カテゴリ:クラヴィコード様への五体投地( 27 )

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HIROAKI OOI pedal clavichord recital
大井浩明 ペダルクラヴィコード・リサイタル


http://wmusic.jp/concert.html#35kai

●栃木公演 西方音楽館 木洩れ陽ホール
2016年10/23(日)14:30開演(14:00開場)
https://www.facebook.com/events/326810837674056/
●東京公演 東京オペラシティ 近江楽堂
2016年10月31日(月)18:30開演(18:00開場)
https://www.facebook.com/events/296738530710056/

【お問合せ】 
西方音楽館 Tel 0282-92-2815 http://wmusic.jp/
〒322-0601栃木県栃木市西方町金崎342-1
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《プログラム》
J.S.バッハ(1685-1750):トリオ・ソナタ集(全6曲) BWV525-530 (1730)

トリオ・ソナタ第1番 変ホ長調 BWV 525
   (Alla Breve) - Adagio - Allegro
トリオ・ソナタ第2番 ハ短調 BWV 526
  Vivace - Largo - Allegro
トリオ・ソナタ第3番 ニ短調 BWV 527
  Andante - Adagio e dolce - Vivace
  (休憩)
トリオ・ソナタ第4番 ホ短調 BWV 528
  Adagio/Vivace - Andante - Un poc'allegro
トリオ・ソナタ第5番 ハ長調 BWV 529
  Allegro - Largo - Allegro
トリオ・ソナタ第6番 ト長調 BWV 530
  Vivace - Lente - Allegro
パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582 (1712)

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Johann Sebastian Bach: Six Trio Sonatas BWV525-530 (1730)
Trio Sonata No. 1 in E-Flat Major, BWV 525
Trio Sonata No. 2 in C Minor, BWV 526
Trio Sonata No. 3 in D Minor, BWV 527
(intermission)
Trio Sonata No. 4 in E Minor, BWV 528
Trio Sonata No. 5 in C Major, BWV 529
Trio Sonata No. 6 in G Major, BWV 530
Passacaglia in C Minor, BWV 582 (1712)

使用楽器:ヨーハン・ダーフィット・ゲルステンベルク1760年専有弦ペダル・クラヴィコード(ライプツィヒ大学楽器博物館蔵)/小渕晶男によるレプリカ、2016年
  Akio Obuchi 2016 Unfretted Pedal Clavichord after Johan David Gerstenberg, 1760 (Museum für Musikinstrumente der Universität Leipzig)

チラシ表面 pdf    ・チラシ裏面 pdf


大井浩明(ペダル・クラヴィコード)  Hiroaki OOI, pedal clavichord
c0050810_2114370.jpg  京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、同芸大大学院ソリストディプロマ課程修了。チェンバロと通奏低音をディルク・ベルナーに、オルガンをハインツ・バッリ、ダニエル・モレの両氏に師事。ミクローシュ・シュパーニ、ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ、ヤン・ヴィレム・ヤンセン等の講習会を受講。
  ヒストリカル・クラヴィコードにおいて世界的に最も意欲的な活動を行う奏者の一人であり、NHK-BS「クラシック倶楽部」にてベートーヴェン:《選帝侯ソナタWoO47》が放映された他、リサイタルではJ.S.バッハ:《平均律クラヴィア曲集第1巻》(全曲)、《同第2集》(全曲)、《6つのパルティータ》、《ゴルトベルク変奏曲》《フランス序曲》《イタリア協奏曲》、《イギリス組曲》(全6曲)、C.P.E.バッハ:《ヴュルテンベルク・ソナタ集》(全6曲)、ハイドン:《エステルハージ・ソナタ集》(全6曲、レクチャー/伊東信宏)、モーツァルト:連弾ソナタ集K.19d/K. 381/K.358/K. 501/K. 521 (共演/上尾直毅)等を取り上げている。J.S.バッハ:《フーガの技法》(全曲)のヒストリカル・クラヴィコード(ヨリス・ポトフリーヘ製作ザクセン様式専有弦モデル)による世界初録音CDは、国際的に高い評価を得た(2008年9月/ベルギー・聖セルヴァティウス修道院)。また、バッハのクラヴィコード教授法に関するフリードリヒ・コンラート・グリーペンケルの記述(1819)ならびにミクローシュ・シュパーニによる注釈(2001)を邦訳し(2004年6月)、雑誌《ムジカ・ノーヴァ》等やウェブ上で奏法論についての考察も発表している。2014年3月には、クラヴィコード独奏のための福島康晴《楽興の時》(全3楽章)の委嘱新作初演を行なった。
  オルガン奏者としては、クセナキス:《グメーオール》日本初演(川口リリアホール)がTV(CX系「とくダネ!」)・雑誌(週刊新潮他)で広く紹介され、サンサーンス:交響曲第3番《オルガン付き》独奏(大阪、ザ・シンフォニー・ホール)、ジャン・ギューらと参加したデュドゥランジュ大聖堂オルガンフェスティヴァルでのリサイタル(ルクセンブルク)、京都大学創立記念行事音楽会でのリサイタル(ヴィドール:《オルガン交響曲第6番ト短調》他、京都コンサートホール大ホール)、オムロン・パイプオルガン・コンサートシリーズでのリサイタル(J.S.バッハ:《ドイツ・オルガン・ミサ》全曲、京都コンサートホール大ホール)、委嘱新作初演を中心としたリサイタル(シェーンベルク:《レチタティーヴォ主題による変奏曲Op.40》他、淀橋教会小原記念聖堂)、中全音律バロック・オルガンによるフレスコバルディ:《音楽の花束》全曲公演(日本基督教団本郷教会)等を行っている。 公式ブログ: http://ooipiano.exblog.jp/


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(西方音楽館・会報より)
10月23日、31日にペダルクラヴィコード・リサイタルを行っていただく大井浩明氏へ、ペダルクラヴィコードについてご質問しました。

---練習楽器としてはどう思われますか?

c0050810_21151559.jpg  ペダルクラヴィコードは、響きがやや異なる通常のクラヴィコード(手鍵盤)2台が積み重ねられ、その下に足鍵盤による低音クラヴィコードを合体したものです。ゆえに、鍵盤間の連結装置(カプラー)はありません。足鍵盤は通常より横幅が広く、下鍵(白鍵)に比べ上鍵(黒鍵)の位置が高目で、足の縦方向の稼動域も狭いため、どのみち踵(かかと)を使うのは困難に思えます。足鍵盤も手鍵盤と同様に繊細なタッチが求められます。もしこれがオルガン用の練習楽器であるなら、「最上度の鍛錬になる」ことは確かです。手鍵盤部は分離しても使用可能ですので、そのまま《平均律》や《フーガの技法》も演奏出来ますね。西洋音楽史の根幹に位置する、伝説の楽器を目の当たりにするのは、私にとっても素晴らしい体験です。現代のピアニストがチェンバロやクラヴィコードに面食らうのに喩えれば、(言い方は変ですが)ペダルクラヴィコードはあたかも「古楽器のオルガン」に触れたかのような衝撃でした。

---演奏楽器としてはどう思われますか?

c0050810_2116796.jpg  パイプオルガンが教会の豊かな残響の彼方で高らかに吹き鳴らされているのに対して、ペダルクラヴィコードでは耳元でヒソヒソと内緒話をささやく感じで、二者には大きな時空間的なへだたりがあります。どちらでも成立するように書かれているのが、バッハの譜面の面白いところです。オリジナル楽器を精査なさった小渕晶男氏によるレプリカは、ペダルクラヴィコード独特のニュアンス、アーティキュレーション、音色など、弾き手・聴き手ともに想像力をかきたてられる、多様な可能性を秘めていると思います。

パイプオルガンで演奏されることが圧倒的に多いJ.S.バッハのトリオ・ソナタ、パッサカリアが、大井浩明氏の手でどのような音楽に姿を変えるのか、ぜひ聴きにいらしてください。




製作うらばなし───小渕晶男

c0050810_2117143.jpg  クラヴィコードは今まで共有弦型、占有弦型合わせて30台近くを製作してきたが、ペダルクラヴィコードは今回初めてであった。ペダルクラヴィコードの歴史としては14世紀にすでにその存在を示唆する文献が残っている。現在残された歴史的な楽器としては1760年のGerstenberg, 1815年のMarckhert, 1844年のGlück製作によるものなどがいずれもドイツに保存されている。ザクセンのドレスデンとライプツィッヒのちょうど中間にあるゲリングスヴァルデのGerstenbergの楽器は手鍵盤2段と16フィートの付いた足鍵盤を備えたオルガン製作者Gerstenbergならではの作品でその大きさ、構成からひときわ存在感のある楽器である。
  この楽器に関しては近年ヨーロッパを中心に数台の復元楽器が製作されている。ヨーテボリのオルガン研究所のJoel Speerstraの描いた図面には有用な情報が多く含まれており、製作に当たっては大いに参考にさせていただいた。しかしながら、図面に表し切れていないか、あるいは理解しきれない箇所があり、どうしてもオリジナルを見ないと正確な復元は難しいと判断し、以前にサルテリオの採寸などで便宜を図っていただいた、ライプツィッヒのGRASSI博物館のMarkus Brosig氏に再び調査依頼をしたところ、そういう仕事なら、誰にも邪魔されない休館日の月曜日に来ると良いといって休みの日にわざわざ開けていただいた。そればかりでなく、Speerstraが同楽器の調査をしたときの指導教官であるエディンバラ大学のJohn Barnesが独自に書いたこの楽器に関する研究論文とその時に撮影した大量の写真のコピーを取らせていただいた。
c0050810_21174966.jpg  オリジナル楽器に当たらなければなかなかわからないことの一つに弦張力による楽器の変形という問題がある。John Barnesはこのことに関しても研究論文の中で彼が調査した時の変形量を記述している。そして、今回実際の楽器に当たってそれを確かめることが出来た。2台の手鍵盤楽器と16フィートを含む足鍵盤楽器はいずれも1台当たり約100本の弦が張られており、弦による張力の総和は1台当たり500Kgほどになる。クラヴィコードはその構造上弦の張力によって楽器の底板が、下に凸になるように変形する。その変形量がわかっていれば、組み立てる前にあらかじめ底板を反対向き、すなわち底板を下の面がへこむように弓なりに変形させておくことが出来る。足鍵盤楽器については全長が長いので、あらかじめ変形させておくだけでは長い年月のうちに変形が進む可能性を考えて、オリジナルには無い補強を入れた。
  ザクセンの楽器の多くは広葉樹を使っているが、この楽器は針葉樹を用いている。今回の製作に当たっては、近くに住む古民家移築なども手掛ける若い大工の資材置き場に長い間眠っていた十分エージングされた木材を使うことが出来たのは幸運であった。
  最後に今回この復元製作の機会を与えていただいた西方音楽館の中新井紀子さん、横山博さんに感謝します。

小渕晶男 Akio OBUCHI
c0050810_21182263.jpg  1969年よりチェンバロの製作を始め、75年にヨーロッパ各地の博物館や製作家を訪ねて以来、歴史的な楽器から学ぶ事を基本に現代に残る歴史的楽器のレプリカ、および時代的地理的に特徴付けられるスタイルの範疇の中で製作を行っている。 復元製作にあたっては、オリジナル楽器の外面的な再現だけでなく、製作者の製作意図を復元することが出来ればそれが理想と考えている。全ての工程において常に最終的な音のイメージを持ちながら作業を進めることを心がけている。 1993年にレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿に見られるヴィオラオルガニスタ(ガイゲンヴェルク)の試作を行って以来、音程とダイナミックスを奏者がコントロールできる鍵盤楽器への素質を持ったこの楽器に対する夢を捨てきれずに継続的に擦弦鍵盤楽器の研究と製作を続けている。バロック時代の打弦楽器サルテリオや15世紀に描かれたチェンバロやピアノの源流と考えられる弦を弾く叩くの双方を備えた、クラヴィシンバルムの製作も行っている。
  1971年日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。音響メーカーにて電気音響変換機の研究開発、多国籍サービス会社にて石油、天然ガスの音響探査機器開発に従事。その後、携帯電話事業者に勤務の後2004年退職して以降、この間限られた時間を活用して継続してきたピリオド鍵盤楽器の研究および製作に専念。現在はクラヴィコードを中心に製作を行っている。American Musical Instrument Society会員。公式サイト:http://obuchi.music.coocan.jp/


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【関連リンク】
クラヴィコード公演《平均律第1巻》プログラム・ノート [2005.02.01]
クラヴィコード公演《平均律第2巻》プログラム・ノート 「平均律と吉本漫才の比較論」 [2006.08.20]
J.S.バッハのクラヴィコード演奏法・教授法 [2004.06.17]
[再掲] バッハのクラヴィコード教授法 (上)(中)(下)
  ――「バッハ・タッチ」について(ムジカ・ノーヴァ誌2006年1月号)  [2006.01.20]
  ――「バッハ・タッチ」補説  [2006.01.06]
●バッハ:フーガの技法 大井浩明インタビュー(英文)   同・日本語版 [2009.03.31]
同盤:古楽専門誌《アントレ》2009年9月号での神倉健氏による批評文 [2009.12.16]
●クラヴィコード公演ツイート集  J.S.バッハ:《6つのパルティータ》  《イギリス組曲(全6曲)》  《ゴルトベルク変奏曲》  C.P.E.バッハ:《ヴュルテンベルク・ソナタ集(全6曲)》  J.ハイドン《エステルハージ・ソナタ集(全6曲)》
■クラヴィコードによる平均律第2巻公演の感想ブログ集(2006年)
 http://bloomingsound.air-nifty.com/ongei/2006/09/20060906_c58f.html
 http://suralin.blog48.fc2.com/blog-entry-77.html
 http://www.oekfan.com/review/2006/0901.htm
 http://baybranch.exblog.jp/3704211/
 http://blog.goo.ne.jp/kananagano/e/5bdf317dd069f1f2bc8bdd2ddf69a27a
 http://okaka1968.cocolog-nifty.com/1968/2006/09/post_3bd1.html
 http://onkichi.exblog.jp/3735118/
 http://umeokagakki.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_4a3a.html
 http://blog.nsk.ne.jp/suzu/archive/month200609.html



(続き) ペダルクラヴィコードをめぐって───横山博

    
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by ooi_piano | 2016-10-18 02:37 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

