7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

カテゴリ:POC2012( 19 )

湯浅譲二全ピアノ曲・感想集 http://togetter.com/li/582757

○カフェ・モンタージュ(京都) http://www.cafe-montage.com/ (地下鉄「丸太町」徒歩5分)
〔お問い合わせ〕 カフェ・モンタージュ 075-744-1070 montagekyoto[at]gmail.com 〔予約フォーム〕 http://www.cafe-montage.com/mail/mail.html
○入場料:2000円(全自由席) ※各公演終了後にワイン付レセプションあり(無料)
FBイベントページ(追加情報等) https://www.facebook.com/events/215429498631735/
c0050810_405117.jpg

■湯浅譲二(1929- ):全ピアノ作品演奏会
10月27日(日) 15時開演(14時半開場)

大井浩明/ピアノ独奏、有馬純寿/電子音響(※)、湯浅譲二/ゲスト

【第一部】
●二つのパストラール (1952) 約5分
●スリー・スコア・セット (1953) 約8分
●セレナード[ド]のうた (1954) 約3分

【第二部】
●内触覚的宇宙 (1957) 約7分
●プロジェクション・トポロジク (1959) 約10分
●ピアノのためのプロジェクション・エセムプラスティク(1962)+ホワイトノイズのためのプロジェクション・エセムプラスティク(1964)(同時演奏、※) 約8分

【第三部】
●オン・ザ・キーボード (1972) 約8分
●「夜半日頭」に向かいて ~ピアノと電子音響(1984) (※) 約20分
●内触覚的宇宙 II ~トランスフィギュレーション~ (1986) 約12分

【第四部】
●サブリミナル・ヘイ・J (1990) 約4分
●メロディーズ (1997) 約7分
●バレエ音楽《サーカス・バリエーション》より「ワルツ」(1954/2012) 約3分


c0050810_5435232.jpg  湯浅譲二は1929年8月12日、福島県郡山市に生まれる。作曲は独学。慶応大学医学部進学コース在学中より音楽活動に興味を覚えるようになり、やがて芸術家グループ<実験工房>に参加、作曲に専念する(1952)。以来、オーケストラ、室内楽、合唱、劇場用音楽、インターメディア、電子音楽、コンピュータ音楽など、幅広い作曲分野で活躍、作品は国際的に広く演奏されている。
  ベルリン映画祭審査特別賞(61)、イタリア賞(66、67)、サン・マルコ金獅子賞(67)、尾高賞(72、88、97、03)、文化庁芸術祭大賞(73、83)、飛騨古川音楽大賞(95)、京都音楽賞大賞(95)、サントリー音楽賞(96)、芸術選奨文部大臣賞(97)、紫綬褒章(97)、日本芸術院賞・恩賜賞(99)、旭日小綬章(07)等、受賞多数。
  1981年より94年まで、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校(UCSD)教授として、教育と研究の場でも活躍。現在、UCSD名誉教授、日本大学芸術学部大学院客員教授、国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員。

  処女作《二つのパストラール》(1952年5~6月作曲/1981年出版)は、「Pastorale A/ Largo deciso」(自然の中に流れる厳粛な精神)、「Pastorale B/ Moderato」(自然の中に流れる活動的な精神)の2曲からなる。1952年8月9日東京で松浦豊明により初演。第2作《スリー・スコア・セット》は、1953年9月実験工房公演にて松浦豊明により初演。「プレリュード」「コラール」「フィナーレ」の短い3曲からなる。《セレナード/〔ド〕のうた(Serenade, Chant pour "Do")》(1954年作曲/1981年出版)は、連打されるドに基づく即興曲。作曲当時は公開されなかった。
  《内触覚的宇宙》は、1957年6月22日実験工房ピアノ作品演奏会にて園田高弘により初演。「内触覚的」とは、原始的な洞窟絵画のように「外的な観察によってではなく内的な感覚(sensation)によってフォルムが描きとられてゆく型の芸術」[Herbert Read “Icon and idea”(1955)]を示している。同タイトルのシリーズは、ピアノ曲(1957/1986)・二十弦筝と尺八(1990)・チェロとピアノ(1997)・オーケストラ(2002)の五曲を数える。《プロジェクション・トポロジク》は、1959年8月19日軽井沢にて園田高弘により初演。プロジェクション第1(静的な時間空間)、同第2(浮動的な時間空間、偶発するエネルギー)、同第3(静的な形の中に浮動的な時間空間エネルギーの交替)、の3部からなる。《ピアノのためのプロジェクション・エセンプラスティック》は1961年12月作曲、翌年2月23日に武満徹《コロナ》やクセナキス《ヘルマ》とともに高橋悠治により初演。同タイトルにはピアノのためのもの(図形楽譜)と、ホワイトノイズを素材にした電子音響作品があり、両者は音楽の考え方(細かいものが寄り集まって全体を作る= ἕν + πλαστικός)が共通している。今回は初の同時演奏を試みる。
   《オン・ザ・キーボード》は高橋アキの委嘱、1972年2月15日初演。タイトルは、鍵盤とペダルのみによる新しい世界の開拓を指すと同時に、内部奏法に否定的である日本楽壇への揶揄も込められている。《「夜半日頭(やはん・じっとう)」に向かいて》は、1984年春カリフォルニア大学音楽実験センター(CME、サンディエゴ)にて作曲、同年6月3日にNYリンカーン・センターにてアラン・ファインバーグ(ピアノ)により初演。世阿弥『九位』の能実践の喩え、「夜半、日頭明らかなり」(新羅では真夜中に太陽が煌々と照っている)に縁る。《内触覚的宇宙II・トランスフィギュレーション》は高橋アキの委嘱、1986年2月21日に横浜で初演。巨大なリゾネーター(響鳴体)としてのピアノという楽器のソノリティの変幻、変遷(トランスフィギュレーション)を時間軸に従って聴き込んでゆく。
  《サブリミナル・ヘイ・J》 (1990)は高橋アキのビートルズ・コレクション(東芝EMI)の委嘱。ポリクロニックな多層的時間のうちに、「Hey Jude」とHey Joe(作曲者自身)が意識と潜在意識の間を懐かしく往復する。《メロディーズ》 (1997)は里見暁美により1997年7月11日に委嘱初演。作曲者の敬愛するバッハ(BACH)と、BRAH(M)S(没後100年)、FRA(NZ) SCHUBER(T)(生誕200年)をメロディに置き換えたものが、順次浮き彫りにされる。バレエ音楽《サーカス・バリエーション》より「ワルツ」(2012)は、ショット出版社社長ペーター・ハンザー=シュトレッカー博士の70歳を記念して、26ヶ国・70人の所属作曲家に「我々の時代の舞曲」をテーマに新作ピアノ曲を委嘱した、《ペトルーシュカ・プロジェクト》の一環として、旧作を書き直したものである。

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□

感想集 http://togetter.com/li/585237

■J.S.バッハ:イギリス組曲 Englische Suiten (全6曲) ~クラヴィコード独奏による
10月30日(水)20時開演(19時半開場)

c0050810_455959.jpg●第1番イ長調 BWV 806
Prélude - Allemande - Courante I/II - Sarabande - Bourrée I/II - Gigue

●第2番イ短調 BWV 807
Prélude - Allemande - Courante - Sarabande - Bourrée I/II - Gigue

●第3番ト短調 BWV 808
Prélude - Allemande - Courante - Sarabande - Gavotte - Gigue

●第4番ヘ長調 BWV 809
Prélude - Allemande - Courante - Sarabande - Menuett I/II - Gigue

●第5番ホ短調 BWV 810
Prélude - Allemande - Courante - Sarabande - Passepied I/II - Gigue

●第6番ニ短調 BWV 811
Prélude - Allemande - Courante - Sarabande /Double - Gavotte I/II - Gigue

  《イギリス組曲》の各曲の正確な作曲年代はわかっていないが、1720年代の前半に作曲されたと見られる《フランス組曲》より数年早く、ヴァイマル時代後期には既に着手されていたとみられる。バッハは1730年代もこれらの作品の改訂を続け、また現存する写譜にはバッハ以外の人間による装飾音も施されており、このうちのどれがバッハの演奏やレッスンに基づくものかは判断が難しい。《イギリス組曲》も《フランス組曲》も、 演奏のための“決定稿”と呼べるようなバッハの清書自筆譜は残っていないのである(《平均律クラヴィーア曲集》第2巻なども同様)。「イギリス」というタイトルはバッハによるものはなく、初期の史料にも見られない。バッハの最初の伝記(1802年出版)の筆者であるJ. N. フォルケルは、これら6つの組曲はあるイギリス人貴族のために作曲されたので《イギリス組曲》として知られているとするが、これは証拠に乏しい。音楽そのものに関しては、後述するように《イギリス組曲》にイギリス的な要素はほとんどないと言ってよい。

  バッハの鍵盤組曲はすべて、アルマンド(ドイツ)・クーラント(イタリア)・サラバンド(スペイン)・ジーグ(イギリス)と、4つの国の舞曲を緩・急・緩・急の順で並べる配列を基礎としており、このような“バロック組曲”の形式を確立したのは、17世紀の南ドイツの作曲家、フローベルガーであるとされている(バッハの組曲では、この枠組みにギャランテリィエン(Galanterien)と呼ばれる楽章が幾つか加えられる)。しかし、18世紀にこのジャンルがチェンバロのための音楽を代表するようなものになるまで発展したのは、シャンボニエールからフランソワ・クープラン(“大クープラン”)に至るまでのフランスの作曲家達の功績によるところが大きい。18世紀フランスの美学では“良い趣味(le bon goût)”と呼ばれる定義の難しい微妙な概念が一つの理想として論じられた。バッハがこのスタイルを学んだのは、主にイギリスで活躍したフランスの作曲家デュパールや、前述のクープランなどの作品からである。もちろん、バッハの作品群はそういった伝統の単純な模倣ではない。彼の組曲では、フランス的なホモフォニックで比較的自由な様式と、ドイツの伝統的な様式である模倣的対位法による和声の強い構築感との統合が試みられており、また、《イギリス組曲》第2~5番のプレリュードではイタリアの管弦楽書法であるリトルネロ形式の“協奏曲(concerto)”のスタイルがとられている(最後の2曲ではそれにフーガが融合される)。このように、各国の様々なジャンルやスタイルを実験的に組み合わせることによって、バッハは、後に後期バロックの代名詞ともなるような彼独特のイディオムを築き上げたのである。
[PR]
by ooi_piano | 2013-10-28 23:32 | POC2012 | Comments(0)
  「みんなで弾こうジョン・ケージ」シリーズ第3弾です。(第1回/プリペアド・ピアノ入門、第2回/《冬の音楽》について、cf.●ピアノ内部奏法入門 )。

c0050810_713653.jpg  ケージ《南のエチュード集》(1974年1月~75年12月作曲)は、第1巻~第4巻各々8曲ずつ、全32曲の曲集です。86楽器のための《黄道星図(アトラース・エクリプティカーリス)》(1961/62)の後に入手した、チェコ人天文学者アントニーン・ベジュハーシュの恒星図(全天球で16枚)等に基づき、《北のエチュード》(全4曲、1978)や《フリーマン・エチュード》(全32曲、1977-80/89-90)等と同様、易(八卦)を用いて作曲されました。
  ケージよりも6歳年長のユダヤ系ドイツ人ピアニスト、ヨハンナ・マルガレーテ・スルタン(グレート・サルタン、1906-2005)は、戦時亡命直後にケージと出逢い、バッハやベートーヴェンなどクラシックを演奏する傍ら、《ピアノのための音楽 53-68》《ピアノのための音楽 69-84》(1956)を献呈初演するなど、アメリカ実験音楽にも取り組みました。70歳を前にして《易の音楽》を練習するサルタンを目の当たりにし、「老齢の淑女がピアノの蓋を叩くのも如何かと思い」、通常の鍵盤奏法のみで書かれたのがこの《南のエチュード集》です。全曲の初演は1982年4月、独ヴィッテン現代室内音楽祭で、献呈者サルタンによって行われました。
  譜面は右手用2段(ト音記号+ヘ音記号)、左手用2段(ト音記号+ヘ音記号)の合計4段で書かれ、その(手の)配分は厳守しなければなりません。各曲それぞれ異なる低音部の鍵盤が静かに押さえられ、それにより仄かなハーモニクス(残響)音が発生します。テンポ、強弱、「出来るだけ長く伸ばす音符」の音価等は、奏者の解釈による不確定性に任されており、立ち上がるハーモニクスも、個々の演奏により全く違ったものとなります。第1巻では単音がメインですが、巻が進むにつれ、徐々に2音以上の和音が増えてゆく構成です。

  国際コンクールで、20世紀前半のエチュード(ラフマニノフ・スクリャービン・バルトーク・ストラヴィンスキー等)が指定されることがありますが、戦後現代曲の代表的エチュードはといえば、メシアン全4曲、リゲティ全19曲、そしてこのケージ《南のエチュード》全32曲に止めを刺すでしょう。もし仮に、現代ピアノ音楽専攻の大学院課程があったとしたら、メシアン《音価と強度のモード》、リゲティ《反秩序》、それにケージ《南のエチュード》から任意の一曲・・・あたりは必修になるのでは無いでしょうか。
  以下、尤度(ゆうど)が高いと思われる譜読み法について述べてみます。各曲の終わりの楔除去作業時以外は、私はどのペダルも使用しませんでした。

A.
 (0)「付録」の細かい譜面がある場合は、該当箇所近くに縮小して貼り付けます。
 (1)まず最初に、長く伸ばすべき音(白音符)を赤丸で囲みます(私は0.8mmサクラ水性pigmaを愛用)。
 (2)オクターヴ指定(8va)を鉛筆で囲います。次の手順(3)で、「指の届く範囲」を可視化するためです。
 (3)先ほどの赤丸の持続可能時間を、白音符の右横に赤線(横棒)で書き込みます。ケージ自身による持続指定もこのときフォローします。時間的にほとんど延ばす事の出来ない音も多いです。奏者の手の拡がりによって、持続時間は変化します(不確定性)。例外的に、片方の手の持続をもう片方の手で押えなおす指定もあります(見れば分かる)。
  「出来るだけ長く伸ばす音価」の尊重は、左右2段ずつの音符振り分けや、ハーモニクス用低音と同じ程度に、この作品の重要な仕掛けになっているので、しっかりチェックしましょう。短い音(黒丸)と長い音(白丸)の区別さえついていない演奏の、何と多いことか。
 (4)ケージ指定の黒い持続線を修正液で消します。赤い横棒をより目立たせることが出来ます。

