7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

カテゴリ:POC2016( 13 )

c0050810_11314916.jpg2016年11月16日(水)18時20分開演(17時50分開場)《美術と音楽の西洋史》
静岡文化芸術大学・講堂(浜松市) 入場無料 /申込不要(直接会場にお越しください)
[レクチャー講師]立入正之(芸術文化学科准教授)、上山典子(芸術文化学科講師)
http://www.suac.ac.jp/news/event/2016/01040/
http://www.suac.ac.jp/news/event/2016/01040/file/8331/bijutuonngakuseiyoushi.pdf


〈演奏曲目〉
●アルノルト・シェーンベルク=米沢典剛:《映画の一場面のための伴奏音楽 Op.34》(1930/2016、ピアノ独奏版・世界初演) 約9分
  〈迫り来る危険 Drohende Gefahr〉 - 〈不安 Angst〉 - 〈破局 Katastrophe〉
●アントン・ウェーベルン=米沢典剛:《交響曲 Op.21(1928/2016、ピアノ独奏版・世界初演)   約8分
  I. 穏やかに、歩むように - II. 主題と7つの変奏
●アルバン・ベルク=米沢典剛:《抒情組曲〔全6楽章〕(1926/2016、ピアノ独奏版・世界初演)   約30分
  I.Allegretto gioviale - II. Andante amoroso - III. Allegro misterioso / Trio estatico - IV. Adagio appassionato - V. Presto delirando / Tenebroso - VI. Largo desolato
  

  ヨーロッパの芸術文化の歴史において文化運動や様式などを特徴づける「ルネサンス」、「バロック」などの用語は美術、音楽、建築などの領域に幅広く使われていますが、分野により地域や年代に差異が認められます。 2016年度は、「後編」として全3回にわたりヨーロッパの美術と音楽について「ロマン主義」、「印象派」、「現代」という3つのキーワードにより解説します。また、各回のセミナー後半では各様式の音楽作品を鑑賞していただきます。

【お問合せ先】 静岡文化芸術大学 地域連携室(担当 冨田) TEL:053-457-6105 E-mail:acrc@suac.ac.jp
【交通アクセス】 駐車場はございませんので、車での来場はご遠慮ください。(公共交通機関又は他の駐車場をご利用ください。) http://www.suac.ac.jp/access.html


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音楽学者の白井史人氏(早稲田大学助手)から、雑誌『音楽学』第61巻(2015)に掲載された論文の転載御許諾を頂きました。
(全文pdf) http://ci.nii.ac.jp/naid/110010050854

【題名】シェーンベルク《映画の一場面のための伴奏音楽》の作曲過程とその背景 ――未発表の構想メモと 1920 年代の映画の伴奏音楽との関連――
【著者】白井史人(早稲田大学演劇博物館演劇映像学連携研究拠点・研究助手)
【要旨】
 アルノルト・シェーンベルク《映画の一場面のための伴奏音楽 Begleitungsmusik zu einer Lichtspielszene》作品 34 は,1929 年秋から 1930 年 2 月にかけて作曲された。全曲が 12 音技法に基づき,「迫りくる危険」「不安」「破局」という 3つの副題が添えられているが,特定の映画のための伴奏音楽ではなく,演奏会用作品として作曲された。
  先行研究では,シェーンベルクは副題間の場面展開を考慮していないとされてきた。しかし,2011年出版のシェーンベルク著作目録で,副題と深い関連を持つ「構想メモ」の存在が発表された。本論文は,この構想メモの記述を手掛かりに,《映画の一場面のための伴奏音楽》と 1920 年代の映画伴奏の言説・実践との関連を明確化することを目的とする。
  第1 節では,ラオホ(Rauch. Die Arbeitsweise Arnold Schönbergs, 2010)の分析方法を参照し,草稿に基づく作曲過程の分析を行った。「構想メモ」の検討を通じてシェーンベルクが 3つの副題の間に場面展開を構想していたことを示し,その場面展開を強調していく推敲過程を明らかにした。第 2 節では、シェーンベルク自身や後妻・ゲルトルートのスケジュール帳,トーキー映画技術者であるグィド・バーギエの遺稿の調査を通じて,1920 年代のシェーンベルクと映画産業との人的交流を示した。無声映画からトーキー映画への移行期に,シェーンベルクがトーキー映画へ高い関心を示した点が明らかになった。第 3 節では,本作の成立の背景となる同時代の映画館での伴奏音楽の実践・言説を,映画音楽専門誌『フィルム・トーン・クンスト』を中心に検討した。同時代の実践・言説が,伴奏項目の恣意的な羅列に対する批判や映画作品全体に即した劇的展開を重視するなど,本作と共通する傾向を持つ点を明らかにした上で,音楽語法や楽曲の抜粋法の面で大きな齟齬がある点も指摘した。



