大変素晴らしい企画にも関わらず、びっくりするくらい告知が出来ていないようなので、御案内。
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電子音楽のスタディーズ (全10回)
http://koji.music.coocan.jp/ems.html
I. 4月27日 (土)18時30分
《楽器とエレクトロニクス -シュトックハウゼンからライブ・エレクトロニクスまで-》
講師:有馬純寿、川崎弘二、檜垣智也


2013年4月〜2014年3月 毎月最終土曜日(8、12月は除く)
開始:18時30分
場所:MEDIA SHOP [京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る大黒町44VOXビル1F]
入場料:1,000円 学生500円 10回通し券5,000円
お問い合わせ・ご予約:090-8208-9291(川崎) ks-koji (a) nifty.com

チラシのダウンロード→ http://bit.ly/X7nhiW
檜垣智也のアクースモニウムの実演映像 その1http://www.youtube.com/watch?v=yukStpK2oCs その2http://www.youtube.com/watch?v=od_H9Npjklc

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電子音楽とは何か? シュトックハウゼンのような現代音楽における電子音楽、あるいはテクノ、エレクトロニカ、ライブ・エレクトロニクス、コンピュータ・ミュージック、メディア・アートにおける音の要素、Perfumeのようなテクノ・ポップなどなど、いわゆる多彩な「ジャンル」が想起される。現在流通する音楽がコンピュータをベースとした録音再生技術や電気/電子的増幅というテクノロジーに支えられていることを考えると、今や電子音楽とは透明化した上であまねく遍在する亡霊的存在であり、電子音楽を一言で捉えることはもはや不可能である。これは電子音楽が曖昧な存在と化したことを示しているのではなく、あらゆる領域と接続可能な、極めてフレキシビリティの高いマルチプリシティを獲得したプラットフォームであることの証左なのではないだろうか。こうした現状を踏まえ、現代音楽分野の電子音楽を中心とした過去から未来に亘るパースペクティプを、ワークショップ/トーク/リスニングの3つを柱にさまざまな切り口からスタディ(勉強、研究、考察、調査、観察、検討……)してみたい。中心的なテーマとして本シリーズは電子音楽をキーワードに掲げてはいるものの、それは「音楽」そのものを「スタディ」することになるものと考えている。

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◉スケジュールと各回のテーマ
I. 4月27日 (土)
楽器とエレクトロニクス
 -シュトックハウゼンからライブ・エレクトロニクスまで-

II. 5月25日 (土)
 武満徹の電子音楽
 -雑誌「アルテス」同名連載、作品上演付きレクチャ-

III. 6月29日 (土)
 オープンリールによる電子音楽制作ワークショップ
 -テープによるコラージュ、ループなどの技法を体験する-
【関連公演】 2013年7月13日(土)18時 芦屋・山村サロン 大井浩明(ピアノ)+有馬純寿(電子音響)
H.ホリガー:《パルティータ》(1999)、H.ラッヘンマン:《エコー・アンダンテ》(1961/62)、《セリナーデ》(1997/98)、L.ノーノ:《苦悩に満ちながらも晴朗な波》(1976)、細川俊夫:《メロディアII》(1977)、《夜の響き》(1994/96)、《ピエール・ブーレーズのための俳句》(2000)、《舞 - 日本の古代の舞楽》(2012)、《エチュード I/II》(2011/13)、檜垣智也:《栞》(2013) 委嘱新作初演

IV. 7月27日 (土)
 電子音楽におけるノイズ
 -ミュジック・コンクレートやクセナキス、ノイズ・ミュージックまで-

V. 9月28日 (土)
 アメリカ実験音楽における電子音楽
 -柿沼敏江氏を迎えて-

以下予定

VI. 10月26日 (土)
 「ことばと電子音楽(仮)」ゲスト:松井茂
【関連公演】 10月27日(日)15時開演 カフェ・モンタージュ [京都市中京区夷川通柳馬場北東角]
湯浅譲二全ピアノ曲個展 大井浩明(ピアノ)+有馬純寿(電子音響) 
二つのパストラール (1952)/スリー・スコア・セット (1953)/セレナード[ド]のうた (1954)/内触覚的宇宙 (1957)/プロジェクション・トポロジク (1959)/プロジェクション・エセンプラスティック(1962)/オン・ザ・キーボード (1972)/「夜半日頭」に向かいて(1984)/内触覚的宇宙 II ~トランスフィギュレーション~ (1986)/サブリミナル・ヘイ・J (1990)/メロディーズ (1997)/バレエ音楽《サーカス・バリエーション》より「ワルツ」(2012)

VII. 11月30日 (土)
 ワークショップ「電子音楽を分析する」

VIII. 2014年1月25日 (土)
 長編電子音楽のリスニング

IX. 2月22日 (土)
 ライブ・エレクトロニクスの実践的講座

X. 3月29日 (土)
 シンセサイザーの歴史とその未来
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by ooi_piano | 2013-04-26 04:46 | 雑記 | Comments(0)

