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Blog | Hiroaki Ooi

ピアノによるマーラー交響曲集
Mahlers Sinfonien am Klavier vorgetragen



【過去の公演の感想集】
■交響曲第1番(独奏版)(2015/04/26)  ■交響曲第2番《復活》(二台ピアノ版)(2015/05/22)  ■交響曲第3番第2~第6楽章(独奏版+連弾版)(2015/01/17, 04/05, 04/26, 05/22)  ■交響曲第4番(連弾版)(2014/03/02)  ■交響曲第5番(独奏版)(2014/12/21)  ■交響曲第6番《悲劇的》(連弾版)(2014/03/02)  ■交響曲第7番《夜の歌》(連弾版)(2012/08/29)  ■交響曲第8番《千人の交響曲》(連弾版)(2015/04/05)  ■交響曲第9番(独奏版)(2015/07/12)  ■交響曲第10番(独奏版)(2015/04/26)  ■歌曲集《さすらう若人の歌》(2013/08/26)


c0050810_135052.jpg【第五回公演】
2015年12月13日(日)19時
開演(18時半開場) Sunday, December 13, 2015, 7 PM
公園通りクラシックス  Koen-Dori Classics, Tokyo
(東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://k-classics.net/
予約・問い合わせ tel. 080-6887-5957 book.k-clscs[at]ezweb.ne.jp
 青柳素晴/テノール(※)、 大川博/バリトン(#)、 大井浩明/ピアノ
 Motoharu AOYAGI, tenor - Hiroshi OOKAWA, bariton - Hiroaki OOI, piano

■G.マーラー:《リュッケルトの詩による5つの歌曲》(1901/02) [全5曲](作曲者自身によるピアノ伴奏版) (※)
Gustav Mahler : "Fünf Lieder nach Rückert" (piano accompaniment version by the composer)
  I. 僕の歌をのぞき見ないで - II. 優しい香りがした - III. 俗世から消え失せた - IV. 真夜中に - V. 美しさゆえに愛するなら

■G.マーラー:《子供の死の歌(亡き子を偲ぶ歌)》(詩:リュッケルト)(1901/04) [全5曲](作曲者自身によるピアノ伴奏版) (#)
Gustav Mahler : "Kindertotenlieder" (piano accompaniment version by the composer)
  I. 今や太陽は明るく昇る - II. 今になってみればよくわかる、なぜあんなに暗い炎を - III. おまえのママがドアを開けて入ってくると - IV. 私はよく考える、あの子たちは出かけただけなのだと! - V. こんな天気の時

■G.マーラー:交響曲《大地の歌》(1908)[全6楽章](作曲者自身によるピアノ伴奏版) [国際マーラー協会(ウィーン)監修] (※)(#)
 Gustav Mahler : ”Das Lied von der Erde" (piano accompaniment version by the composer)
  I. 地上の苦を詠う酒宴歌(原詩:李白) - II. 秋に寂しき女(原詩:張籍あるいは銭起) - III. 磁器の園亭(原詩:不明) - IV. 岸辺にて(原詩:李白) - V. 春に酔える男(原詩:李白) - VI. 告別(原詩:王維、孟浩然)


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「大井浩明のピアノによるマーラー演奏は、連弾版を含め第4番~第7番を聴いたが、ピアノならではの明晰な和声感や大胆な歌い回しをはじめ、マーラー自身が脳裏に構想した原風景(Urlandschaft)もかくやと思わせる、画期的な試みであった。今回のシリーズでは《第1番》《第10番》独奏版や《第2番》2台ピアノ版の日本初演他に加え、《第9番》独奏版の世界初演も行われるという。期待してやまない。」 ―――前島良雄(音楽評論、国際マーラー協会会員)

「・・・東京の聴衆が世界一マーラーに厳しいのは、都響、N響、新日本フィル、東響、ケルン放送響、フィルハーモニア管等が東京でマーラーの全曲演奏をしたことがあるだけでなく、アマチュア・オケでマーラーを弾いたことのある人が海外では考えられないほど多いからだ・・・」 ―――山田治生(音楽評論)


【第一回公演】 (終了)
2015年4月26日(日)19時
開演(18時半開場) Sunday, April 26, 2015, 7 PM
 大井浩明/ピアノ独奏 Hiroaki OOI, piano solo
■G.マーラー:交響曲第1番ニ長調《巨人》(1884/96)  [全4楽章]
 Gustav Mahler - Paul Sterne: Symphony No.1‘Titan' arranged for piano solo (Japanese premiere)
 P.ステルヌ(1977- )によるピアノ独奏版(2008) (日本初演)
■G.マーラー:交響曲第10番嬰ヘ長調〔アダージョ〕(1910/11)
 Gustav Mahler - Ronald Stevenson: Symphony No.10 (Adagio) arranged for piano solo (Japanese premiere)
 R.スティーヴンソン(1928-2015)によるピアノ独奏版(1987) (日本初演)


c0050810_0191736.jpg【第二回公演】 (終了)
2015年5月22日(金)19時
開演(18時半開場) Friday, May 22, 2015, 7 PM
 浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ Shinji URAKABE + Hiroaki OOI, pianos
■G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章]
 Gustav Mahler - Hermann Behn: Symphony No.2 ‘Resurrection' arranged for two pianos (Japanese premiere)
 H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)
■B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章]
 Bernd Alois Zimmermann: Monologues for two pianos


【第三回公演】 (終了)
2015年6月23日(火)18時半
開演(18時開場) Tuesday, June 23, 2015, 6:30 PM
 法貴彩子+大井浩明/ピアノ四手連弾 Sayako HOKI + Hiroaki OOI, piano 4 hands
■G.マーラー:交響曲第6番イ短調《悲劇的》(1903/04) [全4楽章]
 Gustav Mahler - Alexander von Zemlinsky: Symphony No.6 ‘Tragic’ arranged for piano 4 hands (Tokyo premiere)
 A.v.ツェムリンスキー(1871-1942)による四手連弾版(1906) (東京初演)
■G.マーラー:交響曲第7番ホ短調《夜の歌》(1904/06) [全5楽章]
 Gustav Mahler - Alfredo Casella: Symphony No.7 ‘Song of the Night’ arranged for piano 4 hands (Tokyo premiere)
 A.カゼッラ(1883-1947)による四手連弾版(1910) (東京初演)



c0050810_0201972.jpg【第四回公演】  (終了)
2015年7月12日(日)19時
開演(18時半開場) Sunday, July 12, 2015, 7 PM
 大井浩明/ピアノ独奏 Hiroaki OOI, piano solo
■G.マーラー:交響曲第9番ニ長調(1909/10) [全4楽章]
 Gustav Mahler - Albert Breier: Symphony No.9 arranged for piano solo (World premiere)
 A.ブライアー(1961- )によるピアノ独奏版(1993) (全曲による世界初演)
■A.シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲 作品31 (1926/28)
 Arnold Schönberg - Dante Anzolini: Variations for Orchestra Op.31 arranged for piano solo (World premiere)
 D.アンゾリーニ(1959- )によるピアノ独奏版(2001) (世界初演)



