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Blog | Hiroaki Ooi

吊り橋のように垂れる腕

  クラヴィア奏法試論:追補2

c0050810_20254986.jpg  肩から鍵盤へは、肘・腕が吊り橋のように垂れている・・・・ことを実感するためには、携帯吊り革(1ケ2000円)は如何でしょう。人差し指・中指・薬指を吊り革にひっかけ、腕をだらんと垂らす。指はひっかけるだけで、握り締めてはいけません。手のひらを向こう側へ向ける形です。
  吊り革の位置が上下前後左右に移動してゆく際、腕がぶらんぶらんのモビール状態を保てるよう、背中・脇・腹等の内部の筋肉を調整すること。これは、吊り革(=鍵盤)との押し相撲に等しい。親指・小指以外の指3本で出来るようになったら、次は薬指一本で吊り革にひっかける、あるいは小指一本を吊り革にひっかける、などの発展型を試してみましょう。この、小指一本で吊り革にひっかかった腕が、ハンモックのようにゆらゆらと垂れ揺れるとき、いわゆる尺骨主導の動きがおのずと実現される筈です。鍵盤の上へ小指を着陸させるとき、その的確な入射角は、この「吊り橋状態」から一意的に決まります。一番ラクで確実な入射角が体感出来さえすれば、いつまでも小指や薬指をブッ叩いたり突き刺したり押し付けたり、という人生の無駄遣いにもオサラバです。
  (1)視線は顔の真正面を見ること、すなわち譜面台は出来るだけ高い位置にあること、(2)椅子には骨盤座布団(2500円・273g)で尾てい骨が押し上げられていること 、(3)手は吊り革鍵盤、この(1)(2)(3)の挟み撃ちのはざまを、突っ張りや押し付けを受け流しつつユラユラ揺れ動くことで、名付け得ぬ諸筋肉へ名付け得ぬ脳からの指令が渡り、総合的な自動調整を勝手に開始する筈です。以上、証明終わりッ!!
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by ooi_piano | 2009-11-29 20:28 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

「骨盤を立てる」

   クラヴィア奏法試論:追補

   《骨盤を立てる》のに最も手っ取り早いのは、バランスチェアあるいは骨盤座布団かもしれません。後者は安くてお手ごろ(痔瘻クッションに間違われ易いけど)。尾てい骨が押し上げられてもされるがままになる、変位を受け流すことによって体内のバランシングを変えていく、という点では、クラヴィコード同様、まさに「使いよう」です。
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   ピンクレディのケイちゃんやパフュームのノッチは、骨盤周りが柔らかいということなんでしょうか。同じ振り付けだと凄く目立つ。




ピエトラガラの良い動画がありませんなぁ・・・ ルリッシュと共演したポップなヤツが良かったんだけれど。
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by ooi_piano | 2009-11-25 00:45 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(2)

・・・

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by ooi_piano | 2009-11-09 08:54 | Comments(6)

[読み易いように、(その1)→(その5)を上下順にしました。項目については、ブログ目次を御覧下さい。(11/07)]

c0050810_12481076.jpg  2年前に脱力法についての一連の記事(その1その2その3その4)を書いた際、A社から出版の御打診を頂いたもののそのままになり、追加記事を昨年10月にアップしつつ、クラヴィコード録音ならびに各種フォルテピアノの経験を経て、今年後半に入ってやっと試論(Versuch)としての目処が立ちました。ここ2ヶ月ほどは、様々な職種・年齢層・音楽歴の方々への脱力セッション(closed beta test)もやってみました。
   初心者が16分音符で指がもつれるのも、上級者が重音技巧に手を焼いたり腱鞘炎やジストニア(書痙・跳ね指)で往生するのも、傍目には似たような現象に見えますし、「もどかしさ」という点では両者に差は無いでしょう。運動神経や才能の多寡は、この際クリティカルではありません。なぜ「もどかしい」のか、なぜ神経細胞を活動電位が効率的に伝わっていってくれないのか、と言えば、「意識されない」筋肉のこわばりが邪魔をしているからです。


  試論は大きく2つの部分に分かれます。

【1】 鍵盤を押し下げるために必要最小限なモーションとは。
【2】 筋肉・骨の可動域を最大限確保するためには。


  【1】は奏法認識の演繹(ソフト)、【2】は指から胴体に至る体の燃費向上(ハード)と言えるでしょう。
  【2】が十分滑らかに活性化されており、そこに良い楽器と耳があれば、自然と【1】に到達出来る筈です。ソフト面ならびにハード面それぞれにおいて発生しがちな障碍についても、考察していきます。


1-a  奏法趣旨
   ヒストリカル・モデルのクラヴィコードで、特に3声部以上の複音楽を演奏しようとした際、余りにも鍵盤が軽いため、打鍵の「指先成分」を可能な限り捨象する必要に迫られました。すなわち、鍵盤上の適切な位置まで手首を持って行って、あとは置くだけ。
   この「ある位置まで手首を持って行く」、という作業に着目します。一見単純きわまりない動きですが、指先を決して阻害することなく、---すなわち手首・肘・肩等が一切突っ張ることなく---、完璧に手首を適正位置へ持って来るのは、実は非常に難しい。体操選手が平均台の上でバランスを取るのと同じくらいの覚悟をして丁度、かもしれません。
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   J.S.バッハは「あたかも指を動かしていないかのように」楽器を弾いた、と伝えられていますが、そのじつ本当に指を「動かして」いなかったのでは無いか。古今の名匠、ピアノだけではなくヴァイオリンでもギターでも、指をほとんど動かしていないように見える方は大勢いらっしゃいます。それらを評して、「背中の使い方が素晴らしい」、「インナーマッスルのバランスが半端じゃない」、等の形容も巷間耳にするところです。
c0050810_2217583.jpg   既成のピアノ奏法論が完璧なシステムならば、誰でも習えば楽にピアノが弾けるようになり、そのまま音楽とともに幸せな一生を過ごすことが出来る筈です。ピアノは10年習ったけれど、ショパンのワルツも弾けるようにはならなかった、と何度打ち明けられたことでしょう。あるいは、音大ピアノ科卒業者のうち、ピアノ、ひいては音楽そのものが嫌いになり、一切の関わりを持たなくなった人の割合のいかに高いことか。才能が無いから駄目、早期教育を受けないと駄目、良い楽器・環境で長期間練習しないと駄目、などのエクスキュースが準備されているのも、そもそも奇妙な話です。実のところ、教育者の方々は、「なぜか弾けない」元凶としばしばなりうる指先成分の動きについて、過度に強調するどころか、反対に、そこからどうにかして目を逸らさせるために粉骨なさっているのでは無いでしょうか。そこで御提案するのが、指先成分を可能な限り排除した鍵盤奏法です。

1-b   奏法具体例のイントロダクション
   いま、適切な姿勢(後述)で椅子に座っているものとします。指先成分は必要ありませんので、手首から先が「うらめしや」ポーズのようにダランと垂れた状態のまま腕を持ち上げ、ゆっくりと上下・左右・前後に動かします。肩周りは緩められており、肘は吊り橋のように垂れ下がっています。前腕の真ん中あたり(手首と肘の間)がヘリコプターで吊り下げられている、あるいは下からT字杖(or物干し竿受け)で持ち上げられ移動させられている、という体感イメージです。手首を持ち上げるのではなく、前腕の中間地点あたりに意識を置くのは、尺骨と橈骨の空間的ねじれの位置を温存し、手首の硬直を回避するためです。
   いわゆる「気をつけ」の姿勢において、両肩の肩甲骨面は「\...../」のように、20度~30度ほど前へ向かって、逆ハの字型に開いています。そのため、胴体の「真横」で肘をあげようとすると、肩が固まる、という現象が起こります。上記、手首の空間位置を変化させる際、この肩甲骨面のみを念頭に置くこと――、すなわち、「手首の次の位置を予測し、肩甲骨面が先に動き出すこと」を徹底させるのが、この奏法論の骨子です。子供の指は小さく柔らかく、モダン・ピアノの重い鍵盤には向いていませんが、肩甲骨周りは特上の柔らかさですので、「予測変換」については何も問題ありません。逆に、大学生以上の年齢になると、この動きにガクンとぎこちなさが見られるようになります。人間の腕の重みはかなりのものなので、それを持ち上げ支える筋肉と、肩甲骨を回転させる筋肉の齟齬から悪循環が発生するようです。
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   前腕よりも肩甲骨が先に動くのは、翼の羽ばたきをイメージすれば当然のことです。体感的には、腕で何かアクションを起こす直前(例えば投球)、体の内部をフッと軽くしバックスィングさせること等に相当します。人間の指・肘・上腕は様々な関節に分かれているため、この「翼の付け根」を固定したまま打鍵することが可能であり、子供時代には自然にズレていた肩甲骨・肘・手首の位相が、いつしか同期し固定されるに至るようです。
  手や足の位置を動かしたとき、その体勢での安定性がいかに重要であるかは、野球のピッチングフォーム、ゴルフのアドレス、バレエのアラベスク、相撲の四股など、多数の例を引き合いに出すまでもありません。手や足を少しあげただけで、体内のバランスはいとも簡単に崩れ易く、それが手先・足先のコントロールを阻害するわけです。


   以下簡単のため、深層筋(インナーマッスル)等の最適状態調整(バランシング)を、略してI.B.(インナーバランシング)と呼びます。鍵盤の高さ丁度に手首を持って行った状態のI.B.をI.B.(0)、鍵盤から1cm低い位置での手首のI.B.をI.B.(-1)などとします。I.B.(0)とI.B.(-1)は、わずかではありますが異なったものです。I.B.(-5)の状態で指を鍵盤に置くならば、手首から先は(体感的に)垂れ下がったまま、すなわち指の動きは一切使わなくても、指で鍵盤を押し下げることが出来るでしょう。垂れ下がっていた手首の角度は水平に近づき、肘は押し出され、肩甲骨はneutralの位置から外転します。指が鍵盤に触れた瞬間に指をわざわざ硬くする必要はありません。指の形が大きく崩れない程度に意識が「通っているような通っていないような」程度で十分です。
     このI.B.(0とI.B.(-5)の差、いわば位置エネルギーの差が、鍵盤にかかる「腕・体の重み」とされるものです。鍵盤の重さが重いほど、エネルギー差をより利用しなければならなくなります。例えばモダンピアノではI.B.(-5)、チェンバロでは2段カプラーでI.B.(-3)、上段マニュアル8フィートならI.B.(-2)、ヒストリカルのクラヴィコードならI.B.(-1)、などと譬えられるでしょう。モダン・ピアノでも、奏者の指の大きさ・重さ、楽器の個性、強弱・音色、白鍵にくらべ僅かに奥であり高い黒鍵、等々の諸条件下で、I.B.は多様に変化します。チェンバロにおいては、適正なタッチのためには、高さならびに重さの違う鍵盤のための最適なI.B.が求められますし、オルガンではさらに足鍵盤まで両立させるためのI.B.を探らねばなりません。指先メインでの処理にいちいち苦心するよりも、I.B.で柔軟に受け流すほうが、音楽的側面からも遥かに効率的・現実的だと思います。
   この動きでは、「重力(gravity)奏法」という言葉から連想される、加速(gravitational acceleration)は意識する必要はありません(不必要な押し付けにつながるから)。等速運動のイメージで無問題です。I.B.の位相変化を、「落下していく感じ」と表現する人も多い。余計な硬直を取り除いていった結果、I.B.の位相を滑らかに変化出来るようになり、気付くといつのまにかスピードがあがっていた、くらいが健康的なプロセスでしょう。スピードを指標として採用するのは、どうしてもスピード自体が目的となりがちであり、硬直を招く危険と隣り合わせです。


