【脚注/シュパーニ】

c0050810_1581212.jpg[注5] このことにより、手首は比較的高いポジションに来る。腕の重みの使用は、バッハの打鍵法の最も重要なポイントである。 このメカニズムを、初めは「不自然に高い位置」に座りながら、あるいは、楽器のそばに立って、試してみるとよい。立ったままキーの上に指を置いて、その指先に脱力した腕の重みを感じることが出来るようになったら、今度は高めの椅子に座ってそれを確認し、本文が要求する手と腕の位置を実現出来るようになるまで、徐々に椅子を低くしてゆくこと。——脱力した腕の重みは、常に指先に感じながら!

[注6] このタッチから生まれる、快く力強い音は、タンジェントと弦が非常にしっかりと接合していることに起因する。腕の重みの連続的使用は、発音から離弦まで均一な音を保証する。またこのことは音質にも影響し、また、音高が不必要に変化する(高くなる)ことが無くなる。

[注7] すなわち上下する分散和音、恐らく現代のピアニスト達が実行しているやり方と同様である。

[注8] バッハによる課題は全て、とても単純に見える、がその効果は驚くべきものだ。これらの課題によって初学者は「バッハ・タッチ」を学ぶことが出来るが、同時にまた、日々の練習やコンサート前のウォーミングアップ練習として、熟練者もこれを効果的に利用することが出来る。

[注9] いかに多くの2声インヴェンションが、上述された課題に密接に関連した動機的要素を含んでいるかは、実に驚くべきことである。 これはまた、バッハが指練習課題からインヴェンションを作成した、というフォルケルの所見を正当化するものである。

[注10] すなわち、クラヴィコードのこと。

[注11] 「グリーペンケルルのテクストは、バッハ一門の伝統というよりむしろ、バッハの音楽を演奏するに際しての当時のロマン派の観点を単に反映しているに過ぎない」、などと論ずるものは誰でも、これらの文章に照らして意見を再考すべきである.。


(�) 【解説/大井】

c0050810_1594528.jpg(III)のグリーペンケルルの記述は、非常に明解である。そこに、彼がこのメソッドを後世へ伝えようとする、意思と良心が感じられる。このテクストに書かれている通りそのまま、各々実践して頂くのが、「バッハ・タッチ」への一番の近道だと思われる。

以下は、私がシュパーニの講習会に参加したときのメモランダムである。このときは、グリーペンケルルの手記に従ってトレーニングしたわけではなく、あくまでシュパーニ氏が即興的に課題した。氏の述べる通り、「良いクラヴィコード」があれば出来不出来が明確に判別できるが、エクササイズ自体はいかなる鍵盤楽器でも可能である。5指を「シュネレン」させる(手前方向へすべり上げる)基本エクササイズは、やろうと思えば、散歩しながら腿の横でさえ出来る。なお、「いかに脱力するか」については、本稿の論ずるべきところでは無い。太極拳・アレクサンダーテクニック・こんにゃく体操・エアロビクス等々、さまざまな方法があろう。ただし、「はじめは楽器の横に(座らずに)立って始める」、というシュパーニの示唆(脚注(IV)参照)は、中々良い着眼点だと思う。

___________________
A.最初は同音連打

◆右手の2⇒3⇒4⇒3⇒2⇒3・・・の繰り返しで、同じ音をシュネレンにより連打する。(すなわち、この時点で親指と小指は使わない。)手首はゆるめられており、指の動きに合わせて自動的に右傾/左傾することになる。手の甲は高めにする(低くなりすぎないこと)。キーを保持している以外の指はリラックスせよ(背筋を伸ばそう)。まずは「完全に均等」なデュナーミクを目指す。弦と接触しているタンジェントが、打弦後にブレないこと(=一定になること)。鍵盤の端っこを使う。美しく伸びる音で。
◆指先の頂点に、腕の自然な重みを常に伝える。もしキーがなければ、指が下へずり落ちてしまうように。[鍵盤上でなく、私(大井)の腕の上で実践してもらったが、結構重く感じられた。] 厚目の本を誰かに支えてもらい、その上で指の重心のすばやい移行を練習してみる。[「脱力」という大義名分はあるものの、足で「歩く」程度の筋肉の収縮は必要。]
◆たとえデュナーミクがpp〜pであっても、「俊敏な」アタック・初速が必要であり(指の動きは小さくなるが)、打鍵速度をノロくしてしまうのは間違いである[〜非常に興味深い指摘]。逆にfの時、わざわざ大袈裟な動きをする必要は無い。
◆紙を1-2(親指と人差指)でつまみ、そこから1-3でつまんでいる状態、1-4でつまんでいる状態へ、紙を落下させずに、素早くスパッ・スパッと移行する訓練。
◆あまりゆっくりすぎでは練習せず、メトロノーム80くらいでサクサク交替させていた。

___________________
B.[譜例1]を色々な指使いで。

◆二指の交替課題は、2⇔3、3⇔4、4⇔5を行ったのちに、1⇔2をやった。あくまで「完全に均等」であること。
◆2から3へシュネレンで移行したとき、3以外の全ての指(すなわちキーを押えている以外の4本の指)が、瞬時に脱力していること。
◆5(小指)は、本当に「先端」で突く感じである。指を立ててキーに着地させること。爪先で弾くつもりで(爪をちゃんと切ろう)。小指の関節を伸ばしていれば自動的にキーに平行になるはずであり、斜め(外側)に傾いて打鍵効率が低まってしまうのを防ぐことが出来る。そして、その角度のまま手前へ折り畳まれる。
◆1(親指)は軽く内側へ曲げ、先端というよりは左上部側面(爪の左上端あたり/右手の場合)で弾くつもりで。親指が移行の直前に滑り落ちてゆく方向は、キーに平行方向ではなく、手の甲の内側、すなわち親指関節が曲がる方向へ、自然に退去してゆくこと。
◆5のみで連続して同音連打をする。その合間に4⇔5のエクササイズを挿入してみる。関節を伸ばした(一直線にした)4と5の指がキーに垂直になり、なおかつリラックスした状態であるためには、手の甲の位置はかなり高くなる(肩・肘のラインと連結させる)。初めのうちは、高めの椅子で良い。
◆4で指先がグラつくことがあるので、その予備練習として、3と4を2度の和音として同時に弾いてみて(同時に鍵盤に「引っ掛ける」)、重心の取り方を探ってみる。[指の形を整えてゆくため、最初は幅2センチ程度の半透明の合成樹脂製絆創膏で関節を固定して練習する、という手もある。]
◆C-Durの音階上を、2→3の指使いを繰り返しつつ2オクターヴ上昇下降する(C-D、D-E、E-F、etc)。3→4や1→2の繰り返しでも行う。次にCis-Durの音階上でやる。[このとき、親指・小指が上鍵[黒鍵]に来ようとも、指使いは一切変えず、また指はキーに垂直のままであること。] 左手も同様に。