【関連公演】 (終了)
c0050810_193828.gif2015年10月25日(日) 汐留ホール Sunday, October 25 2015, Shiodome Hall, Tokyo
日本アルバン・ベルク協会創立30周年記念シンポジウム「新ウィーン楽派再考」+コンサート  Alban Berg Gesellschaft Japan - the 30th anniversary symposium + concert
〈会費〉 会員/シンポジウム+ピアノ演奏会:無料、非会員/シンポジウム+ピアノ演奏会:2500円(当日:3000円)
■シンポジウム「新ウィーン楽派再考」(一般公開) 17時~
  パネリスト:石田一志、佐野光司、長木誠司、樋口隆一、沼野雄司(司会)
■コンサート/「21世紀から見る新ウィーン楽派 ~ピアノ独奏用編曲を通して」 18時20分~ The Second Viennese School a hundred years on: in solo piano transcriptions
  大井浩明(ピアノ) Hiroaki Ooi, piano
●A.ウェーベルン(杉山洋一編):《管弦楽のためのパッサカリア 作品1》 (1908/2014)  Anton Webern/Yoichi Sugiyama (1969- ) : "Super-Passacaglia" (Intermezzo IX) for piano, dedicated to Hiroaki Ooi
●A.ベルク(Y.ミカショフ編):オペラ《ヴォツェック》第2幕第4場より「居酒屋のワルツ」(1922/1987、日本初演) Alban Berg/Yvar Mikhashoff (1941-1993): Tavern Garden Waltz, from the opera "Wozzeck", Act II, Scene 4 (Japan premiere)
●A.ベルク(R.スティーヴンソン編):オペラ《ヴォツェック》第1幕第3場より「マリーの子守唄」(1922/1985、日本初演) Alban Berg/Ronald Stevenson (1928-2015): Cradle Song, from the opera "Wozzeck", Act I, Scene 3 (Japan premiere)
c0050810_194645.gif●A.シェーンベルク(D.アンゾリーニ編):《管弦楽のための変奏曲 作品31》(1928/2001) 〔序奏 - 変奏I - 変奏II - 変奏III - 変奏IV - 変奏V - 変奏VI - 変奏VII - 変奏VIII - 変奏IX - 終曲〕 Arnold Schönberg/Dante Anzolini (1959- ): Variations for Orchestra Op.31
●A.シェーンベルク(川島素晴編):オペラ《モーゼとアーロン》第2幕第3場より「黄金の仔牛の踊り」(1932/2007) Arnold Schönberg/Motoharu Kawashima (1972- ): The Dance around the Golden Calf, from the opera "Moses and Aaron", Act II, Scene 3
●A.ベルク(M.ウォルフサル編):オペラ《ルル》に基づく幻想曲 (1935/2008、日本初演)  〔ルルとアルヴァ二重唱(第2幕1場) - ラグタイムその1(第1幕3場) - 切り裂きジャックと死の絶叫(第3幕2場) - サイレント映画の音楽(第2幕間奏曲) - メロドラマ(第2幕2場) - ルルとアルヴァ二重唱(第2幕2場) - ラグタイムその2(第1幕3場) - アルヴァのルル賛歌(第2幕2場) - ルルのアリア(第2幕1場)〕 Alban Berg/Marvin Wolfthal (1947- ): "Lulu Fantasy", dedicated to Elliott Carter (Japan premiere)
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一柳慧(ピアノ/日本アルバン・ベルク協会会長) Toshi Ichiyanagi, piano
●P.ブーレーズ(日本アルバン・ベルク協会名誉会長):ピアノソナタ第3番(1956/57) Pierre Boulez: Piano sonata No.3
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一柳慧&大井浩明(ピアノ四手連弾) Toshi Ichiyanagi & Hiroaki Ooi, piano 4 hands
●A.ベルク(H.E.アポステル編):オペラ《ルル》第3幕第1場より「変奏曲」 (1935/1985) Alban Berg/Hans Erich Apostel (1901-1972): Variations from the opera "Lulu", Act III, Scene 1



【関西公演1】 (終了)
2015年11月21日(土)14時半
開演(14時開場) 青山音楽記念館バロック・ザール 
c0050810_1985895.gif 北村敏則/テノール、 森季子/メゾ・ソプラノ、 大井浩明/ピアノ
■G.マーラー:歌曲集《若き日の歌》(1880/89)より
  「春の朝」「シュトラスブルクの砦の上」「私は喜びに満ちて緑の森を歩いた」「悪い子を良い子にするには」「それ行け!」「二度と会えない」「ハンスとグレーテ」「夏に交代」
■G.マーラー:交響曲《大地の歌》(1908)[全6楽章](作曲者自身によるピアノ伴奏版) [国際マーラー協会(ウィーン)監修]
  I. 地上の苦を詠う酒宴歌(原詩:李白) - II. 秋に寂しき女(原詩:張籍あるいは銭起) - III. 磁器の園亭(原詩:不明) - IV. 岸辺にて(原詩:李白) - V. 春に酔える男(原詩:李白) - VI. 告別(原詩:王維、孟浩然)



c0050810_12564922.jpg【関西公演2】 (終了)
2015年11月23日(月・祝)18時
開演(17時半開場) 芦屋・山村サロン
●A.ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(1894) [全3楽章](約70分) ~F.レーヴェ(1865-1925)によるピアノ独奏版(1903)(日本初演)
 第1楽章 Feierlich, misterioso
 第2楽章 Scherzo. Bewegt, lebhaft – Trio. Schnell
 第3楽章 Adagio. Langsam, feierlich
●G.マーラー:交響曲第9番ニ長調(1909/10)[全4楽章](約80分) ~A.ブライアー(1961- )によるピアノ独奏版(1993)[第1楽章~第3楽章](関西初演) + P.ステルヌ(1977- )によるピアノ独奏版(2006/15)[第4楽章] (日本初演)
 第1楽章 Andante comodo
 第2楽章 Im Tempo eines gemächlichen Ländlers
 第3楽章 Rondo-Burleske
 第4楽章 Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend




チラシ / concert flyer (PDF file/ 1.6MB)c0050810_11314921.jpg


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c0050810_016256.jpg2015年4月5日(日)午後6時開演 (午後5時半開場)
大井浩明+法貴彩子(ピアノ連弾)

山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階)
〒659-0093 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
全自由席 当日¥3000 (前売り¥2500)
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com



c0050810_17593627.jpgアントン・ブルックナー(1824-1896):交響曲第8番ハ短調《黙示録的 „Apokalyptische“》 (1887/90)
〔ヨーゼフ・シャルク(1857-1900)による四手連弾版(1890s)〕(日本初演) 約80分
 第1楽章 Allegro moderato
 第2楽章(sic) Adagio. Feierlich langsam, doch nicht schleppend
 第3楽章(sic) Scherzo. Allegro moderato: Trio. Langsam
 第4楽章 Finale. Feierlich, nicht schnell
  [法貴彩子/primo、大井浩明/secondo]


グスタフ・マーラー(1860-1911):交響曲第8番変ホ長調《千人の交響曲 „Sinfonie der Tausend“》(1906/07)
〔ヨゼフ・フェナンティウス・フォン・ヴェス(1863-1943)による四手連弾版(1912)〕 (日本初演) 約80分
 第1楽章 Veni, creator spiritus
 第2楽章 Schlussszene von Goethes „Faust“
  [大井浩明/primo、法貴彩子/secondo]




(芦屋市南部の8重桜)
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by ooi_piano | 2015-11-24 03:31 | コンサート情報 | Comments(0)

感想集 http://togetter.com/li/809779

c0050810_126309.jpg2015年11月23日(月・祝)18時開演(17時半開場)
芦屋・山村サロン(JR芦屋駅前ラポルテ3階) 全自由席 3,000円
予約・お問い合わせ 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com

●A.ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(1894) [全3楽章](約60分)
 ~F.レーヴェ(1865-1925)によるピアノ独奏版(1903)(日本初演)
 第1楽章 Feierlich, misterioso
 第2楽章 Scherzo. Bewegt, lebhaft – Trio. Schnell
 第3楽章 Adagio. Langsam, feierlich

(休憩15分)

●G.マーラー:交響曲第9番ニ長調(1909/10)[全4楽章](約80分)
 ~A.ブライアー(1961- )によるピアノ独奏版(1993)[第1楽章~第3楽章](関西初演) + P.ステルヌ(1977- )によるピアノ独奏版(2006/15)[第4楽章] (日本初演)
 第1楽章 Andante comodo
 第2楽章 Im Tempo eines gemächlichen Ländlers
 第3楽章 Rondo-Burleske
 第4楽章 Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend


大井浩明 Hiroaki OOI (ピアノ独奏)
c0050810_3522731.gif  京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、ブルーノ・カニーノにピアノと室内楽を師事。同芸大大学院ピアノ科ソリストディプロマ課程修了。第3回朝日現代音楽賞(1993)、第11回アリオン賞奨励賞(1994)、第4回青山音楽賞(1995)、第9回村松賞(1996)、第11回出光音楽賞(2001)、第61回文化庁芸術祭新人賞(2006)、第15回日本文化藝術奨励賞(2007)等を受賞。これまでにNHK交響楽団、新日本フィル、東京都交響楽団、東京シティ・フィル、仙台フィル、京都市交響楽団等のほか、ヨーロッパではバイエルン放送交響楽団、ルクセンブルク・フィル、シュトゥットガルト室内管、ベルン交響楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(パリ)、ASKOアンサンブル(アムステルダム)、ドイツ・カンマーオーケストラ(ベルリン)等と共演。
  近年は交響曲のピアノ演奏に力を入れ、ハイドン:第100番《軍隊》/第101番《時計》/第103番《太鼓連打》/第104番《ロンドン》(A.ホルン編/独奏版)、モーツァルト:第23番/第25番/第26番/第29番/第31番《パリ》/第32番《序曲》/第33番/第34番/第35番《ハフナー》/第36番《リンツ》/第38番《プラハ》/第39番/第40番/第41番《ジュピター》(A.ホルン+F.ブゾーニ他編/独奏版)、1846年製J.B.シュトライヒャー/1846年製プレイエル/1852年製エラールによるベートーヴェン:第1番~第9番(F.リスト編/独奏版)(NHK-BS『クラシック倶楽部』で放映)、ベルリオーズ:《幻想交響曲》(F.リスト編/独奏版)、ブラームス:第1番~第4番(O.ジンガー編/独奏版)、ブルックナー:第7番(作曲者+C.ヒュナイス編/独奏版)、同:第8番(J.シャルク編/連弾版)、マーラー:第1番《巨人》(P.ステルヌ編/独奏版)、同:第2番《復活》(H.ベーン編/2台ピアノ版)、同:第4番(J.V.ヴェス編/連弾版)、同:第5番(O.ジンガー編/独奏版)、同:第6番《悲劇的》(A.ツェムリンスキー編/連弾版)、同:第7番《夜の歌》(A.カゼッラ編/連弾版)、同:第8番《千人の交響曲》(J.V.ヴェス編/連弾版)、同:第9番(A.ブライアー編/独奏版)、同:第10番《アダージョ》(R.スティーヴンソン編/独奏版)、同:《大地の歌》(作曲者編/ピアノ伴奏版)、スクリャービン:第4番《法悦の詩》(L.コニュス編/2台ピアノ版)、ショスタコーヴィチ:第4番(作曲者編/2台ピアノ版)、オネゲル;第3番《典礼風》(D.ショスタコーヴィチ編/2台ピアノ版)等を取り上げている。




