8/25(金) ソラブジ《オープス》& 古川聖《ノベレッテ集》完演


by ooi_piano

クラヴィコードと顕微鏡アート

  昨年3月に書いた、「もどかしさ解消講座(その1その2その3その4)」の、その後の途中経過報告です。
  「途中経過」と留保せざるを得ないのは、奏法の試行錯誤に、いつまでたっても小休止さえ訪れないからです。
  昨年3月の記事は、部分的に面白い着想があるものの、本質的ではありませんでした。取り合えず、加筆訂正無しで、再度アップしておきます。

c0050810_14585336.jpg  クラヴィコードでバッハ《フーガの技法》を録音するにあたり、今年6月に、今までの方法論を極限まで推し進めた、「顕微鏡アート」(Willard Wigan)的な方策を思い付きました。思い付いたからといって、ただちに実践へ持ち込めないのが、カイラス山への五体投地たる所以です。
  高校時代の友人(医師)がアレクサンダー教師資格をもっていることが偶然判明、色々話を聞かせてもらい、それと並行してアレクサンダー由来の本を数冊読んだりし、ついに思い立って今年7月にアレクサンダー・レッスンの初体験をしました。ボディワーク系を試すのは生まれて初めてです(今までは莫迦にしていたところがありました)。

c0050810_1505031.jpg  かつてカニーノにピアノを師事したときと同様、アレクサンダー講師の方には、いままで自分の感じたこと・考えたこと、また解説書に書いてあって理解しにくい点などを、その都度細かく御質問し、また毎回の「レッスン」の感想や経過なども全てメモしました。
  自分の体のことは自分にしか分かりません。しかし、「意志による独学者」としての探究の前に、「大前提」を体感するのは、時間の節約になるでしょう。
  「幾ら何でも、ここまではOKだろう」、という事項を記述しようとするだけで、それは曖昧・多義的にならざるを得ないのが残念ですが、アレクサンダーを踏まえつつ、私の考えを述べます。


c0050810_1542190.jpg■アレクサンダー氏の最大の発見は、体のある「良いバランス状態」を自分自身で知覚するのに、首のうしろの小さな筋肉がツボとなっている、という事実です。
  そのバランシングの感覚を得るには、確かにアレクサンダーのレッスンを実地に受けてみるのが最も早いと思います。相場は1時間5000円くらいのものらしいので、1時間1万円~2万円のピアノ・レッスンで教授に欠伸されて終わるよりずっと生産的かもしれません。本を読むだけではちょっと難しいんじゃないでしょうか。これは別に「スピリチュアル」なものではありません(笑・たとえオルダス・ハクスリーがLSD注射されながら「軽くて自由、前に、上に」と呟いて死んだとしても)。体の諸部分が、モビールのように自由さを保ちながら、ある安定状態へ収まる感じです。
  例えば、自分では「首を真横へ回転」しているつもりでも、そのじつ、僅かに「斜め上」へ回転していたりしました。そのため、首周りの筋肉に硬直が発生していました。指摘されるまで全く気付きませんでした。
  椅子に座る、立ち上がる、という基本動作の際の体の「折り畳み方」も非常に面白かった。そのほか、枚挙にいとまがありません。

c0050810_1552816.jpg■アレクサンダー・テクニックでは、お手軽な筋肉体操のたぐいは一切指示はされません。(本来はピアノの「レッスン」も、かくあるべし、なのでしょう。)
  バランシングの一助として推奨される、「セミスパイン」(半仰臥体勢)は便利なので、知っていて損は無いでしょう。膝を立てて仰向けに寝ます。ポイントは、厚めの堅い本を枕にすること。一度仰臥したのちに、少し腰を浮かせて、腰を足側へ近づけた位置で下ろすこと(背中が広くなる)。つねに背中が「落ちて」いること。呼吸法としては、下腹部を両手で押さえ(かなり下のほう)、息を吐いた最低点をさらに引っ込めて行くかのように、あたかも下腹部に「風が通っている」さまをイメージします。このような呼吸法は、アレクサンダー以外でも割合見受けられるものです。
  息を吸って吐くだけで、横隔膜~肩~首~骨盤そのほかがおのずと動いて当然であるさまを観察するには、胸にクッションをあててうつ伏せになり、大きく呼吸してみると良いでしょう。この「呼吸感」は脱力の大前提となります。案外アレクサンダー本でも、「第1ページ」に書いてあるわけでは無いので、見落とし勝ちですが、「意識されない筋肉のこわばり」が、たとえば「息を吸い込む際、背中~脇腹~股関節あたりの筋肉、しかも体の奥の深層筋をわずかにグッと堅くしている」、などという、ちょっとした癖に由来していることもあります。息を吸い込む、という日常行為が、そのまま筋肉の硬直に結びつきかねない。すなわち、「下手糞は生活習慣病」、である可能性さえ否定出来ません。