___________________
C.指の移行モーションのイメージ例(私見)

c0050810_20332.jpg「脱力した筋肉」の状態をもどかしく説明するのと同様であるが、この『バッハ・タッチ』は、決して未知の筋肉の動きではない。似たようなモーションは、一日の生活のどこかで、立ち現れているはずのものである。

◆指パッチンのモーションに少し似ている。
(i) 親指と人差指の先端で「きれいな」輪をつくる(中指・薬指・小指は脱力)。その接点に意識を集中する。力は入れない。
(ii)親指と中指の先端で輪をつくる(以下同様)。
 上記の(ii)から(i)の状態へ、素早く、しかし最小限の動きで移行する。これは、指をパチンと鳴らす時のモーションを、指の第一関節のみで行うことに似ている。
◆公園などにある運動器具の「うんてい(雲梯)」にぶらさがって前方へ移動していくとき、片手を離しながらその勢いですかさず次の棒をつかんでゆく、あのイメージ。
◆逆立ちして歩くときの腕の動き、重心の移動。
◆「ケーン、ケーン、パッ!」の前半、片足から片足への素早い重心の移動。
◆「つかむ」という動きについて。
(a) 寝ている時、あるいは腕をダランと垂らした時などの、自然にリラックスした手の形(親指を含めて5指は軽く内側へ向いている)。
(b) にぎりこぶし。
上記の(a)の状態の手をそのまま鍵盤の上に置くと、指は鍵盤にほぼ垂直となる(人によって差はあるかもしれない)。そこから(b)へ向けて、親指を含めて数ミリ指を内側へ動かす(「つかむ」モーションの最初の数ミリぶん)。
◆グリーペンケルルのテクストにある、「手の仕組みは、つかむ、という動作に向いている。」という一文であるが、ドイツ語fassen、英語grip、日本語「つかむ/握る」ともに、誤解を招きやすい。「すでに手の中にあるものを《握る》」というよりは、「少し離れたところにあるものを、腕をのばしてパッと《つかむ》」、すなわち、動作の基点は肩・腋(あるいは鎖骨)にあるイメージ。
◆ハープだと親指は外へ突き出すように奏するが、それ以外の各指(なかんづく薬指)が独立して弦をパチンパチンとはじいているのは、かなり似ている。笙の「指擦り」の速度をあげれば、これも似ている。
◆ハープの撥弦法について、「空中の蚊をパッとつかむ時の手の動き」、という喩えがある。これは、親指以外の4指をそろえて「つかむ」という瞬間的なモーションを意味する。腕や肘はリキんでおらず、指の付け根を内側へ垂直に急激に折り畳み、「つかみ取る」。指先で「クリックする」という動きは含まれていない。』

___________________
D.[譜例4]、[譜例5]、[譜例6]など

◆たとえば[譜例4]で、4を弾いているときに、既に2をキーの上にスタンバイさせること。
◆各課題とも、右手・左手ともに、移調して練習すること。ポジションによっては演奏困難になることもあるが、つねに次の音へ「すべり落ちてゆく」感覚で。
◆[譜例6]を移調してゆくとき、次のフレーズを始める前に1を完全に空中に上げて宜しい。[譜例6]を左手で行うときは、C→B→A→G→F(F-Dur)で開始、そののち下方向へ移調していく。特に左手で自然に脱力していないと、3→4→5での音量が下がっていきがち(クラヴィコード低音域の豊かな音色を味わおう)。逆に、右手高音域の3→4→5では、楽器の限界を感じつつ制御すべき。
◆背筋を伸ばしましょう。

___________________
E.分散和音(C-E-G-cなど)で弾く

c0050810_214629.jpg◆手首はリラックスさせるが、1→2→3→5の時に手首が回転し過ぎるのは良くない。各々の和音のポジションを基本的に崩さないこと。
◆3→5の時に3が不安定であった(これは4の指がリキんでいるため)。打鍵した後は、あくまで「安定した、一定の重み」でキーを保持し、移動の「直前」に瞬間的に指を滑らせること。手が広がると、これらの原則が守られにくくなる。手の甲のかたち、指の自然な曲がり具合を失わないこと。左手よりも右手のほうが不安定であった。
◆1→2→3→5(C→E→G→C)を上下に移調してゆく。ポジション移動したとき、人差指が不安定になりがちであった。

___________________
F.クラヴィコードのベーブング(ヴィブラート)奏法について

◆ベーブングは一度音をしっかり確保・不動保持してから、その軽い余韻として、キーの底の方で「垂直方向」に(横方向ではなく!)揺らす。打鍵と同時にベーブングすると、音程が変わってしまう。イメージとしてはあくまで「声楽」的表現の模倣であって(すなわち強弱のヴィブラート)、弦楽器的に音程がウネウネ変化してはならない。クラヴィコードの音楽表現の中核にあるわけではない。
◆プローベシュトゥック等ではっきり記号で指示されている以外では、例えばドミナントの上声etcで使用することもある。
◆幾つかの音符の上に打たれた点の上にスラー記号がかかっている「音のトラーゲン」(Tragen der Toene)は、最初の一音をベーブングして、後はレガートで奏する(ポルタート奏法ではない)。これは各音毎にベーブングすることへの、代替表現である。