《人生きては別離足つ ~「生からの別れ」を描いた二つの第9交響曲》 ───甲斐貴也


■フェルディナント・レーヴェ - ブルックナー・マーラー・ヴォルフの使徒

c0050810_129369.jpg  ブルックナーの交響曲第9番の初版楽譜「改竄」者として、今日悪名高いフェルディナント・レーヴェFerdinand Löwe(1863-1926)は、一方で当時指折りの偉大なブルックナー指揮者であり、師ブルックナーの音楽の普及に努めた熱烈なる使徒であるとともに、敬愛するマーラーと親友ヴォルフの作品紹介にも尽力した功労者であった。
  1863年ウィーンに生まれたレーヴェは、まずピアノ演奏で頭角を現し、1872年ウィーンのピアノ教師エドゥワルト・ホラークのピアノ学校(現在のフランツ・シューベルト音楽院)に学んた。1877年ウィーン楽友協会音楽院に入学、パハマンの師でもあるヨゼフ・ダックスにピアノを、フランツ・クレンに作曲を、そしてブルックナーにオルガンと対位法を学んだ。同学院でレーヴェは後に初版の校訂で同じく名を残すフランツ、ヨゼフのシャルク兄弟、シリル・ヒュナイスらと共にブルックナーのお気に入りの生徒となり、1875年に入学していたマーラー、フーゴー・ヴォルフらとの親交を得た。ヴォルフとシャルクとは、ワーグナーへの熱狂で意気投合し、共にバイロイトを訪ねてワーグナーの楽劇を鑑賞した。レーヴェはヴォルフの歌曲作曲やオペラの台本探しを助け、歌曲作品演奏会でピアノを弾くこともままあった。
  音楽院卒業後は、同学院で1897年までピアノ科と合唱科の教授を勤めるかたわら、オーケストラの指揮活動を始め、師ブルックナーの第4交響曲の出版譜校訂に携わる(1889年出版)。1895年にはミュンヘンのカイム管弦楽団(現ミュンヘン・フィル)を指揮して第4交響曲初版を演奏。同年ブダペストに赴き、フランツ・シャルクが校訂しグラーツで初演した第5番初版をブダペスト・フィルを指揮して演奏。ついでミュンヘンでも演奏して大成功を収めた。この時の5番の名演奏ぶりは、ブラームスの友人でブルックナーを攻撃したことで有名な批評家マックス・カルベックまでもが、絶賛する評を寄せたほどであった。

  《熟練した大家の忍耐強い愛だけが,この鳴り響く混乱から,秩序だった世界を築き上げることに到達できた。混乱の中にある秩序だった世界を・・・(略)・・・彼の交響曲は,価値の高い細部において豊かで,トロンボーンによるコラールを伴う終結部は,あるときは教会の雲の中へ高められた変容のように,あるときには天から落ちてくる最後の審判のように現れる。その終結部は,響きの尊厳においてベルリオーズ以来この点に関して成し遂げられたものすべてを凌駕している。》(『新ウィーン日刊新聞』) (渡辺美奈子訳)

c0050810_1312010.jpg  レーヴェはこの年カイム管弦楽団の首席指揮者に就任し、在任中にブルックナーの交響曲を次々と上演して評判を高め、同管弦楽団は「ブルックナー・オーケストラ"Bruckner-Orchester"」の異名を得ることとなった。
  1898年にはオペラ指揮者となる念願がかない、ウィーン宮廷歌劇場芸術総監督となっていた先輩マーラーの元で副指揮者を勤めたが、これはレーヴェが不確定要素の多いオペラ上演よりも、交響楽団の指揮に適性があることを示す結果となり、わずか1年という短期間で契約満了になった。マーラーの助手を事実上解任された形とは言え、二人の友好関係は継続していくこととなる。その間1899年4月ウィーン・フィルに客演してブルックナーの交響曲第5番ウィーン初演を指揮し、反ブルックナー派を沈黙させる大成功を収めた。フランツ・シャルクによりワーグナー風に編曲された第5番初版の相次ぐ大成功は、レーヴェにそうした校訂への確信を深めさせたことだろう。
  1900年、ウィーン楽友協会はウィーン市民に高まるオーケストラ演奏会への需要に応えるべく、主催する予約演奏会で演奏する専属のオーケストラ(ウィーン・フィルは楽友協会とは別組織である)を改組し、市民のためにより低価格で多くの演奏会を開き、新作の上演も積極的に行う、ウィーン演奏協会(コンツェルトフェライン)管弦楽団を設立、演奏協会監督および首席指揮者にレーヴェが就任した。レーヴェは現在ウィーン交響楽団として知られるこのオーケストラで師ブルックナーの作品を上演プログラムに多く組み、精力的に演奏した。第一次大戦の勃発と終戦、オーストリア=ハンガリー帝国の終焉を跨ぐ、レーヴェ治世下26年のウィーン演奏協会におけるブルックナー作品上演リストは驚くべきものである。

c0050810_3594093.gif 1900年:3番(第2稿1877/78)、4番
 1901年:5番、7番
 1902年:4番、6番、テ・デウム
 1903年:4番、8番、9番(世界初演)&テ・デウム、9番〔単独2回〕、ミサ曲3番
 1904年:2番(1877初版)、3番(初稿1873)、4番〔2回〕、8番、9番〔4回〕
 1905年:1番(リンツ稿)、9番〔2回〕
 1906年:3番(初稿1973)〔2回〕、4番〔2回〕、7番〔2回〕、8番、9番
 1907年:1番(ウィーン稿)、3番(初稿1973)、5番、7番〔2回〕、9番
 1908年:3番(初稿1973)、4番〔3回〕、5番〔3回〕、8番、9番
 1909年:3番(初稿1973)、4番、7番〔4回〕、6番
 1910年:1番(リンツ稿)、2番(1877)〔3回〕、3番(初稿1973)〔2回〕、3番(第3稿1889)〔9回〕、4番〔6回〕、5番〔4回〕、9番、ミサ曲2番
 1911年:1番(ウィーン稿)、2番、3番(第2稿1877)〔3回〕、4番〔7回〕、5番、6番、7番〔2回〕、8番〔2回〕、9番
 1912年:2番、4番、7番〔5回〕、8番、9番
 1913年:0番〔2回〕、1番(ウィーン稿)、3番(第2稿)、4番〔2回〕、5番〔5回〕、7番、8番、ミサ曲2番、ミサ曲3番、テ・デウム
 1914年:3番(第2稿)、5番、7番〔3回〕、8番〔2回〕、9番〔2回〕、ミサ曲1番
 1915年:2番、3番(第2稿)、4番〔4回〕、5番、6番〔3回〕、7番〔3回〕、ミサ曲1番、テ・デウム
 1916年:1番(ウィーン稿)〔3回〕、2番〔2回〕、3番(第2稿)〔2回〕、4番、9番&テ・デウム、ミサ曲1番
 1917年:3番(第2稿)〔2回〕、3番(第3稿)〔3回〕、4番〔3回〕、5番〔2回〕、7番、9番、ミサ曲1番、ミサ曲3番〔2回〕、テ・デウム
 1918年:2番、3番(第2稿)、3番(第3稿)、4番〔6回〕、6番、8番、詩篇第150篇
 1919年:3番(第2稿)〔4回〕、4番、5番、6番、7番~アダージョ(レーヴェ編)、8番、9番&テ・デウム〔2回〕、ミサ曲1番、ミサ曲3番、詩篇第150篇
 1920年:1番(ウィーン稿)、2番、3番(第2稿)、4番〔3回〕、5番〔3回〕、7番〔3回〕、9番
 1921年:1番(ウィーン稿)、3番(第3稿)、4番〔2回〕、5番、6番、7番、8番〔5回〕、序曲ト短調、詩篇第150篇〔2回〕
 1922年:3番(第3稿)〔2回〕、4番〔9回〕、5番〔2回〕、7番〔4回〕、8番、9番&テ・デウム
 1923年:1番(ウィーン稿)、2番〔3回〕、4番〔5回〕、6番、7番、8番、9番&テ・デウム〔2回〕、9番〔2回〕
 1924年:2番、3番(第3稿)〔2回〕、5番、6番、7番〔3回〕、8番〔3回〕、9番&テ・デウム、9番(5月9日レーヴェ指揮による最後の演奏会)、ミサ曲3番
 1925年:2番、3番(第3稿)〔2回〕、4番〔2回〕、5番〔4回〕、6番、7番、8番、テ・デウム〔2回〕