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承前

ペダルクラヴィコードをめぐって───横山博(西方音楽館副館長)

c0050810_2303498.jpg  クラヴィコードとは、マイナスドライバーの先のような金属片で弦を直接突き上げて音を出す鍵盤楽器で、一音一音適確なコントロールで打鍵しないと弦がうまく振動してくれず、耳障りなノイズが発生してしまうという恐ろしい特徴をもっている。それはオルガンやチェンバロの難しさとは全く異なるもので、ピッチ(音高)は鍵盤の押し加減によって変わってしまい、固定的ではなく、常にわずかに揺らいでいる。また、弦を突き上げた後、同じ重みで鍵盤を押していないと良い音が持続しないという大変繊細な楽器である。音量が非常に小さいという弱点があるにも関わらず、バッハはあらゆる鍵盤楽器の中でクラヴィコードを最も愛奏し、息子たちにも手取り足取り教えていた。
  いま皆様の目の前にある楽器の上部には、通常のクラヴィコード(手鍵盤)2台が積み重ねられている。そしてその下には足鍵盤で演奏できるようにした大型のクラヴィコードが合体している。一つ一つの楽器は連結されること無く完全に独立している。別々の3台のクラヴィコードを使って、独立した3パートを一人で演奏できるように作られたのが、本日使用される小渕晶男氏が復元したヨーハン・ダーフィット・ゲルステンベルク(1760年製作)のペダルクラヴィコードである。

c0050810_2314351.jpg  当初は、ペダルクラヴィコードなどという特殊な楽器の製作を小渕氏に依頼することになるとは思ってもみなかった。私はバッハの《平均律クラヴィーア曲集》の全ての調を弾けるように4オクターヴの専有弦方式クラヴィコードを手に入れたいと考えていた。私のアパートにある楽器は共有弦方式のクラヴィコードだけで、それではシャープやフラットの多い曲になると出せない音があったのだ。《平均律》に相応しいクラヴィコードとは一体どのようなモデルなのか、私の師である英人音楽学者のジョン・バット氏(グラスゴー大学教授)にメールで問い合わると、彼は「そもそもバッハが専有弦クラヴィコードを所有したことがあるという確証は得られていない。いずれにしても《平均律第1巻》は4オクターヴ内に収まっているが《第2巻》は4オクターヴ以上の音域で書かれているので、歴史的に見合った楽器で全48曲を演奏したいと言うのなら2台のクラヴィコードが必要になるだろう」と教えてくれた。そしてイギリスやアメリカの信頼できるという製作家を何名か紹介しくれた。そのうちの一人、イギリスのピーター・バヴィングトン氏は「私はもう引退してしまったので注文を引き受けることはできないが、《平均律第1巻》に相応しいモデルの一つに、現存する最古の専有弦式クラヴィコードであるミヒャエル・ハイニッツ(1716年製作)が挙げられる」との返事をくれた。小渕氏にハイニッツを製作していただけないかとお願いした時、小渕氏は「それはかなり珍しいモデルと言えますが、興味を持った理由は何でしょう?」との事で、私は《平均律第1巻》との関連とバヴィングトン氏の意見を伝えた。「ハイニッツは確かにバッハと関わる機会があったかもしれない。しかしもう一つ、ハイニッツにとてもよく似た作りのモデルでヨーハン・ダーフィット・ゲルステンベルク(1760年製作)というものがあり、この楽器は2つの手鍵盤と足鍵盤を備え、バッハのトリオ・ソナタを演奏するために作られたと噂されるものです」と、思いがけず《平均律》と《トリオ・ソナタ》が同時に私の前に立ち並んだ。その約2週間後、小渕氏が制作した楽器の一つを所有している方のお宅でジルバーマンモデルの専有弦クラヴィコードを試奏できる機会があったのだが、お宅に上がり、私がジルバーマンを見るよりも先に、小渕氏はペダルクラヴィコードの巨大な図面のコピーを、そのお宅のリビング床一面に広げて見せてくれた。それは楽器の図面というよりも、モダン建築の設計図のように見えた。ジルバーマンの試奏が終わるとそのまま小渕氏の車で移動し、上尾直毅氏所有のホフマンモデルのクラヴィコードも試奏させてもらった。しかしその時の話題の中心もやはり、ゲルステンベルクのペダルクラヴィコードだった。

c0050810_2323768.jpg  西洋音楽史の根幹に位置するとも言える伝説の楽器、ペダルクラヴィコードは多くのオルガニストの間では未だ「無用の長物」と見なされている。17世紀、18世紀の北ヨーロッパのオルガニストたちが実際どのような楽器で、どのような環境で、どのように演奏技術を習得したのかという議論がされるようになったのも、ここ20年位の話である。北ヨーロッパの教会の中は一年の半分はかなり寒く、もちろん電力の無い状況下では楽器に風を送る「ふいご師」たちに決して安くはない労賃を支払う必要があった。つまり17世紀、18世紀のオルガニストが大きなオルガンを心置きなく練習するということは相当に贅沢なものであり金銭的に無理のあることだった。もちろん小さなオルガンもあったが、それは現代の音楽大学の練習室にあるようなペダル(足鍵盤)を備えた楽器ではなく、そのほとんどはペダル無しの一段鍵盤で、とても軽いアクションのものだった。だからこそペダルクラヴィコードは、教会の大きなオルガンでは練習が困難であるという実態を、長きに渡って支えるものであり続けた。J.S.バッハの場合はどうだろう?ペダルテクニックにおいてバッハの右に出る者はいなかった。では彼は常日頃どのようにその技に磨きをかけていたのだろう?バッハのオルガンの練習やレッスンに関しての歴史的資料はまったく残されておらず、謎のままである。

c0050810_23319100.jpg  バッハの息子と交流のあったヨハン・ニコラウス・フォルケルの述べるところによれば、

  「彼はペダルで低音や普通のオルガニストが左手の小指で押える音を弾いただけでなく、多くの人が五本の指をもってしてもなかなか引き出せないような性格の、本格的な低音旋律を演奏したのである」

  現代のオルガニストにとっても《6つのトリオ・ソナタ》(BWV525-530)はバッハの最も重要なオルガン作品の一つであり、主要なオーディションや国際コンクールに必ず課題として課せられている通り、今日でもなお、オルガン音楽の最難曲でありつづけている。互いに全く独立した3つの声部による対位法の綾取りが入念に書き込まれており、時に足鍵盤の動きは手鍵盤の動きにも匹敵する。オルガンでも演奏可能だが、室内楽的な響きにまとめる音色の選択(レジストレーション)の可能性は案外少なく、残響時間の長い教会ではすべての音域でお互いにクリアな関係を設定するのは難しい。一方、音域毎に音色の特徴が異なり、減衰の速いクラヴィコードでは、あたかもヴァイオリンとフルート、通奏低音がトリオ・ソナタを合奏していると錯覚させる瞬間がある。では、3人で演奏すればどうなるかといえば、全員が全員の役割を頭に入れて、その瞬間瞬間に紡ぎ上げる精妙な和声に支えられた音楽全体の流れを失わずに、しかも3人が同時に対話を進めていくことは至難の業である。

c0050810_2341619.jpg  「バッハはこれを長男ヴィルヘルム・フリーデマンのために書いた。フリーデマンは偉大なオルガン奏者となるためにこれらを勉強し、事実のちにそのような存在となった」

  フリーデマン・バッハはトリオ・ソナタを「勉強」した。しかしフリーデマンは卓越したペダルテクニックを習得したというよりも、この曲集のもつ「ギャラント風」な性格を引き継いだように見える。

  「さらに、きわめて技巧的につくられた『パッサカリア』(BWV582)を加えておくが、これはオルガン用というより、むしろ二つの手鍵盤とペダルのためのものである」

  この「二つの手鍵盤とペダルのためのもの」という記述であるが、原文では“fur Zwey Claviere und Pedal”となっている。この“Clavier”はおそらくクラヴィコードのことであろう。「きわめて技巧的」なオルガン曲の演奏を仕上げるには、どんなオルガニストであろうと相当な練習時間が必要だし、ペダルチェンバロではなくペダルクラヴィコードがあれば、美しくデリケートな足さばきへの貴重な示唆を与えたに違いない。パッサカリアの手鍵盤パートには、オルガンには似合わないブロークンコードが含まれており、ギターやリュートのアンサンブルを思わせる。

  1901年、クロード・ドビュッシーはこの様に述べた。

  「バッハの音楽においてひとを感動させるのは、旋律の性格ではない。その曲線である。また往々にして、幾つかの併走する線の運動体だ。それらの線の出会い(アラベスク)が、偶然であるにせよ必然の一致にせよ、胸を打つ。 Dans la musique de Bach, ce n'est pas le caractère de la mélodie qui émeut, c'est sa courbe ; plus souvent même, c'est le mouvement parallèle de plusieurs lignes dont la rencontre, soit fortuite, soit unanime, solicite l'émotion.

c0050810_2351421.jpg  演奏している姿をなかなか生で見ることのできないオルガニストの存在。本日はそのテクニックを音だけでなく間近に目でも楽しんで頂ける。強弱の変化はもちろん、多彩な陰影を表出するクラヴィコードという楽器が、両足、左手、右手のために3台積み重なった。本日のような一つの演奏会でトリオ・ソナタ全6曲がペダルクラヴィコードで公開演奏されるということは我々の知る限り世界で初めてのことである。ついに大井浩明氏の手と足によって、ペダルクラヴィコードがオルガンの完璧な表現力を超え得ることを証明する日がやってきた。


  
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by ooi_piano | 2016-10-18 02:12 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)


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Hiroaki OOI - "Bach, ripieno di Pianoforte"
リサイタル・シリーズ 《ピアノで弾くバッハ》第8回(最終回)公演
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c0050810_23112799.jpg2015年1月17日(土)15時開演 (14時半開場)
タカギクラヴィア松濤サロン (東京都渋谷区松濤1-26-4 Tel. 03-3770-9611)
最寄駅/JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分
全席自由 前売3500円/当日4000円
使用楽器:NYスタインウェイ



c0050810_95641.jpg●J.S.バッハ:《音楽の捧げ物》 BWV1079 (1747) より
《王の主題によるカノン的労作》  ~ 無窮カノン - 二声のカノン〈求めよ、さらば与えられん〉 - 四声のためのカノン - 二声の蟹行カノン - 二声の反行カノン - 二声の拡大・反行カノン〈音価が増す如く王の幸いもいや増さんことを〉 - 二声の螺旋カノン - 二声の同度カノン - 上五度のカノン的フーガ

●J.S.バッハ:《フーガの技法》 BWV1080 (1742/50) より
  コントラープンクトゥス・プリームス(対位第一) - コントラープンクトゥス・セクンドゥス(対位第二) - コントラープンクトゥス・テルティウス(対位第三) - コントラープンクトゥス・クァールトゥス(対位第四) - コントラープンクトゥス・クィーントゥス(対位第五) - コントラープンクトゥス・セクゥストゥス ア・クヮットロ イン・スティーロ・フランチェーゼ(対位第六、四声、フランス風) - コントラープンクトゥス・セプティムス ア・クヮットロ ペル・アウグメンターティオーネム・エト・ディーミヌーティオーネム(対位第七、四声、拡大と縮小による) - コントラープンクトゥス・オクターウス ア・トレ(対位第八、三声) - コントラープンクトゥス・ノーヌス ア・クヮットロ アッラ・デゥオデキマ(対位第九、四声、12度による) - コントラープンクトゥス・デキムス ア・クヮットロ アッラ・デキマ(対位第十、四声、10度による) - コントラープンクトゥス・ウンデキムス ア・クヮットロ(対位第十一、四声)

c0050810_2324249.jpg○杉山洋一:《間奏曲第IX番「スーペル・パッサカリア」》
 ~ウェーベルン:管弦楽のための《パッサカリア(主題と23の変奏) ニ短調》作品1に基づく/大井浩明に献呈 (1908/2013、委嘱作品・東京初演)


  (休憩15分)

●J.S.バッハ:《音楽の捧げ物》 BWV1079 (1747) より
《三声のリチェルカーレ》+《六声のリチェルカーレ》

●J.S.バッハ:《フーガの技法》 BWV 1080  (1742/50) より
  コントラープンクトゥス・インウェルスス・ドゥオデキムス ア・クヮットロ フォールマ・インウェルサ(転回対位第十二、四声、倒立形)~フォールマ・レクタ(同、正立形) - コントラープンクトゥス・インウェルスス ア・トレ フォールマ・レクタ(転回対位、三声、正立形)~フォールマ・インウェルサ(同、倒立形) - カノーネ・ペル・アウグメンターティオーネム・イン・コントラーリオー・モートゥー(拡大反行のカノン) - カノーネ・アッラ・オッターヴァ(8度のカノン) - カノーネ・アッラ・デキマ イン・コントラプント・アッラ・テルツァ(10度のカノン、3度の対位による) - カノーネ・アッラ・デゥオデキマ イン・コントラプント・アッラ・クィンタ(12度のカノン、5度の対位による) - フガ・ア・トレ・ソッジェッティ(三主題のフーガ)

お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休)
info@okamura-co.com http://okamura-co.com/ja/events/piano-axis/
※タカギクラヴィアに直接チケットを申し込むと、隣接のカフェ
http://www.cafetakagiklavier.com/cafe_f.html)のドリンク券がつきます。




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c0050810_9582028.jpg  「ピアノでバッハをどう弾くか」については、前回(第7回)のプログラムノーツ(http://ooipiano.exblog.jp/22307449/)でほぼ言い尽くしました。モダン側と古楽側は、結局は別々に棲み分けるのが大人の現実でしょう。モダン側の歩み寄りに期待しても、どうやら百年河清を俟つが如し。以下、本シリーズを終えるにあたり、下世話に噛み砕いたQ&Aなど。

■リサイタル・シリーズ 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》
 第一回 2012年4月21日(土)平均律クラヴィア曲集第1巻(全24曲)
 第二回 2012年7月28日(土)平均律クラヴィア曲集第2巻(全24曲)
 番外編 2012年11月3日(土)シュトックハウゼン:自然の持続時間(全24曲、東京初演)
 第三回 2013年4月20日(土)パルティータ全6曲
 第四回 2013年7月27日(土)ゴルトベルク変奏曲、フランス序曲、イタリア協奏曲
 第五回 2014年1月25日(土)イギリス組曲全6曲
 第六回 2014月4月19日(土)フランス組曲全6曲
 第七回 2014月7月19日(土)インヴェンションとシンフォニア(全曲)、最愛の兄へのカプリッチョ、半音階的幻想曲とフーガ、4つのデュエット他
 第八回 2015年1月17日(土)フーガの技法(全曲)、音楽の捧げ物



c0050810_9594666.jpgQ. チェンバロって聴いてて面白くない。表現力がある楽器とは思えない。淘汰されて当然。

A. まずは、チェンバロのフタの中に頭を突っ込んで、超至近距離で聞いてみましょう。勿論、そこそこ上手い奏者にお願いしなければなりません。
  演奏者数の裾野が比較にならないほど広いぶん、「面白げな演奏する人がいる」ことでは、ピアノがチェンバロに圧勝するのは当然です。もしかして、チェンバロ界から超絶イケメンの天才的スターが2~3人輩出したら、一気に膾炙が進むかもしれません。
  表現力・・に関しては、なにせ聴き手が21世紀の人なので、水掛け論になります。敢えて公平に言うならば、「チェンバロによる平均律の演奏は、ピアノによる平均律の演奏と同じ程度につまらない」(それぞれ理由が違う)。ピアノによるバッハ演奏を聞く気が起こらない主な理由は、「ピアニストが弾いてるから」です。ピアノが弾ける古楽器奏者の演奏なら、聞く気は多少起こるかもしれません。
  インヴェンションとコラール・パルティータ(BWV 767)をモダンピアノで弾いてみて、前者は平気なのに後者では吐きそうな嫌悪感を覚えました。これは、「ピアノによるインヴェンションの演奏」をたまたま聞き慣れていたためであり、一方コラール・パルティータはオルガンでしか弾いた(聴いた)ことが無かったからだと、あとで気付きました。慣れとは恐ろしい。
  「危うく淘汰されかかった」名曲は枚挙にいとまが無いので(例:マタイ受難曲)、淘汰されたから駄目、という話ではありませんね。
  

c0050810_1002870.jpgQ. モダン楽器より古楽器のほうが良いに決まってる、と上から目線で言われてムカつく。古楽奏者なんて負け組のくせに。どうせ就職用か論文用に齧ってるだけでしょ。

A. 私が尊敬するモダン楽器奏者(や指揮者)でも、古楽器に手を出さない(あるいは否定的な)方は一定数おられますので、これは音楽的才能の多寡とは関係ありません。例えばブーレーズ。
  古楽奏者側にちらほら訊いてみると、自分たちの「センス」をモダン側に誇示する気も無いし批判しようとも思わない、ただ、揚げ足取りをされたり政治的圧力をじんわりかけてくるのが面倒臭い、という程度の無関心のようです。
  ピアノに対するチェンバロの音色の絶対的優位を私が確信したのは、チェンバロに本腰を入れてから5年後でした。これは、クセナキスの真っ黒な譜面を平気で練習し続けられるようになるのに要した期間とほぼ同じです。いきなりそれらが出来る方々もいらっしゃいますが、私には無理でした。あたらしもん好きの直感が肉体的生理と結びつくのに、それくらいの時間がかかる場合もある、という事です。


c0050810_1013849.jpgQ. 今までモダン楽器で慣れ親しんできた奏法も全否定されてムカつく。

A. モダン奏法と古楽奏法の音楽作りの手立ては80%くらいは重なっています。モダン奏法でも「第1拍が最も重要」という原則は共有されている筈ですが、これを徹底するのが古楽奏法の第一歩です。モダン奏法の中でも、「ロシアの人たちはクレッシェンドをデクレッシェンドに、デクレッシェンドをクレッシェンドにしたがるからねえw」、と云った、下衆な演出法への揶揄は存在します。
 全否定・・というのは、クラシック音楽の故郷であるバッハとモーツァルトを古楽側が占領しかけているからでしょう。曰く、「あたくしはあたくしのバッハを弾きますから!」。そうは言っても、古楽器側だって「どうしてもグールドのテンポで弾きたい」とゴルトベルクで自爆する事もあるわけですから、お互い様ですね。



c0050810_1022876.jpgQ. 昔の演奏が本当はどうだったかなんて誰にも分からないし、しょせん想像上のものに過ぎないのに偉そうに言うな。歴史修正主義だ。