B.
c0050810_9423443.jpg (1)《冬の音楽》の際と同様に、易経(乱数)によって強弱を決定し、鉛筆で書き込みます。《易の音楽》以降のケージ作品のスタイル、なかんずく関連作品《フリーマン・エチュード》に於ける強弱指定に鑑みれば、「その場の思いつきで強弱を付ける」「交差した手や跳躍の都合で決める」「倍音がきれいに響くように強弱を決める」、などという生ぬるい態度は有り得ません。D-(3)の作業(=音符の演奏順チェック)を先にしておいても良いでしょう。
  強弱決定への援用くらいですと、乱数(という手段)によるマイナス面は感じられません。興味深いことに、強弱決定により各々の演奏の「個性」は確保される一方、全体の印象は余り変わりません。《34分46.776秒》など他作品からの類推で、私は和音にはバラバラではなく一つの強度を設定しました。和音を1つとカウントした場合、右手と左手で一曲につき合計300~400ほどです(書き写し所要時間20分~30分)。100個代なのは第23番のみ、500個代は第9番と第29番のみです。
 (2)強弱を5色の蛍光ペン(ピンク/橙/黄/緑/青)で塗り分けます。キャップ式ではなくノック式のものが便利です。私の強弱設定は、ppp/pp/p/mp/mf/f/ff/fffの8種類でした。最も識別し易いと感じられる色分け法は、ppp/pp/pを青、mpを緑、mfを黄色(sfのたぐいも黄色)、fを橙、ff/fffをピンク、というものです。激しい跳躍を含む手の交差時に、細かい強弱記号などいちいち読み取っていられませんので、これは必須でしょう。
  乱数によって完全に無秩序にばらまかれた数百個の強弱の塗り分け順は、(i)まずp/pp/pppを青で塗り、(ii)次にff/fffをピンクで塗り、(iii)この時点で一文字のものはfのみで、それを橙で塗り、(iv)mfを黄色で塗り、(v)残り(mp)を緑で塗るのが、最も速いです。強弱を書き込む作業にくらべて、色塗り作業は簡単であり、一曲せいぜい15分です。
  こういった単純労働は非常に面倒ですし、助手か秘書に任せられれば・・と思いもしますが、しかし実のところ、これは譜読み作業にほかなりません。書き込み、すなわち、手作業をする程度の時間を取って、じっくり繰り返し音符を眺め続けることで、見知らぬ点々模様も、やがて音楽として立ち上がって来ます。

C.
  一段を8分割する「小節線」を書き込みます。跳躍時に譜面から目を離さざるを得ないので、小節線も軽く色分けしたほうが良いでしょう。私は、まず左端と中央線を黄緑で引き、1/4と3/4ラインを青(水色)で引き、残りを鉛筆で書き込みました。一枠4秒なら一曲4分16秒(全32曲で2時間17分)、一枠5秒なら一曲5分20秒(全32曲で2時間51分)です。せめて一枠単位の「テンポ」は、各個の曲内で遵守すべきでしょう。

D.
c0050810_1324871.gif  (1)架線で読みにくい音高を書き込みます。私はC~B/Hに、♯/♭を付け加える派です。ケージ作品に時折現れる密集パッセージでは、「re」「sol」等の音名では難しいでしょう。
  (2)《南のエチュード》の右手2段+左手2段による記譜は、慣れれば案外平気ですが、ただ、特に中2段(右手のヘ音記号と左手のト音記号)は混乱しやすいので、長い休みの直後などには音部記号を書き加えるのが安全でしょう。
  (3)各々の手の音群に、演奏順を示す線を鉛筆で薄く書き加えます。非常に密集したパッセージでも、各音符の「演奏順」が一応考えられていることが分かります。クセナキス《ミスツ》《コンボイ》等のスペース・ノーテーション部では、私は必ずしも音符の「演奏順」は守りませんでしたが(密度を優先するため)、《南のエチュード》では順番を遵守した上で、「出来るだけ速く」弾きました。
  (4)右手・左手をそれぞれ独立にグルーピングした後で、「小節線」の枠内に、さらにガイドが必要な箇所に縦線を書き加えます。これが有るか無いかで、弾き易さが全然違います。
  (5)持続音も無く明らかにフレーズの「休止」と見て取れるところに、呼吸マーク(V)を書き入れます。これが有るか無いかで、なぜか弾き易さが全然違います。
  (6)「付録」の沢山ついた第4巻の複雑な譜面では、さらに見開き中央(本の折り目)に肌色ライン、2段目と3段目の間に黄色ラインなどを書き込みました。

E.
  以上の作業後に、初めて楽器の前に座り、指遣いを決定します。
  持続音と強弱の都合を睨みつつ、右手と左手それぞれバラバラに指使いを決めます。その後、両手同時に弾いて、どちらの手が「上」か「下」かを調整しますが、先だって個別に決めた指使いは、ほとんど変更しないで済むようです。

F.
c0050810_445256.gif  ハーモニクス効果のために、曲の冒頭で静かに押えられる低音について。
  二つ方法があり、(α)ソステヌート・ペダルを踏む、(β)鍵盤の隙間に楔を差し込む、のどちらかを選択します。
  各曲の終わりにフェルマータが書かれているのは全32曲中わずか4曲なので、指定通りにハーモニクスを切り上げるためには、(α)がベターです。短所は、(i)右足で押えるにしろ左足で押えるにしろ、右手と左手の激しい交差中も確実にペダルを下まで踏み込み続けておかねばならない(案外足が浮いてしまうものである)、(ii)激しい手の交差その他の突発要素によりハーモニクス音をミスタッチした場合、演奏修復が困難である、(iii)どの音域をどの強度で弾いても完璧にソステヌートペダルが機能する楽器が会場に備え付けられているとは限らない(案外調整に穴があるものである)。
  (β)の場合は、以上(i)~(iii)の事故は起こり得ません。一方、曲の終わり方に工夫が必要となります。右手と左手のアクロバティックな交差も、この作品の醍醐味の一つなので、楔の除去作業(という視覚的要素)は悩みの種です。ハーモニクスの音数が最も多いのは第23番(8音)で、5音のものも3曲あります。除去作業が片手で済めば良いですが、その際に余計な音が出てしまう可能性もあり、私はつねに両手で一音ずつ除去しました。楔は消しゴムをカットして作成しました。楽器によって、「しっかりと安定して鍵盤が押し下げられ」、かつ「速やかに除去できる」楔のサイズは違っているので、注意が必要です。


  如何でしょうか。ここまでの作業はプロ・アマ・年齢問わず、ほとんど自動的・機械的に進められるものです(Diviser chacune des difficultés)。自称エキスパートが標榜する「創造的解釈」とやらも必要ありません。東洋テイストがどうしても欲しいなら、ピアノ椅子の上で座禅でも組めば宜しい(ペダル使わないし)。「この作品を通して世界を変革うんぬん」というケージの能書きは、1970年代にお洒落とされたファッションに過ぎません。


c0050810_1010832.jpg  ケージ《南のエチュード集》を取っ付きにくくしている原因は、記譜法もさることながら、全貌が概観しにくい点でしょう。一見似たような曲が多いのはリゲティのエチュードも同様ですが、あちらには個別に意匠を凝らしたタイトルが付けられています
  そこで、ベートーヴェンの32のソナタと関連付けてみる、という珍案を思い付きました。ロケット発射(Mannheimer Rakete)の如き上昇音型で始まる第1番(Op.2-1)。第1巻で最も音数が少なくハーモニクス数は最も多い――すなわち最も弾き易く親しみ易い第8番(Op.13『悲愴』)。疎密差が激しく美しい第14番(Op.27-2『月光』)。後半の開始を告げる颯爽とした第17番(Op.31-2『テンペスト』)。ハーモニクス数が最も多く響きの拡がる第23番(Op.57『熱情』)。全曲で最も演奏至難な第29番(Op.106『ハンマークラヴィア』)。第4巻で最も音数が少なく、チクルスを清澄に締めくくる第32番(Op.111)。「全部で32曲である」「第29番が一番難しい」、というのは、これで一発で覚えられましたね。
  リゲティの第5・8・11番に相当するのが、ケージの第8・11・13・23・32番等です。右手より左手が動くのは全体の約半数で、特に第13・24・25・26・31番あたりが顕著です。リゲティと違って、見開き2ページで一曲なのは、譜めくりも要りませんし有り難い。
  夜空を見上げても、最初はどれがサソリ座で射手座で大犬座なのか見当も付きませんが、ガイドがあれば小学生でも判別出来るようになります。《南のエチュード》の各曲も、それぞれに個性豊か、かつエキサイティングです。是非お試し下さい。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
cf.
c0050810_1093412.gifメシアン《音価と強度のモード》演奏法 [2005.07.02]
 ――総音列主義作品における種々のアタック/タッチ/音色の定義 (レガート、スタッカート、テヌート、ポルタート、ノン・レガート)
ブーレーズ《フルート・ソナチネ》《第1ソナタ》演奏法 [2006.05.26]
●M.シュパーリンガー《エクステンション》特殊奏法総覧
 ――その1 (序文/第1~第236小節) [2005.04.19]
 ――その2 (第237~コーダ) [2005.04.20]
 ――その3 (ヴァイオリン・パートについて/曲目解説)  [2005.04.20]
現代作品での譜めくり [2005.12.22]
クセナキス《シナファイ》 音源と概説 [2005.09.29]
同曲ライヴ映像についての雑記 [2007.08.01]
クセナキス《エリフソン》と《ホアイ》の素材援用について [2004.06.22]
サルでも見破れる現代音楽演奏 [2006.11.26]
演奏教育現場における現代音楽の効用・目的について [2006.12.08]
武満徹「実証研究」の諸相 [2006.12.03]
シュトックハウゼン追悼演奏会 [2008.10.20]
[PR]
by ooi_piano | 2013-04-12 06:55 | POC2012 | Comments(0)
c0050810_11404044.gif[関連公演@芦屋] ジョン・ケージ生誕100周年記念・その1 感想集 ― プリペアドピアノ入門
2013年6月16日(土)18時 山村サロン
●ケージ:ソナタとインタリュード(1946-48) (全20曲) ~プリペアド・ピアノのための
●ケージ:易の音楽(全4巻) (1951)
●片岡祐介:プリペアド・ピアノ独奏のための《カラス》(2012) 委嘱新作初演

[関連公演@芦屋] ジョン・ケージ生誕100周年記念・その2 感想集
2013年6月14日(土)18時 山村サロン
●ケージ:南のエテュード集 第1巻&第2巻(1974-75) (全16曲)
●カウエル:マノノーンの潮流(1917)、エオリアン・ハープ(1923)、ザ・バンシー(1925)
●譚盾:C-A-G-E- (1994)
●副島猛:ピアノ独奏のための《ホオジロのいる風景》(2012) 委嘱新作初演
●サティ:薔薇十字教団の最も大切な思想(1891)、グノシェンヌ第1番(1890)・第3番(1890)・第5番(1889)、犬のための無気力な本当の前奏曲(1912、全3曲)、ジムノペディ第1番~第3番(1888)、いつも片目をあけて眠る見事に肥えた猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ(1921)、ジュ・トゥ・ヴ(1900)、映画《本日休演》のための交響的間奏曲(1924)

[関連レクチャー@神戸大学] 「楽譜に書かれていること/書かれていないこと」
2012年7月17日(火)13時20分~16時40分(2コマ) 神戸大学発達科学部(鶴甲キャンパス) バッハ「平均律クラヴィア曲集」、ジョン・ケージ「南のエチュード」、クセナキス「シナファイ」、カウエル作品その他について

[関連公演@京都] フェルドマン「バニタ・マーカスのために」 ― 感想集
2012年7月17日(火)20時 カフェ・モンタージュ
●M.フェルドマン:バニタ・マーカスのために(1985)(ピアノ独奏、約70分) M.Feldman: For Bunita Marcus

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
c0050810_11425555.gif[ポック#11] ラッヘンマン+ホリガー 全ピアノ作品 感想集 ― ラッヘンマン作品解説 ― ホリガー作品解説 ― 「『戦後前衛第二世代』について:ラッヘンマン、ホリガーを中心に」(野々村禎彦)
2012年10月4日(木)18時開演 代々木上原・けやきホール 有馬純寿(音響)
●H.ラッヘンマン(1935- ):F.シューベルト(D643)の主題による5つの変奏曲(1956)、エコー・アンダンテ(1961/62)、ゆりかごの音楽(1963)、ギロ - 練習曲(1970/88)、子供の遊び(7つの小品)(1980)、セリナーデ(1997/98)
●H.ホリガー(1939- ):ソナチネ(1958、日本初演)、エリス(3つの夜曲)(1961)、《こどものひかり》より「ヨーデル二重唱」「ブルクドルフのブギウギ」「うさぎとはりねずみ(スイス・ランゲンタール方言弾き語り)」(1993-99、日本初演)、パルティータ(1999)、7月14日のための花火(2012、日本初演)

[関連公演@京都] ケージ《北のエチュード》  感想集
2012年10月20日(土)20時開演 カフェ・モンタージュ [京都市中京区夷川通柳馬場北東角]
●J.ケージ(1912-1992):プリペアド・ピアノのための《31分57.9864秒》(1954)(日本初演)、北天のエチュード(1978)(日本初演)、永遠のタンゴ(1984)、トイ・ピアノのための組曲(1948)

[紹介番組] ラヂオつくば 84.2MHz 「つくばタイムス・ドッピオ」 インタビュー書き起こし
10/31(水) 24:00
~24:30(=11/1(木) 午前0時~0時半)
  ジョン・ケージ《ある風景の中で In a landscape》(1948)(ピアノ)、同《夢 Dream》(1948)(チェンバロ)の演奏のほか、POCシリーズについてのインタビュー

c0050810_11433915.gif[番外編@松濤] シュトックハウゼン歿後5周年  感想集 ― 曲目解説
2012年11月3日(土) 15時開演 タカギクラヴィア松濤サロン(渋谷区松濤1-26-4)
●K.シュトックハウゼン(1928-2007):ピアノ独奏のための《自然の持続時間 Natürliche Dauern》(2005/06)(全24曲、約140分) 東京初演 〔連作 『音 ~ 一日の24時間 Klang, Die 24 Stunden des Tages』 より 「第3時間目」〕
曲目解説日本初演公演感想集
モートン・フェルドマン:「ずいぶん前、シュトックハウゼンと非常に奇妙な会話をしたことが私にもある。彼が《グルッペン》や《ヒュムネン》といった大作を発表していた頃で、一方私はずっとスカスカのピアノ小品を書いていた。そこで彼は言いがかりを付けてきた。「大作は書かないのかい、モートン?やってみろよ、売れるから」。そこで私は答えた。「カールハインツ、君が挑戦すべきなのは、一本指で弾けるピアノ曲だ」。
 (※・・・・《自然の持続時間》第1曲は、フェルドマンの死後20年近く経ってから、ニューヨーク・ミニアチュリスト・アンサンブルの「100音以下の作品を」という委嘱に応えて作曲された。)

[関連公演] 「近況Vol.45
11/11(日)15時半 東京文化会館4F音楽鑑賞室 (入場無料)
J.ケージ《One》(1987)、J.ケージ《四季 The Seasons - 一幕のバレエ》(1947、ピアノ独奏版) 〈前奏曲I〉 - 〈冬〉 - 〈前奏曲II〉 - 〈春〉 - 〈前奏曲III〉 - 〈夏〉 - 〈前奏曲IV〉 - 〈秋〉 - 〈終曲=前奏曲I〉