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リサイタル・シリーズ 《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第3回公演
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2013年4月20日(土)15時開演 (14時半開場)
タカギクラヴィア松濤サロン (東京都渋谷区松濤1-26-4 Tel. 03-3770-9611)
最寄駅/JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分

■J.S.バッハ:六つのパルティータ BWV825-830 [NY Steinwayによる演奏]
第1番変ロ長調 BWV 825

  前奏曲 - アルマンド - クーラント - サラバンド - メヌエット I & II - ジガ
第2番ハ短調 BWV826
  シンフォニア - アルマンド - クーラント - サラバンド - ロンドー - カプリチオ
第3番イ短調 BWV827
  ファンタジア - アルマンド - コレンテ - サラバンド - ブルレスカ - スケルツォ - ジーグ
第4番ニ長調 BWV828
  序曲 - アルマンド - クーラント - アリア - サラバンド - メヌエット - ジーグ
第5番ト長調 BWV829
  前奏曲 - アルマンド - コレンテ - サラバンド - テンポ・ディ・メヌエット - パスピエ - ジーグ
第6番ホ短調 BWV830
  トッカータ - アルマンド - コレンテ - エアー - サラバンド - テンポ・ディ・ガヴォッタ - ジーグ
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  この10年ほど、バッハ主要鍵盤作品はピアノではなくチェンバロ・クラヴィコード・オルガンで演奏してきました。モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトについては各種フォルテピアノで嗜んだ結果、近現代曲以外をスタインウェイで弾きたいとは思わなくなりました。
  一方、現代の平均的聴衆にとって、いまだにチェンバロよりピアノの音色のほうが、遥かに耳になじむようです。一昨年秋にクセナキス作品によるリサイタルを行った際、ピアノ曲で身を乗り出していた聴衆が、次のチェンバロ独奏曲(電気増幅付)で爆睡していたと聞き、がっくり来ました。武満徹《ノヴェンバー・ステップス》にしても、尺八と琵琶の響きを、その都度オーケストラ(ripieno)が解説するような造りでなければ、欧米であれほど評価されなかったのかもしれません。
  ヒストリカルのクラヴィコードで《平均律》や《フーガの技法》を弾くのは至難ですが、しかしあくまでそれは「不可欠な努力」です。ところが、帯に短いのみならずタスキにも長すぎる現代のピアノでは、歴史上存在し得なかった「不必要な労苦」を強いられます。

c0050810_21285367.jpg  古楽器奏者にとっては、現代のピアノは異形の詰め物(ripieno)に他なりません。交差弦の響きをさらに不如意に混濁させるペダル使用は避けたい、でも室内サロンだと音色に味もシャシャリも無くなる、素敵な装飾指定は生かしたいが減衰が遅いので身振りが鈍重になってしまう、古楽器を超える強弱差はつけたくないがそうすると平べったくなりがち、ゆっくりした短調楽章では激鬱に弾かないと音楽的と思ってもらえない、だからといってアレンジ系メシマズは絶対いや、等々、悩みは尽きません。「『女湯に入りたい』と思った瞬間から、男の子はもう入ってはいけない」、という喩えに倣えば、「ピアノでバッハを弾きたく無い奏者だけが、ピアノでバッハを弾く資格がある(でも弾きたくない)」、ということになるでしょうか。

   “Clavier-Übung”(クラヴィーア練習曲集)全4巻は、生前のバッハが自費で世に送り出した唯一の大作です。バッハが世間に自分のことをどう思って欲しかったかを示唆する音楽、とも言えるでしょう。Clavierとは当時の鍵盤楽器一般を指す語で、Übungとは精神的な面までも含めた探求・修行を意味しています。
   その第1巻(1731年出版)にあたるのが、本日演奏する1段鍵盤楽器のための6つのパルティータ(組曲)です。舞曲構成、鍵盤書法、形式枠、様式間のコントラストなど、当時としては前衛的といって良いほどの大胆さを見せています。続く第2巻(1735年出版)は2段鍵盤のための「イタリア風協奏曲」と「フランス風序曲」、第3巻(1739年出版)がオルガンのための「ドイツ・オルガン・ミサ」(2段鍵盤+足鍵盤)、そして第4巻(1741年出版)が「ゴルトベルク変奏曲」です。
   これらのバッハ作品を現代のピアノ(Klavier)で演奏することは、図らずも、正解の見つからない鍵盤修行(Clavier-Übung)と言えるかもしれません。

●お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490(10:00~18:00 土日祝休) fax 03-6804-7489 info@okamura-co.com
http://okamura-co.com/ja/events/piano-axis/

※タカギクラヴィアに直接チケットを申し込むと、隣接のカフェ(http://www.cafetakagiklavier.com/cafe_f.html)のドリンク券がつきます