(※クリックすると拡大表示されます。)
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by ooi_piano | 2016-11-12 11:24 | POC2016 | Comments(0)
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c0050810_723323.jpg大井浩明 POC[Portraits of Composers] 第27回~第31回公演 《先駆者たち Les prédécesseurs》
大井浩明(ピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
チラシ表側(pdf)  チラシ裏側(pdf)   FBイベントページ



【ポック[POC]#27】 2016年10月10日(月・祝) 18時開演(17時半開場)

c0050810_12285012.gifアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)
:浄められた夜 Op.4 (1899)[M.ゲシュテールによるピアノ独奏版(2001)](日本初演) 約28分
:室内交響曲第1番ホ長調 Op.9(1906)[E.シュトイアーマンによるピアノ独奏版(1922)] 約21分

(休憩10分)

:三つのピアノ曲 Op.11(1909) 約13分
  I.Mäßig - II.Mäßige Achtel - III. Bewegt
:六つのピアノ小品 Op.19(1911) 約5分
  I.Leicht, zart - II.Langsam - III.Sehr langsam - IV.Rasch, aber leicht - V.Etwas rasch - VI.Sehr langsam
:五つのピアノ曲 Op.23(1920/23) 約12分
  I.Sehr langsam - II.Sehr rasch - III.Langsam - IV. Schwungvoll - V.Walzer
:ピアノ組曲 Op.25(1921/23) 約14分
  I.Präludium - II.Gavotte - III.Musette - IV.Intermezzo - V.Menuett - VI.Gigue

(休憩10分)

見澤ゆかり(1987- ):《Vivo estas ĉiam absurda》 (2016)(委嘱新作・世界初演) 約10分
  1.黎明 - 2.熟成 - 3.蒸発
アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)
:二つのピアノ曲 Op.33a/b(1928/31) 約7分
  I.Mäßig - II.Mäßig langsam
:室内交響曲第2番変ホ短調 Op.38(1906/39)[米沢典剛によるピアノ独奏版(2016)](世界初演) 約23分
  I.Adagio - II.Con fuoco




c0050810_1230293.jpg見澤ゆかり:ピアノ独奏のための《Vivo estas ĉiam absurda》(2016)
  曲題《ヴィーヴォ・エスタス・チアム・アブスルダ》は、「人生は常に不条理」という意味のエスペラント語(人工言語)である。エスペラント語とは母語の異なる人々の間での意思伝達のための国際補助語として創られた言語であり、また母語話者を持たないラテン語のように習得が難しいものでもない。表向きは、習得に対して有利、不利の差異がないとされているが、文法は印欧語族に分類され、語彙のほとんどがロマンス語を基礎としていることから、他言語の母語話者の習得の難しさは自然言語よりまし程度であるという指摘がある。つまり、エスペラント語というもの自体が不条理の是正を目指し、それに挫折することによって不条理を浮き彫りにした存在である。
  人間が不条理であると感じる時、その人物は不当な扱いを受けたという感情を抱いている。社会的問題であれ、個人的な問題であれ、その感情は怒りを誘発するものである。この曲の着想は、「怒り」についてである。怒りが起きた状況や、その感情をそのまま曲にするのではなく、「怒り」がいかにして起こり、いかにして増幅され、いかにして消滅するのか、ということから、曲の構造を構築した。また、音要素は主にディエスイレの引用と攻撃的なノイズを使っている。(見澤ゆかり)

c0050810_1230574.jpg見澤ゆかり Yukari MISAWA, composer
  1987年群馬県富岡市生まれ。国立音楽大学音楽文化デザイン学科創作専修(作曲)、大正大学仏教学部仏教学科浄土学科を経て、現在カール・マリア・フォン・ヴェーバー音楽大学大学院作曲課程に在籍。作曲を菊池幸夫、川島素晴、マルク・アンドレ、フランツ・マルティン・オルブリッシュの各氏に師事。作品に《恵天楽》(篳篥・楽琵琶、2011)、《隠響》(管弦楽、2012)、《観察と体験》(pf/perc/fl、2013)、《combi-land》(ギター二重奏、2014)、《Spiel einer Nymphe》(3人のパフォーマー、2015)、《←→ ↓ ←→》(ホルン四重奏、2016)等。浄土宗僧侶、篳篥奏者としても活動している。ドレスデン在住。