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
c0050810_1144116.gif[ポック#12] ジョン・ケージ生誕100周年(その1) 感想集 ― 曲目解説+「ジョン・ケージ素描(上)」(野々村 禎彦)
2012年11月15日(木)19時開演 代々木上原・けやきホール
●J.ケージ(1912-1992):プリペアド・ピアノのための《34分46.776秒》(1954)、易の音楽(1951) (全4巻、通奏東京初演)
2012年6月 ケージ《ソナタとインタリュード》+《易の音楽》 感想集

[ポック#13] ファーニホウ全ピアノ作品+シャリーノ・ソナタ全5曲 感想集 ― 曲目解説 ― 「『ポスト戦後前衛世代』について:『新しい複雑性』を中心に」(野々村 禎彦)
2012年12月12日(水)18時30分開演 代々木上原・けやきホール
●B.ファーニホウ(1943- ):エピグラム(1966)、3つの小品(1966/67)、レンマ-イコン-エピグラム(1981)、オープス・コントラ・ナトゥラム(2000)
●S.シャリーノ(1947- ):ソナタ第1番(1976)、ソナタ第2番(1983)、ソナタ第3番(1987)、ソナタ第4番(1992)、ソナタ第5番(1994)

[関連公演@京都] ケージ《冬の音楽》 感想集 - 奏法論
2012年12月29日(土)20時開演 カフェ・モンタージュ [京都市中京区夷川通柳馬場北東角]
●J.ケージ(1912-1992): 《ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズのための「冬の音楽」》 (1957年1月、NYストーニー・ポイント) [ピアノ独奏、全曲]
John Cage: "Winter Music" for Bob Rauschenberg and Jasper Johns (complete)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
c0050810_11444631.gif[ポック#14] ジョン・ケージ生誕100周年(その2) 感想集 ― 「ジョン・ケージ素描(下)」(野々村 禎彦)
2013年1月26日(土) 17時開演
 代々木上原・けやきホール
●J.ケージ(1912-1992):南のエテュード集(1974-75) (全32曲/全4集、通奏日本初演)(約2時間30分)
2012年7月 ケージ「南のエチュード第1巻&第2巻」+フェルドマン「バニタ・マーカスのために」感想集

[関連公演@京都] 武満徹:全鍵盤作品 感想集
2013年2月6日(水)20時開演
 カフェ・モンタージュ [京都市中京区夷川通柳馬場北東角]
●武満徹(1930-1996):ロマンス(1949)、遮られない休息(1952/59) 、ピアノディスタンス(1961)、ピアニストのためのコロナ(1962)、フォー・アウェイ(1973)、閉じた眼-瀧口修造の追憶に-(1979)、こどものためのピアノ小品(1979)、雨の樹素描(1982)、夢見る雨(1986)[チェンバロ独奏]、閉じた眼 II (1988)、リタニ-マイケル・ヴァイナーの追憶に-(1989) 、雨の樹素描 II-オリヴィエ・メシアンの追憶に-(1992)

[ポック#15] 実験工房の切り拓いたもの 感想集 ― 曲目解説+「日本の戦後前衛第一世代について:「実験工房」同人を中心に」(野々村 禎彦)
2013年2月22日(金)18時開演
 代々木上原・けやきホール
大井浩明(ピアノ+オンド・マルトノ[*]) 河合拓始(ピアノ+トイピアノ他) 有馬純寿(電子音響)
●佐藤慶次郎(1927-2009):ピアノのためのカリグラフィー(1957/59)、如何是第9番(1993、抜粋)[*]
●湯浅譲二(1929- ):スリー・スコア・セット(1953)、内触覚的宇宙(1957)、プロジェクション・トポロジク(1959)、オン・ザ・キーボード(1972)、夜半日頭に向かいて -世阿弥頌- ~ピアノと電子音響のための(1984)
●福島和夫(1930- ):途絶えない詩 ~武満徹へ(1953)[*] 、エカーグラ(1957)[*] 、風の輪(1968)、水煙(1972)
●武満徹(1930-1996):遮られない休息(1952/1959)、フォー・アウェイ(1973)、閉じた眼 I ~瀧口修造の追憶に(1979)、コロナ(1962)[*] +静寂の海(1986)[同時演奏]
●鈴木博義 (1930-2006):2つのピアノ曲(1952)

チラシ [表] http://twitdoc.com/1F0S  [裏] http://twitdoc.com/1F0V


■╋━━… POC2011年リンク集 …━━╋■
c0050810_12223172.jpgヨーロッパ戦後前衛音楽の「演奏実践(パフォーマンス・プラクティス)」再考(野々村 禎彦)
TOWER RECORDS 「大井浩明の空前絶後現代音楽菩薩行を体験せよ!」(片山杜秀)
■【ポック#6】 クセナキス公演(2011年9月)
感想集 彼岸のクセナキス(野々村 禎彦) クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》
■【ポック#7】 リゲティ公演(2011年10月)
感想集  曲目解説 音楽史の中のリゲティ(野々村 禎彦)
■【ポック#8】 ブーレーズ公演(2011年11月)
感想集 ブーレーズとは何だったのか(野々村 禎彦)
■【ポック#9】 韓国特集公演(2011年12月)
感想集 曲目解説 韓国作曲界の「河」の流れ(伊藤 謙一郎) 「統営の娘」写真等
■【ポック#10】 シュトックハウゼン公演(2012年1月)
感想集 曲目解説 シュトックハウゼン素描(野々村 禎彦)
「1977年東京で――《暦年》世界初演」 (木戸敏郎) 前編 後編
「三人称の雅楽《リヒト》」(木戸敏郎) 前編 後編


■╋━━… POC2010年リンク集 …━━╋■
POC2010関連ライヴ演奏動画集 (委嘱作品を中心に)
●POC#1 松下眞一+野村誠 [2010.09.23]
感想集 松下曲目解説  「数学者としての松下眞一」(松井卓) 「松下眞一個展・東京公演に寄せて」(白石知雄)  野村曲目解説  野村プロフィール+関連リンク集 
●POC#2 松平頼則+山本裕之 [2010.10.16]
感想集 山本/松平作品奏法雑記 松平「美しい日本」について(石塚潤一)  「松平頼則が遺したもの」(石塚潤一)  山本作品解説+プロフィール/作品リスト  「曖昧な明晰/明晰な曖昧:山本裕之試論」(田中吉史)
●POC#3 塩見允枝子+伊左治直 [2010.11.13]
感想集 塩見曲目解説+プロフィール/作品リスト  伊左治曲目解説  伊左治プロフィール+「伊左治直の音楽」(野村誠) 
●POC#4 平義久+杉山洋一 [2010.12.15]
感想集 杉山「間奏曲集」奏法メモ 平曲目解説・プロフィール/作品リスト  杉山曲目解説・プロフィール/作品リスト  「杉山個展に寄せて」(伊左治直)
フランコ・ドナトーニについて(杉山洋一) その1 その2 その3 その4 その5 その6
●POC#5 松平頼暁+田中吉史 [2011.01.29]
感想集 松平曲目解説  「松平頼暁への祝詞」(石塚潤一)  田中曲目解説+「定着しない音の行方」(山本裕之)  田中プロフィール・作品リスト 
[PR]
by ooi_piano | 2013-02-24 11:10 | POC2012 | Comments(0)

2/22(金) 実験工房公演

[ポック#15] 実験工房の切り拓いたもの
2013年2月22日(金) 18時
開演 代々木上原・けやきホール

大井浩明(ピアノ+オンド・マルトノ[*]他) 河合拓始(ピアノ+トイピアノ他) 有馬純寿(エレクトロニクス[※])

c0050810_13181158.gif●鈴木博義 (1930-2006):2つのピアノ曲(1952)
●佐藤慶次郎(1927-2009):ピアノのためのカリグラフィー(1957/59)、如何是第9番(1993、抜粋)[*]
●武満徹(1930-1996):遮られない休息(1952/1959)、フォー・アウェイ(1973)、閉じた眼 ~瀧口修造の追憶に(1979)、コロナ(1962)[*] +静寂の海(1986)[同時演奏]

【休憩】

●福島和夫(1930- ):途絶えない詩(1953、抜粋)[*] 、エカーグラ(1957)[*] 、風の輪(1968)、水煙(1972)
●湯浅譲二(1929- ):スリー・スコア・セット(1953)、内触覚的宇宙(1957)、プロジェクション・トポロジク(1959)、オン・ザ・キーボード(1972)、「夜半日頭」に向かいて -世阿弥頌- ~ピアノと電子音響のための(1984)[※]

協力/尾茂直之(ASADEN 浅草電子楽器製作所)、(有)ふぉるく
※プログラムの一部が変更されました。


【お問い合わせ】 (株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com  http://www.okamura-co.com/

--------
c0050810_13194572.gif ■鈴木博義 (1930-2006)は成蹊大学文科で学んだのち、濱田徳昭の合唱サークル(《第九》や《アヴェ・ヴェルム・コルプス》を練習)で、武満徹と福島和夫に出会う。武満とともに1950年新作曲派協会に入会。《2つのピアノ曲》は、52年8月実験工房第4回発表会にて長松純子(ピアノ)により初演された。54年11月東京交響楽団委嘱によるオンド・マルトノ独奏(クラヴィオリンで代用)と管弦楽のための《モノクロームとポリクローム》、55年7月クラリネットと4弦楽器のための《メタモルフォーズ》を発表したのちは、付随音楽以外の作曲活動は行っていない。本日は、作曲者自身が楽譜作成ソフトを用いて浄書した最終版を用いる。

 ■佐藤慶次郎(1927-2009)は慶應大医学部在籍中から早坂文雄に師事。1954年音楽コンクール作曲部門第2位。《ピアノのためのカリグラフィー》は、1961年1月イタリア文化協会主催の現代音楽公演で、田辺緑により献呈初演。ISCMウィーン大会(第35回)に入選し、メシアン・ブーレーズらの賞賛を得た。「この作品の創作にあたって意図されたのは、純粋な生命力の把握です。書の世界のイメージを通じて、作品の世界を暗示し、さらに書の行為的な側面と対応して、演奏態度をも示唆するために、この題名が選ばれました」(作曲者)。《10の弦楽器のためのカリグラフィー第2番》(1965)の発表後は、主に電子オブジェ製作に向かう。代表作に「エレクトロニック・ラーガ」(1967)、「ススキ」(1974~)等。《如何是(いかんぜ)第9番》は、80年代から90年代にかけて手がけられた、電子音源による非公表のテープ音楽の一つ。フルート音(ただしフルートでは演奏不能)とピアノ音が用いられ、1拍毎にテンポが22から132まで6段階で加速する3小節周期の記譜によって書かれている。今回はその冒頭部分(422小節)を演奏する。

 ■武満徹(1930-1996)は、作曲はほぼ独学。《ノヴェンバー・ステップス》(1967)以降、映画音楽を含め広く欧米で知られる。現代音楽祭《Music Today》(西武劇場)を長く主宰した。著書多数。《遮られない休息》は、第1曲「ゆっくりと悲しく、話しかけるように」が1952年8月実験工房第4回発表会で園田高弘により初演。第2曲「静かに残酷な響きで」・第3曲「愛の歌」は、1959年笠間春子により初演。タイトル(“Pause ininterrompue”)は瀧口修造の詩(1937)による。《フォー・アウェイ》は、1973年ロジャー・ウッドワードにより献呈初演。クセナキス《エヴリアリ》やジョラス《ソナタのためのB》同様、彼らのバリ島訪問の影響が指摘される。オディロン・ルドンの油彩画(1890)に因む《閉じた眼》は、1979年9月6日東京で高橋アキにより初演。同年7月1日に逝去した瀧口修造の追憶に捧げられている。1990年に《ヴィジョンズ》第2曲として管弦楽化された。グラフィック・デザイナー杉浦康平との共作である《コロナ》は、5枚の円環状の図形楽譜からなる。初演は1962年2月、高橋悠治と一柳慧の2台ピアノによる。今回は、楽譜で推奨される種々の鍵盤楽器を組み合わせつつ、テープ音楽《静寂の海》との同時演奏を試みる。

c0050810_13205854.gif ■福島和夫(1930- )は、作曲はほぼ独学。W.シュタイネッケを追悼する《冥》(1962)等のフルート作品を中心に、国際的に広く演奏され続けている。1970年代からは上野学園大学日本音楽史研究所長として、日本音楽史学(古代・中世・史料学)に専念。近年の論文に、「西域伝来の古楽器揩鼓の研究(一)~(五)」(2004~)、「東大寺文書 華厳会記録 覚書」(2010)、「古楽文粋 譜序・跋」(2007)等。《途絶えない詩(うた)》は、1953年9月実験工房第5回発表会にて川田敦子(ヴァイオリン)により初演。作曲者の処女作にあたり、盟友・武満徹に献呈されている。タイトル(“Poésie ininterrompue”)はポール・エリュアールの詩集(1946)から採られた。今回はその冒頭部分(Presque lent)を演奏する。《エカーグラ》は、1958年8月軽井沢で林リリ子(アルト・フルート)・高橋従子(ピアノ)により献呈初演。梵語で「一縁」の意であり、「自分の住まっている、自分の腰を落ち着けている処」「一つのことに心を集中すること」、と云う。武満徹《弦楽のためのレクイエム》を並んで《エカーグラ》を激賞したストラヴィンスキーは、アメリカでの初演の労を執った。《風の輪 ~スケリグ島の追憶に》は、東京ドイツ文化研究所(当時)の委嘱により、1968年第2回日独現代音楽祭のために作曲。コンタルスキー兄弟による松下眞一《スペクトラ第3番》と同じ公演で、小林仁により初演された。「…目を閉ざすと、音のない唸りを聞く、海でもあり風でもあり、この小さな岩山を、無音の唸りがめぐる。…永遠をあらわすケルトの巴文、螺旋文が、渦巻いて続く。それは風の呪である」。《水煙》は、1972年第6回日独現代音楽祭のために作曲、本荘玲子により初演。水煙(すいえん)とは、仏塔の最上部に取り付ける相輪(そうりん)の一部で、九輪(宝輪)の上にある火炎をかたどった透かし彫り装飾のこと。出版作品としてはこれが最新のものとなる。