1-c なぜ鍵盤を押さえ込み、握り掴みたくなるか
   体が十分に柔軟であるにもかかわらず、不要な重さをかけて鍵盤を押さえ込み、かえって指が回らなくなってしまうケースについて考えていきます。

c0050810_125218.jpg●鍵盤楽器に共通する問題
   肩周りが最も自由になるためには、骨格的には顔は真正面を向いていなければなりません。一方、どうしても鍵盤の白黒模様、あるいは視線下方にある譜面を見ざるを得ないのも現実です。そのときのI.B.の崩れを最小限に留めること。体の中心線を鍵盤中央に合わせたら、あとは目を閉じていてもおおよその鍵盤風景が把握出来ている(=Keyboard mapping)べきですが、これは手首の左右移動におけるI.B.に他なりません。オルガン奏者が決して足鍵盤を見ないのも同様です。マッピングが出来ていることと、緊張することなく悠々と手首も所期の位置へ移動させられることは、卵が先か鶏が先かと云った相関関係にあります。時間を節約したければ、練習の最初期の段階から、この2つの両立を全力で図るべきでしょう。


●モダンピアノの利便性の裏側
   この百数十年間に製作されたモダン・ピアノは、多少の乱暴なタッチにも耐え得るように設計されており、それが上記I.B.問題と相対する機会を奪っています。肩甲骨周りを硬直させていても手首の回転は可能ですし、音色を度外視すれば音高を拾うこと自体は容易です。すなわち、あたかも「不自由が無い」ような錯覚に陥る。
   I.B.問題を看過あるいは先送りすると、ときどき上手くいくけど、ときどき上手くいかない、という不安定な状態が続きます。そして、舞台上での緊張や、楽器との相性、加齢による筋肉の変質等といった、ちょっとした状況変化によって、いとも簡単に破綻が訪れる。ここで持ち出されるエクスキュースは、またしても「才能」「適性」、あるいは「集中力」、「経験」、「練習量」、「もう年だから」、などです。
  モダン・ピアノでは余りにも簡単に音が出ることから、音色よりもミスタッチの多寡が重視され、特定の指を特定の鍵盤へ無理から捻じ込む、すなわち指先成分メインの打鍵になりがちです。リキんで叩いても音が出るので、安心してブッ叩いた結果、フォルテとフォルティシモの区別は無くなり、強打で音色が割れる。一方ピアノ・ピアニシモでは、音色よりも音量が念頭にあるため、音がかすれるのを恐れて、やはり手を硬くしてしまう。
   引っ掻くようなタッチでもとにかく音は出るので、オクターヴあるいは10度に手を広げる際、肘から前腕をガチガチに固めてしまう。突ッ付いても音が出るため、手首を鍵盤上空まで持って行く準備作業なしに、そのあたりの音域めがけて指を猪突させ、無駄に出血したりする。

c0050810_12533095.jpg●モダンピアノの無意味に重い鍵盤
   バッハがクラヴィコードで《平均律》を弾いていた際は勿論、ショパンがウィーン式フォルテピアノで《練習曲集》を書いたときでさえ、彼らはここまで重たい鍵盤、鈍く濁った響きは想像だにしていなかったことでしょう。ヴァイオリンやチェロなら子供用の分数楽器が用意されているのに、ピアノだと5度しか届かない小さな手で必死で鍵盤を叩くよう強いられます。バッハが長男に手ほどきするためクラヴィア小曲集を書いたのは彼が10歳になってから、しかもクラヴィコード用でした。いまの小学生が弾くレパートリーは、所詮バロック・古典派がメインなのですから、リストやラフマニノフ用の重たい楽器を宛(あて)がうのも、19世紀以前は存在もしなかった、「不必要な労苦」と謂えるでしょう。
  プロセスとしてのハイフィンガー、「肘を使いましょう」「脇を閉めましょう」「鍵盤の底までしっかりと」「打鍵の瞬間だけ指を硬くしましょう」など、ある場面ではひょっとすると有用でも、他の場面では途端に障碍となり得る善意のアドヴァイスの数々は、特に子供・女性・東洋人にとって非常に重たい、モダンピアノの鍵盤に由来しているのでは無いでしょうか。

●「レガート奏法」の呪い
   モダンピアノ開発時に「語る」から「歌う」へと演奏様式が変化していったせいもあり、レガートで弾ければ弾けるほど上級者、ペダルを最大限踏めば踏むほど音楽的、という、無間レガート地獄が今もって跋扈しています。ボーイング(弦楽器)やアンブシュア(管楽器)も無く、鍵盤に粘着したままでも演奏は可能な上、初心者向けに「隣り合う音を少しずつ重ねましょう」と推奨されることも、止め処ない指の押し付けの一因だと思います。演奏開始直前は、鍵盤にちょっと触ってはまた離し、と躊躇(ためら)い傷を繰り返しておきながら、いったん演奏を始めた後は、ずっと鍵盤を押さえ込みしがみ付いていないと不安、という心理は、重力恐怖症(Barophobia)の一種と看做せるでしょう。一方スタッカートはスタッカートで、腕全体を軽くはずませるというよりは、指先でチクチクと小さく突き刺しているのもよく見かけます。
  同じヨーロッパの中でも、ドイツ・フランスよりはイタリア・スペインなどのほうが無節操なレガートの弊害は軽いようなので、日常会話での修辞が多少なりとも音楽とリンクしていることが、楽器の奏法にも関連してくるのかもしれません。書道と一緒で、手首が空中を自由に浮遊していなければ、適切なアーティキュレーションは施せません。舌が口蓋に貼り付かず自由に動かせ波打たせられるからこそ、的確に子音が発音出来、言葉の意味合いも明瞭に伝えることが出来ます。 浮かせたいと思ったときに即座に浮かせられる手首は、少なくともベートーヴェン以前の作品では必須でしょう。

c0050810_12553899.jpg●われ爆音主義を待ち望む
  例えば私のような巨デブのオッサンがグラビアアイドルになりたいとかジャニーズJr.に入りたいとか妄想するのと同程度に、指の細い手の小さい女の子がラフマニノフの第3協奏曲を大管弦楽と共演したがるのは、傍目には悲喜劇です。
  そもそもモダンピアノは、ほっといても莫迦デカい音が出る楽器なのに、さらに「楽器を鳴らし切る」ことが重要なテクニックの一つとされ、「オーケストラを貫いて聞こえるピアノ独奏部」などが賞賛されます。音量のためにリキみ、速度のためにさらにリキむ。
   本来、ある限度以上の音量や速度は、聴き手とのコミュニケーションとしては低劣な手法であり、むしろ騒音として拒絶される確率のほうが高い。大きな声で怒鳴ったり、早口でまくしたてたり、プロパガンダを連呼されても、説得力は増しません。ところが一部の聴き手は、大盛り御飯をスピード給仕することに、盛大な拍手を送る。喰っていかないといけないし、弾いていて気持ちも良いものだから、ますます頑張って鍵盤を殴打する日々となります。

●他の人が手を押し付けて弾いているから、そう教えられたから
  これは単なる悪循環ですので、論考に値しません。「ポリーニが死ね言うたら死ぬんか」というレベルの話です。弾けない人が弾ける人の表層だけを物真似するのは滑稽であり、時間の無駄です。機械を使おうが使おまいが、モーション・キャプチャー解析に意味はありません。

(この項続く)
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by ooi_piano | 2009-11-07 09:12 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(1)


(承前)
c0050810_130826.jpg    指が動いてくれない、という壁を突破するためには、「ピアノをどうやって弾くか(奏法認識)」というソフト側と、「体をやわらかくしておく(大枠)」のハード側、その両側からトンネルを掘り進み開通させるのが賢明だと思います。第1部で述べたのが前者で、これから述べるのが後者です。もしこの世に完全無欠な鍵盤奏法というものが存在するなら、年をとろうが何をしようが指は回り続けるでしょうし、ピアノのみならずくチェンバロもクラヴィコードもオンド・マルトノでもこなせる筈です。また、いかなる手の変位も体が柔軟に受け流すことが出来るなら、あらゆる体操選手はピアニストへ転職可能でしょう。
   第1部の、指先成分をゼロへ持ち込む奏法については、私は寡聞にして文章化された前例を知りません。(もっとも、それに近い弾き方をしている奏者は少なからずいます。)第2部での体法関連については、幾つかのキーワードで検索すれば山のようにヒットしますので、私などが上から目線でぐだぐだ申し上げる筋合いは本来御座いません。諸歴史的鍵盤楽器も視野に入れた「汎用」を目指しつつ、また自分自身やclosed beta test等で見かけた典型例なども盛り込みながら、おおよそのラインをまとめてみます。「2-a 勝手に筋肉が動いてくれるための準備体勢」、「2-b 各部位を連動させるための導入エクササイズ」、「2-c それでも筋肉が動いてくれない場合」、「2-d 変化のプロセス素描」、の4部に分かれます。


