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Blog | Hiroaki Ooi

本文 http://ooipiano.exblog.jp/22196867/

(註1)Olivier Messiaen, Traité de rythme, de couleur, et d’ornithologie (1949-1992), Paris, Alphonse Leduc, 1994-2001 (en 7 tomes et 8 volumes). メシアンによるプログラム・ノートの戦略的な利用については次の論文を参照:Yves Balmer, « Entre analyse et propagande : Olivier Messiaen et son usage des notes de programme », Michel Duchesneau, Valérie Dufour et Marie-Hélène Benoit-Otis dir., Écrits de compositeurs : une autorité en questions (XIXe et XXe siècles), Paris, Vrin, 2013, p. 27-47.

(註2)ロリオはパリ国立高等音楽院でメシアンが教えた最初の生徒のひとりである。1941年5月7日、和声クラス教授に就任したメシアンが初めて行った授業(《牧神の午後への前奏曲》の分析)はロリオに深い感銘を与えた。のちにロリオは、そのときのメシアンを「天から降りてきた先生」と形容している。Jean Boivin, La classe de Messiaen, Paris, Christian Bourgois, 1995, p. 31-32.

c0050810_1451463.jpg(註3)La classe de Messiaen の著者ジャン・ボワヴァンは、同書に収められたメシアンによる《春の祭典》分析に関する記述がメシアンの教えた内容と完全に異なる、という理由で激しい叱責を受けたという(2014年5月、筆者とボワヴァンとの私的会話)。

(註4)Peter Hill et Nigel Simeone, Messiaen, New Haven et Londres, Yale University Press, 2005.(独訳:Messiaen : eine Biografie, Übersetzung von Birgit Irgang, Mainz, Schott, 2007. 仏訳:Olivier Messiaen, traduction par Lucie Kayas, Paris, Fayard, 2008.)ヒルはメシアンと親交が深かったピアニストで、音楽学者シメオンとともにシェフィールド大学で教えていた。2007年には、メシアン研究者クリストファー・ディングルが、ヒル=シメオンの伝記に依拠しながらよりコンパクトな伝記を上梓した。Christopher Dingle, The Life of Messiaen, Cambridge, Cambridge University Press, 2007.

(註5)François Porcile, Les conflits de la musique française 1940-1965, Paris, Fayard, 2001, p. 65.

c0050810_14521842.jpg(註6)Yves Balmer, « La diffusion de l’œuvre d’Olivier Messiaen aux États-Unis : un révélateur des objectifs de la diplomatie culturelle française », Relations internationales, 2014/1 (n° 156), p. 37-51. 本論文によれば、フランス国外でのメシアン夫妻の演奏旅行は、フランス外務省の外郭団体によって全面的に援助されており、その要請を行っていたのは他ならぬロリオであった。リヨン高等師範学校准教授であるバルメールは、2008年からメシアンの弟子ミシェル・ルヴェルディの後任として、パリ国立高等音楽院で器楽専攻者向けの分析クラスを受け持っている。

(註7)Nigel Simeone, « Music Making in Occupied Paris », The Musical Times, vol. 147, no. 1894 (Spring, 2006), p. 23-50. Myriam Chimènes, La Vie musicale sous Vichy, Bruxelles, Editions Complexes, 2001.

(註8)Yves Balmer et Christopher Brent Murray, « Olivier Messiaen et la reconstruction de son parcours sous l’Occupation : le vide de l’année 1941 », Myriam Chimènes et Yannick Simon dir., La musique à Paris sous l’Occupation, Paris, Fayard / Cité de la musique, 2013, p. 149-160.

c0050810_14525656.jpg(註9)《まなざし》の成立経緯については次の論文を参照:Edward Forman, « ‘L’Harmonie de l’Univers’ : Maurice Toesca and the genesis of Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus », Olivier Messiaen : Music, Art and Literature, Aldershot : Ashgate, 2007, p. 13-22. Lucie Kayas, « From Music for the Radio to a Piano Cycle : Sources for the Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus », Christopher Dingle et Robert Fallon éds., Messiaen Perspectives 1 : Sources and Influences, Aldershot, Ashgate, 2013, p. 85-100. 同様の実験は1993年と2002年7月にブリストル、2002年6月にシェフィールドで行われているが、トエスカとマルミオン以外の朗読テクストに関しては、本公演とは異なるテクストが選ばれている

(註10)Maurice Toesca, Cinq ans de patience : 1939-1945, Paris, Émile-Paul, 1975.