___________________
G.指トレーニングののちに

◆音階・アルペジオの断片を「明日のために辛抱強く」、「少なくとも数日間」続けたのちに、2声インヴェンションのハ長調やト長調を、片手ずつゆっくりと弾いてみる。最初はとにかく「均等に弾く」ことに集中せよ。
◆「上手になるためには、他のことは何も考えないで10年から12年もの間を、そのために費やさなければならない」と云うのは、大袈裟である。しかし、まず最初の指訓練だけで、集中して数ヶ月は必要であろう。
◆アンドラーシュ・シフは自宅にクラヴィコードを持っていて、愛奏してらしい。[この講習会では、シフとシュパーニの対談コピーが配布されていた。] [バレンボイムの高い椅子と垂直に立った指というのも、幼少時のクラヴィコード体験に由来しているのかもしれない。](完)
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by ooi_piano | 2013-09-21 14:44 | クラヴィコード様への五体投地 | Comments(0)

9/16第1回公演感想集:

○CLASSICA (飯尾洋一氏のブログ) http://www.classicajapan.com/wn/2013/09/170950.html
c0050810_911118.jpg「・・・よく考えてみると不思議な気もするんだけど、ベートーヴェンを古楽器オーケストラやモダン・オーケストラのピリオド寄り演奏で聴く機会はそれなりにあるのに対して、ソナタをフォルテピアノで聴く機会ってそんなにはないんすよね。オケのほうが興行的に大仕掛けなのに。なので、気分としては見たことのある光景を違う遠近法で見るような気分。モダンピアノ基準で眺めると、外枠であるキャンバスのサイズはうんと小さく見える。逆にキャンバスのなかに描かれた絵のサイズはうんと大きく見える。作家はキャンバスいっぱいいっぱいの枠を使ってはみ出さんばかりに絵を描いている。普段リサイタルの前菜にように配置されるベートーヴェンの初期ソナタが、巨大な楽想を持った作品として迫ってくる。・・・」

○澤谷夏樹氏(音楽学)のブログ: http://d.hatena.ne.jp/Gebirgsbach/20130917
c0050810_912341.jpg「・・・作曲年と楽器の製作年(この場合は本歌の楽器の生まれ年)との差は5年内に収まっている。音楽がいままさにそこに鳴り響くものであることも考え合わせれば、このシリーズでは「生まれたまま」のベートーヴェン《ピアノソナタ》を聴くことになる。/・・・・大井がフォルテピアノを弾くと、楽器は饒舌に語り出す。比喩としての「語り」ではない。文節(=分節)と子音とに彩られた文字通りの語りだ。右手と左手の音形の受け渡しに「対話」を感じるのはもちろん、単旋律からでさえ複数の登場人物のおしゃべりが聴こえてくる。たとえば第1番の第1楽章。単純な順次下行にさえ3人ほど役者が登場している。減衰の速さ・音域による音色の違いといったフォルテピアノの特性と、18世紀の分節法を鍵盤上に繰り広げる大井の指とが、演出家と役者の役割を果たしている。・・・」

○齋藤俊夫氏(音楽学)のブログ: http://d.hatena.ne.jp/MOGURAmaru/20130916
c0050810_9124368.jpg「・・・このフォルテピアノによって、ベートーヴェン、すなわち古典主義の完成によるその自己崩壊とロマン派の誕生を一手に引き受けてしまった「前衛作曲家」の音楽を、大井浩明という古楽と前衛のスペシャリスト(と言っても間違いはないと思うが)はどのようにリアライゼーションしたか。端的に形容するなら、「チャーミングな即物主義」という古典主義と「澄みきった轟音」というロマン主義の併存から、この二つの主義の勢力均衡状態の崩壊がこの第1から第4までのソナタで歴史的に俯瞰させられた、と言えよう。・・・」

ベートーヴェン:ピアノソナタ全32曲連続演奏会(全8回)  
~様式別・時代順のフォルテピアノ(古楽器)による~


淀橋教会・小原記念チャペル(東京都新宿区百人町1-17-8)
JR総武線・大久保駅「北口」下車徒歩1分、JR山手線・新大久保駅下車徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート13000円]

【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/
第二回公演/2013年9月23日(月・祝)19時

使用楽器 ヨハン・ロデウィク・ドゥルケン(1795年頃、FF-g3)
[A=430Hz、1/6ヴァロッティ不等分律]
調律 太田垣至


c0050810_7193975.jpg〈チェンバロまたはフォルテピアノのための三つのソナタ、
アンナ・マルガレーテ・フォン・ブロウネ伯爵夫人へ、
ルイ・ヴァン・ベートーヴェンにより作曲献呈 〉



《演奏曲目》

■ソナタ第5番ハ短調Op.10-1(1795/97)[全3楽章]
Allegro molto e con brio - Adagio molto - Finale: Prestissimo

■ソナタ第6番ヘ長調Op.10-2(1797)[全3楽章]
Allegro - Allegretto - Presto

休憩(約15分)

■ソナタ第7番ニ長調Op.10-3(1797/98)[全4楽章]
Presto - Largo e mesto - Menuetto: Allegro - Rondo: Allegro

c0050810_9131283.gif■ソナタ第8番ハ短調Op.13《悲愴(Pathétique)》(1798)[全3楽章]
Grave / Allegro di molto e con brio - Adagio cantabile - Rondo: Allegro