 ■湯浅譲二(1929- )は福島県郡山生まれ。1951年慶應大医学部を中退して実験工房に参加、爾来今日に至るまで半世紀以上、旺盛な作曲活動を続けている。《スリー・スコア・セット》は、1953年9月実験工房公演にて松浦豊明により初演。前年の処女作《二つのパストラール》に続く第2作であり、「プレリュード」「コラール」「フィナーレ」の短い3曲からなる。《内触覚的宇宙》は、1957年6月実験工房ピアノ作品演奏会にて園田高弘により初演。「内触覚的」とは、原始的な洞窟絵画のように「外的な観察によってではなく内的な感覚(sensation)によってフォルムが描きとられてゆく型の芸術」[Herbert Read “Icon and idea”(1955)]を示している。同タイトルのシリーズは、ピアノ曲(1957/1986)・二十弦筝と尺八(1990)・チェロとピアノ(1997)・オーケストラ(2002)の五曲を数える。《プロジェクション・トポロジク》は、1959年8月軽井沢にて園田高弘により初演。プロジェクション第1(静的な時間空間)、同第2(浮動的な時間空間、偶発するエネルギー)、同第3(静的な形の中に浮動的な時間空間エネルギーの交替)、の3部からなる。《オン・ザ・キーボード》は高橋アキの委嘱、1972年2月15日初演。タイトルは、鍵盤とペダルのみによる新しい世界の開拓を指すと同時に、内部奏法に否定的である日本楽壇への揶揄も込められている。《「夜半日頭(やはん・じっとう)」に向かいて》は、1984年春カリフォルニア大学音楽実験センター(CME、サンディエゴ)にて作曲、同年6月3日にNYリンカーン・センターにてアラン・ファインバーグピアノ)により初演。世阿弥『九位』の能実践の喩え、「夜半、日頭明らかなり」(新羅では真夜中に太陽が煌々と照っている)に縁る。

---------
日本の戦後前衛第一世代について:「実験工房」同人を中心に ――野々村 禎彦

c0050810_13213267.gif POCシリーズ最初の1年は、息の長い作曲家を輩出した大井の同年生まれと、戦後前衛/実験主義を貫きながら実力に見合う評価を受けてこなかった日本の作曲家たちを組み合わせた特集だった。その後のシリーズは、ヨーロッパの戦後前衛世代(ポスト戦後前衛世代を含む)をほぼ網羅的に紹介する内容で、ドイツ留学組が形作った韓国の戦後前衛世代も、この枠で紹介された。POC小休止前の最後の回で、日本の戦後前衛第一世代の中核をなす「実験工房」同人を取り上げるのは自然な流れだ。ただし日本の戦後前衛は、歴史的経緯により英国とは別な意味で特殊な様相を呈しており、本稿では対象を「実験工房」に限らず、全体像を概観する。

 松平頼則(1907-2001)は戦後前衛世代よりもはるか年長だが、同世代のメシアン(1908-92)とカーター(1908-2012)がヨーロッパと米国の戦後前衛の基礎を作ったのと同じ意味で、日本の戦後前衛の基礎を作った。戦前の松平は伊福部昭(1914-2006)と並ぶ「民族派」として民謡等を素材にした作品で知られていたが、彼はフランス新古典主義をほぼリアルタイムで学び、独自性を求めて「民族的」な素材に向かった。すなわち彼は初期から「輸入」「翻訳」では満足できなかった。太平洋戦争中の彼は、創作への干渉を嫌ってほぼ筆を絶ったが、おかげで戦後に戦争協力を追及されたり、アリバイとして「民主的」な作品を書くような煩わしい処世に追われず、新古典主義の粋を極めた作曲に集中できた。ヨーロッパ戦後前衛史観では新古典主義は音列主義と対立するかのように扱われてきたが、これはシェーンベルクとストラヴィンスキーの個人的対立に由来し、本来は歴史を俯瞰的に眺めて様式変遷を素材と看做す新古典主義こそモダニズムの本流に位置する。実際、ストラヴィンスキーはシェーンベルクの死に呼応するかのように音列技法を採用し、後期ヴェーベルンを受け継いだ優れた12音作品を書き続けた。ただし、ストラヴィンスキーやプーランクのような新古典主義は日本では受けが悪く、ヒンデミットやオルフのような新古典主義が主流だった。大澤壽人(1906-53)のフランス新古典主義とジャズを融合した才気溢れる作品が理解されるはずもない。

c0050810_13222593.jpg 日本で戦後いち早く12音技法を研究したのは柴田南雄(1916-96)、入野義朗(1921-80)ら、新古典主義から出発した作曲家たちだった。日本で最初に12音技法を使ったのは入野とされるが、諸井誠(1930-)も同時期に使い始めていた。新古典主義的なゴツゴツした持続が抜けない入野や柴田の12音書法とは対照的に、諸井は初期からベルクのような流麗な書法を身に着けていた。日本におけるドイツ伝統書法の重鎮、諸井三郎(1903-77)の息子ながら大学では日本におけるフランス伝統書法の祖、池内友次郎(1906-91)に学んだ成果だろう。アカデミックな基礎に12音技法はぴったりはまった。彼はNHK電子音楽スタジオ創設時に北ドイツ放送スタジオを調査し、シュトックハウゼン《習作I/II》の分析を通じて総音列技法に向かった。正弦波素材の電子音楽では《ヴァリエテ》(1962)、器楽曲では《ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲》(1963) がこの方向のピークにあたる。「アカデミズムの反逆者」というヨーロッパ戦後前衛の典型を地で行く、もうひとりの池内門下生が黛敏郎(1929-97)だ。フランス新古典主義を土台にジャズやエキゾティックな素材を散りばめ、学生時代からジャズバンドでピアノを弾き、映画の主題歌を作曲する時代の寵児だった。パリ音楽院に留学したが得る物なしと1年で帰国し、日本初のミュジック・コンクレートや(狭義)電子音楽を相次いで発表した。他方、映画音楽にも積極的に取り組み、後に松本清張『砂の器』のモデルになるほど世間でも注目されていた。聴衆を取り囲むオーケストラと合唱が、スペクトル解析した梵鐘の響きを再構成し声明を歌う《涅槃交響曲》(1957-58) は、後年のスペクトル楽派の探求まで予見した、国際的にも先駆的な代表作である。

 しかし黛は《涅槃交響曲》の先に進むことはなく、この作品を生んだ日本の伝統への関心も右寄りの政治活動に収束し、程なく活動の中心をそちらに移した。諸井も《協奏組曲》を乗り越えることはできず、《竹藾五章》(1964) で前衛書法を尺八に適用する新たな方向性を打ち出したが、この曲を契機に戦後前衛の枠を超えて広がった邦楽器ブームに埋没し、70年代半ばには音楽文筆に活動の中心を移した。国際的にも、モダニズムを突き詰めた創作は60年代初頭で飽和し、その先を独力で切り拓いた作曲家のみが前衛の終焉を超えて生き延びた。黛と諸井の華やかな活動の前に霞んだかに見えた柴田と入野は、日本伝統音楽との様式混合を通じて60年代半ばから再び存在感を示した。特に柴田は、《追分節考》(1973) に始まる日本民謡を素材にした合唱のためのシアターピースが創作のピークにあたる。

c0050810_1324273.gif 池内門下で戦後前衛に属するのは黛と諸井だけだが、彼ら以外にも興味深い作曲家は多い。少なくとも70年代までは、池内門下生を中心とする日本のアカデミックな作曲界は、戦後前衛側に劣らぬ進取の気性に満ちた創作を続けていた。バルトークにならった民謡研究を通じて声楽書法を発展させた間宮芳生(1929-)の《合唱のためのコンポジション》シリーズは、ヨーロッパ戦後前衛の探求に比肩する。フランス伝統書法と原初的なオスティナートを融合した松村禎三(1929-2007)の《交響曲第1番》(1965) や《管弦楽のための前奏曲》(1968) は、同時代のリゲティに匹敵するトーン・クラスター音楽である。むしろ、戦後前衛第一世代でフランス伝統書法に収まったのは矢代秋雄(1929-76)だけかもしれない。三善晃(1933-)もパリ音楽院での師デュティユと同じく徐々にその枠を乗り越え、《チェロ協奏曲》(1974) や《変化嘆詠》(1975) の時期には前衛の停滞を凌ぐほどの激越な表現に達していた。そもそも日本人にとって洋楽の伝統書法はしょせん借り物。高校在学中から毎日音楽コンクールの常連だった一柳慧(1933-)がジュリアード音楽院留学後数年で米国実験音楽に向かい、ケージに師事したのも驚くにはあたらない。

 日本の総音列技法の使い手は諸井だけではない。松平頼曉(1931-)は作品表冒頭の《変奏曲》(1957) から、松下眞一(1922-90)も同時期に使い始めた。松平頼則も《右舞》(1957) で総音列技法、《蘇莫者》(1961) で管理された偶然性を使い始める。息子の頼曉への対抗意識もあったのか、雅楽のフィルターを通した独自様式で終生使い続けた。頼曉の場合はこの書法は出発点に過ぎず、独自のピッチ・インターヴァル技法を80年代初頭に確立するまでは、米国実験主義のさまざまな意匠を試みることになる。松下は60年代にピークを迎えたが、1965年からハンブルクに拠点を移したこともあって日本国内では相応の評価を受けられず、70年代に入るとペンデレツキらと並んでいち早く新ロマン主義に向かった。もうひとり特筆すべきは篠原眞(1931-)。彼も池内門下出身だが藝大を中退し、メシアン門下を皮切りにシュトックハウゼンの助手を経てユトレヒトのソノロジー研究所に落ち着いた。前衛書法をリアルタイムで吸収した彼は、70年代に入ると西洋楽器と邦楽器の融合に目を向けたが安易な折衷主義に陥ることはなく、《Egalisation》(1975) や《Cooperation》(1990) など、ポスト前衛の時代に本領を発揮した。また彼は、《Broadcasting》(1974) や《City Visit》(1979) など、GRMでフェラーリから学んだ経緯を彷彿とさせるミュジック・コンクレートでも異彩を放った。

c0050810_13252176.jpg この4人のうち、篠原以外の3人はPOC第1期で取り上げられており、国際水準で戦後前衛を代表する彼らが正当に評価されていない現状には大きな問題があるが、それだけ日本独自の「戦後前衛」に存在感があったということでもある。それが、実験工房同人の作曲家たちに他ならない。福島秀子(1927-97)・和夫(1930-)姉弟の家に集った芸術家たちが詩人&美術評論家の瀧口修造(1903-79)を後見人に据えて結成した集団であり、ピアニスト園田高弘(1928-2004)、舞台照明家の今井直次(1928-)、技術者の山崎英夫(1920-79)、詩人&音楽評論家の秋山邦晴(1929-96)も含む、セルフ・プロデュース可能なグループだったことも成功の要因だろう。美術作家は駒井哲郎(1920-76)、北代省三(1921-2001)、大辻清司(1923-2001)、福島秀子、山口勝弘(1928-)と比較的年長で、「具体」同人と並ぶ日本抽象絵画のパイオニアたちや戦前の前衛写真を継承する作家のマルチメディア指向を、一世代下の非アカデミックな作曲家たちが支える形で始まった。

 現代芸術の世界は狭く、美術作家どうし、作曲家どうしは以前から面識があったが、1950年5月頃から武満徹(1930-96)と鈴木博義(1931-2006)が福島家のサロンに顔を出し、ジャンルを超えた交流が始まる。清瀬保二(1900-81)に師事していた武満と鈴木は同年、清瀬、松平、伊福部、早坂文雄(1914-55)ら「民族派」を糾合した「新作曲派協会」に参加した。同年末、親交のあった湯浅譲二(1929-)と秋山が新作曲派協会の発表会に足を運び、武満《2つのレント》(1950) を激賞し仲間に加わる。彼らは翌年の夏に芸術家集団「アトム」名義で展覧会を企画していたが、折良く瀧口から創作バレエ『生きる悦び』の制作を依頼され、「実験工房」(瀧口の命名)として活動を始めた。やがて武満は早坂の映画音楽の助手を始め、早坂に師事していた佐藤慶次郎(1927-2009)も1953年に参加する。5人ともほぼ独学、音楽学校出身者はいない。湯浅に至っては新作演奏会に足を運ぶうちに、「この程度なら俺でも書ける」と作曲を志したという。パンクムーヴメントの時代に「この程度なら…」と音楽を志した人々は実験的ポピュラー音楽の中興の祖になった。歴史は繰り返す。

c0050810_132649100.jpg 実験工房の活動期間は1951-57年と短い。鈴木の活動で知られているのはこの間のみだが、メンバーの多くはむしろこれ以降に飛躍した。早坂の「日本的な感覚的無調」を体現した佐藤は《ピアノのためのカリグラフィー》(1960) に始まる《カリグラフィー》シリーズで名高いが、60年代後半に戦後前衛第二世代が台頭し、ベルリン帰りの石井眞木(1936-2003)がポストコロニアルな作風で注目を浴び、高橋悠治(1938-)がクセナキスの作曲技法を使うなど国際化が進む中で、創作の中心を電動オブジェに移した。福島の作風は一見穏健だが海外への対抗意識は人一倍強く、ダルムシュタット現代音楽夏期講習やISCMに積極的に参加した。「日本的」なフルート書法は特に注目され、《冥》(1962) は国際的なスタンダードになった日本人初の(現在でも数える程しかない)作品である。そんな福島だけに、前衛の時代が終わって現代音楽が各国内に閉じこもるようになると(日本は特にその傾向が強かった)、活動の中心を日本や東洋の伝統音楽の研究に移した。

 武満は満州引揚者の家庭に生まれ、米軍キャンプで働いてようやく高校を卒業するハングリーな少年時代を過ごした。彼のキャリアで特筆すべきは、現代音楽と映画音楽の経験を並行して積み、どちらの分野でも日本の頂点に立ったことである。公的に認知される前は早坂らの映画音楽の助手と独自のミュジック・コンクレートを通じて双方の仕事の基礎を身に着け、映画音楽では中村登監督の50年代後半の作品、現代音楽では「20世紀音楽研究所」コンクールへの入賞(1958) と同研究所参加を機に知られ始めた。映画音楽では勅使河原宏・羽仁進・篠田正浩ら、同世代の芸術指向の監督作品でミュジック・コンクレートや邦楽器を駆使し、映画賞の音楽部門の常連となって地位を確立した。現代音楽では《テクスチュアズ》(1964) の国際作曲家評議会コンクール1位、《ノヴェンバー・ステップス》(1967) のNYPからの委嘱と海外での評価が逆輸入される形で評価を確立した。以後の彼は、現代音楽祭「Music Today」の運営など、プロデュースにも才能を発揮した。