(註11)Henry Barraud, « Henry Barraud : une longue carrière radiophonique au cœur de la vie musicale et au service de la culture (1938-1965) », Pierre Dellard and Louis Courtinat, éds., Cahier d’Histoire de la Radiodiffusion, 11-12 (1986), p. 160. バローはシェフェールとともに、第2次大戦後のフランス国営放送の再建に尽力し、同放送の音楽監督(のち教養放送監督)を20年間務めた (1944-1964)。1930年代から作曲家としても活動し、第2次大戦前後のパリ音楽界で大きな影響力をふるった。《まなざし》を扱ったこれまでの研究はこのインタヴューを参照していない。カイヤスは註9の文献で委嘱主をシェフェールと仮定しているが、バローの言葉を信じるならばこの仮説は誤りということになる。しかしバローの言葉自体、信頼をおくことができるかどうか疑わしい(次註参照)。ジョリヴェ《ピアノ協奏曲》については、委嘱が行われたことを証する手紙が存在する。Lucie Kayas, André Jolivet, Paris, Fayard, 2005, p. 390.

c0050810_14533080.jpg(註12)アンリ4世高校で哲学者アランに師事し、。フランス各地で副知事、県警の経理係を務めたのち、1942年6月、アメデ・ビュシエール(ヴィシー政権首相ピエール・ラヴァルによって任命されたパリ警視総監)とともにパリに着任。トエスカが県警にいた期間は、フランス最大のユダヤ人大量検挙が行われた1942年7月を含んでいる。このいわゆる「ヴェル・ディヴ Vel d'hiv」では、ユダヤ人をアウシュヴィッツなどに送るため約9000人におよぶ警官が動員されたとされる。トエスカが対独協力に与した可能性については、1998年2月3日『ル・モンド』に掲載された彼の訃報でほのめかされている。訃報掲載の10日後、同紙に掲載された文学史家ジャン=マルク・ベルリエールの記事はその可能性を高く見積もっている:Jean-Marc Berlière, « L’autre Maurice Toesca », Le Monde, le 13 février 1998, p. 13. ジョルジュ・サンド、ルナール、ラマルティーヌなど19世紀の作家の伝記を著し、1959年からフランス国営放送ORTFでラジオ番組の制作に携わった。なお、バローはトエスカを「小物三文文士 piètre écrivaillon」と評しており、両者の関係は良好でなかったと推測される。バローは上記インタヴューおよび自伝のなかで、《まなざし》とジョリヴェ《ピアノ協奏曲》、レイモン・ルシュール《マダガスカル狂詩曲》の委嘱が、フランス植民地に関連する作品を委嘱する企画の一環であったと語っている。メシアンがインド音楽に関心を寄せていたことから、バローはインドにまつわる作品をメシアンに委嘱し、その結果誕生したのが《まなざし》であったという。しかしこの発言は、クリスマス用のラジオ番組という企画の存在自体を疑わせるものである。委嘱に間違いなく絡んでいたバローがこのような内容の発言をするとは驚きであるが、それを裏づける証拠は現在のところまだ現れていない。Henry Barraud, Un compositeur aux commandes de la Radio : Essai autobiographique, édité sous la direction de Myriam Chimènes et Karine Le Bail, Paris, Fayard / Bibliothèque nationale de France, 2010, p. 471, 929.