□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□

《ましてや今は遠き世に ―― 器楽の「復元」という試み》  杉本舞

c0050810_22143763.jpg  今でもよく覚えている。あれは私が中学生の頃、当時師事していたピアノ教師からベートーヴェンのソナタ第1 番作品2-1 を課題に出されたときのことだった。レッスンで指導を受けた後、自宅のグランドピアノでおさらいをしながら「なんでこんな曲なんだろう」と思ったのだ。ベートーヴェンの作品は総じて好きだった。第1 番も気に入って、よく練習した。なのに、弾けば弾くほどしっくり来ない。なんだか「うまくない」。飛んだり跳ねたり転がったりする音の流れに、教師の言うとおりのメリハリをつけて弾くのだが、何故か「鳴り過ぎているのにスカスカ」というような訳の分からないことになってしまう。もちろんそれは自分の演奏が下手糞すぎるからに違いないのだが、ピアノ教師の模範演奏を聞いても、市販のCD を聞いても、何かがちぐはぐのまま残るのである。どんな演奏なら自分の感覚にしっくりくるのかわからない。ベートーヴェンは何故こんな、どう弾いてもしっくりこないような曲を書いたのか。「ピアノソナタ」なのに、はたしてこの曲はピアノという楽器に寸法が合っているのだろうか。あるいはベートーヴェンのピアノソナタ自体がそもそも「こんなもの」なのか。それとも自分の感覚が変なのか。……結局、好きな曲なのに好みの演奏に出会えないまま曲のレッスンは終わってしまった。その後、私はとくに音大などに進学するわけでもなく、アマチュアとして趣味のピアノを自由に楽しんでいたわけだが、この漠然とした違和感は長く頭の片隅に残っていたのだった。

c0050810_22153083.gif ところが、2008年の京都公演で大井氏によるピアノフォルテ演奏を聴いたとき、十数年間に及ぶ疑問はあまりにもあっけなく溶け去ってしまった。シュタインのフォルテピアノは、飴細工のような質感の、みやびで繊細で大きすぎない、よく響く音を出していた。モダン・ピアノとはまったく違う方向性の表現力。モダンに比べて、ダイナミックレンジが制限されているのだけれど、それが良い。残響が大きすぎず、歯切れがよく、しかし鋭すぎないのが良い。フォルテピアノ上では、少ない音で構成されたシンプルな曲想は、鳴り過ぎることも切れすぎることもスカスカになることもなかった。形容しがたい艶のある音で綴られたソナタ第1 番は、まさしく楽譜上の表現の「寸法通り」だった。「なんだ、そういうことだったのか」と思った。何のことはない、単にこの曲はピアノ―― モダン・ピアノのための曲ではなかったという、ただそれだけのことだったのだ。

------  
c0050810_9143065.jpg 博物館へ足を運んだ際に、古い装置や機械が、ときには動く形で復元されているのを見たことがある人は少なくないでしょう。作品を作曲当時にできるだけ近い環境・文脈に置いて再現を試みるという意味で、このコンサートシリーズを含む古楽の演奏会は、博物館における「復元」展示に似ています。しかし、事態はより複雑です。器楽作品の再現は単なる事物の復元ではなく、楽器、演奏者、環境、楽譜という複雑に絡み合う要素を一度に再現する試みだからです。いざ楽器と演奏者をもってきて当時の状況を再現しようとしたとき、独特の問題が立ちふさがります。

 第一に楽器の再現性です。古楽器を含む歴史的機械が、本当に当時使われていたそのままの状態で復元されることは、まずありません。楽器には日々のメンテナンスにまつわる知識、老朽化に伴う補修に使われる技術などが必要で、これらは長年の間に必ず何らかの変化をこうむっているからです。

  第二に演奏法の再現性です。その曲を弾くとき、どのように身体を使うべきなのかは、伝わっている伝統的奏法、史料や作品の分析、楽器の機構による制約、そして自分の身体そのものによる制約などから推測するしかありません。
 ただし、器楽の場合、楽器の機構による制約そのものが復元を試みる際のヒントとなっている側面はあるでしょう。たとえば日本の伝統芸能である能は、現在ではゆっくりとした重い曲調や、強吟と呼ばれる唸るような謡い方がその特徴ですが、室町当時は曲によっては現在の半分以下という上演時間であったそうですし、強吟は存在しなかったと言われています。つまり、江戸期以前の能の上演スタイルは、現在とはかけ離れたものだったのです。しかし、史料も少なく、機械による制約といったヒントも残されていない今となっては、かつての姿の再現はおそろしく困難な試みとなっています。

c0050810_9151055.jpg 第三に楽器と演奏者をとりまく環境の再現性です。楽器はどれくらいの大きさの部屋に置かれたのか。聴衆は何人くらいで、どこに座り、何をしながら(あるいは何もせずに?)聴いたのか。作曲者はどのような環境で弾かれることを想定し、実際に演奏者がどこで弾いたのか。聴衆なしに音楽がありえない以上、本当に当時の状況を再現するならば、この要素は無視できません。しかもフォルテピアノの場合、座る位置をたった数メートル変えるたけで、モダン・ピアノとは比べ物にならないほど聞こえる音に違いが出ます。例えば2008年7月の京都公演で、私は演奏者側の前から2 列目に座りましたが、その時には音はどこか少し遠くで鳴っており、強弱もそれほど感じられず、趣味良くこじんまりした印象がありました。しかし、反響板側に席を変えて残りを聴いたところ、音量は大迫力、機構の動作音も聞こえましたし、強弱のメリハリに至っては作品の差を超えた違いでした。このことは、ピアノフォルテがモダン・ピアノと同じ環境で聴かれた楽器でないということを示しています(皆さんも、ぜひ積極的に聞こえる音の変化を体感頂きたく思います)。

 結局、当時の完璧な「復元」は不可能なのです。しかし、それでも試みることに意味があるのは、楽譜に書きようのない、現代的演奏では欠落してしまう何かが、その中で緩やかに立ち現れるからにほかなりません。堆く積みあがった解釈と変革の上にあるモダン・ピアノによる音楽には、確かにそれ自身としての価値はあります。しかし、ひとときそれを忘れて、モダン・ピアノに無いきめ細かな音の膚触りや、現代とはまったく異質の美意識を味わうとき、我々は作曲者の語る言葉なきメッセージに一歩近いところにいるのです。

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by ooi_piano | 2013-09-17 14:56 | Beethovenfries2013 | Comments(0)

c0050810_19353154.jpgベートーヴェン:ピアノソナタ全32曲連続演奏会(全8回)  
~様式別・時代順のフォルテピアノ(古楽器)による~


淀橋教会・小原記念チャペル(東京都新宿区百人町1-17-8)
JR総武線・大久保駅「北口」下車徒歩1分、JR山手線・新大久保駅下車徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート13000円]

【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 03(3377)4706 (13時~19時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付) http://www.opus55.jp/

