6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

■2005/09/28(水) Hilf, dass es geh’ aus Herzens Grund.


杉山好氏(東京大学名誉教授、元・駒場オルガン委員会長)の訳を原本として、その後いくばくかの改訂が教授陣によって施された(いわば「東大訳」(!))、バッハ《クラヴィーア・ユーブング》のコラール原曲の歌詞対訳です。




―――――――――――――

  P.ブーレーズ: 「ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品は、偉大なお手本だと思います。とくに彼がひじょうに僅かなもの、僅かな思想から発して、一つの形式全体を操作するにいたるあの方法です。彼の全作品のなかで私に大きな感動を与えたもの、そして今なおおそらくは最も私を感動させているもの、それはコラール変奏とコラール編曲です。これがフーガとなると、その構造は一つの決定されたプランから発するという意味で、より厳密です。もちろんすべてのフーガが同一の型にのっとって打ち建てられているというのではないのですが(実際にはそれぞれのフーガが、隣接して見出されるフーガと少しずつ異なっている、とはよく言われてきたことです)、しかし、ともかく、フーガというものはあらかじめ樹立されてしまっている形式であることに変わりありません。
c0050810_901581.gif  もちろんコラールの場合にも同様に、まず最初にフレーズによる形式があるわけです。しかし、結局のところバッハにおけるコラールの展開は、展開すべきそのフレーズそのものに結びついています。そして、バッハが書き進めば進むほど、いかに彼がますます彼のテキストの方向へと深く入って行き、それを開花させるか、それは見るからに顕著なことなのです。こうしてわれわれは、その拡がりのすべてにわたって実践的に続けられる、長いテキスチュアに出くわすことになります。それはまったく驚嘆に価します!例えば《教理問答》(引用者注:「クラヴィーアユーブング第3巻」の「カテキズム曲」のことであるが、「三位一体曲」にも当て嵌まる)を見てごらんなさい。それらはいま申し上げた視点から、真に驚くべきものなのです。私にとっては、それは頂点とも言うべきものです! 敢えて言うならば、私はそれらを、このような観念をもってするかぎりにおいては、《フーガの技法》や《音楽の捧げもの》よりも上位に置きたいのです。」

  C.ドリエージュ:「《ロ短調ミサ》よりも上位にですか?」

  P.ブーレーズ:「そうです。より上位にです。(・・・)コラール変奏曲では、かなり長い時間の経過に乗せられた、一つの真の継続があり、これが私にはまことに驚きに価するのです。そしてその継続はまさにコラールのフレーズの展開そのものによっているのであり、他の何物にも負うていないのです。つまり私が言いたいのは、それがあらかじめ抱懐された形式から結果しているのではない、ということです。」
  Pierre Boulez « Par volonté et par hasard » (entretiens avec Célestin Deliège, 1975) 邦訳「意志と偶然」(店村新次訳/法政大学出版局)より

―――――――――――――――――――――――


キリエ、永遠の父なる神よ(BWV 669)
c0050810_244897.jpg

c0050810_25062.jpg(画像はクリックすると拡大して表示されます)
Kyrie!  キリエ!
Gott Vater in Ewigkeit!  永遠(とこしえ)の父なる神よ!
Groß ist dein Barmherzigkeit,  汝の憐れみは大いなり、
Aller Ding ein Schöpfer und Regierer!  万物の創造者にして支配者にいます神よ
Eleison!  エレイゾン。




キリストよ、世の人すべての慰め(BWV 670)
c0050810_6105592.jpg

c0050810_6102919.jpgChriste, aller Welt Trost!  世のもろ人の慰めなるキリストよ!
Uns Sünder allein du hast erlöst;  われら罪人を贖(あがな)いたまいしはひとり汝のみ、
O Jesu, Gottes Sohn!  おお、神の御子なるイエスよ!
Unser Mittler bist in dem höchsten Thron,  いと高き御座にありてわれらを執成したもう者よ、
Zu dir schreien wir aus Herzensbegier;  汝に向かいてわれらは切なる求めを心から叫ぶ、
Eleison.  エレイゾン。


キリエ、聖霊なる神よ(BWV 671)
c0050810_6131426.jpg

c0050810_613518.jpgKyrie!  キリエ!
Gott heiliger Geist!  聖霊なる神よ!
Tröst’, stärk’ uns im Glauben allermeist,  助け主なる汝の御力により、何よりも我らの信仰を強くしたまえ、
Dass wir am letzten End’  かくてわれらは最後まで耐え忍び、
Fröhlich abscheiden aus diesem Elend!  欣び勇みてこの悲惨の世より去り行かん!
Eleison!  エレイゾン!