c0050810_1583113.jpg■指回りがままならぬ原因として、無意識に「肩甲骨まわりの筋肉を固めてしまう」癖が考えられます。肩こり・腰痛を引き起こすも、要は肩甲骨回りの硬直でしょう。若いときには無縁でも、加齢とともに誰にでも現れ得る現象です。
  この硬直に加担しているのが、股関節(坐骨)まわりの筋肉の「状態」です。私は全く意識していませんでした。手首の脱力と足首の脱力は連動している、という言い回しも、あながちナンセンスとは言えません。広背筋の硬直により指が回らなくなる、などとは、にわかには信じ難いことです。
  椅子に坐骨をどう充(あ)てるのかもポイントでしょうが、パッと見の「位置」よりも、そのときの坐骨まわりの筋肉の「状態」に注意すべきです。(すなわち、モーションキャプチャーほど、「演奏実践」の現実から程遠いものはありません。)
  この筋肉の「状態」は、個人個人によって千差万別ですし、昨日と今日、朝と夜ではコロコロ変化するものです。
  筋肉の「状態」の改善は、だれかにマッサージしてもらって受動的に解決するものでは決してありません。自分で能動的に調整を試みるしかない。神経回路の長年の習慣など、年を喰ってからでも幾らでも変えることが出来るのは、断言しちゃって良いと思います。本人次第。

c0050810_1510142.jpg■この「能動的に調整」というのがクセモノです。
  硬直している状態から滑らかな状態へ移行する際、「ああ~エエ塩梅に《キいて》るわ~」などと、「反作用」を期待しがちです。言うまでもなく、理想の状態は、あたかも何もひっかかりが無い状態、滑らかな「無反応」でしょう。
  アレクサンダー講師の方に言われてショッキングだったのは、確かに、《思う》だけで体内部の筋肉の状態は、にゅ~っと変化する、という点です。「いま、変化していたの、お気づきでした?」、「それは、私ではなく、大井さんがおやりになっていたことです。」と言われ、何度か愕然としました。
  《思う》、というのは、ある動作の直前に、無意識に行う準備に似ています。 逆上がりをする直前、二重飛びをする直前、遠投をする直前、赤ん坊の頬っぺたを触る直前、われわれは体のどこかを、フッと軽くしますよね? 大ピアニストが難所を弾く「直前」の、背中・肩・肘の状態を観察してみること。 決してガッついて(=硬直させて)はいない筈です。
  ブルース・リーの「Don't think. Feeeeeeeel. (考えるな。感じろ。)」という台詞も、今なら首肯出来ます。

c0050810_15183410.jpg■ (a)天井からマリオネットの糸で手首が吊るされ、全体として「うらめしや」状態になっている
  (b) 鍵盤の端に親指以外の4本の指を引っ掛け、吊橋のように手首・肘・腕がだらんと垂れている

