7/2(日) シベリウス交響曲第6番・第7番・「タピオラ」(ピアノ独奏版)


by ooi_piano

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連続ピアノリサイタル in 芦屋 2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

c0050810_1753814.jpg山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000 3回通しパスポート¥7000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
後援/一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)



【第三回】2016年8月20日(土)午後6時開演 (午後5時半開場)
●中田粥(1980- ):ピアノとエレクトロニクスのための《Pieces of Apparatus I》(2016、委嘱新作初演)
●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):スケルツォ(1902)、4つのエチュード Op.7 (1908)、バレエ音楽「火の鳥」より3つの場面(1910)(G.アゴスティによる独奏版)、ペトルーシュカからの3楽章(1911/21)、ドイツ人の行進曲の思い出(1915)、3つの易しい小品(1915)(独奏版)、ムソルグスキー《ボリス・ゴドノフ》序幕より民衆の合唱「なぜ我らを見捨てられるのか、我らが父よ!」(1917)(ストラヴィンスキーによる独奏版、日本初演)、交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、日本初演)、11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版)、ピアノ・ラグ・ミュージック(1919)、管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーを悼んで(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、日本初演)、5本の指で(1921)、子供のワルツ(1922)、ピアノ・ソナタ(1924)、イ調のセレナード(1925)、タンゴ(1940)、仔象のためのサーカス・ポルカ(1943)




【第一回】2016年6月18日(土)午後6時開演 (午後5時半開場) 〔終了〕
●橋本晋哉(1971- ):ピアノ独奏のための《ゆたにたゆたに》(2016、委嘱新作初演)
●クロード・ドビュッシー(1862-1918):2つのアラベスク(1888/91)、スティリー風タランテラ(舞曲)(1890)、ベルガマスク組曲(1890/1901)、ピアノのために(1896)、版画(1903)、仮面(1904)、喜びの島(1904)、映像 第1集(1905)、同第2集(1907)、子供の領分(1906/08)、舞踊詩「遊戯」(1912/13)(作曲者による独奏版/日本初演)、12のエチュード集(1913/15)
 


【第二回】2016年7月16日(土)午後6時開演 (午後5時半開場) 〔終了〕
  [※] ・・・水本明莉(助演)
●小林純生(1982- ):ピアノ独奏のための《フーガ》(2016、委嘱新作初演)
●モーリス・ラヴェル(1875-1937):グロテスクなセレナード(1893)、古風なメヌエット(1895)、亡き王女のためのパヴァーヌ(1899)、水の戯れ(1901)、ソナチネ(1903/05)、鏡(1904/05)、夜のガスパール(1908)、ハイドンの名によるメヌエット(1909)、マ・メール・ロワ(1908/10)[※]、高雅で感傷的なワルツ(1911)、ダフニスとクロエ 第2組曲(1909/12)(L.ロックによる連弾版、日本初演)[※]、 …風に(1913)、クープランの墓(1914-17)、舞踏詩「ラ・ヴァルス」(1919/20)(作曲者による独奏版)



水本明莉 Akari MIZUMOTO (助演/7月公演)
c0050810_1754337.jpg  1993年生まれ。ピティナ・ピアノコンペティション全国決勝大会にてB級銀賞、E級金賞、F級ベスト賞、Jr.G級銀賞、G級銀賞受賞。第65回全日本学生音楽コンクール高校の部大阪大会第1位。第8回堺国際コンクール高校の部第1位。第21回宝塚ベガ音楽コンクールピアノ部門第3位。第15回いしかわミュージックアカデミーIMA音楽賞受賞。第13・14回浜松国際ピアノアカデミーに参加。第18回松方ホール音楽賞奨励賞受賞。第8回エトリンゲン青少年国際ピアノコンクール(ドイツ)特別賞受賞。第1回アジアピアノコンペティション第1位(マレーシア)。第5回メトロポリタン国際ピアノコンクール ドビュッシー賞受賞。リベイラン・プレート交響楽団(ブラジル)、ニューフィルハーモニック大阪、大阪チェンバーオーケストラと共演。2009年度ヤマハ音楽振興会音楽奨学支援奨学生。ピアノを永島香、クラウディオ・ソアレス、武田真理、服部久美子、チュンモ・カンの各氏に、作曲を大久保みどり氏に師事。現在、ニューヨークのジュリアード音楽院に在籍し、ジュリアン・マーティン氏に師事。



橋本晋哉 Shinya HASHIMOTO (委嘱作曲/6月公演)
c0050810_1755134.jpg  1971年生まれ。エリザベト音大博士課程を経てパリ国立高等音楽院修了。2002年アヴァン・セーヌ(フランス)第1位、日本現代音楽協会演奏コンクール第2位、2003年ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール特別賞、「東京現音計画」のメンバーとして第13回佐治敬三賞受賞。アンサンブル・イクトゥス、ミュージック・ファブリック、アンサンブル・アンテルコンタンポラン等での演奏、アゴラ音楽祭、レゾナンス音楽祭(IRCAM)への出演等。秋山和慶指揮東響とのB.シュテルンのテューバ協奏曲《生贄》日本初演、飯森範親指揮東響とのH.ラッヘンマンのテューバ協奏曲《ハルモニカ》日本初演、杉山洋一指揮都響とのM.スモルカのテューバ協奏曲《テューバのある静物画》日本初演など、テューバの超絶的ヴィルトゥオーソとして確固たる評価を得ている。16世紀フランス由来の古楽器「セルパン」を用いての古楽分野での活動も多い。作曲作品に、独唱のための《夜想曲》(2006)、フルート四重奏とセルパンのための《グリモワール》(2007)、バリトンとチューバのための《海峡》(2010)等。公式サイト: http://shinyahashimoto.net