 湯浅は郡山の代々医者の名家で生まれ育ち、武満のように貪欲な自己プロデュースは行わなかったため認知は遅れたが、諸井の電子音楽制作が一段落しNHK電子音楽スタジオが在野の作曲家にも門戸を開き始めた時期に、ホワイトノイズのフィルタリングという独自の手法で制作した《プロジェクション・エセムプラスティク》(1964) が、シュトックハウゼンにも「エニグマティックな音楽」と評され、ようやく自己を見出した。この経験を経て音楽を時間と周波数の2次元グラフで作曲する書法にクセナキスとは独立に到達し、この手法を推し進めた最初の代表作《イコン》(1967) の後、この書法を通常の器楽曲にも拡張してからは、《クロノプラスティク》(1972)、《芭蕉の情景》(1980/89) など、国際水準の作品をコンスタントに発表している。コンピュータ音楽研究で名高いカリフォルニア大学サンディエゴ校で1981-94年に教鞭を執り、アナログ電子音楽にもコンピュータ音楽にも通じた日本では稀少な現代作曲家となった。その最初の成果《夜半日頭に向かいて》(1984) は、福島作品の集中的紹介と並ぶ本演奏会の目玉だ。

c0050810_13274756.gif このように概観すると、日本の戦後前衛第一世代及び彼らに対抗意識を燃やしたアカデミックな作曲家たちはほぼ1929-33年という極めて狭い間に生まれている。戦後前衛第二世代は水野修孝(1934-)、刀根康尚(1935-)らに始まって三宅榛名(1942-)、池辺晋一郎(1943-)あたりまで、ポスト戦後前衛世代は佐藤聰明(1947-)、近藤譲(1947-)、平石博一(1948-)らに始まり、三輪眞弘(1958-)、中川俊郎(1958-)らの世代には既に実験的ポピュラー音楽(大友良英(1959-)、内橋和久(1959-)らの世代に相当)との境界が曖昧になっている。戦後前衛第二世代以降の世代の切れ目はヨーロッパと変わらない。逆に、例外的な作曲家の戦時中の生活を眺めると事情ははっきりする。入野(1921生)は東京銀行を経て海軍主計局に勤めた財務畑のエリート、松下(1922生)は九州帝国大学理学部数学科の大学院生、佐藤(1927生)は医者志望の慶應普通部の学生だった。旧制中学からは勤労奉仕、旧制高校からは学徒動員という戦時下の総動員態勢を免れた者だけが戦後前衛第一世代を形成した。

 この事情は実はヨーロッパでも変わらない。大半の国は第2次世界大戦が始まるとたちまちナチスに占領され、多くの若者が兵役に駆り出されたのは、ヨーロッパ大陸全土とアフリカ北部まで派兵し、最後は国土が戦場になったドイツ、ドイツの侵略を耐え抜いた旧ソ連、ドイツの上陸を許さなかった英国程度である(イタリアのファシスト党はナチスとは対照的に前衛芸術を擁護し、連合国軍がノルマンディに上陸した段階で政権を追われている)。実際、ドイツの戦後前衛第一世代はシュトックハウゼン(1928生)とシュネーベル(1930生)程度(カーゲルは戦後にアルゼンチンから移住)、旧ソ連の戦後前衛第一世代はデニソフ(1929生)とグバイドゥーリナ(1931生)程度、英国に戦後前衛第一世代は存在しなかった。実験工房の美術作家たちはみな1920-28年の間に生まれており、日本の戦後小説の多くはむしろ戦争体験から生まれた。伝統書法の作曲家はこの世代にも多く、前衛音楽を志向する個性のみが「軍隊的なもの」とは決定的に相性が悪いようだ。

 本稿の執筆にあたり、川崎弘二さんにご協力頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。
[PR]
by ooi_piano | 2013-02-17 12:49 | POC2012 | Comments(3)
c0050810_1525976.jpg武満徹・全鍵盤作品集成
日時:2月6日(水) 20時 入場料2000円
会場:カフェ・モンタージュ
予約フォーム 075-744-1070 montagekyoto@gmail.com

感想集 http://togetter.com/li/453361

ロマンス(1949)
遮られない休息(1952/59)
ピアノディスタンス(1961)
ピアニストのためのコロナ(1962)
フォー・アウェイ(1973)
閉じた眼 ~瀧口修造の追憶に (1979)
こどものためのピアノ小品(1979)
雨の樹素描(1982)
夢見る雨(1986) [チェンバロ独奏]
閉じた眼 II (1988)
リタニ ~マイケル・ヴァイナーの追憶に(1989)
雨の樹素描 II ~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)
□FBイヴェントページ

―――――――――――――――
c0050810_232683.jpg■J.S.バッハ《六つのパルティータ》(クラヴィコード独奏)
日時:2月9日(土) 20時 入場料2000円
会場:カフェ・モンタージュ
予約フォーム 075-744-1070 montagekyoto@gmail.com

感想集 http://togetter.com/li/453542

  “Clavier-Übung”(クラヴィーア練習曲集)全4巻は、生前のバッハが自費で世に送り出した唯一の大作です。バッハが世間に自分のことをどう思って欲しかったかを示唆する音楽、とも言えるでしょう。Clavierとは当時の鍵盤楽器一般を指す語で、Übungとは精神的な面までも含めた探求・修行を意味しています。
   第1巻(1731年出版)が1段鍵盤楽器のための6つのパルティータ(組曲)、第2巻(1735年出版)が2段鍵盤チェンバロのための「イタリア風協奏曲」と「フランス風序曲」、第3巻(1739年出版)がオルガンのための「ドイツ・オルガン・ミサ」(2段鍵盤+足鍵盤)、そして第4巻(1741年出版)が「ゴルトベルク変奏曲」です。

《6つのパルティータ》 BWV 825-830

■第1番変ロ長調 BWV 825
 前奏曲 - アルマンド - クーラント - サラバンド - メヌエット I & II - ジガ

○高橋悠治:《アフロアジア的バッハ》(2007)より「空」「沈む月」

■第2番ハ短調 BWV826
 シンフォニア - アルマンド - クーラント - サラバンド - ロンドー - カプリチオ

○高橋悠治:《アフロアジア的バッハ》(2007)より「浮き雲」「闇のとばり」

■第3番イ短調 BWV827
 ファンタジア - アルマンド - コレンテ - サラバンド - ブルレスカ - スケルツォ - ジーグ

○高橋悠治:《アフロアジア的バッハ》(2007)より「煙の渦」「瞬く炎」

■第4番ニ長調 BWV828
 序曲 - アルマンド - クーラント - アリア - サラバンド - メヌエット - ジーグ

○高橋悠治:《アフロアジア的バッハ》(2007)より「さざなみ」「冷たい雨」

■第5番ト長調 BWV829
 前奏曲 - アルマンド - コレンテ - サラバンド - テンポ・ディ・メヌエット - パスピエ - ジーグ

○高橋悠治:《アフロアジア的バッハ》(2007)より「散る砂」「黄昏」

■第6番ホ短調 BWV830
 トッカータ - アルマンド - コレンテ - エアー - サラバンド - テンポ・ディ・ガヴォッタ - ジーグ

□FBイヴェントページ
[PR]
by ooi_piano | 2013-02-03 02:05 | POC2012 | Comments(0)
  「やがては、誰しも騒音も聞こえぬ所へ行かねばならぬのだから、せめて生きている間は、騒音でも何でも聞こえることに感謝しなければならぬと思う」 宮城道雄(1894~1956)

[ポック#14] ジョン・ケージ生誕100周年(その2)
2013年1月26日(土) 17時
開演 代々木上原・けやきホール 大井浩明(ピアノ) 
●J.ケージ(1912-1992):南のエテュード集(1974-75) (全32曲/全4集、通奏日本初演)(約3時間30分)
第1巻 I - II - III - IV- V - VI - VII - VIII
第2巻 IX - X - XI - XII - XIII - XIV - XV - XVI
(休憩)
第3巻 XVII - XVIII - XIX - XX - XXI - XXII - XXIII - XXIV
第4巻 XXV - XXVI - XXVII - XXVIII - XXIX - XXX - XXXI - XXXII
■Facebook イヴェントページ
c0050810_1545153.jpg

【チケット料金】 〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円  〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円
【チケット取り扱い】 ローソンチケット(各公演1回券のみ) tel. 0570-084-003 http://l-tike.com/ Lコード:37455
(株)オカムラ&カンパニー(下記)
【お問い合わせ】 (株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com  http://www.okamura-co.com/

------------
c0050810_15455378.jpg【紹介番組】 ラヂオつくば 84.2MHz 「つくばタイムス・ドッピオ」
1/23(水) 24:00~24:30(=1/24(木) 午前0時~0時半)
 ※ケージ《易の音楽》《冬の音楽》から《南のエチュード》へ至るピアノ音楽についての大井インタビュー、ならびに《冬の音楽》の演奏

放送電波はつくば市内しか届きませんが、インターネットでのサイマル放送がエリア制限なくお聴きいただけます。
サイマル放送(Windowsパソコン)での聴き方
■スマートフォンからは TuneIn などのアプリでお聴きいただけます。
iPhone用TuneInRadio(フリーソフト)のインストール Android用TuneInRadio(フリーソフト)のインストール
ソフトを立ち上げると、地域検索バーが出てくるので、「茨城」を選択。「ラヂオつくば」の名称とアイコンが出てくるので、それをクリック。
■Mac でお聴きになる場合は、まず Flip4Mac のWindows Media Components for QuickTimeをダウンロード&インストールいただいた上で、QuickTime Playerの「URL直接入力」に「mms://221.189.124.204/IRTsukuba」と入力すればお聴きいただけます。


------------
ジョン・ケージ素描(下) ―――野々村 禎彦

c0050810_15461531.jpg 易を立てた結果を五線譜に記すか、音楽要素を厳密に示した図形楽譜(時間枠・音域・音量幅などの初期条件のみ奏者が設定)を用いていたケージの作風は、音楽家生活25周年コンサートの頃から変わり始めた。記号を書いた透明プラスティック板数枚と指示書で、譜面作成も奏者に委ねたより自由度の高い偶然性へ向かった。この路線の最初の作品が《Variations I》(1958) だ。次作《Fontana Mix》(1958) は、彼自身による電子音楽版が名高い。チューダーはニューヨーク楽派の実験的なピアノ曲をほぼ一手に担当していたが、50年代末から自作電子回路を用いた独自のライヴエレクトロニクスを始め、程なくピアノ演奏を引退した。するとケージは、作曲の中心をライヴエレクトロニクスに移して共演を続ける道を選んだ。

 第一作は、任意のオブジェにコンタクトマイクを取り付け、微小振動を増幅して大きな音響を取り出す《Cartridge Music》(1960) 。実験音楽の無理解な演奏は、無理に大人数を集めて大音量を得ようとするから起こる。本質を把握した奏者のみ起用し、大音量は電気増幅で実現すれば一応解決する。彼は生演奏を重視し録音には懐疑的だったが、生音への拘りはない。《増幅されたトイピアノのための音楽》(1960) や《ピアノのための音楽85》(1962) は電気増幅が前提で《Variations II/III/IV》(1961/62/63) のシリーズはIと同様の図形楽譜を持つが、フィードバック混じりの強烈なノイズで特徴付けられる。《4分33秒》第2番の《0分00秒》(1962) は、日常的動作から生じ普段は意識されない微小音響を増幅して聴かせる。

 やがて彼の志向はマルチメディア・パフォーマンスに移ってゆく。V(1965) 以降の《Variations》シリーズはその傾向が顕著で、《Musicircus》シリーズ(1967-) へと繋がってゆく。キーワードは「多元性」。《Black Mountain Piece》(1952) と理念は共通しているが、当時は「前衛芸術」に限定されていた対象が、「サーカス」らしく泰西名曲や大道芸まで広がった。彼は並行して《HPSCHD》(1967-69) をレジャーレン・ヒラーと共作した。古今の楽曲をコンピュータ・プログラム化した易経で処理して作ったチェンバロ譜の生演奏をヒラーのコンピュータ音楽と一緒に会場を囲むスピーカーから放出し、会場中にスライドが投影される。この時期のケージのパフォーマンスとしてはこれでも穏当な部類だが、クラシックの既成曲を素材にする発想と易経をプログラム化する手法はその後に受け継がれた。

 このようにケージの関心は自ずと狭義の音楽から離れて行った…わけではない。彼はこの方向性にはなかなか自信を持てず、自分の歩みが本当に正しいのか、しばしば易経に訊ねていた。結局彼は、サティ《ソクラート》のリズム構造をそのまま用い、音選択も原曲の雰囲気を保った《Cheap Imitation 安っぽい模造品》(1969) で、記譜された作品に復帰する。その後数年は、声のためのソロ《Song Books》(1970)、12本のテープのための《Bird Cage》(1972)、小オーケストラとテープのための《Etcetera》(1973) などの作品があるが、前後の時期よりも筆は滞りがちで、同時期のシュトックハウゼンと同じく、今後進むべき道を迷っていた。
c0050810_1547527.jpg

 この時期の最後に対照的な2曲が生まれた。旧友グレート・サルタンの委嘱による《南天のエチュード集》(1974-75) は、天球の南半分にあたる星図を素材に、星の密度を易経で五線譜に変換した4時間の大曲。もう1曲は《樹の子供》(1975)。米国実験音楽界では例外的に、彼は一貫して即興を否定してきた。因習や手癖、表面的な技巧に支配されて限界がある、という即興観はヨーロッパ戦後前衛の見方と全く変わらない。そんなケージが、本作で初めて即興を許容した。植物素材10種類(サボテンや蔓植物が推奨され、楽器に加工されたものは不適切)を必要に応じて増幅する限り、演奏伝統や技巧を発揮する余地はなく、即興の問題点は回避されているが、それまで守ってきた大原則を破るほど、当時の彼は煮詰まっていた。

 米国建国200年記念行事の一環として、米国の主要6オーケストラが共同委嘱した《Apartment House 1776》(1976) は、ケージの大きな転機になった。1776年当時の米国の楽曲のみを素材とし、調性感や伝統的な拍節感を残して易経で再構成した。建国当時の主要宗教を代表する4人の独唱者が合唱隊を率い、会場に散らばった小オーケストラ(=軍楽隊)と《Musicircus》にならって演奏する。初演ではそれ以外の団員が、ソローのスケッチ361枚を連歌に見立てた図形楽譜作品《Renga》(1975-76) を同時演奏した。彼の従来の偶然性に基づいた作品が無調的かつ無時間的だったのは全部の音を易経で選んでいたためで、調性音楽を素材に分割単位を調整すれば調性感も拍節感も自在に出せる。しかし大域的な音楽の流れは持たないので、従来型の作品と同時演奏しても違和感はない。音楽要素とは無関係な規則で音選択を行う結果、テクスチュア設定の自由度は極めて高くなる。自らの技法の利点を再認識し、再び作曲ペースは上がった。

c0050810_1548269.jpg 《南天のエチュード集》の評価は徐々に高まり、同様の作品の委嘱が相次いだ。チェロまたはピアノ(あるいは両方)のための《北天のエチュード集》(1978) は、北半球の星図を用いた《南天》よりはコンパクトな作品。ポール・ズーコフスキーが依頼したヴァイオリンのための《Freeman Etudes》は天球全体の星図を用い、アクロバティックな跳躍と重音で演奏限界に挑み続ける、演奏家との共同作業。1巻途中でズーコフスキーと決裂したが、ヤノシュ・ネギシーが引き継ぎ、3巻途中まで書かれた(1977-80)。アーヴィン・アルディッティと知り合って創作意欲を取り戻し、全4巻32曲が完成した(1989-90)。ケージは自作に積極的に取り組む演奏家が少なかった時期は奇特な演奏家に礼を尽くしていたが、多くの演奏家が競って取り上げるようになると、ベターと判断した奏者に冷徹に乗り換える面も見せ始めた。例えば、《30の小品》(1983) はクロノス弦楽四重奏団のために書かれたが、アルディッティと知り合ってからは専ら彼の弦楽四重奏団に演奏を委ねた。

