ブログトップ

Blog | Hiroaki Ooi

■2006/03/23(木) 三題噺――ヴァイス、日本、ディープ・インパクト

c0050810_11422375.jpgスイス在住の国際的リュート奏者、今村泰典氏のレオポルト・ヴァイス作品集の新譜がクラヴェス・レーベル(スイス)からリリースされることとなり、そのブックレット用日本語解説を執筆致しました。
変ロ長調ソナタのイントロドゥツィオーネ楽章がここで試聴出来ます(相当に音質を低めてありますけど)。
ジュリアン・ブリームが取上げて以来最も有名なヴァイス作品であるハ短調ファンタジーも収録してありますので、皆様是非御一聴を。 (・・・余談ながら、ブリテン《ノクターナル》を、自筆譜から弾き起こした演奏(すなわちブリームの「解釈」が入ってない演奏)というのはあるんでしょうか。ダウランド《重き眠りよ、来たれ》の諸モチーフがバラ撒かれて最後に収斂してゆくさまを、もうちょっと典雅に聞き取りたいところではあります。)

c0050810_1217425.jpgJ.S.バッハの場合、ケツの毛を毟り取るが如く微に入り細に亘る諸研究が極め尽くされておりますが、生前は大バッハより遼かに地位の高かったヴァイスの生涯は、調べれば調べるほど曖昧な点が出て来て、難儀しました。「何月何日にバルチック艦隊はこのあたりにいたので、砲撃の音が聞こえた筈だ」ってな、ほとんど司馬遼太郎よろしく歴史小説でも書いているかのような気分でした。
例えば生年。1686年なのか1687年なのか。複数の弟子の覚書にも互いに矛盾があるし、「いつからリュートを始めたのか」に関しても本人の発言やら伝説やらが錯綜。
プファルツ伯カール・フィリップに仕えていた際、その長兄のプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムを訪れたのはデュッセルドルフの「宮廷」だったのか、あるいは別の場所だったのか? そもそも訪伊以前に奉職していたのは、正式にはブレスラウだけなのか?

c0050810_1219295.jpgローマ滞在開始は1708年なのか1710年なのか? もし1710年だとすると、アレッサンドロ・スカルラッティやヘンデルは1709年にローマを去っている筈なので、会ったわけは無い。そもそも1709年のスカルラッティ息子とヘンデルの鍵盤試合も史実では無いという説もある。一方、既に公的な場から引退していたとはいえ、コレッリは当地で存命中であり、案外オットボーニ枢機卿つながりで知遇を得た可能性は考えられる。上記ヨハン・ヴィルヘルム侯は「合奏協奏曲作品6」の被献呈者でもあるし。一方、作風に共通性のあるザンボーニとは、交点が見出せない。
1714年にローマ滞在を切り上げた際、再びプファルツ伯の元へ戻ったらしいが、してみると、キョーレツなオカンのせいで亡命を余儀なくされたポーランド王子への派遣は、プファルツ伯自身の命に拠るものなのか?それは何故に?
なぜ生前はリュート作品の出版を一切許さなかったのか? ひょっとして作品には自信が無かった?(わけがない?) 《忠実な音楽の師》のタブラチュア譜例(このディスクにも収録!)として唯一例外を認めたテレマンとは、ひょっとしてポーランドつながり?
ヴァイスの人となりはどうだったのか?ヨーロッパ随一の高給取りだったくせに、遺族にはビタ一文残さなかった浪費癖の持ち主であり、また某ヴァイオリン奏者に「親指を食いちぎられそうに」なったほど恨みを買ってもいる。
大バッハとの交流はどうか?ヴァイスのイ長調ソナタ第47番は、バッハによってオブリガート・チェンバロ付きヴァイオリン・ソナタBWV1025に編曲されているとは言え、あの異様に演奏至難(というか不可能)なハ短調リュート組曲BWV997や前奏曲・フーガとアレグロBWV998は、ヴァイス自身は試奏さえしたのかどうか?

c0050810_12222466.jpg表題の三題噺、お分かりになりましたでしょうか。ヴァイスが生涯を捧げたドレスデン宮廷楽団(現在のドレスデン・シュターツカペレ)は、当時からクヴァンツ、ビュファルダン、ヴェラチーニ、ピゼンデルなどの名手揃いでした。彼らの主君、ザクセン選帝侯=ポーランド王のフリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強精王)はまた、総数二万五千点以上にのぼる古伊万里や柿右衛門などの東洋磁器のコレクターとしても有名で、欧州初の白磁焼成を成功させ(マイセン窯)、これを収納するために日本宮殿(Japanisches Palais)を築きました。「インド」でも「中国」でもなく「日本」と指定しているところがミソでしょう。山を背にする当時の常識に反してエルベ河畔にピルニッツ城を建造したのは山水画の影響だとか。強精王の後継者、フリードリヒ・アウグスト2世にロ短調ミサを献呈して宮廷奉職を願い出た大バッハは、よって少なくとも「日本」という単語くらいは知っていた筈です(笑)。
それから、ヴァイスのイタリア趣味を決定づけたのは、1710年から14年にかけローマにてポーランド王子アレクサンデル・ベネディクトに仕えたことでしたが、このポーランド・ソビェスキ王家の末裔が、映画《ディープ・インパクト》で一躍名をあげた新進女優、リリー・ソビェスキ、ってわけです。ベーグルを発明したのはまた別の話。

なお、今村氏のヴァイス・チクルスによる日本ツアーが来月(4月)に行われます。4月18日(火)19時スタジオ・ルンデ(名古屋)、4月21日(金)午後7時・新宿文化センター小ホール等のほか、BCJマタイ受難曲(第1稿)にも出演との由。
[PR]
by ooi_piano | 2006-03-23 20:08 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)