[未訂正]■2007/03/06(火) 近くて見えぬは睫


(承前)
  意識されない筋肉のこわばりを防ぐために、筋肉がもっとも緩められた状態での打鍵の可能性を考えてみます。
  お題は、《もっとも完璧に音階やアルペジオを弾くには》。私見では、これは《親指の位置が変化したときに、手首や肘に緊張が走らないこと》と、ほぼ等価だと考えます。それが非常に難しい。

  指の筋肉がもっとも緩められた場合、水が方円の器に随うように、指は鍵盤の形状や質量(抗力・弾性)に寄り添い、溶け込んでいく筈です。指主体ではなく、対象(鍵盤)主体、という発想は、チェンバロ・フォルテピアノ・クラヴィコード・オルガン・グラスハーモニカといった、諸々の古楽器体験から導き出されました(あと、オンドマルトノのリボン奏法とトゥッシュ)。結果的に、既存のピアノ教授法で語られる言葉の幾つかを全否定するに到ります。
  取り合えず文字説明ばかりになりますが、追って実施例のドガログ動画を貼り付ける予定です。

  以下に延々と説明させて頂くのは、「緩められた手を鍵盤上へ置きに行って、元に戻す(引き上げる)」、という一モーションの詳細です。「置いて、離す」以外は、出来る限り何も足さない引かない、というのが特長です。腋の下をコチョコチョくすぐられると、ついヘナヘナと力が抜けてしまう瞬間がありますが、あの状態のままでピアノを弾く、ということです。出来ます。可能です。


(1) 「うらめしや」のポーズにおける弛緩確認

  (a) まずテーブルの側に立ちます。頭が上から引っ張られているような、いわゆる正しい姿勢です。首は肩の上に乗っており、顔は真正面を向いています(これは、肘に余計な緊張が走るのを防ぐためです)。両腕は糸の切れたマリオネットのように、脱臼した状態でだらんとブラ下がっています。
  ノンレム催眠時と同様にリラックス、というのは無理にしても、一番落ち着ける場所(寝室、風呂場、神社・教会etc)、落ち着く時間(深夜、早朝etc)、落ち着くセッティング(家族と一緒、香を焚くetc)を選ぶのがポイントでしょう。

  (b) 利き腕が右手なら、左手から始めたほうが良いかもしれません。利き腕より脱力しやすいと思います。
  左手首を、上から操り人形の糸で引っ張られているように、(a)の状態から高い位置へと持ち上げていきます。いわゆる幽霊の「うらめしやあ」のポーズ(※)になります。指先は下へ垂れたまま。「糸」は手首だけについており、肘や肩は手首の動きに後からブラブラと従うだけです。
  誰かに手首を引っ張り上げてもらうのがベストでしょう。箸や棒で下から持ち上げてもらっても構いません。
  他人に手首を触られた瞬間に、下腕や指先がリキんでしまうケースもあります。その場合は、「触りますよ、あと10cm、あと5cm、触りました、つまみますよ、つまみました、ゆっくり持ち上げます」、などと言ってもらい、徐々に慣らしていくと良いでしょう。
  もちろん、自分のもう片方の手(この場合、右手)で持ち上げていっても構いません。 が、持ち上げる手(右手)にいつのまにかこわばりが発生し、それが持ち上げられる手(左手)の脱力に影響してしまう危険性があります。
  (※)・・・両手での「うらめしや」の手首をさらに高い位置にあげ、腕を少し横に広げると、フォーサイスやベジャール(「ボレロ」)等でお馴染みのポーズになります。

  (c) つまみ上げた手首を、ゆっくり元の位置(腰の横)へ戻します。 また持ち上げます。これを数回繰り返します。肘や指先はダランと垂れたままです。

  (d) ほどほどの高さまで持ち上げた手首を、パッと離します。 力が抜けていれば、糸の切れたマリオネットのように、腕全体が落下して、いくらかの減衰振動ののち、元の位置に戻るはずです。
  いきなり離されると、びっくりしてついリキんでしまう、という場合は、これもあらかじめ、「さぁ今から手を離しますよ・・・3、2、1、はい離しました」、などと言ってもらった方が良いでしょう。

