6/4(日)バルトーク弦楽四重奏曲全6曲(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

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c0050810_1645053.gif[ポック#11] ラッヘンマン+ホリガー 全ピアノ作品
2012年10月4日(木)18時
開演 代々木上原・けやきホール
大井浩明(ピアノ) 有馬純寿(音響) 
(問い合わせ)オカムラ&カンパニーhttp://www.okamura-co.com/ tel 03-6804-7490 info@okamura-co.com  

【第一部(18時~)】
ラッヘンマン(1935- ):F.シューベルト(D643)の主題による5つの変奏曲(1956)
ホリガー(1939- ):ソナチネ(1958)+夜の音楽(1959)(日本初演)、エリス(3つの夜曲)(1961/66)
ラッヘンマン:エコー・アンダンテ(1961/62)、ゆりかごの音楽(1963)、ギロ - 練習曲(1970/88)

【第二部(19時頃~)】
ラッヘンマン:子供の遊び(7つの小品)(1980)、セリナーデ(1997/98)

【第三部(20時頃~)】
ホリガー:《こどものひかり》より「ヨーデル二重唱」「ブルクドルフのブギウギ」「うさぎとはりねずみ(スイス・ランゲンタール方言弾き語り)」(1993-99、日本初演)、パルティータ(1999)、7月14日のための小玉花火(2012、日本初演)


||||||||||||||||||||||||||||||  ラッヘンマン作品解説  ||||||||||||||||||||||||||||||

c0050810_10165142.jpg《シューベルトの主題による5つの変奏曲》

  1956年作曲、翌年シュトゥットガルトにて初演。1973年出版。ヘルマン・リストに献呈。フランツ・シューベルト《ドイツ舞曲とエコセーズ D.643》(1819)の前半(ドイツ舞曲)を主題とした、古典的な変奏曲。

《エコー・アンダンテ》
  1962年作曲、同年7月18日ダルムシュタット夏季講習会にて作曲者により初演、同年出版。グニルデ&ヨスト・クラーマーに献呈。作曲者にとって習作期の総括であり、今後の方向性を見定めた点で、ベルクのピアノ・ソナタやウェーベルンのパッサカリアに相当する「作品1」だと云う。当時魅了されていたルイジ・ノーノの抽象的な声楽書法を、ピアノという減衰音の条件下で発展させた。この「重力に抗う」探求は、ピアノ協奏曲《よみがえる響き(Ausklang)》(1984)を経て《セリナーデ》まで継続される。

《ゆりかごの音楽》
  1963年作曲、1964年4月1日ダルムシュタットにて初演、同年出版。ズザネ・クラーマーに献呈。Wiegenlied(子守唄)とは似て非なるWiegenmusik(ゆりかごの音楽)では、枝分かれしたり、遥かに引き伸ばされたり、急速に動いたりする各個の楽想が互いに渾然と同時進行し、ピアノの減衰する音響とあいまって、まるで眠りに落ちる子供のような終結へ向かう。

c0050810_10181725.jpg《ギロ》
  1970年12月1日ハンブルクにて初演。シュトックハウゼンの協働者であったピアニスト、アルフォンス・コンタルスキーの編纂する小品集のために書かれた。同時期のチェロ独奏曲《プレッション》(1969/70)やクラリネット独奏曲《ダル・ニエンテ》(1970)と同様、楽器の全く新しい取り扱いを目指している。瓢箪の表面の刻みを棒でこするラテン・パーカッション楽器「ギロ」を模して、「白鍵の前面」「白鍵の上面」「黒鍵の上面」「白鍵と黒鍵の間の斜面」「鍵盤の端の出っ張り」「弦巻(チューニング・ペグ)」「ペグとフェルト片の間の弦」等を、「親指の爪の背」「伸ばした人差し指」「同時に数本の指」等で引っ掻き回す。通常の鍵盤奏法を完全に否定された奏者への、心理的な「エチュード」でもあると云う。