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【2012年度(終了)】
2012年4月21日(土)平均律クラヴィア曲集第1巻(全24曲)
2012年7月28日(土)平均律クラヴィア曲集第2巻(全24曲)
2012年11月3日(土)シュトックハウゼン:自然の持続時間(全24曲)
【2013年度予定】
2013年4月20日(土)15時 パルティータ全6曲
2013年7月27日(土)15時 ゴルトベルク変奏曲、フランス序曲、イタリア協奏曲
2014年1月25日(土)15時 イギリス組曲全6曲
【2014年度予定】
⑥フランス組曲全6曲
⑦4つのデュエット、インヴェンション、最愛の兄のカプリッチョ、半音階的幻想曲とフーガ他
⑧フーガの技法&音楽の捧げ物


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[批評] 大井浩明「ピアノで弾くバッハ」第1回・第2回
http://d.hatena.ne.jp/Gebirgsbach/20121203/

【第1回】
  鍵盤楽器奏者の大井浩明は近年、18世紀以前の楽曲では古典鍵盤楽器を用いることを旨としてきた。このたびはそこから一歩踏み出し、ピアノでバッハに取り組む。この日は《平均律クラヴィーア曲集第1巻》。そこで展開されるのは19世紀的なバッハ演奏のおさらいではなく、18世紀音楽にとっては足枷である現代楽器でいかにバッハの「芯」に迫るか、という試みだ。
  大井にかかるとそれは単なる抽象論ではなく、徹頭徹尾、具体的な演奏法として現れてくる。たとえば、同じ音型の繰り返しに句読点をきちんと付けていく。19世紀的な演奏ならそんな場面を一息で歌いきってしまおうとするだろう。句読点1つで大井は、18世紀と19世紀との間に横たわる「時間の分節感覚」の違いを表現した。
  この日は室温や調律に思わぬトラブルも発生したようだが、今後の演奏会では楽器や環境も最適化されることだろう。このシリーズへの期待が否応なく高まる。(4月21日タカギクラヴィア松濤サロン) [初出:音楽現代 2012年7月号]

【第2回】
  鍵盤楽器奏者・大井浩明のバッハ「平均律クラヴィーア曲集」と言えば、クラヴィコードでの演奏が良く知られている。このたびは、その対極とも言えるモダンピアノでバッハに取り組む。この日は第2巻の全曲演奏。4月の第1巻に続き、大井が「異形の詰め物」と呼ぶスタインウェイのグランドピアノで、18世紀音楽に迫る。
  その成功を確かなものにしたのは第9番「ホ長調」から第12番「へ短調」へと続く4曲だ。ここでは、調和を重んじる16世紀のルネサンス様式から、感情の素直な発露を目指す18世紀の多感様式までが顔を出す。それらを彩るのはクラヴィコード、オルガン、チェンバロ、フォルテピアノの各楽器を思わせる多彩な書法だ。こうしたスタイルの歴史性、楽器の音色の多様性が演奏として花開いたのも、大井浩明とモダンピアノという取り合わせがあってこそ。作曲家・楽器・演奏者のもっとも現代的で価値ある出会いが実現した。(7月28日 タカギクラヴィア松濤サロン) [初出:モーストリー・クラシック 2012年10月号]


※クラヴィコードによるバッハ:六つのパルティータ公演(2013年2月・京都)感想集
http://togetter.com/li/453542 http://dsch1906.exblog.jp/19251573/ 
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by ooi_piano | 2013-04-18 20:45 | コンサート情報 | Comments(0)

《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》第3回公演
2013年4月20日(土)15時開演 (14時半開場)
タカギクラヴィア松濤サロン[JR・東横線・地下鉄「渋谷駅」より徒歩10分、京王井の頭線「神泉駅」より徒歩3分]
■J.S.バッハ:六つのパルティータ BWV825-830 [NYスタインウェイによる演奏]
○お問い合わせ/(株)オカムラ&カンパニー tel 03-6804-7490 info@okamura-co.com

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カイラス山への五体投地----CD《フーガの技法》(ヒストリカル・クラヴィコードによる世界初録音)・曲目解説に代えて》 (2008年10月)
HMV amazon iTunes 古楽誌「アントレ」批評 English translation

c0050810_16105245.jpg━━━《フーガの技法》というと、バッハ晩年の晦渋で難解な作品、という印象があります。
A. 難解だとすれば、それは主に演奏のせいであって、実に申し訳ないことです。バッハは「聞けば分かる」ように音符を書いていますから。
   聴き手側が、フーガという形式に身構えがちなのも一因かもしれません。声と声との雄弁な掛け合いによって、聴く者の中に何かを感応させる、という点では、吉本漫才にかなり似ているのではないでしょうか。タイトルも、《マンザイの技法》あるいは《話芸大全》とかだったら、とっつき易いでしょうに。上岡龍太郎氏によると、「本当に面白い漫才は、1つのコンビに1本が普通、3本で一流。どんなに多くても5本が限度」。松本人志氏によると、「コントは30分でも思いつくが、本当に面白い漫才はどうやっても1ヶ月はかかる」そうです。彼らほどの人が言うのですから、事実そうなのでしょう。この《フーガの技法》所収の各曲は、作り込まれ練り上げられた「本当に面白い漫才」に匹敵するかと思われます。
  各曲の最初に出て来る旋律は「主題」と呼ばれ、これが漫才のボケにあたります。主題は、形を変えて何度も繰り返されます。世間に対して主題(ボケ)を分かりやすく解(ほぐ)すのが、対句(ツッコミ)です。逆に言うと、ツッコミを観察することによって、ボケに何を言わせたかったかを推定出来ます。フーガとは、面白い発想の話題に基づいて数人が雑談している光景です。
  声と声が「会話」をしている部分と、その間にある「ト書き」「余談(くすぐり)」部分の境目がはっきりしていなかったり、二人の声で一人、あるいは一人で二人の声を思わせる動きなどは、落語と一緒です。地味なお題(ボケ)の形を少しずつ変えながら、次から次へとネタを広げていくのは、まるで大喜利(おおぎり)(笑点)です。
  