2-a 勝手に筋肉が動いてくれるための準備体勢

c0050810_132544.gif   この項では、筋肉が滑らかに連動するための準備体勢(姿勢による下拵え)について、概観していきます。
   前出記事1-bにおいて、「適切な姿勢で椅子に座っていれば、I.B.(-5)の状態で指を鍵盤に置いた際、手首の角度は水平に近づき、肘は押し出され、肩甲骨は外転する」、と述べました。肩甲骨というのは、背中上部の両端(うなじと脇の間)にある、翼のような骨です。腕を動かす際、本来肩甲骨は前後・左右・上下におのずと回転する筈のものです。
   いかなる時も肩甲骨が自由に宙を舞い続けていてくれれば話は早いのですが、頭を背骨の上に乗せてバランスを取る筋肉、肩甲骨をぐるぐる回す筋肉、手を上へ持ち上げていく筋肉等々が、まるで多面ルービックキューブのように錯綜しており、それらが何かの不都合で一旦絡まって(固まって)しまうと、案外簡単に肩は動かなくなります。肩甲骨と肘(ひじ)は連動しているため、「指は回るけど重みがかけられない」、「重みをかけると指先が固まる」、「一部の指は回るけどポジション移動がしにくい」、等々の事態が発生して来ます。指が回らない原因が、まさか肩や背中の筋肉の不具合とは思いにくいので、硬直の悪循環の冥府魔道を彷徨うことになります。
   筋肉が適切に動いてくれない場合、やはり「正しい姿勢」というものに立ち返るのが結局近道なのは、認めなければなりません。PCの画面を切り替えたり、ボタンを押して反応が返ってくるのを待つ際、ひとは20秒以上は我慢出来ないそうです。正しい姿勢、すなわち最小限のタスクで体を支えるための大枠を設定して、あとは筋肉が勝手に動き出してくれるのをじっと待つ。それが最も賢明だと頭では分かっていても、目先のラクさに引き摺られてしまうのも我々の性(さが)です。
   「朝起きてすぐの20秒」、「大金払っての20秒」、「にっちもさっちも行かない場合の20秒」なら何とか我慢出来るかもしれません。正しい体勢のポイントとなるのは、呼吸、首周り、腰周りの3つです。
   

●呼吸について
c0050810_1342014.jpg   胸に硬いクッションをあててうつ伏せに寝、全身をリラックスさせると、呼吸する胸とクッションの押し引きに連動して、体のさまざまな部分が緩やかに動いていることが分かります。これが脱力の基本です。
   普通に呼吸しているだけで体のどこかに硬直が発生するとしたら、それは息を吸うときでしょう。「空気を吸わなくちゃ」、と妙に意識すると、かえってつまらない部位をリキませてしまう。解決法としては、まずは息をゆっくりと吐(は)き切ってしまうことです。そうすると、何もしなくても空気は体へ勝手に入り込んで来る。呼吸の順番は字義通り、「吸って吐く」ではなく、「吐いて吸う」である、と考えれば、呼吸時の硬直は避けられます。息を吐き切っていく際、そして吐き切った際の筋肉のバランスも、よく覚えておきましょう。
   通常、就寝時には自然な呼吸(=肩を上下させない腹式呼吸)が行われていますが、起床して活動するにつれ、それが不規則になって来ます。「吸って吐く」を頭で意識し出すと、ますます不自然になる。息の出し入れを意識したときに、筋肉の連動がおかしなことにならないよう、自然な呼吸パターンを静かにウォッチングしてみましょう。呼吸のパターンは、性別・年齢等々によって人それぞれだそうです。××式呼吸法に無理に合わせようとして硬直を招くのでは、意味がありません。 

●首周りのリラックスについて
c0050810_1316699.jpg   肩甲骨を硬直から解き放つためには、まずは首周りを徹底的にリラックスさせることです。それには、頭が軽やかに背骨の上でバランスを取っている必要があります。首周りで一番ネックになるのは何と言っても、両耳の後ろから項(うなじ)にかけての部位です。知らず知らずのうちに、このあたりを萎縮させていると、いつしか猛毒が全身に回ります。逆に言うと、全身の解毒(げどく)をしたければ、首元から手をつけるべきでしょう。
   人間の頭部は体重の1~2割を占めるほどの、かなり重たい物体です。電車で居眠りをすれば、首がダランと倒れるのは自然なことです。一方、肩周りが自由に動くためには顔は真正面を向いているべきですから、ダランと垂れた首を引き上げ、背骨の上に乗せるための筋肉は、最小限使用しなければなりません。
   背骨をホウキの柄、頭蓋骨をカボチャ(球体)とすると、ホウキはカボチャに突き刺さっており、その先端はカボチャの中心に到達しています。カボチャの中心は両耳の真ん中、鼻の穴の奥あたりです。前述の通り、肩甲骨や上腕が自在に動くためには、か細いホウキの上で重たいカボチャが軽やかにバランスを取っている必要があります。人間の眼は前方を見ているので、どうしても頭の後方は意識が回りにくい。横から眺めて、他人の耳が球体の真ん中に付いているのは当たり前であっても、自分の耳は何となく頭のかなり後ろのほうにあるような気がしている。そうすると、頭の後半球の重みをいつしか度外視するため、気付くと前かがみになっている。これを解決するには、リドリー・スコットの「エイリアン」のように、自分の後頭部がうしろへ長く垂れ下がっているようにイメージすることです。そうすれば、自然にアゴは引っ込み、カボチャをホウキの上に上手い具合に乗せることが出来る。喉元を緊張させてアゴを「引き締める」のは、本末転倒です。頭の天辺に紐がついていて吊り下げられている感じ、という形容も体感されて来るでしょう。筋肉の説明ではなく骨の位置関係から述べているのは、そのほうが効率的にリラックス出来るからです。
c0050810_1322396.jpg   余りにも猫背が長年の癖になっている場合、腰を反らせたり背中の下部を突っ張らせずに「姿勢を正しく」することは、いわば真後ろへ向かって体を落下させるに等しい恐怖です。ゆえに猫背は治らず、首周りの硬直もなかなか取れない。良い姿勢を習慣付けていけば、いきなり筋肉が滑らかに動かなくとも、少なくとも筋肉の突っ張りを感じ取れるようにはなって来ます。これは不必要な硬直をほぐしていくための、非常に重要なステップです。一見ラクなダラけた体勢は、そのじつ自分の背骨そのものに寄りかかるに等しく、肩凝り・腰痛の原因となります。いわゆる姿勢の良い人は、見た目の美しさや倫理的規範にしたがって姿勢を正しくしているのではなく、単にラクだから背筋を伸ばしているのです。「正しい姿勢」とは、筋肉の不必要な硬直を起こさないために、体の各部位の重みが適切なバランスを取れる体勢のことであり、結果としての外見の美しさは二義的なものです。
   おおよそのカボチャとホウキの位置関係を感じ取るためには、半仰臥位(セミスパイン)が手っ取り早いでしょう。厚めの硬い本を枕に仰向けに寝、膝を立てます。膝を曲げることによって、股関節周りが緩められます。背中は床にべったり付いているので、床が無ければ体は地球の中心へ落下していくことでしょう。その背中のラインの延長線上より、少し前(上)に頭がある。後頭部の一点が本(枕)で支えられることにより、顔は真正面(天井)を見、首周りはリラックスしています。この体勢を90度回転させたものが、おおよその「正しい姿勢」の指標となり得ます。ストレッチポールを背中にあてがっているイメージも有用かもしれません(購入しないまでも)。

   体全体をリラックスさせ、何かに背中を預けている状態の喩えとしては、巨大な阿修羅に背後から両脇を支え上げられ、「高い高い」をされている、というイメージは如何でしょうか。便宜上、このとき阿修羅は三面八臂(三つの顔に八つの腕)とします。「高い高い」をしながら、同時に阿修羅は別の腕で我々の尺骨を下から持ち上げ、手首の位置を上下左右に動かします。猫背のままだとしんどいので、我々の背筋は自然に伸びるでしょうし、空中に吊り上げられているため腰から足首まではダランと垂れたままです。重要なのは、体を支える阿修羅の腕と、手首を支え動かす阿修羅の腕は別物、ということです。阿修羅の右腕4本をr1、r2、r3、r4とすると、r1は脇を差し込んで骨格の大枠を支える係、r2は前腕中央を下から持ち上げ移動させる係、そしてr3とr4は肩甲骨の両側(背中側と胸側)を手の平で包んで、縮む・伸びるを優しくサポートします。右手が高音域へ移動する(体から離れる)ときは、背中側r3がグッと支え、胸側r4は伸びる筋肉に掌を添え暖める。逆に右手が低音域方向へ移動する際は、今度は胸側r4がアクションの内側(へこむ側)をグッと支え、背中側r3は伸びる背筋を柔らかく介護している。アクションと同じ側の筋肉が縮む際、見えない手によってグッと支えられ、それに「もたれている」、と感じられれば、アクションの反対側の筋肉が共縮することなく伸び、かくして「ちょうどよいバランス」を思い出せるようです。因みに、阿修羅の三つの頭は、「支える筋肉」、「縮む筋肉」、「伸びる筋肉」をそれぞれ管轄しています。
   繰り返しになりますが、「正しい姿勢」とは、手や足を動かしても、ホウキの上でカボチャが軽やかにバランスを取れている状態のことです。無意識に首周りを硬直させたくなる心理的背景については、次章(2-b)で触れます。

●腰周りのリラックスについて
c0050810_18422861.gif   腰周りがリラックスするためには、まず骨盤を立てて坐骨で座ることです。坐骨というのは、骨盤の一番下にある2つの突起です(図参照)。坐骨で座る、とは、頭蓋骨を乗せた背骨の重みを、骨盤が効率よく支える、ということです。
   背骨は背中の皮膚近くではなく、胴体の真ん中を通っています。前かがみになって胴体前後のバランスが崩れるのを避けるために、背筋を伸ばし、背骨から前、すなわち胴体の前半分の重みを、鼠蹊部(股)に乗せていきましょう。いわゆる「丹田」の場所については諸説あるようですが、臍から3~5cm下、皮膚から数センチ下の体内に、風呂場の吸水口のようなものがあって、呼吸のみならず、体の重みもそこに吸い込まれてゆく、とイメージすると、自然に下腹部が折り畳まれていきます。骨盤を寝かせることなく、肛門を少し絞ってみるのも良いでしょう。首周りのリラックスと腰周りのリラックスは相互補完関係にあるので、どちらかが出来れば良い、というものではありません。すなわち、「腰を入れる」ことは、指回りにもつながってきます。
c0050810_13185861.jpg  坐骨で座れているかどうかを判別するためには、腿を少しあげ前後左右に動かしてみて、腰周りの安定性を確かめるのと良いでしょう。腰周りがリラックス出来ていないと、演奏中に足が不要にバタバタ動いたり、腿(もも)がリキんで競(せ)り上がってきたりします。初期フォルテピアノでは、両足の太腿で鍵盤裏側(下面)の「膝レバー(膝ペダル)」を操作しなければなりませんし、オルガンの足鍵盤では持ち上げた足を前後左右へ自在に滑り下ろす必要があります。坐骨で座れていないと、太腿をあげるたびに上半身がグラつき、膝レバー・足鍵盤の操作のみならず、手鍵盤にも深刻な影響を与えます。モダン・ピアノですと、肩周りをかためて鍵盤を押さえ付け、腰周りを固めてガチガチの足首でペダルを踏み付けても、一応音は出せるため、かくして各人各様の気侭な「演奏スタイル」が生まれます。
   余談ながら、膝レバー付き初期フォルテピアノの場合、レパートリー的にダンパーペダルを使用する箇所が少ない上、「補助ペダル」なる道具も不必要、かつ鍵盤も弾きやすく軽い、といった点で、子供の教育用には打って付けだと思います。シュタイン・モデルで、インヴェンションからベートーヴェン悲愴までカヴァー出来ます。
c0050810_13201367.gif  さて、立った状態から椅子へ座る際の座り方、また椅子からの立ち上がり方についても、十分注意が必要です。これには、足を開いて腰を上げ下ろしする、相撲の腰割り(wide-stance squat)が一番でしょう。両足を肩幅より広く、逆ハの字型に開いて立ちます。爪先と膝は同じ方向になるよう、内股を緩め股関節を調節します。(この、股関節~膝~爪先を「逆ハの字型」に揃えることが、肩甲骨面の「逆ハの字」同様、最も重要なポイントだと思います。)顔を真正面に向け、背骨は地面と垂直のまま、太腿が床と平行になるまで、息を吸いながら腰を下ろして(しゃがんで)いきます。そして、息を吐き出しながら元に戻します。普通のスクワットと違ってお尻を突き出さないように、また膝が爪先より内側(の角度)に入って来ないようにします。先述の丹田呼吸、肛門閉めも意識してみましょう。膝を90度以上曲げるのは有害のようです。最初は壁に沿ってやったり、慣れてきたら頭の後ろや胸の前で両手を組む、などのヴァリアントもあります。腰の上げ下げを最も邪魔するのは、意外にも肩周りの硬直のようです。I.B.のチェックが目的ですので、筋肉の微細な突っ張りを一つ一つ丁寧にほぐし、観察していきましょう。突っ張りが無ければ、上半身全体が錘(おもり)となり、まるでフタを取った便器に尻が落ち込んでいくような重心移動を体感出来ます。