  (e) つまみ上げた手首を、空中で小刻みに上下、左右へ軽く振ってもらいます。 各部の力が抜けていれば、まるで手首が「中身の詰まった手袋」のように左右に触れると同時に、肘や二の腕(上腕の肉)がプルプル震えるはずです。 振る、止める、振る、止める、を数回繰り返します。
  そして、(d)のように手首をパッと離し、落下するのを確認しましょう。 脱力している筈の手首を左右に振られただけで、いつの間にか肘がこわばってしまい、腕がストンと下へ落ちていかないことが、往々にして発生します(ここ非常に重要)。

  (f) つまみ上げた手首を、今度は小刻みではなく、前後・左右に大きく20cm~30cmほど往復させてもらいます。 ゆっくりで良いです。 そして、パッと離して、落下確認。

  (g) 今まで指先は、ノンレム催眠時のようにダランと垂れ下がっていました。ここで初めて、わずかに(1cm程度)折り曲げてみて下さい。 そして、(e)のように手首を小刻みに振ってもらい、落下確認。

  (h) 指先をわずかに折り曲げても脱力状態が維持出来るようでしたら、折り曲げる度合いを増やしていきましょう。
  そして今度は、任意の2本の指を交替でゆっくり折り曲げるモーションを行いつつ、(e)の「小刻み」「落下確認」、そして(f)の「横移動」「落下確認」をして下さい。

  (i) 「5本の指先をひとところに集める(長3度のトーンクラスターの位置)」、「人差し指から小指までは不動で、親指だけを広げる(離す)モーション」を、同じ条件下でやってみて下さい。
  どこかで壁にぶつかったら、後戻りするか、条件を甘くして再試行してみましょう。指先を折り曲げるだけだったら大丈夫だったのに、左右に20cm動かされたら駄目だった等、色々な事態が発生することでしょう。 一般に、幾つかのモーションを組み合わせるに従い、硬直も起こりやすくなります。脱力したまま親指を横へ広げるのは大変難しいので、適当に切り上げて下さい。

  (j) 5本指を、幾つかの段階に分けて徐々に放射状に広げてゆき(指先は不動)、それぞれで「小刻み」「落下確認」etcを行って下さい。 
  オクターヴ位置まで広げたところで、肘etcを脱力したまま(e)のように上下に小刻みに揺らすことが出来、またその状態が(f)のように左右10cmの往復運動を組み合わせても崩れないのならば、《ハンガリー狂詩曲第6番》《英雄ポロネーズ》《チャイコフスキー第1協奏曲》《リスト・ソナタ》等のオクターヴ連打は、楽々可能だと思います。


(2)テーブルの上に手を置きに行って、引き上げる

  (a) つまみあげた手首を、非常にゆっくりとテーブルの上へ下ろしていきます。指先はダランと下に垂れたままです。
  まず、中指~薬指あたりの指先がテーブル表面に触れるでしょう。触った瞬間に、手首にピクッと緊張が走らないように注意しましょう。手は何もしません。あくまで柔らかい棒としてオブジェ化しており、されるがままになっています。 

  (b) 手を下ろしていくに従い、指の第1関節、そして第2関節が徐々に曲がり始めます。それに抵抗しないこと。指の力を抜いていれば、そののち指の根元が凹んで来るでしょう。手首が凹むのもオッケーです。錆止め錆落とし潤滑剤スプレーをあらゆる関節に吹き付けて、ヌルヌルさせているイメージ。指が折れ曲がってゆくのは、あくまで指先がテーブルに触れてから後の出来事です。超スローモーション、レガーティシモ、ピアニシモの雰囲気で。

  (c) 最終的に、手が招き猫の「グー」のような形で、テーブル表面に置かれた状態に到ります。肘はリラックス出来ているでしょうか。 手はテーブルの上に置かれているだけで、決して余計な圧力を加えたり、押さえ込みにかからないこと。

  (d) さて、今度は手首を元の位置まで、ゆっくりと引き上げていきます。
  まず手首が上にあがってゆきます。そののち、それに引き摺られるようにして、指がテーブルから引き剥がされていきます。 指先は納豆の糸、あるいはチューインガムのように、テーブルに未練がましく接触していることでしょう。 習字の筆先が、硯の墨汁のなかへドボンと沈んで、墨汁を吸い取ってヌチョッと持ち上げられたときの感覚にも似ています。