小林純生 Sumio KOBAYASHI  (委嘱作曲/7月公演)
c0050810_1756664.jpg  1982年三重県菰野町生まれ。作曲を伊藤弘之と湯浅譲二に師事。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011)、 インターナショナル・ミュージック・トーナメント (2010)、 ICOMS国際作曲コンクール (2011)、 シンテルミア国際作曲コンクール (2012)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015)、サン・リバー賞(2015)、 ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)等に入賞・入選。ルーマニアのアイコン・アーツ現代音楽際 (2013) 、武生国際音楽祭 (2010、 2013、 2014)、韓国の統営市国際音楽祭 (2015) 、スロバキアのメロス・エトス国際現代音楽祭(2015)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、イデー・フィクス・アンサンブル、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、ネクスト・マッシュルーム・プロモーション等により作品が演奏されている。現在は英国カンタベリーに在住、ケント大学博士課程で韻律論の研究に従事。公式サイト: http://sumiokobayashi.com/



中田粥 Kayu NAKADA  (委嘱作曲/8月公演)
c0050810_1757639.jpg  1980年東京生まれ。2006年洗足学園音楽大学音楽学部作曲科卒業。作曲作品に、交響曲《チッポのなぞなぞ》、室内楽《チッポのなぞなぞの答え》、木管五重奏曲《太陽とりさん》、《クールなカメレオンは自転車を想像する》、ヴァイオリン・フルート・ドラム・ギターのための《クールなカメレオンは自転車を想像する Ⅱ》等。舞台音楽の作曲、ミュージカルのバックバンド、即興演奏活動などを経て2013年、サーキットベンディングの一種、電子楽器数台分の剥き出しにされた回路基板を用い、「バグシンセ」「bugsynthesizer」と名付けてリアルタイムに電子回路をショートさせる方法で演奏活動を開始。参加グループ:《《》》(metsu)、相ieトtナ(略)、zzzt、そばうどん。 公式サイト: http://www.kayunakada.com


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by ooi_piano | 2016-07-26 00:32 | コンサート情報 | Comments(0)
洛星交響楽団楽友会演奏会
https://www.rakusei.gr.jp/blog/4472/ 
2016月8日14(日)14時開演(13時開場)
京都コンサートホール大ホール (自由席)
一般 1500円/高校生以下 500円
指 揮:山本貴嗣 Takashi Yamamoto
ピアノ:大井浩明 Hiroaki Ooi

●ロッシーニ/ウィリアム・テル序曲
  〔指揮:西尾望 演奏:洛星交響楽団(現役中学・高校生演奏)〕
●ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
●プロコフィエフ/交響曲第5番 変ロ長調 作品100

【主催】 洛星交響楽団楽友会(洛星中学・高等学校オーケストラ部OB) https://www.facebook.com/rakuseioborchestra
【問い合わせ】 080-4238-2016(担当:吉川)  rakuseiobconcert2016[at]gmail.com

c0050810_11332264.jpg山本貴嗣 Takashi Yamamoto, conductor
  洛星30期生。大阪大学人間科学部卒。幼少よりピアノとソルフェージュを学ぶ。洛星交響楽団でコントラバスを演奏、大阪外国語大学管弦楽団で学生指揮をつとめた。1995年〜2001年 けいはんなフィルハーモニー管弦楽団音楽監督。この間、同楽団のすべての演奏会とバレエ公演を指 揮。ザ・シンフォ ニーホールでの特別公演ではベルリオーズ、ラヴェル、イベールの作品を取り上げ好評を博した。2003年より長岡京市 民管弦楽団アドヴァイザリー・コンダクターとして、現在に至るまで数多くの演奏会を指揮してきており、長岡京音楽祭 「国民文化祭記念コンサート」にも2012年、2015年の二度に亘って登場した。一方、バレエ指揮ではプロのダンサーや演出家からの信頼が厚い。近年では「淡路島舞台芸術祭」でチャイコフスキー「白鳥の湖」全幕、兵庫県芸術文化センターでプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」全幕の各公演を成功させた。合奏トレーナーとしても数々の楽団で活動しており、前回(2013年)の洛星交響楽団楽友会演奏会でもトレーナーを務めた。


c0050810_1134214.jpg西尾望 Nozomi Nishio, conductor
  相愛大学音楽学部卒業。森純子、斉藤建寛の諸氏に師事。卒業後、フリーのチェロ奏者としてオーケストラや室内楽等で活動を展開する傍ら、相愛大学オーケストラ指導教員、大阪芸術大学オーケストラ奏者を兼務する。2000年4月より洛星中学・高等学校に赴任、部創立者・小笠原義明氏の後任として洛星交響楽団常任指揮者となり、的確かつ情熱的な指導で高い評価を得ている。毎年4月に開催されるチャリティーコンサートでは、ショスタコーヴィチ:交響曲第5番《革命》、リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェヘラザード》、チャイコフスキー:交響曲第4番、シューベルト:交響曲第8番《グレート》等の大曲・難曲にも取り組んでいる。学外での活動としては、NPO法人オペラプラザ京都第9回公演においてモーツァルト:オペラ「魔笛」全二幕を指揮、一昨年8月京都コンサートホールにて行われたエルサレム・ユース・コーラス招聘コンサート、ならびに今年5月のロームシアター京都メインホール(旧京都会館第1ホール)での京都男声合唱団定期公演では、京都フィロムジカ管弦楽団と洛星交響楽団他の合同オーケストラも指揮し、絶賛を博した。
 〈ココロコミュ〉サイトでのロングインタビュー:http://www.cocorocom.com/labo/interview/nishio.php



