Blog | Hiroaki Ooi


8/25(金) ソラブジ《オープス》& 古川聖《ノベレッテ集》完演
by ooi_piano
検索
ブログパーツ
以前の記事
ライフログ

<   2017年 01月 ( 2 )   > この月の画像一覧


POC2016 《先駆者たち Les prédécesseurs》

c0050810_15225432.jpg大井浩明 POC[Portraits of Composers] 第27回~第31回公演 《先駆者たち Les prédécesseurs》
大井浩明(ピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円]
【予約/お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) /Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
※お問い合わせ・メールフォーム: http://www.opus55.jp/index.php?questions

チラシ表側(pdf)  チラシ裏側(pdf)




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
c0050810_811861.jpg【ポック[POC]#31】
2017年2月19日(日)17時開演(16時半開場) 松涛サロン(渋谷区)

古川聖(1959- ):《七つのノベレッテン》(2017)(委嘱新作・世界初演)
カイホスルー・ソラブジ(1892-1988):《オプス・クラウィケンバリスティクム(鍵盤楽器の始源に捧げて) Opus Clavicembalisticum》(1930/全曲による日本初演)〔全12楽章〕(約4時間)

 【第一部】 (50分)
I. 入祭唱 3分
II. コラール前奏曲 13分
III. 第一フーガ(四声による) 12分
IV. ファンタジア 4分
V.第二フーガ(二重フーガ) 16分

 (休憩10分)

【第二部】 (1時間半)
VI.第一間奏曲(主題と49の変奏) 45分
VII.第一カデンツァ 5分
VIII. 第三フーガ(三重フーガ) 35分
   [第一主題 10分 - 第二主題 11分 - 第三主題 12分]

 (休憩10分)

【第三部】 (1時間40分)
IX. 第二間奏曲 56分
   [トッカータ 5分 - アダージョ16分 - 81の変奏によるパッサカリア 35分]
X. 第二カデンツァ 3分
XI. 第四フーガ(四重フーガ) 32分
   [第一主題 8分 - 第二主題 7分 - 第三主題 8分 - 第四主題 10分]
XII. 終結部(ストレッタ) 8分




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
c0050810_15215530.jpg【ポストイベント】 ~二台ピアノによるバルトーク傑作集~
Bartók Béla zenekari mesterművei
két zongorára átírta Yonezawa Noritake


2017年4月28日(金)19時開演(18時半開場)
浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ

公園通りクラシックス (東京都渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F)
全自由席 3,000円  http://koendoriclassics.com/
チラシpdf


■バルトーク=米沢典剛:組曲《中国の不思議な役人 Op.19 Sz.73》(1918-24/2016、世界初演)
  導入部 - 第一の誘惑と老紳士 - 第二の誘惑と学生 - 第三の誘惑と役人 - 少女の踊り - 役人が少女を追い回す

■バルトーク=米沢典剛:《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 Sz.106》(1936/2016、世界初演)
  I.Andante tranquillo - II.Allegro - III.Adagio - IV.Allegro molto

■バルトーク=米沢典剛:《管弦楽のための協奏曲 Sz.116》(1943/2016、世界初演)
  I.序章 - II.対の提示 - III.悲歌 - IV.遮られた間奏曲 - V.終曲


(終了)÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━÷━
c0050810_855583.jpg【プレイベント】 2016年9月22日(木・祝) 19時開演(18時半開場) 公園通りクラシックス(渋谷区) 
●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):《4つのエテュード》(1917)、舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)、舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913) (共演/浦壁信二)


c0050810_863877.jpg【ポック[POC]#27】 2016年10月10日(月・祝) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●見澤ゆかり(1987- ):《Vivo estas ĉiam absurda》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
●アルノルト・シェーンベルク(1874-1951):浄められた夜 Op.4 (1899)[M.ゲシュテールによるピアノ独奏版(2001)](日本初演)、室内交響曲第1番ホ長調 Op.9(1906)[E.シュトイアーマンによるピアノ独奏版(1922)]、三つのピアノ曲 Op.11(1909)、六つのピアノ小品 Op.19(1911)、五つのピアノ曲 Op.23(1920/23)、ピアノ組曲 Op.25(1921/23)、ピアノ曲 Op.33a(1928)、ピアノ曲 Op.33b(1931)、室内交響曲第2番変ホ短調 Op.38(1906/40)[米沢典剛によるピアノ独奏版(2016)](世界初演)