第一回公演/2013年9月16日(月・祝)19時

使用楽器  アントン・ヴァルター(1790年頃、FF-f3)
[A=430Hz、1/6ヴァロッティ不等分律]
調律 太田垣至
c0050810_19284131.jpg 〈・・・チェンバロまたはフォルテピアノのための三つのソナタ、エステルハージ侯楽長ヨゼフ・ハイドン氏へ、ルイ・ヴァン・ベートーヴェンにより作曲献呈、作品II・・・ 〉


■ソナタ第1番ヘ短調Op.2-1(1794/95)[全4楽章]
Allegro
Adagio
Menuett: Allegretto
Prestissimo

■ソナタ第2番イ長調Op.2-2(1795)[全4楽章]
Allegro vivace
Largo appassionate
Scherzo: Allegretto
Rondo: Grazioso


休憩(約15分)


■ソナタ第3番ハ長調Op.2-3(1794/95)[全4楽章]
Allegro con brio
Adagio
Scherzo: Allegro
Allegro assai

ソナタ第4番変ホ長調Op.7《思ひ人(Die Verliebte)》(1796/97)[全4楽章]
Allegro molto e con brio
Largo, con gran espressione
Allegro
Rondo: Poco allegretto e grazioso

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□
c0050810_2213580.jpg   少年時代のベートーヴェンが親しんだ鍵盤楽器は、まずはクラヴィコード、それにオルガンを少しで、新発明のフォルテピアノに触れられたのは彼が10代半ばを過ぎてからでした。すなわちそれまでは、「ダンパー・ペダル」など目にしたことも無ければ、響きを耳にしたことも無かったことになります。ピアノ・ソナタ全32曲の半数近くは、初版時に「チェンバロまたはフォルテピアノのための」と題されていたことも思い出さねばなりません。フォルテピアノの音域・ペダル・アクションの変遷は、その都度ベートーヴェンに少なからぬ霊感を生ぜしめました。

  今回使用するアントン・ヴァルター(1752-1826)製作の楽器(ニュルンベルク博物館所蔵のレプリカ)は、音域5オクターヴ(FF-f3)、膝レバー(元はハンドストップ)の、1790年当時としては標準的なモデルです。作品2・作品10等のセットを現代のピアノで演奏した場合、レガートはベタベタになり過ぎ、スタッカートはキチキチに切れ過ぎ――よって両者を自由に往復出来ない――、スフォルツァートなどそもそも実現不能なわけですが、硬めのリブと細いブリッジ、真鍮のカプセルとチェックレールを備えた初期フォルテピアノの歯切れの良い音色では、これらの問題点は一挙に解消されます(適地適作)。ところが困ったことに、書かれた音符の暴れっぷりが尋常ではありません。初期ブーレーズもびっくりです。指定された指遣いも常軌を逸しています。ペダルを少しでも使い過ぎると、すぐアクションがボヤけるような当時の楽器で、ここまで破天荒な鍵盤語法をこなしたとなると、若きベートーヴェンは演奏家としてよっぽどの手練だったのでしょうか。

c0050810_2214461.jpg  ベートーヴェンのクラヴィア・ソナタをフォルテピアノで演奏する場合、「作曲年当時に既に存在し作曲作業に使われたタイプの楽器」ではなく、「作曲から5~20年経過したタイプの楽器」が用いられるのが通例です。製作時期が5年遅いだけで技術的には遥かに弾き易くなりますが、そうすると作曲時点での燃えるような実験精神は十全に伝わりません。今回のチクルスではあえて前者を選択し、それに従って「番号順(作曲順)」で弾き進めていきます。

  本日取り上げる「作品2」の三つのソナタは、ベートーヴェンのピアニストとしてのデビューを後押ししてくれた、師ハイドンに捧げられています。徒弟時代の卒業作品と言えるでしょう。作品7の大ソナタは、ピアノ協奏曲第1番Op.15や変奏曲Op.34と同じく、弟子で優れたピアノ奏者であったバルバラ・オデスカルキ(Barbara Odescalchi)伯爵夫人へ献呈されました。ドイツ語圏でときどき添えられるニックネーム《Die Verliebte》は、「恋に落ちている最中に書かれたソナタ」といったところです。

□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□

c0050810_1940393.jpg会場の淀橋教会・小原記念チャペル(東京都新宿区百人町1-17-8)は、JR総武線・大久保駅「北口」下車徒歩1分、JR山手線・新大久保駅下車徒歩3分です。
JR大久保駅のホームからすぐ真横に見えますが、教会の入り口はこちらではなく大久保通り沿い)北側)にあります

c0050810_19405353.jpg大久保駅北口を出て右折、大久保通り沿いに徒歩1分。
新大久保駅出口(一つしかない)を出て左折、大久保通り沿いに徒歩3分。

c0050810_19452898.jpg教会の正面玄関はこのような外観です。大きな木が目印です。小原記念チャペルは左手2階になります。
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by ooi_piano | 2013-09-10 19:47 | Beethovenfries2013 | Comments(0)

※9年前、アルケミスタ・武田浩之氏のメルマガ用に執筆した、リサイタル紹介文のサルヴェージ第2弾です(未改訂)。
大井浩明 チェンバロ・リサイタル 《天使は励ましの御言葉もて》

2004年6月30日(水)午後7時開演(6時半開場)
池袋・自由学園明日館 東京都豊島区西池袋2-31-3

【第1部〜中全音律のイタリアン・チェンバロで】
フローベルガー《来たるべき我が死を弔う黙祷》
三宅榛名《カム・バック・トゥ・ミュージック〜チェンバロ版(2004)》(委嘱作品/東京初演) 
ジェズアルド《王のシャンソン》 
ダングルベール《パッサカリア》
ボールドウィン《天使は励ましの御言葉もて》
ロッシ《第七トッカータ》 
ブル《主の御名に於いて 第IX》
フレスコバルディ《パッサカリアによる100のパルティータ》

【第2部〜ジャーマン・チェンバロで】
伊左治直《機械の島の旅(夜明け)(2004)》(委嘱新作/東京初演)
ムファト《パッサカリア》
高橋悠治《糸車打令》
バード《パヴァンとガリアード第5番》
ナンカロウ《自動ピアノのためのスタディ 第6番「カウボーイ」&第15番「カノンX」》
フローベルガー《ブランシュロシュ君の墓前に捧げる誄詞》

