■2006/05/26(金) 至誠に悖るなかりしか


c0050810_96095.jpg先般ブーレーズ《ソナチネ》ならびに《第1ソナタ》の練習方法について質問を頂きました。




こういう場合、どうお答えするのが最善なのか、色々悩んでしまいます。送ったメールを無視されるのも感じ悪いだろうし(小心者)、「まず分析から始めましょう」などと無難な(しかし全く役に立たない)回答も芸が無いし、かといって中途半端に実践過程を説明しても誤解されるだけだし。
かつて私も、きっと現代作品には専門家だけが知っている特殊な方法論があり、それを伝授してもらえばブーレーズだってクセナキスだって弾けるようになるのだろう、と思っておりました。七転八倒のすえ分かったのは、そんな方法論など存在せず、結局楽譜に書いてあることを逐一、地道に追っていくしかない、ということでした。

c0050810_965486.jpg「逐一追う」という点で、先ごろ思ったことをひとつ。
爛熟ロマン派と現代のピアノ曲の一部には、大量の音符をモーレツな勢いで演奏させる、「超絶技巧作品」なるカテゴリーが存在します。これを好んでレパートリーとして取上げるのが、「超絶技巧ピアニスト」です。
B.カニーノはシュトックハウゼンのピアノ曲のうち、第1~第11番全曲を弾いたそうです(第10番除く)。「第10番は弾いていない」というコメントを聞いたときに、「ああ、あの曲は特にリズム表記が錯綜を極める上に、音符が多くて指が回らないからだろう」、などと思っていたものでしたが、これには別の見方もあります。第10番を弾いているピアニストは、(i)リズム表記ならびにデュナーミク指定を完全に無視して弾きまくっているだけ(初演者ジェフスキーなど)か、(ii)楽譜のテクスチュアそのものが本来内含する修辞論的理想像に肉薄するのを途中放棄しているか、のどちらかにおよそ二分出来ます。逆に言うと、「楽譜から音高以外の情報を読み取る能力が無ければ無いほど―――すなわち音高以外の音楽情報を捨象出来るほど―――、超絶難曲は弾きやすい」、ということです。

ここで一つ、答えが出ました。「音高以外、特にリズムはケンチャナヨ」。
リゲティのエテュード集がこれだけ幅広く弾かれるようになったのは、汎調性でロマンチックな演奏効果を持つことに加えて、「リズムを数えなくて良い」ことが大きいと思います。ブーレーズ初期作品だって、最初に音高さえ我慢して拾ってしまえば、あとはエマールかポリーニのCDでリズムを「覚える」だけで、莫迦でも「弾ける」ようになります。

閑話休題。
例えばルネッサンス・バロック期の真っ白けの譜面では、リズムはおろか音高までも奏者自身が煉り出さねばならないケースも多いわけで、何でもかんでも細かく指定してある現代作品の譜面は親切、過保護とさえ言えます。私見では、「譜面に書かれた通り」を目指した演奏が、音楽的にも一番面白く響くように思われますので、マジメに取り組んで損はありません。
さて、もし独学で手探りだった15年前の私自身に、「近道」、ならびに「一見近道に見えるが結局遠回りになる道」についての手紙を書くとなると、おおよそ次のようになるでしょう。

c0050810_9105781.gif●まず、4分の4拍子に16分音符が挿入されるような、「付加された音価」に慣れ親しむこと。例えば、4分の4拍子の1拍目と2拍目の間に16分休符が挿入されている場合、「イチトオ・ニイトオ・サントオ・シイトオ」が「イチトオ・《パ》・ニイトオ・サントオ・シイトオ」となる。(これは音楽的には、クラシック演奏におけるアゴーギクを記譜したものと考えられる。)この「イチトオ・《パ》・ニイトオ・サントオ・シイトオ」の「イチトオ」が5連符に、「ニイトオ」が3連符に置き換えられても、基本テンポが揺らがないよう心がける。揺らがないようにするコツは、5連符や3連符を、4分音符ではなく8分音符のパルス上で数えることである。(すなわち、5連符や3連符を2分割する。)
さらにその予備練習として、ストラヴィンスキー《兵士の物語》(ピアノ独奏用スコアあり)、メシアン《幼児イエスにそそぐ20のまなざし》《火の島1、2》あたりを、声に出して拍を数えながら弾いてみると良い。《火の島2》の変奏主題など、左手が16分音符を刻んでいれば無問題であるが、冒頭に剥き出しで提示される際など、往々にして1つ目の4分音符が短くなってしまいがちである。メシアン《カンテヨジャーヤー》冒頭では、逆に最初の付点8分音符が長くなり易い。