A. もしロラン・バルトがあと3年ほど長生きして、「グレン・グールドは死んだ、古楽器万歳!」なる短文でも遺していれば、このような「耳を疑う」言説は前世紀のうちに消尽していた事でしょう。近代批判をしたいんだったら、まずモダンピアノを弾くのをやめましょう。
  300年前どころか、つい50年前のことさえ「修正」は余儀なく起こるものです。シュトックハウゼン曰く、「私の作業部屋には古いグロトリアン・シュタインヴェーク(Grotrian-Steinweg)のグランドピアノがありました。その楽器のサウンドには莫大な共鳴音が、特に高音域にありました。たまに私は頭を弦の上にとても近づけて、そしてグランドピアノの内側で聴いたものを幾つかの作品に作曲しました。後に、そのような作品が普通のスタインウェイ(Steinway)のグランドでコンサート・ホールで演奏されたとき、私が作曲しながら聴いていたものはもはや少しも聴こえませんでした。私の聴いた信じられないほどに美しい倍音は、古いシュタインヴェークよりも弦がきっちりと締められたコンサート・スタインウェイからはもう出てこないのです。現在のグランドピアノは大ホールのために造られているため、アタックが硬くて、高音域での共鳴音が充分に長くはありません」。 (http://www001.upp.so-net.ne.jp/kst-info/linerNotes/CD42/Klaviermusik1992.html


c0050810_1032872.jpgQ. チェンバロ・オルガン・クラヴィコードを弾きたいが、どうやって始めれば良いか分からない。買うと高そうだし置く場所も無いし。チェンバロやフォルテピアノっつったって、色んな種類があるんでしょ。今更やってられない。

A. 所沢市民文化センターミューズの市民向けオルガン教室(http://www.muse-tokorozawa.or.jp/news/boshu/museschoo/)のような場がもっと広がれば良いなと思います。
  お近くのチェンバロ工房を検索して、レンタル楽器を問い合わせてみましょう。都内の工房でも、全国に出張することもあるようです。ヨーロッパの音大ならタダで弾き放題・習い放題ですが、日本だとある程度の出費と時間を覚悟しなければなりません。あと10年ほど生きる予定があり、バッハとモーツァルトが好きならば、まずはクラヴィコードをお勧めします。調律はスマホのアプリで十分です。
  チェンバロの響きに少し親しんだあと、最終的にピアノに戻る、ということなら、YAMAHAクラヴィノーヴァのチェンバロ(やオルガン)の音色でも、何がしかを学べると思います。電子チェンバロでさえ、タッチで明瞭に「音色」は変えられます。電子楽器だと、調律法も簡単に色々試せるのは捨て難い長所です。



Q. チェンバロを始めるなら、ピアノには2年間触るなと言われた。やってらんない。

A. バッハの時代でも、非常に重い鍵盤のパイプオルガンの練習を、非常に軽い鍵盤のクラヴィコードで行っていたわけですから、必ずしもピアノを中断する必要はありません。


c0050810_10452.jpgQ. 何かお勧めの入門書とかありますか。

A. 18世紀音楽の奏法に関する三大教科書は、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ《正しいクラヴィーア奏法》、レオポルト・モーツァルト《バイオリン奏法》、ならびにヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ《フルート奏法試論》(それぞれ邦訳あり)ですが、これらを熟読しても、そうすんなりと実践へは移せません。ギーゼキングやコルトーの奏法本を眺めただけでは、ピアノがすらすら弾けるようにはならないのと同様です。こういったテクストは数百年前から存在し不易であるにもかかわらず、古楽演奏の現場ではおおよそ五年毎のヴァージョンアップ(試行錯誤)が重ねられています。
  現代日本の特にモダン楽器奏者にとって、様々な文献の記述を項目別に整理した橋本英二「バロックから初期古典派までの音楽の奏法」(音楽之友社)(http://www.amazon.co.jp/dp/4276140307)は、入門書として最適でしょう。これを少しずつ読み進めながら、チェンバロやオルガンで目の前で実演してもらうのを盗むのが、一番手っ取り早いアプローチ法だと思います。幾つかのスタイル(試行例)に慣れたら、あとは自分で自由に開拓してゆけば宜しい。
  古楽といえば、作品の成立経緯や使用楽器・エディション、調律法といったトピックに興味が集まりがちですけれども、バロック以降のすべての音楽に刺身包丁として利用出来るのが、いわゆる音楽修辞学(Rhetorik)です。トラヴェルソ奏者・有田正広氏のDVD「17~18世紀のついて音楽演奏法について」(全10巻、(株)村松楽器販売)(http://www.muramatsuflute.com/news/201008arita.html)は語り口も洒脱で、ピアニストが見ても全く飽きません。


c0050810_1045192.jpgQ. 古楽器なんて時間もカネもかかりすぎるし、商売に使えるようになるとも思えないし、今さら古楽の連中などに頭を下げるのは真っ平だ。もっとお手軽に、すぐピアノ演奏に役立つ、ソレっぽいアドバイスが欲しい。アーティキュレーションってどうやって決めてんの?

A. 声に出して歌ってみて確認、というのが原則です。跳躍があるなら自然と少し切れるし、順次進行ならつながる。我々が口でしゃべっているリズムは等速のようにみえて不規則な緩急があるし、声の大きさも微妙に変化しています。完全にべたべたのレガートや、全部ばらばらのスタッカートでしゃべる人がいないように、その中間の「ノン・レガート」には無限の階梯がある。それを鍵盤上で真似てみる事。スタッカート(点)とレガート(棒)のみの順列はモールス信号です。上記の音楽修辞学から導かれる、当時のお約束パターンも活用出来ます。



c0050810_1053775.jpgQ. ペダルは踏んでいいの?

A. 本シリーズ全8回でバッハ主要作品は一通りチェックしましたが、ペダルが無いと弾けない箇所はありませんでした。
  ペダルについては、幾つかの複合的な要因が絡み合っています。まず、上記アーティキュレーション法に慣れ親しむと、「レガートの指使い」は不必要であり、よってフレーズ毎に連続親指あるいは連続小指等などを頻用しても問題ない事に気付きます。これが第一段階(音楽上の問題)。指使いはシンプルになり、よって弾き易くなりますが、モダンピアノではついつい重い鍵盤を上から押さえ込んでしまい、ポジション移動時などに「鍵盤から指を引っぺがす」ために、不用意なアクセントが付きがちです。これが第二段階(技術上の問題)。打鍵と離鍵の相即相容については、チェンバロやクラヴィコードのような軽い鍵盤である程度慣れてからでないと、やりにくいかもしれません。
  べったりペダルを使ってバッハを弾く若者に、「流石に21世紀でそこまでべったりな人っているかなあ?」と恐る恐る訊いたところ、ポリーニ、と即答されて絶句しました。ポリーニ様は果たして、イタリア語では余程ざあます調のモルト・レガートでしゃべるのだろうか。あれほど素晴らしいピアニシモのコントロールが出来る天才が、ザルツブルクでチェンバロを3台も破壊したのはなにゆえか。


Q. トリルは上から?

A. 上からもさることながら、寸詰まりの痙攣になるくらいなら、装飾は全部カットしても構いません。「電気的に速く弾くな、色々変えろ」、とはモダンピアノの教本でも見かけましたよ。


c0050810_106287.gifQ. フーガとかのテーマはどれくらい大きく弾くの?

A. チェンバロと違ってクラヴィコードでは音量が変えられる、と言っても、モダンピアノに比べればその幅は微々たるものです。要するに音数と音量が比例しているわけです(cf.BWV867)。また、チェンバロ・クラヴィコードともに、高音域にくらべて低音域は豊かな音色と音量を誇ります。
  テーマは「そこにある」事が頭で分かっていれば、ことさらに音量差をつけなくても聴き手には伝わると思います。モダンピアノ奏者ながら、私のイタリア人師匠は「全ての声部が聞こえる事」が好きでした。低音を薄く弾かないと上手いと思ってもらえない、という呪縛は、彼と無縁でした。曰く、「マウリツィオのバッハはソプラノ声部しか聞こえてませんでしたよ」。
  減衰の早いチェンバロやクラヴィコードでは、全体の風景がすっきりと見渡しやすいのに対し、中音域で込み入った複音楽(平均律など)はピアノには不向きでしょう。先だって久々に聴いたマラ5自作自演のピアノロールで、「バッハ好き」を標榜するカペルマイスター氏が、少なくともピアノ演奏中は3声さえ聞き分けられていないのには愕然としました。
  強弱表現、という点では、バッハの譜面をやたらと「管弦楽化」したがる(=退屈さを恐れている)のも、蛇を画きて足を添うが如し。例えばゴルトベルク変奏曲で、「1段鍵盤で」「2段鍵盤で」「1段あるいは2段鍵盤で」という注釈と、各々の曲想はどう連関しているか。


c0050810_107672.gifQ. バッハを弾く際に、お勧めの録音を教えて下さい。

A. ありません。
  「アルゲリッチのシューマン《幻想曲》のテンポルバートの良さを理解して真似してる俺って凄くね?」というアマチュア大学生に、プロなら鼻白むでしょうが、世のバッハ演奏はそのたぐいのグールド劣化コピー版あるいはレオンハルト物真似版が多過ぎる。
  21世紀の「意識の高い」ピアニストが大昔のレオンハルトの録音を真似する奇態はさておき、若手チェンバリストまでが下駄の雪に甘んじているのは如何なものか。パルティータ4番のアルマンドやらコントラプンクトゥス第10番をやたら遅く弾く奴がいるのはレオンハルトの録音由来、とは、レオンハルト弟子から教えてもらいました。レオンハルト自身は日々進歩を続けたのに、師事した弟子、あるいは録音をお手本にする若手は、ある時点で凝固したままであると。
  ついでながら、先駆者としての氏には満腔の尊崇を捧げるものですが、個人的にはチェンバロでもオルガンでも氏の演奏を面白いと思ったことは一度もありません。恐惶謹言。


Q. 最後に何か一言・・

A. 短調で音符の少ないパッセージを、おセンチにめろめろ葬式みたいに弾いてる御前! ああ感受性豊かね、って褒めて欲しいか~?(遠藤ミチロウ)


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by ooi_piano | 2015-01-08 21:07 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

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リサイタル・シリーズ 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第7回公演
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2014年7月19日(土)15時開演 (14時半開場)
タカギクラヴィア松濤サロン (東京都渋谷区松濤1-26-4 Tel. 03-3770-9611)
最寄駅/JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分
使用楽器:NYスタインウェイ

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c0050810_9521135.jpg■《おお神よ、慈しみ深き神よ》による様々なパルティータ BWV 767 (1703)
  Partita I - II- III- IV - V- VI - VII - VIII - IX

■カプリッチョ 変ロ長調 《最愛の兄の旅立ちにあたって》 BWV992 (1704)
  I. Arioso - Adagio 兄の旅立ちを引き止めようとする友人たちの甘い言葉 - II. (Andante) 異国で出会うであろう様々な出来事の想像 - III. Adagissimo 友人たちの嘆き - IV. (Andante con moto) 引き止め切れないと知った友人たちがやってきて別れを告げる - V. Aria di Postiglione 郵便馬車の御者のアリア - VI. Fugue 郵便馬車の角笛をまねたフーガ

■トッカータ ハ短調 BWV911 (1710)

■半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903 (1719)

■二声のインヴェンション BWV 772-786 (1723) [全15曲]
  I.ハ長調 - II.ハ短調 - III.ニ長調 - IV.ニ短調 - V.変ホ長調 - VI.ホ長調 - VII.ホ短調 - VIII.ヘ長調 - IX.ヘ短調 - X.ト長調 - XI.ト短調 - XII.イ長調 - XIII.イ短調 - XIV.変ロ長調 - XV.ロ短調


(休憩15分)


●H.ラッヘンマン《ニ短調インヴェンションBWV 775への第三声》(1723/1986)

■三声のシンフォニア BWV 787-801 (1723) [全15曲]
  I.ハ長調 - II.ハ短調 - III.ニ長調 - IV.ニ短調 - V.変ホ長調 - VI.ホ長調 - VII.ホ短調 - VIII.ヘ長調 - IX.ヘ短調 - X.ト長調 - XI.ト短調 - XII.イ長調 - XIII.イ短調 - XIV.変ロ長調 - XV.ロ短調

■《われらみな一なる神を信ず》によるフゲッタ(小コラール) BWV 681 (1739)

■《天にましますわれらの父よ》(初期稿による小コラール) BWV 683a (1739)

■4つのデュエット BWV 802-805 (1739)
  I.ホ短調 - II.ヘ長調 - III.ト長調 - IV.イ短調
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●お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com http://okamura-co.com/ja/events/piano-axis/

※タカギクラヴィアに直接チケットを申し込むと、隣接のカフェ(http://www.cafetakagiklavier.com/cafe_f.html)のドリンク券がつきます。

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c0050810_1014090.jpg  もしインターネット掲示板のYahoo知恵袋に古楽部門があったら、もっとも閲覧数を集めるQ&Aは、「バッハをピアノでどう弾くか」、という設問かもしれません。
  現代のピアノは洗練の行き着く先とも言えるし、末生りのカボチャとも言えます。昨日の淵を今日の瀬としていた息子たちに、父バッハが「私とともに歩まぬ者は私に背く者である」(ルカ第11章/マタイ第12章)、と色を作(な)したとは思えません。
  一方、モダンピアノ奏者が古楽器を弾くと、指先から出て来るのは所詮モダンピアノの音であるのも事実です。すなわち、奏者の頭の中で響いている音が指先からこぼれ出すだけなので、最終的にはインターフェースが何であるかは問題ではありません。私は現代作品を手がける者として、作曲様式に対応する演奏様式の取捨選択には、出来る限り敏感でいたいと思っています。恐ろしいことに、それは「聞けばすぐ分かる」ことですから。


c0050810_102128.jpg  昨今、「古楽アプローチ」というと、表現上でのある種のバイアスを意味することが多いようですが、本来は「自分の頭で考えてみよう」、というムーヴメントなはずです。古物営業法違反の疑いで逮捕されるならともかく、実体の無い「正調お古楽」の名取を目指して精進するのも空しい限りです。
  実のところ、モダン奏法と古楽奏法の音楽作りの手立ては80%くらいは重なっています。いわゆる《良い趣味 bon goût》と呼ばれる規範にしても、そもそも実態は同定不能ですし、恐らくモダン奏法内での個性差を大きく超えるものではありません。
  バッハ次男・モーツァルト父・クヴァンツ等の教則本、あるいは類似の指南書を読んで、いきなり実践へ移すのには無理があります。ギーゼキングやコルトーの奏法本を読んだ「だけ」で、ピアノが弾けるようにはならないのと一緒です。取っ掛かりとしては、口頭で目の前でやってもらうのを盗むのが一番早い。幾つかのスタイル(試行例)に慣れたら、あとは自分で自由に開拓してゆけば良いでしょう。

c0050810_9545467.jpg  古楽奏法の最大の長所は、バッハやモーツァルトと一応、「直通電話」がつながることです。彼らが何を喋っているかすぐには理解出来なくても、余計な通訳やら執事やらを介していないだけで、どれだけ無駄な遠回りを省ける事か。楽譜だけを見ていれば良い、と分かると、他人のアドバイス・演奏・録音に頼る気は失せます。楽譜と自分の成長・変化が直接リンクするので、「配られたカード」の優劣にやきもきする事なく、余計な「個性」の演出にも煩わされずに済みます。(その結果がマーケットに乗るかどうかは別問題。)
  すぐ分かる人、少々時間がかかる人、色々ですが、「年を食ってるから手遅れな人」はいません。古楽といえば、作品の成立経緯や使用エディション、調律法といったトピックに興味が集まりがちですけれども、いわゆる修辞学に代表されるtipsは大変便利で、バロック以降のすべての音楽に応用出来ます。かつては入手しにくかった初版ファクシミリも、ここ数年はimslp等で容易に閲覧・ダウンロードできるようになりました。音大で古楽器は必修副科にすべきと思いますが、まだまだ「政治」の敷居は消えていないようです。これも最終的には、学ぶ側のやる気次第です。