《こどものあそび(七つの小品)》
  第1曲「小さなハンスちゃん(ちょうちょ)」 - 第2曲「冷たい月光に照らされた雲」 - 第3曲「アキコ」 - 第4曲「偽の中国人(やや酩酊)」 - 第5曲「濾波ブランコ」 - 第6曲「鐘の塔」 - 第7曲「影の踊り」。
  1982年7月17日トロントにて初演。息子ダーフィトに献呈。作曲当時(1980年)7歳だった娘アキコが一部を実際に公開演奏したが、教育的な意図はなく、管弦楽のための《ドイツ国歌による舞踏組曲》(1979-80)やギター二重奏曲《クリストファー・コードウェルへの挨拶》(1977)といった大作で得られた成果を、非常に分かり易い形で投影したものである。「私にとっては子供時代を喚び起こすことよりも、むしろ子供をモデルにしたデモンストレーションこそ重要です」(アドルノからベンヤミンへの手紙、1934年3月4日)。

《セリナーデ》
  初稿初演は1998年8月27日秋吉台、最終稿初演は2000年2月13日シュトゥットガルト。タイトルは、女性を讃える楽曲ジャンル「セレナーデ(Serenade/小夜曲)」の一文字を、献呈初演者・菅原幸子の頭文字によって変調させたものである。シューベルトやブルックナーを思わせる大きな時間枠の中で、朴訥とした単音・和弦が各種ペダルや無音フラジオレットによる絶えざる変容を重ね、「メロス(旋律)の新しい形」(ラッヘンマン)へとフィルタリングされてゆく。

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c0050810_10154023.gif【紹介番組】
ラヂオつくば 84.2MHz 「つくばタイムス・ドッピオ」
9/26(水) 24:00~24:30(=9/27(木) 午前0時~0時半)

 ※ホリガー:曲集《こどものひかり》より「蓄音機の上の壊れたワルツのレコード」「ミレーヴァ 1 (1990年11月)」「ミレーヴァ 2 (1992年12月24日)」「守護天使」の演奏のほか、プログラムについてのインタビューが放送されます。

放送電波はつくば市内しか届きませんが、インターネットでのサイマル放送がエリア制限なくお聴きいただけます。
サイマル放送(Windowsパソコン)での聴き方
■スマートフォンからは TuneIn などのアプリでお聴きいただけます。
iPhone用TuneInRadio(フリーソフト)のインストール Android用TuneInRadio(フリーソフト)のインストール
ソフトを立ち上げると、地域検索バーが出てくるので、「茨城」を選択。「ラヂオつくば」の名称とアイコンが出てくるので、それをクリック。
■Mac でお聴きになる場合は、まず Flip4Mac のWindows Media Components for QuickTimeをダウンロード&インストールいただいた上で、QuickTime Playerの「URL直接入力」に「mms://221.189.124.204/IRTsukuba」と入力すればお聴きいただけます。
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by ooi_piano | 2012-09-25 10:15 | POC2012 | Comments(0)
||||||||||||||||||||||||||||||  ホリガー作品解説  ||||||||||||||||||||||||||||||

c0050810_10185865.gif《ソナチネ》+《夜の音楽》

  1958年2月作曲、2004年出版。バルトークの助手を務めリゲティ・クルタークらを教えた後、1949年にスイスに亡命し、ベルン音楽院で長く教鞭を執ったハンガリー人作曲家、シャーンドル・ヴェレシュ(1907-1992)の強い影響下に書かれた、自称「若気の過ち」。当時のピアノ教師であったブルガリア人、サヴァ・サヴォフに献呈。第1楽章アレグロ、第2楽章コラール、第3楽章アレグロ・モルトからなり、第2楽章の代わりとして翌年書かれた小品《夜の音楽》は、ソナチネ全3楽章の後奏曲として演奏可能、とある。