(註13)ロリオは「メシアンとトエスカは、たまたま一度会っただけで一緒に仕事はしていない」と述べている。トエスカは1944年6月8日、ベルナール=ドラピエール邸でメシアンの《時の終わりへの四重奏曲》を聴いて作曲家に賛辞を送っている。Forman, op. cit., p. 13, 21.

(註14)メシアンはこの間、6月28日にピエール・ブーレーズと初めて対面している。ブーレーズが初めてメシアンの授業に出たのは同年12月8日、ベルナール=ドラピエール邸での分析講座においてである。

(註15)作曲家、画家。ナディア・ブーランジェに音楽を学んだが、1958年以降は美術に専念した。画家としてさまざまな賞を受けており、2002年には国家功労勲章コマンドゥールを受章。《まなざし》の計画が頓挫したあと、シリーはトエスカの『降誕』に独自の音楽を付けている(編成は2台ピアノ、打楽器、管楽器、弦楽器)が、スコアは出版されていない。なおシリーは《まなざし》初演からほどなくして起こった論争「メシアン事件 cas Messiaen」において、メシアンの音楽に否定的な見解を示している: Forman, op. cit., p. 21.

(註16)Maurice Toesca, La Nativité : eaux-fortes originales de Michel Ciry, Paris, Marcel Sautier, 1952.

c0050810_14542591.jpg(註17)1881年ダブリンで司教となり、1886年同地を離れてベルギーのマレッツ修道院(ベネディクト派)に入る。1899年ルーヴァンのモン・セザール修道院長、1909マレッツ修道院の大修道院長。1917年から順次出版された講話(『キリスト、魂の生』、『神秘のなかのキリスト』、『キリスト、僧の理想』)は広く読み継がれた。

(註18)Claude Samuel, Permanences d’Olivier Messiaen : Dialogues et commentaires, Paris, Acte Sud, 1999, p. 17. 本書は Musique et couleurs – Nouveaux entretiens avec Claude Samuel, Paris, Belfond, 1986. の増補版である。こちらは1993年戸田邦雄によって邦訳されている(クロード・サミュエル『オリヴィエ・メシアン その音楽的宇宙:クロード・サミュエルとの新たな対話』音楽之友社)。初版は1967年の Entretiens avec Olivier Messiaen, Paris, Belfond. であり、本書も1975年同じく戸田によって訳されている(クロード・サミュエル『現代音楽を語る:オリヴィエ・メシアンとの対話』芸術現代社)。

(註19)Brigitte Massin, Olivier Messiaen : une poétique du merveilleux, Paris, Alinéa, 1989, p. 27.

(註20)ibid., p. 53. メシアンの母セシル・ソヴァージュは詩人、父ピエールはシェイクスピア劇の翻訳で有名な英文学者。母はメシアンが18歳のときに亡くなった。妊娠中にセシルが書いた詩集『芽ばえる魂 L’Âme en bourgeon』(1908) はメシアンに重要なインスピレーションを提供したという。

(註21)ibid., p. 54.

c0050810_14545590.jpg(註22)第10曲〈喜びの聖霊のまなざし〉で高らかに鳴り響く「狩りの歌 air de chasse」は、中世の絵画でしばしば描かれる一角獣の神秘の狩りに由来している。この神秘の狩りの場面において、マリアは「閉ざされた庭 hortus conclusus」(『雅歌』4 : 12)にとどまり、大天使ガブリエルが狩りの衣に身を包んで角笛を吹く。ガブリエルは4匹の犬に支えられ(「狩りの歌」は4音の和音からなる)一角獣を追うが、一角獣は園のなかに入ってマリアの膝の上に飛び込む。7世紀以降、一角獣のモティーフが降誕および受胎告知の場面で登場するようになり、やがて一角獣は受胎告知の象徴となった。Siglind Bruhn, Les "Visions" d'Olivier Messiaen, Paris, L’Harmattan, 2008, p. 267-268.

