7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

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大阪キタの演奏会でコンロン・ナンカロウを弾いた後、大阪ミナミの中華料理店「ナンカロウ」(南花樓)へ関係者一同で打ち上げに行きました。


c0050810_2391611.jpgナンカロウ屋外用看板


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by ooi_piano | 2005-03-19 23:25 | Comments(1)
私が1993年に東京で初めて演奏会をした際、ピアノ調律師の原田力男氏(1938-1995)が自身のニューズレター〈プライヴェート通信〉として知人・友人に配布なさった文章を、以下に御紹介致します。これは、去る3月12日に東京ちひろ美術館で開催された同氏没後10周年追悼演奏会で、プログラム・ノーツの一部として再公表されました。
甲斐史子さんや私やご本人の発言で、明らかに事実と異なる「脚色」が見られる以外は、実にまっとうな正論であり、今でも返す言葉も御座いません。なお挿入写真は本文とは無関係です。

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by ooi_piano | 2005-03-14 00:20 | Comments(2)
c0050810_22531015.jpg1970年代後半から1980年代前半にかけて、《プライヴェート・コンサート》と題した演奏会シリーズを通して多くの若手作曲家・演奏家を世に送り出した、ピアノ調律師の原田力男(いさお)氏が癌で早世して、今年3月でちょうど10年になります。彼の生前には初演が実現しなかった2作品を中心に、彼の遺志を偲ぶ演奏会を開催することに致しました。会場は、かつて「プライヴェート・コンサート」シリーズが行われていた、練馬区下石神井の「ちひろ美術館・東京」です。芸大在学中の坂本龍一が高橋アキのために「分散・境界・砂」を書いて楽壇デビューしたり、渡辺香津美が山下和仁のために「アストラル・フレークス」を書いたり、吉松隆が崎本譲のための「忘れっぽい天使」でデビューしたり、甲斐説宗が鈴木昭男のために「アナラポスのためのインターアクティヴィティー」を書いたりしたのも、全てこの原田氏のプロデュースによるものでした。。
私にとって原田力男氏とのお付き合いは、彼の最晩年の1年半ほどのことでした。当時京都に在住していた私が、70席ほどの小さなスペースでしたが1993年夏に若手作曲家の作品を集めて東京で初めてリサイタルを行った際、そのちょうど1週間前に京都の自宅へ突如彼のニューズレター「プライヴェート通信」の大冊が到着しました。折り返し演奏会へ御招待申し上げたところ、原田氏はお運び下さった上、「音楽現代」誌に批評(というかレポート抄録)を寄稿して下さったのでした。

【東京デビューリサイタル・演奏曲目】
1993年7月4日 榎坂スタジオ
ブーレーズ/第2ソナタより第1楽章
福井とも子/「超ラセン」(1992、東京初演)
山本裕之/「東京コンチェルト」(1993、世界初演)
夏田昌和/「星々と生命の岸辺にて(1992、改訂初演)ピアノ独奏+作曲者指揮による14人の土笛と打楽器
大村久美子/「揺曳の時」(1993、世界初演) 大井(笙)+吉田秀(コントラバス)+二ツ木千由紀(打楽器)
川島素晴/「静寂なる癈癲の淵へ」(1992/93、改訂初演)
シェーンベルク/「浄夜」ピアノ・トリオ版 大井(ピアノ)+双紙正哉(ヴァイオリン)+古川展生(チェロ)

この前年(1992年)、一度だけ参加した秋吉台セミナーで、これらの東京芸大系の若手作曲家と知り合い、「既に東京には現代音楽のピアニストは大勢いるのだから、オマエの入り込む余地は無い」と某同業者に言われながらも、ボチボチ演奏活動を始めたのでした。当時私は24歳で、上記の作曲家たちも21歳~25歳くらいじゃ無かったでしょうか(一人例外のぞく)。

たまたま大学の音楽サークルで埃にまみれていた大昔の「音楽現代」バックナンバーで、確かに原田氏の「プライヴェートコンサート」総括の文章を見かけていましたから(もちろん詳しい前後状況など当時は全く理解不能でした)、やはり何かの縁だったのでしょう。