c0050810_11355178.jpg洛星交響楽団楽友会
  洛星交響楽団楽友会は、洛星中学・高等学校オーケストラ部のOB会であり、3年に一度、会員であるオーケストラ部OBを中心にその家族や活動の趣旨に賛同するメンバーを集めて演奏会を開催している。今回は現役オーケストラ部の部員も数名参加しての演奏となる。
  1957年に洛星中学・高等学校オーケストラ部が小笠原義明先生を中心に有志で創設されて59年、OBには、佐々木真氏(3期生 元・東京交響楽団首席フルート奏者、日本フルート協会会長、日本演奏連盟理事)、 寺本義明氏(26期生 東京都交響楽団首席フルート奏者)、大井浩明氏(30期生 ピアニスト)、中田延亮氏(36期生 指揮者)など、数多くの演奏家を輩出している。
  演奏家のほかにも、故安井敏雄氏(5期生 元相愛大学音楽学部音楽マネジメント学科長)、中川真氏(大阪市立大学文学研究科教授、国際センター所長(音楽学))、岡田暁生氏(21期生 京都大学人文科学研究所教授(音楽学))、山田治生氏(25期生 音楽評論家)、故吉村渓氏(25期生 音楽評論家)、荒木源氏(26期生 小説家)(映画「オケ老人!」原作者)など、音楽の世界で活躍しているOBも数多い。
  1997年に 最初の演奏会を開催して以来、今回は7回目の演奏会となる。当初は、学校や同窓会の記念行事に合わせて不定期に演奏会を開催していたが、近年では概ね3年に一度の頻度で定期的に演奏会を開催しており、「第九」(2002年)、「巨人」(2010年)、「英雄の生涯」(2013年)など大曲にも取り組んでいる。
 

c0050810_11365255.jpgコンサートホールのアクセス
■電車でお越しの場合
  京都市営地下鉄烏丸線北山駅下車1番または3番出口 南へ徒歩5分
■車でお越しの場合
  北大路通から下鴨中通(府立大学前交差点)を北上、もしくは北山通りから下鴨中通(北山駅前交差点)を南下
  駐車場利用可:8:00~23:00、約100 台収容可能、30 分ごとに250 円、車高制限2.1m
■バスでお越しの場合 
  京都市バス、4系統もしくは北8系統で北山駅前バス停下車 南へ徒歩5分
  京都バス 京都コンサートホール前バス停下車
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by ooi_piano | 2016-07-10 10:34 | コンサート情報 | Comments(0)
連続ピアノリサイタル in 芦屋 2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301 http://www.y-salon.com/
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura[at]y-salon.com
後援/一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)


【第二回】2016年7月16日(土)午後6時開演 (午後5時半開場)
  [※] ・・・水本明莉(助演)

c0050810_16332988.jpg●モーリス・ラヴェル(1875-1937):グロテスクなセレナード(1893) 3分
:古風なメヌエット(1895) 6分
:亡き王女のためのパヴァーヌ(1899) 6分
:水の戯れ(1901) 5分
:ソナチネ(1903/05) 11分
  I. 中庸に - II.メヌエット - III.生き生きと
:鏡(1904/05) 28分
  I.夜蛾 - II.悲しい鳥たち - III.海原の小舟 - IV.道化師の朝の歌 - V.鐘の谷
●小林純生(1982- ):《フーガ ~モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、委嘱新作初演) 7分

 (休憩10分)

●モーリス・ラヴェル:夜のガスパール - アロイジュス・ベルトランによるピアノのための三つの詩(1908) 23分
  I.水の精 - II.絞首台 - III.スカルボ
:ハイドンの名によるメヌエット(1909) 2分
:マ・メール・ロワ(鵞鳥婆) - 子供のための5つの小品(1908/10) [※] 18分
  I.眠りの森の美女のパヴァーヌ - II.親指小僧 - III.レドロネット、陶器人形の女王 - IV.美女と野獣の対話 - V.妖精の園
:高雅で感傷的なワルツ(1911) 15分
  I.中庸に - II.かなり緩やかに - III.中庸に - IV.生き生きと - V.ほとんど緩やかに - VI.活発に - VII.やや落ち着いて - VIII.終曲

 (休憩10分)

:ダフニスとクロエ 第2組曲(1909/12)(レオン・ロック(1839-1923)による連弾版、日本初演) [※] 15分
  夜明け - 無言劇 - 全員の踊り
:初見課題用前奏曲(1913) 1分
:ボロディン風に(ワルツ)(1913) 2分
:シャブリエ風に(グノー《ファウスト》第3幕「花の歌」によるパラフレーズ)(1913) 2分
:クープランの墓(1914/17) 25分
  I.前奏曲 - II.フーガ - III.フォルラーヌ - IV.リゴードン - V.メヌエット - VI.トッカータ
:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(1919/20) 13分


使用エディション: ロジャー・ニコルス校訂による原典版(Edition Peters, 1991/2008)



小林純生 Sumio KOBAYASHI, composer
c0050810_9184831.jpg  1982年三重県菰野町生まれ。作曲を伊藤弘之と湯浅譲二に師事。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011)、 インターナショナル・ミュージック・トーナメント (2010)、 ICOMS国際作曲コンクール (2011)、 シンテルミア国際作曲コンクール (2012)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015)、サン・リバー賞(2015)、 ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)等に入賞・入選。ルーマニアのアイコン・アーツ現代音楽際 (2013) 、武生国際音楽祭 (2010、 2013、 2014)、韓国の統営市国際音楽祭 (2015) 、スロバキアのメロス・エトス国際現代音楽祭(2015)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、イデー・フィクス・アンサンブル、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、ネクスト・マッシュルーム・プロモーション等により作品が演奏されている。現在は英国カンタベリーに在住、ケント大学博士課程で韻律論の研究に従事。公式サイト: http://sumiokobayashi.com/

〈主要作品〉
 《駆ける緑、うねる青》 (2009) [ピアノ五重奏]
 《アメジストの木の上で》 (2010) [fl, ob, cl, vn, vc, pf]
 《草とサファイアの平原》 (2011) [管弦楽]
 《雪のなかのヒバリ》 (2012) [フルートと弦楽合奏]
 《馥郁たる月の銀色のノート》 (2013、武生国際音楽祭委嘱) [fl, vn, va, vc, hp]
 《森から聞こえるのは…》 (2014、武生国際音楽祭委嘱) [リコーダー独奏]
 《水が咲いて》 (2014) [fl, cl, vn, va, vc, pf]
 《水面下の雪》 (2015、アジアン・コンポーザーズ・ショーケース委嘱) [cl, vn, va, vc, cb, pf]
 《レクイエムズ》 (2015) [マリンバと管弦楽]