《エリス - 三つの夜曲》
  オーストリアの象徴派詩人、ゲオルク・トラークル(1887-1914)による、夢と死の間の「天国のように」純粋な存在、エリスの物語に基づく。第1曲《死の告知》…「エリスよ、ツグミが暗い森で叫ぶとき/お前は世を去る。」(『幼きエリスに』)、第2曲《死の恐怖と恩寵》…「青い鳩が/夜飲む凍みた汗は/エリスの水晶の額から滲み出たもの」(『エリス II』)、第3曲《昇天》…「金色の小舟(Kahn)は/さびしい空で、エリス、お前の心を揺り動かす」(『エリス I』)。
  使用されるデーシー・ターラ(諸地方のターラ)は、第1曲「チャンドラ・ターラ」(月のターラ)・「チャンドラ・カラー」(月輪の1/16、各々は女神によって擬人化される)・「ヴィジャヤ」(勝利)、第2曲「カンカーラ」(骸骨)、第3曲「ラクシュミーシャー」(吉祥天)・「リーラー」(遊戯)・「トゥランガ・リーラー」(馬の遊戯)・「プラターパ・シェーカラ」(威力の絶頂)等。


曲集《こどものひかり》より〈黒白のヨーデル二重唱〉、〈ブルクドルフのブギウギ〉、〈ウサギとハリネズミ〉
  原題《Chinderliecht(ヒンダーリーェヒト)》は、「こどものひかり」ならびに「こども用の小品」の両義を掛けたスイス方言である。副題は、「小さな、あるいは大きな子供のための小品集、語り・歌入り、2手独奏・4手連弾用」。ラッヘンマン《こどものあそび》と同じく、クルターク《あそび》のような体系的・教育的な曲集ではない。幾つかの曲で用いられている歌詞は、ベルン出身のチェロ奏者、トーマス&パトリック・デメンガ兄弟の姪であるミレーヴァ・デメンガが、幼少時代(6歳~10歳頃)に作ったものである(彼女は昨年バーゼル大学で哲学の学位を取ったとの由)。
  〈黒白のヨーデル二重唱〉…左手が白鍵、右手が黒鍵でのんびりとヨーデルを歌う。その変奏〈中国人の羊飼いが聞こえましたか?-いいえ!-ではもう一回!〉では、左手は「雪山のアルペンホルンのように」、右手は「黒いパゴダの王女の踊りのように」、拍子をずらして奏される。〈ブルクドルフのブギウギ -またはブルガリアのブルクドルフ?〉…ブルクドルフはベルン市北東20kmにある町の名前。R(レ)・S(ミ♭)・C(ド)・H(シ)[=ロベルト・シューマン]+Mi(ミ)・D(レ)[=ミレーヴァ・デメンガ]の6音が、ブルガリア風の8分の5拍子上で駆け巡る。〈ウサギとハリネズミ〉…傲慢なウサギを智恵でやり込めるハリネズミ夫婦のグリム童話に基づく。作曲者の出身地、ランゲンタール(ベルンとバーゼルのほぼ中間)あたりの方言による弾き語り。曲の最後に、マーラー《巨人》の葬送行進曲が「ジャック・カロ風に」一瞬引用される。


c0050810_1020320.gif《パルティータ》
  1999年作曲。2001年9月12日(アメリカ同時多発テロ事件の翌日)、第51回ベルリン祝祭週間でアンドラーシュ・シフにより献呈初演。第1曲「前奏曲(内なる声)」…シューマン《フモレスケ 作品20》中盤に書き込まれた、演奏されない音符「内なる声(Innere Stimme)」が、ここでは無音で押さえられた鍵盤による倍音として、影のように寄り添う。第2曲「フーガ」…バッハやバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタと同様に、前奏曲の直後に置かれた3声のフーガ。第3曲「舟歌」…8分の12拍子でゆったりと開始した舟歌が、徐々に解体される。スコア劈頭にはヘルダーリン『ムネーモシュネー』の一節、「[われらは前のほうも後ろの方をも/見ようとはしない。] 波の動きに身をゆだねて/海に浮かんでゆらぐ小舟(Kahn)に乗っているように。」、曲の中盤には「ランボーと彼の『酔いどれ船』へのオマージュ」、と書き付けられている。第4曲「Sch.のためのスフィンクス(間奏曲1)」/第6曲「Sch.のためのスフィンクス(間奏曲2)」…シューマン(SCHumAnn)《謝肉祭~4つの音符による滑稽譚(SCHwAnk) 作品9》第9曲の前に置かれた無音のミ♭・ド・シ・ラ(あるいはラ♭・ド・シ)らしき音型が、内部奏法により切れ切れに聴こえる。第5曲「小さな『執拗なチャルダーシュ』」…フランツ・リストの後期作品と同様、目まぐるしくアナグラムされる7連符上で、軽やかな8連符が飛び跳ねる。第7曲「単一リズムのチャッコーナ」…16分の24拍子(3x2+4x3+6等)のリズムによるチャッコーナ(シャコンヌ)。