━━━クラヴィコードとは、どんな楽器ですか。
A. あらゆる楽器の中でバッハが最も愛奏し、息子達にも手取り足取り教えたのが、このクラヴィコードでした。打鍵した音の減衰が早く、離鍵した音の余韻が長い、という点で、音色はチェンバロに似通っていますが、チェンバロでは出来ない、声楽的な強弱・ニュアンス付けが可能です。ただ、タッチのコントロールが至難であり、また音量が非常に繊細なため、もともとクラヴィコードを想定して書いた作品群は、コンサートではもっぱらチェンバロで演奏されてきました。現代のピアノのような、延音ペダルはついていません

c0050810_16113421.jpg━━━ピアノとクラヴィコードでは、弾き方は違うのでしょうか。
A. クラヴィコードといってもピンからキリまであります。028.gifこのディスクで使用したような、歴史的モデルに忠実な楽器であればあるほど、ピアノでもチェンバロでもオルガンでも無い、「クラヴィコードそのもの」の奏法が要求されます。 叩けばとにかく音は出る現代のピアノに比べると、まるでバスケのスリーポイントシュートを千発連続成功させるようなキツさです。ミクローシュ・シュパーニが示唆してくれた、グリーペンケルの方法論は大きな啓示でした。現在はそこから発展させて、自分なりの奏法を模索しています。「クラヴィコードが上手く弾ける人はフリューゲル(チェンバロ)もうまいが、その逆は有り得ない(aber nicht umgekehrt.)」、というエマヌエル・バッハの言葉に、我々は今一度向き合わなくてはならないでしょう。

━━━ピアノやチェンバロではなく、クラヴィコードで演奏する理由とは。
A. 通奏低音(コンティヌオ)抜きのコンソート合奏には、話芸の流れに沿ってカメラがパンされていないもどかしさを感じます。現代楽器か古楽器と問われれば、音色の絶対的優越性から後者を採ります。天然鯛を捨てて養殖ティラピアを好む人はいないでしょう。また、《平均律》や《フーガの技法》のような、中音域で声部が重なり合っている対位法作品は、チェンバロやオルガンには馴染みません。ボケが拾いにくく、ツッコミもしにくく、風景が見晴らせないからです。
   控えめな理由としては、コントラプンクトゥス第12番の長10度が、クラヴィコードならギリギリ掴めることが挙げられます。チェンバロやオルガンでは無理でした。

c0050810_16243346.jpg━━━楽器の音量が小さいとなると、このディスクを再生するときも、ヴォリュームを絞って聴いたほうが、クラヴィコードらしさを味わえるのでしょうか。
A. その必要は一切御座いません。
   星空を眺めるとき、瞳が暗闇に慣れるまで約20分ほどの時間がかかりますが(暗順応)、一方、明るさに慣れるのはその何倍も早いものです。東スーダンの森林地帯に住むマバーン族のような信じ難い聴力を持ち合わせるならともかく、現代社会に生きる我々には、クラヴィコードから数歩離れればそのニュアンスを充分に味わうことは敵(かな)いません。
   ライヴでは実現しにくい音像、という点では、クセナキスのピアノ協奏曲も同様です。ディスクだと明瞭に聞き取られるピアノ独奏部は、実際にはオーケストラの法外な咆哮に掻き消されがちです。クラヴィコードを数名ないし数十名の聴き手の前で演奏する際、どうしても楽器をよく「鳴らす」ことに意識が注がれますが、録音マイクに対しては囁きかけるだけで充分です。 その微(かす)かな囁きに、電車の中でも気軽にランダムアクセス出来るのは、21世紀ならではでしょう。奏者の鼻息が気になる方もおられるやしれませんが、「クラヴィコードの録音はこんなもの」(>ポトフリーヘ氏)だそうですので、どうぞ御容赦下さいませ。

c0050810_1617088.jpg━━━現代のピアノでバッハを弾くのは、意味が無いことなのでしょうか。
A. 現代のピアノは洗練の行き着く先とも言えるし、末生り(うらなり)のカボチャとも言えます。昨日の淵を今日の瀬としていた息子たちに、父バッハが「私とともに歩まぬ者は私に背(そむ)く者である」、と色を作(な)したとは思えません。
  一方、モダンピアノ奏者が古楽器を弾くと、指先から出て来るのは所詮モダンピアノの音であるのも事実です。すなわち、奏者の頭の中で響いている音が指先からこぼれ出すだけですので、つづまるところインターフェースが何であるかは問題ではありません。現代作品を演奏する者として、作曲様式に対応する演奏様式の取捨選択には、出来る限り敏感でいたいと思っています。恐ろしいことに、それは「聞けばすぐ分かる」ことですから。