【使用楽器】ジャーマン・チェンバロ(J.Kalsbeek 2000年作/オランダ、ミートケモデル)、イタリアン・チェンバロ(A.Anselm/Umeoka 1999年作、17世紀タイプ)

CD批評・インタビュー集成は、木下健一氏のサイトにアップロード中  http://perso.wanadoo.fr/kinoken2/intv/intv_contents/ooi_menu.html
【京都公演(2004年3月)の批評2篇】

c0050810_1595143.gif●『音楽の友』2004年5月号 p.182
 こんなに刺激的で痛快なチェンバロの時空があるのだった。
 現代ピアノ曲のCDでも海外で話題を集める大井浩明の、チェンバロを存分に聴けた夜だが、委嘱新作の世界初演1曲、日本初演2曲を含む全18曲という濃密で驚くべき内容。
 すべてに触れる紙幅は与えられていないが、時代を縦横に行き来する曲並べ、ジャーマンとイタリアン両楽器の弾き分けは鮮烈。ここでは16世紀から21世紀までの作品が、ごく自然に顔を合わせ談笑している。
 フローベルガーの品格と厳正なテンポ感、三宅榛名《カム・バック・トゥ・ミュージック》のチェンバロ版初演の淡々と気負いのない表現、エレディアのトッカータ風作品では眼も眩む恐るべき技巧を炸裂させ、バッハでは骨格を捉え構造を細密画で描き出して切れ味抜群、ナンカロウの自動ピアノのための作品で無機質に敷かれた音の軌道上に鄙びた情景を漂わせる絵心、ティエンスーの《ファン・タンゴ》の言葉遊びと洒落た音空間に気合で立ち向かうツバ迫り合いの妙。その他どれもこれも聴き手をゾクゾクさせる時間が続く。次回帰国時の京都ではピアノでまたも奇抜な企みがあるという。眼と耳が離せない。 (3月14日・青山音楽記念館バロックザール) 【響敏也】

c0050810_15103654.gif●『関西音楽新聞』623号 平成16(2004)年5月1日
 「古典と新作の同居 モダニズム精神鮮やかに——大井浩明チェンバロ・リサイタル」
 チェンバロは、歴史に精通した専門家の楽器と思われがちだが、古楽復興の出発点は、ロマン派への反発という、二十世紀のモダニズムだったはず。二台の楽器を使い、古典と新作を混ぜて弾く大井浩明は、そんなパイオニア精神を、鮮烈に思い出させてくれた。
 全十九曲は、一応、前半が、楽器の可能性を試すトッカータ集、後半が舞曲集だが、どちらも、いわば「バロック的」な過剰と歪みの精神で、常識から逸脱してゆく。三宅榛名「カム・バック・トゥ・ミュージック」(日本初演)が、イタリアン・チェンバロから繊細な共鳴を引きだしたかと思うと、ジャーマン・スタイルの二段鍵盤をフル活用するために、ムファト「パッサカリア」やバッハ「六声(!)のリチェルカーレ」(「音楽の捧げ物」)へ遡る。後半でも、ジョン・ブルの変拍子(「主の御名に於いてIX」)と、ナンカロウ「自動ピアノのスタディ」(第6、15番)、ティエンスー「ファン・タンゴ」(日本初演)が、平然と同居していた。
 また、ダングルベール「パッサカリア」の華麗な装飾音を、タイプライターのように連打するのは、チェンバロを「からくり楽器」と形容する伊左治直(「機械の鳥の旅“夜明け”」委嘱作初演)の発想に呼応しているのだと思う。
 現代曲で名を馳せた大井の猛烈なヴァイタリティは、スイスで絶妙の企画力を身につけて、着実にパワーアップしていた。(3月14日、青山音楽記念館バロックザール) 【白石知雄】

●作品解説

【第1部】

c0050810_15112976.pngヨハン・ヤコプ・フローベルガー  《来たるべき我が死を弔う黙祷》
1616年5月18日ドイツ・シュトゥットガルト生〜1667年5月7日フランス・モンベリャール没。ヴュルテンベルク宮廷楽長の息子として生れ、ウィーンにオルガニストとして赴任したのち、20代前半の数年間ローマでフレスコバルディに学ぶ。ウィーン・ブリュッセルを経て、パリでは若きルイ・クープランやリュート奏者のブランシュロシュ、シャンボニエールらと交友した。当時のイタリア音楽とフランス音楽の諸要素を絶妙に溶け合わせながらも、バッハからモーツァルト・ベートーヴェンに至る18世紀ドイツ音楽、ひいてはショパンさえ予告するような、情熱的な表現も魅力である。この 《来たるべき我が死を弔う黙祷(瞑想)》(跋語/メメント・モリ・フローベルガー)は、 組曲第20番の冒頭・アルマンド楽章として書かれ、彼の同種の標題音楽に倣って、自由なリズムで演奏される。

三宅榛名 《カム・バック・トゥ・ミュージック (チェンバロ版)》 委嘱作品/東京初演(2004)
中学在学時に東響とモーツァルトの協奏曲でピアニストとしてデビューしたのち、ジュリアード音楽院にて作曲をパーシケッティに師事。〈弦楽オーケストラの詩曲〉でエドワード・ベンジャミン賞。リンカーンセンターの新ホールこけら落し(1970)に作品委嘱されるなど、NYで作曲家のキャリアをはじめる。近作に〈憂愁の時——ダブル・コンチェルト〉、〈スノウ・ヴォイス〉(東京の夏音楽祭委嘱 '96)、〈滅びた世界から〉(国立劇場・声明公演委嘱 '97)など。『オリジナルはピアノ曲。'70年代に〈Why not, my baby?〉シリーズの1曲として作曲。古代の琵琶の音色を幻のように思い浮かべることで、この曲の最初の1行が始まった。今回のチェンバロ版は、大井浩明さんの演奏会のために、構成や音域等を含め、かなり書きかえた。全体を通して、5度の音程を中心としたノスタルジックなひびきが、くり返し形をかえてあらわれる。(三宅榛名)』