《7月14日の小玉花火》
  ショット社長ペーター・ハンザー=シュトレッカーの70歳を記念して、26ヶ国・70人の所属作曲家に「我々の時代の舞曲」をテーマに新作ピアノ曲を委嘱した、《ペトルーシュカ・プロジェクト》の一環として作曲。なお、邦人作曲家への委嘱は、湯浅譲二《サーカス・ヴァリエーションから「ワルツ」》、一柳慧《ワルツ - 鹿爪》、細川俊夫《「舞」 - 日本の古代舞曲》、梁邦彦《詩的な舞曲》、権代敦彦《このキスを全世界に》の五人である。ハンザー=シュトレッカー社長の誕生日、7月14日はフランスの建国記念日(パリ祭)でもあり、景気の良い花火で祝われる。
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by ooi_piano | 2012-09-22 22:43 | POC2012 | Comments(0)
「戦後前衛第二世代」について:ラッヘンマン、ホリガーを中心に ――野々村禎彦


c0050810_840387.jpg 「戦後前衛」は、第二次世界大戦と切っても切れない関係にある。ヨーロッパではマデルナ(1920生)に始まり、クセナキス(1922生)とリゲティ(1923生)の年長亡命組を経て、ノーノ(1924生)、ブーレーズ(1925生)、シュトックハウゼン(1928生)の「前衛三羽烏」世代を最初のピークに、ヌネシュ(1941生)やマルコ(1942生)の世代までの作曲家の総称である。マデルナよりも年長の世代は徴兵されて死傷し、生き延びても「旧世代の美学」の持ち主として冷遇された。B.A.ツィンマーマン(1918生)はこの世代を呪詛しながら1970年に自殺した。スイスや旧ユーゴスラヴィアのような例外を除き、ヨーロッパ本土の国々は軒並み一度はナチスに支配された。彼らが頽廃芸術撲滅を掲げ、戦前の前衛芸術を弾圧したことは、結果的に戦後前衛世代を大いに助けた。戦前の前衛作曲家たちは米国に亡命するか、強制収容所送りになった。ヴェーベルンのような同時代には無名の作曲家が密かに譜面を書くことは可能だったが。保守的なアカデミズムの重鎮たちの権威も「"頽廃芸術"を弾圧するナチスの同類」扱いで著しく低下した。

 「戦後前衛」世代の終わりは始まりほど明確ではないが、物心ついた時にまだ「戦後」を引きずっていたかどうかで決まるようだ。先に挙げた最後の二人が、ポルトガルとスペインという、70年代まで戦前の独裁体制が維持された国に生まれていることは偶然ではない。また、この世代は細かく見るとさらにふたつに分かれる。年長世代を旧世代として敵視し、自分たちの手でゼロから歴史を作ろうとした前衛第一世代と、追従にせよ反発にせよ、前衛の年長世代との距離を意識しながら方向性を決めてきた前衛第二世代である。逡巡と試行錯誤を重ねた末に進むべき道を見出した作曲家は、年齢的には第一世代に属しても第二世代と看做した方がよい。ドナトーニ(1927生)やフェラーリ(1929生)はその典型である。ただし第一世代の下限は比較的明瞭で、カスティリオーニ(1932生)やペンデレツキ(1933生)の世代まで、第二次世界大戦終結時に一夜にして社会が大きく変わった経験がアイデンティティに組み込まれている世代まで。後の回で見るように、前衛第一世代の上限には地域性があるが、下限はイギリスや日本でも変わらない。