 即興性を取り入れた作品も引き続き書かれた。《枝々》(1976) は《樹の子供》のアンサンブル版、続編の《入江》(1977) は水を入れた法螺貝と焚き火の音響のための作品、さらなる続編《即興III/IV》(1980/82) は、カセットレコーダーのアンサンブルのための作品。従来型の自由度の高い図形楽譜作品では《龍安寺》(1983-85) が名高い。グリッサンド可能な旋律楽器と打楽器という編成で、旋律楽器が龍安寺石庭に置かれた石をトレースしたグラフを図形楽譜として奏し、打楽器は石庭の砂利を模した音型を黙々と叩く。《Apartment House 1776》以降も、賛美歌を素材にした調性的な作品は多い。《Quartets I-VIII》(1976) ではオーケストラの4奏者が交替で発音する。同時期の近藤譲作品を思わせる和声進行しそうでしない展開に加え、発音源が動き回り飽きさせない。声楽曲としては、《讃歌と変奏》(1979)、《鯨のための連祷》(1980)、《8 Whiskus》(1984) などがある。

 《____, ____ ____ circus on ____,》(1979) は、任意の書籍をパフォーマンス化する手引書という体裁の、《Musicircus》の理念を受け継いだコンセプチュアルな作品だが、具体例としてラジオ作品《Roaratorio, an Irish circus on Finnegans Wake》(1979) を制作した。彼が私淑するジョイス『フィネガンズ・ウェイク』の朗読に、アイルランドを象徴する音楽やフィールドレコーディングが重ねられる。最初に適切な素材が選ばれていれば、その組み合わせは易経に委ねるのが一番、という割り切りは潔い。本作に音素材を提供したのは、かつて絶望の淵に沈んでいた彼を救ったギタ・サラバイだった。なお、この作品を委嘱したのは西ドイツ放送。この頃から彼の音楽の受容の中心は、英語圏よりもヨーロッパ、特にドイツ語圏に移っていった。この時期の最後を飾る大作《Europeras 1&2》(1987) も、フランクフルト歌劇場の委嘱で書かれた。上演は好評で、《Europeras 3&4》(1990)、《Europera 5》(1991) と、順次縮小編曲を行った3種類の版が存在する。

c0050810_15494651.jpg 《Two》(1987) に始まるナンバーピースは、ケージが最晩年に到達した境地。《N^n》というタイトルは「N人の奏者によるn番目の作品」を意味する。最小編成の《One》だけで13曲、最大編成は《108》(1991) のシリーズは全50曲に及ぶ。シリーズは共通の記譜法を持ち、各パートは独立で「タイム・ブラケット」の組からなる。タイム・ブラケットは開始と終了の時間(演奏開始からストップウォッチで測定)及び音高と強度が指定された音符群を含み、各音符はこの時間枠内の任意のタイミングで、任意の順序で奏される。多くの曲では楽器編成は固定され、微分音程が指定された曲もある。各パートは原則的には対等だが、《One》や《Two》と100人超えの曲で、「協奏曲」風の同時演奏が可能な組合せもある。

 編成と音楽の佇まい(音高・強度の分布と音密度)を決めることが「作曲」であり、音高と強度は厳密に指定する一方、音価や発音タイミングの詳細は奏者に委ねても問題ない、というのがケージの見立て。さまざまな編成で50曲書いても規則を変更する必要が生じなかったことは、この方法論の有効性を示している。編成に応じた「作曲」も巧みで、例えば《Five^3》(1991, トロンボーンと弦楽四重奏) では全楽器が微分音を容易に出せるので半音を7分割し、通常のアンサンブルでは聴けない近接音程間のうなりの効果を引き出した。大編成作品の大半はドイツの放送オーケストラの委嘱で書かれ、ケージ作品受容の変化が如実に表れている。

c0050810_15503483.jpg 最後にケージ受容の変遷について。偶然性以前に関しては、ブーレーズがプリペアド・ピアノの本質的な魅力を伝えようとしたが、ヨーロッパでも日本でも殆ど伝わらなかった。黛敏郎《プリペアド・ピアノと弦楽のための小品》(1957) は受容としては早いが、扱いは「ピアノの音響効果」に留まっている。打楽器アンサンブル作品の評判も程なく伝わったが、民族音楽に由来する中南米の打楽器作品と同列に扱われ、ストラスブール打楽器合奏団ですらその水準の理解だった。これらの作品の本格的受容は、偶然性の音楽が十分に理解されてからの出来事だ。

 偶然性の音楽は、《4分33秒》という判り易い記号のおかげで(誤解も含めて)世界中で話題になり、1954年のチューダーとの演奏旅行を通じてヨーロッパにも伝わった。ケージの発想はヨーロッパ戦後前衛を転倒する猛毒を秘めていたが、ブーレーズはプリペアド・ピアノを通じてケージを肯定的に紹介したことに責任を感じたのか、自らの作曲家生命と引き換えに、その毒を「管理された偶然性」に矮小化することに成功した。もっともケージは、1958年のダルムシュタット現代音楽夏期講習では自作やニューヨーク楽派の作品と並んでボー・ニルソン作品を、1962年の来日公演ではシュトックハウゼン《クラヴィア曲X》を取り上げており、自分たちの音楽がヨーロッパ戦後前衛と矛盾するという意識はないのかもしれない。

c0050810_15524280.jpg ケージ流の偶然性は、ミクロ構造を積み上げる論理の不在はクラシックの伝統の対極に位置するが、偶然性が介入するのは譜面を作成する段階までで、リアリゼーションに「即興」や「解釈」の介入を認めない厳格性は、総音列技法の理念と軌を一にする。ニューヨーク楽派ではこの厳格性は貫かれたが、ヨーロッパ戦後前衛における「管理された偶然性」は、専らこの厳格性を緩める役割を担った。管理された偶然性を通じて前衛語法の晦渋さから解放され、才能が開花したマデルナやベリオのような例もあるが、ケージ流の偶然性との対峙を経て総音列技法が止揚された可能性は「管理された偶然性」で骨抜きにされ、ズブズブと伝統回帰したのが現実だった。ただし、フェラーリやドナトーニのように戦後前衛から距離を取っていた作曲家はケージの本質を見抜き、批判的に受容して新たな道を切り拓いた。

 総音列技法を使いこなした作曲家は松平頼則、松平頼曉、松下眞一、篠原眞くらいだった日本で、ブーレーズの危機感は共有されるはずもない。ケージの東洋思想への傾倒に親近感を持った「実験工房」周辺の作曲家や評論家を中心に肯定的に受け止められてきたが、主な関心は音楽自体よりも思想に向けられた。1962年の来日公演は「ジョン・ケージ・ショック」(吉田秀和)と語り継がれてきたが、肝心の記録音源は放置されてきた(廃棄を免れた音源がごく最近CD化された)のは象徴的だ。ケージに師事しこの来日公演を企画した一柳慧の関心も、ケージ流の厳格な図形楽譜からポップな様式混合やミニマル音楽へ足早に移った。「グループ・音楽」同人らフルクサス参加組は良き理解者だったが、刀根康尚も小杉武久も日本国内での活動に限界を感じ、70年代に米国に移住した。特に小杉はマース・カニングハム舞踏団の音楽監督のひとりとして、ケージ作品の演奏も頻繁に行ってきた。

c0050810_15532112.jpg 委嘱状況に絡めて触れた通り、ヨーロッパでのケージ(及びニューヨーク楽派)への理解は前衛の時代が終わってから主にドイツ語圏で、N.A.フーバー、シュパーリンガー、W.ツィンマーマン、シュテープラーといった作曲家を中心に進んだ。エクリチュールよりも音楽思考を重視する伝統に加え、80年代以降英語圏を中心に新自由主義が広まり、現代音楽のような市場的価値とは無縁な芸術文化を継続的に支援する姿勢が維持されているのはドイツくらいという経済的な背景もある。

 ケージに限らず実験音楽は、作曲家周辺のサークル内での口承的性格が強いが、ナンバーピースは可能性を限定して普遍性に至った。この音楽のあり方に共鳴した作曲家たちは1992年にヴァンデルヴァイザー出版社を設立した。アントワーヌ・ボイガー(フルート)、ブルクハルト・シュロットハウアー(ヴァイオリン)、ユルク・フレイ(クラリネット)、マイケル・ピサロ(ギター)、ラドゥ・マルファッティ(トロンボーン)ら、即興にも堪能な作曲家=演奏家が集まった。録音を参照して練習を重ね、因習や手癖を排除する逆転の発想で即興のアポリアを克服した自由即興音楽は70年代以降急速に広まったが、それが当たり前になった世代が原点のケージに立ち返って「作曲」の意味を再考しているのがこの出版社に他ならない。この「楽派」を経て、ケージの音楽はようやく世代を超えて受け継がれた。
[PR]
by ooi_piano | 2013-01-15 15:10 | POC2012 | Comments(0)
12/29《冬の音楽》公演・感想集 http://togetter.com/li/430851

  案外良い曲だったのと、比較的容易にアプローチ可能とも思えたので、ジョン・ケージ《冬の音楽(ウィンター・ミュージック)》の奏法について。

c0050810_10222636.gif  まず出版自筆譜で困るのは、どのポイントが「段(行)の開始地点」であるか、はっきりしない事です。私は横幅は42.5cmであると仮定し、それを8分割した5.3cmを1セクションとして、ト音+ヘ音2段譜×5行の五線譜へと全20ページを写譜しました。全曲だろうが部分だろうが、写譜しないとまず演奏不可能です。《シナファイ》をサラベールの「ピアノ・パート譜」でそのまま、譜めくり付きで弾くのが「不可能」であるのと同様です。作業の所要時間は、諸要素の確定プロセスを含めて、20~30時間といったところでしょうか。慣れない人は、五線譜を8分割する縦線を引くことでさえ面倒な事でしょう。
  ケージの他作品からの個人的な比較では、1セクション(5.3cm)は3~5秒程度が妥当に思えます。3秒なら全曲は40分、5秒なら67分。今回の公演では、「1時間程度のプログラム」という前提でしたので、60のテンポで1セクション5カウントで演奏しました。無音部分でも楽譜を見ながらカウントは続けました。演奏中は見もしないストップウォッチを、開始前にわざわざピッと鳴らしてみせるのは茶番です。

c0050810_7472665.gif  この作品で演奏者自身が決めなければならないのは、「音部記号の選択」「音の選択」「強弱の決定」「どの音をハーモニクスにするか」の4つです。この4つさえ決めてしまえば、あとは「解釈」の必要も無いので、演奏自体は非常に簡単な作品です。「自由に(free)」奏者が決めてよい、という指定はケージの罠で、結局は易経(乱数)を活用するのが、最もラク、かつ「最も良い結果」が得られるように思います。
  五線の上下に書かれている音部記号は、そのセクションが終わる(五線が切れる)までずっと有効です(序文に書かれていないが見れば分かります。第5頁第3段最後の和音のミスを除いて、全ては明瞭に規定)。音部記号が異なる場合、序文に指定されている通りに、どちらかを選択しなければなりません(一つ一つの和音について毎度吟味要)。2つの要素から1つを選ぶ乱数は、例えば1,2,1,1,2,2,2,2,1,2,2,2,1,2,1,1,2,1,2,1,2,1,1,1..といった調子です。私は何も考えず、これに従いましたが、特に不都合は発生しませんでした(違う表記をしてある複数の音が一つに重なることは何箇所かある)。このくらいなら硬貨で決めても余裕ですね。
  第2頁第4段冒頭のように、五線上側にト音記号、五線下側にヘ音記号、10個の音の和音の上に「3-7」と書かれている場合、10個の音のうち3つをト音記号、7つをヘ音記号で読みます。10個のうちから3個の音を選ぶのも乱数です。例えば、(3,8,9) (1,5,6) (2,3,9) (4,6,9) (2,8,9) (1,5,8)...といった具合。これも機械的に当て嵌めていくだけです。組み合わせですから、選ぶ音が少ないほうの音部記号を利用しましょう(mCn=mCm-n)。
c0050810_1025234.jpg  強弱の決定は、和音毎に行いました。pp, mf, mp, fff, f, fff, p, mp, ff, mf, mf, mp, mp, p, ff, ff, ff, pp, pp, mp, f, mf, ff, ppp, ppp, pp, f, fff, pp...などという具合。《南のエチュード》の面倒さに較べれば、《冬の音楽》でのこの作業は一瞬にして終了した感じでした。上記の一例でも明らかなように、案外p/pp/pppは続いたりします。《冬の音楽》では、演奏者がその場凌ぎでテキトーにデュナーミクを決めている場合、幅広い音域のトーン・クラスターなど、まず十中八九、景気の良いフォルテでブッ叩いてますから観察してみましょう。
  和音が押さえられない場合、事前に無音でハーモニクスとして確保しなければなりません。これは易経では無理で、指の広がり、音楽的判断を含む現実的な要請があります。高音域はそもそもダンパーが開放されていますので、これを度外視すれば、ほぼ全曲の記譜に矛盾はありません(他の一流作曲家と同じ程度のパーセンテイジの瑕疵)。ハーモニクスを響かせようとすれば、なんだかんだで低音域が有利です。強音なら中音域でもそこそこ可能ですが、弱音だとほとんど聴こえません。そもそもハーモニクス音じたいが、楽器から数メートル離れれば聞こえにくい。実音として弾くのは、出来るだけ沢山の音数であることを優先しつつ、もちろん音の選択に多少のセンスも必要でしょう。書き直してみると、調性的な和音が意外に多いのに驚きますが、演奏中に何かが「機能」する瞬間は特にありませんでした(これも勿論弾き方の匙加減次第)。和音が連続する場合は、事前の無音ハーモニクスも適宜調整すれば宜しい。
  自分でヴァージョンを作らないといけない、というのは、一見面倒な作業に思えますが、他方、いまやクラシックでは実現の難しい「極めて個性的な」演奏を、誠に簡単に実現出来る、とも言えます。

c0050810_10264051.jpg  ケージ自身、《易の音楽》や《カリヨンのための音楽》など、「これは音楽では無い」と批判されそうな曲に限って、タイトルにわざわざmusicという言葉を加えているように思えます。いくら支離滅裂だったり、あるいは沈黙が長かろうと、易の残酷な結果に作曲家が耐え、演奏家が余計な脚色を加えずそのまま聴き手に届ければ、聴き手側は自由に受け取り、感じ、味わってくれます。沈黙(あるいは「退屈さ」)に耐えきれないのは、聴衆ではなく演奏家自身であることが多い。ケージは正直で、自分が書き上げた《易の音楽》や《冬の音楽》の譜面に、当初当惑したことを告白しています。そして、「そのうち慣れた」、と。
  《冬の音楽》では、「各々の音の残響・重層・相互浸透は自由である」(ケージ)と付記されているものの、single ictus(一撃)で奏される個々の音をそのまま配置していくだけで充分音楽として成立します。10月に《北天のエチュード》(1978)を日本初演した際も、いくら音が少なくて静かであっても、増幅してエコーかけて間を持たせようとは思いませんでした。開放したダンパーペダル(とソフトペダル)のぬるま湯のような響きに淫するのは、実験主義の名にふさわしくありません。宇宙では貴方の悲鳴は誰にも聞こえない---かどうかはともかく、ペダルによる残響が指定されていない、素の「無」の部分は、そのままにすべきです。沈黙を怖がる演奏家でも、《4分33秒》だけは平然と取り上げるのは、それが有名作品であり、5分弱で終わることを聴衆の誰もが知っていると安心出来るからです。