  (e)手首が元の位置まで引き上げられたら、当初と全く同じように、「うらめしやあ」の脱力状態へ戻っていることを確認しましょう。しばしば、ここまでのプロセスの途中でリキみが発生しがちです。 テーブルに手を置くだけではなく、それを引き上げて、一つのプロセスが終了します。 初めのうちは、この「引き剥がし」作業で、手首の脱力を一回一回確認するのがベターです。
  手をテーブルに置くモーション(前半)と、テーブルから離すモーション(後半)が、正確にビデオの逆回しになるように心がけて下さい。繰り返しますが、これは死体あるいは人形の手首を持ち上げ、そののち下げるのと一緒の動きです。手首から先(=指)、手首から手前(肘や肩)は、能動的には何も行いません。

  (f) 立ってテーブルの側で出来るようになったら、今度はピアノの閉めた蓋の上に手を置く作業をします。最初は立って、次に座って。

  (g) 誰かの手を借りてやる → 自分のもう片方の手で持ち上げる → 利き腕だけで「うらめしや」体勢に入る、 とプロセスを踏みましょう。
  手の指は糸コンニャクかモップの先の毛糸のようなもので、それを下腕の「骨(=モップの取っ手)」で、テーブルに押し付け/もたれかけさせている感じです。



(3) 鍵盤の上に手を置きに行って、引き上げる (音高は狙わない)

   フタを開けた鍵盤上の任意の場所に、手を置きに行きます。モーションは(2)と全く同じです。(2)の(f)で、既にピアノの前に座っていて、「うらめしやあ」ポーズで手を置きにいくところまで出来ている筈です。
   鍵盤には、音が出ないくらいスローモーションで手を置いていきます。 キーがカタンと押し下がる抗力を、手全体で感じましょう。熟柿を押し潰しているような感覚です。 音高は決して狙わないで下さい。 まず指先が鍵盤に触れ、手首が下がるに従って、諸関節が折り曲げられてゆく。
   このとき、手首の上げ下げに応じて、肘の位置は微妙に前後左右、上下しています。左手首でここまで出来るようになったら、今度は右手首で同様の練習をします。



(4) 鍵盤の上に手を置きに行って、引き上げる (音高を狙う)

   (a) 出来る限り(1)~(3)で行ってきた脱力状態を維持したまま、打鍵に入りましょう。以下、右手首(CDEFG=12345)で考えます。
   まず、中指をE音へ着地させる練習です。ダランと垂れ下がった中指の先端が鍵盤にタッチし、手首の位置が下がるつれてキーが押され、同時に第1関節・第2関節が徐々に折り曲がり始めます。指の根元が少し凹み気味になったあたりで静止します。手の甲から先はショック・アブソーバーとなっています。指の根元を決して硬く(出っ張らせたままに)しないこと。鍵盤へ着地させる前に、一度中指の先端を、ツンツンつついて関節をへこませていくのも良いでしょう。 引き上げるときは、ビデオの逆回しです。
   ポイントは、中指を中心/対称線として手の右側(薬指・小指)と左側(親指・人差指)が、やじろべえのようにバランスを取っていることです。

  (b) 次に、小指→薬指→中指の順番で鍵盤に触れていくエクササイズです。 触れた指は、そのまま鍵盤を底まで押し下げ、静止します(音を切らない)。 最終的に、E-F-Gの3音を全て押し下げたところで終了。 小指は「鍵盤と平行になる」必要はありません。 親指・人差し指は何もしません。 この5→4→3のモーションでむしろ意識すべきは、使用されていない親指の脱力です。 小指の指先が鍵盤に触れた途端、親指が突っ張ってしまっていては、元も子もありません。 これを防ぐには、(a)で述べたように、「中指を中心/対称線として、手の右側(薬指・小指)と左側(親指・人差指)が、やじろべえのようにバランスを取っている」イメージを崩さないことです。左半分使用時に、右半分の脱力が崩れないように「バランス」を意識すると、手首や肘の思わぬ硬直を回避出来ます。