c0050810_873735.jpg【関連公演】 2016年11月16日(水)18時20分開演(17時50分開場) 静岡文化芸術大学・講堂(浜松市)
●アルバン・ベルク=米沢典剛:《抒情組曲》〔全6楽章〕(1926/2016、ピアノ独奏版・世界初演)、アルノルト・シェーンベルク=米沢典剛:《映画の一場面のための伴奏音楽 Op.34》(1930/2016、ピアノ独奏版・世界初演)、アントン・ウェーベルン=米沢典剛:《交響曲 Op.21》(1928/2016、ピアノ独奏版・世界初演)


c0050810_883180.jpg【ポック[POC]#28】 2016年11月23日(水・祝) 18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●藤井健介(1979- ):《セレの物語》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
●チャールズ・アイヴズ(1874-1954): スリーページ・ソナタ(1905)、ピアノソナタ第1番(1902/09) 〔全5楽章〕、ピアノソナタ第2番《マサチューセッツ・コンコード》(1909/15) 〔全4楽章〕





c0050810_891668.jpg【ポック[POC]#29】
2016年12月23日(金・祝)18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●東野珠実:《星筐(ほしがたみ) IV》(2016)(委嘱新作・世界初演)
●ベラ・バルトーク(1881-1945): ラプソディ Op.1 Sz.26 (1904)、14のバガテル Op.6 Sz.38 (1908)、アレグロ・バルバロ Sz.49 (1911)、3つの練習曲 Op.18 Sz.72 (1918)、舞踏組曲 Sz.77 (1925)、ピアノ・ソナタ Sz.80 (1926)、戸外にて Sz.81 (1926)、弦楽四重奏曲第4番 Sz.91 〔全5楽章](1928/2016、米沢典剛によるピアノ独奏版・世界初演)[Péter Bartók(1924- )による最終校訂エディション(1991/2009)使用]





c0050810_810105.jpg【ポック[POC]#30】 2017年1月22日(日)18時開演(17時半開場) 松涛サロン(渋谷区)
●大蔵雅彦(1966- ):《where is my》 (2016)(委嘱新作・世界初演)
●イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971): ピアノソナタ 嬰へ短調(1903/04)〔全4楽章〕(日本初演)、4つのエチュード Op.7 (1908)、ペトルーシュカからの3楽章(1911/21)、11楽器のラグタイム(1917/18)[作曲者による独奏版]、交響詩《夜鶯の歌》(1917)[作曲者による独奏版]、《兵士の物語》による大組曲(1918)[作曲者による独奏版](日本初演)、ピアノ・ラグ・ミュージック (1919)、管楽器のシンフォニー集(1920)[A.ルリエと作曲者による独奏版]、コンチェルティーノ(1920)[A.ルリエによるピアノ独奏版](日本初演)、八重奏曲(1923)[A.ルリエによるピアノ独奏版](日本初演)、ピアノ・ソナタ(1924)〔全3楽章〕、イ調のセレナード(1925)〔全4楽章〕、タンゴ(1940)、仔象のためのサーカス・ポルカ(1943)







POC2016:戦後前衛の源流を求めて────野々村禎彦

c0050810_21303021.gif POCシリーズも今年度で6期目。今回の特集作曲家はみな19世紀生まれであり、このシリーズでは従来試みられなかった、若手/中堅作曲家(特集作曲家ではない)への新作委嘱も毎回行っている。昨年度のシリーズも、60年代以降に生まれた作曲家の特集ではなく、戦後前衛第一世代の作曲家の補遺であり、いよいよネタ切れ…と思う向きもあるかもしれない。だが、このシリーズは近年の大井の活動の中ではむしろ特異な位置にある。彼の普段の活動の中心は、新作委嘱と古典を組み合わせたプログラムであり、委嘱先も現代音楽業界での常連ではなく、アウトサイダーや境界領域で活動する音楽家(や非音楽家!)が主体。今回のプログラムの方が大井の本来の姿なのである。

 もちろん、19世紀後半に生まれ、主に20世紀前半に活動した作曲家を漫然と並べているわけではない。戦後前衛に焦点を絞ったシリーズにふさわしく、戦後前衛(第一世代に限らない)に直接的な影響を与えた作曲家に限られ、すると1874年生まれのシェーンベルクとアイヴズが最初になる。この戦後前衛の源流にあたる作曲家たちに大きな影響を与えた、「源流の源流」のドビュッシーは対象外である。ストラヴィンスキーの新古典主義とバルトークの「夜の音楽」への影響は言うに及ばず、アイヴズの深い淵のような無調ポリフォニーも、彼の音楽がなければ有り得なかった。彼の音楽とは無関係でいられたのは、シェーンベルクとソラブジくらいかもしれない。