(註23)Olivier Messiaen, Traité de rythme, de couleur, et d’ornithologie (1949-1992) tome II, p. 439, 472. メシアンは同書437頁から509頁にかけて《まなざし》の分析を行っている。編纂したロリオによれば、この分析は1954年にザールブリュッケン音楽大学で行われたメシアンの講義内容にもとづいている。

(註24)Michèle Reverdy, L’œuvre pour piano d’Olivier Messiaen, Paris, Alphonse Leduc, 1978, p. 54. 本書はメシアンの弟子ルヴェルディの著書であるが、メシアンは刊行前にその内容をチェックし、場合によっては書き換えを要求していた(Hill et Simeone, Messiaen, p. 182.)。なお「慢大葉」(만대엽、「マンデヨップ」)は「遅くて大きい歌」という意味で、韓国の歌曲および器楽曲におけるテンポと規模を表す「慢大葉」・「中大葉」・「数大葉」のひとつであり、このうち「数大葉」がもっとも速い。

(註25)メシアンがバリの音楽を初めて聴いたのは1931年のパリ植民地博覧会においてである:Hill et Simeone, Messiaen, p. 137.

(註26)Lucie Kayas, « From Music for the Radio to a Piano Cycle : Sources for the Vingt Regards sur l’Enfant-Jésus », p. 96.

(註27)Peter Hill, « Piano Music I », The Messiaen Companion, Peter Hill dir., Londres, Faber and Faber, 1995, p. 89-90.

(註28)メシアンがストラヴィンスキー《春の祭典》の分析で援用した概念。特定の音価を基準として、増大する音価、減少する音価、変化しない音価の3つのグループを認め、これらを劇中の人物に喩えている。ベートーヴェン作品の分析でメシアンが援用した「省略による発展 développement par élimination」も同様の発想にもとづいているが、この概念はヴァンサン・ダンディが『作曲法講義 Cours de composition musicale』第2巻 (1909) ですでに導入していたものである。Jean Boivin, op. cit., p. 249.

(註29)第6曲〈その方によって万物はつくられた〉では、左手で奏される主題の変形が9回反復され、非対称的拡大を被る。主題の変形を構成する11音のうち、第1音は不変だが、第2音から第4音は反復されるごとに半音ずつ上行する。第5音と第6音は不変だが、第7音と第8音は反復されるごとに半音ずつ下行する。第9音と第10音は最初の3回で半音ずつ下行し、次の6回で半音ずつ上行する。第11音は最初の3回は不変だが、次の5回で半音ずつ下行する。非対称的拡大という語はスコアには記されているが、『わが音楽語法 Technique de mon langage musical』(1942年執筆、1944年刊行)および『リズム、色彩、鳥類学総説』には言及されていない。もっとも後者には、リズム人物と関連する技法として本技法に関する解説がある。Messiaen, op. cit., p. 34-36.
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by ooi_piano | 2014-06-10 22:03 | Chiersance2014 | Comments(0)

大井浩明リサイタル・シリーズ《時を得たメシアン Meantime Messiaen》
第1回公演 2014年6月15日(日)午後6時
山村サロン(JR芦屋駅前)
ピアノ:大井浩明  朗読:山村雅治  エレクトロニクス:喜多敏博
●O.メシアン(1908-1992):《幼な子イエスに注ぐ20のまなざし》(全20曲、1944) ――ドン・コルンバ・マルミオン、モーリス・トエスカのテクスト朗読を伴うオリジナル原案版/日本初演
 I.父のまなざし
 II.星のまなざし
 III.交換  
 IV.聖処女のまなざし
 V.子にそそぐ子のまなざし
 VI.その方によって万物はつくられた
 VII.十字架のまなざし
 VIII.いと高きところのまなざし
 IX.時のまなざし
 X.喜びの聖霊のまなざし


(休憩 15分)

●喜多敏博(1967- ):《クエリー・レスポンス》~ピアノとライヴエレクトロニクスのための(委嘱新作初演、2014)

●O.メシアン:《幼な子イエスに注ぐ20のまなざし》(1944)