c0050810_44437.gif  指揮は多くがレーヴェ自身の他、マルティン・シュペルMartin Sporr(1866-1937), アントン・コンラートAnton Konrath(1888-1981)〔ウィーン響を指揮した第3番初版第3楽章のSP録音がある〕, オスカル・ネドバルOskar Nedbal(1874-1930)〔チェコの作曲家でボヘミア四重奏団のヴィオラ奏者、ウィーン・トーンキュンストラー管創設者〕という当時のウィーン演奏協会の指揮者に加え、ウィーン・フィル常任指揮者のフランツ・シャルクや若きフルトヴェングラーらが客演している。稿の記載の無い4,5,6,7,8番は初版と思われるが、第1番と第3番で複数の稿を交互に繰り返し上演しているのが目を惹く。1911年にはブルックナー交響曲全曲演奏会を敢行している。同時期のウィーン・フィルは、演奏会の数そのものが演奏協会より少ないとは言え、1924年の作曲家生誕100年の年を除き、年平均2曲程度しかブルックナーを上演していない。第9番原典版スコアのノヴァークによる序文で言及されている、「ブルックナーの全作品に対するレーヴェの功績はそれでも、ザンクト・フローリアンの巨匠のためにかつて人が行った最も偉大な手柄のひとつに数えられよう」という最大級の賛辞は、このような業績に対して与えられたものなのだ。
  レーヴェは楽団員に室内楽を奨励したが、それに応じて、1912年にマンハイムから招聘した若きコンサートマスターのアドルフ・ブッシュが、ヴィオラのカール・ドクトル、チェロのパウル・グリュンマーらウィーン響首席奏者と結成したウィーン・コンツェルトフェライン弦楽四重奏団は、高名なブッシュ弦楽四重奏団の母体となった。ピアノの名手で、ブラームスのピアノ入り室内楽にも高い見識を持っていたレーヴェは、第一次大戦中の1915年から1917年にかけて、ブッシュ、グリュンマーとのピアノ三重奏も行っていたという。
  レーヴェはマーラーの音楽も当初は少な目ながら次第に上演回数を増やし、マーラーの没後、特に第一次大戦以降はブルックナーと肩を並べるウィーン演奏協会の重要レパートリーになっている。但し、レーヴェ自身はあまり指揮を執らず、ほとんどは僚友や若手に任せているのが、ブルックナー作品への取り組み方との違いであろう。

c0050810_45347.gif 1902年:2番~原光
 1904年:1番
 1907年:6番(マーラー指揮)
 1908年:1番(レーヴェ)
 1909年:3番(ワルター)、4番、5番、7番(レーヴェ:ウィーン初演)
 1911年:1番、2番(ワルター)、3番、4番、6番
 1912年:8番〔2回〕(ワルター)、『大地の歌』(ワルター)
 1913年:4番〔3回〕、『子供の死の歌』(シェーンベルク指揮により、他にヴェーベルン、ベルク、ツェムリンスキーが演奏された)
 1914年:1番、5番、9番、『子供の死の歌』
 1915年:4番〔2回〕
 1916年:1番、2番〔2回〕、4番
 1917年:1番(ワルター)、2番、3番、4番、『大地の歌』〔2回〕、『さすらう若人の歌』、『子供の死の歌』
 1918年:『嘆きの歌』(1880 初稿)、3番(レーヴェ)、5番~アダージョ、『大地の歌』
 1919年:1番、2番(ワルター)〔2回〕、2番(オスカー・フリート)〔4回〕、3番(フルトヴェングラー)、4番〔4回〕、5番(ワルター)、9番(フリート)、『大地の歌』〔2回〕(ツェムリンスキー)
 1920年:1番(フリート)、2番(フリート)〔2回〕、3番(フリート)、3番〔2回〕(フルトヴェングラー)、4番〔4回〕(シャルク、フリート他)、5番(レーヴェ)、6番(フリート)7番(ワルター)、『大地の歌』〔3回〕(フリート他)、『嘆きの歌』(第2稿:フリート)、『さすらう若人の歌』〔4回〕
 1921年:1番〔2回〕(フルトヴェングラー)、2番(フルトヴェングラー)、3番(シャルク)、4番〔4回〕、5番、『大地の歌』〔2回〕(シューリヒト、フリート)、『さすらう若人の歌』〔3回〕(シャルク他)
 1922年:1番〔2回〕(ホーレンシュタイン)、2番〔2回〕(ワルター)、3番〔2回〕(アントン・ヴェーベルン)、4番、『大地の歌』、『さすらう若人の歌』〔2回〕、『子供の死の歌』〔4回〕
 1923年:4番〔3回〕、5番(レーヴェ)、『さすらう若人の歌』〔2回〕
 1924年:2番、4番〔2回〕(クナッパーツブッシュ他)、7番〔2回〕(クレメンス・クラウス)、『大地の歌』(フリッツ・シュティドリー)、『さすらう若人の歌』〔3回〕
 1925年:1番(クラウス)、2番〔3回〕(クラウス)、3番(クラウス)、4番〔4回〕(クラウス他)、5番、『大地の歌』〔6回〕(クラウス、クナッパーツブッシュ他)、『さすらう若人の歌』〔2回〕


c0050810_463612.gif  今日その演奏が知られている指揮者に限り名前を書いたが、若きクナッパーツブッシュがブルックナーではなくマーラーを振っているのが興味深い。この他、ウィーン演奏協会主催のピアノ伴奏による声楽作品演奏会で、マーラーの歌曲が多く取り上げられている。
  親友ヴォルフのオーケストラ作品、声楽作品もまた、没年の1903年(2月22日、奇しくもレーヴェによるブルックナー9番初演の10日後である)からは毎年上演されいてる。26年間に、交響詩『ペンテジレーア』11回、『イタリアのセレナード』弦楽合奏版25回、歌劇『お代官様』前奏曲と第3幕の音楽2回、合唱と管弦楽のための『祖国に』8回、『6つの宗教的合唱曲』(ジョージ・セル指揮)、その他多くの歌曲が上演され、1905年と1910年には、オール・ヴォルフ・プログラムの歌曲演奏会が開催されている。 
  そしてレーヴェは死の前年1925年に出演した3回の演奏会で全てブルックナー作品を指揮、最後の回においてはブルックナーの第9番を振って、その音楽家として、師ブルックナーの使徒としての生涯を締めくくった。その人柄は、マーラー、ヴォルフらエキセントリックな天才や、風変わりなブルックナーと異なり、穏やかで人望が高かったという。
c0050810_48212.gif  このように、師ブルックナーと友人たちに献身的だった好人物が、本当に師の作品を改竄したのだろうか。1920年代にレーヴェの元でたびたびブルックナーを演奏していたヴィオラ奏者ジョセフ・ブラウンスタイン(1892-1996)とフルトヴェングラーは、レーヴェが勝手な改変を行ったとは考えられないと証言している。同じくレーヴェを直接知るクナッパーツブッシュ、ジョージ・セル、ヨゼフ・クリップス、チャールズ・アドラーなどの指揮者も、原典版使用が一般的になった戦後までレーヴェ版を演奏し続けた。
  だが残念ながら、レーヴェの改竄容疑は限りなく黒に近いようだ。デルンベルクによれば、フランツ・シャルク校訂の第5番と、レーヴェ校訂による第9番初版の自筆譜との異同の多さは早い段階で問題になっていた。レーヴェはブルックナー自身が印刷用原稿に訂正を書き入れたのだと断言していたが、それについての討論会が、紆余曲折の末、宮廷歌劇場内のシャルクの事務所で開かれた折、証人として招かれたレーヴェは出席を拒否した。そしてこの改竄の度合いが大きいと思われる2曲に限って、編者に返却されるか出版業者が保管するはずの印刷用原稿が当時から紛失しており、ブルックナーの筆跡による修正の跡や承認のサインなどの証拠がないというのである。
  1906年6月、レーヴェによる初演のわずか3年後に、カイム管弦楽団でレーヴェ版ブルックナー第9を指揮し、弱冠20歳で指揮者デビューしたフルトヴェングラーは(父親が楽団オーナーのカイムの友人であったことから実現した演奏会という)、レーヴェ版についていくつかの異なった発言を残している。