━━━使用楽器について。
A.  今回使用したのは、ベルギー・トーレムベークに工房を構えるヨリス・ポトフリーヘ(Joris Potvlieghe)氏による、ザクセン式5オクターヴ専有弦モデルのクラヴィコードです。余談ながら、このディスクの録音セッション前日には、彼の工房で、同じ楽器を使ってグスタフ・レオンハルト氏が初期バロック音楽によるサロン・コンサートをなさってました。
   ポトフリーヘ氏の楽器の評価の高さは、その表現力の豊かさに因ります。しかしながら、それは楽器の「弾き易さ」には直結していません。氏曰く、「いつもそれで悩んでいる」。 あくまで「表現力のある楽器」こそが良い楽器なのであって、チェンバロあるいはピアノの打鍵法で手軽に音の出る「弾き易さ」は、楽器そのもののクオリティとは無関係なのでしょう。残念ながら、日本にはまだ納品したことが無いそうです。

c0050810_1617388.gif━━━使用稿やエディションは。
A. 初版譜と自筆譜を手元に置きつつ、新バッハ全集版(NBA)の最終稿です。演奏解釈そのものについて語られるよりむしろ、作品の成立経緯や使用エディション、調律法といったトピックに興味が集まりがちなのは、理解に苦しみます
   なお、いわゆる「初稿」は、細部を含めて明らかに推敲前の未決定稿に過ぎず、論点とするのはむしろバッハに失礼だと思います。あの素晴らしいコントラプンクトゥス第4番が存在しなかったり、第10番に血の気が通ってなかったりするだけでも遺憾です。幾つかの旋法的な箇所には惹かれますが、結局バッハは朱を入れたわけですから。

━━━未完のフーガについて。
A. ブゾーニ《対位法的幻想曲》を愛奏していることもあり、割愛するに忍びません。私は作曲家ではないので、「どうして自分で補筆しないんですか?」という質問から免れられるのは有難いことです。この二百年間に書かれた様々な補作例を十数個試してみましたが、いきなり音楽の強度がトコロテンのように腰砕けになるものばかりでした。長らく対位法学習のモデルが大バッハであり続けているにも拘らず、これは驚くべきことです。もっとも、ミロのヴィーナスのように、明らかに「破損」が前提となっているものの補綴でも、どうしても違和感がぬぐえないものなので、そもそも勝算は無いのかもしれません。
  中断されること自体より、ある種の効果が見出される、という点では、小泉八雲《茶碗の中》を思い出します。そういえば小林正樹によって映画化された際、音響担当の武満徹は薩摩琵琶の音をあしらいましたが、クラヴィコードの音色に相通ずるものがありますね。

c0050810_16194258.gif━━━最後のコラールについて。
A.  このディスクを収録した修道院には、ポトフリーヘ氏製作によるバロック・オルガンが所蔵されています。ボーナストラックとして、このコラール前奏曲を別途オルガンで録音するつもりでしたが、残念なことにペダル鍵盤数が足りず、断念致しました。言うまでも無く明らかにオルガン用に書かれており、また、明らかにこの曲集とは内容的に無関係ながら、いまわの際に口述筆記させたとなると、案外それはクラヴィコードを使ったのでは、などという想像もあり、あえて収録した次第です。オルガンで演奏された際、しばしばリード管によるカントゥス・フィルムス(定旋律)が余りにも前面に出過ぎ、フルー管によるその他の声部の「ツッコミ」が日陰へと押しやられる慣行への違和感もありました。宮廷や教会から帰宅し、当盤のCDジャケットのようにカツラを脱いでくつろいでいる、等身大のバッハのイメージです。

c0050810_1620824.jpg━━━このディスクでの解釈や試みについて、何かコメントはありますか。古楽的アプローチをなさっているのでしょうか。聴き手として、何か意識する必要がありますか。
A.  そのまんま、聞いてくだされば良いと思います。
   昨今、「古楽アプローチ」というと、表現上でのある種のバイアスを意味することが多いようですが、本来は「自分の頭で考えてみよう」、というムーヴメントなはずです。古物営業法違反の疑いで逮捕されるならともかく、実体の無い「正調お古楽」の名取を目指して精進するのも空しいことです。
  私は日本人ですから、硬直したアーリア・モデルを恭しく踏襲する義理もありません。身の丈を忘れて仰々しく吟じれば、大作曲家への尊崇を表したことになるのでしょうか。また、最晩年の作品だからといって、まるで《タイタニック号の沈没》のような高踏的身振りや、ニ短調の嘆きの谷で涙にくれてみせるのも、一切の弛緩が見られないあの恐るべき対位法の綾取りにはそぐわないと思います。個人的には、拡大された主題が後ろから迫り来る箇所など、黄泉比良坂(よもつひらさか)でイザナミに追い付かれたような恐怖を覚えます。
  大バッハがもっとも愛し、教育用にも最重要視した楽器のはずなのに、音楽学的研究はおろか、実践的演奏も寂々たる状態であるのは、憂うべきことです。なにせ、あらゆる鍵盤奏法の根幹、そして鍵盤楽器教育の基盤にかかわる問題なのですから。このささやかなディスクがその叩き台、パイロット盤となれば幸いです。
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by ooi_piano | 2013-04-14 15:48 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