小林純生:《フーガ ~モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、委嘱初演)
  この曲はラヴェルのフーガ、特にその構造を模して作曲されている。極めて幾何学的なその構造は楽曲の基盤として作品のバランスを整える。安定した土台の上に、ラヴェルのフーガは均整のとれた形で構築されているが、この曲では曖昧にぼかされた線が曲を形作る。音の交差や声部数の多さ、リズムの不安定さ、ヘテロフォニックな書法が線を、そして作品自体を霞ませる。
  フーガの体を成している限り、特に鍵盤楽器のソロ曲の場合、複雑すぎるフーガはおそらくただ無秩序な音の連続に聞こえるだろう。この曲のなかではその不安定な音の集合に秩序を与えるものとして、安定した形式に加えて、ラヴェル的な和声が重要な役割を果たしている。調性という規則によって、雲散しそうな線に形が与えられるが、この和声法は楽曲を締め付け過ぎはしない。
  上記の配慮があってもバランス次第で楽曲は極めて難解なものにも簡明なものにもなりうるが、理解と不理解のはざまで、平衡がとられている。(小林純生)


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Aloysius Bertrand (1807-1841): "Gaspard de la nuit" -- Fantaisies à la manière de Rembrandt et de Callot (1836)



夜のガスパアル     (ベルトラン・詩)


I オンヂイヌ
  ・・・朧朧(おぼおぼ)しき調べ吾が仮寝(うたたね)を惑はし、
  哀しく嫋(なよよ)かに途絶へし歌聲(うたごへ)と聞き紛ふ囁(さゝめ)き、
  吾が枕邊に飄(たゞよ)ひたる心地こそせしか。
                   シアルル・ブリユノー ― 二人精(みたま)

―いで―  ―聽かれてよ―
其(そ)は妾(わ)ぞ、 オンヂイヌぞ、
欝(いぶ)せき月影映す汝(なれ)が窓をしも
玉の水滴(しづく)もて音(ね)を鳴かしむるは。

瞻(み)よ、館宇(しろ)の御令室(おんかた)は波文様(なみあや)の裳裾曳き
星辰(ほしぼし)抱く麗はしの夜と
熟睡(うまゐ)する瀛湖(うみ)をぞ凝眸(まも)りおはしたる。

波てふ波は 流(せ)に游(およ)ぐオンヂイヌぞ、
流てふ流は 妾が幽宮(おくつき)へ迂(くね)り導(ゆ)く小径(みち)、
妾が幽宮こそは 火と土(ち)と氣(け)のなす三角(みすみ)なれ
水底(みなそこ)揺蕩(たゆた)ふ陽炎の如(ごと)。

―いで―  ―聽かれてよ―
妾が御父(おんちゝ)は瑞枝(みづえ)もて擲(う)ち 飛沫(しぶき)揚げ給ふ。
妾が姉妹(はらから)は 若草萌え睡蓮(はちす)咲き 唐菖蒲(とうせうぶ)寓(やど)る島嶼(しまじま)を
泡沫(うたかた)の臀(かひな)もて愛撫(め)で 漁(いざ)り釣る髭長の絲柳をぞ戯(あざ)けたる。

妓(をんな)は囁(さゝめ)き歌ひつ。妓は指環を褒寶(かづけ)にて乞ふ、
吾が夫(せ)となりて
彼(か)の幽宮にて瀛湖の王(あるじ)たらんことを。

然(さ)るを吾が現身(うつそみ)の女(をんな)を愛するを聞きて
魍魎(あやかし)の妓  ―あな憂(う)たて―  と、
暫時(つと) 涕(なんだ)垂れ
・・・忽焉(たちまち) 哄(わら)ひさざめき
蒼冴(あをざ)めし吾が窓邊に雨と流れて消えにけり。



II 絞縊架(くびつりだい)
  彼(か)の絞縊架が邊(あた)りを蠕(うごめ)けるを何とぞ見る (フアウスト)

そも 何の音ぞも。
終夜(よただ) 咆吼(ほ)ゆる凩(こがらし)か、
将(は)た 吊られたる者の洩らす愁息(ためいき)か。

樹(たちき)の憫(あは)れを頼みて纏はりたる 石女(うまずめ)の蔦蘿(つたかづら)と
苔の中(うち)なる蟋蟀(こおろぎ)の挽歌(うたごえ)か。

聾(しひ)たる耳の邊(へ)を
勝鬨擧げ 獲物(さち)漁り飛ぶ羽蟲が角聲(つのぶえ)か。

あくがれ翔びて 禿頭(かむろ)より
血に塗(まみ)れし髪(くし)抜く甲蟲か。

将たは二尺なる毛氈(かも)を刺繍(かが)り
縊(くく)られたる首に飾らんとする土蜘蛛か。

其(そ)は 地の涯の都城(みやこ)の塁壁(ついぢ)より來たる
梵鐘(かね)の音なり。
夕さりて殷紅(あか)みゆく縊れたる者の骸(なきがら)。



III スカルボ
  牀(とこ)の下、爐(ひをけ)の中(うち)、厨子の中にも、見えざりき―誰(たれ)も。
  何處(いづこ)より入りて、何處よりか出(い)でたりつる。  (ホフマン―夜話)

嗟呼(あゝ)、吾(われ) 幾度(いくたび)か邂逅(まみ)えし、スカルボと。
月影鮮(さや)かなる 彼(か)の夜半(よは)ぞ、
黄金(こがね)の群蜂(むらばち)鏤(ちりば)めし碧(あを)き旛(はたもの)の上なる
白銀(しろがね)の貨(ぜに)の如(ごと)。

吾 幾度か聞きし、
吾が冥(をぐら)き閨房(ねや)に戰(そよ)ぎわたる 彼(か)の嗤(わら)ひを
吾が羅(きぬ)の几帳(とばり)を引き掻く 彼の爪を。

吾 幾度か見し、
彼の者 牀下(ゆか)に降り立ち片脚(かたし)にて
仙女(まこ)の紡錘(をだまき)さながら
吾が寝齋(むろ)に旋廻(くるめ)き渡るを。

彼(か)の時 吾 彼の者消ゆと思ひたりしか。
彼の侏儒(こびと) 月影浴び吾が眼前(まへ)に
巨(おほ)きに成り成りて
伽藍(みてら)の鐘楼(たかどの)と見ゆ、
其の尖帽(かうぶり)に黄金の鈴揺れて。