●ブーレーズ《第1ソナタ》では、メシアン《まなざし》同様、各々の小節に拍子記号が書き込まれていない。拍節をどのようにカウント(分割)するかについては、あるレベル以上の音楽的判断を要する。ブーレーズ《ソナチネ》総譜には、フルートとのアンサンブルのため、作曲者自身による拍子付けがしてあるので、これは「第1ソナタ」を演奏する際にも非常に参考になる。
たとえば急速なテンポにも関わらず、小節線をまたいで字余り的16分休符が2つ連続している場合など、ことは厄介である。(i)それらを一括りにして8分休符と見做し、どちらかの小節へ繰り込んでしまうか、(ii)あるいは「16分休符」2つを分離してカウントする――すなわち2つ目の(小節線直後の)16分休符を「ダウンビート」と感じて、それに続くフレーズを作ってゆく――か。

c0050810_912392.jpg#かつては私も躊躇無く前者(i)でやっつけてましたけれども、古楽を嗜み譜面の読み方が根底から覆ってしまった現在では、無理をしてでも後者(ii)を試みるでしょう。これは現代曲に限った話ではありません。いま何分の何拍子の何拍目を弾いているのか、モダン楽器演奏では往々にして無視されがちです。4拍子の指揮図形では、ダウンビートが自由落下、アップビートはそれを「浮かせる」モーションであることが一目瞭然に見て取れますが、18~19世紀の作曲家はやはりそれを前提に記譜を行なっていた筈であり、従って演奏も音のエネルギーの「落下」と「浮揚」を譜面から直接意識するべきでしょう。
最も象徴的なのが、バッハのトッカータとフーガ・ニ短調冒頭、「ちゃらり~ん、鼻から牛乳」。正しくは、「ちゃらりーん、[アッ]鼻から牛~ぅ、乳。」となります。バッハ・無伴奏チェロ組曲第3番冒頭「こ~んなボクでもチェロ弾けるぅ~」は4分の4拍子ではなく、「るぅ~」がダウンビートで、「チェロ弾け」はアウフタクト。《シャコンヌ》は1番目ではなく3番目の音がダウンビート。《愉快な鍛冶屋》も1つ目ではなく3つ目の音がダウンビート、一般にガヴォット系は要注意ですね。《エリーゼのために》冒頭の「ミレ」は8分の4拍子の1拍目ではなくて3拍子のアウフタクト、《運命》冒頭は「あさごは~ん」じゃなくて「ン・あさごは~ん」。《ラ・カンパネラ》ではしばしば2拍目・5拍目がダウンビート扱いされています。シューマン・ブラームス枚挙に暇無し(さて《トロイメライ》は何拍子でしょう)。《展覧会の絵》冒頭もしばしば2拍目がダウンビート扱い(ラヴェル三重奏曲冒頭しかり)。ドヴォルジャーク《アメリカ》第3楽章は、1つ目の音がダウンビート。ああそうだチャイコの協奏曲第1番第1主題なんか、3連符の2つ目がダウンビート扱い。
・・・とまぁ、「クラシック泰西名曲100」から選んでもこの有様。要するに、自分で譜読みをする前にCDやコンサートなどで楽曲に親しむ(=他人の糞解釈を脳味噌に刷り込まれる)とロクなことが無い、というお話でした。 マイナー例を一つ挙げるならば、リゲティ練習曲第1番《反秩序》の中間部モチーフは、自筆譜スケッチを見れば明瞭なように、4分の4拍子ではなく8分の3拍子です。ついでに付け加えると、同《ワルシャワの秋》等では小節線は全く便宜上のものなので、視覚上のダウンビートは一切意識する必要はありません。


●第1ソナタ第2楽章中間部では、上段・下段に分かれた2声部は、ほぼ例外なくずっと右手、ずっと左手に担当させるのが音楽的にベストである。それぞれの声部の独立を右脳・左脳で自然に認識するためには、これが最善の方法であり、下段を右手で取ったり上段を左手で取ったりするのは、「一見近道に見えるが結局遠回りになる」最たる例といえる。
「レガート」とは前述の通り、音の立ち上がりを(ゆっくり目に)連続させ不揃いにしないことであり、指やペダルで音と音をつなげることに固執しないほうが、特に前掲箇所では最も楽にベストの結果を生む。レガート奏法の練習方法についてはここで言及した。

