれや。萬歳千秋と舞ひ納め。萬歳千秋と舞ひ納めて。獅子の座にこそ。直りけれ。」  


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口語訳 謡曲「石橋」(金剛流)

 ワキ「私は寂昭法師という者です。俗名を大江定基と申しました。この程願いが叶って、日本を離れて唐・天竺へ渡って参りました。そして、この中国は清涼山へ参りましたところです。ああ、あそこに見えているのが名高き“石橋のようですね。一まず休んでから、橋を渡ろうと思います。」
 シテ「松を吹き過ぎる風が花を散らして薪の上へと吹き集めてきました。この雪みたいな落花も、薪と一緒に運んで山路を行くとしよう。山路を行くうちにもう日が暮れてきました。樵の歌、牧童の笛の音が聞こえてきます。人というものは、それぞれにこの世の中を生き暮らしていく。けれどみな、自分の行く手を遮るように現れる物事にだけ気を取られるし、心を動かすものです。そうしてその日その日を過ごしていくものでしょう。山深いところまで来てしまいました。私のきた道は、立ち込める雲に隠されて見えなくなりました。もう入ってきた方向も分かりません。谷には川が流れています、音が聞こえています。雨音みたいです。けれども雨は降っていないし、松をゆする風も吹いてはいません。謬って半日の客たりしという詩のようです。しばらく休もうと思います。」
 ワキ「ちょっとそこの樵夫、この橋は石橋ですか。」
 シテ「そうですよ、これが石橋です。あの橋を渡った向こう側は文殊菩薩さまの浄土、清涼山です。よく拝まれるといいですよ。」
 ワキ「やはりあの石橋であったか。それならば命を仏のお力に任せてこの橋を渡るとしよう。」
 シテ「少しお待ち下さい。昔にこの橋をお渡りになったえらいお坊様たちはみなここで難行、捨身の行をおこなって、長い修行の日々を過ごされたのです。そして、橋を渡られたのです。百獣の王たる獅子でも小さな虫を捕まえて食べようとする時、まず力を集中させて、それから飛びかかるというのです。ご自分には法力がおありだと言って、渡り難いこの堅い石の橋を容易く渡ろうなどと、危険なことをおっしゃるものです。」
 ワキ「なるほど、並の修行者ではそうそう渡れない橋なのですね。」
 シテ「この瀧は雲ほどもの高さから落ちてきていて、その長さは数万メートルもありますよ。瀧壷は、もう霧が深くて見えないのです。身の毛がよだつほどの深さなのです。」
 ワキ「巌は峨々と聳えている。そしてこの岩石に」
 シテ「わずかに掛かっている細い石の橋」
 ワキ「覆っている苔はさぞ滑ることだろう。」
 シテ「渡ったら目が眩みます。」
 二人「心などはもう」
 地謡「上の空になってしまいます。まず、ご覧なさい。橋のたもとまで寄って見てみればこの橋の幅は一尺ほども無いのです。橋の下はあるいは地獄かもしれません。虚空を渡るのと同じことなのです。目が眩み心は消え入ります。並大抵の修行者には渡ろうなんて思いも寄らぬことです。」
 ワキ「もっと橋の話を聞かせてくれないだろうか。」
 地謡「そもそも、この世界が出来て以来、雨や露を降らせてこちらへとかける橋、虹によって神々は地上へとお渡りになっているのです。それを天の浮橋ともいいます。それが橋のはじまりです。」
 シテ「その他にも、世界中のあちこちに有名な橋があります。」
 地謡「民が水波の危険から逃れることができる橋、豊かに暮らせるように世間を渡っていける橋、これはすべて橋の徳があるからです。そしてこの橋は人工の物ではなく、自然に現れて架かっている石の橋なので石橋と名付けられたのです。その幅はわずか一尺ほどで、滑りやすい苔で覆われています。橋の長さは三丈あまりです。谷の底の深さは数千メートルにも及ぶでしょう。橋の上の瀧は雲からかかる糸のようです。橋の下が地獄かどうかは知りませんが瀧波の音は嵐のように谷底に響き合っています。山河は振動し、雨が降って土を動かすのです。橋はまるで雲から雲へと架けられているかのようです。喩えるなら雨の後にさす夕陽がかける虹、また弓を引いた形です。」
 シテ「遥か下の谷底を見れば」
 地謡「足は震え心も消え入るばかりです。好んで渡ろうなどと言う人はいません。神変仏力にでもよるのでなければこの橋を渡れる人など居ないのです。橋の向こうは文殊菩薩の浄土。いつも笙歌が響き渡り、花が降り注いで来ます。笙、笛、琴、箜篌の音があの夕陽に照らされた雲間から聞こえてきています。奇跡が今にも起こりそうです。暫くお待ち下さい。神仏の来迎の時刻はもう間もなくですから。」

(中入)  
後シテ(獅子の精)の出
(獅子の舞)

 地謡「獅子団乱旋の舞楽の曲が鳴り響く時。香り高く咲く牡丹は、その芳香であたりを充たす。獅子は力強く頭を打ち振るう。牡丹の香りはまた一層広がる。さあ音楽を打ち囃そう。この芳しき牡丹の花。牡丹のつぼみが開くと中より黄金の髄が姿をあらわす。獅子は、牡丹の花や枝の上に伏し転がり牡丹の花々と戯れる。これがまさしく、百獣の王たる獅子の勢いなのです。その力に靡かぬ草木などありません。このめでたさが続くように、万歳千秋と太平の世が続くようにと舞い納めると、獅子は文殊菩薩の元へと帰って行くのです。」
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Commented at 2005-10-04 01:24 x
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by ooi_piano | 2005-09-27 06:02 | コンサート情報 | Comments(1)