(この項続く)
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by ooi_piano | 2009-11-07 09:11 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)


(承前)

2-b.  各部位を連動させるための導入エクササイズ

c0050810_1338159.jpg   2-aの条件下で、手首~肘~肩甲骨を連動させるエクササイズを導入していきます。
   エクササイズといっても単純なもので、手首を誰かに持ち上げてもらい、左右に軽く揺すってもらうだけです。手首に合わせて肘~肩甲骨がブラブラ揺れていれば、もうオッケーです。ただ、これが案外難しい。様々な方々と脱力セッションをさせて頂いて、ほぼ共通していたのは、ある年齢以上ではどうしても肩が固くなることでした。その場で一時的にやわらかくすることは出来ても、ピアノの前に座るとまた固くなったり、奏法に落とし込めなかったり、等々。手首を「置く」だけで鍵盤が押し下がるためには、「置く」アクションに逆らう筋肉は全て緩めることが前提となります。余計な筋肉が突っ張ると、それだけ「置く」アクションの効率が阻害されるからです。
   効率的に腕を動かす、というのは、出来るだけのたくさんの部位の筋肉を、最小限ずつ使用することです。特定の少ない部位の筋肉を精一杯動かそうとすると、痛くなったり動かなくなったりする。腕が軽い、とは、沢山の部位がちょうどバランス良く参入している状態を意味します。
c0050810_13392556.jpg   解剖図を見ながら××筋を動かし××筋を動かさないように、と思ってみても、特に肩周りでは、そうは簡単にことは運びません。付加的な指令を脳から発信するのは諸刃の刃(やいば)で、使用は限定した方が良いでしょう(次章参照)。動きを支える部位の準備が出来たら(前章参照)、あとは筋肉が勝手に回りだしてくれるのを待つのがベストです。勝手に動いてくれたときが、筋肉の組み合わせが最も効率化されているからです。
   困ったことには、突っ張った筋肉は緩められて初めて、突っ張っていたことが分かります。各部位の筋肉の質は人それぞれであり、しかも今日と明日で状態が変わる。注意深いストレッチとは、往々にしてアクションの反対側に位置する、縮まなくて良い筋肉をじっくり解除し、各部位の可動域を広げていくことです。実のところ、体が動く動かないの問題解決は、それに尽きます。注意深いチェックとは、脳の可塑性を活用した、神経回路の再構築に他なりません。味噌汁を作る前に慎重に出汁を取る程度の、慣れれば当然、慣れてなければ面倒、わずかな手間隙・味見が必要な準備作業のことです。そのあたりを含み込みながら、肩周りを緩めていきましょう。


●誰かに揺さ振ってもらう場合
c0050810_13414757.jpg   以下、揺する側(A)・揺すられる側(B)の視点を、適宜シフトしながら書いていきます。いま揺する側(A)は人間を想定していますが、最終的にはこの(A)は楽器そのものです。すなわち、「ピアノに手をつかまれ、揺さ振られている」、という見方です。
   まずBは直立して、両腕をラクに垂らします。【1】AはBの手首を、前方の鍵盤位置の高さくらいまでゆっくり持ち上げていきます。そして元へ戻す。【2】再び手首を鍵盤位置まで持ち上げ、その高さで高音域(右方向)、低音域(左方向)へゆっくり動かす。同様に【3】上下、【4】前後へも移動させます。このとき、手首の移動にともなって、前章の「肩周りのリラックス」、ホウキの上で軽やかにバランスを取るカボチャを意識しましょう。
   【5】次に、鍵盤位置まで持ち上げた手を、その位置で軽く左右に揺すってもらいます。そのまま軽く揺すり続けながら、手首の位置を【6】左右、【7】上下、【8】前後に移動させます。【1】~【4】の場合と、【5】~【8】の場合に、背中周り・肩周りに何か違いが起きたか、観察してみましょう。
   そののち、今度は椅子に座って同じことを繰り返します。立った時に比べて座った際に何か不都合があったなら、2-aの「腰周りのリラックス」を意識してみましょう。以下、【1】~【8】での注意点など。

c0050810_13425745.jpg   【1】・・・ AがBの手に触れる前に、既にBが手を差し出して来ることがあります。両腕は全行程を通じて、ブランと垂れ下がったままにしてもらって下さい。赤の他人に手を握られる心理的抵抗感、あるいは、急に腕に放されてその落下の衝撃を受ける恐怖(=高所恐怖症の一種)から、脇や腕を硬くしてしまわないようにしましょう。腕の「脱力」を確認するため、ピアノ教師が生徒の腕をガッと持ち上げ、急に放して自由落下するかどうかテストすることがありますが、果たして、一般に演奏中も始終その「落下状態」は守られているでしょうか。
   変位(動かす)の直前に、まずはBに息を吐き切ってもらいましょう。息を吐き切ったタイミングを見計らった直後、空気が体の中へ自然と入り込んでくる(=Bが息を吸う)のと平行して、手首を持ち上げていきます。アクションの前に、就寝時に息を吐き切った際の体の状態を再現して下さい。そこがエクササイズの出発地点です。そして、今度は息をゆっくり吐き出すのと同時に、腕を下ろしていく。それが出来たら、今度は呼気と吸気のタイミングを逆にしてみましょう。
   一連のプロセスにおいて、「頭は空中にしろしめし、体はただ事も無く平和」、という遠隔操作感が大事です。妙な突っ張りは解除してゆくべきですが、それ以外は一切何もせず、BはAのなすがままにしていること。AがBに、「息をゆっくり吸いながら」「息をゆっくり吐きながら」「顔は正面を向いたままで」「はいもっと力を抜いて、もっと抜いて、さらに抜いて」「へその下から息を出し入れして」「突っ張っているところをちょっとずつリリースしていって」などと、声をかけるのも効果的です。ふわふわ、どろどろ、にゅー、どーん、びよーん等の擬態語を、AのみならずB自身が口に出してストレッチするのも、ときにあっけないほどの変化を齎すようです。音楽的には、ティラリ、リララ、ディヤダ等の口三味線で、アーティキュレーション・節回しが全く違ってくることに相当します。
   手の位置を変化させる際、諸関節が適切に動いているかどうかを判別するのは、素人の手に負えることではありませんので、厳密には専門家に当たられることをお勧めします。

c0050810_13434297.jpg   【2】~【4】・・・ AがBの右手を取って高音域側へ動かそうとすると、右脇が閉まってAの手を引っ張り返してしまう(【2】)。鍵盤位置から手首を上へ持ち上げていくと、今度は吊り橋のように垂れているべき肘がリキんで外側へ張り出し、脇が開く(【3】)。手首の位置を胴体側へ押し込んでいくと(=手押し相撲)、肩と肘が背中方向へ退却し受け流すことなく、脇が締まり、胸の手前で肘が折り畳まれてしまう(【4】)。 ・・・というのが、よくあるパターンでした。
   このうち最も問題なのは、手を左右に腕を動かすときに肩甲骨周りが固くなり、移動がぎごちなくなったり、鍵盤に手を押し付けてしまうことでしょう。右手の場合、高音域という遠い見知らぬ場所を、「弱い」指(小指・薬指)で弾かねばならない、という心理、また左手の場合は低音域を爆音で弾きたい、という心理が、跳躍のための硬直やらオクターヴ用の硬直やら(前述)と組み合わさって、脇の締め付けを起こしています。そもそも、ベートーヴェン時代までの鍵盤楽器の高音域は、元々細く薄くなるよう設計されていましたので、左手を柔らかく右手をたっぷりと輝かしく弾くのが上級者、という考え方も、わりと最近の話です。右手が鍵盤中央を弾く際のI.B.をI.B.(x=0)、そこから30cm右方向を弾く際のI.B.をI.B.(x=30)とすると、右手を鍵盤中央から右方向へ30cm跳躍させるためには、その跳躍直前にI.B.(x=0)からI.B.(x=30)へと、胴体の中で準備作業が出来ていなければなりません。細かいアーティキュレーションを施すための浮遊する手首を体感するためには、鍵盤表面上の爪先グリッサンドでノイズを立てるラッヘンマン《ギロ(グエロ)》を練習してみると良いでしょう。白鍵の表面を高速で爪先グリッサンドしても、実音が決して出ないようにすること。x=0のポジションからx=30のポジションへの移動を練習する際、ほどよい等速で《ギロ》式に滑っていくのは、keyboard mappingにも大いに役立ちます(これはオルガンの足鍵盤も同様です)。
  腕が横方向に引っ張られたとき、その変位を受け流すには、体の中心線を意識してみると良いでしょう。背骨が上方向と下方向に延長され、体全体が垂直方向に串刺しになっているとイメージします。手が引っ張られると、串を中心に筋肉・内臓はくるくる回る。体を捻(ひね)らない、という考え方は、武道の順体、相撲の調体(てっぽう)、歌舞伎の六方(ろっぽう)、ナンバ歩き等にも見られる智慧です。

c0050810_13445017.jpg   【5】~【8】・・・ 手首を揺すられたときに肩甲骨がブラブラと連動してくれない、あるいは揺すられると手首位置の移動に支障が生じたりするのは、硬い肩、すなわち首周りの緊張に起因しています。肩が「開端」していないことにより波動が堰き止められていることは、Bには自覚出来ていなくても、Aは如実に手元で感じることが出来ます。縄跳びの縄を左右に振ってヘビごっこをする際、縄の一方が結び付けられているかどうかは、手元ですぐ判別出来るのと同様です。
   他人によって肩甲骨が揺すられること、すなわち、気道に近い筋肉がぐにょぐにょ動かされるのは、慣れないうちは恐怖、少なくとも不愉快なことです。そんな生命線に近いところ(=喉)が吊り橋の一端となっているなど、考えたくない。動くにしても、もうちょっと手前が動いて欲しい。そもそも、いつも動いていないところ(=慣れないところ)は、他人はおろか、自分自身でも動かすのは億劫なものです。かくして首周りを固めてしまう。
   また、「腕の付け根」というものが、肩あるいは脇の固定された「一点」だと思っているため、肩甲骨をまるごとペロンと動かすことを無意識に拒絶してしまう。これは解剖図などを見れば一目瞭然ですので、知識で誤認を解決出来る範囲ではあります。
   リラックスということでは、BがAの膝に乗り、背中側から二人羽織のように手を握られ、揺すってもらうのが理想的かもしれません。ぶらぶら手首を揺すりながら、AがBの肩甲骨あたりにもう一方の手を添える、あるいは肩甲骨近くに手をかざすだけで、Bの動きに変化が起こることがあります。言葉と体温と催眠ペンダントで、ひとは幾らでも暗示にかかる、ということでしょう。