c0050810_495477.gif  《レーヴェによるブルックナーの第九交響曲の改訂が特筆に値する労作であることがわかってきた。(中略)レーヴェはまず第一に管弦楽法を柔軟化し、それによって内容がより明確に聴き取れるようにと心がけている。この意味において、彼の修正はどこまでも実演者による改訂であると言ってよい。(中略)レーヴェがブルックナーの理念を放棄することなく現存する諸関係に適応させた強弱法についても、これと同じことが言える。(中略)第三に、レーヴェはしばしば主題にもとづいて楽句を仕上げたり、経過句をつくったりしている。これらはもちろん原譜からの明らかな逸脱を示すものである。たとえこれに関する詳細は不明であるにせよ、レーヴェの心に浸みわたっていた巨匠に対するかぎりない崇拝の念、また彼の作品に対する忠実さを考えれば、レーヴェがこれらの改訂をブルックナーの合意なしに企てるというようなことは決してなかっただろうとわたしは考えている。》(1934年のカレンダーへの書き込み。『フルトヴェングラー 音楽ノート』芦津丈夫訳)

c0050810_10295061.gif  《巨匠と親しく交友し愛していた、真摯な、着実な人々、シャルクやレーヴェのような音楽家たちは、彼が生きていた時代には、彼の作品をその原形のままで聴衆の前に演奏することは、明らかに不可能だと考え、それをそのまま端的に理解させることに絶望していました。彼らはそれに橋を架し、媒介しようと試みました。これらのシンフォニーの編曲はそのような架橋を、そのような媒介作業を物語っているのです。》(1939年の国際ブルックナー協会における同協会会長としての講演より。『音楽の手帖ブルックナー』芳賀檀訳)
  《〔1953年にフランクフルトで会ったフルトヴェングラーに〕「おまえ、最近にはどんな曲をやるんだ」と聞かれたので、「ブルックナーの〈9番〉だ」と答えたのです。すると彼は、「あれは非常にいい作品だから結構だ。時にどの版でやるのか」と、こうきたわけです。私はムニャムニャといい加減な返事をしたら、彼は「ブルックナーは絶対に原典版でやらなくてはいけない。それだけは注意しなさい。その辺の楽器屋にあるから買って帰りなさい」と言われました。》(『朝比奈隆 音楽談義』小石忠男編)

c0050810_413253.gif  フルトヴェングラーは4番と7番は初版を演奏しているので、朝比奈の証言での発言は、9番に限ってのことと考えられる。ブルックナーの音楽を深く愛し、レーヴェの人柄を身近に親しんだフルトヴェングラーの発言の変遷は、レーヴェの功罪と改訂版・原典版問題の難しさ、そして苦渋を伴ったであろうその結論の重みを窺わせるものである。
  レーヴェが何度も指揮したヴォルフの交響詩『ペンテジレーア』も、ヨゼフ・ヘルメスベルガー校訂の初版(1903)には169小節もの省略と楽器編成の変更があったが、これにレーヴェの手も加わっているとして、ヴォルフの伝記著者デチャイはレーヴェを編曲者と呼んだ。レーヴェによる1904年の初演は華々しい成功を収めたという。ブルックナーと同じくロベルト・ハースの校訂により、国際フーゴー・ヴォルフ協会から原典版が出版されたのは1937年のことであった。 (→つづき
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by ooi_piano | 2015-11-17 06:58 | Comments(0)

(つづき)

■ブルックナー9番「初版」(レーヴェ版)

c0050810_423354.gif  1887年、第8交響曲の作曲を完了したブルックナーは,直ちに第9番の作曲に取りかかったが、信頼する大指揮者ヘルマン・レヴィの否定的評価により第8の改訂に着手、また初期の第1番の改作にも取り組んだため、作曲の進行は遅々として進まなかった。その間の健康状態の悪化のため、第3楽章作曲中の1894年には、第4楽章が未完に終わることを予感し、自作の声楽曲「テ・デウム」をその代わりに演奏するようにと発言したが、その後第4楽章の作曲はかなりの程度進行し、一旦完成まで間もなくのところまで達していた1896年10月11日、午前中作曲に取り組んでいた老巨匠は午後三時、急に容態が悪化して逝去した。
  弟子のレーヴェにより、完成していた第3楽章までが校訂され、作曲家の遺言通り「テ・デウム」を終楽章として、1903年2月11日にレーヴェ指揮ウィーン演奏協会管弦楽団が初演、同時にレーヴェ編曲のピアノ独奏譜とレーヴェ、シャルク編曲の連弾版が出版された。1910年にはレーヴェ校訂になる初版総譜が出版された。これらの楽譜にはレーヴェによる簡潔な序文が付されている。

c0050810_4244394.gif  《完成した3つの楽章をここで公開する「アントン・ブルックナーの第9交響曲」は、(巨匠の当初の意図では)、純粋に器楽的な終楽章で終わるはずであった。重度の肉体的苦痛によって、しばしば、時には長期にわたる作曲の中断を強いられ、ブルックナーはますます、自らの最後の作品を、もはや終えることができないという恐れを抱かざるを得なかった。次第に彼の中で、完結した3つの楽章に、終楽章として彼の『テ・デウム』を添えるという決心が固まったのかもしれない。大まかに構想されたそのための経過部のスケッチが我々に残されている。だがそこから読み取れるものは、ただ巨匠の最後の意図を暗示させるだけである。
 (1903年2月11日ウィーンでの)初演時の主催者らが、交響曲に『テ・デウム』を続けさせるのを、巨匠への畏敬からの要求とみなしたとしても、そのような終楽章のない上演もまた、まったく正統的と思われる。この作品が今ある形で全体として非常に効果的で有り得るだけに、このことはなおさら正統的なことである。
  1903年8月ウィーンにて フェルディナント・レーヴェ》 (渡辺美奈子訳)

  この校訂譜はブルックナーの原譜と管弦楽法にかなりの相違があり、オレルら原典版研究者から異議が出されることとなった。また終楽章がほぼ完成に近づいていた事実に全く触れず、遺言による『テ・デウム』併演をも省いて、アダージョで終結する3楽章のみの上演もまた正統的であるとしたことが、この作品の本来の形を歪曲する印象操作になったとして、さらには終楽章の資料散逸の責任者として、ベンヤミン=グンナー・コールスはレーヴェを厳しく批判している(アーノンクール指揮ウィーン・フィルCD解説書)。だがこれは逆に言えば、20世紀初頭の当時から、アダージョをフィナーレとする3楽章で完結した交響曲という認識がかなり強固に存在したということでもある。マーラー第9のアダージョ・フィナーレとの関連を考えるについて、考慮すべきことであろう。