 今回の主役のラッヘンマン(1935生)とホリガー(1939生)は、戦後前衛第二世代を代表する作曲家である。この世代で彼らと並び称されるべき作曲家は、年長世代遅咲き組を除けばグロボカール(1934生, フランス/旧ユーゴスラヴィア)くらいだろう。彼はフランスに生まれたが、戦後に親の故郷ユーゴスラヴィア(現スロヴェニア)に移住し、ジャズトロンボーン奏者として音楽活動を始めた。やがて彼はフランスに戻ってクラシック音楽を学び始めるが、頭角を現したのは60年代半ば以降、現代音楽界でも集団即興が興隆し、集団即興グループに参加して即興性や劇場性が大きな役割を果たす作品の演奏に関わり、自らもその方向で作曲を行い始めてからである。そんなグロボカールはピアノ曲への拘りはないが、今回取り上げるふたりはピアノ曲でもこの世代を代表している。ラッヘンマンは青年時代にはピアニストとして活動し、ホリガーもオーボエ奏者として世に出るまでは、パリ音楽院でルフェーヴルに師事してピアノを学んでいた。

               **********

c0050810_8412427.jpg 旧西ドイツの戦後前衛第二世代からはラッヘンマンの他、ライマン(1936生)、ツェンダー(1936生)、ヘスポス(1938生)、ハイン(1938生)、N.A.フーバー(1939生)ら多くの優れた作曲家が生まれたが、ラッヘンマンの上はシュネーベル(1930生)とカーゲル(1931生)までギャップがある原因は、シュトックハウゼン(1928生)の存在に他ならない。彼が同僚を積極的に潰そうとするような小物ならば、こんなことにはならなかっただろう。天然に唯我独尊の実力者だから厄介なのだ。シュネーベルとカーゲルが生き残れたのは、二人とも視覚的要素と音楽の歴史性が主な題材で、彼とは関心が被らなかったおかげだろう。ラッヘンマンは50年代末にノーノの最初の弟子になったが、ノーノは彼とは犬猿の仲。ラッヘンマンは電子音楽には殆ど関わらなかった(習作時代の終わりの1965年に1曲試みたが)のも、そういう経緯の結果だろう。

 ラッヘンマンが師事した当時、ノーノはまだアカデミックには認知されておらず、彼はノーノが暮らすヴェネツィアに移り住んで私的に指導を受けた。彼がノーノに惹かれたのは、専ら左翼的な立場を明確に打ち出す姿勢への共感だろう。セリー音楽の鋳型に政治的メッセージを流し込んで表出的な音楽を作り、ミュジック・コンクレートを感情を増幅する効果音として用いる前衛時代のノーノの作風は、絶対音楽志向のラッヘンマンとはあまりに遠い。クラシック音楽の伝統を折衷主義に陥らないように利用する姿勢には多少影響を受けたかもしれないが、自己を見出す助けにはならなかった。《ゆりかごの音楽》(1963) までの初期ピアノ作品は、ピアニスト活動の傍らの習作時代の苦闘の記録である。

 彼は30歳代に入った60年代後半に、生楽器の特殊奏法に着目してようやく進むべき道を見出した。戦後前衛第一世代の作曲家たちも特殊奏法を積極的に用いたが、彼らの興味はあくまで新奇な音響にあり、電気増幅も厭わない電子音楽探求と同次元の関心である。だが、ラッヘンマンは生音に拘り、特殊奏法による微小音響のみで空間を埋め尽くそうとした。彼にとってこの方向性は「新しい楽器の創造」であり、「楽器によるミュジック・コンクレート」だった。このように噪音のみを用いて緊密な構造を作り出す書法に踏み込んだのがチェロと小オーケストラのための《Notturno》(1966-68) であり、チェロ独奏のための《プレッション》(1969/2010)、ピアノ独奏のための《ギロ》(1969/88)、クラリネット独奏のための《ダル・ニエンテ》(1970) の3曲で書法は確立された。

c0050810_8415544.jpg 大オーケストラのための《Kontrakadenz》(1970-71)、弦楽四重奏のための《Gran Torso》(1971/76/88) から弦楽四重奏とオーケストラのための《ドイツ国歌による舞踏組曲》(1979-80) まで、同時代を代表する大曲が並ぶ70年代は、彼の「傑作の森」の時期にあたる。一見伝統的なタイトルと編成を持つが、その枠組はすべて非伝統的な特殊奏法で埋められ、徹底的に異化される。例えば、クラリネットとオーケストラのための《Accanto》(1975-76) では、モーツァルトのクラリネット協奏曲と同一編成、同一時間枠が噪音で敷き詰められるが、「原曲」の該当箇所の録音が途切れ途切れに再生され、両者の差異の大きさが直截に提示される。《子供の遊び》(1980) はこの時期の最後に書かれたピアノ小品集。「傑作の森」の時期の最後にあえて平易なピアノ曲を書き、大編成の大曲で表現してきた内容が最小編成の小品でも表現できるようになったことを確認して次の段階に移る、というのはクラシック音楽の歴史でも馴染み深い態度だ。