  (c) 次に、中指→人差指→親指を、(b)と同様に押さえ込んでいきます。 不必要な圧力を加えるのは避けましょう。
  このとき非常に重要なのは、親指の挙動です。 関節がグニュウと曲がりつつ、手の内側(人差指側)へ向かって指先が回転していきます。回転してOKです。親指がツッパラ無いためには、他の4指、特に小指の脱力が条件となります。

  (d) 同様に、中指→薬指→小指、ならびに親指→人差指→中指で、(c)と同様に落下練習します。前者では親指の脱力を、後者では小指の脱力を意識しましょう。

  (e) ここまで出来たら、(b)、(c)、(d)のエクササイズで、鍵盤をそのまま押さえ込むこと無しに、順次離鍵していくようにします。

  (f) そののちに、「小指→薬指→中指」と「中指→人差指→親指」を合体させて、「小指→薬指→中指→人差指→親指」をワン・モーションで行う練習をします。 どうしてわざわざ2分割して、辛気臭い脱力エクササイズを推奨するかといえば、そこに硬直が発生しやすいからです

  (g) 同様に、「親指→人差指→中指」と「中指→薬指→小指」を合体させて、「親指→人差指→中指→薬指→小指」をワン・モーションで行う練習をします。手首の高さは、慣れてくればどんどん下げていって結構です。弾いたあとに手首を元の高さへ戻すのは、単に手首の脱力確認に過ぎません。

  人間は生き物であるので、それぞれの指を使用していく際の、関節ごとの軸の捻れを、いつのまにか連続的に微調整しています。指の諸関節、手首、肘etcの角度調整α+β+γ+δ・・・の総和によって、そのときどきに最も指先にとって都合よいポジションが取られます。この小さな微調整の一部が上手く働いていないと、それが全体に波及し破綻が訪れます。 
  すなわち、指先だけに意識を集中(一指頭禅)するのは、かえって良くありません。鰯の頭も信心からと申しますが、崆峒花架拳も西野式呼吸法も、何かに硬直を起こさせるのなら意味がありません。

  
(5) 音階とアルペッジョへ

  (4)では、右手を親指側と小指側に2分割した上での弛緩法を試みました。 ここで、ヴァイオリンやギターにおける「指板ポジション」の考え方を導入したいと思います。
  これは、基本的に手を完全5度以上には広げず、あとは指と指との拡張を繰り返して脱力を図るやり方です。ポイントは2つ、〈n番目の鍵盤からn+1番目の鍵盤へ行く動きが、n+2番目の鍵盤の位置に影響されないこと〉、〈n+1番目の鍵盤を押えるために曲げ伸ばしするのは、n番目の鍵盤を押えている指であること(=n番目の鍵盤を押えるための圧力がそれを阻害しないこと)〉。

  例えば、ホ長調の音階(E-Fis-Gis-A-H-Cis-Dis-e)を右手(1-2-3-1-2-3-4-5)で演奏するプロセスの詳細は、以下のようになります。

  (a) 右手親指がE音を打鍵する際、残りの4本の指(2-3-4-5)は全て白鍵上(F-G-A-H)にある。
  (b) Fの上にあった人差指を、ゆっくりFisまで持ち上げる。これは、親指を曲げ伸ばしして行う(人差指は何もしない)。人差指が黒鍵Fisに到着すると同時に、中指・薬指はGis-Aisの位置へのぼり、親指・小指もそれに対応した、黒鍵表面の高さへ持ち上がる。
  (c) 中指でGisを打鍵。
  (d) DisとFisの中間上空にあった親指を、Aまで下ろしてくる。この運搬作業は、Gisを押えている中指の曲げ伸ばしで行う。親指がAに到着すると同時に、残り4本の指(2-3-4-5)は全て白鍵上(H-C-D-E)へ移動する。黒鍵の位置エネルギーを利用する。
  (e) 人差指でHを打鍵。
  以下同様。

  こういったプロセス分化を経たのち、各部のモーションを結合していきます。アルペジオも同様です。


  (この項続く)
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by ooi_piano | 2007-03-06 20:37 | プロメテウスへの道 | Comments(0)