この東京デビューリサイタルは総予算5万円、場所も非常に小さいスペースでしたが、作曲・ピアノで名の知れた方々(例えば高橋悠治、三宅榛名、富樫康、片山杜秀、高久暁、野々村禎彦、蛭多令子、中村和枝、門光子・・・(敬称略))が多数来て下さいました。確か受付をしてくれたのは、田村文生と伊左治直の御両所でした。私の演奏の質がどうこう、と言うよりは、何よりもまずその客層の妙な豪華さと、恐らく私が独学であったことが、ミーハーな原田氏の関心を煽ったと思われます。

反権力を標榜しているわりには、原田氏の封建遺制的お説教好きに辟易なさった方も大勢おられるようですけれども、京都で生まれ育った私には、氏独特のキツイ言い回しも洒落にしか聞こえず、また東京と京都という物理的距離もあったため、比較的素直に彼の好意を享受することが出来ました。そもそも、「同じ意見の人たちとヌルマ湯で平和にやっていく」こと自体、私が余り興味が持てないからかもしれません。引きこもりは性に合いません。それにしても、「プライヴェート通信」という、そんじょそこらのメルマガやサイトよりはるかに強力な自分自身のメディア上で一刀両断されるのは、若くナイーヴな側としても「褒めてくれるだけなら良いのに」とボヤきたくもなったことでしょう。

いま当時の原田氏の「通信」を読み返してみると、曲の大半が未完成で簡単な指示しか書かれていない川島素晴作品(要するに私の即興に等しかった)を最も高く評価なさっていたのも、微笑ましい思い出です。余談ながら、締め切りを過ぎていたとはいえ「本番の4週間も前に手渡されたスコア」を演奏拒否出来る、ということは、現在では考えられません。(・・・今回取り上げる大石作品の話です。)「プライヴェートコンサーツ」委嘱作品リストの相当数がいまも繰り返し演奏される珠玉のレパートリーとなっているのも驚くべきことですが(すなわち、原田氏からの委嘱が作曲家をいかに鼓舞していたか)、今では知られていない作品群のスコアも拝見してみてそのレベルの高さに仰天致しました。演奏家優位だったとはいえ、70年代というのは作曲家もすごく頑張っていたのですね。

原田氏がプロデュースした一連の甲斐説宗追悼演奏会シリーズ(1979年)から15年以上を経て、京都で「甲斐説宗作品個展」(95年7月)を私が企画・制作・演奏することになった頃、見舞いに行った虎ノ門病院で、苦しげな息の下から原田氏は今後の健闘を祈って下さいました。この作品個展は、生前の甲斐説宗氏とは全く関係の無い、地元関西の若手のみによる演奏でした。今回ご出演頂く甲斐史子さんとは、それ以来の共演となります。曲目は同じく、「ヴァイオリンとピアノのための音楽」です。

今の20台の音楽家で、原田氏の名前を知っている人はいないでしょう。原田氏の関係者の懐古的寄り合い、というよりは、「今の若い世代に、かつてそういう献身的な活動(小さな親切・大きなお世話)をしていた人物がいたことを伝える」機会を設けたいと思いました。原田氏の言いつけ通り、一応は仁義も切っておかないと寝覚めも良くありません。作品公募もしてみました。
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c0050810_2258165.jpg今回の新作公募で入選した、作曲家の木山光さん。1983年岡山県金光町生まれの21歳。TKE U.K.TONG PIANO COMPETITION FOR COMPOSERR 2002で最高位を受賞、第7回東京国際室内楽作曲コンクールJILA入選、日本現代音楽協会「コントラバスフェスタ」入選、2003年吹田市作曲コンクール第二位、2002名古屋アートスペース「NーMARK」アートインタビューにゲスト出演。名古屋@PORT02、ARTPORT2002等のノイズ系ロックミュージックのライブに参加。古代エジプト/ギリシャ音楽から現代音楽、ロックまであらゆる音楽を作曲、復元作曲、蘇曲しようとしているそうな。 作曲を糀場富美子氏に師事、篳篥・笙を西原祐二氏に師事。
彼の新作、「苦しむ中層雲」はファーニホウばりの真っ黒けの譜面です。彼は「書けてしまう」タイプの作曲家のようです。
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by ooi_piano | 2005-03-02 22:38 | コンサート情報 | Comments(4)