6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

体は正直ぢゃのう

会田誠 《美術に限っていえば、浅田彰は下らないものを褒めそやし、大切なものを貶め、日本の美術界をさんざん停滞させた責任を、いつ、どのようなかたちで取るのだろうか。》
Makoto AIDA "In so far as Fine Art, I wonder when and in what way Akira Asada, who harmed the development of Japanese art scene by praising a bunch of crap and diminishing valuables, will take responsibility."(2007)

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月刊新潮2008年5月号《くわしく教えてクラシック》─────────────────────────────
第一回「21世紀のクラシック音楽体験とは?」
中原昌也 × (ゲスト)浅田彰

(前略)
c0050810_13581290.jpg浅田彰: ワーグナーの時代、オーケストラや劇場が巨大化し、観客数も増えたことで、演奏スタイルも変わってくる。とくに出演者がカリスマ性を帯びるにつれ、エモーショナルでうねるような表現になっていった。フルトヴェングラーやカラヤンなんかが典型でしょう。しかし、ベートーヴェンの頃までは、せいぜい二、三十人でやっていた。楽器もピアノなんかはがちゃがちゃしたドライな音だった。で、あまりエモーショナルにならず、一種、機械的に演奏していた、と。その原型に戻ろうという「ピリオド楽器のオリジナル奏法による演奏」というのが、いわばカラヤン以降かなり流行っているんですね。だけど、誰も昔の演奏を聴いたことはないんだから、本当にそうだったかなんてわかんない(笑)

中原昌也: そうなんです。

c0050810_141228.jpg浅田彰: ベートーヴェンは晩年耳が聴こえなくなり、ピアノ・ソナタでも、とくに「ハンマークラヴィーア」以降は、ある意味、ヴァーチュアルな音楽を作曲していた。当時の響きの浅いピアノ・フォルテでは出ないような音を夢想していたかもしれず、その意味では、現代のスタインウェイのグランド・ピアノが後からベートーヴェンの意図を別な形で表現したと言えなくもない。僕はそれが素晴らしい演奏だったら十分なので、ベートーヴェンの時代の響きにこだわっても仕方がないと思うんです。

  小説がそうであるように、クラシックというのは、のちの創造的誤読を生みだすためのプレテクストだと思えばいいんじゃないか。真の古典文学はいくらでも創造的誤読ができる。その意味でいうと、別にベートーヴェンなんか好きじゃない、でもやっぱりその音楽は真の古典音楽だと認めざるをえない。

c0050810_20193824.jpg   僕はピアノが好きなんだけど、昔のピアノ・フォルテによる演奏よりは、グレン・グールドがめちゃくちゃに速くチェンバロみたいにドライに弾いてみせた演奏の方が面白い(というのはむしろモーツァルトの演奏に顕著だけれど)。また逆に、ヴァレリー・アファナシエフやイーヴォ・ポゴレリッチみたいに、次の音が出る前に止まってしまうんじゃないかと観客を凍りつかせるほど創造的に変形できる。しかも、本当にすごいピアニストだと、それで説得力ある演奏をやり抜いちゃうわけですよ。古典音楽というのは、そういうプレテクストとなりうる音楽だと思います。
   (・・・)レコードという複製技術の影響も大きく、カラヤンのような演奏が標準のレコードになってグローバル化した、それをもう一度、古楽の側から再検討して相対化しようとする。いま流行っているのは、そういうリヴィジョニズム(歴史の見直し)でしょう。[2008年3月、話者による加筆校閲済のインタビュー]
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Commented by プー猫 at 2008-10-12 16:55 x
なんか、とても自己解釈的に勘違いなさっていて、
失望しますね、こういうエラい方の発言は。傲慢にさえ
思えます。
Commented by ooi_piano at 2008-10-13 17:12
同じインタビューで、《(・・・)たとえば彼の「構造」でも、昔のイヴォンヌ・ロリオとブーレーズ自身の録音なんて大雑把にしか弾けていない感じだけれど、最近のエマール&ボファールなんかだと相当クリアに弾けるようになった。(・・・)》、との仰せですが、構造第1巻(1952)・第2巻(1961)初演直後に録音されたコンタルスキー兄弟盤(1965)の超完璧さを御存知無いのでしょうか。あのIb・Icの壮絶な演奏は、20世紀後半の演奏様式を規定していると言っても過言では無い。客受けし易い第2巻のみをちゃらちゃら弾き飛ばしているのとは話が違う。
Commented by TH at 2008-12-10 23:36 x
ポゴレリッチが創造的だといわれると何だかなー
Commented by 「1750からの挑戦」 at 2009-07-26 10:46 x
  この短い引用部分で、「ドライ」な音についてダブルスタンダードな用法をしていらしゃる。(1)フォルテピアノはドライで、フォルテピアノはダメで。(2)グールドはドライで、グールドはおもしろくて。とくに、「チェンバロみたいにドライに」という比喩に同意しかますね。<自分はチェンバロも聴くよとナイフをちらつかせながら、それを超えてグールドを評価しますよとスノブる>、グールドとチェンバロを持ち出す効果はそれしかないように私には思えます。だれも反対できないグールドという虎の威をかりる。
  チェンバロは個々の楽器で音が違います。わたくしはピリオド楽器の個体差を聴いています。近代にむかって個体差は平準化され、その反動でふたたび個体差に注目しているのが現代だとか、幼稚なことは言いません。ともかく、ひとくくりにできないほど音色は個々の楽器で違うところを、それをグールドの音のドライ面だけの比喩として使える、用意周到な細やかな神経の持ち主が浅田先生だと考えています。
Commented by ooi_piano at 2009-07-28 11:34
  まともなヒストリカルのクラヴィコードやチェンバロが無かった半世紀前とは状況が完全に変わったわけですから、そろそろネタにマジレスし続ける無粋は切り上げるべきだと思います。一方、「どうしてもグールドのテンポでゴルトベルクを弾きたい」と漏らす音大古楽科主任もいまだに健在なようで・・。
by ooi_piano | 2009-03-30 01:25 | プロメテウスへの道 | Comments(5)