  「みんなで弾こうジョン・ケージ」シリーズ第3弾です。(第1回/プリペアド・ピアノ入門、第2回/《冬の音楽》について、cf.●ピアノ内部奏法入門 )。

c0050810_713653.jpg  ケージ《南のエチュード集》(1974年1月~75年12月作曲)は、第1巻~第4巻各々8曲ずつ、全32曲の曲集です。86楽器のための《黄道星図(アトラース・エクリプティカーリス)》(1961/62)の後に入手した、チェコ人天文学者アントニーン・ベジュハーシュの恒星図(全天球で16枚)等に基づき、《北のエチュード》(全4曲、1978)や《フリーマン・エチュード》(全32曲、1977-80/89-90)等と同様、易(八卦)を用いて作曲されました。
  ケージよりも6歳年長のユダヤ系ドイツ人ピアニスト、ヨハンナ・マルガレーテ・スルタン(グレート・サルタン、1906-2005)は、戦時亡命直後にケージと出逢い、バッハやベートーヴェンなどクラシックを演奏する傍ら、《ピアノのための音楽 53-68》《ピアノのための音楽 69-84》(1956)を献呈初演するなど、アメリカ実験音楽にも取り組みました。70歳を前にして《易の音楽》を練習するサルタンを目の当たりにし、「老齢の淑女がピアノの蓋を叩くのも如何かと思い」、通常の鍵盤奏法のみで書かれたのがこの《南のエチュード集》です。全曲の初演は1982年4月、独ヴィッテン現代室内音楽祭で、献呈者サルタンによって行われました。
  譜面は右手用2段(ト音記号+ヘ音記号)、左手用2段(ト音記号+ヘ音記号)の合計4段で書かれ、その(手の)配分は厳守しなければなりません。各曲それぞれ異なる低音部の鍵盤が静かに押さえられ、それにより仄かなハーモニクス(残響)音が発生します。テンポ、強弱、「出来るだけ長く伸ばす音符」の音価等は、奏者の解釈による不確定性に任されており、立ち上がるハーモニクスも、個々の演奏により全く違ったものとなります。第1巻では単音がメインですが、巻が進むにつれ、徐々に2音以上の和音が増えてゆく構成です。

  国際コンクールで、20世紀前半のエチュード(ラフマニノフ・スクリャービン・バルトーク・ストラヴィンスキー等)が指定されることがありますが、戦後現代曲の代表的エチュードはといえば、メシアン全4曲、リゲティ全19曲、そしてこのケージ《南のエチュード》全32曲に止めを刺すでしょう。もし仮に、現代ピアノ音楽専攻の大学院課程があったとしたら、メシアン《音価と強度のモード》、リゲティ《反秩序》、それにケージ《南のエチュード》から任意の一曲・・・あたりは必修になるのでは無いでしょうか。
  以下、尤度(ゆうど)が高いと思われる譜読み法について述べてみます。各曲の終わりの楔除去作業時以外は、私はどのペダルも使用しませんでした。

A.
 (0)「付録」の細かい譜面がある場合は、該当箇所近くに縮小して貼り付けます。
 (1)まず最初に、長く伸ばすべき音(白音符)を赤丸で囲みます(私は0.8mmサクラ水性pigmaを愛用)。
 (2)オクターヴ指定(8va)を鉛筆で囲います。次の手順(3)で、「指の届く範囲」を可視化するためです。
 (3)先ほどの赤丸の持続可能時間を、白音符の右横に赤線(横棒)で書き込みます。ケージ自身による持続指定もこのときフォローします。時間的にほとんど延ばす事の出来ない音も多いです。奏者の手の拡がりによって、持続時間は変化します(不確定性)。例外的に、片方の手の持続をもう片方の手で押えなおす指定もあります(見れば分かる)。
  「出来るだけ長く伸ばす音価」の尊重は、左右2段ずつの音符振り分けや、ハーモニクス用低音と同じ程度に、この作品の重要な仕掛けになっているので、しっかりチェックしましょう。短い音(黒丸)と長い音(白丸)の区別さえついていない演奏の、何と多いことか。
 (4)ケージ指定の黒い持続線を修正液で消します。赤い横棒をより目立たせることが出来ます。