c0050810_10272963.jpg  《冬の音楽》は、部分だけを抜粋されたり、やれ20人で弾かれたり、ミュジサーカスとやらに利用されたり、部分素材としての活用が圧倒的ですが、全曲かつ独奏を経験してしまうと、それは邪道だと言いたくなる。
  一度目撃した集団演奏では、確か20台ちゅう5台くらいにスポンサー企業の社員(ピアノは素人)が割り振られており、「17分23秒になったら、目印の貼られた鍵盤をフォルテで叩く」etcとの事でした。してみると、20頁ちゅうの1頁、どころか、「1段」ですらなく、「部分を抽出して良い」という指定に甘えた、実にご都合主義的な拡大解釈と言わねばならない。そこまでして「ケージ」という名前にすがる必然性は無く、集団即興でもやれば宜しい。
  全20頁を独奏で通奏してみると、かなり見事な構成になっていることに気付きます(わざわざ「頁数」が自筆で書き込んであるので、それに従いました)。冒頭にいきなりガツンと据えられる沈黙(それが特に良かったという声も)、やっと動き出したと思った矢先に挟まれる第3ページの沈黙。その後、疎密を行き来しつつ(第6ページ第1段での印象的な連続する6つの単音etc)、音が並べられるが、曲の半ばを過ぎた第13ページで長い沈黙。それを断ち切るクラスター。再び動き出すものの、いよいよ終わりを予感させるあたりに横たわる、第18~19頁の巨大な沈黙のアンチ・クライマックス。第18頁第3段で突如現れるユーモラスなFのオクターヴは、全曲を締めくくる最後の打弦を予告している・・・というようなリスニング・ガイドも可能でしょう。

c0050810_10282697.jpg  こんな程度の事でも、ネットに一つメモ書きが有るのと無いのでは演奏状況が違ってくるかと思い、書き留めてみました。他の現代作曲家たちと違って、日本にケージ学者は5人も6人もいて、論文も訳書もまことに立派で(本当に)、雑誌でも定期的に特集が組まれているわりには、《冬の音楽》の全曲演奏は本公演が50年ぶりだったとか。これはおかしい。音楽は演奏され聴取されてナンボです。このブログで何度も強調しておりますが、情報の囲い込み(神秘化を含む)ほど、非生産的な愚行はありません。乱数発生用のファイルは御希望でしたらお送り致しますので、フォームからお申し込み下さい。
[PR]
by ooi_piano | 2012-12-31 02:44 | POC2012 | Comments(0)
12/26三宮バロックオーボエ公演・感想集 http://togetter.com/li/427805

┌─◆◇◆──────────────────────────────┐
2012年12月29日(日)20時開演 
カフェ・モンタージュ
 [京都市中京区夷川通柳馬場北東角]
予約/お問い合わせ: tel 075-744-1070 montagekyoto@gmail.com 予約申し込みフォーム

ジョン・ケージ 《ロバート・ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズのための「冬の音楽」》 (1957年1月、NYストーニー・ポイント) [ピアノ独奏、全曲]
John Cage: "Winter Music" for Bob Rauschenberg and Jasper Johns

大井浩明(ピアノ独奏) Hiroaki OOI / piano solo
c0050810_2075936.jpg

「我々は今まで《冬の音楽》を何度も演奏してきた。数えられない程だ。最初に演奏したときは、沈黙部分が長すぎ、音と音が互いに関与することなく、空間で全く孤立しているかのようだった。しかし10月初めにストックホルムの歌劇場で、マース・カニンガムとキャロリン・ブラウンの舞踏公演の幕間に演奏した際、私はそれがメロディックであることに気付いた」(ジョン・ケージ)

└──────────────────────────────◆◇◆─┘

Facebook イヴェントページ

 全20頁の楽譜は、部分だけでも全体を通奏しても、一人によって独奏されても、2人~20人によって共有されても良い。各々の音の残響、重層、相互浸透は自由である。今回の演奏では、声部記号ならびに音の選択の読み取りプロセスやデュナーミクの決定には、全て易経が用いられた。
[PR]
by ooi_piano | 2012-12-28 18:27 | POC2012 | Comments(0)
[ポック#13] ファーニホウ全ピアノ作品+シャリーノ・ソナタ全5曲
2012年12月12日(水)18時30分
開演 代々木上原・けやきホール
大井浩明(ピアノ) 

c0050810_4174092.jpgファーニホウ 《エピグラム(警句)》(全6曲、1966)
シャリーノ 《ソナタ第1番》(1976)
ファーニホウ 《3つの小品》(1966/67)
シャリーノ 《ソナタ第2番》(1983)
シャリーノ 《ソナタ第3番》(1987)

(休憩)

ファーニホウ 《レンマ-イコン-エピグラム (見出し-挿絵-解題)》(1981)
シャリーノ 《ソナタ第4番》(1992)
ファーニホウ 《オプス・コントラー・ナートゥーラム (自然の本性に抗する業) -- 影絵芝居》(全3部、2000)
シャリーノ 《ソナタ第5番》(1994)

2012年11月シュトックハウゼン&ケージ公演感想集 http://togetter.com/li/409233

【チケット料金】 
〈前売〉 学生2,000円 一般2,500円  〈当日〉 学生2,500円 一般3,000円
3公演券 一般7,500円 学生6,000円

【チケット取り扱い】
ローソンチケット(各公演1回券のみ) tel. 0570-084-003 http://l-tike.com/ Lコード:37455
(株)オカムラ&カンパニー(下記) 各公演1回券、3回券をお求めいただけます。

【お問い合わせ】 (株)オカムラ&カンパニー 
tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489
info@okamura-co.com  http://www.okamura-co.com/

c0050810_3352062.jpg  ブライアン・ファーニホウは、1943年1月16日英コヴェントリーに生まれる。1966年から翌年までロンドンの英国王立音楽院でレノックス・バークリーとハンプリー・サールに作曲を師事。1968年にヨーロッパへ渡り、アムステルダムでトン・デ・レーウに、バーゼルでクラウス・フーバーに学ぶ。いわゆる「新複雑性」の父、と看做されており、極度に複雑な非合理時価によるリズム書法で知られる。独フライブルク音大(1973-1986)、ダルムシュタット夏期講習会(1978-1994)、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校(1987-1999)、スタンフォード大学(1999- )で教鞭を執る。
  《エピグラム》(1966)は、音楽表現上の問題設定を試行する「独習課題」シリーズの一環。6つの短い警句的小品から成る。1967年2月ロンドンの新音楽振興協会(SPNM)にてジョン・マッケイブにより初演。
  引き続いて書かれた《三つの小品》(1966/67)では、各曲は固有の音の身振りと構成で特徴付けられながら、「その基盤には本質的な統一が通底するよう」心を砕いたと云う。1968年ロンドン・パーセルルームで、フィリップ・ピルキントンにより初演。
  《レンマ-イコン-エピグラム》(1981)は、イタリア人法学者アンドレーア・アルチャーティ(1492-1550)の創始した、寓意詩画集に基づく。ページ上部に見出し(レンマ)、中央に大きく挿絵(イコン)、その下に寓意の解説(エピグラム)が添えられる。ヴェネツィア・ビエンナーレの委嘱、1981年6月28日に仏ラ・ロシェル音楽祭で被献呈者マッシミリアーノ・ダメリーニによって初演。譜面冒頭には、ボードレールの言葉「全てはヒエログリフ(象形文字)的である」が引用されている。
  《オプス・コントラー・ナートゥーラム (自然の本性に抗する業) -- 影絵芝居》(2000)は、ドイツ人哲学者ヴァルター・ベンヤミンのスペイン国境での最期を扱ったオペラ《影の時 Shadowtime》(1999-2004)の第4場として作曲。タイトルはルネサンスの錬金術の密儀から取られた。短い冒頭部(叙情的な入祭唱)と終結部(行列聖歌)に挟まれた大規模な中央部は、「カタバスィス Katabasis」(ベンヤミンのアバターの冥界行き)と題されている。演奏と同時に奏者は、台本作家チャールズ・バーンスタインならびに作曲者自身によるテクストを朗誦する。2000年10月ベルギー・フランダース音楽祭にて、委嘱者イアン・ペイスにより初演。


c0050810_3355699.jpg  サルヴァトーレ・シャリーノは1947年4月4日シチリア島パレルモ生まれ。作曲はほとんど独学と云う。1969年にローマに移住し、F.エヴァンゲリスティのもとで電子音響音楽の基礎を学ぶ。1977年から1982年までミラノ音楽院で教え、1978年から1980年まではボローニャ市立劇場の芸術監督も務めた。1982年チッタ・ディ・カステッロに移り、以来ほぼ作曲に専念する。弦楽器のさまざまな高次倍音(ハーモニクス)、非常に早口の囁き声のようなパッセージ、捻り上げるような跳躍音型、音色のトレモロなど、特徴的なエクリチュールで一躍有名となった。代表作にオペラ《アスペルン》(1977-78)、《ローエングリン》(1982/84)、《マクベス》(2002)、バレエ《ヴェニスに死す》(1991)等。ピエール・ド・モナコ賞(2003)、フェルトリネッリ賞(2003)、ザルツブルク音楽賞(2006)、BBVA財団賞(2011)など受賞多数。
  現時点で全5曲を数えるピアノ・ソナタは、彼の膨大なピアノ作品群の中核を成す。全て十数分のサイズの単一楽章であり、共通するモチーフも多い。戦後の前衛音楽のさまざまな語法が、ドビュッシー《前奏曲集》《映像》やラヴェル《鏡》《夜のガスパール》を思わせる華麗なピアノ書法と巧みに融合している。
  第1ソナタ(1976)は、同年5月19日ブレシア国際現代音楽祭にて、当時26歳だった「わが友」マッシミリアーノ・ダメリーニが献呈初演。楽譜冒頭のエピグラムは、4世紀の歴史家アンミアヌス・マルケッリヌスがラテン語で著した『歴史』第23巻から、真珠の起源について書かれた一節(85-86章)である。
  第2ソナタは、1979年にスケッチが書かれ1983年春に完成、同年6月9日「フィレンツェの5月」音楽祭で、「我が音楽の唯一の具現者」M.ダメリーニにより献呈初演。軸の微細な震動、周縁の滲みを通して、反復を避けつつ何時しか眠りへと落ちていくような形式(「錯覚の対位法」)が探求されている。
  第3ソナタ(1987)は、1990年8月26日チッタ・ディ・カステッロ国際室内音楽祭で、M.ダメリーニにより献呈初演。ピアノという楽器への人類学的(antropologico)なアプローチを試みた自信作である。
  第4ソナタ(1991/92)は、同年7月22日シチリア島ジベッリーナで、M.ダメリーニにより献呈初演。作曲者の唱える「時間の窓(finestra)」が明瞭に知覚されるよう、敢えてシンプルな素材が執拗に並置してある。
  ザルツブルク音楽祭委嘱による第5ソナタ(1994)は、終結部に5通りのヴァージョンを持つ。同年8月23日、献呈者マウリツィオ・ポリーニによる世界初演では、4番目のヴァージョンが用いられた。最も長い1番目のヴァージョン(「決定稿」)による初演は、1996年1月20日トリノで、同じくポリーニが行った。ベートーヴェン第9交響曲からの音型“nicht diese Töne!”(E-F-E-H-D-C、「音ではなく声を・・」)が引用されている。
[PR]
by ooi_piano | 2012-12-05 03:46 | POC2012 | Comments(0)
【紹介番組】
c0050810_3332396.jpgラヂオつくば 84.2MHz 「つくばタイムス・ドッピオ」
12/5(水) 24:00~24:30(=12/6(木) 午前0時~0時半)

 ※野々村禎彦さんのインタビュー・・・POC#13のリスニング・ガイドとして、「ポスト戦後前衛世代について、ファーニホウとシャリーノを中心に」「『新しい単純性』あっての『新しい複雑性』、新しい複雑性の超絶技巧志向とスペクトル楽派の音響志向の美味しいとこ取りが独学者シャリーノ、という図式」etc。

放送電波はつくば市内しか届きませんが、インターネットでのサイマル放送がエリア制限なくお聴きいただけます。
サイマル放送(Windowsパソコン)での聴き方
■スマートフォンからは TuneIn などのアプリでお聴きいただけます。
iPhone用TuneInRadio(フリーソフト)のインストール Android用TuneInRadio(フリーソフト)のインストール
ソフトを立ち上げると、地域検索バーが出てくるので、「茨城」を選択。「ラヂオつくば」の名称とアイコンが出てくるので、それをクリック。
■Mac でお聴きになる場合は、まず Flip4Mac のWindows Media Components for QuickTimeをダウンロード&インストールいただいた上で、QuickTime Playerの「URL直接入力」に「mms://221.189.124.204/IRTsukuba」と入力すればお聴きいただけます。


-------------
「ポスト戦後前衛世代」について:「新しい複雑性」を中心に ――― 野々村 禎彦

c0050810_3362872.jpg 戦後前衛は70年代に入ると行き詰まった。独自語法の開発を続けたクセナキスやラッヘンマンは例外で、50年代半ばに確立した「総音列技法+管理された偶然性」のマイナーチェンジだけでは高々20年が限界だった。伝統的な時間構造の上にトーン・クラスターを乗せる書法の賞味期限はさらに短かった。植民地解放・人種差別撤廃・パリ5月革命と続いた改革の機運も、米国ベトナム撤退の達成感と引き替えに萎み、戦後前衛を経済的に支えた芸術への援助も、オイルショックによる世界不況で水を差された。ショスタコーヴィチ(1906-75) とブリテン(1913-76) という伝統書法の大家が相次いで世を去り、調性を用いるハードルも大幅に下がった。かつて戦後前衛を支えた作曲家たちの伝統/調性回帰はこうして顕著になる。

 だが、前衛的な音楽は戦後前衛世代とともに雲散霧消したわけではない。ロックの世界を見ても、前衛的/実験的な試みは連綿と続いている。「芸術」や「崇高」が逃げ口上にならない世界でも、商業的にはマイナスな創造行為に自発的に向かう動きは常に存在する。現代音楽界だけが例外のはずはない。ただし、戦後前衛世代と「ポスト戦後前衛世代」には大きな違いがある。戦後前衛世代では、前衛書法を用いるのが「芸術的な態度」、それ以外は「保守反動」という意識が強かったが、ポスト前衛世代にはこの類の図式は通用しない。前衛的アプローチは趣味嗜好以上のものではなくなり、指標となる唯一の中心も時代様式も存在しない。