 XI.聖処女の初聖体拝領
 XII.全能のことば
 XIII.降誕祭
 XIV.天使たちのまなざし
 XV.幼な子イエスの口づけ
 XVI.預言者、羊飼いと東方三博士のまなざし
 XVII.沈黙のまなざし
 XVIII.恐るべき塗油のまなざし
 XIX.眠っていてもわたしの心は目覚めています
 XX.愛の教会のまなざし


c0050810_21245536.jpg喜多敏博《クエリー・レスポンス》~ピアノとライヴ・エレクトロニクスのための(2014、委嘱新作初演)
  クエリーとは、ネットがすでに生活の一部である人々にとっては、意識はせずとも毎日のように日常的に発行しているものです。データベースシステムへの問い合わせのことを指します。レスポンスとは、反応、答えのことです。
  本作品を設計するにあたり、ピアノ演奏だけでも成立し、ピアノの音とそれに答えるエレクトロニクスとがなるべく乖離しない作品にしたいと願って設計しました。ライブエレクトロニクスには、csound という音響プログラミングツールを使っています。古くからあるツールですが、コンピュータとはつまりBASIC言語である、という原体験を持つ世代の私にはとても使いやすく、バージョンアップもコミュニティにより未だに頻繁に行われいて、中身は古くないツールです。
  本作の初演会場には、大「大井」氏の演奏に対峙して、小さくなって自分のスマホを操作してライブエレクトロニクス用コンピュータのレスポンスを引き出そうと苦闘する私がいることでしょう。とても楽しみです。

喜多敏博 Toshihiro KITA, composer
  1967年に奈良に生まれる。京都大学大学院工学研究科博士後期課程研究指導認定退学,熊本大学 工学部助手,総合情報基盤センター准教授,eラーニング推進機構教授,現在に至る。工学博士(名古屋大学,2005年)。eラーニングシステム,LMS/VLE,非線形システム,電子音楽に興味を持つ。 先端芸術音楽創作学会(JSSA) 運営委員。
  ACMP(Asia Computer Music Project) 2012(台北、台湾)および NIME(New Interfaces for Musical Expression) 2013(大田、韓国)にて、Webアプリケーションのアクセスログデータを実時間音響化するデモを実施。2013年8月に熊本市現代美術館ミュージックウェーブ071「ラップトップミュージックコンサート&ワークショップ」を実施。Csound Conference 2013 (Boston, USA) および 第18回JSSA研究会(東京)にて、専用アプリ不要の聴衆参加型作品 "Audience's Smartphone Jam Session" を発表。

c0050810_21255711.jpg山村雅治 (テクスト翻訳/朗読) Masaharu YAMAMURA
  1952年芦屋市生まれ。法政大学文学部英文学科卒業。在学中に長詩「哭礼記」を「現代詩手帖」誌に発表、詩人としてデビュー。舞台歴は、6歳での能舞台での仕舞に遡り、現在では劇団「北辰旅団」で活動を重ねている。1986年、芦屋市に多目的ホール「山村サロン」を創設、音楽・文学・美術・演劇等、ジャンルを横断する多彩な芸術活動をプロデュースしている。著書に、『マリア・ユージナがいた』(1991年)、小説『G』(2冊本、1993年)、『宗教的人間』(新装版 2004年)、『芦屋私記』(2007年)、初期詩篇集『哭礼記』(2013年)(いずれもリブロ社)、『自録「市民立法」』(1999年、藤原書店)などがある。
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by ooi_piano | 2014-06-10 21:29 | Chiersance2014 | Comments(0)

「《まなざし》をめぐるもうひとつの聖三位一体――メシアン、トエスカ、ドン・コルンバ・マルミオン」
平野貴俊(音楽学)