シェーンベルクの音楽が「戦後前衛の源流」になるまで───野々村禎彦

c0050810_12315433.jpg シェーンベルクを「戦後前衛の源流」のひとりに数えるのは今日では自然だが、前衛の時代には決してそうではなかった。特に戦後前衛第一世代にとっては、新ウィーン楽派でモデルになった作曲家はまずヴェーベルンであり、管理された偶然性以後の時代にベルクも加わったが、シェーンベルクの位置付けは一貫して、「12音技法と引き換えに新古典主義に退行した反動」というものだった。

 本日のプログラムは、後期ロマン派時代のシェーンベルクの代表曲のピアノ独奏編曲から始まる。《浄められた夜》(1899) は、クリムトやピアズリーの絵画が醸し出す世紀末のイメージにふさわしい。室内交響曲第1番(1906) では半音階化がさらに進み、無調前夜のフラストレーションが極限まで高まった。だが、20世紀初頭のこのような傾向はシェーンベルクに限ったものではなかった。

c0050810_12332040.gif 初期には華やかな交響詩を量産し、《薔薇の騎士》(1910) 以降の平明なオペラで第三帝国に最も愛された作曲家になったR.シュトラウスは、《サロメ》(1904-05) と《エレクトラ》(1906-08) で無調の瀬戸際まで行った。初期の伝統的な《フィンランディア》(1899) や交響曲第2番(1901-02) で語られがちなシベリウスも、弦楽四重奏曲《親愛の声》(1909) の頃には半音階化で音楽の密度を求めるようになり、交響曲第4番(1911) の不穏さは無調前夜のシェーンベルクすら凌ぐ。

 ただし彼らは、安定した無調まで行き着くことはなかった。R.シュトラウスの場合は、一時の流行が冷めたらホームグラウンドに戻っただけかもしれないが、シベリウスの場合は、一人ではそれ以上先まで行くことはできなかったのだろう。その後の切り詰めた独自様式も興味深いが、一般性のない個人様式であることも彼は理解しており、やがて消え入るように筆を折った。90年代に入って保守化したスペクトル楽派第二世代以降は、調性の明確さゆえに彼の後期作品を崇拝しているが…

c0050810_12343014.gif まさに後期ロマン派を佃煮にしたような作風の持ち主だったシェーンベルクが、弦楽四重奏曲第2番(1907-08) の終楽章でソプラノが「私は別な惑星の大気を感じる…」と歌い始めるのに導かれて清々しい無調音楽を書き始めるに至ったのは、彼一人の力ではない。ヴェーベルンとベルクという二人の弟子は、後期ロマン派の音楽観に囚われていた彼にはない音楽性を持っており、むしろ彼らこそが、「ヨーロッパ戦後前衛の源流」シェーンベルクにとっての「源流の源流」だった。

 ヴェーベルンは、音楽学者としてはフランドル楽派の作曲家イザークを研究しており、ルネサンス時代の多声音楽にも精通していた。ベルクは後期ロマン派の音楽に親しみながら、それを素材として突き放して扱う、新古典主義に通じる感覚を持っていた(ストラヴィンスキーの新古典主義の中核はバロック音楽の素材であり、ロマン派の素材は鬼門だった)。シェーンベルクの作品11 (1909) の浮遊感は、古典的形式を宙吊りにして伝統の重力から解放するベルクの個性の反映であり、作品19 (1911) の凝縮されたミニアチュールは、ヴェーベルンの唯一無二の個性の賜物に他ならない。

 ヴェーベルンとベルクは、同時代の作曲家の中では寡作な部類だが、ひとつひとつの作品で明確なテーマを設定して着実にクリアしてゆくヴェーベルンも、個人史においても音楽史においても大きな意味を持つ大作に絞って入念に仕上げてゆくベルクも、作曲家としては極めて堅実なタイプである。他方シェーンベルクは、霊感に導かれるままに創作に没頭する数年間と、これといった作品を生み出せない期間が交互に訪れる、気紛れなタイプの作曲家だった。

c0050810_1236793.gif 弦楽四重奏曲第2番(1907-08) から《月に憑かれたピエロ》(1912) や《幸福の手》(1910-13) に至る無調初期の数年間は、彼の創造力が最初に爆発した時期だった。しかしその後の数年間は、第一次世界大戦への招集という事情もあったとはいえ、未完に終わった《ヤコブの梯子》(1917-22) 以外にはこれといった作品がない。作品23 (1920-23) と作品25 (1921-23) のピアノ曲は、12音技法の構想が固まってゆく中で、長い沈黙を破って久々に完成された作品だった。