 戦後前衛世代は物心ついた時に「戦後」を引きずっていた世代までだとPOC#11の解説で書いたが、ポスト戦後前衛世代もそこから始まる。ヨーロッパではラドゥレスク(1942生)、H.デュフール(1943生)、ファーニホウ(1943生)らから始まり、グリゼー(1946生)、ミュライユ(1947生)、シャリーノ(1947生)らベビーブーム世代で最初のピークを迎える。ここに挙げた作曲家のうち、今回の主役のファーニホウとシャリーノ以外は「スペクトル楽派」に属し、ファーニホウが主導した「新しい複雑性」と共に、この時期の潮流を代表する。独学者シャリーノの音楽はどちらにも属さないが、両者の良い所取りと言えなくもない。

             ***********

c0050810_3375071.jpg ドイツでは70年代半ばから、戦後前衛でタブー視されてきた調性的要素や単純なリズムを導入したトロヤーン(1949生)、W.リーム(1952生)、フォン=ボーゼ(1953生)らが台頭し「新表現主義」「新ロマン主義」「新しい単純性」などと呼ばれた。ただし中心人物W.リームの書法は伝統語法と前衛語法の複雑なアマルガムであり、表現主義的ではあるが「ロマン主義」でも「単純」でもない。すなわち、これらの呼称はジャーナリスティックなものにすぎない。英国では同じ頃、ファーニホウ(1943生)とフィニシー(1946生)が「新しい複雑性」と呼ばれ注目された。彼らは歳も近く仲も良く、初期シュトックハウゼンのような不合理音価に覆われた複雑な譜面を書いていた。だが、ピアニスト=作曲家フィニシーの「複雑性」はゴドフスキー編曲版と同種のヴィルトゥオーゾ志向の産物で、総音列技法に代わる語法を開拓したファーニホウとは本来同列には扱えない。すなわちこの呼称は、アンチ「新しい単純性」=「新しい複雑性」というさらにジャーナリスティックな図式の産物だ。ただし、この傾向が英国から始まったことには意味がある。

 英国現代音楽界には戦後前衛第一世代が存在しなかった。ティペット(1905生)やブリテン(1913生)の次世代は、P.M.デイヴィス(1934生)とバートウィスル(1935生)、戦後前衛第二世代の作曲家である。60年代の彼らは劇場性を表看板に、前衛的と言えなくもない作風だったが、70年代に入ると「英国音楽」の伝統を踏まえた「新・新古典主義」に落ち着いてしまう。シュトックハウゼンの助手として総音列技法を身に着けたカーデュー(1936生)も、自由度の高い図形楽譜/集団即興グループAMM/アマチュア音楽家のためのテキスト作品…と2、3年おきに方向性を変えた末、70年代に入るとどの方向性もブルジョア的だったと自己批判して政治活動に打ち込み、民衆的な素材を伝統的な形式で展開する「新・社会主義リアリズム」に転向した。戦後前衛世代は1945年当時の年齢という世界共通の区切りで二分され、第二世代上限の彼らでも第一世代の代わりにはなれなかった。

c0050810_3382750.jpg ファー二ホウはこのような閉塞状況の中、戦後前衛第一世代に相当する大黒柱を英国作曲界に通そうとした。ピアノ独奏のための《エピグラム》(1966) と《3つの小品》(1966-67)、《弦楽四重奏のためのソナタ》(1967)、出世作となるフルート独奏のための《カッサンドラの夢の歌》(1970)、《ファイヤーサイクル・ベータ》(1969-71) などの初期作品は「遅れて来た前衛」の趣。結局彼は英国作曲界の保守性に早々に見切りをつけて60年代末から留学を重ね、フライブルク音楽大学教授に着任したK.フーバーの助手として1973年にドイツに移住して、戦後前衛の限界に挑み始めた。総音列技法草創期の演奏家の生理を無視した複雑な譜面が、管理された偶然性を程良く導入した「弾き易く効率的」な譜面に取って代わられるうちに、演奏不可能性の瀬戸際で生まれるオーラも失われた、本来の前衛音楽を取り戻そう! この主張は当初、前衛書法へのノスタルジーと批判的に捉えられたが、《時間と動きの習作》シリーズ(I: バスクラリネット独奏(1971-77), II: チェロ独奏とライヴエレクトロニクス(1973-76), III: 16独唱者とエレクトロニクス(1974))、フルート独奏のための《ユニティ・カプセル》(1975-76)、弦楽四重奏曲第2番(1979-80)、ピアノ独奏のための《レンマ-イコン-エピグラム》(1981) などを通じ、常套化した前衛書法に代わる独自書法の結果としての複雑性の美学が認知されてゆく。

 やがて彼はダルムシュタット現代音楽夏期講習で講師とクラーニヒシュタイン音楽賞作曲部門の審査を担当し、「新しい複雑性」の次世代をプロモートした。英国ではディロン(スコットランド, 1950生)、デンク(1953生)、クラーク(1957生)、バレット(ウェールズ, 1959生)ら、フライブルク音大からはヒュープラー(1956生)、マーンコプフ(1962生)らがこの傾向に加わった。総決算的な連作《発明の牢獄》(1981-86) も高く評価されて、ヨーロッパでの仕事は一段落した。ただし、次世代の作曲家たちのその後は、この方向性の困難を予告していた。80年代には尖っていたディロンも、90年代半ばになると後期武満風の穏当な作風に落ち着いた。「新しい複雑性」本来の独自書法開拓に努めたヒュープラーは大病の影響もあって十分な評価を得られず、「ファーニホウ風の曲」の再生産に励んだマーンコプフが、御大離欧後のヨーロッパでこの傾向の中心人物に収まった。

c0050810_339515.jpg ファーニホウは1987年からカリフォルニア大学サンディエゴ校音楽学部に移る。レイノルズを中心にコンピュータ音楽に強く、当時は湯浅譲二も教授陣の一員だった。彼はヨーロッパ時代には関心が薄かったIrcam的デジタル音響を導入し、作曲ソフトウェアを積極的に使い始める。弦楽四重奏曲第3番(1987)・第4番(1989-90)、打楽器独奏のための《ボーン・アルファベット》(1991)、弦楽三重奏曲(1995) などの作品があり、後に米国アカデミズムの重鎮になったチェルノヴィン(1958生)を教えたが、総じて中休みの時期にあたる。1999年にスタンフォード大学音楽学部に移ると、まずベンヤミンの死を題材にしたオペラ《影の時》(1999-2004) に取り組んだ。基本編成は合唱とアンサンブルの小品7曲を並べて1幕7場のオペラと称する姿勢は、シュトックハウゼンの《光》シリーズを思わせる。ピアノ弾き語りのための〈自然の本性に抗する営為〉(1999-2000) はオペラの転換点にあたる第4場、ラスベガスのピアノ芸人がベンヤミンを冥界に導く場面である。弦楽四重奏曲第5番(2006)・第6番(2010) をはじめ、近年の彼は創作ペースを上げている。

 「新しい複雑性」は、前衛音楽不毛の地英国に生まれ、前衛音楽衰退期に全盛期を迎えたファーニホウが始めた、戦後前衛の失地回復運動とみなせる。彼は戦後前衛衰退の原因を書法の硬直化に見て、演奏家の生理に妥協しない複雑な譜面を指標に、作曲家ひとりひとりが新しい前衛書法を見出せば解決できると考えた。だが、言うは易く行うは難し。彼は70年代にはこの理念を実践していたが、80年代以降は自ら開拓した語法をなぞる手並みが聴き所になってしまった。ましてやフォロワーたちをや。だが、「新しい複雑性」は戦後前衛の縮小再生産には終わらなかった。ファーニホウの米国移住後十余年を経た21世紀に入ると、彼に直接師事しなくても十分な情報が得られるようになり、むしろその距離が独自語法を生むにはプラスに働き、米国の若い世代に「新しい複雑性」の理念を体現した作曲家が現れ始めた。J.エッカルト(1971生)の作風はファーニホウに似ているが、その全盛期に匹敵する生命感に満ちているのは、模倣ではなく自らの身体感覚に引きつけた再発見を行っているからだ。キャシディー(1976年生)は奏者が身体の各部分(弦楽器なら右手と左手、管楽器なら右手・左手・息)の動きを各々独立に指定したタブラチュア譜を用い、出音を意識しない複雑な身体運動から苛烈な音響を引き出している。

             ***********

c0050810_3392636.jpg イタリアは19世紀後半にようやく統一国家となり、都市国家の集合体という意識はいまだに強い。前衛の時代には、時代様式を意識してある程度共同歩調を取っていたが、一極集中体制が崩れると再び各都市が独自の美学を競う状況が訪れた。折しもマデルナは1973年に世を去り、ノーノは中国が米国と手を結びソ連が第三世界と敵対する世界情勢に絶望して孤高の晩年様式に向かい、ベリオは米国在住期の輝きを失い、ブソッティとカスティリオーニは個人様式に閉じこもり、コルギ(1937生)ら前衛第二世代は決定打を欠き…という中で、《煙》(1976) で独自書法に至った遅咲きのドナトーニ(1927生)と、60年代末から斬新な音響を生み出してきたシャリーノ(1947生)の2トップが現代音楽界を牽引する状況が続いた。

 シャリーノは早熟な独学者で、W.リーム同様、作品表は10代の作品から始まる。W.リームの世代になると懐疑の対象になる戦後前衛の美学を、5歳年長のシャリーノはすんなり受け入れた。彼は生楽器による「新しい音響」を目指したが、70年代ラッヘンマンのような伝統と隔絶した新奇さではなく、伝統の拡張ないし伝統奏法を新しい文脈で扱うことだった。彼は生地パレルモで現代音楽祭を主催したローマの作曲家エヴァンジェリスティ(1926-80) に弦楽四重奏曲第2番(1967) を献呈したが、この縁で最初のオーケストラ曲《子守歌》(1967-69) がヴェネツィア・ビエンナーレに推薦された。彼は現代音楽界デビューを機にローマに移り、1977-82年にはミラノ音楽院で教鞭を執ったが、以後は専業作曲家としてイタリア中部の小都市チッタ・ディ・カステッロに居を構え、新作初演でも滅多に離れないという。

 斬新な弦楽器書法は初期から彼の代名詞で模倣者も多い。さまざまな倍音奏法を混ぜ、弦を縦に擦る疑似ホワイトノイズで空間を敷き詰める。ヴァイオリン独奏のための《6つのカプリース》(1976) はこの書法を詰め込んだ代表作。ピアノのための第1ソナタ(1976) もリスト/ラヴェル流ヴィルトゥオーゾ書法を継承している。《ハルポクラテスの像》(1974-79) や《アスペレン組曲》(1979) など、特徴的音型を執拗に反復し幻想的な音響で長い時間枠を埋めた作品が、この時期の真骨頂。やがて彼の関心は木管楽器(特にフルート)に移る。息の制御とキー操作の組み合わせを虱潰しに探索し、この楽器の特殊奏法のカタログを書き換えた。80年代に入ると「新しい単純性」の時流を意識して調性的音型や三和音もパレットに加えた。オペラ《ローエングリン》(1982-84) は、この時期の音響世界の集大成。ピアノのための第2ソナタ(1979-83) と第3ソナタ(1987) も、この時期の輝かしい書法を伝える。後期フェルドマンを思わせる長時間化も進み、《中心を共有する詩 I, II, III》(1987) は非常に限定された素材による各1時間近い協奏曲の3部作である。

 エヴァンジェリスティ亡き後は、ノーノが作品の普及に一役買った。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズのノーノ特集(1987) は、シャリーノが日本で本格的に紹介された最初の機会になった。《夜の寓話》(1985) の斬新な音響と、ヴァイオリンとオーケストラの編成でメンデルスゾーンの協奏曲を全面的に引用するわかりやすさは強い印象を残した。1990年のノーノの死は彼の音楽にも大きな影を落とし、ピアノのための第4ソナタ(1991-92) と第5ソナタ(1994) の暗い表情は前作までの明るさとは対照的だ。「新しい音響」の探求は続き、サックス四重奏と百人のサックス奏者のための《口、足、音》(1997) ではキー・クラップ音のみの音世界を常軌を逸した編成で実現した。《海の音調の練習曲》(2000) は 100+4 奏者のフルート群とサックス群が掛け合い、歌と打楽器も加わるさらにわかりやすい作品。このように同じ発想を使い回す姿勢は、専業作曲家ならではと言えるだろう。

 集大成的なオペラ《マクベス》(2002) の後も、彼は年数作のペースで新作を書き続けている。松尾芭蕉の俳句による《あかあかと I, II, III》(1968) 以来日本への思いは強く、近作にも『和泉式部日記』に基づくオペラ《霜から霜へ》(2006) がある。初来日は、2005年のサントリーホール国際作曲委嘱シリーズでようやく実現した。この時の委嘱作《音の影》(2005) は発音行為に伴う噪音にスポットを当てた作品。「新しい音響」への意欲は依然衰えていない。2012年には1月のコンポージアムと11月のポリーニ・パースペクティヴ(《12のマドリガル》(2007) 他の日本初演)で2回来日しており、シャリーノ・イヤーは本公演で締め括られる。

             ***********

c0050810_3401963.jpg 「ポスト戦後前衛世代」は現在まで続いていると思われたかもしれないが、本稿で述べたのは「新しい複雑性」の継続であり、この世代は50年代末に境界がある。本稿で取り上げた作曲家たちでは、バレット(1959生)が世代の切れ目にあたる。現代作曲家は彼の音楽活動の一側面に過ぎず、エレクトロニクス即興音楽家としてポール・オベルマイヤーとのデュオ即興ユニットFURT、Evan Parker Electro-Acoustic Ensembleへの参加、FURTに幅広い世代の即興音楽家を加えたユニットfORCHなどの活動に多くの時間を割いている。90年代後半からは大編成作品にエレクトロニクスパートを加えて自ら担当することが増え、fORCHを結成した2005年以降は即興の成り行きを規定した作品も増えた。FURTは1986年から活動を始めたが、現代音楽の演奏家と即興音楽家を兼ねる者もこの頃から増えている。

 ポスト前衛世代では、前衛的アプローチは「芸術的な態度」を保証するわけではなく、もはや趣味嗜好以上のものではなくなったが、50年代末以降に生まれた世代では、現代音楽というジャンルの選択自体も趣味嗜好以上のものではなくなった。逆に、バレットのようなジャンル横断的な活動が「芸術的な態度」を保証するわけでもないが、自由即興音楽をはじめとする実験的ポピュラー音楽の豊かな広がりはいまや質量ともに現代音楽を凌駕し、あえて現代音楽という制約の多いジャンルを選ぶからには、このジャンルでなければ実現できない音楽を目指さなければ意味はない。もはや紙数も尽き、本稿の趣旨からも外れるので個人名までは挙げないが、ポスト戦後前衛世代以降の優れた現代作曲家は、みなこの状況を自覚している。
[PR]
by ooi_piano | 2012-12-05 03:13 | POC2012 | Comments(2)