c0050810_21312484.gif 生年だけ見ればラヴェルは1875年であり、シャリーノを筆頭に、彼の直接的な影響下にある戦後前衛の作曲家も少なくないが、彼もまた「源流の源流」に他ならない。作曲家としては遅咲きだったドビュッシーと早熟なラヴェルは、影響を与え合うライバルだった(《版画》―《鏡》―《映像》―《夜のガスパール》―《前奏曲集》という時系列)。ラヴェルの影から解放されたドビュッシーは、今度はストラヴィンスキーを意識し、《白と黒で》《練習曲集》で彼の進むべき道を示した。

 シェーンベルクを「戦後前衛の源流」のひとりに数えるのは今日では自然だが、前衛の時代には決してそうではなかった。特に戦後前衛第一世代にとっては、新ウィーン楽派でモデルになった作曲家はまずヴェーベルンであり(管理された偶然性以降の時代にベルクも加わった)、シェーンベルクは「12音技法と引き換えに新古典主義に退行した反動」にすぎない。またヴェーベルンベルクは、《浄夜》や《室内交響曲第1番》の後期ロマン派を佃煮にしたような作曲家を、「別な惑星の大気」を感じさせる清々しい無調音楽の作曲家に変貌させた、「源流の源流」とみなすことも可能だ。

c0050810_2132418.gif 紆余曲折を経て、シェーンベルクが「戦後前衛の源流」として見直された背景はふたつある。前衛の時代を代表するドイツの作曲家は、電子音楽の体現者シュトックハウゼンと、視覚的要素を重視しヨーロッパの伝統に疑義を突きつけたカーゲル(及びその縮小再生産版のシュネーベル)程度だったが、前衛の時代以降に頭角を現したラッヘンマンファーニホウ(英国を早々に見限った)は、当初こそ「伝統の異化」を標榜していたものの、しだいに伝統主義者の側面を露わにし、そこでモデルになったのはブラームスマーラーとの連続性が明確なシェーンベルクだったことがひとつ。カーゲルやシュネーベルすら、いつの間にかドイツ音楽の伝統の再利用を創作の中心に移していた。

 もうひとつは、ブーレーズが「怠惰による偶然性」と非難したケージ及びニューヨーク楽派の音楽が、ヴァンデルヴァイザー楽派を経てドイツ音楽の伝統に回収されたこと。彼らの音楽は、実は米国実験音楽としては異端であり、その源流は若き日のケージがシェーンベルクに師事し、終生最も影響を受けた人物のひとりとしてリスペクトしていたことに由来する。即興の可能性を疑い、理念を厳格に形にする姿勢は、師シェーンベルクが体現した精神の深いレベルでの継承に他ならない。ケージらの音楽の性格は、米国実験音楽の多数派の「大らかさ」とは全く異なっている。

c0050810_21334169.gif このようなシェーンベルクの位置付けを前提にすると、なぜアイヴズが今回取り上げられたのかも見えてくる。「米国実験音楽の源流はアイヴズであり、彼は奇しくもシェーンベルクと同年生まれ」という単純な話では決してないのだ。非アカデミックな「アメリカ音楽」(中南米も含む)を包括的に内外で紹介し、文字通りの「日曜作曲家」アイヴズを見出して最初に出版したカウエルこそ「米国実験音楽の源流」にふさわしい。ピアノ独奏曲も一晩に余るくらい書いている。だが彼の「実験」は「戦後前衛」とは接点がないタイプのものであり、POCシリーズにはふさわしくない。

 もちろん、アイヴズの音楽も「戦後前衛」との直接の接点はない。シェーンベルクのテニス仲間であり、ベルクのオペラを参照して《ポーギーとベス》を書き上げたガーシュウィンの方が、まだ近いかもしれない。「トーン・クラスターの使用」「微分音調律」「音楽の空間性の探求」といった要素に切り分けて、アイヴズの音楽の「前衛性」が喧伝された時期もあるが、このような要素への分解を徹底すれば、セリー主義以外の「戦後前衛」の構成要素の大半は19世紀までの音楽に見出せる。

c0050810_21343028.gif アイヴズの音楽の本質的な特徴は、今回の曲目で言えば第2ソナタの第3楽章のような素朴な調性と、第4楽章のような深遠な無調が全く矛盾なく並んでいるところにある。これは戦後前衛における「引用」や「異化」とは性格を異にし、対立する美学を折衷主義に陥らずに受け止める、真の多文化主義と呼べる。これこそが、米国実験音楽の大らかな多数派に欠けている美質であり、ニューヨーク楽派(及びチューダー、オリヴェロス、テニー、初期ミニマル音楽)以降で体現しているのは、フランク・ザッパやジョン・ゾーンをはじめ、実験的ポピュラー音楽の最も先鋭的な音楽家たちである。これがアイヴズを「源流」とみなす意味であり、今回の委嘱作曲家の人選にも反映されている。