   応用編としては、たとえばB自身が左腕を「うらめしや」状態で持ち上げておいて、別途Aに右腕を揺すってもらう。左腕を持ち上げていることが、右肩周りの脱力を邪魔していないかどうか。加えて、左手の指を開いたり握ったりした場合はどうなるか。なにか条件を付け加えたときに、意識的無意識的な筋肉調整の変化を観察しましょう。


c0050810_18151799.jpg●自分で揺すってみる場合
   誰かに揺すってもらった際の筋肉の状態を思い出しつつ、今度はアシスト無しでやってみましょう。不具合の調整に好きなだけ時間をかけられるメリットの一方、手を動かすための脳からの指令にバグが含まれている危険も覚悟しなければなりません。
   まず腰の横に両腕を垂らします。手のひらを前へ向けると、上腕は回外し、肩甲骨が内側へ寄ります(=内転)。手のひらを背後、さらには逆手で外側へ向けると、上腕は回内し、肩甲骨は外側に広がります(=外転)。手首を「うらめしや」状態で持ち上げ、少しだけ内側・外側に傾けた際、手首~肘~肩甲骨が連動して傾いているでしょうか。手首~肘~肩甲骨をゆるゆると揺らしつつ、手首の位置を左右・上下・前後に動かした際、滑らかにI.B.が取れれれば、このエクササイズは終了です。   
c0050810_13473576.jpg   第1-b章で述べたように、自分自身で手を持ち上げる場合、「前腕の真ん中あたり(手首と肘の間)がヘリコプターで吊り下げられている」、あるいは「下からT字杖(or物干し竿受け)でリフトアップされている」、という体感イメージがベストだと思います。これは、前腕の尺骨、すなわち手首の小指側の付け根と肘を結ぶラインを動きの支点とするに等しい。もし手・腕のどこかに意識をあてるとするなら、それは指先ではなく、尺骨の真ん中(重心)あたりであれば、手首から先をリキませずに済みます。
   尺骨を物干し竿とすると、その真ん中をT字杖で下から持ち上げ、そのまま竿の端にブラ下がっていた手首を鍵盤に引っ掛けること。「うらめしや」状態だった手は鍵盤を押し下げ、それと連動して、吊り橋のように垂れていた肘は外側へ押し出され、上腕は回内し、肩甲骨はニュートラル位置から外転します。指先が対象物に触れた瞬間、上腕が回内し肩甲骨は外転し、余計な力を入れずに腕の重みを対象物へ伝えられるのは、弦楽器の右手・左手についても同様だと思います。
   重要なのは、肩甲骨が外転し、その状態でフレクシブルに左右に揺れていることです。解剖図のことは一端忘れて、肩甲骨が空中でフワフワ転がっているテトラパックだと思うこと。ある方向へ動くべきものだ、という思い込みが硬直を招きます。上腕が回内していても肩甲骨が連動しなければ、遠からず肩に激痛が走るでしょう。ピアノの連続高速オクターヴ連打や、一流弦楽器ソリストも内心気に病む「一弦連続スタッカート」は、盆の窪を緩めて指先・弓先の喰い付きにより肩甲骨をゆるゆると電気アンマする(軽く波打たたせる)ことに尽きるのでは無いでしょうか。

c0050810_13493096.jpg   手首~肘~肩甲骨の連動について、別経路で考えてみます。まず腰の横に両腕を垂らします。そのまま上半身全体を左右に捻ると、両腕はデンデン太鼓のように投げ出され、振り回されます。一挙に両腕ともデンデン太鼓状態にするのは難しいので、例えばまず右腕は胴体にぴったり貼り付けて固定しておいて、左腕だけをブンブン回す、その次に左腕を固定して右腕を振り回す、最後に両手で、という順を追っても良いでしょう。脇の上で、肩甲骨と鎖骨がクランクシャフトのような押し競饅頭をしているのを感じること。
  それが出来たら、片手ずつ手首を「うらめしや」状態へ持ち上げていきましょう。持ち上げるのは少しで良いです。その際、デンデン太鼓状態がどれくらい崩れるでしょうか。「裸で歯を磨くとチンチンが揺れるのは、チンチンが脱力しているからである」、「シリコンが入っていないおっぱいは、走ると内側へ向かって回転して揺れる」等の喩えは、脱力セッションに付き合って頂いた皆様から、分かり易いとの御高評を頂きました。
   こういった柔軟エクササイズは、一回出来たらハイ終わり、ではなく、不具合を感じる毎に回帰し常にチェックすべきものです。ピアノ教育の何割かは、この手のボディワークに割くべきでしょう。無論、従来の鍵盤演習とのリンクも可能です。例えば、学生時代にハノンを弾いて上手くなった、という事例は、指先と肩甲骨の回転がシンクロ出来るようになったことを意味している可能性があります。確かにあの音型はリンク作業に向いている。何でもモノは使いようであり、リキんだ指先・手首・肘でタイピングに興じるので無ければ、ハノンもコルトー・メソッドも全否定すべき存在では無いでしょう。


●同じように足首を揺すってみる
c0050810_13501658.jpg   今度は、手首のかわりに足首を持ち上げて、揺すってみましょう。手首のときと同様、足首はフワッフワの状態のままにします。椅子や地面があるとどうしても踏ん張ってしまいたくなるので、例えば空中に浮かぶ椅子に、タケコプターで着地する、とイメージしましょう。当然タケコプターは頭の天辺についています。椅子は宙に浮かんでますので、座っても足首は空中に垂れ下がっています。椅子を取り払うと、元のタケコプター飛行状態(=手足ともにダランと垂れている)に戻ります。・・・この喩えが想像しにくい場合は、プールサイドで水に足を漬けている状態、と言ったほうが早いかもしれません。どちらにしても、椅子には坐骨で座っています。
   もし見えざる手で脛(すね)を握られ、上下・左右・前後に動かされた際の、股関節の角度や膝の曲がり具合を想像してみましょう。例えば足先が右方向へ動かされた際、股関節がリキんで無ければ、おのずと膝は内側へ落ち込む(=内股になる)筈です。これが、オルガンの足鍵盤奏法の基本です。広背筋は腰周りと肩周りをリンクしているで、「足首がフワッフワでいられる」ことは、手の指先へも影響する可能性があります。
   アフリカならびに中南米の人たちに見られるリズム感の良さは、足首の柔らかさ、腰周りの柔軟性に由来しているのかも、と思ったことがあります。乗馬にしても、鐙(あぶみ)を踏ん張ってしまうと駄目みたいです。ロナウジーニョの足にボールが吸い付いているように見えるのは、ありとあらゆる足首と膝の位置のためのI.B.を、安定して連続させられるからでしょう。一本歯下駄やMBTシューズに頼らずとも、ひょっとするとブッシュマンの如く裸足のままフワフワと都会を歩き回れば、太古の記憶も蘇ってくるかもしれません。

(この項続く)
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by ooi_piano | 2009-11-07 09:10 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

c0050810_13572297.jpg
 Versuchの中核部分は、第1部の奏法論、第2部前半のエクササイズ導入で既に述べたことになります。ここでブレイクを。
  指が回る・回らない、という、原因不詳の壁に突き当たった際の対応の差は、実は、日頃の学習態度にも現れている筈です。まずは、専門学生とアマチュア愛好家の典型例で比較してみましょう。


専門学生  ⇔  アマチュア愛好家

(1)地味な曲を地道に練習するのは当然の仕事  ⇔  (2)人をアッと驚かせモテモテになりたい

(3)意図的に曖昧な言い回しには慣れている   ⇔   (4)完全に途方にくれる

(5)一曲仕上げるのに長時間を覚悟   ⇔   (6)何か秘法を知ればすぐに弾けるようになるものと夢想

(7)お手本を弾かれた際、ある程度は吸収   ⇔   (8)ポカーンと傍観

(9)入試やコンクールの内部裏事情をgetすれば元が取れる   ⇔  (10)有名人の師事歴が書けると嬉しいな

(11)曲を練習するのは基本的に義務感からなので、新しい課題は面倒なだけ   ⇔  (12)好きな曲・好きな楽器を好きなタイミングで練習するのにワクワク

(13)才能が無いことは薄々気付いている   ⇔   (14)自分は本当は天才だと思っている

(15)それでも音楽業界に身を置きたい  ⇔   (16)音楽を仕事にするほどアホでは無い


c0050810_1355326.jpg   左項(専門学生的)、右項(アマチュア的)ともに、長所・短所があると思います。クラシックの演奏家が古楽器や現代曲に手を出さないのは、プロフェッショナル的(11)とも言えるし、アマチュア的(2、4、6、8)とも批判され得る。重音のパッセージが弾けない、クラヴィコードがうまく発音出来ない、あるいは寝違えや四十肩で指が回らなくなって右往左往するのは、解決法がメソッド化されていない(4)、奏法の根源的見直しや長期間の忍耐を要する(6)、という点で、本来はプロにとって、がぷり四つに組むべき課題ではあります。

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  専門学生の中には、「弾けてしまう子」と「弾けない子」がいます。これも、情報授受におけるリテラシーの問題として、考えてみましょう(過去記事再掲)。