 作品23と《セレナード》(1920-23) には、新たな道を歩み始めた際に特有の不定形の魅力(無調初期では、《架空庭園の書》(1908-09) やモノオペラ《期待》(1909) がこれに相当する)に溢れているが、いったん方向性が固まると、今度は作品25のような型にはまった新古典主義に収まってしまうのも彼の個性である。作品25、《木管五重奏曲》(1923-24)、《組曲》(1925-26) などの作品は、前衛の時代に厳しく批判された「新古典主義への退行」のサンプルと看做さざるを得ない。

c0050810_12365880.gif だが彼はその水準では終わらなかった。弦楽四重奏曲第3番(1927) や《管弦楽のための変奏曲》(1926-28) になると、12音技法で生成した持続を伝統的形式に流し込む次元に留まらない、有機的な構造が再び実現されている。オペラ《今日から明日まで》(1928-29) は《月に憑かれたピエロ》に共通する軽妙さを持ち、《映画の一場面への伴奏音楽》(1929-30) は、彼の代表作を特徴付ける不定形にうごめく無意識と理性による統合がせめぎ合った、極めて豊かな音楽である。

 これらの作品を生んだ数年間は無調初期と並ぶ彼の創作の第二のピークであり、12音技法による創作の集大成となったオペラ《モーゼとアロン》(1930-32, 未完) まで続いた。この好調の中で書かれたピアノ独奏曲が、作品33の2曲(1928-29, 1931) に他ならない。第一のピークの無調音楽は、テキストの流れに構造を委ねた非組織的なもので、霊感が途切れた途端に深刻なスランプが訪れた。だが二度目のピークは、一度不調に陥った後に書法の成熟に伴って自らを高みに引き上げる、意志で霊感を制御した結果だった。これが、12音技法という組織化された書法の威力である。

 しかし、《モーゼとアロン》完成間近の1933年、ナチスの政権掌握を機に彼の運命は暗転する。ユダヤ人としてナチスの台頭に危機感を抱いていた彼は、フランスで休暇を取って全権委任法成立後の趨勢を見守り、ナチス以外の政党が非合法化されるに及んで亡命を決意した。《浄められた夜》に先立ち、ドイツ圏での活動を見据えてプロテスタントに改宗していた彼は、今後は亡命先のユダヤ人コミュニティで糊口を凌ぐことを見据えてユダヤ教に再改宗し、直接米国に亡命した。

c0050810_12381869.gif 彼は米国でも現代音楽コミュニティでは知られており、亡命の翌年には南カリフォルニア大学(後にUCLA)に教職を得た。ヴァイオリン協奏曲(1934-36) や弦楽四重奏曲第4番(1936) で12音技法による創作を続けたこの時期は、25音音列による作曲を試みていた若き日のケージを、カウエルの紹介で教えていた時期でもある。だが、狭いコミュニティの外ではヨーロッパ以上に新古典主義全盛の米国では、彼は作曲家として全く認知されておらず、その音楽が理解されることもなかった。彼は徐々に厭世的になり、やがてケージも後ろ向きな師のもとを離れて独自の道を歩み始める。

 当時の彼が受けた委嘱は専ら調性的な作品であり、そこで彼が選んだのは、ヴェーベルンとベルクに導かれて無調に歩み始める直前の書法だった。《コル・二ドライ》(1938) や《レチタティーヴォによる変奏曲》(1940) はまさにそのような作品だが、ピアノ編曲版が本日最後の曲目となる室内交響曲第2番(1906/39) も、室内交響曲第1番と同時期の素材をまとめ直した曲で、この時期の創作の文脈を伝える。だが第1番と聴き比べると、この時期の彼の焦燥や諦念も聴き取れてしまう。第二次世界大戦初期にはナチスドイツは連戦連勝、米国は孤立主義を守っていたことを思い出そう。

c0050810_1239711.gif 彼に遅れること数年、ストラヴィンスキー(1939) やヒンデミット(1940) も米国に亡命してくると彼の立場はさらに悪くなり、オペラや管弦楽曲の委嘱を次々と受ける彼らとは対照的に、学生用の吹奏楽のような委嘱しか得られなくなった。米国の第二次世界大戦参戦の報に接し、閉塞状況の変化に期待して《ナポレオン・ボナパルトへの頌歌》(1942) とピアノ協奏曲(1942) という、明確な調的中心音を持つ折衷的な12音作品を突発的に書き上げた後は、ますます筆も進まなくなった。