c0050810_15115160.jpgカルロ・ジェズアルド 《王のシャンソン》
1566年3月8日イタリア・ヴェノーザ生〜1613年9月8日没。シェイクスピアやカラヴァッジョとほぼ同世代にあたる。ヴェノーザの大公=王(プリンチペ)ならびにコンサ伯爵であり、不貞を犯した最初の妻を殺害したことでも有名。非常に裕福な大貴族であったため、音楽家が召使の身分であった時代に、誰憚ることなく大胆な不協和音や半音階技法など、やりたい放題の表現を試みることが出来た。保険会社社長であったチャールズ・アイヴスのケースを思い起こさせる。最晩年のストラヴィンスキーがジェズアルドに入れ込み、生誕400年を記念してマドリガーレ3曲を小管弦楽用に編曲している。カンツォン・フランチェーゼ(フランス風の歌、シャンソン)と付題されたこの鍵盤曲は、元は4声部コンソートとして構想されたらしい。突如現れる半音階的ディミニューションが極めて特徴的である。

c0050810_1512984.jpgジャン=アンリ・ダングルベール 《パッサカリア》
1629年4月1日バル・ル・デュクにて受洗〜1691年4月23日パリ没。前半生は判然としないが、30歳頃にしばらくパリでオルガニストを勤めたのち、前任者シャンボニエールと取引し1662年にルイ14世付き宮廷チェンバリストに就任する。それ以前から、リュリ(映画『王は踊る』の主人公)との友情は厚かったらしい。何と言っても特徴的なのは、入念に書き込まれた渦巻くような装飾音で、ラモーやフランソワ・クープラン、そしてJ.S.バッハらが装飾法の規範とした。

ジョン・ボールドウィン 《天使は励ましの御言葉もて(セルモーネ・ブランドー)》
1560年以前に出生〜1615年8月28日ロンドン没。75年にウィンザー城・聖ジョージ礼拝堂のテノール要員、94年からロンドンの王室礼拝堂付きとなり、98年に正隊員に指名された。エリザベス1世の葬儀やジェームズ1世の戴冠式に、恐らくジョン・ブルとともに、聖歌隊メンバーとして参加した。ウィリアム・バード《ネヴェル卿夫人のヴァージナル曲集》の筆写者として知られている。1586年から1591年(1606年に補筆)にかけて書き溜められた、いわゆる「ボールドウィン備忘録(手写本)」所収のこの3声部のファンタジアは、ミラーノ大司教・聖アンブロシウス(4世紀)の賛歌『暁の光は赤く染まり』の後半、《御使は女等に慰め[励まし]の御告げを授けぬ/ 汝ら軈てガリラヤの地にて主に謁ゆるを得ん・・・》に始まる、福音書終盤の場面に基づいている。2:10:9、5:15:4といったポリリズム/ポリテンポが現れる箇所など、ムーシカ・スペクラーティーワ(思弁的音楽)の面目躍如である。

ミケランジェロ・ロッシ 《第七トッカータ》
1601年(あるいは02年)イタリア・ジェノヴァ生〜1656年7月7日ローマ没。作曲家、オルガニスト、そして「ヴァイオリンのミケランジェロ」と異名を取るほどヴァイオリニストとして高名であった。フレスコバルディの「後継者」とされることが多いが、同じローマの教会オルガニスト仲間として「同僚」と称すべきであろう。《試し弾き、投企、査問》を意味する動詞に由来した「トッカータ」というジャンルにふさわしく、うねりながら上昇下降を繰り返す有名な半音階パッセージが棹尾に現れるが、これは当時ベルニーニによって建立されたばかりのサンピエトロ大伽藍の螺旋柱を模している、とも言われる。

ジョン・ブル 《主の御名に於いて 第IX》
1562年(あるいは63年)英ウェールズ生〜1628年3月12日(あるいは13日)アントワープ没。当時を代表する鍵盤ヴィルトゥオーゾであるのみならず、オルガン建造家としても名を成した。ヘレフォード主教座聖堂オルガニストを経て、1586年1月王室礼拝堂楽員に指名。宗教上のスキャンダルで1613年にブリュッセルへ出奔、晩年の11年間はアントワープ主教座聖堂オルガニストを務めた。《主の御名に於いて(イン・ノミネ) 第IX》では、ジョン・タヴァナーのミサ曲からの定旋律低声部の上に、4分の11拍子の変奏が展開され、終わり近くには4分の16+1/2拍子のガリアードが現れる。

c0050810_15123894.jpgジロラモ・フレスコバルディ 《パッサカリアによる100のパルティータ》
1583年9月9日イタリア・フェラーラ生〜1643年3月1日ローマ没。初期バロック音楽を代表する大作曲家。25歳から死去するまでローマのサンピエトロ大聖堂のオルガニストを、またマントヴァやフィレンツェの宮廷オルガニストも勤めた。この作品におけるパルティータとは、よく知られた低音進行による変奏曲群を指す。1つのパルティータはおおよそ4秒〜8秒程度の断片であり、「パッサカリア」のみならず「コレンテ」「チャコーナ」といった舞曲、また旋法や表向きのテンポ感をめまぐるしく移行しながら、碗コ蕎麦のように120余りの変奏を行う。今回は、当時の拍節法理論から導かれた、統一テンポによる解釈を試みる。