  では今、バッハでは現代楽器か古楽器、どちらを選びますか、と問われれば、個人的には、音色の絶対的優越性から後者を採ります。天然鯛を捨てて養殖ティラピアを好む人はいないでしょう。「ピアノとチェンバロ、音色が華やかで美しいのは?」とピアニストに質問したら、100人中100人がピアノと答えるでしょうが、残念ながら、正解はチェンバロです。「チェンバロのほうが音色が美しい」、という直感的な皮膚感覚を得るのに、私は5年ほど要しました。私の耳の悪さのせいか、チェンバロやオルガンに加え、ヴィオラダガンバやバロックリュート等も嗜んだあと、やっとその境地へ到達した次第です。
c0050810_9574627.jpg  さて厄介なことに、クラヴィコード・オルガン・チェンバロでバッハのクラヴィア曲を一通り学んだあとでも、ピアノでバッハを弾けるようになるとは限りません。交差弦の濁った鈍重な響きは、泥酔したデヴィ夫人が入れ歯をはずしてわめいているようなもので、何らかの「翻訳」を余儀なくされます。この翻訳作業は、歴史上存在し得なかった骨折り損に他ならず、それをいきなり押し付けられるピアノ初学者が、バッハ嫌い・ピアノ嫌い、ひいては音楽嫌いになるのも無理はありません。
  不幸にも、現代日本でバッハ演奏に最も使われる楽器がモダンピアノであるのも避けがたい現実ですので、ひとまず「翻訳」手続きについて整理していきしょう。かつてエマヌエル・バッハは、「クラヴィコードが上手く弾ける人はフリューゲル(チェンバロ)もうまいが、その逆は有り得ない(aber nicht umgekehrt.)」、と喝破しました。これに倣って、「《インヴェンション》をチェンバロ・クラヴィコードで公開演奏出来る人は、現代ピアノでも《インヴェンション》を弾ける可能性があるが、その逆は有り得ない」、と、そろそろ言い切っても良いでしょう。すなわち、ピアノで演奏された全てのバッハのディスクは参考にならず、各人が自分自身の正解を見つけ出して行くしかない。《トッカータ集》や《最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ》のような初学者向きとされる作品でも、フレスコバルディ・フローベルガー・ブクステフーデ等の経験なしには、譜面の読み方さえ見当が付かないのでは無いでしょうか。
c0050810_1024074.jpg  言うまでもなく、バッハをピアノで弾くためには、ピアノの演奏技術に習熟しているのが大前提です。ペダル無しでバッハを弾きたい、と思ったときに、ペダル無しでピアノを弾けるテクニックを事前に持ち合わせている必要があります。「ピアノでバッハをどう弾くか」を示そうとして一流の古楽奏者がふにゃふにゃの指でモダンピアノをまさぐり失笑を買うのと同様に、ピアニストがチェンバロを弾いた際、ささくれたタッチと音色に自分で気付くことはありません。耳は指に騙されるのです。


  モダン楽器を使って、モダン奏法と古楽奏法を両立させている演奏家は、いるのでしょうか。
  います。オルガニストです。バッハ解釈で質問があったら、まずはオルガニストに訊くのが確実です。(同じ古楽奏者でも、チェンバリストはこの限りではないので、注意を要します。)残響豊かな聖堂でバッハを演奏するための、さまざまな発音法(打鍵/離鍵)や発話法(アゴーギク)は、オルガン学習ではいまや分かり易くメソッド化されており、「ピアノで弾くバッハ」に重要な指針を与えてくれます。
c0050810_9564158.jpg  へばりつく漆喰を振り払うのはあくまでも音響上のことで、指をばたばた上げ下げする必要はありません。リヒテル的レガート処理、グールド的スタッカート処理はもはや昭和の遺物であり、平成生まれは手を出してはいけません。オルガンを半年も弾いていれば、ダンパーペダルとおさらば出来るでしょう。長い音が重要な音であり、事前にその発声を準備すべし、強弱に頼らないアゴーギク表現は舌で転がして確認すべし、etcという程度の常識も、ピアノ業界では知られていないようです。
  もっとも、オルガンのタッチをそのままピアノの鍵盤に移行すると、音色がかっちんこっちんになる懼れがあります。最終的なタッチと音楽作りは、あくまでクラヴィコードが基本でしょう。《インヴェンション》や《フランス組曲》だけではなく、他のクラヴィア曲も頑張ってクラヴィコードで弾いてみると、ピアノでの「翻訳」作業に多くのヒントを得ることが出来ます。ピアノで弾いてはいけないバッハ作品の最右翼はゴルトベルク変奏曲でしょうが、一度無理矢理に一段クラヴィコードで弾いてみたところ、二段チェンバロだけに拘る必要は無いかも、と思えるようになりました。ポイントは、クラヴィコードをチェンバロ的にぶりぶり鳴らそうとするのではなく、あくまで静謐に、バロック・リュートと同様、自由に沈黙と行き来できる特性を生かす事です。

c0050810_1033682.gif  古楽演奏の要諦である拍節感の確保には、アーティキュレーションもさることながら、少なくとも数字(和声)が変わる瞬間に、バスとトレブルが良い音量バランスで明晰に鳴り響くことがポイントとなります。案外ピアニストがこれを嫌がるのは、メロディを前面に出すためにバスは出来るだけ薄く弾かないと、同業者から上手いと思ってもらえないからです。「ダンパーペダルが無い」「音量が小さい」のもさることながら、「低音域がデカい(高音域が薄い)」のが、ピアニストには耐えられないのかもしれません。
  複音楽でやたらと声部間でカメラをパンしたがるのは、ひとりピアニストだけの宿痾ではなく、オルガンでもリード管によるカントゥス・フィルムス(定旋律)がフルー管による他声部の「ツッコミ」を日陰へ押しやる悪習が残っています。ブーレーズ《第2ソナタ》(1948)序文に於ける、「すべての対位は等しく重要であり、主声部・副次声部の区別は無い」、という注意書きは、この慣行を揶揄したものでしょう。


c0050810_9585198.jpg  現在ピアノで弾かれるバッハ作品は、チェンバロやクラヴィコードの素早く減衰する音色を前提として音符が書かれています。古楽器に比べてピアノの音色は、立ち上がり(attack)がぼんやりしており、減衰(decay)が中途半端に遅く、減衰後の保持(sustain)は長すぎ、余韻(release)は短すぎます。このため、バッハの譜面に書かれている装飾音をピアノで「素敵に」響かせるのは、極めて困難です。もったいない限りですが、しばしば割愛を余儀なくされます。せめて音数を慎重に限定し、トラヴェルソやリュートのようにあどけない優雅さをもって添える程度にしないと、鍵盤に指をギュッと押し付けるやいなや、トリルが電気的に加速、音量までデカくなる悪循環に陥りがちです。ピアニストによる校訂譜などで、装飾記号をわざわざ32分音符などで書き直してありますが、勿論あれはガイドに過ぎず、真に受けてはいけません。モダン楽器でも、例えばトランペットやオーボエなどは適切な奏法で装飾を行っているのに対し、ピアノ・ヴァイオリン・フルートなどはしばしば2音の間を痙攣しているだけです。


c0050810_104924.jpg  大バッハ(あるいはフーガ等の楽式)に対して「身構えて」しまうのは、古楽奏者もモダン奏者も違いはありません。次男のファンタジアでは自由奔放に振舞っていたチェンバリストが、父バッハの平均律でがちがちに固まってしまう例は何度も見かけました。我々は日本人ですから、硬直したアーリア・モデルを恭しく踏襲する義理はありません。身の丈を忘れて高踏的に吟じ晦渋さを装えば、大作曲家への尊崇を表したことになるのでしょうか。ト短調シンフォニアやハ短調トッカータ(のアダージョ部)で、「だって涙が出ちゃう・・・」瞳を潤ませてみせるのも、あの精緻な対位法の綾取りにはふさわしくありません。
  そもそもバッハは、「聞けば分かる」ように明解に音符を書いています。例えばフーガ。声と声との雄弁な掛け合いによって、聴く者の中に何かを感応させる、という点では、つづまるところ漫才と一緒です。上岡龍太郎氏によると、「本当に面白い漫才は、1つのコンビに1本が普通、3本で一流。どんなに多くても5本が限度」。松本人志氏によると、「コントは30分でも思いつくが、本当に面白い漫才はどうやっても1ヶ月はかかる」そうです。バッハは、この作り込まれ練り上げられた「本当に面白い話芸」の台本を、次から次に書けた人でした。
  各曲の最初に出て来る旋律は「主題」と呼ばれ、これが漫才のボケにあたります。主題は、形を変えて何度も繰り返されます。世間に対して主題(ボケ)を分かりやすく解(ほぐ)すのが、対句(ツッコミ)です。逆に言うと、ツッコミを観察することによって、ボケに何を言わせたかったかを推定出来ます。フーガとは、面白い発想の話題に基づいて数人が雑談している光景です。声と声が「会話」をしている部分と、その間にある「ト書き」「余談(くすぐり)」部分の境目がはっきりしていなかったり、二人の声で一人、あるいは一人で二人の声を思わせる動きなどは、落語と一緒です。地味なお題(ボケ)の形を少しずつ変えながら、次から次へとネタを広げていくのは、まるで大喜利(おおぎり)(笑点)です。


c0050810_101633.jpg  拙ブログでは、大抵のトピックスについては延々と文字化作業を続けて参りましたが、例えば上記の「素敵な」「あどけない」装飾例など、チェンバロで目の前でやってみるに及(し)くはありません。個人レッスンも随時行っておりますので、ご興味の向きはメールフォームからお問い合わせ下さい。



――――――――――――――――――――――
【2012年度(終了)】
2012年4月21日(土)平均律クラヴィア曲集第1巻(全24曲)
2012年7月28日(土)平均律クラヴィア曲集第2巻(全24曲)
2012年11月3日(土)シュトックハウゼン:自然の持続時間(全24曲)
【2013年度(終了)】
2013年4月20日(土)15時 パルティータ全6曲
2013年7月27日(土)15時 ゴルトベルク変奏曲、フランス序曲、イタリア協奏曲
2014年1月25日(土)15時 イギリス組曲全6曲
【2014年度】
2014月4月19日(土) フランス組曲(全6曲) (終了)
2014月7月19日(土) インヴェンションとシンフォニア(全曲)、最愛の兄へのカプリッチョ、半音階的幻想曲とフーガ、4つのデュエット他
2015年1月17日(土) フーガの技法(全曲)&音楽の捧げ物

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【予告】 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》最終公演
2015年1月17日(土)15時開演  タカギクラヴィア松濤サロン
使用楽器:NYスタインウェイ

c0050810_22172280.png●J.S.バッハ:《音楽の捧げ物》BWV1079より
  《三声のリチェルカーレ》+《六声のリチェルカーレ》、《王の主題によるカノン的労作》~無窮カノン - 二声のカノン〈求めよ、さらば与えられん〉 - 四声のためのカノン - 二声の蟹行カノン - 二声の反行カノン - 二声の拡大・反行カノン〈音価が増す如く王の幸いもいや増さんことを〉 - 二声の螺旋カノン - 二声の同度カノン - 上五度のカノン的フーガ
●J.S.バッハ:《フーガの技法》BWV 1080 (全曲)
  コントラープンクトゥス・プリームス(対位第一) - コントラープンクトゥス・セクンドゥス(対位第二) - コントラープンクトゥス・テルティウス(対位第三) - コントラープンクトゥス・クァールトゥス(対位第四) - コントラープンクトゥス・クィーントゥス(対位第五) - コントラープンクトゥス・セクゥストゥス ア・クヮットロ イン・スティーロ・フランチェーゼ(対位第六、四声、フランス風) - コントラープンクトゥス・セプティムス ア・クヮットロ ペル・アウグメンターティオーネム・エト・ディーミヌーティオーネム(対位第七、四声、拡大と縮小による) - コントラープンクトゥス・オクターウス ア・トレ(対位第八、三声) - コントラープンクトゥス・ノーヌス ア・クヮットロ アッラ・デゥオデキマ(対位第九、四声、12度による) - コントラープンクトゥス・デキムス ア・クヮットロ アッラ・デキマ(対位第十、四声、10度による) - コントラープンクトゥス・ウンデキムス ア・クヮットロ(対位第十一、四声) - コントラープンクトゥス・インウェルスス・ドゥオデキムス ア・クヮットロ フォールマ・インウェルサ(転回対位第十二、四声、倒立形) ―フォールマ・レクタ(同、正立形) - コントラープンクトゥス・インウェルスス ア・トレ フォールマ・レクタ(転回対位、三声、正立形) ―フォールマ・インウェルサ(同、倒立形) - カノーネ・ペル・アウグメンターティオーネム・イン・コントラーリオー・モートゥー(拡大反行のカノン) - カノーネ・アッラ・オッターヴァ(8度のカノン) - カノーネ・アッラ・デキマ イン・コントラプント・アッラ・テルツァ(10度のカノン、3度の対位による) - カノーネ・アッラ・デゥオデキマ イン・コントラプント・アッラ・クィンタ(12度のカノン、5度の対位による) - フガ・ア・トレ・ソッジェッティ(三主題のフーガ) - コラール前奏曲《われ汝の御座の前に進み出で》
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by ooi_piano | 2014-07-17 09:37 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

※9年前、アルケミスタ・武田浩之氏のメルマガ用に執筆した文章のサルヴェージ第3弾です(未改訂)。この奏法論は、音量の小さいクラヴィコードをいかにチェンバロ的にブンブン鳴らし切るか、に主目的を置いているように思われ、現在では私は賛同しません。ただ、クラヴィコードのタッチに慣れる一過程としては有効かもしれません。



J.S.バッハによるクラヴィコード演奏法・教授法について

c0050810_2274131.jpg昨年末(2003年)スイスで行われた、ミクローシュ・シュパーニ氏の講習会に参加し、そこで筆者(大井)が『たまたま知るところとなったもの』(>J.S.Bachの言葉)を、御紹介したいと思う。以下の4つの部分からなる。主部は、(iii)のグリーペンケルルによる手記の部分であり、それ以外は補足に過ぎない。

(i) 前口上(大井)・・・・グリーペンケルルの手記[(iii)]本文の概説や、巷間のクラヴィコード奏法、近代的ピアノ奏法との比較などを行う。(ii)のシュパーニによる序文・脚注は、読者対象をクラヴィコード奏者に設定しているので、それに対する補足となっている。

(ii) 序文(シュパーニ)・・・・オランダ『国際クラヴィコード』誌へ(iii)が掲載された時(2000年11月)に、シュパーニが寄せた序文。グリーペンケルルの手記が書かれた経緯、内容説明など。(2004年6月17日更新)

(iii) 本文(グリーペンケルル)・・・・1819年に発表された、グリーペンケルルの手記の拙訳。これはもともと、「半音階的幻想曲とフーガ」の校訂版への序文として出版されたもので、まず「バッハ・タッチ」についての詳細な説明があり、そののちフォルケルによる「半音階的幻想曲」の演奏解釈について述べられている。(2004年6月21日更新)

(iv) 解説(大井)・・・・シュパーニの講習会に参加し、彼がどのようなタッチを行っていたかの目撃レポート。(iii)の本文はかなり明瞭に記述してあるが、理解の一助になれば。(2004年6月22日更新)

参考リンク http://www.clavichord.info/engl/linkeng.htm 



前口上(大井浩明)

1.この手記までの流れ

c0050810_2261899.jpg大バッハの長男W.F.バッハ(1710-84)、ならびに次男C.P.E.バッハ(1714-88)から直接情報を得た、伝記作者J.N.フォルケル(1749-1818/テュルクより一歳年長)に拠れば、大バッハは初学者にまず「彼独自の打鍵法を教える」ことに集中したと云う。すなわち、「全ての指がクリアで美しいタッチを習得するまで」、「ある種の練習課題をあてがい」、数ヶ月間続けさせた。そののち、この練習課題の音型を使った作品〜《6つの小プレリュード集》や《2声のインヴェンション》等〜へと教えを進めていった。フォルケルの弟子であったF.C.グリーペンケルル(1782−1849/パガニーニと同い年)が、1819年に出版した《半音階的幻想曲とフーガ》の校訂版への序文で、その実例について具体的に触れている。

シュパーニによる脚注にもあるように、この覚書は欧米のオルガン雑誌で、近年少なくとも3度(1983年に2度、1988年に1度)発表されている。しかしながら、オルガニストのみならず、クラヴィコーディストにもほとんど認知されていないらしい。

なお、このグリーペンケルルの弟子であるピアノ教師、E.エッゲリンク(1813-1885/ワーグナーと同い年)による、《初学者と上級者のためのヨハン・ゼバスティアン・バッハの流儀に基づく基礎的で迅速なクラヴィア演奏教育の手引きと研究》(1850)でも、このメソッドについての言及があると云う。

2.シュパーニ氏経歴

1962年ハンガリー生れのクラヴィコード奏者。もともとチェンバロ出身で、ブダペストで学んだのちインマゼールに(チェンバロを)師事。パリとナントの国際チェンバロコンクールで優勝。目下BISレーベルに、C.Ph.Eバッハの独奏作品ならびに協奏曲の全曲レコーディングを、クラヴィコードとタンジェント・ピアノで行っている。つい先日(2004年春)にもパリ国立高等音楽院でチェンバロとフォルテピアノを中心としたマスタークラスを行い、「バッハ・タッチ」についても触れたとのこと。