須臾(やがて) その體(からだ) かの貌(かほばせ) 倶(とも)に蒼冴め
燭(そく)の涙と透けゆき 色喪(う)せゆき、

然(さ)りて 彼の者 突如(うちつけ)に 見えずなりたりけり。

                   (安田 毅 ・ 譯)


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by ooi_piano | 2016-07-04 18:19 | Comments(0)
ディアギレフと三人の作曲家たち
<ラヴェルをめぐって> 神の道化スカルボ讃 ―――山村雅治


Oh ! que de fois je l'ai entendu et vu, Scarbo, lorsqu’à minuit la lune brille dans le ciel comme un écu d’argent sur une bannière d’azur semée d’abeilles d’or !
 嗟呼、吾 幾度か邂逅えし、スカルボと。月影鮮かなる 彼の夜半ぞ、黄金の群蜂鏤めし碧き旛の上なる白銀の貨の如。 (ベルトラン 『夜のガスパール』から〈スカルボ〉 安田毅・訳)


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c0050810_16534981.gif  バレエ・リュスの総帥、セルゲイ・ディアギレフ(Sergei Diaghilev 1872-1929)は彼の芸術活動をバレエ公演から始めたわけではなかった。芸術に広範な興味を抱き、音楽を学ぶ法学生だった1897年2月、ペテルブルグのシュティーグリッツ美術館で「イギリス・ドイツ水彩画展」を開催したのが最初に手がけた催しだった。ロシア以外の美術を紹介した展覧会としては、史上もっとも重要なものだった。その後、彼は美術を展示するために奔走するが、すでに18歳のペテルブルグ大学入学後に、のちにバレエ・リュスの美術を担当することになるレオン・バクスト、アレクサンドル・ブノワらと親しくなっていた。
  翌1898年、雑誌『芸術世界』を発行。彼は理念を述べる。「この雑誌はわが国の芸術界に、そして国民の間に、革命をもたらすでしょう」。「芸術に対するわれわれの姿勢のすべては、独立と自由という前提の上に立っている」。「われわれの出発点は、唯一自由な存在である人間そのものなのである」。
  そして民族主義高揚運動については、「民族主義的芸術家になりたいという願望ほど破壊的なものが他にあろうか。唯一可能な民族主義とは血の中にある無意識的民族主義であり」、「われわれは神々のように自由でなければならない」、「われわれは美の中に調和の偉大な正当性を、個人の中にその最も高尚な具現を探し求めなくてはならない」。
  その後、28歳の1900年、ディアギレフは「帝室劇場運営特任要員」に任命され「帝室劇場年鑑」の編集に携わる。そして浮沈の激しい2年間が過ぎ、1902年12月20日、ペテルブルグで開かれた「現代音楽の夕べ」第1回が開催された。若いピアニストとしてストラヴィンスキーが出演し、この音楽会の活動を通じて当時のロシアにドビュッシー、ラヴェル、シュトラウス、マーラー、シェーンベルクらの音楽が紹介されたのだ。

c0050810_16544298.jpg  ディアギレフは止まらない。1905年1月22日、ペテルブルグで「血の日曜日」事件が起こった翌年、1906年10月、34歳の彼はパリのサロン・ドートンヌでロシア美術展を開催。さらに1907年5月にはパリ・オペラ座で5回のロシア音楽演奏会を開催し、シャリアピンを出演させた。そして1908年5月19日、国際的なバス歌手だったシャリアピンを主役に迎えたムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」を、パリ・オペラ座で公演。この年の秋、ディアギレフはニジンスキー(Vaslav Nijinsky 1890-1950)と親しくなった。
  バレエ・リュスの旗揚げは1909年。収支はともかく公演は大成功だった。ディアギレフのプロデュース、フォーキンの振付、踊り手のニジンスキー、美術のブノワ、バクストらの「あらゆる細部に注ぎ込んだ愛情と真摯さと献身的努力」が讃えられた。終わるやいなや、デァギレフは次のシーズンの準備に取りかかる。彼は決断をした。第一に、毎年かならず新作を複数上演する。第二は、ロシア人以外の、おもにフランス人の画家や音楽家の才能を採り入れること。
  ディアギレフは、音楽家では、48歳のドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862 -1918)。そして34歳だったラヴェル(Joseph-Maurice Ravel 1875-1937)に近づいた。そのとき依頼したバレエ音楽はドビュッシーには『マスクとベルガマスク』と呼ばれるもの、ラヴェルには『ダフニスとクロエ』であり、ドビュッシーはその曲をついに完成させることがなかった。ラヴェルの方も完成させるまでには時間がかかった。
  1910年のめざましい初演作品は、ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovich Stravinsky 1882 -1971)の「火の鳥」だけに終った。カルサヴィナとフォーキンが踊り、ニジンスキーは「シェエラザード」「ジゼル」「謝肉祭」「オリエンタル」など他のすべての演目に出演。「牧神の午後への前奏曲」の振付に取りかかり始めた。 1911年のシーズンの初演作は、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」。ニジンスキーはこの年、初めて主演を踊った。短篇「薔薇の精」と併せて。


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c0050810_16553677.jpg  ラヴェルの「ダフニスとクロエ」は、翌1912年6月8日になってようやく上演されることになる。
  劇場はパリ・シャトレ座。指揮はピエール・モントゥー。
  ロシア・バレエ団(バレエ・リュス)。フォーキン(振付)、レオン・バクスト(美術・衣装)。ヴァーツラフ・ニジンスキー(ダフニス)、タマーラ・カルサヴィナ(クロエ)ほか。