B.
c0050810_9423443.jpg (1)《冬の音楽》の際と同様に、易経(乱数)によって強弱を決定し、鉛筆で書き込みます。《易の音楽》以降のケージ作品のスタイル、なかんずく関連作品《フリーマン・エチュード》に於ける強弱指定に鑑みれば、「その場の思いつきで強弱を付ける」「交差した手や跳躍の都合で決める」「倍音がきれいに響くように強弱を決める」、などという生ぬるい態度は有り得ません。D-(3)の作業(=音符の演奏順チェック)を先にしておいても良いでしょう。
  強弱決定への援用くらいですと、乱数(という手段)によるマイナス面は感じられません。興味深いことに、強弱決定により各々の演奏の「個性」は確保される一方、全体の印象は余り変わりません。《34分46.776秒》など他作品からの類推で、私は和音にはバラバラではなく一つの強度を設定しました。和音を1つとカウントした場合、右手と左手で一曲につき合計300~400ほどです(書き写し所要時間20分~30分)。100個代なのは第23番のみ、500個代は第9番と第29番のみです。
 (2)強弱を5色の蛍光ペン(ピンク/橙/黄/緑/青)で塗り分けます。キャップ式ではなくノック式のものが便利です。私の強弱設定は、ppp/pp/p/mp/mf/f/ff/fffの8種類でした。最も識別し易いと感じられる色分け法は、ppp/pp/pを青、mpを緑、mfを黄色(sfのたぐいも黄色)、fを橙、ff/fffをピンク、というものです。激しい跳躍を含む手の交差時に、細かい強弱記号などいちいち読み取っていられませんので、これは必須でしょう。
  乱数によって完全に無秩序にばらまかれた数百個の強弱の塗り分け順は、(i)まずp/pp/pppを青で塗り、(ii)次にff/fffをピンクで塗り、(iii)この時点で一文字のものはfのみで、それを橙で塗り、(iv)mfを黄色で塗り、(v)残り(mp)を緑で塗るのが、最も速いです。強弱を書き込む作業にくらべて、色塗り作業は簡単であり、一曲せいぜい15分です。
  こういった単純労働は非常に面倒ですし、助手か秘書に任せられれば・・と思いもしますが、しかし実のところ、これは譜読み作業にほかなりません。書き込み、すなわち、手作業をする程度の時間を取って、じっくり繰り返し音符を眺め続けることで、見知らぬ点々模様も、やがて音楽として立ち上がって来ます。

C.
  一段を8分割する「小節線」を書き込みます。跳躍時に譜面から目を離さざるを得ないので、小節線も軽く色分けしたほうが良いでしょう。私は、まず左端と中央線を黄緑で引き、1/4と3/4ラインを青(水色)で引き、残りを鉛筆で書き込みました。一枠4秒なら一曲4分16秒(全32曲で2時間17分)、一枠5秒なら一曲5分20秒(全32曲で2時間51分)です。せめて一枠単位の「テンポ」は、各個の曲内で遵守すべきでしょう。

D.
c0050810_1324871.gif  (1)架線で読みにくい音高を書き込みます。私はC~B/Hに、♯/♭を付け加える派です。ケージ作品に時折現れる密集パッセージでは、「re」「sol」等の音名では難しいでしょう。
  (2)《南のエチュード》の右手2段+左手2段による記譜は、慣れれば案外平気ですが、ただ、特に中2段(右手のヘ音記号と左手のト音記号)は混乱しやすいので、長い休みの直後などには音部記号を書き加えるのが安全でしょう。
  (3)各々の手の音群に、演奏順を示す線を鉛筆で薄く書き加えます。非常に密集したパッセージでも、各音符の「演奏順」が一応考えられていることが分かります。クセナキス《ミスツ》《コンボイ》等のスペース・ノーテーション部では、私は必ずしも音符の「演奏順」は守りませんでしたが(密度を優先するため)、《南のエチュード》では順番を遵守した上で、「出来るだけ速く」弾きました。
  (4)右手・左手をそれぞれ独立にグルーピングした後で、「小節線」の枠内に、さらにガイドが必要な箇所に縦線を書き加えます。これが有るか無いかで、弾き易さが全然違います。
  (5)持続音も無く明らかにフレーズの「休止」と見て取れるところに、呼吸マーク(V)を書き入れます。これが有るか無いかで、なぜか弾き易さが全然違います。
  (6)「付録」の沢山ついた第4巻の複雑な譜面では、さらに見開き中央(本の折り目)に肌色ライン、2段目と3段目の間に黄色ラインなどを書き込みました。

E.
  以上の作業後に、初めて楽器の前に座り、指遣いを決定します。
  持続音と強弱の都合を睨みつつ、右手と左手それぞれバラバラに指使いを決めます。その後、両手同時に弾いて、どちらの手が「上」か「下」かを調整しますが、先だって個別に決めた指使いは、ほとんど変更しないで済むようです。