 だが、このまま音楽史から消え去るかに見えた彼は、持病の喘息による臨死体験を経て弦楽三重奏曲(1946) で奇跡的に復活した。《ワルシャワの生き残り》(1947) から《現代詩篇》(1950, 未完) まで、一見地味だが濃密に書き込まれた12音作品が続き、その音楽的密度は過去二回のピークに勝るとも劣らない。ただし、この生涯三度目のピークにピアノ独奏曲が書かれることはなかった。

                ***********

c0050810_12401359.jpg ここまでシェーンベルクの歩みを振り返ったが、12音技法の創始者である彼は当然、総音列技法に基づくヨーロッパ戦後前衛の源流でもある…という単純な話ではないということだ。総音列技法で参照されたのは後期ヴェーベルンであり、シェーンベルク流の書き込まれた和声は、ヨーロッパ戦後前衛では忌避された。さらに言えば、後期ヴェーベルンの書法を直接受け継いだのはダラピッコラやペトラッシであり、総音列技法はさらに軽やかで装飾的な、シュトックハウゼン流の電子音楽や前期ベリオらの作風と相性の良い方向に発展した。ヨーロッパ戦後前衛第一世代にシェーンベルクの影響を見出すとすれば、前期ノーノを特徴付ける政治的スローガンのシュプレヒコールと、後期シェーンベルクの合唱書法との対応程度だろうか。奇しくもノーノの妻は、シェーンベルクの娘である。

 シェーンベルクの音楽が「戦後前衛の源流」として見直されるようになったのはむしろ、前衛の時代が終わって総音列技法の特権性が失われてからだった。前衛の時代にシェーンベルクの音楽が敬遠されたのは、ブラームスやマーラーとの連続性を否応無く意識させるためだが、芸術至上主義やヨーロッパ中心主義のような、戦後前衛が前時代から無自覚・無批判に受け継いだものを、視覚的要素を多用して暴き出したカーゲル(やその縮小再生産版のシュネーベル)ですら、前衛の時代が終わる頃にはドイツ音楽の伝統の再利用に創作の中心を移しており、「戦後前衛」の前提は変化した。

c0050810_12411269.gif その中で、シェーンベルクをモデルにした作曲家の典型例がラッヘンマンである。彼は前衛の時代の終わりに、器楽の特殊奏法のみを精緻に組織化した様式を確立して頭角を現したが、カオティックな時間構造を維持していたのは最初の数年で、《カウドウェルのための祝砲》(1977) の頃からは、音色以外はスクエアで伝統的な構造を用いるようになった。この割り切りは、12音技法確立当初のシェーンベルクが、音程以外は伝統的形式に回帰したのに対応している。近作の弦楽四重奏曲第3番《グリド》(2001/02) や《Got Lost…》(2007-08) の持続は、もはやシェーンベルクそのものだ。ファーニホウの弦楽四重奏曲第4番(1989-90) でも、ソプラノ入り編成など強く意識されている。

 もうひとつ忘れてはならないのは、ケージ及びニューヨーク楽派の音楽の源流のひとつは、シェーンベルクの音楽に他ならない。彼らがヴェーベルンの「音と沈黙の対位法」に強い影響を受けたこと(この側面は総音列技法では見事に抜け落ちている)は広く知られているが、そもそも彼らの「アメリカ音楽」に拘らない姿勢は、若き日のケージがシェーンベルクに師事し、終生リスペクトしていたことに由来する。ケージが決裂したのは、渡米後の苦境の中で自分を見失っていたシェーンベルクであり、即興の可能性を疑って理念を厳格に形にする姿勢は、ニューヨーク楽派の音楽に深いレベルで継承された。彼らの音楽は、即興の可能性に疑いを持たない米国実験音楽の大らかな多数派とは異質であり、ヴァンデルヴァイザー楽派を経てドイツ音楽の伝統に回収されたのは歴史的必然だった。
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by ooi_piano | 2016-09-19 08:45 | POC2016 | Comments(0)
c0050810_15253444.jpgСТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ ~二台ピアノによるストラヴィンスキー傑作集~
2016年9月22日(祝・木)19時開演(18時半開場)
浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ

公園通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://koendoriclassics.com/
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp 
〔予約フォーム〕 http://koendoriclassics.com/events/149/
FBイベントページ 

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c0050810_5113286.gif■ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)
  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
■ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)  (歌詞邦訳全文
  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)

  (休憩15分)

■ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)
  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り


〔いずれもイーゴリ&スーリマ・ストラヴィンスキーによるピアノ・リダクション版〕



■《4つのエテュード》(1917)

c0050810_5204862.jpg  最初の3曲が《弦楽四重奏のための3つの小品》(1914)、終曲が《自動ピアノのためのエテュード》(1917)の管弦楽配置である。ピアノラ(自動演奏ピアノ)というのは、空気を通す穴が開いた紙がロール状に巻かれていて、この紙がトイレットペーパーを引きだすごとく順次ピアノに送られ、この穴が個々の音符であり、穴からの空気で鍵盤が叩かれピアノが無人で音楽を奏する仕組み。20世紀の初頭に流行した。ストラヴィンスキーは後年になって、「作曲家は10本の指で出せる音以外を同時にピアノで鳴らせなかったけれども、ピアノラは自分に音楽をオーケストラ化する可能性を与えてくれた」と語っている。また、この曲を書くにあたってはグリンカの「マドリッドの夏の夜の思い出(1848)」から影響を受けたことを認めている。今も昔もロシア人は総じて太陽の光が燦燦とそそぐ地中海沿岸に惹かれるらしい。現代のロシアではトルコとエジプトに絶大な人気があったが、原油価格の暴落に連動した自国通貨のルーブル安、加えてイスラム国の台頭、欧米との泥仕合となりつつある経済制裁が、彼らの旅行の楽しみをおおいに制限してしまっている。



■舞踏カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)

c0050810_5214996.jpg  イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(1882 - 1971)は、帝政ロシアの俗福な家庭に生まれた。父はサンクト・ペテルブルグの王立マリインスキー歌劇場のバス歌手で、1893年にこの街でチャイコフスキーが没したとき、その死の床にかけつけたリムスキー=コルサコフ、グラズノフといった音楽家の中に、イーゴリの父、フョードル・ストラヴィンスキーもいたと記録されている。
  ストラヴィンスキーは革命の3年前、1914年に家族とともにロシアを出ている。その後ヨーロッパで興行師ディアギレフと組んで作曲・編曲活動に拍車がかかる。その点、1917年に同じくロシアを出たラフマニノフがその後アメリカに渡ったあと創造活動が委縮してしまったのとは対照的だ。
  ストラヴィンスキーはロシアを捨てたあと、純粋な望郷の念にかられただけの理由で曲を書いたとは思えない。《結婚(儀礼)》はロシアの古い婚礼の儀式を題材としているけれど、たとえばチャイコフスキーやムソルクスキーのように古いロシアの旋律をそのまま持ってきている、というものではない。全音階、アンヘミトニー(無半音)が通常のロシアの民族音楽よりもはるかに多用されている。おそらく当時の一般のロシア人が聴いても「なんやこれは」と違和感を覚えたはずだ。19世紀後半にロシアのインテリ家庭で育った人間として、またあのやや人をおちょくったような風貌からしても、この20世紀を代表する作曲家の屈折した発想と構想は、現代の我々にそう易々と覗き込めるものではなかろう。
c0050810_5224770.jpg  《結婚(儀礼) Les noces(仏), Свадебка(露)》は、作曲家自身によるいくつかの異なる楽器編成によるドラフトがあるが、1923年の最終ヴァージョンは、4台のピアノ、打楽器、声楽(ソロと合唱)という編成である。この20分強の曲は4つの場面から成り立っており、連続して演奏される。
 ● (婚礼に出かける前の)花嫁の家で。原タイトルは「おさげ髪, Коса(露)」
 ● (同じく)花婿の家で。
 ● 花嫁の出発。
 ● 婚礼の祝宴。原タイトルは「美しい食卓、Красный Стол (露)」