1. 脱神話化

c0050810_14333177.jpg  オリヴィエ・メシアン Olivier Messiaen (1908-1992) をめぐる考察は20世紀音楽研究の重要な一角をなす。メシアン研究を取りまく状況が重大な転機を迎え、新たな角度からのまなざしがそそがれるようになったのは、メシアンとその妻であるピアニスト、イヴォンヌ・ロリオ Yvonne Loriod (1924-2010) が没して以降である。作曲家がみずからの作品および思想の普及に介入することはめずらしくないが、自作の受容に関してメシアンが行った配慮の仕方は異常なほど緻密である。そのことは、自作の演奏会に際してみずからプログラム・ノートを執筆したこと、ほぼ半世紀を費やして自身の音楽世界を言語化しようとしたことに現れている(註1)。しかし、メシアンの影響力を当の作曲家以上に利用したのは、そのピアノ曲の書法の形成に大きく寄与し、いわば「弟子のなかの弟子」(註2)としてメシアンの教えの正統性を伝え続けたロリオである(註3)。ロリオ亡き後のメシアン研究は、メシアン=ロリオが封じてきた事実のいくつかを明るみに出している。

c0050810_14351551.jpg    メシアン=ロリオと研究者との交流が実を結ぶこともなかったわけではない。ロリオがまだ存命であった2005年、シェフィールド大学のピーター・ヒル Peter Hill とナイジェル・シメオン Nigel Simeone は、それまで未公開だった数々の情報を盛りこんだ浩瀚なメシアン伝を刊行した(註4)。これは近年のメシアン研究がもたらした最も大きな成果であり、彼らはメシアンの手帳にアクセスするという特権を得て、ほぼ日単位でメシアンの活動の詳細を公表することに成功した。ロリオ存命中に開始されたこの「脱神話化」は、彼女の死没を機に本格化する。メシアン関連のアーカイヴがフランス国立図書館に移管されたことをきっかけに、メシアンと交流をもたなかった若い世代の音楽学者が、「偉大なるメシアン」という伝説(その構築が他ならぬメシアン=ロリオによって行われたことを忘れてはならない)ないし「メシアン教会 l’église Messiaen」(註5)の形成過程を暴く試みに着手している(註6)。この流れと同時に進行しているのは、シメオンらイギリスの研究者とミリアム・シメーヌ Myriam Chimènes らフランスの研究者を中心とする、ナチス占領下のパリにおける音楽活動の研究である(註7)。イヴ・バルメール Yves Balmer とクリストファー・ブレント・マレー Christopher Brent Murray は、メシアンが存命中語ることを避けていた、対独協力的な色彩をもつ活動へのメシアンの関わりを明らかにした(註8)。


2. 朗読される《まなざし》

c0050810_14363251.jpg  本公演は、近年のメシアン研究によって明らかとなった事実――《幼な子イエスにそそぐ20のまなざし Vingt regards sur l’Enfant-Jésus》(1944年作曲、1945年初演。以下《まなざし》)はもともと演奏会用作品ではなく、朗読を伴うクリスマス用のラジオ劇として構想された――にもとづいて、その幻に終わったプロジェクトを再現する日本初の試みである(註9)。本公演では、《まなざし》に合わせて朗読される予定だったトエスカのテクスト『降誕 La Nativité』と、メシアンが《まなざし》の創作で依拠したマルミオン『神秘のなかのキリスト Le Christ dans ses mystères』を中心に、『聖書』、『聖フランチェスコの小さき花 Fioretti』、十字架のヨハネの詩、メシアン『リズム、色彩、鳥類学総説』の一節が朗読される。トエスカとマルミオン以外のテクストに関しては、スコアに記された各「まなざし」のエピグラフを手がかりに、それぞれに関係する一節を複数の文献から抽出した。プーランク《子象ババールの物語》を引き合いに出すまでもなく、朗読+ピアノという上演形態はフランスでとりわけ一般的である。

  メシアンはマルミオンが生まれてちょうど50年後に生を受け、2014年はトエスカの生誕100年にあたる。本公演の《まなざし》は、降誕の物語に神秘を見いだしたこの3人の芸術家の聖三位一体(サント・トリニテ)を実現するものとなるだろう。