彼のクラヴィコード演奏は、タンジェントが決してビビらず音自体に安定性があり、豊かな響きと音量を持ち、またそれらから導かれる芯のある美しい音色と音楽作りが印象的であった。80人程度の聴衆のためのリサイタルを聞いたが、音量には全く問題が無かった(一説には、PA無しで300人でも鑑賞可能だと云う)。驚くべきことに、彼はクラヴィコード・チェンバロ・フォルテピアノ・スタインウェイを、同時に、しかも美しく演奏していた。

3.クラヴィコード講習会

c0050810_2282427.jpg講習会はC.Ph.E.バッハのクラヴィア作品がテーマだった。会場にはチェンバロ、フォルテピアノ、スタインウェイ・グランドピアノの他に、スイス・クラヴィコード協会の提供による新旧・大小6種類のクラヴィコードが陳列され、受講者は自由に楽器を選択することが出来た。また、クラヴィコードが描かれた当時の絵画多数も同時に展示されていた。シュパーニのリサイタルやレッスンで主に使用された楽器は、クリスティアン・ゴットロープ・フーベルト(18世紀後半)の専有弦型モデル(5オクターヴ)を、トマス・シュタイナー(バーゼル)がコピーしたものだった。なお、取り上げられたエマヌエル作品は、ソナタ集よりト長調Wq.50-2、ロンド・イ短調Wq.56-4、ト長調Wq58-1、ハ短調Wq.59-2、ニ短調Wq.61-2等々であった。

私(大井)の場合、最初に「自分はチェンバロ奏者であり、出来ればクラヴィコードのための『タッチ』が知りたい」と言ったため、一応作品は演奏したものの、3日間で数時間受けたレッスンは、事実上「タッチ原則」についてのトレーニング——グリーペンケルルの[譜例1]の如く、ひたすら人差指と中指で2音を弾くような——のみに費やされた。
以前はクラヴィコードを弾く時、高音域での小指や、和音の中声部を弾く中指などが、どうしてもビリつきがちであったが、これはトレーニング後に著しく改善された。また、このトレーニングを「ラクダのように」指先へ覚え込ませることは、チェンバロ演奏におけるタッチ制御、ならびに複数の鍵盤楽器間でのタッチの互換性について、後述のような示唆を与えることとなった。
講習会中に、「このようなタッチは、貴方のオリジナルなのか」と問うたところ、「これはグリーペンケルルの覚書に言及されているものだ」とシュパーニ氏は答え、後日その原文を送って下さった。

4.「バッハ・タッチ」の特徴

c0050810_2291384.jpg【1】「手を丸めて」、「指を鍵盤に垂直に立てて(小指は関節を伸ばして外側には傾けず、親指は軽く曲げて)」、「鍵盤の手前端を弾いて」、

【2】なおかつ、「指を高く上げずに小さな動きで」、「指の付け根と手首と肘は同じ高さで(手首が凹まないで)」、「肘や手首が硬くならずに」、等という指示は、ラモーやサンランベールやクープランの教本にも見られる、典型的な打鍵法である。4-3によるトリルや、2-3の繰り返しによる上昇音階などの「歴史的指使い」は、【1】のような「丸めた手」を前提にしている。

【3】また、J.S.バッハのクラヴィア演奏についてクヴァンツやフォルケルが描写したような、「打鍵ののち、指を鋭く曲げて、指先をキーの前部へ滑らせ、急激に引く」モーションは、エマヌエル・バッハ言うところの「シュネレン」に似ている。キー上に置いたおはじきを、指先で手前へ飛ばすような動き・作用であり、打鍵後に指を真上へ「持ち上げる」のでは無い。遅いパッセージにおいても、キーの手前方向へ「滑りあげる」こと。『バッハ・タッチ』においては、特殊効果としての「シュネレン」というよりは、次項(【4】)で述べる「指先がキーを手前へ引っ張っていた」結果の、事後的な慣性運動と捉えるべきだろう。

【4】以上に加えて、グリーペンケルルの手記は、「ゆるめた手・肘・腕から指先へ伝わる重みを、指先がキーを引っ張る力で支える(=すなわち指の根元が支点になっている)」、「指先へ伝わる重みは、ゆるめた肘によって、加減あるいは一定保持される」という、画期的な指摘を行っている。曰く、「腕からの重みと、指の弾力性の結合こそが、バッハ・タッチの要諦なのである」。クラヴィコードの発音原理上、「キーの底までしっかり弾く」タッチは最低条件であろう。こういった内的な「重みの移動」は、外からは見えないが、音質には如実に現れる。外見上は指先のみの、モショモショした動きである。

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上記の【2】と【4】を組み合わせて、手は丸めずに指を前方へゆったりと伸ばした弾き方が、1905年にブラウトハウプトが発表した近代的「重力奏法」と呼ばれるものである。[——しかし今でも、「指先がキーを引っ張る力で重みを支える」点については、言及されないことが殆どである。——]

クラヴィコード演奏に関してのこの『バッハ・タッチ』の利点は、なによりもまずタンジェントが安定するため、音程・音量・音色に関する諸問題が一挙に解決することである。これは、発音直後に、すみやかにキーを不動保持する状態へ持ち込めることに因る。【3】と【4】を両立させることが、『バッハ・タッチ』修得の第一歩となる。加えて、肩からの重みを利用しつつ指先を微細にコントロールするため、鍵盤の重みにタッチが左右されにくくなり、楽器間をある程度自由に往来することが可能となる。オルガノ・プレーノの重たいタッチなどとの互換性も念頭に置きながら、考案されたのかもしれない。

このようなタッチの発明が、逆にクラヴィコード製造そのものへも相互的に影響を及ぼした、というシュパーニの指摘は興味深い。クラヴィコードのみならず、時代を遥かに下ったモダン・ピアノにさえ、このタッチが適用出来る所以であろう。

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クラヴィコードでは、指で触れたとき出る音が小さく、タッチも軽いので、チェンバロ同様「鍵盤の戻りを感じながら」奏していると、どうしてもフニャフニャした「さぐり弾き」になりがちである。ここに、アフォーダンスの罠がある。もちろん「さぐり弾き」でも「それなりの音」は出るが、果たしてその音は「伸びがあり歌うような音」だろうか?

楽器そのものがその奏法や様式を教えてくれる、などということは、クラヴィコードにとってのJ.S.バッハ、あるいは電子楽器オンド・マルトノにとってのジャンヌ・ロリオがごとき、例外的偉才にのみ可能なのではないだろうか。シュパーニ氏のクラヴィコード演奏は、安定して表情・音量豊かな音を持ち、ダイナミック・レンジもモダンピアノと同程度に幅広いものであった。この楽器が、平均律クラヴィア曲集のような「複雑な」作品にも、十分対応出来ることが察せられた。

#もちろんこの指訓練課題は、なによりも「最初の2ヶ月」の初学者を対象としたものであり、指の形を保つ筋肉の「質」がしっかりすれば、基本形からどんどん離れて、指を伸ばし手の甲を下げ「撫でるように」弾いたり、あるいは、「引っ掻く」モーション無しに十分離鍵がコントロール出来たり、ということも考えられるだろう。指を立てようが伸ばそうが、脱力した手・腕の重みを活用する原則は変わらない。バッハがフリーデマンに与えた装飾音一覧表が、あくまで初学者のための教育目的の凡例集であるのと同様、音楽的要求に従って臨機応変に対処すべきであろう。

5.この文書の信憑性について

c0050810_2295038.jpg私はシュパーニ氏の弾いたクラヴィコード、チェンバロ、フォルテピアノ、スタインウェイの素晴らしい音色を実際に聴いたので、彼の提唱・賛同するこのグリーペンケルル・メソッドを信用する次第である。短期間のトレーニングで、タンジェントの安定性に成果が見られたのも事実である。覚書に残された、一見凡庸に見える幾つかの記述から、打鍵法という不定形なものを「復元」したシュパーニ氏の直観と努力には、頭が下がる。これこそ音楽考古学と呼ぶにふさわしい。

なお、この『バッハ・タッチ』はグリーペンケルル以降「絶滅」していたわけではなく、西洋音楽演奏の伝統の中で、細々とではあるが命脈はつないで来たはずである。例えば、私の師事したB.カニーノ(ピアノ)やDベルナー(チェンバロ)の演奏で、この「バッハ・タッチ」と似たような指の動きを見た記憶がある。

しかしそれは、彼らの本能的嗜好がたまたま導き出したものなのだろう。全ての指がクリアで美しいタッチを持つための、「『歴史的タッチ』の修得法」をはっきり言語化・メソッド化したものは、筆者の知る限り、このグリーペンケルルの覚書のみである。

それにしても、この基礎トレーニングの直後に、すぐさまインヴェンションやシンフォニアを弾かされた息子達や弟子達も、いい迷惑である。エマヌエルが《クラヴィーア奏法試論》で、くどいほど指使いパターンを挙げ、とっつき易いプローベシュテュックを多数付け加えたのも、頷ける。

6.本文の翻訳について

(III)の本文では、『バッハ・タッチ』訓練法の該当部分のみの抄訳も考えたが、「半音階的幻想曲」の奏法解説を含め、1819年という時点で書かれた興味深いドキュメントとして、全訳してみた。章付けは訳者によるものである。不備の御指摘など頂ければ、ウェブ発表の利点を生かして、どんどん改訂・加筆していきたいと思う。なお、多大な御教唆を下さった清水穣氏(同志社大学助教授)に、この場をお借りして御礼申し上げる。



(II) 《グリーペンケルルの手記による、ヨハン・セバスチャン・バッハのクラヴィコード演奏法》/
ミクローシュ・シュパーニ (訳:大井浩明)


〜オランダ『国際クラヴィコード』連盟誌 第4輯下巻(2000年11月)より〜

c0050810_2302542.gifバッハ・イヤーである2000年に、貴誌に何を寄稿すべきか色々迷った末、結論として、何より以下の文献をクラヴィコード奏者の皆さんに御紹介したいと思う。

フリードリヒ・コンラッド・グリーペンケルルは1782年に生まれた。彼は哲学と教育学を修め、生涯を通じて哲学・数学、ならびにゲルマン学の教鞭を執った。彼はオルガン等の鍵盤楽器も演奏したが、彼の名を不朽にしたのは、1844年9月にペータース社からバッハのオルガン作品集第1巻を出版したことだった。この世評高く入念な校訂版は、世界中のオルガニストに幾世代にも渡って使用された。一方、それを遡る1819年に、グリーペンケルルがバッハの半音階的幻想曲とフーガの単行譜を出版したことは、余り知られていない。その序文で、グリーペンケルルは、バッハ一門——すなわちバッハの息子や弟子、そして孫弟子によって注意深く保持されてきた鍵盤技術について詳述している。この序文は、バッハ自身が用い教えた鍵盤技術(特にクラヴィコードのための)の真正で根拠ある記述として注目される。実のところ、グリーペンケルルはフリーデマン・バッハとフォルケル〔注1〕を通して、バッハの孫弟子にあたるからである。フォルケルはフリーデマンと交友があり、レッスンを受けたことが確実視されている。グリーペンケルルによれば、フォルケルは「バッハ・タッチ」をフリーデマンに師事した。そして、グリーペンケルルはフォルケルからレッスンを受け、それを継承したのである。したがって、グリーペンケルルが半音階的幻想曲の校訂譜を公刊した狙いは、彼が耳にしたこの作品のフォルケルの演奏法を紹介するためであった。

もしグリーペンケルルの序文が真正で独自な情報を含むと認められるならば(それは後述するように、多くの傍証がある)、これこそバッハのクラヴィコード演奏法ならびに教授法についての、現存する最も重要な情報源であるのみならず、クラヴィコード奏法に関する史上最も重要な文献であると推定しても、やり過ぎでは無いだろう。次に受け入れるべきことは、グリーペンケルルがバッハのクラヴィコード技術について語っている内容である。

c0050810_231142.jpgこの文章を注意深く読めば、グリーペンケルルによって記述されているテクニックは、あらゆる鍵盤楽器にあてはまるが、しかし明らかに最も適当のはクラヴィコードだと分かる。グリーペンケルルの入念で詳細な記述を読めば、誰でもかなり容易に彼の語るテクニックに習熟でき、そして試してみればその効能がクラヴィコードに最も顕著であるとを認めるだろう。もし効果が現れたなら(効果があると私は言わせてもらうが!)、クラヴィコードがバッハお気に入りの楽器だった〔注2〕、というフォルケルの言葉の信憑性を受け入れるもう一つの理由(この理由は重要だ)を持つに至る!かくしてグリーペンケルルの文章は、一般に推察されるよりもずっと、フォルケルの記述全てが信用に価するものだと証明してゆく。その上、グリーペンケルルの文章は、フォルケルのバッハ伝記に見られるバッハの演奏技術の描写と全く一致しているのだ。

その計り知れない重要性と、近年に少なくとも3度にわたる公刊を経ている〔注3〕にも関わらず、鍵盤楽器奏者の間でグリーペンケルルの文章はあまり知れ渡っていない。バッハのオルガン作品集第1巻でグリーペンケルルは、半音階的幻想曲への序文やフォルケルの伝記を参照しながら、バッハのテクニックについて簡潔な描写を繰り返している。にも関わらず、オルガニストにもバッハ・タッチはほとんど知られていない。本稿を通じて、あらゆる鍵盤楽器奏者がこの決定的な典拠を知る機会を提供したいと思う。

グリーペンケルルはバッハのタッチを描写するだけではなく、それを実際に習得するためのメソッドを開陳している。「インヴェンション」発祥についてのフォルケルの言葉を、我々は幾度読んだことだろう。 《最初バッハは弟子たちに指の訓練課題を与えた。それは数ヶ月ほどの練習を要するものであるが、同時に、勉強をもっと面白くするために、訓練課題を元にした小品をバッハは作曲した》。グリーペンケルルの文章は、バッハの訓練が実際にどのようなものであったかを示す唯一の文献である。この手引きには、あきらかに鍵盤楽器教育に関する深い洞察力が見てとれる。また、実に迅速な進歩を保証するものだから、バッハ一門の信ずべき伝統との関連の、追加証明になると私は思う。バッハの音楽に必要なテクニックを得るために、ここまで明確で徹底的な手段を、バッハ本人以外の誰が示せるだろうか?

c0050810_232733.jpgこの本文を実行に移すことで、我々は本当にバッハ・タッチを習得出来るのだろうか?グリーペンケルルのメソッドは、少なくともその目標に数段階近づく可能性を与えてくれる。グリーペンケルルの訓練課題を試みるクラヴィコード奏者は、あるテクニックを達成することが出来るが、それは確実で信頼できるタッチを保証し、また美しくしっかりした音に結実するものである。私見では、このテクニックには個人個人によって微妙な変種が考えられるが、それは手の形がそれぞれ違うからであり、それはバッハの時代も同様であった。このバッハ・タッチを会得出来たバッハ一門の演奏家の数は知られていない。 しかし18世紀ドイツの鍵盤演奏技術へのバッハの巨大な影響は否定出来ない。18世紀後半に製作されたドイツのクラヴィコードの最も優れた雛型は全て、多かれ少なかれバッハ一門、あるいは少なくともザクセン=テューリンゲン地方の音楽的環境と遺産に関連付けられることは、驚くべき事実である。疑いなく、J.S.バッハが発展させ教えた打鍵法のおかげで、クラヴィコードという楽器が会得されその繊細さが十全に発揮出来るようになったため、クラヴィコードを称揚する多数の奏者が輩出した。

バッハこそは、中央ドイツにおけるクラヴィコード奏法(そして恐らくクラヴィコード製作についても)の父であった〔注4〕。

バッハの打鍵法は、その時代の演奏実践とは明らかに全く違っていたため、バッハが現代鍵盤楽器奏法の父であるという口頭伝承は、少なくとも部分的には本当だと言えそうである。 ここでは必要と考えられる幾つかの注釈を付けて、グリーペンケルルの文章をそのまま上梓する。注意深く研究しないと、本当に大事な点がハッキリしない書き方がしてある。折に触れ再読するたびに、さらなる情報が審(つまび)らかとなるだろう。文章の推移を用心深く分析されるよう、御忠告する。そして、良いクラヴィコードで試してみることが不可欠である。