  【弾けてしまう子の場合】・・・・・弾けてしまう子はしばしば、教師の言うことを聞きません。3割先生、7割自分。先生側も、好きにさせておくことが多い。
  さて、こういう子が教える立場になると、なにせ、いつのまにか弾けてしまうので、「どうして弾けるのか」を省察・言語化していることは稀です。ですので、なぜ生徒の指が回らないのか理解出来ない。ムカデに歩き方を尋ねるようなもので、善意でのアドヴァイスも生徒の混乱を招いたり、表層的な効果を狙うだけになりがちです。

  【弾けない子の場合】・・・・・・弾けない子はしばしば、教師の言うことに振り回されます。7割先生、3割自分。教師側も、まさか自分の言ったことが、生徒の可能性を凋めているとは夢にも思っていません。
  さて、こういう子が教える立場になると、さらに話はややこしい。ピアノを20数年誰かに師事して、ピアノは弾けるようにならなかったが、ピアノを「教える」ことは出来るようになった。なんとなれば、20数年間耳にタコが出来るほど聞かされた言葉を、自分で理解も納得も実践もすることなく、適当に復唱していれば商売になるからです。いわく、「もっと力を抜いて」「もっと感情を込めて」。 (→振り出しに戻る→)

c0050810_1356172.jpg   先述の「専門学生的」と「アマチュア的」の対比と同様に、先生側・生徒側双方に、各々の要素が混在するのが普通です(ドビュッシーは得意だけどバッハは頓珍漢、etc)。良心的なボディワークでは、行き当たりばったりの思いつきを投げかけることは無いでしょうが、壁に突き当たった際に途方にくれる点では五十歩百歩です。胃の中の紐を引っ張ればクシャミが出る、というほど人間の体は単純では無いので、約(つづ)まるところ、壁に向き合い続けるのは自分自身の意思・忍耐でしかない。
     生徒としての良し悪しは、ある情報が目の前を通過していった際に、その後ろ髪を毟り取るべく手を伸ばすか伸ばさないか、で明暗が分かれます。「こういうムズカシイ説明がしてある本(or授業)は分からない」と尻込みするのも困り物だけれど、「これなら知っている」と早合点するのはそれより遥かに危険でしょう。

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   演奏家と現代作品の関係にも、この種の類似性が見られます。現代曲を「未知の課題」と置き換えれば、これは「専門家的」「アマチュア的」とまったく平行現象です(再掲)。

一般的 ⇔ 現代曲プロパー的

(A)楽器は上手いが現代曲に興味が薄い ⇔ (B)楽器は下手だが現代曲を長時間我慢して練習出来る

(C)評価が確立していて既に参照録音も存在するような作品なら弾く ⇔ (D)新作初演上等、作曲家とのコラボも好き

(E)誰かに演奏法を教えてもらえるなら弾く ⇔ (F)職人は自分で道具を作って手入れするもの、練習法など自分で開発して当然

(G)汎調性、汎パルスの弾き易い曲なら弾く ⇔ (H)メロディもパルスも無いノイズ系上等

(I)歌ったりアクションしたりするなど考えられない ⇔ (J)叫ぶのも脱ぐのも大喜び

c0050810_13535765.jpg   上記で二極化した右項目に該当する演奏家は、なんだかんだで貴重な存在ですが、現代音楽演奏コンクールで優勝して日が当たるのが常に右項系とは限りません。もっとも、右項系は右項系で、バッハなど弾かせると左項系真っ青の古色蒼然たる解釈だったりしますので、情けない限り。
   教育課程には一応のゴールが設定されています。エリートであればあるほど、ゴールよりも先の譜面に遭遇した場合――すなわち、「初見でだいたいのところが掴めない」作品の場合――、脆くも思考停止になりがちです。優れた演奏能力を持ち、現代音楽に多大の関心がありながらも、上記の「左項系」(中ん就く(G)⇔(H)の「反ノイズ系」)に収束してしまうのは、こういった音楽教育の知られざる弊害と言えます。
   「アルゲリッチのテンポ・ルバートを耳コピー出来る俺って、凄くね?」的な発想は、アマチュア・プロを問わずよく見かけるものですが、いまや古楽や現代音楽の分野にもこの悪習が広がりつつあるようです。先だって聞いた米人奏者によるクセナキス《エヴリアリ》(しかも複数)は明らかに高橋アキ盤を下敷きにしていましたし、《シナファイ》についても同じ感想を持った演奏がありました(聞けば分かります)。譜面から自分の解釈を組み立てられないのなら、現代曲などに手を出すべきではありません。

c0050810_1359827.jpg   さて、上記の右項系が抱える宿痾は、何と言っても「不真面目さ」「不徹底さ」でしょう。いつになっても左項系から不審視される所以でもある。
   爛熟ロマン派と現代のピアノ曲の一部には、大量の音符をモーレツな勢いで演奏させる、「超絶技巧作品」なるカテゴリーが存在します。これを好んでレパートリーとして取上げるのが、「超絶技巧ピアニスト」です。
   B.カニーノはシュトックハウゼンのピアノ曲のうち、第1~第11番全曲を弾いたそうです(第10番除く)。「第10番は弾いていない」というコメントを聞いたときに、「ああ、あの曲は特にリズム表記が錯綜を極める上に、音符が多くて指が回らないからだろう」、などと思っていたものでしたが、これには別の見方もあります。第10番を弾いているピアニストは、(i)リズム表記ならびにデュナーミク指定を完全に無視して弾きまくっているだけ(初演者ジェフスキーなど)か、(ii)楽譜のテクスチュアそのものが本来内含する修辞論的理想像に肉薄するのを途中放棄しているか、のどちらかにおよそ二分出来ます。逆に言うと、「楽譜から音高以外の情報を読み取る能力が無ければ無いほど―――すなわち音高以外の音楽情報を捨象出来るほど―――、超絶難曲は弾きやすい」、ということです。
   ここで一つ、答えが出ました。「音高以外、特にリズムはケンチャナヨ」。リゲティのエテュード集がこれだけ幅広く弾かれるようになったのは、汎調性でロマンチックな演奏効果を持つことに加えて、「リズムを数えなくて良い」ことが大きいと思います。ブーレーズ初期作品だって、最初に音高さえ我慢して拾ってしまえば、あとはポリーニのCDでリズムを「覚える」だけで、莫迦でも「弾ける」ようになります。
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by ooi_piano | 2009-11-07 09:09 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

2-c.  それでも筋肉が動いてくれない場合

c0050810_14113741.gif  2-aの条件下で2-bのエクササイズをやっても、それでも筋肉が動き出してくれない場合の、ありがちな死角・盲点・ブラックボックス、そしてその突破口について考察していきます。
  我々が怒るとき、怒りの科学的成分は90秒以内に血液中から無くなるそうです。すなわち、90秒以上怒りが持続するのは、我々自身が「怒り続けたい」と希望しているからだとか。また、岡田斗司夫氏によれば、デブというのは、デブで居続けるための努力を毎日行っている人々であるらしい。同様に、指が動かない、というのは、指を動かしたくない、と自身が希望し努力しているからに他なりません。指を動かすべく新たな指令を脳から出す必要は無く、余計な指令をやめるだけで良い。ツボに手を入れて、中にある石を握り締め、「ツボから手が抜けなくなった」と泣き叫ぶ前に、まずは石を放せば良いわけです。
   人の脳は覚えるためだけでなく、忘れるために努力もしている。赤ん坊の泣き声が理想の発声法であり、幼児の体の柔軟さが究極の身体であるとすると、我々はその理想から離れるために、日々努力を重ねて来たことになります。前は弾けていたのに、今はなぜか指が回らない、というのも、全く同じプロセスでしょう。痛みや突っ張りが発生した際、無理強いを続けることは、良き回路を忘れていく作業に他なりません。筋肉のバランシングは、いったん忘れると、取り戻すのは相当に難儀です。


●動いていても動かなくても感知不能
 
c0050810_14165689.jpg  出来るときは何も考えなくても出来るし、出来ないときは色々工夫しても動かない、というのが筋肉の厄介なところです。動かない元凶を意識の表層に引き摺りだすことが、この奏法論の当初の課題でしたが、本来は、「意識にのぼらないブラックボックス」の内部に問題点を置いたまま、余計な動作をさせないよう、じんわり変質させてゆくのが理想ではあります。
  肘を普通に曲げたとき、それは何事もなく「折れ曲がる」だけであって、片一方(内側)の筋肉が収縮して反対側(外側)は伸びている、という「実感」はありません。勝手に伸びたり縮んだりしているだけ。意識されない硬直のために筋肉が動かない――ということは、「滑らかにリラックスしている」と体感している部分が、じつは硬直している、ということです。そしてそれは、意外な部位な筈である。無味無臭だからといって、無毒とは限りません。人間は自分の筋肉を、「思い通りに」コントロールしているわけではない。一旦筋肉の一部がわずかに硬くなると、そのことを自覚する以前に、平気で遠回り指令を出す。その積み重ねが、「指が回らない」状態です。筋肉の動きは感知出来ている筈だ、という思い込みをまず捨てなければなりません。収縮している筋肉も、そうでない筋肉も、意識の表層には浮き出していないのです。
c0050810_14174278.jpg  ある動きを行うために、(A)大枠を支える筋肉、(B)その動作のために縮むべき筋肉、(C)そして何もすべきで無い筋肉があります。弾けているときは、その「支え」や「緩め」はほとんど意識されません。(A)がシュッと屹立していなくても指は回りますが、そこへいつしか(C)が余計な介入を始めたときに、指は回らなくなります。筋肉のストレッチとは、(C)を何もしないままで置くための、神経回路の構築(あるいは再構築)のことです。ある動きに対して、どの筋肉が(A)なのか(B)なのか(C)なのかは、ありとあらゆる側面から自分自身で感じ、探り当てていくしかありません。2-aの「首周りのリラックス」で触れた、三面八臂の阿修羅の喩えを御参照下さい。