  曲名が示すとおり、扱われているのは「結婚儀礼」、つまり「しきたり」であり、花嫁、花婿がどういう人間であるかということは全く問題にされていない。古いロシアでは、若い結婚前の女性は髪を三つ編み(коса)にして、一本の長く垂れたおさげをこしらえ、処女の象徴とした。この一本おさげ髪が嫁入り前に花嫁の家において解かれ、人妻の象徴である二本のおさげに結い直され、これがプラトーク(ネッカチーフ)で覆われて、婚礼の祝典に出発する。革命後、このкосаという言葉・象徴性は共産主義の思想に合わず鳴りを潜めていたようだが、ソ連邦崩壊後(当のストラヴィンスキーは知るよしもない)、今度はファッション用語として使われ始めた。この場合、三つ編みは長く垂れなくてもよい。美人の首相と一時期脚光を浴びたウクライナのユリヤ・チモチェンコのあの髪型もкосаである。もちろん垂れた一本おさげを編んでいる女性と処女性は現代のロシアにおいて全く関係は無い。
c0050810_5235071.jpg  「婚礼の祝宴」の儀式は、日本の昔の嫁入り儀式、つまり殆どなんの会話もしない花嫁・花婿が仲人に挟まれて座敷の中心に置物のように座らされ、親戚一同が回りで飲めや歌え踊れのドンチャン騒ぎをしている光景に似ているかもしれない。面白いのは、その祝宴のさ中に新郎新婦の寝床に先にはいって床を温めている係りの別夫婦がいて、祝宴が続いている間に新郎新婦は「ゴーリカ!ゴーリカ!(苦いぞ、苦いぞ。酒がまだ苦いから、もっとキスをして甘くしろ)」という回りの掛け声に促されて、半ば強制的に温められた寝床に急き立てられる、という場面。なお結婚披露宴で客たちが「ゴーリカ!ゴーリカ!」と叫んで新郎新婦にその場でキスを迫る風習は、現代のロシアの結婚式でもよく見られる。
  ストラヴィンスキーはその育ちからしてこのようなロシアの田舎の古い慣習を日常として経験したことはあまりないはずで、こういった民俗的な結婚儀礼を原始的な生活への回帰というテーマとして書いたのか、あるいは曲を献呈しているディアギレフ率いるロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の増収増益を促すネタとして商業的にこのテーマを選んだのか、あるいはその両方なのか、これはいろいろな見方があろう。


■舞踏音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)

c0050810_5321366.jpg  題名は仏語でLe sacre du printemps、英語で The Rite of springでこれらはまさに「春の祭典」なのだが、露語では Весна священная, 「神聖なる春」、「浄められた春」という意味に訳せる。太陽の神への生贄として一人の乙女が選ばれ、踊り続けされて最後は死に至るというおどろおどろしいストーリーを彷彿させるタイトルはロシア語の方だ。ストラヴィンスキーはこの曲を書くにあたって、リトアニアからウクライナ周辺に至る多くの地域を回って現地民謡の素材を集めたという。その点ではバルトークもそうであったが、ストラヴィンスキーはこれをロシア・バレエ団という当時欧州で最先端を行っていたショウ・ビジネスの中に持ち込んだというところが決定的に違う。
  かつては「変拍子、不協和音」という言葉がこの曲の代名詞のように使われたけれども、いまの人たち、少なくともクラシック音楽ファンは、そういう観点からだけでは聴いていないと思う。たとえば第一部の「春の兆し」の冒頭、オーケストラでは弦とホルン八本で八分音符をダッ、ダッ、ダッ、ダッと刻むところ。E♭7とE(F♭)のコードが重なった音を現代の我々が聴くとき、確かに音楽理論上は不協和音ではあるが感覚的に「不協和」と感じるかと問われれば、多くの人が否であろう。ましてピアノの透明な音色による演奏では尚更である。耳を澄まして「春の兆し」の響きを聴いてほしい。
c0050810_533452.jpg  1913年のパリにおける初演において、乱闘も出るような大スキャンダルになったことは有名だが、故国のサンクト・ペテルブルグ、モスクワでの初演では、ロシアの評論家たちはこの曲を単にいま流行の雑音(ノイズ)として片づけてしまったという。筆者はそれに似たような体験をまだ「鉄のカーテン」の時代のソ連、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)でした。ディアギレフやストラヴィンスキーとも親交があり、《春の祭典》初演の振付をした天才ダンサー、ニジンスキーの娘と結婚した(後に離婚)指揮者イーゴリ・マルケヴィッチ(1912-1983)がその亡くなる直前にレニングラード・フィルハーモニーに客演したときのこと。曲目はベートーヴェンの第7交響曲と《春の祭典》。ともに指揮者の得意とするレパートリーで、客席には珍しくムラヴィンスキー(1903-1988)の姿もあった。世界最高レベルのオケとのベートーヴェンは感動的な演奏。耳の超えた聴衆達も惜しみない拍手を送った。空気がちと変わったのは後半の8春の祭典》。巨匠マルケヴィッチが暗譜で振る指揮棒の下、オケはあのシャープなサウンドで熱演したが、聴衆は明らかに「引いて」いて拍手も前半ほどではなく、曲はもちろん知っているがこれは我々が楽しむ「クラシック」とは違う、という態度が感じられた。1980年代の前半でも、レニングラードという街における演奏と聴衆は相当に保守的で革命前の貴族社会の雰囲気をひきずっていたのではないか、と今になって改めて思う。
   なお、Stravinsky は、ロシア語のアクセントにこだわる人はストラヴィーンスキイと綴るが、ここでは一般的なストラヴィンスキーとした。その他のロシア人の名前も一般的なカタカナ記載にとどめた。(大塚健夫/音楽評論)