   この(a)の状態と(b)の状態の間を、重力ならびに諸関節の屈曲角度を利用しつつ、滑らかに往復するのが、鍵盤演奏の基本と思われます。
   実は、この(a)の状態の時点で、既に「勝負はついている」のかもしれません。(a)の「うらめしや」時に、適切な肩甲骨の位置、それに連動して適切な上腕、適切な肘、適切な手首のポジションが「勝手に」取られていれば、(b)への移行はそんなに難しくないでしょう。腰の付け根から、タコの足のように手が生えていて、ふわふわと水中を漂っているイメージです。繰り返しますが、肩甲骨・鎖骨・上腕・肘・下腕・手首・指が、「連続・継続的に連動している」のがポイントです。体の内部の関連はタコ状態でも、パッと見は「ほとんど不動」であることは有り得るでしょう。
  持ち上げと落下を繰り返すのはピアノ演奏の常識であるので、それについては今更申し上げることもありません。鍵盤の上に指が置かれているのは、おおむね(a)と(b)の中間状態ですが、そこで余剰な圧力が加えられていなければ、再び(a)へ戻るのは容易でしょう。

c0050810_15195912.jpg■「タコ状態」を実感するには、高めの椅子、非常に軽い鍵盤、目の前・正面にある高めの譜面台、などは悪くないでしょう。椅子を高めにしたからといって、手首はだらんと垂れたままであり、指の根元も凸状態にはしません。
  「視線の方向」が首周りの硬直に影響している、など、まさに盲点でした。すなわち、眼球を動かす筋肉の「独立」性は、指の独立に直結しかねない。
  私は、ベルン芸大でカニーノに師事している間に、椅子はどんどん低くなっていきました。そのままでチェンバロもクラヴィコードも弾いておりましたが、今は「低さ」に拘る必要は無いと思っています。不必要に鍵盤の重たいモダン・ピアノでは、正直、椅子は低めのほうが脱力しやすい実感はあります。 まずは高めの椅子でで、太ももの裏側を引っ掛けるように座り(腰は浮かせ気味)、それから徐々に椅子を低くしつつ、坐骨で座るようにバランスを取って来る、という方策も思いつきました。そもそも「坐骨」とはどこにあるのか、を知るのも重要です。アレクサンダー関連本でそれを知り、しかもそのあと「レッスン」で「実はここです」と指摘されて吃驚する始末。 
  タコ状態が瞬間的に上手くいっている際、確かに背筋が伸びる(背中に鞭をあてられている)感覚が生じました。猫背じたいに罪は無いでしょうが、猫背が誘発する、望ましくないバランシングは回避するに越したことはありません。このあたりは今後も詰めていきたいと思います。

c0050810_15211823.jpg■現代におけるクラヴィコード演奏の問題は、「他の鍵盤楽器のテクニックを、クラヴィコードに持ち込もうとする」点にあると思います。結局のところ、レオンハルトもシュパーニも、その罠から免れていないのでは無いか。
  翻るに、バッハやモーツァルトやベートーヴェンにとって、クラヴィコードは「第一の鍵盤楽器」であって、彼らはそこで培ったテクニックを、チェンバロやオルガンやフォルテピアノといった「第二・第三の鍵盤楽器」に敷衍していった。 それゆえ、恐らく若きベートーヴェンにとって、アンドレアス・シュタインのフォルテピアノで作品2のソナタ群を演奏するのは、「不可能事」では無かった。単なるロストテクノロジーを「水に映った月」呼ばわりするのは、思考停止の逃げに過ぎない。
  チェンバロやオルガンからクラヴィコードへ入ると、どうしても音量を出すこと、打鍵の安定に気を取られがちであり、クラヴィコード独特の、ppppとpppとppの差は、よほど注意深く補聴器(ベートーヴェン!?)でも使わないと看過ごされ易い。
   現代のチェンバロあるいはオルガン奏者が「弾き易い」ように日和(ひよ)るのではなく、博物館所蔵のオリジナル楽器に忠実に製作すればするほど、クラヴィコードの音色はますます玄妙・端麗になる(=ますますクラヴィコードらしくなる)一方、演奏は難度を増して(=ますますクラヴィコード独自の奏法を要求して)いく。どうやら、「子供の筋肉」が要求されている。
  そこで「顕微鏡アート」の出番なのですが・・・ (この項つづく)
[PR]
by ooi_piano | 2008-10-13 14:12 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)