c0050810_9123491.jpg●強弱の細やかな制御は、現代音楽というよりはクラシック作品演奏法の領分である。
定番のお約束ではあるが、まずは、フォルテと指定してある箇所をフォルテシモで弾かないこと。フォルテは「強く」ではなく「響きが豊かに」、と置き換えるくらいで丁度である。因みに、たとえフォルテが4つ乃至6つ書いてあっても、音は割れるべきではない、というのが現在の私の見解(割れて聞き苦しい音が、聴き手とのコミュニケーションを阻害する懼れがあるため)。
その次に、ピアノとピアニシモの違いを区別出来るようになること。ピアノは小声、ピアニシモは囁き声etc。ピアノが小さすぎないことがポイントで、ソフト・ペダルはピアニシモ以下の弱音でのみ使用すること(楽器の性能によって使用頻度は左右されるが)。左足をソフト・ペダルの上に置きっ放しにするのは良くない。シューベルト作品を幾つか勉強し、ソフト・ペダルはpppのみで用い、その上でp、pp、pppを区別する訓練を行うのも有用。
その後、mpからmfの間のみのデュナーミクでどこまで多彩な音楽作りが行えるか探求する(別に順不同だって良いけど)。チェンバロやオルガンの演奏表現に触れることは、この点で非常に役立ちますよ。mp~mfの間のみで書かれた現代作品も結構ありますし(甲斐説宗とか近藤譲とか)。
なお、これらの「強弱」は、タッチ/音色/アタックと呼ばれる音響現象と分かち難く結び付いているので、強弱パラメーターにのみ拘るのは視野狭窄である。

#フォルテシモとピアニシモを交替させるのは非常に簡単。
ピアニシモの単音をポツポツと鳴らしていくのも、別に難しいことではない。
ピアノ/ピアニシモのデュナーミクの中で、ある古典的フレーズを連続的につなげるのはそこそこ難しいが、慣れれば誰でも出来る。
メゾピアノからメゾフォルテの間で豊かな音楽を続けるのは、おそらく経験が必要。
例えばベートーヴェン作品106では、最も簡単なのはスケルツォ、その次に容易なのが終楽章フーガ、そして至難なのは20分かかるアダージョではなく、ソナタ形式の第1楽章を音楽的に「聞かせる」ことである。

c0050810_16522679.jpg●作品の「分析」について・・・例えば音列というのは音程関係の集積なわけだから、耳で聞いて/目で見て分かる範囲での相似形探しは必要である。が、拘りすぎる必要は無い。僅かな例外を除いて、いわゆる公刊されているレベルの「楽曲分析」一般に見るべきものは無い。《第1ソナタ》《ソナチネ》については、ドリエージュによるインタビュー「意思と偶然」を立ち読みすれば十分(モデルとなったシェーンベルク《室内交響曲》や《月に憑かれたピエロ》のスコアくらいは見ること)。
ある楽句の中核となる音はどれで、装飾的な音がどれであるか見極める点では、(しつこくて恐縮ですが)古楽奏法、なかんづく通奏低音法の知識が大変役立つ。

●指定テンポの遵守について・・・勿論守るのが理想。ただ、楽譜の音楽情報を丁寧に掘り起こして聴き手に伝えられているのなら、多少のテンポ・ダウンは全く気にならないのも現実である。ショパン練習曲やハンマークラヴィア・ソナタの「指定通りテンポ」の演奏は、やはりセッカチに聞こえる。猛烈な速度指定の譜面を書いた戦後世代の作曲家でさえ、加齢とともにテンポをダウンを許容・希望する傾向が見られる(例えばブーレーズ)。

●以上のような「経験者のアドヴァイス」、あるいは20世紀前半の諸作品による「ウォーミングアップ」無しに、いきなり戦後前衛作品を楽々と譜読みし、完璧に弾きこなしてしまう人もいる。私の周りでは、ピアノの鈴木貴彦、フルートの木ノ脇道元の両氏がそれに該当し、ヨーロッパでも彼らに匹敵するほどの緻密な奏者は寡聞にして知らない。鈴木氏など大学新入生当時、ブーレーズ第2ソナタを平然と暗譜演奏しながら、ピエロはおろか牧神もろくに知らなかったのには仰天したが、要は才能、ということかも。「練習方法が分からないのなら、その作品を演奏する資格が無い」。
当時の私にとっては頭痛と敬遠の対象でしかなかったメシアン《音価と強度のモード》を、楽しそうに練習する野村誠氏(作曲家)にも刺激を受けた。そういう異常な人達に出遭う運も必要、ということですね。
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Commented by ざき at 2006-06-13 11:29 x
リゲティが亡くなりましたね。大井さんのコメントお伺いしたいです。
Commented by ざき at 2006-06-13 17:03 x
岩城宏之氏も亡くなりました。同じ日の朝刊と夕刊にて知りました。
Commented by ooi_piano at 2006-06-14 05:58
「シャーンドル・ピアノ教本」への批判を近々書くつもりですので、そのときにハンガリーつながりでリゲティについても少し触れるかもしれません。
Commented by k.n. at 2006-06-14 09:26 x
まぁあのピアノ教本は読み手が「間違っている」と思えば「間違っている」本ですから。「著作を仕上げたピアニストがこんな弾き方!」って言われたらそれまでですし。