添付した半音階的幻想曲のグリーペンケルル校訂版は、バッハの伝統による演奏実践について、多くのことを明らかにしている。この作品について、そしてその演奏についてのグリーペンケルルの見解は、非常に興味深い。にも関わらず、グリーペンケルル校訂版によってこの作品を弾く前に、最新の信頼すべき版を調べることをお勧めする。特に幻想曲において、グリーペンケルルの目的は原典資料に基づいた正確な譜面を提供すると云うよりも、フォルケルが演奏したそのままの似せ絵を再現することであった。それゆえ、このグリーペンケルル校訂版は、原典版ではなく、当時の演奏実践のドキュメントとしてのみ使用すべきである。今回割愛したフーガ部分については、事実上演奏に関する提言は含まれていない。また原典資料や、今日我々が「音楽学的に正しい」と呼ぶ版からは、細部において逸脱している。


【脚注/シュパーニ】

c0050810_233163.jpg[注1] ヨハン・ニコラウス・フォルケルは1749年に生まれ、音楽史家・理論家・作曲家・鍵盤奏者、そしてクラヴィコードの熱烈な守護者であった。彼のもっとも著名な出版物は、最初のバッハ伝記である、《ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯、芸術、作品について》であり、1802年にライプツィヒで出版された。

[注2] バッハのお気に入りの楽器がクラヴィコードであったというフォルケルの報告の信頼性は、何度も疑問視されてきた。しかし、W.Fr.とC.P.E.バッハ兄弟(フォルケルは彼らから情報を収集した)が自分達の父親について偽の肖像を描いたと仮定する理由はほとんどない(そのような事態はしばしば発生したが)。 J.S.バッハの偉大な息子の双方は、彼らの父親ならびに父親の成し遂げたものを崇敬していた。バッハの息子達が父親の音楽的遺産を拒否し、新しい技術と様式を頑固に採用したという伝説は、ロマン派時代の所産であり、息子たちにさえ異議をとなえられた、誤解されし天才としてJ.S.バッハを捏造している。 このことは後世のチェンバロ奏者たちに、フォルケルの報告を否定させ、クラヴィコードで弾くことを企てもしないうちに、バッハの音楽におけるクラヴィコードの重要性を否定させるに至った。(すまない、チェンバロ仲間たちよ。)

[注3] 
エヴァルト・コーイマン「バッハの鍵盤技術」 《オルガンHet Orgel》誌 第79巻、1983年第1号
エヴァルト・コーイマン「バッハの鍵盤技術に関する一つの史料」 《オルガン芸術 Ars Organi》誌 第31年次第1巻、1983年3月
クウェンティン・フォールクナー「J.S.バッハの鍵盤楽器に関するグリーペンケルル〜翻訳と注釈」 《アメリカのオルガニスト American Organist》誌 第22巻第1号、1988年1月、第63−65頁

[注4] 17世紀から18紀初頭までの小さな共有弦式のクラヴィコードでは、どっしり弦を張った大型の専有弦式の型で弾いた時に比べると、バッハ・タッチは余り明白ではない。バッハによる演奏技術の革新は、明らかに1720〜30年代のクラヴィコード製作の変遷への適切な反応であったし、おそらく相乗的にその変化へ新たな推進力を与えたのである。

(この項続く)
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by ooi_piano | 2013-10-11 02:34 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

《半音階的幻想曲の演奏に関する幾つかの所見》 F.C.グリーペンケルル

1.【はじめに】----------

c0050810_24271.jpgバッハ一門は、たとえそれが極めて難しいバッハ作品であっても、一門特有の打鍵法によってのみ到達出るようなレベルにおける、演奏の清潔さ、軽やかさ、そして自由さを追い求めている。この演奏法はフォルケルの小冊子「J.S.バッハの生涯、芸術、作品」に描写されているが、これはまことに本物の、かつ明快な手ほどきである。それゆえ、このやり方に真剣に取り組み、ガチガチの先入観で誤った方向へ遁走せぬような分別ある者ならば、演奏手本や口頭レッスンなしでも、完璧に修得が可能であった。この訓練の要旨は以下のとおりである。

2.【バッハ・タッチの原理】----------

手の仕組みは、つかむ、という動作に向いている。つかむとき、親指を含むすべての指は手の内側へ曲がり、手に潜在する強さと安定性は、この動きで最も発揮される。他のあらゆる種類の指の動きは不自然であるか、あるいは、指を曲げないまま打鍵する動作のように、付随する筋肉の大部分が使われないままである。それゆえつかむという動作に沿って手を動かすあらゆる運動は、手の自然なありように適っているため、容易に、自由に、確実に遂行できるはずである。

いま述べた手の仕組みは、鍵盤楽器の打鍵において最も顕著に活かされる。上鍵と下鍵[注:現在のピアノにおける黒鍵と白鍵]の2列が上下にずらされて並び、それぞれのキーは同じ幅と長さを持っている。しかし、指の長さは同じではない。まずはこの事実により、同一平面上に指先が揃い、各指が互いに等距離となってだいたい一直線上にくる箇所にまで指を曲げることが、必要となる。指先を完全に一直線上に揃えることは大抵の手にとっては無理がかかることであるから、指先の並びを少し円弧状にすることは有益でさえある。なぜなら、親指を例外として、弱い指というのは短い指でもあり、たいていの鍵盤楽器の仕組みでは、[指を曲げて]キーの手前側の端を弾けば、[てこの原理から]最も楽にキーが作用するのであり、[打鍵する場所が]キーの奥になればなるほどより多くの力が要るからである。それに対して、手をどの位置でも内側に曲げていき、各々の指が[キーの底を]を垂直に打鍵するようにし、そして指の根元の関節が決してへこまず常に手首・下腕・肘とともに直線をなすようにすると、この意図された動きには非常に有益であろう。

しかしながら、指によって強さと柔軟さが違うので、指を曲げるだけではない人為的補助が必要である。その補助無しには、たとえ最大限の努力で絶え間なく精勤したとしても、何人も薬指と小指が弱い、という自然の障害に打ち勝てない。J.S.バッハは補助として、手と腕の重みを利用することを考え出した。誰でも[指先に伝わる]腕の重みというものは、同じ強さを保持したり、あるいは全く意のままに難なく増減することが出来る。この重みを支えられないほど、指は弱いものではない。薬指と小指は、各指が本来持つ弾力性を活かしさえすれば、人差し指や中指と同じ強さで重みを支えることも、また同様に重みを鍵盤へ伝えることも出来る。 打鍵時における、手の重みと[指の]弾力性の最も深遠なる結び付きこそが、バッハ芸術における鍵盤演奏法で最も本質的なことである。[この文章が全文で最も強調されて印字されている]。これは以下のやり方で達成出来る。

3.【バッハ・タッチの第一歩】----------

c0050810_252688.jpgまず指を一本、キーの上に置き、[軽すぎず重すぎない]適切な腕の重みを「支え」として利用しよう。 硬直したり堅くなったりしないように、つねに指を引っ込められるつもりでいること。そのとき、引っ込めようという意図に対して、比較的強められた手と腕の重みがそれを妨げず、また逆に、指を引っ込めるために用いられる力が、腕の重みに対して弱すぎないようにして、指が遅滞なく手の中へ戻ることが出来るようにせよ。手首が指の付け根と同じ高さ、そして指の第2関節よりはかなり高い位置にあって不動状態を保ってないと、このポジションは不可能である。正しいポジションのためには、小指は関節を伸ばしてほとんどキーに直立し、親指は[内側に軽く]曲げられキー上に置かれる。と同時に、他のあらゆる部分の関節はゆるめられている[注5]。肘の関節は自由に解き放たれ、打鍵中でない他の[4本の]指は、最寄りのキーから約6ミリ(4分の1インチ)ほど上空に静かに待機している。 もしキーから指までの距離がもっと大きければ、望むべき静けさは失われ、有害で不必要な緊張が出てしまう。1番目の指の次に、2番目の指(どれでもよい)で打鍵しようとする時、2番目の指が1番目同様に、つかみながら[腕の重みを]支えられるような形になるように意識せよ。よって、2番目の指は打鍵する前に、すでに打鍵予定のキーの上空に一定の緊張をもって待機していること。それから、1番目の指に(記述したごとく)先だって働いていた支えの力を、最大速度とともに2番目の指に移すのである。そのためには、1番目の指を素早く弾力性をもって引っ込め[=シュネレン]、2番目の指を同じ重さでもってキーの上へ跳ね乗せるしかない[注6]。いま述べられた動作が、速度と正確さと繊細さをもって実践される限り、このやり方で発音された音は、地上的・肉体的な不自由さを持たず、あたかも大気のなかから自由に、聖霊がごとくに立ち現れたかのように鳴り響くであろうことは間違いない。しかし、この立ち現れ方こそが真の目的であり、演奏者の名技性に少なからず寄与するのだ。学習者がいま述べたやり方を、隣り合ったり離れたりしている左右両手の様々な指すべてで成し遂げられれば、そしてあらゆる考えられる変化形——強弱を変えたり、速くあるいは遅く、デタシェで弾いたりスラーにしたり[注7]でき、そしてそれが繊細さと確実性をもち、なんら不必要な肉体的努力をせずに済むようになるならば、彼はJ.S.バッハのタッチを手に入れているのだ。フォルケルが得たように、そして多くの人が彼から修得したように。

4.【種々の訓練課題】----------

初心者、あるいは熟達した者も、最も効率よくこの動作の練習を開始するには、以下のようにすること。

意図的な加圧や減圧無しに下腕の重みが機能するためには、最初は、肘の関節が全くゆるんでくつろいでなければならない。 このやり方で、各々の手で、様々な隣接する2音の練習を行う。

c0050810_14365136.jpg[譜例1]




c0050810_14372325.jpg[譜例2]




c0050810_14374350.jpg[譜例3]



まず人差指と中指の2本で始める。ゆっくりとそして素早く移動出来るまで必要なだけじっくりと続ける。そののち、親指と人差指、中指と薬指、薬指と小指の組み合わせで、同じ練習に取り組むが、その時、手のポジションを変えたり、長さの短い上鍵[黒鍵]で親指と小指を避けたりしないこと。ここで、人差指と中指に薬指を加え、以下のような上昇下降パッセージを。

c0050810_1438779.jpg[譜例4]


最初はゆっくり始め、それが努力無しに出来るようになれば、徐々に速くしてゆく。このようにして、親指・人差指・中指の組み合わせの他に、中指・薬指・小指も練習すること。指ごとのタッチの違いがもはや区別できなくなり、全てが完全に均等で独立しているように響くまで続ける。今度は薬指が必要な次の課題をさらうこと。

c0050810_14382417.jpg[譜例5]


親指・人差指・中指・薬指の組み合わせから始めて、それから人差指・中指・薬指・小指の組み合わせを。 そのあとに全5指のための次のような音型を。

c0050810_14384327.jpg[譜例6]


ほぼ全ての鍵盤流派に見られるように、移調も行うこと。長さの短い上鍵[黒鍵]の打鍵は、特別な練習が必要で、そのためには次のような音型を利用すること。

c0050810_14385942.jpg[譜例7]


最終的に全ての音階と分散和音で行う。 左手も[右手に]対応した指使いで同じ練習をすること。まず最初は左手だけで、それから右手と一緒に[注8]。


親指を使わず、残りの4本の指で練習しているとき、絶対に親指はキーの下にだらんと垂らしてはならず、キーの上空で打鍵を待機しているべきである。加えて、親指・人差指・中指の3指で練習中に、薬指と小指が空中へ突き上がっていたり、手の内側へ折り畳められたりすべきではない。 このような状況では、薬指と小指は同様にキーの上空に適当な距離をもって静かに待機しているべきである。

ここで述べられた練習を、下腕(肘から手首まで)の自然な重みと、まったく緩んだ肘の関節をもって行ったのちに、肘関節を使って加圧・減圧しながら、この重みを強くしたり弱くしたりすること。 最初は完全に同じ強さで、それから連続する音を徐々にcresc./decresc.する。大きくなり消えてゆく強度(フォルテとピアノ)のコントロールが、余計な努力無しに出来るようになるまで、そして特に指を打ちつけることなくフォルテが出せるようになるまで、これらの練習を続けること。

5.【訓練課題の次のステップ】----------

c0050810_261037.jpgこの準備課程を一通りをすませるには、初学者でも専心・熱心さ・才能に恵まれれば、2ヶ月を超える時間は要しないだろう。。引き続いて、J.S.バッハ自身による練習用小品が選ばれなければならない。なぜなら彼以外には僅かの作曲家しか左手に旋律線を割り当てていないからだ。もっとも適切なのは、インヴェンションの第1番と第6番である。その次に第12番、第11番、第5番が来る[注9]。また、半音階的幻想曲の32分音符の走句や、同種のものが援用されるべきである。学習者は自分が練習したいと思う各々の小品を、注意深く最初から最後まで見てみるべきであり、また最良の指使い、つまり最も快適な指使いについて熟考すべきであり、何物も偶然に任せてはならない。そしてその上で、最初から作品全体を難なく通して弾けるのが確信できるほどに、ゆっくりしたテンポで始めること。練習を続ければ、テンポは自然に速めてゆくことが出来よう。また、最初の作品の困難さがすっかり習熟されるまでは、次の曲へ急ぐべきではない。 この指示に従えない者は誰でも、疑いなく壁にぶつかっていたものだし、学習時間を倍増させ、自由さ・確実さ・自信をもって演奏する術を学ぶことはなかった。 加えるに、手の訓練を始めるにあたっては、フォルテピアノよりもクラヴィア[注10]が遥かに良い。なぜなら打鍵法の誤り全てがずっと容易に聞き取れるし、楽器よりも奏者に[結果が]左右されるからである。 [クラヴィコードから]フォルテピアノへ移行するのは全く難しく無い。というのは、フォルテピアノの打鍵法は[クラヴィコードと]同様でほとんど変更しなくてよい上に、不注意に弾いてもそれほど目立たないからである。これに異を唱える人は、おそらくクラヴィアを使い切れていないのだ、ただのフォルテピアノ演奏家が皆そうであるように。

学習者が、自らに課す音楽的訓練に真摯であり、J.S.バッハの全鍵盤作品について完全なる見識を得ることが不可欠だと思うならば、上級者向けの作品にいきなり取り組む前に、彼はまず初学者向けの傑作の全てを一通り学ぶことを決意すべきである。この初学者向けの作品群に分類されるものとして、なかんづく6つの小前奏曲集があり、その後に15の2声インヴェンション、そして15の3声シンフォニアが挙げられる。これら36曲すべてを同時に修得したものは誰でも、良い鍵盤奏者としての自信がつくだろうし、古今の鍵盤音楽でも歯が立たない曲はわずかだろう。J.S.バッハの4声と5声のフーガについては特別な準備作業を要するが、これにはバッハの4声コラールを入念で精巧にさらうことで切り抜けられる。

6.【メカニックから音楽へ】----------

この段階まででは、これで十分である。さて、我々はバッハ自身の打鍵法について語らねばならぬ。なぜなら精緻な演奏の追い求めるにはそれは欠くことが出来ないものであり、特に半音階的幻想曲とフーガにおいては、それ無しでは十分正確に演奏出来ないからだ。

打鍵法というものは、[言葉を]発音することにこそ比較出来る。美しい音楽的雄弁術のためには、演奏法のメカニズム全体を完全に制御した明晰さ・正確さ・確実性・容易さ以上のものが必要である。バッハの音楽作品の大部分は、あらゆる時代を通じて純粋な芸術的労作であるから、客観的に取り扱われねばならない。その演奏にあたっては、いかなる感傷性や気取り、流行、主観的・個人的なものは、一切行ってはならない。自らの心を芸術作品それ自体によって純粋に導かせる感受性も素養ももたずに、自分の感受性ないしその時代の[流行の]感性や表現法に、これらの作品は引き込む者は、誰でも間違いなく作品をゆがめ損傷するであろう。純粋に客観的な芸術表現は、しかし、なにより極めて難事であり、少数の者のみによって達成されないし理解されない。客観性の欠落は往々にして、美しい芸術作品への没頭から生じる、慎み深い理解と純粋な楽しみのかわりに、あやまった虚飾を発生させる[注11]。これら全ては、特に半音階的幻想曲について当てはまる。 この作品においては、現代のクラヴィア奏者が皆、自分の感覚に疑念を覚えるのも無理は無い。真の演奏の轍(わだち)にしっかり乗り入れるためには、表題ページに示されたとおりの伝統による幾つかの忠言を我慢して聞かねばならない。