【第2部】

伊左治直 《機械の島の旅(夜明け)》 委嘱作品/東京初演(2004)
1995年東京音大大学院修士課程修了。在学中、作曲を西村朗氏に、音楽学(中世西洋音楽史)を金澤正剛氏に師事。日本音楽コンクール第1位、第5回芥川作曲賞、第8回出光音楽賞等、受賞多数。00年、ラジオオペラ「密室音響劇《血の婚礼》」(F・ガルシア・ロルカ原作)製作。01年、「音楽の前衛?〜ジョン・ケージ上陸」にてアートディレクター。02年、「南蛮夜会-伊左治直 個展」開催。03年、Music from Japan委嘱作品初演(NY)。ジャック・タチ監督映画「プレイタイム」70mm版プレミア上映会にてプレ・コンサートを開催。『大井浩明氏の委嘱により作曲。5月に初演されたバロック・オルガン曲「機械の島の旅(黄昏)」と対になっている。南米やギリシャのロードムービーへの興味が、タイトルに繋がっている。勿論「機械の島」には『からくり楽器』としてのチェンバロそのもののイメージもある。また、タイトルとは別に、かねてより興味のある安土桃山文化、特に、南蛮様式を取り入れた幻の城、安土城の様々な復元案にも触発されている。曲中現れるバラードはJohannes Olivierの「Si concy gist」のスタイルをそのまま踏襲している。(伊左治直)』

c0050810_1513034.jpgゲオルク・ムファト 《パッサカリア》
1653年6月1日フランス・メジェーヴで受洗〜1704年2月23日ドイツ・パッサウ没。スコットランド人を祖先に持ち、フランスに生まれ育ったが、自身はドイツ人であるとしていた。10代の6年間、パリにてリュリに師事。20代の終りには、ローマにてパスクィーニに師事、またコレッリと交友を結ぶ。ストラスブール、ウィーン、プラハ、ザルツブルクでオルガニストを勤めた。フランス風ロンド形式とイタリア風自由変奏曲を組み合わせたこの《パッサカリア》は、18〜19世紀には人口に膾炙していたらしく、その後のドイツ音楽の様々な種子を見出すことが出来る。

高橋悠治 《糸車打令》 (1978)
1938年9月21日鎌倉生れ。1954年〜58年桐朋学園にて柴田南雄と小倉朗に作曲を師事。米フォード財団の助成により1963年〜66年ベルリンにてクセナキスに師事。66年に米ロックフェラー財団によりニューヨークに渡りコンピュータによる作曲に従事、1972年まで米国に滞在。1973年の「メアンデル」以降、アジア伝統音楽や左翼思想に根ざした作品を多く書いている。「糸車打令(Mullae Taryong=まわれまわれ糸車)」は、朝鮮半島の平安道と全羅道につたわる綿紡ぎ歌に基づく。12拍子のチュンモリ・チャンダン(長短 = 歌や踊りにおける時間の流れの伸縮、調子)を基にしながら、自由リズムの変奏と即興によって綴られている。
 「糸車よ 糸車よ ウィンウィン廻れ /ウォリロン スォリロン よく廻るね /三合糸を抜いて ソクセ布を織ろうか /一本糸を抜いて ポルム布を織ろうか」。

c0050810_15132323.jpgウィリアム・バード 《パヴァンとガリアード第5番》
1543年頃英リンカーン生〜1623年7月4日エセックス没。イギリス・ルネサンス期を代表する作曲家。20歳でリンカーン主教座聖堂オルガニスト、29歳で王室礼拝堂オルガニストに任命される。1575年には師トマス・タリスとともに楽譜の印刷・販売独占権の許可を得るなど、エリザベス1世から手厚い庇護を受けた。パヴァン(パヴァーヌ)は2拍子系の荘重な宮廷舞曲。3つの部分に分かれ、それぞれが主部とその変奏となっている。男女のペアによる踊り手の行列が、ゆったりと舞踏会場を周回する。一方、ガリアード(ガリアルド)は3拍子系の快活なダンス。剣と帽子をはずし、かかとをあげて片足で飛び跳ねる。《ネヴェル卿夫人のヴァージナル曲集》に収録された一品。

コンロン・ナンカロウ 《自動ピアノのためのスタディ第6番「カウボーイ」&第15番「カノンX」》 (1950s)
1912年10月27日アメリカ・テクサカナ生、1997年8月10日メキシコ・シティ没。生地の市長をしていた父の希望により、技術者となるべくヴァンダービルト大学で学んだのち、シンシナティ音楽院在籍中の18歳のときにストラヴィンスキー「春の祭典」と出会い、その複雑なリズムに魅了される。また、アート・テイタム、アール・ハインズといったジャズ・ピアニストや中世イソリズム技法、インドのターラ等にも影響を受けた。共産党員としてスペイン市民戦争に参加、リンカーン部隊で九死に一生を得る。帰国したのち、赤狩りを逃れてメキシコに移住した。「複雑なポリリズムを実現するには、自動ピアノを用いれば良い」とのカウエル《新音楽の源泉》の記述にヒントを得、ニューヨークで購入したパンチ・ロール式自動ピアノ(チェンバロ的な、非常に短く乾いた音がする)のための「Study」シリーズを、生涯を通じて作曲し続けた。70歳を迎えた頃から欧米で高く評価され始め、1983年にジョン・マッカーサー財団から「Genius賞」(副賞30万ドル)を受賞。スタディ第6番では、4分の3拍子の呑気なメロディに、8分の4拍子と8分の5拍子を組み合わせた伴奏音型が絡む。スタディ第15番では、ひとつの声部が徐々に加速していき、他方は徐々に減速していく、という、「カノンX」のシンプルな形を採っている。

ヨハン・ヤコプ・フローベルガー 《ブランシュロシュ君の墓前に捧げる誄詞》
フローベルガーの親友であり、著名なリュート奏者であったシャルル・フルーリ(ブランシュロシュ卿)がパリの自宅で階段から転落して死去した際、その追悼曲として書かれた。シャルル(「C」harles)の頭文字Cの最低音から開始され、左手で弔鐘が打ち鳴らされる中、ブランシュロシュ(「B」lancheroche)をあらわすBの最高音の悲痛な詠嘆へ到達し、再び最低音Cへ崩れ落ちてゆく。リュートを模したチェンバロ表現の可能性はルイ・クープランの「小節線のない前奏曲」等へ受け継がれ、また「トンボー(墓)」と題されるジャンルは、ルクレールのヴァイオリン・ソナタを経て、ラヴェル「クープランの墓」や、デュカス・ルーセル・バルトーク・ファリャ・サティ・ストラヴィンスキー等による「ドビュッシーの墓」、そしてブーレーズ「プリ・スロン・プリ」における「墓(ヴェルレーヌの)」へ至っている。
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by ooi_piano | 2013-09-04 23:05 | 雑記 | Comments(0)