いと高きところには神にのみ栄光あれ(BWV 676)
c0050810_6165542.jpg

c0050810_6163293.jpgAllein Gott in der Höh sei Ehr  いと高きところには神にのみ栄光あれ
Und Dank für seine Gnade,  しかしてその御恵みに感謝せよ!
Darum, dass nun und nimmermehr  そは、今よりのち もはや
Uns rühren kann kein Schade!  われらにいかなる災いも及ぶことなければ。
Ein Wohlgefall’n Gott an uns hat; 神はわれらを嘉(よみ)したまいて、主の悦びをば注ぎ、
Nun ist groß Fried ohn’ Unterlass, かくて絶ゆることなき大いなる平和は臨み、
All’ Fehd’ hat nun eine Ende.  すべての争いはいまや断たれたり。


――――(休憩)――――――


これぞ聖なる十戒(BWV 678)
c0050810_6185850.jpg

Dies sind die heilgen zehn Gebot  これぞ聖なる十戒、
die uns gab unser Herre Gott  われらの主なる神、われらに与えたまいしもの。
durch Mosen, seinen Diener treu,  その忠実なる下僕(しもべ)モーセの手に
hoch auf dem Berg Sinai.  シナイ山上、高く嶮しき所にて授けたまえり。
Kyrie eleis’  キリエ・エライス。


われらみな一なる神を信ず(BWV 680)
c0050810_6191942.jpg

c0050810_6261574.jpgWir glauben all an einen Gott,  われらみな一(いつ)なる神を信ず。
Schöpfer Himmels und der Erden,  天と地の造り主なる御(み)神は、
Der sich zum Vater geben hat,  己を与えて父となり、
Dass wir seine Kinder werden.  われらをおのが子となす道をば開きたまえり。
Er will uns allzeit ernähren,  御神はつねにわれらを養い、
Seel’ und Leib auch wohl bewahren,  魂と肉体をすこやまに守りたもう。
Allem Unfall will er wehren,  すべての災厄を防ぎ、
Kein Leid soll uns widerfahren.  患難のわれらに降りかかることなきよう、
Er sorget für uns,  われらのために気づかい、
Hüt't und wacht;  目を覚まして守りたもう。
Es steht Alles in seiner Macht.  よろずのものはその稜威(みいつ)に服するなり。



天にましますわれらの父よ(BWV 682)
c0050810_630263.jpg

c0050810_63205.jpgVater unser im Himmelreich,  天にまします われらの父よ、
Der du uns alle heißest gleich  汝はわれらが互いに隔てなき同胞(はらから)となりて
Brüder sein und dich rufen an  汝を御父(おんちち)と呼びまつることを命じ、
Und willst das Beten von uns han;  子たる祈りをわれらより求めたもう。
Gib, dass nicht bet’ allein der Mund,  されば口にて祈りを唱うるのみならず、
Hilf, dass es geh’ aus Herzens Grund.  心の底よりの切なる求めとなるべく助けたまえ。


#この「天にましますわれらの父よ」による大編曲を弾くといつも、ヘルムート・ラッヘンマンを思い出すのは何故でしょう。





われらの主キリスト、ヨルダンの川に来たり(BWV 684)
c0050810_6333862.jpg

c0050810_6352685.jpgChrist unser Herr zum Jordan kam  われらの主キリスト、ヨルダンの川に来たり、
Nach seines Vaters Willen,  父の聖旨(みむね)に従いて
Von Sankt Johann’s die Taufe nahm   聖ヨハネより洗礼を受けたまいしは、
Sein Werk und Amt zu ’rfüllen;  おのが業と務めをば果さんためなり。
Da wollt’ er stiften uns ein Bad,  すなわち主はこれによりて、われらに洗礼の定めを
Zu waschen uns von Sünden,  課し、われらを罪より洗い潔め、
Ersäufen auch den bittern Tod  また酷(むご)き敵なる死をも滅ぼさんとしたもう。
Durch sein selbst Blut und Wunden;  そは主みずからの血と傷による潔めなり。
Es galt ein neues Leben.かくてぞ新しき生命(いのち)の道は開かれぬ。