c0050810_4282521.gif  レーヴェ校訂になる初版の、原典版との相違は、主にオーケストレーションに関するものであり、楽曲構造にはほとんど手をつけていない点で、ヨゼフ・シャルク校訂の第5番初版とは異なる。第2楽章スケルツォに4小節のみカットがあるが、大勢に影響のあるものではない。マイケル・ケネディ編の『オックスフォード音楽事典』や、アーノンクールが自らの第9録音に付した解説では、レーヴェ版には大きなカットがあるかのような事実誤認があり、専門家の間でレーヴェ版が真面目な検討の対象にさえなっていない風潮があるようだ。
 楽器編成では第3フルートをピッコロ持ち変えとし、コントラファゴットを追加しており、原典では休みの多いファゴットのパートの追加や、オーボエとクラリネットのパートの入れ替えがほとんど全曲に渡って施され、ワーグナー風の音色に改変されている。ブルックナー独特の、突然のフォルテッシモなどは、段階的な強弱に改められ、弦楽と管楽器のバランスが整えられている。第3楽章ではクライマックス最後の斬新な不協和音が常識的な響きに改められ、ブルックナー独特の頻繁な総休止にも、一部につなぎの楽想やティンパニーのロールが挿入される。
  原典版との違いが目立つ、第2楽章冒頭を譜例で示す。このオーケストレーションは、ブルックナーがフランツ・シャルクにその部分をピアノで弾いて聞かせた時の様子からレーヴェが想を得たということになっており、弦のピッチカートにフルート、ファゴットを被せたり、置き換えたりしている。レーヴェは、ピッチカートでは八分音符の演奏が困難なのでファゴットに置き換えたとされ、相当に速いテンポを想定していたようである。原典で印象的なオーボエとクラリネットの持続音をカットしているほか(12小節からのトランペットの持続音は残されている)、音量をメゾフォルテからピアニッシモに変更し、全体に色彩的で繊細、軽妙な音楽にしようとしている感がある。続く強烈なフォルテッシモの和音連打も弱められている。当時の音楽家や批評家はこれを肯定的な文脈でベルリオーズ風と述べており、異様で破壊的な力を持った原典よりも、受け入れやすい音楽であったことがうかがわれる。
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  ブルックナーの9番の日本初演は1936年、クラウス・プリングスハイム指揮東京音楽学校で上野奏楽堂にて行われた。これはレーヴェ版によるものと考えられる。関西初演は朝比奈隆指揮関西交響楽団(現大阪フィル)によって1954年に行われたが、前述のようにフルトヴェングラーから原典版を使用するように助言されたのは有名なエピソードである。その時既にフィルハーモニア版スコアから書き起こされたパート譜が準備されており、現地で購入して持ち帰ったオレル原典版との違いに驚いたものの、時間的制約から大まかな異同部分の訂正で初演に臨んだと朝比奈は証言している。大指揮者フルトヴェングラーから、東洋の偉大なブルックナー指揮者の出発点に、原典版によるブルックナー演奏という原則が伝えられた、奇跡的な邂逅であったが、これは逆に考えれば、レーヴェ版第9の関西初演が頓挫した瞬間でもあった。
  本日の大井浩明氏によるピアノ版日本初演は、それ以来62年ぶりに無修正のレーヴェ版が関西で初演される機会とも言える。大井氏は朝比奈の京都大学の後輩にあたり、同大学オケに朝比奈が来演して指導した折、チェロ奏者としてブルックナー4番を演奏した経験も持つという。ブルックナーの第9が、レーヴェ、フルトヴェングラー、朝比奈と伝えられてきた歴史の流れに想いを馳せると、本日大井氏が記す歴史の一頁の感慨もひとしおである。レーヴェは1903年の第9初演にあたり、事前にピアノを演奏しながら作品解説をしたと伝えられるが、パハマンと同門の、リストに連なるピアニスト、レーヴェの編曲手腕も注目される。



■間奏曲  - ブルックナー9番の「生からの別れ」を引用したヴォルフ歌曲

c0050810_2484590.jpg  今日歌曲作曲家として名高いフーゴー・ヴォルフは、音楽批評家としてブラームスを目の敵にし、罵倒を続けていたが、ブルックナーの交響曲には好意的であった。当初二人に交流はなかったが、共通の友人であるレーヴェ、シャルク兄弟、シリル・ヒュナイスらブルックナーの弟子たちと、裕福な音楽愛好家でブルックナーの秘書を勤め、ブルックナーとヴォルフの出版に資金援助していたフリードリヒ・エクシュタイン(1861-1939)の紹介により、第7交響曲へのヴォルフの批評を契機として、友人としての交際が始まったという。
  ヴァルター・ヴィオラは著書『ドイツリートの歴史と美学』で、ヴォルフの「ミケランジェロの詩による歌曲集」第2曲「生まれたものはすべて滅びる」(1897)が、ブルックナーの交響曲第9番第3楽章の第1主題群に現れるコラール主題、ブルックナーが「生からの別れAbschied vom Leben」と称した主題に基づいていることを指摘している。第3楽章は1894年に既に完成していたこと、ヴォルフはブルックナーの友人であり、その弟子レーヴェは親友であったのだから、未出版の総譜を見ていただろうことに疑いはない。そしてこの曲は、ブルックナー9番第1楽章の最後と同じく、空虚五度で終わるのである。
  この歌曲集はヴォルフの創作の最後の年で、オペラ『お代官様』と弦楽四重奏曲『イタリアのセレナード』に取り組んでいた1897年、ブルックナー死去翌年の3月末に、わずか10日間で書かれた4曲からなる歌曲集であったが(創作最盛期のヴォルフは異常な集中力による速筆で、後世に残る傑作歌曲を一日に2,3曲書いたこともある)、4曲目は作曲者自身によって破棄され、全3曲の歌曲集として残された。歌詞はルネッサンスの大芸術家、ミケランジェロ・ブオナロッティの作で、第1曲は芸術家としての矜持について、第2曲は冷徹な死の歌、第3曲は愛の歌になっている。第1曲、第3曲のピアノパートは交響的スケールの大きさを有し、管弦楽に編曲もされている。
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 ヴォルフ:「ミケランジェロ歌曲集」全3曲~第2曲「生まれたものはすべて滅びる」

 Hugo Wolf: Alles endet, was entstehet (Michelangelo) 訳:甲斐貴也
 Alles endet, was entstehet.
 Alles, alles rings vergehet,
 Denn die Zeit flieht, und die Sonne
 Sieht, dass alles rings vergehet,
 Denken, Reden, Schmerz und Wonne ;
 Und die wir zu Enkeln hatten
 Schwanden wie bei Tag die Schatten,
 Wie ein Dunst im Windeshauch.
 Menschen waren wir ja auch,
 Froh und traurig, so wie ihr,
 Und nun sind wir leblos hier,
 Sind nur Erde, wie ihr sehet.
 Alles endet, was entstehet.
 Alles, alles rings vergehet.

 c0050810_4351147.gif生まれたものはすべて滅びる。
 周囲の一切のものは消え去る。
 時は過ぎゆくのだから。そして太陽は
 見ている、思考、言葉、苦しみと喜びの
 すべてが消えてゆくのを。
 そして子孫に残そうとしたものは
 煙と消えていった、昼間の陰のように、
 風に吹かれる塵のように。
 我らも同じ人間だったのだ、
 同じように喜び、悲しんだのだ。
 そして今や命絶えて、
 ご覧の通り大地に還った。
 生まれたものはすべて滅びる。
 周囲の一切のものは消え去る。



c0050810_4363531.jpg  友人エミール・カウフマン宛の手紙に「すべてが滅亡の犠牲となるのに、創り闘い求めるのはすべて何のためでしょうか?」(ヴィオラ前掲書)と書いたヴォルフもマーラーと同じく、ニーチェの言うニヒリズムにとり付かれていた。救いのない死の歌として、この曲を書き上げた直後の1897年4月3日に死去したブラームスの最期の作品『4つの厳粛な歌』(1896年5月)に通じ、また非キリスト教的死生観という点で、マーラーの『大地の歌』との同質性も指摘されうるだろう。
  ヴォルフはオスカル・グローエ宛ての手紙でこの第2曲を自らの最高傑作とし、「正気とはこの作品に触れて錯乱するためにあるのです」「私は、自分のあたまがどうかならないかと心配で、この曲がとても怖いのです。そのように万人に害をなし、生命の危険をもたらすようなものを、今書いています」(佐藤牧夫・朝妻令子共訳 エリック・ヴェルバ著『フーゴー・ヴォルフ』より)と豪語した。
  その半年後の9月、ヴォルフはその年6月にウィーン宮廷歌劇場総監督に就任していた旧友マーラーを、自作のオペラ『お代官様』上演の望みを持って訪ねた。かつて学生時代にアパートの同室で暮らしたこともあるマーラーとヴォルフだが、歌曲作家の鬼才としてようやく認められつつも、狷介な性格が禍いして相変わらず住所不定無職に近い境遇のヴォルフが、音楽界の頂点に登りつめたマーラーに複雑な感情を持っていたのは間違いないだろう。ヴォルフが、マーラーの机上にルービンシュタインのオペラ『悪霊』のピアノスコアを見つけて作品を罵倒し始めたことから口論となり、既に次シーズンの上演作品を決めていたマーラーに、『お代官様』が近いうちに上演されることはあるまいと言われ、ヴォルフは激昂してその場から走り去った。その帰宅の途上で会った友人に、マーラーを解任して自分が総監督に就任したと真顔で語るなど異常な言動が始まり、総監督就任時の職員への挨拶とマーラーの解雇を告げる文案を書いて知人に読み聞かせるなど、ヴォルフは明らかに正気を失っていた。
  マーラーとの口論で激昂したことは、狂気の引き金ではあったが、主因は脳梅毒による進行性麻痺であった。精神病院入院後に病状は持ち直し、退院して作曲に取り組むことができたが、1898年9月『ミケランジェロ歌曲集』が出版された翌月にヴォルフは突然入水を図った。再び入院したヴォルフは一時的に回復したが、1899年秋には記憶と言語の障害が高まり、1901年に入ると麻痺性の痙攣により寝たきりとなる。そして、もはや虚空を無表情に見つめるだけの、完全な廃人になってしまった。
  そして1903年2月11日に親友レーヴェの指揮によってブルックナーの第9交響曲が初演され、「生からの別れ」のコラールが初めて鳴り響いた日の10日後、同年2月22日に、「思考も、言葉も、喜びも悲しみもすべて」消え去った、かつての鬼才作曲家ヴォルフは、肺炎のため、献身的な介護人ヨハン・シャイプナーの腕の中で、激しい痙攣を繰り返した後に生から別れて行った。その時、ブルックナー9番の未完の終楽章における燦然たる救済のコラール主題が、天上に鳴り響いていたと信じたい。