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【関連公演】
〔ポック[POC]#30〕 2017年1月22日(日) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●大蔵雅彦(1966- ):《where is my》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971): ピアノソナタ 嬰へ短調(1903/04)〔全4楽章〕(日本初演)、4つのエチュード Op.7 (1908)、ペトルーシュカからの3楽章(1911/21)(ティバダール・サーントと作曲者による独奏版)、11楽器のラグタイム(1917/18)[作曲者による独奏版]、交響詩《夜鶯の歌》(1917)[作曲者による独奏版]、《兵士の物語》による大組曲(1918)[作曲者による独奏版](日本初演)、ピアノ・ラグ・ミュージック (1919)、管楽器のシンフォニー集(1920)[アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版]、コンチェルティーノ(1920)[アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版](日本初演)、八重奏曲(1923)[アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版](日本初演)、ピアノ・ソナタ(1924)〔全3楽章〕、イ調のセレナード(1925)〔全4楽章〕、タンゴ(1940)[作曲者による独奏版]、仔象のためのサーカス・ポルカ(1943)[作曲者による独奏版]

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ストラヴィンスキー自身の編曲による、プレイエル社自動ピアノ(88鍵)のための作品一覧の広告:《春の祭典》《ペトルーシュカ》《火の鳥》《夜鶯の歌》《結婚》《兵士の物語》《プルチネルラ》《コンチェルティーノ》他
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※ストラヴィンスキーとその家族
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※1913年《春の祭典》初演のジャン・コクトーによる素描
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浦壁信二+大井浩明 ドゥオ

■2014年9月12日 http://ooipiano.exblog.jp/22474259/
D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43 (1935/36) (作曲者による2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約60分]
A.スクリャービン:交響曲第4番作品54《法悦の詩》 (1908) (レフ・コニュスによる2台ピアノ版)[単一楽章、約20分]
(アンコール)B.バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》より第4楽章「遮られた間奏曲」(1943、ヴェデルニコフ編)
三宅榛名:《奈ポレオン応援歌》(1979)

■2015年3月13日 http://ooipiano.exblog.jp/23322462/
A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(1945/46)(ショスタコーヴィチによる2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約30分]
  I. 怒りの日(Dies irae) - II. 深き淵より(De profundis clamavi) - III. 我らに平和を(Dona nobis pacem)
O.メシアン:《アーメンの幻影》(1943)[全7楽章、約50分]
  I. 創造のアーメン - II. 星たちと環のある惑星のアーメン - III. イエスの苦しみのアーメン - IV. 願望のアーメン - V. 天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン - VI. 審判のアーメン - VII. 成就のアーメン
(アンコール)A.オネゲル:《パシフィック231》(1923)(N.キングマン(1976- )による二台ピアノ版(2013)、世界初演)
P.ブーレーズ:構造Ia (1951)

■2015年5月22日  http://ooipiano.exblog.jp/24126209/
G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分) H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
  I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend
B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章]  (約20分)
  I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.
(アンコール)G.マーラー:交響曲第3番第5楽章「天使たちが私に語ること」(J.V.v.ヴェスによる四手連弾版)
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by ooi_piano | 2016-08-30 02:45 | POC2016 | Comments(0)