7.【半音階的幻想曲のアルペジオ部】----------

c0050810_27162.jpgここで私は、我が至らなさが及ぶ限り、そして言葉と符号で可能な限りにおいて、その伝統を忠実に伝えようと思う。多言を割愛するため、ここに書かれていることを、理性をもって実践しようという全ての人に忠告しておくが、この校訂版を以前の版と一音符ずつ比べれば見出される異稿形は、思い上がった改竄としてではなく、連綿と伝えられてきた誠実な演奏を示唆するものとして、見なして頂きたい。


幻想曲の最初の2ページ、そして第3ページのアルペッジョ部まで[第1〜第26小節]は、音符が弾き潰れたりしない明瞭さと、揺ぎ無い和声感覚にもとづいて増減する濃淡をもって、一定の急速なテンポで、出来るだけ華麗にそして軽く演奏されなければならない。3連符に分割されたニ短調の和音を経た最初のアルペッジョへ移行する箇所だけはゆっくり開始し、アルペッジョを弾くための速さになるまで徐々に速くしてゆく。 他のアルペジオ部の間の経過句でも、同様である。

白い音符で書かれた和音によって示唆されているアルペッジョは、C.Ph.E.バッハの《正しいクラヴィーア奏法試論》によると、指を打鍵後もそのままにしておいて[=フィンガー・ペダル]、どの和音も2回上へ下へと分散させる、とある。しかしここでは例外的に、1回だけ上下させ、それぞれのアルペッジョの締めくくりの和音は一回上へ弾いて止めるほうが良い。指がキーを押さえ続けることは、レガートという言葉の追加によって示されている。言うまでも無いことだが、タッチは安定して繊細であり、また、速度と強さについては、明確な和声感覚による殆ど感知出来ないほどの漸次的変化を伴っており、そしてなかんづく和音の間は最大限に滑らかに連結されるべきである。和音の移り変わりについては、たいてい、先行する和音の、下から数えて最後から2番目の音から、次に続く和音の最初の音へと導かれるものである。しかしこれは常に必要なわけではない。先入観や軽率さに邪魔されることなく、これらのアルペッジョを学ぶ者なら、上記のようなことは全て、そしてさらに言葉で言い得る以上のことも、おのずと分かってくるものだ。白い音符のあいだに挿入された4分音符を見て、多くの人々は混乱するかもしれない。しかしここの解釈としてありうるのは一つだけであり、それによれば困難は何もないのだ。つまり、小節線は無視してよく、そして、この4分音符は、一つの音が変化した以外、その直前と全く同和音を繰り返すことの、短縮表現にすぎないのである。

8.【半音階的幻想曲のレチタティーヴォ部とコーダ】----------

レチタティーヴォの演奏一般については、周知であろう。ただ、ここでのレチタティーヴォが短音価の音符で記譜されているために、往々にして奏者は速い店舗で弾きがちであるから、ここで付言しておかなければならないが、これらの音符は、音価の合計を4拍の中に収めることのみを目的としているのである。表面的に視覚されるリズムは、ここでは音楽思考の内なるリズムとは全く異なっており、短い音価であっても、隣接した長い音価の音符と同じか、あるいはより遅いテンポでさえ弾くべきである。例えば最初のレチタティーヴォの終わりの64分音符のように。各々のレチタティーヴォ部分の最初の音は、短く示されているが、これはスタッカートにしたり緊迫させたりするのではなく、単に各々の部分が余拍で始まっており、2番目の音符こそにアクセントがあることを示している。レチタティーヴォ部分を分かち、また繋げている一つ一つの和音は、低音から上へとアルペッジョで弾かれるが、これはその箇所ごとの音楽的意味が求めるのに従い、時には強く、時には弱く、時には素早く、時には遅く、均等なタッチで奏すること。残りについては、指示も十分過ぎるほど書き込まているので、芸術的感覚をもって真摯に探求すれば、おのずと明らかであろう。

Senza misuraという言葉から最後までの持続低音(オルゲルプンクト)[第75〜79小節]は、極めて自由に、そして実に即興的な装飾音を伴って奏されるが、 しかしそれは、このような演奏のための作品と流儀に完全に精通している者だけが、敢行してよいものだ。J.S.バッハ自身は、和音間に見られる個々の音型を通じて、このような装飾音を指示した。その上に小さく印刷されている譜例は、参考として、フォルケルがときに自ら演奏し、また教えていたやり方である。両者の例を見れば、可能な装飾音の自由度の限界が知られよう。行間が読めない人々に申し上げたいのは、この結末部分の要諦は、これらの装飾的挿入句ではなく、和音の近くで半音ずつ下がってゆく8分音符であることである。各々の挿入句は、それゆえ8分音符の方へ流れ込んでゆくものであり、それ自身でなにか独立していると考えるべきではない。最後の和音は一番上の音から下へアルペジオし、徐々にリタルダンドする。

9.【半音階的フーガ】----------

c0050810_28183.jpgフーガにおいて必要だったは、僅かな修正と符号追加だけであった。 近年の鍵盤音楽の流儀でテンポを規定し、いくつかの誤植を改善し、また古い記譜法のせいで読譜が困難であった箇所を、別の書き方に直して容易にした。技量と自由さと清潔さをもってこの作品を弾こうとするものは誰でも、C.Ph.E.バッハが父から学んだ運指法に慣れるべきである。それによると、走句を最も楽に弾ける指使いが、一番良い指使いである。親指と小指は、そのほうが楽で必然性があるなら、どんどん上鍵[黒鍵]にも使うべきだ。多くの新興理論家たちによる偏向した規則付けに反して、長い指の下に短い指をくぐらせ、そして短い指の上から長い指を越させても良いのだ。J.S.バッハはこのような指使いを練習するための小品を書いた。例えば2声インヴェンションの第5番であり、それは親指と小指を上鍵[黒鍵]に慣れさせるためのものである。その上、ほんの僅かな例外を除いて、このような運指法を使わずにバッハの偉大な鍵盤作品を上手く容易に弾くことは出来ない。


末筆ながら、ドイツ精神から流れ出た最も卓越した芸術作品の一つの演奏法についてのこの記述に、誰か立腹する者がいないよう望まれる。私の説明に半可通や欠落や誤謬を見出した人は、それを率先して誠実に強く批判してくれて構わないが、この素晴らしい芸術作品への愛と暖かさをも兼ね備えたものであって欲しい。正しい演奏法についての真正なるご指導ご教示は誰もが必要とするところのものであり、我々の側としてもそれを心からの感謝をもって受け止める所存である。


1819年4月10日 ブラウンシュヴァイクにて
F.グリーペンケルル

(この項続く)
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by ooi_piano | 2013-10-11 02:33 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

【脚注/シュパーニ】

c0050810_1581212.jpg[注5] このことにより、手首は比較的高いポジションに来る。腕の重みの使用は、バッハの打鍵法の最も重要なポイントである。 このメカニズムを、初めは「不自然に高い位置」に座りながら、あるいは、楽器のそばに立って、試してみるとよい。立ったままキーの上に指を置いて、その指先に脱力した腕の重みを感じることが出来るようになったら、今度は高めの椅子に座ってそれを確認し、本文が要求する手と腕の位置を実現出来るようになるまで、徐々に椅子を低くしてゆくこと。——脱力した腕の重みは、常に指先に感じながら!

[注6] このタッチから生まれる、快く力強い音は、タンジェントと弦が非常にしっかりと接合していることに起因する。腕の重みの連続的使用は、発音から離弦まで均一な音を保証する。またこのことは音質にも影響し、また、音高が不必要に変化する(高くなる)ことが無くなる。

[注7] すなわち上下する分散和音、恐らく現代のピアニスト達が実行しているやり方と同様である。

[注8] バッハによる課題は全て、とても単純に見える、がその効果は驚くべきものだ。これらの課題によって初学者は「バッハ・タッチ」を学ぶことが出来るが、同時にまた、日々の練習やコンサート前のウォーミングアップ練習として、熟練者もこれを効果的に利用することが出来る。

[注9] いかに多くの2声インヴェンションが、上述された課題に密接に関連した動機的要素を含んでいるかは、実に驚くべきことである。 これはまた、バッハが指練習課題からインヴェンションを作成した、というフォルケルの所見を正当化するものである。

[注10] すなわち、クラヴィコードのこと。

[注11] 「グリーペンケルルのテクストは、バッハ一門の伝統というよりむしろ、バッハの音楽を演奏するに際しての当時のロマン派の観点を単に反映しているに過ぎない」、などと論ずるものは誰でも、これらの文章に照らして意見を再考すべきである.。


(�) 【解説/大井】

c0050810_1594528.jpg(III)のグリーペンケルルの記述は、非常に明解である。そこに、彼がこのメソッドを後世へ伝えようとする、意思と良心が感じられる。このテクストに書かれている通りそのまま、各々実践して頂くのが、「バッハ・タッチ」への一番の近道だと思われる。

以下は、私がシュパーニの講習会に参加したときのメモランダムである。このときは、グリーペンケルルの手記に従ってトレーニングしたわけではなく、あくまでシュパーニ氏が即興的に課題した。氏の述べる通り、「良いクラヴィコード」があれば出来不出来が明確に判別できるが、エクササイズ自体はいかなる鍵盤楽器でも可能である。5指を「シュネレン」させる(手前方向へすべり上げる)基本エクササイズは、やろうと思えば、散歩しながら腿の横でさえ出来る。なお、「いかに脱力するか」については、本稿の論ずるべきところでは無い。太極拳・アレクサンダーテクニック・こんにゃく体操・エアロビクス等々、さまざまな方法があろう。ただし、「はじめは楽器の横に(座らずに)立って始める」、というシュパーニの示唆(脚注(IV)参照)は、中々良い着眼点だと思う。

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A.最初は同音連打

◆右手の2⇒3⇒4⇒3⇒2⇒3・・・の繰り返しで、同じ音をシュネレンにより連打する。(すなわち、この時点で親指と小指は使わない。)手首はゆるめられており、指の動きに合わせて自動的に右傾/左傾することになる。手の甲は高めにする(低くなりすぎないこと)。キーを保持している以外の指はリラックスせよ(背筋を伸ばそう)。まずは「完全に均等」なデュナーミクを目指す。弦と接触しているタンジェントが、打弦後にブレないこと(=一定になること)。鍵盤の端っこを使う。美しく伸びる音で。
◆指先の頂点に、腕の自然な重みを常に伝える。もしキーがなければ、指が下へずり落ちてしまうように。[鍵盤上でなく、私(大井)の腕の上で実践してもらったが、結構重く感じられた。] 厚目の本を誰かに支えてもらい、その上で指の重心のすばやい移行を練習してみる。[「脱力」という大義名分はあるものの、足で「歩く」程度の筋肉の収縮は必要。]
◆たとえデュナーミクがpp〜pであっても、「俊敏な」アタック・初速が必要であり(指の動きは小さくなるが)、打鍵速度をノロくしてしまうのは間違いである[〜非常に興味深い指摘]。逆にfの時、わざわざ大袈裟な動きをする必要は無い。
◆紙を1-2(親指と人差指)でつまみ、そこから1-3でつまんでいる状態、1-4でつまんでいる状態へ、紙を落下させずに、素早くスパッ・スパッと移行する訓練。
◆あまりゆっくりすぎでは練習せず、メトロノーム80くらいでサクサク交替させていた。

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B.[譜例1]を色々な指使いで。

◆二指の交替課題は、2⇔3、3⇔4、4⇔5を行ったのちに、1⇔2をやった。あくまで「完全に均等」であること。
◆2から3へシュネレンで移行したとき、3以外の全ての指(すなわちキーを押えている以外の4本の指)が、瞬時に脱力していること。
◆5(小指)は、本当に「先端」で突く感じである。指を立ててキーに着地させること。爪先で弾くつもりで(爪をちゃんと切ろう)。小指の関節を伸ばしていれば自動的にキーに平行になるはずであり、斜め(外側)に傾いて打鍵効率が低まってしまうのを防ぐことが出来る。そして、その角度のまま手前へ折り畳まれる。
◆1(親指)は軽く内側へ曲げ、先端というよりは左上部側面(爪の左上端あたり/右手の場合)で弾くつもりで。親指が移行の直前に滑り落ちてゆく方向は、キーに平行方向ではなく、手の甲の内側、すなわち親指関節が曲がる方向へ、自然に退去してゆくこと。
◆5のみで連続して同音連打をする。その合間に4⇔5のエクササイズを挿入してみる。関節を伸ばした(一直線にした)4と5の指がキーに垂直になり、なおかつリラックスした状態であるためには、手の甲の位置はかなり高くなる(肩・肘のラインと連結させる)。初めのうちは、高めの椅子で良い。
◆4で指先がグラつくことがあるので、その予備練習として、3と4を2度の和音として同時に弾いてみて(同時に鍵盤に「引っ掛ける」)、重心の取り方を探ってみる。[指の形を整えてゆくため、最初は幅2センチ程度の半透明の合成樹脂製絆創膏で関節を固定して練習する、という手もある。]
◆C-Durの音階上を、2→3の指使いを繰り返しつつ2オクターヴ上昇下降する(C-D、D-E、E-F、etc)。3→4や1→2の繰り返しでも行う。次にCis-Durの音階上でやる。[このとき、親指・小指が上鍵[黒鍵]に来ようとも、指使いは一切変えず、また指はキーに垂直のままであること。] 左手も同様に。

___________________
C.指の移行モーションのイメージ例(私見)

c0050810_20332.jpg「脱力した筋肉」の状態をもどかしく説明するのと同様であるが、この『バッハ・タッチ』は、決して未知の筋肉の動きではない。似たようなモーションは、一日の生活のどこかで、立ち現れているはずのものである。

◆指パッチンのモーションに少し似ている。
(i) 親指と人差指の先端で「きれいな」輪をつくる(中指・薬指・小指は脱力)。その接点に意識を集中する。力は入れない。
(ii)親指と中指の先端で輪をつくる(以下同様)。
 上記の(ii)から(i)の状態へ、素早く、しかし最小限の動きで移行する。これは、指をパチンと鳴らす時のモーションを、指の第一関節のみで行うことに似ている。
◆公園などにある運動器具の「うんてい(雲梯)」にぶらさがって前方へ移動していくとき、片手を離しながらその勢いですかさず次の棒をつかんでゆく、あのイメージ。
◆逆立ちして歩くときの腕の動き、重心の移動。
◆「ケーン、ケーン、パッ!」の前半、片足から片足への素早い重心の移動。
◆「つかむ」という動きについて。
(a) 寝ている時、あるいは腕をダランと垂らした時などの、自然にリラックスした手の形(親指を含めて5指は軽く内側へ向いている)。
(b) にぎりこぶし。
上記の(a)の状態の手をそのまま鍵盤の上に置くと、指は鍵盤にほぼ垂直となる(人によって差はあるかもしれない)。そこから(b)へ向けて、親指を含めて数ミリ指を内側へ動かす(「つかむ」モーションの最初の数ミリぶん)。
◆グリーペンケルルのテクストにある、「手の仕組みは、つかむ、という動作に向いている。」という一文であるが、ドイツ語fassen、英語grip、日本語「つかむ/握る」ともに、誤解を招きやすい。「すでに手の中にあるものを《握る》」というよりは、「少し離れたところにあるものを、腕をのばしてパッと《つかむ》」、すなわち、動作の基点は肩・腋(あるいは鎖骨)にあるイメージ。
◆ハープだと親指は外へ突き出すように奏するが、それ以外の各指(なかんづく薬指)が独立して弦をパチンパチンとはじいているのは、かなり似ている。笙の「指擦り」の速度をあげれば、これも似ている。
◆ハープの撥弦法について、「空中の蚊をパッとつかむ時の手の動き」、という喩えがある。これは、親指以外の4指をそろえて「つかむ」という瞬間的なモーションを意味する。腕や肘はリキんでおらず、指の付け根を内側へ垂直に急激に折り畳み、「つかみ取る」。指先で「クリックする」という動きは含まれていない。』

___________________
D.[譜例4]、[譜例5]、[譜例6]など

◆たとえば[譜例4]で、4を弾いているときに、既に2をキーの上にスタンバイさせること。
◆各課題とも、右手・左手ともに、移調して練習すること。ポジションによっては演奏困難になることもあるが、つねに次の音へ「すべり落ちてゆく」感覚で。
◆[譜例6]を移調してゆくとき、次のフレーズを始める前に1を完全に空中に上げて宜しい。[譜例6]を左手で行うときは、C→B→A→G→F(F-Dur)で開始、そののち下方向へ移調していく。特に左手で自然に脱力していないと、3→4→5での音量が下がっていきがち(クラヴィコード低音域の豊かな音色を味わおう)。逆に、右手高音域の3→4→5では、楽器の限界を感じつつ制御すべき。
◆背筋を伸ばしましょう。