■ブルックナー第九交響曲/楽章解説

c0050810_4375244.gif第1楽章 ニ短調 厳かに、神秘的に
  トレモロによる「ブルックナー開始」、断片的な動機からの主題労作、ゼクエンツによるクレッシェンド、そしてフォルテッシモのユニゾンによる豪壮な主題提示と、ブルックナーの常套手段が繰り出されるが、続く展開部は再現部と融合してクライマックスを築き上げてゆく斬新な手法が用いられる。

第2楽章 スケルツォ ニ短調 動的に、生き生きと
  ピッチカートによる異様な序奏に続き、主部は暴力的なまでのリズムが刻まれる。トリオは主部より速い斬新な構成だが、より常識的な初期稿が存在する。完成した3つの楽章が、丹念に推敲された結果、今日知られる傑作に仕上がった証左のひとつである。現トリオの副主題部の楽想は初期稿からの流用で、ここでテンポを落とすのをレーヴェ版の残滓と見る向きもあるが、元々遅いテンポを想定していた楽想に一致した処理とも言える。

第3楽章 アダージョ ホ長調 ゆっくりと、厳かに
  ホ長調だが短調的性格が支配的に進む。第1主題群の終わりには、ブルックナー自身が「生からの別れ」と称した下行音形のコラールが現れる。第1楽章と同じく展開部と再現部が融合した、拡大されたソナタ形式により巨大なクライマックスを築く。

本日演奏されるレーヴェ編ピアノ版には含まれない未完の終楽章について:
第4楽章 ニ短調 神秘的に、急がずに

c0050810_4384789.jpg  終楽章は一旦完成に近い状態だったが、巨匠死去後の現状保存の不備により、知人などの手で遺品の手稿譜の一部が記念品として持ち出されるなど散逸したため、補筆完成が困難な状態となり、その実現は散逸資料の回収が進んだ20世紀後半に持ち越された。現時点で復元はかなりのレベルに達しているが、第3楽章までが一旦完成の後に、念入りな推敲を経て現在知られる傑作に仕上がった過程から見ると、あくまでも楽章を通した叩き台の段階と考えられ、「完成版」と称するのは問題があるだろう。それでも「生との別れ」コラールの燦然と輝く変奏再現など感動的な部分は多い。



■マーラー:交響曲第9番

c0050810_4404244.gif  マーラーがこの曲の前に完成した「テノール、アルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」と称する大作『大地の歌』が、実際には9番目の交響曲であるのに、ベートーヴェンもブルックナーも第9を書いて死んだというジンクスを恐れて番号をつけなかったという、未亡人アルマによって紹介された「第9のジンクス」は、その三面記事的話題性もあって広く知られているが、近年これをアルマ独特の虚言として退ける意見もある。だが親友でマーラーの気質を良く知り、アルマの回想録に批判的だった指揮者ブルーノ・ワルターも、自らの回想録で、マーラーが9番という番号にこだわっていたことを紹介していることから、アルマの虚言とばかり決めつけるのは難しいのではないだろうか。近代的教養人であったマーラーがそのような迷信じみたことを気にするのも、分裂的と言われるその気質には反していないし(マーラー指揮者として著名なエリアフ・インバルは、東京都交響楽団の前任者ガリ・ベルティーニの同響最後の公演曲目がマーラーの9番であったことを非常に気にしていたという)、迷信じみたこだわりにいささかの羞恥があったので、妻にのみ語ったとも考えられる。ベートーヴェンの第9と同じ調性で同じ空虚5度で始まり、同じ楽章配置を取るブルックナーの9番が、ベートーヴェンを凌駕しようと図ったことは明らかだが、そのための10年に及ぶ苦闘と力尽きての死は、マーラーに強い印象を与えたはずである。
c0050810_4425070.gif  とは言え、マーラーが晩年に死の影に怯えながら第9を書いたという見方は当たらない。確かにマーラーの第9には、そのブルックナーのアダージョの主題や下行音形、自らの『大地の歌』の「告別」や、ベートーヴェンの「告別」ソナタの引用など、様々な別れのモチーフがちりばめられているが、マーラーは初期の歌曲から一貫して生からの別れ、死を重要なテーマのひとつとして取り上げており、『子供の死の歌』や第6交響曲など、そうしたテーマの代表作は、実生活で幸福な時期に書かれている。この曲の完成後のマーラーの死は、あくまでも感染症による急死であった。本作は、壮年期のマーラーが熟達した書法と野心的な技法を駆使して「生からの別れ」を描いた、気力に満ちた傑作である。

第1楽章 アンダンテ・コモド ニ長調
  拡大されたソナタ形式、二重変奏などさまざまな説があるが、今日に至るまで一致を見ないユニークなもので、ソナタ形式の枠組を破り、交響曲の新たなドラマツルギーの構築を目指した野心作である。

第2楽章 ハ長調
  一見素朴なレントラー楽章だが、三種類の舞曲がABCBCABAの順に現れる変則的な構成は、念入りな推敲の結果であることが草稿から判明している。

第3楽章 ロンド・ブルレスケ イ短調
  死の舞踏を思わせる諧謔的なスケルツォ風楽章。

第4楽章 アダージョ 変ニ長調
  チャイコフスキーの悲愴交響曲が先駆とされ、マーラー自身、交響曲第3番、『大地の歌』で既に試みていたアダージョ・フィナーレだが、前述のごとくブルックナーの第9が未完のために第3楽章アダージョで終わるのを、作品としては効果的と当時認められていたことは注目されるべきだろう。衰微し消え去ってゆく結末は、一途な信仰を持ち得なかった現代人マーラーの必然であり、それが今日においても深い共感を呼ぶ所以であろう。


c0050810_4435131.gif 于武陵 《勧酒》

 勧君金屈巵  コノサカヅキヲ受ケテクレ
 満酌不須辞  ドウゾナミナミツガシテオクレ
 花発多風雨  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 人生足別離  「サヨナラ」ダケガ人生ダ
                     (井伏鱒二訳)

















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by ooi_piano | 2015-11-17 00:28 | コンサート情報 | Comments(0)

c0050810_3223563.jpg2015年11月21日(土)14時半開演(14時開場) 青山音楽記念館バロック・ザール (阪急嵐山線「上桂」駅より徒歩5分)
¥3,500(全自由席)
【お問い合わせ】 青山音楽記念館 tel. 075-393-0011
◎チケットぴあ  ☎0570-02-9999 (Pコード 272-385)
※セブンイレブン、サークルKサンクスでも購入可

北村敏則/テノール、 森季子/メゾ・ソプラノ、 大井浩明/ピアノ

■G.マーラー:歌曲集《若き日の歌》(1880/89)より
  春の朝 - シュトラスブルクの砦の上 - 私は喜びに満ちて緑の森を歩いた - 悪い子を良い子にするには - それ行け! - 二度と会えない - ハンスとグレーテ - 夏に交代
  (休憩)
■G.マーラー:交響曲《大地の歌》(1908)[全6楽章](作曲者自身によるピアノ伴奏版) [国際マーラー協会(ウィーン)監修]
 I. 地上の苦を詠う酒宴歌(原詩:李白)
 II. 秋に寂しき女(原詩:張籍あるいは銭起)
 III. 磁器の園亭(原詩:不明)
 IV. 岸辺にて(原詩:李白)
 V. 春に酔える男(原詩:李白)
 VI. 告別(原詩:王維、孟浩然)