  ここで一つの解決法が見出されます。盲点は、どうせ逆側にある、ということです。あるアクションを起こす場合、そのアクションと反対側の筋肉は、本来は何も行っていない筈ですし、また何も行っていないように感じられるものですが、そこを敢えて、「何もするな」という指令を差し加えてみる。たとえば、鍵盤中音域から高音域へ右手を移動させる際、小指先端に集中するのではなく、アクションと逆、すなわち右手の内側(右脇や上腕内側など)の「緩め」に一瞬意識を通す。親指をくぐらせるときは、肘の外側、さらには脇の裏側(背中)に意識を向ける。速く指を回したいときには、鍵盤にがっつくのではなく、掌底を暖かく緩める、というような具合です。何も悪事を行っていないように感じられるブラックボックスのような部位に、外側から念入りに「何もするな」と命令を付け加えてみること。見知らぬ側面(例えば背中側)へ向かって力を抜いていく恐怖については、既に述べました。
  初学者よりむしろ上級者が陥る罠として、「緩めてはいけない箇所を意図的に緩めてしまう」ケースが挙げられます。背中が痛い。と、背中を「緩め」たくなる。これは良し悪しです。背中側の筋肉で支えるべきモーションのとき、背中を意図的に緩めるのは、悪循環の開始を告げます。ここで行うべきなのは、いわば「痛い」側へあえてもたれかかって、「痛い」のと反対側を可能な限り緩めることです。するとアラ不思議、痛みが消え去ることがある。痛みや突っ張りなど筋肉の緊張が感知された際、勝手知ったる「脱力法」をすぐさま適用するのではなく、一歩踏みとどまって、そのアクションでどこが支え、どこが伸びているかを、今一度考え直してみましょう。
   ピアノの演奏は、いわば鍵盤との手押し相撲に喩えられます。相手方の変化を受け流すことがコツです。これは生活態度全般にもリンク出来るでしょう。人の言葉をすぐ個人攻撃と受け止めてイジケているようでは、命が幾つあっても足りません。曰く、「ホッチッチ かもてなや おまえの子じゃなし 孫じゃなし 赤の他人じゃ ホッチッチ 親類になったら かもてんか」。 


●筋肉の可動域や組み合わせの再点検

c0050810_14181636.jpg    筋肉のストレッチとは、なにごともなく無抵抗に動く可動域を少しずつ広げていくことです。体の中心線を基準に最短距離で動いていたものが、いつしか奇妙なS字の寄り道を始める。痛み自体は鍼灸や冷却で抑えることが出来るかもしれませんが、「遠回り」癖は自分の脳で矯正するしかない。骨・筋肉・内臓が全てドロドロの液状になったように感じるのは無理にしても、関節をすべてはずして中国雑技団になった「つもりのつもり」を念じるだけでも、存外に変化はあらわれます。因みに、私は生まれてこの方、膝をのばして両手が地面に付いたことが無いほどの体の固さですが、手首の角度と肩甲骨の回転をシンクロさせる程度のことは出来るようになりました。
   出発点としてお勧めなのは、延髄周りのストレッチ、とでも言うべきものです(「首周り」ではありません)。2-aで述べたように、カボチャ(頭部)はホウキの柄(背骨)の上で緩やかにバランスを取っているべきですが、このカボチャとホウキの接点あたりが膠着し易い。接点、すなわちカボチャを球体としたときの中心点で、頭を前後・左右・上下にわずかに回転させてみましょう。全音・半音ほどの幅広さではなく、いわば微分音のグリッサンドです。頭を時計回りに回転する、とは、右眼の位置が僅かに右下へ移動し、アゴの位置が僅かに左上へ移動することです。頭を前へ回転させる、とは、アゴを僅かに引き、正面から見て眼が僅かに伏目になることです。慣れないうちは、ちょっと気持ち悪くなってくる、くらいが正解かもしれません。案外これが難しい。自分の頭の中心点がどこにあるか、を自覚することが、全身のリラックスの起爆剤になると思います。肩甲骨や骨盤の周りのストレッチについては、無料動画も沢山ありますので、ラクに出来るものを試していきましょう。
   上記(A)(B)(C)の諸筋肉の役割分担の下拵えとしては、2-aで触れた相撲の「腰割り」(wide-stance squat)のような、呼吸・肩周り・腰周りを同時に連携させるものが良いでしょう。各部位に分割してチマチマと動かすのは、音高・強弱・ペダリングなどをひとつずつ積み上げていく練習法と同程度に不効率です。全てのものは同時に達成されなければなりません。
c0050810_14193447.jpg   硬直の観測は、空間的あるいは時間的なラグを伴うことがあります。前者は、硬直している部分そのものではなく、その周りの部位の痛みによって異常が推定される現象です。後者は、筋肉を伸ばしていくときに発生した硬直が、伸ばし切ったのちに戻していく際にやっと感知されたり、あるいは、息を吸い込むときに発生していた硬直が、息を吐くときになってやっと観測されるようなケースです。つまり、「戻していくとき」「息を吐くとき」の異常のチェックにも、決して油断をしないこと。
   肩を思い切ってすくめ、それを戻す。その際、すくめた状態(肩が固くなって上にせりあがる)における筋肉の組み合わせを、辞書登録しておきます。練習時に、その硬直の発生を許さないこと。練習が終わったら、いつのまにか上腕が疲れてました、肩が痛くなってました、でも練習したんだから当然、ということでは、進歩はありません。なんとなくの疲れ・痺れは、そのうち(あるいは既に)指周りをブロックします。力が入っている状態と入っていない状態をそれぞれ辞書登録しておくべきなのは、肩以外では、もちろん手首、肘、うなじ、喉元、脇、背中全体、胸、腹、股、膝、膝の裏、脛・・・と多岐に渡ります。
   筋肉のよりよい「導通」は、便意や陣痛のように自然発生するものであり、最初は微(かす)かな曙光かもしれませんが、しかしその「一瞬ラク」な状態を見逃さないようにしましょう。起床直前の、日中の緊張から体がほどよく解放され、自然な呼吸状態が持続し、また意識も活性化する頃合いが、一番チェックに良いように思います。取っ掛かりとして、様々なボディワークや機器を使うも良いでしょう。ただ、最終的には自分がどう筋肉を動かすか、という指令回路に関わっているので、そこを直さずして問題の解決は無いことを一刻も早く覚悟すべきです。


●勘違いを直す/イメージ法の功罪

c0050810_14202121.gif  ピアノのレッスンでは、生徒の自主性を尊重して、あえて曖昧にアドヴァイスを与える場合があります。曰く、「もっと明るく」、「もっと夢見て」、「もっと溌剌と」、「もっと悲しげに」。幼少時からレッスン慣れしている生徒にはこれで十分でしょうが、それでもピンと来ない生徒には、勿論幾つかの具体的なトリックを教えるのが教師側の義務となります。
  ピアノ演奏の表層上のパラメーター操作に比べて、人間の体の機構は遥かに複雑であり、ある筋肉の状態をイメージで伝えようとした際、混乱の度合いも桁違いです。繰り返しになりますが、筋肉の質は人それぞれ、また筋肉の状態は時々刻々変化するものなので、今日有益だったアドヴァイスが、明日は有害となり得ます。人間の体は人間の体でしかない。カボチャの喩えもホウキもタケコプターも阿修羅マンも、余計な硬直を招くようでは要らぬお節介です。「××みたいなイメージで」、といったアドヴァイスは、すぐその通りに筋肉が動き出す人にとっては天啓でしょうが、そうでない人にとっては腹立たしいだけです。しかし、将来あるプロセスで突如役立つことも大いに有り得るので、一応take noteしておきましょう。
c0050810_14211813.jpg  頭の中で描く体の構造と実物との差異を知り、筋肉はこのように動く筈だ、という思い込みを捨て去るために、解剖図解説書に眼を通すのは勿論有益です。いったん手綱を手放すのは不愉快であり恐怖でもありますが、向き合う勇気を持ちましょう。例えば、上腕と前腕が組み合わさっている部分、肘の外側にちょっとした(指半分くらいの)スキマがあることを知れば、もっと小回りに回転出来るようになるかもしれません。肩甲骨を内側に引き付ければ、肩甲骨面(Scapula Plane)は後ろ側に広がる、ということも、いざ鍵盤の白黒模様を目の前にすると忘れがちな点です。肩甲骨が的確な位置さえ取ってくれれば、ピアノ演奏は落下と引き上げの直線運動というよりは、むしろ手首~肘~肩甲骨の連続的な回転運動に感じられて来るでしょう。
   もっとも、骨格図を見て直ちに体が自由に動き出すのなら、世の中イチローだらけです。実のところ、解剖図学習もイメージ論の一例に過ぎませんし、早合点は禁物です。筋肉よりは骨をイメージしたほうが早いか、あるいは皮膚の伸び縮みをイメージしたほうが良いのか、はたまた内臓ドロドロ系か、その都度あらゆる方便を駆使しましょう。砂時計の砂、あるいは傾けたコップの水のように、流体が体内を移動していく感覚。あるいは、伸びるべき側の皮膚が伸び、その皮膚を渡りゆく波動の振幅が端っこ(開端)まで伝わり、そして空中へ消え去るイメージ、等々。30秒で可動域が変化する場合と、そうでない場合があります。脱力セッションにお付き合い頂いた方々の中には、背中で合掌出来る程度に体の柔らかい方が何人もいらっしゃいました。しかし、その柔らかさが、手首と肩甲骨のシンクロにただちに結実するわけでもありませんでした。必要と思っている硬直が不必要であることを悟るには、フラフープをしつつ階段を昇降しながら算盤をはじく程度に、慣れを要するのでしょう。


●バイアス法

c0050810_14214311.jpg  体の関節をストレッチする際、[1]ある部分を完全に緩めることによって支える筋肉を探し出す、あるいは逆に、[2]ある筋肉をビシッと固めて(支えて)おいて、他の部分がどこまで緩められるかを調べる、というニ通りが考えられます。
  第1部の奏法論で述べた手首・足首ブラブラ法は、[1]に他なりません。2-aで述べた準備態勢、あるいは阿修羅マンに背後から両脇を差し入れられ手首を持ち上げられているイメージ等は、[2]に類します。2つの筋肉を同時にコントロール出来ないことから、一つを固めて一つを緩めていく、という[2]の練習は、一歩間違えると小学生向けハイフィンガーの如く、妙な癖の元凶になりうるので注意が必要です。

  [1]としては、手首をブラブラさせる運動を、いつ「支える」筋肉が阻害し出すのか、ポジションを寝る→座る→立つ、の順番に調べていく方法が考えられます。仰臥位(あおむけ)、そして側臥位(横向け)で、手首から先だけを回転、肘をついて回転、肩から先を回転、etc。椅子の背にもたれた場合ともたれない場合で差は生じるか。右足を持ち上げ椅子に乗せて弾いた場合、右肩はラクになるか。立った場合、立って壁にもたれた場合、その違いは、等々。

c0050810_14224494.jpg  [2]としては、いわゆる「丹田に力を入れる」のが、よく言われる方便です。体が一番へっこむポイント、例えば尻の穴を締めてみるのも良いでしょう(すぼめ方も色々)。開いた手から第3・4指を折り曲げた、いわゆる「折れ紅葉」との併用も効果的です。(もちろん、「うらめしや」状態に垂れ下がった「折れ紅葉」。)息を吐き切った状態からのアクション、息を吐き出しながらのアクションとの組み合わせ、体・顔の向きと視線とあえてズラすのも、バイアス法の一種です。息が変になってきたら、肺よりも臍の下、鳩尾(みぞおち)、眉間などを意識してみると良いでしょう。誰かに両人差し指で鉄杭のように脇を下から突き刺してもらい、阿修羅に持ち上げられる筋肉をイメージしながら両腕を動かしてみると、脇のどのあたりをグッと締めれば肩周りが支えられるのか、見当が付け易いと思います。
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by ooi_piano | 2009-11-07 09:08 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