3. 源をたどって

c0050810_14371536.jpg  本作品がラジオ用の委嘱作品であったことを明らかにしたのは、《まなざし》の創作に際してメシアンにテクストを提供したトエスカ本人であるが(註10)、委嘱主たるアンリ・バロー Henry Barraud (1900-1997) もまた、1986年に行われたインタヴューで、フランス国営放送音楽監督在任時に委嘱した音楽作品として《まなざし》を挙げている(註11)。1943年のナチス占領下のパリでは、翌年8月のパリ解放とともにフランス国営放送となるラジオ局、すなわちピエール・シェフェール Pierre Schaeffer (1910-1995) の実験スタジオで、音楽・演劇・詩といった複数のジャンルを横断する芸術番組が創作されていた。この種の萌芽的な試みはのちにミュジック・コンクレートとして結実することになるが、シェフェールの同僚バローはこのような関心にもとづいてメシアンにクリスマス用の音楽劇を委嘱した。台本を依頼されたのは、当時パリ県警に勤めていた文学者モーリス・トエスカ Maurice Toesca (1904-1998)(註12) である。メシアンとトエスカは1944年2月初めころ打ち合わせを行っており、手紙のやりとりとメシアンの手帳から推測すれば、両者は《まなざし》完成の前後に少なくとも3回会っている(註13)。2人はその後3月ころから別々のペースで各自の創作を進め、トエスカは7月後半、ベルナール=ドラピエール邸で開かれた演奏会でメシアンに原稿を渡した。メシアンは8月末に作曲を終え、9月9日にトエスカに電話で完成の旨を伝えているが、そのとき完成された楽章の数は、当初トエスカと合意していた12のちょうど倍の24であった(註14)。当初は短縮したヴァージョンを放送することも検討されたようだが、件のラジオ劇は結局実現することなく終わった。初演はベルナール=ドラピエール邸で9月11日(トエスカの日記によれば12日)、トエスカらを前に行われた。抜粋初演が行われたのは、ラ・ブリュイエール座で開かれた連合軍のための演奏会だった。ここではロリオがドビュッシーの前奏曲から2曲、《夜のガスパール》、メシアンの《前奏曲》第3、第5、第8曲、《ロンドー》、そしてメシアン自身が〈幼な子イエスの口づけ〉を演奏している。1944年11月17日には、パリ国立高等音楽院のホールで被献呈者ロリオが〈喜びの聖霊のまなざし〉と〈幼な子イエスの口づけ〉を演奏した。公開全曲初演は1945年3月26日、ロリオによってサル・ガヴォーで行われている。約1か月後の4月29日には、ロリオの代母ネリー・シヴァド Nelly Sivade の家で2度目の全曲演奏が行われ、イベール、オーリック、プーランク、ソーゲ、A. チェレプニン、デゾルミエールらが出席した。トエスカはその後、このとき書いたテクストを再利用し、ミシェル・シリー Michel Ciry (1919-)(註15) の挿画を添えて絵本『降誕』を作っている(註16)。この未完に終わった計画のささやかな副産物である『降誕』は、しかしながら1952年に限定150部で出版されたまま、《まなざし》ほどの知名度を得ることなく、古書蒐集家のコレクションの一部となる運命をたどった。