深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる(BWV 686)
c0050810_6354536.jpg

c0050810_6402076.jpgAus tiefer Not schrei ich zu dir,  深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる。
Herr Gott, erhör mein Rufen.  主なる神よ、我が叫びを聞き入れたまえ。
Dein gnädig Ohr neig her zu mir  汝の恵み深き耳をわれに傾け、
Und meiner Bitt sie öffen!  わが祈りにそを開きたまえ!
Denn so du willst das sehen an,  げに、もしも汝われらの犯せし
Was Sünd und Unrecht ist getan,  罪と不義とに目をとめたまわば、
Wer kann, Herr, vor dir bleiben?  たれかよく、主よ、汝のみ前に立ちえんや?


われらの救い主なるイエス・キリストは、われらより神の怒りを除きたまえり(BWV 688)
c0050810_6425313.jpg

c0050810_6424394.jpgJesus Christus, unser Heiland  われらの救い主なるイエス・キリストは、
Der von uns den Gotteszorn wand,  われらより神の怒りを除きたまえり、
Durch das bittre Leiden sein  その厳しき受難によりて
Half er uns aus der Höllenpein.  われらをば陰府(よみ)の劫苦より救い出したまえり。






――――――――――――――――――――――――

「くろきもの わが目おほへど」について

c0050810_721126.jpg  本作品の主な素材となっているのは、J・S・バッハのオルガン作品(BWV500番台)のうちの、比較的ポピュラーなフーガである。なぜバッハを素材としたのか——それは作曲者がバッハを深く敬愛しているからであるが、それだけにとどまらない。対位法という明快な規則が用いられた音楽が、以下に述べるような作曲技法の素材として適切と思われたからである。

  本作品の全体は、大まかに三つの部分から成っている。前半部と後半部においては、バッハの作品におけるカノン的な動きを用いた部分、声部の交差する部分などが任意に抜き出され、新たに配置し直され、さらにテンポ変化が付与されている。そのテンポ変化に関しては、主に二つの方法を採った。一つは、各声部ごとに、あるいはある一つの声部のみに異なるテンポを与える、というものである。もう一つは、通常のテンポ設定でありながらも、極度に速いテンポと極度に遅いテンポとの間を短い区間で行き来させる、というものである。前者のテンポ変化においては、垂直の響きとして束ねられた声部群が微妙にずれあい、あるいは別個のものとして動き始め、解離するまでに至る。また後者においては、一つの旋律として知覚されるよう連ねられた個々の音が、ほとんど聴き取れないほどの細かい粒から極度に引き伸ばされるまでに変容させられる。

  漸次的な強弱や速度の変化(cresc./dim.やaccel./rit.等)は、緊張/緩和などといったニュアンスの変化を音そのものにもたらすことができる。ピアノや弦楽器などではそれが個々の音レヴェルで容易に、しかも判り易い形でなされる。これに対してオルガンという楽器においては、そのような変化も一定に均された音質に吸収されやすいように一見思われる――だがそこにはオルガン独特の表現の質といったものがあり、微妙な音の長さの調節やタッチなど様々な手段によって表情を変化させることができる。それ故、前述のような様々な表情の変化は他の楽器以上に、楽器の物理的特質そのものというよりもむしろ奏者の表現にかかっているというべきであろう。そこに今回の作品において作曲者が最も着目した点があり、オルガンならではの魅力もあると思われる。

  一方中間部では、オルガンにおける興味深い特質の一つ、すなわちストップを半分引き出した状態でも用いることができるということを用いている。今回はそれによりピッチを微妙に変化させることが可能であり、結果音質もまた変化するため、和声的な動きのなかに不安定に変化した音律が持ち込まれることとなる。なお今回の演奏会場を考えあわせ、中間部において昭和四年の一高寮歌(譜例:冒頭部分)が素材として用いられている。本作品のタイトルは、いかにも若者らしい熱狂と理想に満ち溢れたその歌詞の一部から取られたものである。
c0050810_722565.jpg


  これらの作曲方法のため、一見普通の譜面のように見えながらも、本作品は演奏者にとってきわめて難易度の高いものとなっている。
[PR]
by ooi_piano | 2005-09-28 15:48 | コンサート情報 | Comments(0)