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E.分散和音(C-E-G-cなど)で弾く

c0050810_214629.jpg◆手首はリラックスさせるが、1→2→3→5の時に手首が回転し過ぎるのは良くない。各々の和音のポジションを基本的に崩さないこと。
◆3→5の時に3が不安定であった(これは4の指がリキんでいるため)。打鍵した後は、あくまで「安定した、一定の重み」でキーを保持し、移動の「直前」に瞬間的に指を滑らせること。手が広がると、これらの原則が守られにくくなる。手の甲のかたち、指の自然な曲がり具合を失わないこと。左手よりも右手のほうが不安定であった。
◆1→2→3→5(C→E→G→C)を上下に移調してゆく。ポジション移動したとき、人差指が不安定になりがちであった。

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F.クラヴィコードのベーブング(ヴィブラート)奏法について

◆ベーブングは一度音をしっかり確保・不動保持してから、その軽い余韻として、キーの底の方で「垂直方向」に(横方向ではなく!)揺らす。打鍵と同時にベーブングすると、音程が変わってしまう。イメージとしてはあくまで「声楽」的表現の模倣であって(すなわち強弱のヴィブラート)、弦楽器的に音程がウネウネ変化してはならない。クラヴィコードの音楽表現の中核にあるわけではない。
◆プローベシュトゥック等ではっきり記号で指示されている以外では、例えばドミナントの上声etcで使用することもある。
◆幾つかの音符の上に打たれた点の上にスラー記号がかかっている「音のトラーゲン」(Tragen der Toene)は、最初の一音をベーブングして、後はレガートで奏する(ポルタート奏法ではない)。これは各音毎にベーブングすることへの、代替表現である。

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G.指トレーニングののちに

◆音階・アルペジオの断片を「明日のために辛抱強く」、「少なくとも数日間」続けたのちに、2声インヴェンションのハ長調やト長調を、片手ずつゆっくりと弾いてみる。最初はとにかく「均等に弾く」ことに集中せよ。
◆「上手になるためには、他のことは何も考えないで10年から12年もの間を、そのために費やさなければならない」と云うのは、大袈裟である。しかし、まず最初の指訓練だけで、集中して数ヶ月は必要であろう。
◆アンドラーシュ・シフは自宅にクラヴィコードを持っていて、愛奏してらしい。[この講習会では、シフとシュパーニの対談コピーが配布されていた。] [バレンボイムの高い椅子と垂直に立った指というのも、幼少時のクラヴィコード体験に由来しているのかもしれない。](完)
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by ooi_piano | 2013-09-21 14:44 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

感想集 http://togetter.com/li/508655

2013年5月22日(水)20時 (19時30分開場) 
カフェ・モンタージュ [京都市中京区夷川通柳馬場北東角]
全自由席2000円 montagekyoto[at]gmail.com

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J.S.バッハ:クラヴィア練習曲集第2巻&第4巻 (一段鍵盤クラヴィコード独奏による)

c0050810_11758100.jpg●《イタリア協奏曲》 ヘ長調 BWV 971 [全3楽章]

●《フランス風序曲》 ロ短調 BWV 831 [全8楽章]
  序曲 - クーラント - ガヴォット I&II - パスピエ I&II - サラバンド - ブーレ I&II - ジーグ - エコー

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●《ゴルトベルク変奏曲》 ト長調 BWV988
  アリア - 変奏 1 - 変奏 2 - 変奏 3 ( 1度のカノン)
  - 変奏 4 - 変奏 5 - 変奏 6 ( 2度のカノン)
  - 変奏 7 - 変奏 8 - 変奏 9 (3 度のカノン)
  - 変奏 10 (フゲッタ) - 変奏 11 - 変奏 12 (4度のカノン)
  - 変奏 13 - 変奏 14 - 変奏 15 (5度のカノン)
  - 変奏 16 (序曲) - 変奏 17 - 変奏 18 (6度のカノン)
  - 変奏 19 - 変奏 20 - 変奏 21 (7度のカノン)
  - 変奏 22 (Alla breve) - 変奏 23 - 変奏 24 (8度のカノン)
  - 変奏 25 - 変奏 26 - 変奏 27 (9度のカノン)
  - 変奏 28 - 変奏 29 - 変奏 30 (クオドリベット) - アリア・ダ・カーポ
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by ooi_piano | 2013-05-20 11:07 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第3回公演
2013年4月20日(土)15時開演 (14時半開場)
タカギクラヴィア松濤サロン[JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分]
■J.S.バッハ:六つのパルティータ BWV825-830 [NYスタインウェイによる演奏]
○お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490 info@okamura-co.com

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カイラス山への五体投地----CD《フーガの技法》(ヒストリカル・クラヴィコードによる世界初録音)・曲目解説に代えて》 (2008年10月)
HMV amazon iTunes 古楽誌「アントレ」批評 English translation

c0050810_16105245.jpg━━━《フーガの技法》というと、バッハ晩年の晦渋で難解な作品、という印象があります。
A. 難解だとすれば、それは主に演奏のせいであって、実に申し訳ないことです。バッハは「聞けば分かる」ように音符を書いていますから。
   聴き手側が、フーガという形式に身構えがちなのも一因かもしれません。声と声との雄弁な掛け合いによって、聴く者の中に何かを感応させる、という点では、吉本漫才にかなり似ているのではないでしょうか。タイトルも、《マンザイの技法》あるいは《話芸大全》とかだったら、とっつき易いでしょうに。上岡龍太郎氏によると、「本当に面白い漫才は、1つのコンビに1本が普通、3本で一流。どんなに多くても5本が限度」。松本人志氏によると、「コントは30分でも思いつくが、本当に面白い漫才はどうやっても1ヶ月はかかる」そうです。彼らほどの人が言うのですから、事実そうなのでしょう。この《フーガの技法》所収の各曲は、作り込まれ練り上げられた「本当に面白い漫才」に匹敵するかと思われます。
  各曲の最初に出て来る旋律は「主題」と呼ばれ、これが漫才のボケにあたります。主題は、形を変えて何度も繰り返されます。世間に対して主題(ボケ)を分かりやすく解(ほぐ)すのが、対句(ツッコミ)です。逆に言うと、ツッコミを観察することによって、ボケに何を言わせたかったかを推定出来ます。フーガとは、面白い発想の話題に基づいて数人が雑談している光景です。
  声と声が「会話」をしている部分と、その間にある「ト書き」「余談(くすぐり)」部分の境目がはっきりしていなかったり、二人の声で一人、あるいは一人で二人の声を思わせる動きなどは、落語と一緒です。地味なお題(ボケ)の形を少しずつ変えながら、次から次へとネタを広げていくのは、まるで大喜利(おおぎり)(笑点)です。
  
━━━クラヴィコードとは、どんな楽器ですか。
A. あらゆる楽器の中でバッハが最も愛奏し、息子達にも手取り足取り教えたのが、このクラヴィコードでした。打鍵した音の減衰が早く、離鍵した音の余韻が長い、という点で、音色はチェンバロに似通っていますが、チェンバロでは出来ない、声楽的な強弱・ニュアンス付けが可能です。ただ、タッチのコントロールが至難であり、また音量が非常に繊細なため、もともとクラヴィコードを想定して書いた作品群は、コンサートではもっぱらチェンバロで演奏されてきました。現代のピアノのような、延音ペダルはついていません

c0050810_16113421.jpg━━━ピアノとクラヴィコードでは、弾き方は違うのでしょうか。
A. クラヴィコードといってもピンからキリまであります。028.gifこのディスクで使用したような、歴史的モデルに忠実な楽器であればあるほど、ピアノでもチェンバロでもオルガンでも無い、「クラヴィコードそのもの」の奏法が要求されます。 叩けばとにかく音は出る現代のピアノに比べると、まるでバスケのスリーポイントシュートを千発連続成功させるようなキツさです。ミクローシュ・シュパーニが示唆してくれた、グリーペンケルの方法論は大きな啓示でした。現在はそこから発展させて、自分なりの奏法を模索しています。「クラヴィコードが上手く弾ける人はフリューゲル(チェンバロ)もうまいが、その逆は有り得ない(aber nicht umgekehrt.)」、というエマヌエル・バッハの言葉に、我々は今一度向き合わなくてはならないでしょう。

━━━ピアノやチェンバロではなく、クラヴィコードで演奏する理由とは。
A. 通奏低音(コンティヌオ)抜きのコンソート合奏には、話芸の流れに沿ってカメラがパンされていないもどかしさを感じます。現代楽器か古楽器と問われれば、音色の絶対的優越性から後者を採ります。天然鯛を捨てて養殖ティラピアを好む人はいないでしょう。また、《平均律》や《フーガの技法》のような、中音域で声部が重なり合っている対位法作品は、チェンバロやオルガンには馴染みません。ボケが拾いにくく、ツッコミもしにくく、風景が見晴らせないからです。
   控えめな理由としては、コントラプンクトゥス第12番の長10度が、クラヴィコードならギリギリ掴めることが挙げられます。チェンバロやオルガンでは無理でした。

c0050810_16243346.jpg━━━楽器の音量が小さいとなると、このディスクを再生するときも、ヴォリュームを絞って聴いたほうが、クラヴィコードらしさを味わえるのでしょうか。
A. その必要は一切御座いません。
   星空を眺めるとき、瞳が暗闇に慣れるまで約20分ほどの時間がかかりますが(暗順応)、一方、明るさに慣れるのはその何倍も早いものです。東スーダンの森林地帯に住むマバーン族のような信じ難い聴力を持ち合わせるならともかく、現代社会に生きる我々には、クラヴィコードから数歩離れればそのニュアンスを充分に味わうことは敵(かな)いません。
   ライヴでは実現しにくい音像、という点では、クセナキスのピアノ協奏曲も同様です。ディスクだと明瞭に聞き取られるピアノ独奏部は、実際にはオーケストラの法外な咆哮に掻き消されがちです。クラヴィコードを数名ないし数十名の聴き手の前で演奏する際、どうしても楽器をよく「鳴らす」ことに意識が注がれますが、録音マイクに対しては囁きかけるだけで充分です。 その微(かす)かな囁きに、電車の中でも気軽にランダムアクセス出来るのは、21世紀ならではでしょう。奏者の鼻息が気になる方もおられるやしれませんが、「クラヴィコードの録音はこんなもの」(>ポトフリーヘ氏)だそうですので、どうぞ御容赦下さいませ。

c0050810_1617088.jpg━━━現代のピアノでバッハを弾くのは、意味が無いことなのでしょうか。
A. 現代のピアノは洗練の行き着く先とも言えるし、末生り(うらなり)のカボチャとも言えます。昨日の淵を今日の瀬としていた息子たちに、父バッハが「私とともに歩まぬ者は私に背(そむ)く者である」、と色を作(な)したとは思えません。
  一方、モダンピアノ奏者が古楽器を弾くと、指先から出て来るのは所詮モダンピアノの音であるのも事実です。すなわち、奏者の頭の中で響いている音が指先からこぼれ出すだけですので、つづまるところインターフェースが何であるかは問題ではありません。現代作品を演奏する者として、作曲様式に対応する演奏様式の取捨選択には、出来る限り敏感でいたいと思っています。恐ろしいことに、それは「聞けばすぐ分かる」ことですから。

━━━使用楽器について。
A.  今回使用したのは、ベルギー・トーレムベークに工房を構えるヨリス・ポトフリーヘ(Joris Potvlieghe)氏による、ザクセン式5オクターヴ専有弦モデルのクラヴィコードです。余談ながら、このディスクの録音セッション前日には、彼の工房で、同じ楽器を使ってグスタフ・レオンハルト氏が初期バロック音楽によるサロン・コンサートをなさってました。
   ポトフリーヘ氏の楽器の評価の高さは、その表現力の豊かさに因ります。しかしながら、それは楽器の「弾き易さ」には直結していません。氏曰く、「いつもそれで悩んでいる」。 あくまで「表現力のある楽器」こそが良い楽器なのであって、チェンバロあるいはピアノの打鍵法で手軽に音の出る「弾き易さ」は、楽器そのもののクオリティとは無関係なのでしょう。残念ながら、日本にはまだ納品したことが無いそうです。

c0050810_1617388.gif━━━使用稿やエディションは。
A. 初版譜と自筆譜を手元に置きつつ、新バッハ全集版(NBA)の最終稿です。演奏解釈そのものについて語られるよりむしろ、作品の成立経緯や使用エディション、調律法といったトピックに興味が集まりがちなのは、理解に苦しみます
   なお、いわゆる「初稿」は、細部を含めて明らかに推敲前の未決定稿に過ぎず、論点とするのはむしろバッハに失礼だと思います。あの素晴らしいコントラプンクトゥス第4番が存在しなかったり、第10番に血の気が通ってなかったりするだけでも遺憾です。幾つかの旋法的な箇所には惹かれますが、結局バッハは朱を入れたわけですから。

━━━未完のフーガについて。
A. ブゾーニ《対位法的幻想曲》を愛奏していることもあり、割愛するに忍びません。私は作曲家ではないので、「どうして自分で補筆しないんですか?」という質問から免れられるのは有難いことです。この二百年間に書かれた様々な補作例を十数個試してみましたが、いきなり音楽の強度がトコロテンのように腰砕けになるものばかりでした。長らく対位法学習のモデルが大バッハであり続けているにも拘らず、これは驚くべきことです。もっとも、ミロのヴィーナスのように、明らかに「破損」が前提となっているものの補綴でも、どうしても違和感がぬぐえないものなので、そもそも勝算は無いのかもしれません。
  中断されること自体より、ある種の効果が見出される、という点では、小泉八雲《茶碗の中》を思い出します。そういえば小林正樹によって映画化された際、音響担当の武満徹は薩摩琵琶の音をあしらいましたが、クラヴィコードの音色に相通ずるものがありますね。

c0050810_16194258.gif━━━最後のコラールについて。
A.  このディスクを収録した修道院には、ポトフリーヘ氏製作によるバロック・オルガンが所蔵されています。ボーナストラックとして、このコラール前奏曲を別途オルガンで録音するつもりでしたが、残念なことにペダル鍵盤数が足りず、断念致しました。言うまでも無く明らかにオルガン用に書かれており、また、明らかにこの曲集とは内容的に無関係ながら、いまわの際に口述筆記させたとなると、案外それはクラヴィコードを使ったのでは、などという想像もあり、あえて収録した次第です。オルガンで演奏された際、しばしばリード管によるカントゥス・フィルムス(定旋律)が余りにも前面に出過ぎ、フルー管によるその他の声部の「ツッコミ」が日陰へと押しやられる慣行への違和感もありました。宮廷や教会から帰宅し、当盤のCDジャケットのようにカツラを脱いでくつろいでいる、等身大のバッハのイメージです。

c0050810_1620824.jpg━━━このディスクでの解釈や試みについて、何かコメントはありますか。古楽的アプローチをなさっているのでしょうか。聴き手として、何か意識する必要がありますか。
A.  そのまんま、聞いてくだされば良いと思います。
   昨今、「古楽アプローチ」というと、表現上でのある種のバイアスを意味することが多いようですが、本来は「自分の頭で考えてみよう」、というムーヴメントなはずです。古物営業法違反の疑いで逮捕されるならともかく、実体の無い「正調お古楽」の名取を目指して精進するのも空しいことです。
  私は日本人ですから、硬直したアーリア・モデルを恭しく踏襲する義理もありません。身の丈を忘れて仰々しく吟じれば、大作曲家への尊崇を表したことになるのでしょうか。また、最晩年の作品だからといって、まるで《タイタニック号の沈没》のような高踏的身振りや、ニ短調の嘆きの谷で涙にくれてみせるのも、一切の弛緩が見られないあの恐るべき対位法の綾取りにはそぐわないと思います。個人的には、拡大された主題が後ろから迫り来る箇所など、黄泉比良坂(よもつひらさか)でイザナミに追い付かれたような恐怖を覚えます。
  大バッハがもっとも愛し、教育用にも最重要視した楽器のはずなのに、音楽学的研究はおろか、実践的演奏も寂々たる状態であるのは、憂うべきことです。なにせ、あらゆる鍵盤奏法の根幹、そして鍵盤楽器教育の基盤にかかわる問題なのですから。このささやかなディスクがその叩き台、パイロット盤となれば幸いです。
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by ooi_piano | 2013-04-14 15:48 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

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by ooi_piano | 2009-12-16 22:57 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)