c0050810_1438563.jpg  本公演で朗読されるもうひとつの重要なテクスト、ドン・コルンバ・マルミオン Dom Columba Marmion (1858-1923)(註17) の『神秘のなかのキリスト』は、サント・トリニテ教会のオルガニストに着任したばかりのメシアンが司祭から読むことを勧められた本である。それ以降、『神秘のなかのキリスト』はメシアンの愛読書のひとつとなった。メシアンはつねにみずからを信仰者と規定し、「私は生まれつき信仰をもっています」と語っていたが(註18)、実際に彼が聖書を初めてひもといたのは20歳前後のころであり、教会オルガニストになった当初、メシアンのカトリックについての知識は十分ではなかったと推測される。「おとぎ話の超現実から信仰の超自然へと、私は気づかぬままに導かれていったのです」と語っているとおり(註19)、メシアンはシェイクスピア劇や寓話を愛でることを通してカトリックに接近した。さらにメシアンは、「私にとって最も重要だった人物は母です!」と告白しており(註20)、マリアの母性を描く降誕の物語に興味を示したことは想像にかたくない。《まなざし》の第4曲〈聖処女の最初の聖体拝領〉は母性へのオマージュであるとメシアンみずから述べている(註21)。メシアンはこのほか、具体的なインスピレーションの源として、ジョルジョ・デ・キリコの絵に描かれた卵形の顔の人物(〈時のまなざし〉)、ミケランジェロ《最後の審判》(〈天使のまなざし〉)、マリア、イエス、リジューのテレーズが描かれた版画(〈幼な子イエスの口づけ〉)、アンジェ城に展示されているタペストリー(〈恐るべき塗油のまなざし〉)を挙げている(註22)。メシアンによれば、音楽面では〈星のまなざし〉の主題が公現祭第2晩課で歌われる「曙の胎から Ante luciferum genitus」に、〈全能のことば〉の主題は韓国の「慢大葉」に由来する(註23)。また、〈恐るべき塗油のまなざし〉には、音価の縮小と拡大が2つのパートで平行する箇所があるが、メシアンによればこれはバリの音楽の特徴である(註24)。 なお、《まなざし》の作曲に着手する2週間ほど前、メシアンはベルナール=ドラピエール邸でバリの音楽のレコードを聴いている。


4. 構成および位置づけ

c0050810_14503934.jpg 《まなざし》を構成する20の楽章は、「~のまなざし」というタイトルをもつ楽章とそうでない楽章に分けられる。当初メシアンは「まなざし」を含まない楽章を最後にまとめるつもりだったが、最終的にはこれらの楽章が全体に散りばめられる形となった。配置は主題の配分、数の象徴にもとづいて決められており、第1曲〈父のまなざし〉で提示される「神の主題」は、第5曲、第10曲、第15曲、第20曲に登場し、第10曲を境に全体は前半と後半に分けられる。ヒルによれば、《まなざし》は5曲を単位とする4つのグループからなり、第12曲から第14曲、第16曲から第18曲を3曲ずつのまとまりとみなすことが可能である(註27)。この他の主題としては「星と十字架の主題」(星はキリストの降誕、十字架はその死を象徴する)が第2曲〈星のまなざし〉と第7曲〈十字架のまなざし〉に用いられ、のちに《トゥランガリラ交響曲》(1946-1948) で登場する「愛の主題」も第6曲と第19曲に現れる。作曲技法の点で新たに導入された要素としては、「リズム人物 personnages rythmiques」(註28)を音高に応用した「非対称的拡大 agrandissement asymétrique」(註29)があり、「リズム・カノン canon rythmique」も第5曲、第6曲、第9曲、第14曲、第17曲で登場する。「移調の限られた旋法 modes à transposition limitée」、「付加音価 valeur ajoutée」など『わが音楽語法』で紹介された技法もふんだんに盛り込まれている。

 メシアンの創作史において、《まなざし》は《アーメンの幻影》(1944)、《神の臨在の3つの小典礼曲》(1943-1944) とともに、ロリオとの出会いをきっかけにして生まれたトリロジーを形成する。これらはいずれもカトリックにおける愛と信仰をテーマとするが、その後メシアンは「トリスタン三部作」(《ハラウィ》、《トゥランガリラ交響曲》、《5つのルシャン》、1945-1949)で人間同士の愛と死を扱ったあと、《4つのリズム・エテュード》(1949-1950) に代表される実験期、そして鳥の時代へと移っていく。

脚注 http://ooipiano.exblog.jp/22220218/
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by ooi_piano | 2014-06-04 13:44 | Chiersance2014 | Comments(0)