  しかし、この年の最大の話題の中心はニジンスキーが振付けて主演したドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』だった。わずか10分ほどのこの作品を完成させるためには大変な回数の稽古が必要だったために、フォーキンが振り付けた50分ほどの大作の完成が遅れに遅れたのだ。初演の後、フォーキンはディアギレフを「私のバレエには無関心だ」と批判する。ニジンスキーは「僕かフォーキンか、どちらかが出て行かなくてはならないだろう」と洩らした。フォーキンが辞任した。

  『ダフニスとクロエ』は、にもかかわらず、ラヴェルが残した音楽のなかで最も親しまれている作品の一つになった。原作は2世紀末から3世紀初頭にかけてロンゴスが古代ギリシア語で書いた作品。少年・少女の恋物語が、恋敵とのいさかい、海賊の襲撃、ポリス間の戦さなどの逸話をからめて、詩情豊かに描かれている。フォーキンは1904年からこの作品をバレエにすることを考えていた。1909年6月にはラヴェルと台本についての打ち合せが始められた。ラヴェルは遅筆だった。その間、ロシア語とギリシャ語両方に詳しい友人に訊ねている。「またガニュメデスの同胞にかんする問題なのだが、僕はパン(牧神)の笛の名前を忘れてしまった」と。おもしろいのはダフニスを、美少年ゆえに神に誘拐されたガニュメデスの仲間にしていることだ。ガニュメデスは「同性愛者」と同義であり、主役を踊るニジンスキーとディアギレフの性的関係はよく知られていた。
  さらに原作をフランス語訳で読んだラヴェルは、バレエには登場しない怪異なサテュロスにダフニスが結婚を申し込まれるという、いかにも同性愛そのものの挿話があったことを知った。サテュロスは、ギリシャ神話に登場する半人半獣の自然の精霊。ローマ神話にも現れ、ローマの森の精霊ファウヌスやギリシャの牧羊神パンとしばしば同一視された。「自然の豊穣の化身、欲情の塊」として表わされる。その名前の由来を男根に求める説がある。

c0050810_16564537.jpg  レスボス島。一群の羊飼いたち。ダフニスとドルコンはクロエの接吻を争うダンスを踊る。勝ったダフニスは報酬を受け、喜びに失神する。すると海賊が島を襲い、クロエはさらわれる。ダフニスは打ちひしがれるがニンフ像が祭壇からおりてきて、巨大な岩へみちびく。岩は牧神に姿を変える。ダフニスは牧神にひれ伏す。クロエをさらった海賊たちは彼女を踊らせる。とつぜん牧神があらわれ、畏れた海賊たちは逃げさる。最終の場面では、ダフニスとクロエが牧神とシランクスの愛を讃えて踊り、高揚した「全員の踊り」に締めくくられる。

  バレエ作品としての《ダフニスとクロエ》初演は、延期になったために2回しかおこなわれず、一般の評判こそ《牧神》に奪われたが、ストラヴィンスキーは「フランス音楽で最もすてきな作品の一つ」と評した。踊り手で評価を得たのは置いた羊飼い役のエンリコ・チェケッティのみ。稽古の回数もままならなかったフォーキンは初演前にディアギレフを糾弾していた。「私は彼とニジンスキーの関係をはっきりと申し上げよう。このバレエ団は、洗練された芸術から倒錯したセックスに変質してしまったのだ」と。稽古の段階から振付師フォーキンとの確執があったニジンスキーは、ダフニスに「牧神」をからかう振付をされるなどの嫌がらせを受けていた。以後、ニジンスキーはダフニスを踊ることはなかった。

  この舞台上のバレエ団はフォーキン派とディアギレフ=ニジンスキー派に分裂するおそれがあった。誰もがヒステリックになっていた。ピエール・モントゥーの指揮は、しかし冷静であり、オーケストラの楽員の誰もがラヴェルのもっとも偉大な作品だと理解していたという。ラヴェルは感情をあらわにしない。ただうっとりとしているようにしか見えなかった。「ラヴェルはニジンスキーの舞踏と、ドビュッシーの《牧神の午後》のスコアを賞賛し、ディアギレフがこの公演に好意的であることにも嫉妬しようとしなかった。彼は常々、もしも死ぬときが来たらドビュッシーの音楽を聴きたいと言っていた」。
  ラヴェルはニジンスキーの「牧神」の踊りを理解していたのだ。


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c0050810_16574248.jpg  『ダフニスとクロエ』について「ラヴェルを終生夢中にさせたパン神的(パニック)なテーマを立脚点としたバレエ」であると、ベンジャミン・イヴリーは指摘する。<パン神>は<牧神>と同義であり、牧羊神、半獣神とも訳されている。パンは羊飼いと羊の群れを監視する神で、サテュロスと同じく四足獣のような臀部と脚部、山羊のような角をもつ。
  イヴリーは「牧神(パン)という概念は、ラヴェルの作品において、若書きの《古風なメヌエット》から《ダフニスとクロエ》を経て、以後も継承されていく」と書いた。「芸術における古代ギリシアのイメージは、デカダンスの世代にとって、性の自由を含む理想郷(アルカディア)伝説の復活を意味していた。理想郷では、牧神が音楽を通じて激烈な性衝動を表現した。古代ギリシアでは男性の同性愛行為を意味するのに『牧神を讃える』という表現を使い、牧神的(パニック)な愛は、恐慌的(パニック)な恐怖と同様、激烈で、急激で、予期しがたかった」。「神話的伝承が深く浸透したラヴェルの作品は、しばしば牧神的(パニック)な理想が具象化されている」。