2-d. 変化のプロセス、抑制と忍耐 


●変化はゆっくり、案ずるな

c0050810_14304086.jpg   変化は、非常にゆっくりであることが普通です。不具合の度合いが大きいほど、一瞬垣間見える光芒は所詮表層的なものだとあらかじめ悟ったほうが、後の落胆は小さいでしょう。「毎日わずか数分間××さえすれば、誰でも簡単にラクラク××出来る」、などという惹句は、まずは疑ってかかるのが社会人のたしなみです。射幸心を煽るような、その場限りのショーに惑わされてはいけません。
   明らかに正論だと分かっているような指針を、ちょっとは真面目に徹底させる程度のことでも、かなり必死で喰い付いてみて、2~3年経って窓の方角が何とか分かれば、まだ儲け物なくらいです。他人の言うことを鵜呑みにすべきではありませんが、踏み台として利用するのも悪くない。ピアノ教師が生徒の日々の進歩を丁寧に指摘・確認してあげることは、生徒のモチヴェーション向上につながるでしょうが、一方、筋肉の質の微細な変化、などというものは本人にしか分からない、あるいは本人でも分からないようなことです。自分で体感出来ないことは中々納得しにくいし、また体が徐々に動き出したとしても、解決に向けて明瞭に道筋が見えるプロセスでもないので、当然紆余曲折がある。積み上がりが感じられない恐怖に怯え、盲滅法に様々な方法を試行錯誤した挙句、どれも継続しないので結果も付いてこない。まさに賽の河原のシジフォス状態です。
c0050810_14315696.jpg   息を整えて冷静になりましょう。ことあるごとに原則に立ち帰るのは、思考停止でも敗走でもありません。自分の体の自浄作用を信じてみるのも非常に大事です。ドラマの結末を知らなかった昨日の自分へは決して戻れないのと同様に、筋肉の状態は日々変化しています。ジャブを打ったら、パッと数歩さがって様子を見、プラトー時の心理を楽しむ余裕(習慣)を持ちたいものです。接近戦で打ち合いになると、事態は膠着します。
   今までの駄目な自分をがむしゃらに全否定するのも、反動で元の木阿弥になる危険を胚胎するようです。長年の慣行に対しては、「今までごくろうさま、でも今はその癖はなくても私はやっていけそうよ。」と言ってあげるつもりくらいが、丁度良いようです。 カットアウトではなくフェイドアウトの方が、後腐れも無いし本卦還りもしなくて済む、ということでしょう。そのくらいのことでさえ、幾許かの勇気と決意を要します。

c0050810_14334438.jpg   ぶっちゃけ、膠着状態の打開プロセスとしては、(1)指が回らない(体のどこかに痛みや突っ張りなどは感じない) ⇔ (2)指が回らない(体のどこかに痛みや突っ張りなどが感じられる) ⇔ (3)指が或る程度は回る(体のどこかに痛みや突っ張りなどが感じられる)  ⇔ (4)指が回る(体に痛みも突っ張りもない)、といったあたりが典型的のように思われます。無理の無い範囲でのエクササイズを、と言われても、筋肉の使い方くらいすぐ変えられる筈、とナメてかかって、どうしても功を急いでしまうからです。
  名人とは、学習時に(1)から直接(4)の状態へと何事も無く進み、その後ずっと(4)の状態を維持出来る方のことでしょう。プロや専門学生でも、騙し騙し(3)に甘んじる人も多い。初学者は(2)と(3)の間のグレーゾーンをウロウロしています。おおよそ(4)を維持している上級者であっても、加齢などにより、(4)から(3)を経て(2)や(1)へ縮退してしまうことは有り得ます。
  (4)から(1)への墜落のプロセスは滑らかである一方、(1)から(4)への悪戦苦闘はランダム・ウォーク(酔歩)になるのが普通で、しかも不要な硬直が体感出来るのは「緩まってから」です。お気軽な解法は無い代わりに、演奏業に付き物の「運」や「人間的魅力」といった要素は介在していない点では、「二足歩行出来るようになる」「言葉で会話するようになる」程度に、誰にでも踏破可能な過程かもしれません。


●自分・他人による言い訳にすがらない

c0050810_1434211.jpg   何かが出来ないとき、壁にぶつかったときに、それを糊塗するためのさまざまな言い訳が用意されているものです。
  曰く、「才能が無いから」、「もうトシだから」、「楽器が良くないから」、「練習時間が足りないから」、「小さい頃からやってないから」、「小さい頃からやってるのに駄目だから」、あるいは、「誰もそんなことしてない」、「出来た人を見たことが無い」、「そんなことしたって誰にも聴き取れない」、「医学的に解明されていない」、はたまた、「聞いてるほうも楽しく無いと思うんだよね」、「音楽は音を楽しむと書くのです」、「昔の楽器ってのは過渡期の未完成品だからね」、「作曲者もそんなことは望んで無かったと思うんだよね」、等々。自分の今いる地点から一歩も動きたくない、という、心と耳の保守反動。それに振り回されないことです。「よそはよそ、うちはうち」を徹底しましょう。あきらめた時点で試合終了です。
c0050810_14351183.jpg   100メートル走の世界新記録を目指すのならともかく、ピアノを快適に楽しむ程度のことに、人体能力の極限は求められていません。インナーマッスルを含む筋肉を「鍛える」ことは、ピアノの上達には直結していません。無負荷で無抵抗の感触を求めるのが基本です。太極拳・ヨガは東洋人向け、ピラティス・アレクサンダーは西洋人向け、などとしたり顔で語るのも、「バッハはドイツ人にしか理解出来ない」「ドビュッシーはパリジャンしか弾けない」、というレベルの戯言です。ガキより大人のほうが遥かに時間の使い方は理性的な筈ですし、指も長く大きくしっかりしているので、ガキに負けているのはせいぜい肩甲骨周りの柔らかさだけです。1800年以前は誰にでも出来ていたことが、現代人に再現不能なわけが無い。空気なんてものはアッという間に変わります。ロバート・レヴィンの名言、「1000人に一人しか分からない平行5度でも、我々は全力で避けなければならない。なぜなら、その一人が残りの999人に喋りまくるからだ」。
   答えの用意された問いに高得点を取り続けてきたエリートは、あっけないほど瀬戸際に脆い。その根拠は他人の言説です。また、世代に関わらず、どこか彼方の夢の国にいつまでもいつまでも縋っていられる料簡は、よほど過去の薬物体験でも疑いたくなります。本を読めば読むほど、人の意見を聞けば聞くほど、「正しさ」に拘ってワンパターンに平べったくなる。これらは全て妙法の敵です。


●自分の体のことは、他人には分からなくて当然

   医者もピアノ教師も理学療法士もボディワーカーも、他人の体のことはよく分からない点では同じです。医学部在籍あるいは卒業者の下手糞など、掃いて捨てるほど見て来ました。体が柔らかいだけでは効率的な打鍵は出来ないことは、子供ならびにピラトゥス熟練者等で目の当たりにしました。アインシュタインの稚拙なヴァイオリンに業を煮やしたシュナーベルの一言、「博士、あなたは数が数えられないんですか」、を引用するまでもなく、知能指数と演奏能力は比例しません。最高のボディ・ワーカーであっても、楽器の奏法については素人に過ぎませんから、なぜその余計な動きが発生するか、筋肉の必要な収縮と不必要な収縮の峻別については、右往左往するだけです。
  この世にお手軽な便法など有り得ないことを悟れば、コールドリーディングの小細工でボッタクられることも無いでしょう。自分の体のことは、自分で調律するしか無い、と再度申し上げて、取り敢えずの結語とさせて頂きます。 (この項終わり)
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by ooi_piano | 2009-11-07 08:06 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

   
http://www.cagylogic.com/archives/2004/03/04021256.php
   ピアノのレッスンも、こんな感じですよね・・・。

c0050810_17423748.gif

(クリックすると拡大します)


[以下上記サイトより引用]
■「顧客が本当に必要だった物」と「顧客が説明した要件」
顧客が本当に必要なものは、顧客は自分では説明できない。
結局、本当に必要なものって身の回りでは結構少ない。あると便利だから。とかデザイン(見た目)がいいからとかそんな理由で身の回りのものはそろえられていくのだと思う。
んで、買うときは、どうせ買うんだから安くて良いのが欲しいと思うわけである。
実際問題、ここで「顧客が本当に必要だった物」が一発で手に入ったとしても顧客は喜ばないわけである。いつも顧客はプラスアルファの何かを欲しているのだから。

■「顧客が説明した要件」と「営業の表現、約束」
営業としてはできるだけ、顧客からお金をふんだくらなくてはならない。よくも悪くもそれが仕事である。ということは、ファンシーでハッピーなことをいうわけである。
顧客の説明した要件に枝葉をつけて、こんなんつけたら幸せでしょってな感じでオプションを追加していくわけである。
途中で、ゴムタイヤのブランコで十分だということが気が付いたとしてもそれは口には出さない。手が汚れるから、おしりが痛くなるからソファーの方がいいでしょ。ってな具合になるわけである。

■「アナリストのデザイン」
アナリストは顧客に近い立場にいる。アナリストは顧客が何を要求しているのかを考える。しかし、アナリストが「顧客が本当に必要だったもの」を見つけ出すのは難しい。第一、顧客は本当に必要な物は欲しがっていないからである。そこで、何をやりたいのかを悪戦苦闘してあの絵ができてくる。興味深いのは機能としてはちゃんと実現されているところである。

■「プロジェクトリーダーの理解」について
「アナリストのデザイン」ではあきらかに不自然な構造を、自然な構造に修正してある。これは現実的な解である。
しかしこのことにより、機能が満たされなくなっている。修正する際には機能は削減されてはいけない。もし削減される場合はちゃんとアナリストやら顧客やらと相談するべきである。

■「プログラマのコード」
プログラマはできるだけ、楽に実装をしたい。プロジェクトリーダーはその道筋をちゃんと示す義務があると思う。プロジェクトリーダーがその道筋をちゃんと示さない場合は、プログラマは最短経路を進もうとする。ブランコというモジュールがあって、そのモジュールが木にくくりつけられている。という事実からあの絵が出来上がる。

■「実装された運用」
プログラマのコードから使える部分だけを取り出して、顧客が実際に運用している絵があのかたちなのだと思われる。
プログラマが一生懸命働いても、ぜんぜん使われないわけである。

[引用終わり]
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by ooi_piano | 2009-11-04 17:47 | 雑記 | Comments(0)