 チューバとオーケストラのための《Harmonica》(1981-83) に始まる次なる時期にも彼の作風は激変したわけではないが、70年代には伝統を異化する手段として特殊奏法による噪音を用いていたのが、80年代以降は特殊奏法による噪音は無条件の前提となり、それを用いて伝統を受け継いだ組織化を実現する、というスタンスに変化した。実験性を重視する筆者の立場ではこの変化は退嬰化だが、ヨーロッパの現代音楽界ではこれを円熟と受け取る向きも多く、演奏機会はむしろ80年代の作品の方が多い。「特殊奏法」が他に例のない真に特殊なものではなく、「現代音楽では標準的な特殊奏法」に変化したのも大きな要因だろうが… もちろん、退嬰化とは言っても高い次元の話で、ドナウエッシンゲン現代音楽祭草創期からレジデントオーケストラを務め、さまざまなスタイルの現代音楽には慣れているはずの南西ドイツ放送響が、オーケストラのための《塵》(1985-87) の初演をボイコットしたくらい、「演奏困難」で「難解」な作風は変わっていない。

 90年代には、集大成的なオペラ《マッチ売りの少女》(1990-96) の作曲に集中した。その完成以降は、ピアノ曲の集大成となる大曲《セリナーデ》(1997-98)(ただし《エコー・アンダンテ》のペダル操作と《ゆりかごの音楽》のアルペジオ探求に焦点を絞り、《ギロ》の特殊奏法は対象外)など、伝統的な編成で2年に1曲程度大作を書くスタンスに移った。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズのためのオーケストラ作品《書》(2003/04) もそのひとつである。なお、2008年以降新作情報はなく、今年6月に初演予定だった《8本のホルンとオーケストラのための協奏曲》も、2014年に延期とアナウンスされた。

               **********

c0050810_843531.jpg スイスは小国だけに世界水準の作曲家はおのずと限られる。ザッハー、マルケヴィチ、タバシュニクら「指揮者として名高い作曲家」は輩出したが、ホリガーの前はK.フーバー(1924生)、その前はオネゲルまで遡る。以後はあえて挙げればジャレル(1958生)やキーブルツ(1960生)の世代だろうか。ホリガーは作曲家=指揮者だが、それ以前に卓越したオーボエ奏者――それもホルンならデニス・ブレイン、フルートならオーレル・ニコレ級の、LP世代なら誰でも知っている存在である。アルビノーニからR.シュトラウスまであらゆるクラシックレパートリーを網羅し、現代曲の初演や録音も多い。武満徹がサントリーホール国際作曲委嘱シリーズの幕開けに完成させた大作《ジェモー》(1972-86) は、彼とグロボカールのために書かれた。尹伊桑、ルトスワフスキ、リゲティなど、オーボエとハープのための二重協奏曲が現代曲には多いのは、彼とハープ奏者の妻ウルズラを想定して書かれたためである。

 作曲家としてのホリガーは地元ベルン音楽院でまずヴェレシュ(1907-92, 共産主義に馴染めず40年代末にハンガリーから亡命)に師事した(すなわち彼は大井の大先輩)。これは彼がオーボエ奏者としてコンクールで優勝を重ねる以前の話で、彼は元から作曲家も目指していた。その後、ブーレーズがバーゼル音楽院で作曲を教え始め、彼は演奏活動の傍ら指導を受けた。本日演奏される《エリス》(1961) は彼がブーレーズに学び始めた時期に書かれ、清潔なセリー書法と仄かに漂う抒情は、その後の作風を予告している。シアターピース《魔法の踊り手》(1963-65) や《七つの歌》(1966-67) の曲想は、極彩色の《プリ・スロン・プリ》という趣で、ブーレーズの強い影響下にある。オーボエ、ヴィオラ、ハープのための《三重奏曲》(1966) では線的構造の音色変化が際立つ編成を用い、ブーレーズは消化不良に終わった「管理された偶然性」を見事に使いこなしている。