  「牧神的」(パニック)な音楽の始まりだった『古風なメヌエット』1895は、ラヴェルの作品目録では『愛に死せる女王のバラード』(ピアノ独奏曲)、『グロテスクなセレナード』(ピアノ独奏曲。その名の通りグロテスクで、悲劇と喜劇が混ざり合った、恋人の役を不器用にこなす人物が描かれるという。ラヴェルの自画像か。シャブリエの影響があると作曲者は言っている)、『暗く果てない眠り』(ヴェルレーヌ詩によるバスのための歌曲)に次いで4番目に挙げられるが、記念すべき初めての出版作品だった。典雅に見えて、内部にはエロスが踊っている。牧神の舞踏の地面に打ちつけるリズム。

c0050810_16583871.jpg  そして『鏡』1904/5は《蛾》《悲しげな鳥たち》《海原の小舟》《道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)」、そして《鐘の谷》の5曲からなる。
  牧神が踊るのは第4曲《道化師の朝の歌》だ。この訳語についての異論を読んだことがある。「道化師」ではなくて「放蕩者」と訳すべきだと。夜を徹して遊びはてたあげくの放蕩者の朝帰りの歌なのだ、と。その異論は現在に至るまで一般には浸透しなかった。道化師って?アルレッキーノのこと? じつは高校生の頃、そんな疑問を抱いていた。アルルカン、ピエロがその服装のまま、朝の街を歩くの? なるほど「放蕩者」かあ、と一人住まいを始めた大学生になって新宿で夜遊びし、夜明かしして朝帰りしてからひとりごちた。
  しかし、異論はやはり異論だった。Graciosoはスペインの17世紀の芝居のキャラクターで「道化師」に他ならなかった。「彼は糞尿愛好的、好色的、反女性的」「で、粗雑にして反英雄的な風刺をおこなうのによく利用される」。「彼はたいてい召使いで」「あらゆる猥褻行為を許されたおどけ者たる道化師は、」「多くの場合において自らを半陰半陽者、同性愛者、去勢男子などと宣言し、エロティシズムを茶番化する」。
  《道化師の朝の歌》の中で、「ラヴェルは自らを道化師とも、また恋愛物語(ロマンス)の反英雄とも見立て、さらには、鏡に映る逆像の異性愛を眺める外部の傍観者として描いたのだった」。(前掲書)。

  道化。この言葉はニジンスキーも書いた。
  ニジンスキーは「私は神の道化だから、冗談が好きだ」と文字に刻みつけた。(『ニジンスキーの手記』鈴木晶訳 新書館)。「私は言いたい、愛のあるところが道化の本来の場所だ。愛のない道化は神ではない。神は道化である。私は神である」。

c0050810_16592927.jpg  ニジンスキーはいつも「人間ではない」役を踊って喝采を博してきた。バレエ・リュス初期の『アルミードの館』、『クレオパトラ』『シェエラザード』での奴隷は、人間以下の存在として。このころディアギレフの友人ヌーヴェリは『シェエラザード』でもニジンスキーは奴隷を踊ることになったことについて、「彼はいつも奴隷じゃないか。ねえ、セリョージャ、そろそろ解放してやったらどうだい」と皮肉を飛ばしている。『薔薇の精』では妖精。この作品では両性具有性がきわだつ。『青神』では神。『牧神の午後への前奏曲』では牧神。振付は革命だった。そして、次に主役を踊るだろう『ペトルーシュカ』は人形なのだ。もっといえば、魔術師である人形一座の座長の奴隷。ニジンスキーは、舞台を離れてもディアギレフの奴隷であるといえた。だから舞台では実人生をこえて、さらに人間を離れた凄まじい存在になった。
  フォーキンは言う。ニジンスキーには「男っぽさが欠けていて」「その特徴ゆえに黒人の奴隷の役にはぴったりだった。原始的な野蛮人みたいだった」。「半分人間で、半分は猫科の獣になったかのように、音を立てずに大きく跳躍したかと思うと、今度は種馬に」なった。
  ブノワは言う。「半分は猫で半分は蛇だ。悪魔のようにすばしこく、女性的だが、背筋が寒くなるような恐ろしさを秘めている」。
  ヴォドワイエは言う。「彼はぎらぎら光り、のたくっていた。爬虫類のように」。
  ブロニスラヴァ・ニジンスカは言う。「最初は蛇、次いで豹になった」。(『ニジンスキー 神の道化』鈴木晶 新書館)。


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c0050810_1702177.jpg  ラヴェルもまた「人間以外」の存在を書かせれば、そこにラヴェル自身が現われた。完成させるまでに時間はかかったが、最高に楽しく仕上がったのはオペラ『子供と魔法』1924だろう。ファンタジー・リリックと作曲家が名付けたオペラとバレエを融合させた、彼の独創が輝くおとぎ話だ。主役は子供。ほかに母親、王女、羊飼いの娘、お姫様、数を数える小さな老人、羊飼いの男が出てくる、あとは雌猫、安楽椅子、火、ナイチンゲール、こうもり、ふくろう、、うぐいす、雨蛙、中国の茶器、カップ、とんぼ、ソファー、大時計、雄猫、木などが声を出して歌うのだ。
  ピアノ連弾で聴ける曲にもある。管弦楽曲に編曲された『マ・メール・ロワ』1908/9だ。英語で歌われてきた伝承童謡「マザー・グース」(がちょう婆さん)の仏語訳。《眠れる森の美女のパヴァーヌ》、《親指小僧》、《パゴダの女王レドロネット》、《美女と野獣の対話》、《妖精の園》の5曲からなる。原作はシャルル・ペロー、ドロノワ夫人とルプランス・ド・ボーモン夫人。
  おとぎ話には、しばしば生々しい大人の感情がこめられている。人間以外の場所にしか生きられない悲しさを、たとえばハンス・クリスティアン・アンデルセンは童話の姿で表現した。「かたわもの」や「みにくいあひるの子」がそうだが、《おやゆび小僧》《美女と野獣の対話》のラヴェルも同じことをしている。とても小さな体に生まれついたおやゆび小僧は、親に捨てられて森の中で迷ってしまう。心のやさしさを知り、野獣の醜さを受け入れる姫だが、それだけでは足りない。なによりも性的な魅力は欠けたままだ。ここに肉体に魔術がかかり、グリッサンドが野獣から美貌の王子への変身が遂げられる。
  『マ・メール・ロワ』は、のちに管弦楽に編曲され、新たに書き加えられた部分とともにバレエ音楽として上演された。テアトル・デザール(芸術劇場)の支配人、ジャック・ルーシェ(Jacques Rouché)からの依頼により、1911年から翌1912年初頭にかけて編曲。初演は1912年1月28日、ラヴェル自身の台本、ジャンヌ・ユガール夫人の振付、ガブリエル・グロヴレーズの指揮による。
  1916年になってから、9月にディアギレフは『マ・メール・ロワ』を舞台にかける意欲を示した。しかしラヴェルの楽譜を専属で出版するデュランが反対した。ロシアバレエ団、「彼らに攻撃された作品は異常に輝きますが、その輝きは放火の輝きです」。「このささやかな幻想は、アジア的豪奢のなかで燃えさかるというよりも、むしろより尊敬される、息の長い、もっと地味な運命をたどるべきなのです」。
 