c0050810_324026.jpg北村敏則 (テノール) Toshinori KITAMURA
  京都市立芸術大学音楽学部卒業及び同大学院修了。音楽学部賞、大学院賞を受賞。ウィーン留学。第2回J.S.G.シューベルト国際歌曲コンクール第一位及び聴衆審査特別賞、第6回ボルツアーノ(北イタリア)歌曲コンクール第一位及びアダ・ヴェルバ賞、第一回青山音楽賞、京都市芸術新人賞を受賞。1994年姫路城世界文化遺産指定記念イヴェント、オペラ「おなつ・清十郎」の清十郎役に抜擢されオペラデビューを果たし以後、中国二期会、倉敷音楽祭、びわ湖市民オペラにいずれも客演として出演。関西二期会では2006年に「魔笛」でデビュー。続いて「愛の妙薬」「ナクソス島のアリアドネ」に出演。イギリス、イタリア、ドイツ、オーストリアでのオペラ公演の参加をはじめ、国内外でのリサイタル、ソリストとしてベートーヴェン「第九」、モーツァルト、ヴェルディなどの「レクイエム」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」などに出演、その中でも「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」のエヴァンゲリストとして高い評価を得ている。これまでに蔵田裕行、田原祥一郎、E・ヴェルバ、K・エクヴィルツの各氏に師事。現在、シューベルト協会同人、関西二期会正会員、京都市立芸術大学准教授。

c0050810_3261267.jpg森季子 (メゾ・ソプラノ) Tokiko MORI
  京都市立芸術大学大学院修了。修了時大学院賞受賞。京都芸術祭において毎日新聞社賞、京都市長賞、亀岡市長賞受賞。青山音楽賞新人賞受賞。ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科に留学。宗教曲等ではバッハ「ヨハネ受難曲」、モーツァルト「レクイエム」「戴冠ミサ」、ベートーヴェン「第九」、シューベルトミサ曲、マーラーの作品などのソリストを務める。オペラではモーツアルト「フィガロの結婚」ケルビーノ・バルバリーナ、「コシファントゥッテ」デスピーナ(カヴァーキャスト)、「魔笛」侍女Ⅱ・侍女Ⅲ、「皇帝ティートの慈悲」セスト、ワーグナー「タンホイザー」牧童、「ワルキューレ」ジークルーネ、「ラインの黄金」フリッカ、オッフェンバック「ホフマン物語」ニクラウス、「天国と地獄」世間、フンパーディング「ヘンゼルとグレーテル」ヘンゼル、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」サントゥッツァ、ラヴェル「子どもと魔法」子ども、コルンゴルト「死の都」ルシエンヌ等、多数出演。これまでに北村敏則、M.ウングリアヌ、W.モーア、加納悦子の各氏に師事。びわ湖ホール声楽アンサンブルソロ登録メンバー、IL DONGRIメンバー。



ピアノ版『大地の歌』から読み取れる演劇的要素───甲斐貴也

  マーラー『大地の歌』の第1曲、「大地の苦を詠う酒宴歌」は、李白の原詩に比較的忠実なハイルマン独訳に、ベトゲが題名変更の他かなりの翻案を加えている。

   a) 題名を「悲しみの歌」から「地上の苦を詠う酒宴歌」に変更。
   b) 杯を黄金にすることで、王侯級の華麗な宴席の情景にした。
   c) 悲嘆を吐露するリフレインを、生も死も暗いという箴言(しんげん)(戒めの言葉)にした。
   d) 「ただひとつ確実なものは、最後にニヤリと笑う墓」などシニカルな詩句を追加。

  こうして侘しい酒席で人生無常を嘆く詩は、富貴の人々の集う華麗な宴席で、多分に挑発的に無常を説く情景となった。ベトゲは何故このような翻案をしたのだろうか。その出典となりそうなものが、ベトゲが典拠のひとつとするサン=ドニ『唐代詩集』所収の李白小伝にある。そこには、李白が玄宗皇帝に詩才を認められて宮廷に招かれたが、その奇矯な振る舞いを皇帝の取り巻きの貴族たちに憎まれ、ついに追放された史実が記されているのである。つまりベトゲの翻案詩の情景は、玄宗皇帝の宮廷の宴席における李白の振る舞いを想定したという推測が成り立つ。『大地の歌』作曲当時、ウィーン宮廷歌劇場総監督辞任劇の渦中にあったマーラーが、この設定に興味を持たぬはずはあるまいが、実際マーラーが作曲した音楽は劇的で緊張度が高く、悲嘆よりも斜めに構えた諧謔的な傾向が強い。
  マーラーはベトゲの追加したシニカルな詩句を含む第3節後半をリフレインごと削除して有節形式を崩し、劇中歌的な第3節の独立性を明確にした。管弦楽版ではホルンのfffで轟然と提示される、猿の鳴き声を表す4度音程のライトモチーフ的動機は、ピアノ版では続くトリルによる半音下行 (第3、 4小節)の、宴席の喧騒・笑い声の動機のffに対してfであり、猿の声が遠景から響く遠近関係が明らかである〔譜例1〕。(漢詩における悲哀の象徴である猿声は、森の樹上に住むテナガザルのものであり、ニホンザルの騒音的鳴き声とは全く異なる)
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  喧騒を遮って乾杯を制止した李白は、人の死の運命を説き、「悲しみの歌」により哄笑を起こすと予告し、空海の「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」を思わせる箴言「闇なのだ、生も死も」 “Dunkel ist das Leben, ist die Tod!” を垂れる。第2節では玄宗皇帝(この家の主)の酒蔵を讃え、リュートの演奏を予告し、再び箴言を垂れると、それまで李白の口上を嘲笑うように頻出していたトリルは、御前での歌と演奏を静聴するかのように鎮まり、リュート弾き語りによる酒宴歌「悲しみの歌」が始まる。ここから、前2節では歌詞の“Lied” (第36、 37小節) の部分でだけ響いたトレモロが支配的となる〔譜例2〕。 
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  管弦楽版で目立たないトレモロの存在感が大きいのはピアノ版の特徴であり、動機としての重要性を示す。猿声動機の構成音A、 Eを含むことから、宴席の世俗的な喧騒を表すトリルと対照的な、森(自然界、異界)の響きであろう。トレモロと猿や鳥の鳴き声を背景にリュートの演奏が始まり(第210小節から)、後半は歌とリュートが交互に現れる弾き語りの情景となる。老子の「天長地久」を引用した、人生無常と物欲の空しさを説く歌が進むと、俗物たちの嘲笑のようにトリルが散発し始め、ついに歌を遮ってトリルがffで爆笑するように現れる(第325小節)。予告どおり、歌によって哄笑が引き起こされたのだ。だが間髪を入れず李白は猿の出現を告げる(第328小節)。森の樹上で鳴いていたはずの猿の一匹がいつの間にか墓場に現れ、月光を浴びて叫ぶ禍々しい姿。人間の死の運命を象徴する凶兆の出現に、人々は恐れおののき、これ以後トリルの笑い声は一切沈黙する。わが意を得た李白は猿声の4度下行(第353小節)と笑い声の半音下行(第358-359小節 = 第3-4小節)を歌う。今度は李白が人々を嘲笑する番なのだ〔譜例3〕。
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  地獄落ちの9度下行で人々が倒れ伏すと猿の姿が消えたのか音楽は静まる。一曲歌った李白は約束どおり乾杯を促す。人はその運命の杯を飲み干さなければならないのだから。3度目のリフレインはピアノ版ではまさかの長調で明るく歌われ、最後の“Tod!” で突如暗転し短調の和音を響かせる。続くコーダは、「急速に幕」のト書きがふさわしいような終結和音で閉じられる。
  この劇的な情景に続く第2曲「秋に寂しい女」は宮女の失意の歌だが、マーラーは管弦楽版で題を男性に変更した。中国では古来、ことにマーラーと同時代の清朝期においては、恋愛詩を君臣関係の比喩として解釈することが一般的であったが、マーラーの友人で『大地の歌』作曲のきっかけを作り、古代中国文化の情報を提供していたとみられる中国学者フリードリヒ・ヒルトFriedrich Hirth(1845~1927、米コロンビア大学中国学科主任教授)は、これを知っていたはずである。すると回想的エピソードの第3曲「磁器の園亭」と第4曲「岸辺にて」(管弦楽版ではそれぞれ「青春について」「美について」に変更され、対になる曲であることが明確化されている)を挟んだ第1, 2, 5, 6曲はすべて宮廷における君臣関係にまつわるものとなり(宮女の嘆きもまた純粋な恋愛ではなく君臣関係の一種ではある)、俗物貴族たちの讒言(ざんげん)を受け、皇帝の寵愛を失って宮廷を追われ、失意のうちに去ってゆく優れた芸術家の物語が浮かび上がってくる。
  これはもちろん、李白の伝記的エピソードを表現しようとしたのではなく、マーラー自身の宮廷歌劇場総監督辞任と、新天地アメリカへの渡航を象徴した隠喩であろう。マーラーの当時の心境には諸説があるが、この隠しストーリーからは、内心相当に悔しい思いがあり、それを作品に昇華したと見ることも出来るのである。
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by ooi_piano | 2015-11-05 11:52 | コンサート情報 | Comments(0)