Youtubeで名人の演奏を見ていると、明らかに「反シャンドール」という立場の人もいますね。
Commented by ooi_piano at 2006-07-10 07:53
>まぁあのピアノ教本は読み手が「間違っている」と思えば「間違ってい
>る」本ですから。「著作を仕上げたピアニストがこんな弾き方!」って
>言われたらそれまでですし。

そういう問題では無いと思います。
一見読み手の自由裁量に任せるようでいて、その実、肉体条件によっては明らかに有害な奏法を押し付ける記述は、「間違っている」で済まされる話ではありません。
ピアノの名人がどれほど「基本」から(一見)はずれた弾き方をしてようが、それは名人自身(の肉体)にとっては全く無問題です。面白いことに、ヴァイオリンの名人は決して「基本」からはずれた弾き方はしません(音自体がコントロール出来なくなりますから)。
Commented by かわ at 2006-07-10 17:49 x
最新記事の更新がとても待ち遠しいです。期待しています。
Commented at 2006-07-17 19:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ooi_piano at 2006-07-30 03:34
いま御回答申し上げようとしている間に、コメントを削除されてしまいました・・・。とりあえず書いたものをアップしますね。
シャーンドル教本の良い点は、「体が痛くなったら、すぐピアノの練習をやめなさい。」と明言されているところでしょう。ただ、手の腱鞘炎の第1位が「親指の付け根の痛み」であり、「親指を使用するときは手首を下げる」というシャーンドルの指示が、腱鞘炎まっしぐらなのは遺憾です。
私も日々考えが変わっていっておりますので手元で最終確認が出来ませんが、小林仁氏「ピアノの練習室」や永富和子氏「もっと楽にピアノは弾ける―ピアノが大好きになる練習法」等は如何でしょうか。
Commented by ooi_piano at 2006-07-30 03:34

御木本氏の本は存知あげません。トレーニングボードというものは拝見したことがあります。指先の僅かな落下運動(速度)に神経を集中させる訓練、ということでは、ヒストリカル・チェンバロのタッチ練習とそっくりだと思います。
なお、言わずもがなですけれども、ネットでも教則本でもレッスンでも、他人からの情報というのは最終的には当てになりません。ワケが分かってないことほど、人は所信表明をしたがるものですし(このブログのように(笑))、親切のつもりが仇になることもしばしばです。
Commented by たかはし at 2006-07-30 12:19 x
も~しわけありません。7/18のほうに書きなおそうと思ったら、コピーされてなくて原文がすっとんでしまい、書きなおしているうち取りとめのない文章になって、書ききれないでおりました。ご丁寧なコメント誠にありがとうございます。コメントを頂いたので、このままこちらに再度書かせて頂こうと思います。本当に申し訳ありませんでした。
Commented by たかはし at 2006-07-30 12:38 x
7/18の記事に次のようにコメントさせていただこうと思っていました。
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はじめまして。間違って5/26にコメントしてしまい削除しました。申し訳ありません。改めてこちらに。

『シャンドール ピアノ教本』買ってしまいました。あれほど好意的なコメントしか検索できなかったのに、買った次の日になってこちらを発見してしまうとは。不躾な(というか聞くまでもない)質問で恐縮ですが、やはり読まないほうがよいでしょうか、それともこちらのパッチを当てて読んだほうがよいでしょうか。ご意見をいただければありがたいです。

”科学的”という響きにつられて『正しいピアノ奏法(御木本澄子)』を購入しましたものの、私には超難解な本で、基本的な弾き方がなかなか読み取れず、いきおいトレーニングボードも購入したのですが、組み立て方がわからないままほったらかしになっています。そんなとき本屋で偶然『シャンドール..』を見つけて、これを手本にしてはどうかと思い、購入した次第です。
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お勧め頂いた本も機会があれば読んでみたいと思います。ありがとうございます。

by ooi_piano | 2006-05-26 08:31 | Comments(11)