c0050810_1711976.jpg  1914年に着手し、1917年に完成した『クープランの墓』は、ピアノ独奏曲としての最後の大作になった。《プレリュード》《フーガ》《フォルラーヌ》《リゴードン》《メヌエット》《トッカータ》の6曲からなる。1919年に4つの曲が管弦楽に編曲され1920年初演。同年にバレエ・スエドワ(スウェーデン・バレエ団)によって「フォルラーヌ」、「メヌエット」、「リゴードン」の3曲がバレエ化され、11月8日にシャンゼリゼ劇場で初演された(指揮:デジレ=エミール・アンゲルブレシュト)。バレエ版は好評であり、1923年にはラヴェルが100回目の公演を指揮した。

  ディアギレフは1913年の夏、『春の祭典』初演後の頃にはニジンスキーとの関係を終えていた。8月15日、バレエ・リュス一座はブエノス・アイレスに向けて出発した。ディアギレフ不在の旅先で、ニジンスキーはロモラ・ド・プルスキーと結婚した。激怒したディアギレフはニジンスキーを解雇した。ニジンスキーは自分の一座を立ち上げなければならなくなった。かつての仲間は除名を恐れてその一座に加わらない。しかし、ラヴェルは救いの手を差しのべた。1914年3月のロンドン公演のためにシューマン『謝肉祭』とショパン『シルフィード』のオーケストレーションを大急ぎで改訂した。
  そんなことを根に持っていたのかどうかは判らない。1920年になって、ラヴェルは『ラ・ヴァルス』の2台ピアノ版をディアギレフに聞かせた。ディアギレフはその場で、バレエ・リュスの舞台にのせることを却下した。「名曲ではあるが、これはバレエの真似事だ。バレエそのものではない」と。しかし『ラ・ヴァルス』は他のバレエ一座によって上演される。1928年10月の時点ではアントワープの劇場とイダ・ルビンシュタインの舞踊団が、そして後代の1951年、ジョージ・バランシン振付によって偉大なバレエ作品になった。

  『ボレロ』の場合もそうだ。初めからバレエ曲として、イダ・ルビンシュタインが委嘱した。初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、ワルテル・ストララム(フランス語版)(Walther Straram)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行なわれた。ディアギレフはこの公演を見て、1928年11月23日付のセルジュ・リファール宛の手紙に「ラヴェルの曲も、単調なリズムが延々14分も続く」と、こきおろしている。
  ディアギレフが関わらなかったバレエ曲としては、『ダフニスとクロエ』初演の年、1912年に『高雅で感傷的なワルツ』が、ロシアのバレリーナ、ナターシャ・トルハノフからの依頼を受けて、バレエ『アデライード、または花言葉』のための音楽として作られた。初演は同年4月22日にシャトレ座において、ナターシャ・トルハノフのバレエ団、作曲家本人が指揮するラムルー管弦楽団によって行われた。


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c0050810_1724997.jpg  ラヴェルがディアギレフに会ったのは、バレエ・リュスが初めてパリ公演にやってきた1909年のことだった。「ディアギレフ以前」のラヴェルの作品には、『鏡』もそうだったが、多感なモーリス少年の資質が包み隠されることなく表現されている。愛読書はリラダンの『未来のイヴ』、ユイスマンスの『さかしま』、そしてボードレールの仏語訳『エドガー・アラン・ポー全集』だ。ラヴェルは12歳のときに、ピアニストのリカルド・ヴィニェスとめぐりあい、アロイジウス・ベルトランの『夜のガスパール』を借りた。その頃のラヴェルをヴィニェスはこう書いている。「前髪をたらしたフィレンツェの小姓がしゃちほこばっているみたいな子供で……優美でほっそりとした繊細なバスク顔が、狭い肩と細い首の上にのっていた」。
  『夜のガスパール』1908は3曲からなる。
  《オンディーヌ》。人間の男に恋をした水の精オンディーヌが、結婚をして湖の王になってくれと愛を告白する。男がそれを断るとオンディーヌはくやしがってしばらく泣くが、やがて大声で笑い、激しい雨の中を消え去る。
  《絞首台》。葬送の鐘。遅く重いテンポは変更されないが、それとは裏腹に拍子はめまぐるしく変化を重ねる(鐘の音に交じって聞こえてくるのは、風か、死者のすすり泣きか、頭蓋骨から血のしたたる髪をむしっている黄金虫か……)。死は不可避だ。
  《スカルボ》。自由に飛び回る悪鬼スカルボ。不吉な和音と炸裂する走句。まがまがしい跳躍の舞踏。ついに悪のエロティックな勝利。
 ラヴェルは1908年7月、イダ・ゴデブスカへの手紙の中で書いている。「終わりかたが悪魔じみているのは、『彼』が作者であることからして当然です」。

 Mais bientôt son corps bleuissait, diaphane comme la cire d’une bougie, son visage
blêmissait comme la cire d’un lumignon, — et soudain il s’éteignait.
 須臾 その體 かの貌 倶に蒼冴め 燭の涙と透けゆき 色喪せゆき、
 然りて 彼の者 突如に 見えずなりたりけり。(ベルトラン 『夜のガスパール』から〈スカルボ〉 安田毅・訳)

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by ooi_piano | 2016-07-03 15:51 | コンサート情報 | Comments(0)