F.
c0050810_445256.gif  ハーモニクス効果のために、曲の冒頭で静かに押えられる低音について。
  二つ方法があり、(α)ソステヌート・ペダルを踏む、(β)鍵盤の隙間に楔を差し込む、のどちらかを選択します。
  各曲の終わりにフェルマータが書かれているのは全32曲中わずか4曲なので、指定通りにハーモニクスを切り上げるためには、(α)がベターです。短所は、(i)右足で押えるにしろ左足で押えるにしろ、右手と左手の激しい交差中も確実にペダルを下まで踏み込み続けておかねばならない(案外足が浮いてしまうものである)、(ii)激しい手の交差その他の突発要素によりハーモニクス音をミスタッチした場合、演奏修復が困難である、(iii)どの音域をどの強度で弾いても完璧にソステヌートペダルが機能する楽器が会場に備え付けられているとは限らない(案外調整に穴があるものである)。
  (β)の場合は、以上(i)~(iii)の事故は起こり得ません。一方、曲の終わり方に工夫が必要となります。右手と左手のアクロバティックな交差も、この作品の醍醐味の一つなので、楔の除去作業(という視覚的要素)は悩みの種です。ハーモニクスの音数が最も多いのは第23番(8音)で、5音のものも3曲あります。除去作業が片手で済めば良いですが、その際に余計な音が出てしまう可能性もあり、私はつねに両手で一音ずつ除去しました。楔は消しゴムをカットして作成しました。楽器によって、「しっかりと安定して鍵盤が押し下げられ」、かつ「速やかに除去できる」楔のサイズは違っているので、注意が必要です。


  如何でしょうか。ここまでの作業はプロ・アマ・年齢問わず、ほとんど自動的・機械的に進められるものです(Diviser chacune des difficultés)。自称エキスパートが標榜する「創造的解釈」とやらも必要ありません。東洋テイストがどうしても欲しいなら、ピアノ椅子の上で座禅でも組めば宜しい(ペダル使わないし)。「この作品を通して世界を変革うんぬん」というケージの能書きは、1970年代にお洒落とされたファッションに過ぎません。


c0050810_1010832.jpg  ケージ《南のエチュード集》を取っ付きにくくしている原因は、記譜法もさることながら、全貌が概観しにくい点でしょう。一見似たような曲が多いのはリゲティのエチュードも同様ですが、あちらには個別に意匠を凝らしたタイトルが付けられています
  そこで、ベートーヴェンの32のソナタと関連付けてみる、という珍案を思い付きました。ロケット発射(Mannheimer Rakete)の如き上昇音型で始まる第1番(Op.2-1)。第1巻で最も音数が少なくハーモニクス数は最も多い――すなわち最も弾き易く親しみ易い第8番(Op.13『悲愴』)。疎密差が激しく美しい第14番(Op.27-2『月光』)。後半の開始を告げる颯爽とした第17番(Op.31-2『テンペスト』)。ハーモニクス数が最も多く響きの拡がる第23番(Op.57『熱情』)。全曲で最も演奏至難な第29番(Op.106『ハンマークラヴィア』)。第4巻で最も音数が少なく、チクルスを清澄に締めくくる第32番(Op.111)。「全部で32曲である」「第29番が一番難しい」、というのは、これで一発で覚えられましたね。
  リゲティの第5・8・11番に相当するのが、ケージの第8・11・13・23・32番等です。右手より左手が動くのは全体の約半数で、特に第13・24・25・26・31番あたりが顕著です。リゲティと違って、見開き2ページで一曲なのは、譜めくりも要りませんし有り難い。
  夜空を見上げても、最初はどれがサソリ座で射手座で大犬座なのか見当も付きませんが、ガイドがあれば小学生でも判別出来るようになります。《南のエチュード》の各曲も、それぞれに個性豊か、かつエキサイティングです。是非お試し下さい。

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cf.
c0050810_1093412.gifメシアン《音価と強度のモード》演奏法 [2005.07.02]
 ――総音列主義作品における種々のアタック/タッチ/音色の定義 (レガート、スタッカート、テヌート、ポルタート、ノン・レガート)
ブーレーズ《フルート・ソナチネ》《第1ソナタ》演奏法 [2006.05.26]
●M.シュパーリンガー《エクステンション》特殊奏法総覧
 ――その1 (序文/第1~第236小節) [2005.04.19]
 ――その2 (第237~コーダ) [2005.04.20]
 ――その3 (ヴァイオリン・パートについて/曲目解説)  [2005.04.20]
現代作品での譜めくり [2005.12.22]
クセナキス《シナファイ》 音源と概説 [2005.09.29]
同曲ライヴ映像についての雑記 [2007.08.01]
クセナキス《エリフソン》と《ホアイ》の素材援用について [2004.06.22]
サルでも見破れる現代音楽演奏 [2006.11.26]
演奏教育現場における現代音楽の効用・目的について [2006.12.08]
武満徹「実証研究」の諸相 [2006.12.03]
シュトックハウゼン追悼演奏会 [2008.10.20]
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by ooi_piano | 2013-04-12 06:55 | POC2012 | Comments(0)