 もちろん、彼はいつまでも師の背中を追っていたわけではない。彼は管楽器奏者らしく奏者の呼吸に着目し、吹奏楽・オルガン・ラジオのための《Pneuma》(1970) で探求を始めた。《弦楽四重奏曲第1番》(1973) などを経た、オーケストラのための《息の弓》(1974-75) がこの方向性での到達点である。この時期の現代音楽界は大転換期だった。詳細はファーニホウとシャリーノ、前衛第二世代の次世代を取り上げる回の解説に譲るが、社会の革命的機運の衰退、経済の低迷に伴う前衛芸術への援助の減少、古典的調性をこの時代状況の中で守り続けた大家の死といった要因が重なり、調性を積極的に導入して伝統的な表現性を回復しようとする、「新ロマン主義」と総称される潮流が大きな力を持つようになった。ラッヘンマンはこの潮流の直接的な影響を受けなかった稀有な例だが、ホリガーは調性的要素を用い始める。

c0050810_8435227.jpg だが彼の場合、調性の持つ意味は些か異なる。彼の無調書法は「静謐で透明な抒情」という性格のもので、そこにダイナミズムを持ち込む手段はどぎつい音色や特殊奏法の多用だった。調性はそのような悪趣味すれすれの要素を持ち込まずに音楽的成り行きを作る格好の素材であり、彼の音楽はこの後ますます豊かになる。その中でも広く代表作とみなされているのが《Scardanelli-Zyklus》(1975-91) である。ヘルダーリンの詩による混声合唱曲〈四季〉は春夏秋冬1曲ずつで始まったが、やがて3曲ずつ1時間を超える作品へと増殖した。そこにフルート独奏からオーケストラまでの関連のある小品を組み込み、最終的に2時間半の大曲に結実した。ブーレーズ流 "work in progress" の鮮やかな成功例だ。数分の小品を無理やり10倍に引き延ばしたような作品ばかりの師匠とは大違いだ。

 これに限らず彼には文学的テキストに基づく作品が多い。ベケットによるシアターピース3部作《Come and go》(1976-77), 《Not I》(1978-80), 《What Where》(1988) やオペラ《白雪姫》(1997-98) が代表作である。また、《エリス》の抒情的な音世界を受け継ぐ作品としては、ヴァイオリンとピアノのための《無言歌集I/II》(1982-83/1985-94) を特筆したい。《こどものひかり》(1993-95) はラッヘンマン《子供の遊び》と同じく子供のためのピアノ曲だが、あちらが《子供の情景》ならばこちらは《ミクロコスモス》に相当し、演奏会で弾ける曲は限られる。《パルティータ》(1999) はシューマンの初期ピアノ諸作に触発されたと思しき30分を超える組曲。演奏家としてのクラシック音楽との密接な関わりは、作曲活動にも良い形でフィードバックされている。また、彼の純粋な電子音楽作品は1曲しかないが、音符を隅々まで書き込むのではなく背景を電子音で埋めた作品は独奏曲からオーケストラ曲まで非常に多く、彼の筆の速さの一因でもある。

 指揮者としては自作やスイスの同僚の作品を振る機会が多く、手兵カメラータ・ベルンを率いたバロック音楽の網羅的紹介も長年続けている。近年の録音では、シュトゥットガルト放送響とのケックラン・プロジェクトが高く評価されている。オーボエの演奏機会は減りつつあるが、最近J.S.バッハの協奏曲全集を再録音した。創作も質量とも衰えていないどころか、演奏活動や教育活動が減った分、ますます盛んなようだ。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズでも、2015年に委嘱初演が予定されている。ショット社のサイトの出版目録を見ても、データ入力が追いつかない新作が何曲も並んでいる。
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by ooi_piano | 2012-09-22 08:32 | POC2012 | Comments(0)