 1880年代前半に生まれたストラヴィンスキーとバルトークを「源流」とみなすことは、シェーンベルクとアイヴズの場合よりも議論の余地は少ない。ストラヴィンスキーは、第一次世界大戦後から戦後前衛が歴史的地位を確立するまで、「芸術音楽」のマジョリティであり続けた新古典主義の中心人物であり、アンチ新古典主義は戦後前衛勃興期の活動の原動力だったという意味でも、「源流」とみなせる。そもそも、アンチ意識は似た者同士だからこそ生まれる。新古典主義も戦後前衛も、同じ新即物主義の土壌から生まれた。美学は共有するが素材や技法だけが違うから、内ゲバになる。

c0050810_21354191.gif バルトークは、民謡収集で得られた素材を作曲に持ち込んだ、というレベルではヨーロッパ周縁部(中南米やアジアも含む一般的な概念)の多くの作曲家のひとりに留まるが、それを抽象化・普遍化する姿勢において突出していた。特に、クラシックの伝統における抽象化の頂点である弦楽四重奏においてその美質は発揮された。ペンデレツキやリゲティらの前衛の時代の作例は言うに及ばず、その影響はポスト前衛の時代まで及んでいる。クセナキス《テトラス》、ラッヘンマン《精霊の踊り》、グロボカール《ディスクールVI》、シュニトケ《弦楽四重奏曲第4番》という、80年代のこの編成を代表する多様な作品ですら、各々バルトークの3・4・5・6番のマイナーチェンジとみなせる。

 ただしピアノ独奏曲に限ると、ふたりの独自性は十分に発揮されているとは言い難い。ストラヴィンスキーの新古典主義は、原素材の編成やコンテクストを置き換える過程が面白いが、抽象度の高いこの編成では十分に機能しない。彼は最終的に、戦後前衛の点描書法まで取り扱うようになったが、この編成で扱った対象ははるかに狭いことが傍証になる。バルトークの場合も、ピアノの打楽器書法ではカウエルら、「夜の音楽」ではドビュッシーらとの本質的な差異は見出せない。こちらはストラヴィンスキーの場合とは反対に、元々抽象的な素材では「抽象化力」が発揮されないのだろう。

c0050810_2137586.gif だが、彼らがモダニズムに目覚める以前の最初期の作品から、従来は副次的だと顧みられなかった作品まで、一晩で網羅的かつ年代順に聴き進めることで、新たに見えてくるものがあるのではないだろうか? POCシリーズの全曲演奏主義にはそのような狙いがあり、戦後前衛を代表する作曲家たちの場合には大きな成果を挙げてきた。今回のプログラムでは、ストラヴィンスキーとバルトークに関して、このシリーズならではの発見が特に期待される。

 最後に、誰にとっても意外であろう、ソラブジ《オプス・クラヴィチェンバリスティクム》全曲。前衛の時代が過ぎた後、かつての「前衛弾き」たちが続々と挑んだことも手伝って、アルカン作品やゴドフスキ編曲版など、所謂「体育会系」ピアノ曲愛好家たちの間でカルト的な人気を集めている。ただし、この5時間近い規模ですら、このピアニスト=作曲家の創作歴の中では、「中程度の長さのまとまりの良い曲」なのだが。

c0050810_2138154.gif この作品が、直接的に「戦後前衛の源流」のひとつとみなせるのかどうかは疑わしい面もあるが、ピアニスト=作曲家が、退嬰的とまでは言えないが前衛的とも言えない、演奏家として慣れ親しんだ語法で即興的な手癖を交えて長大かつヴィルトゥオジックな作品を量産することは、戦後前衛を経たポスト前衛の時代の見慣れた風景ではある。ジェフスキしかり、フィニスィーしかり。大井は最近、ジェフスキ《「不屈の民」変奏曲》もレパートリーに加え、「源流」に挑む良い時期ではある。

 ただしソラブジは、ブゾーニの薫陶を受けたJ.S.バッハをリスペクトする作曲家であり、この作品の表題は『チェンバロ風の鍵盤作品』を意味することは、ピアニスト=ソラブジの後期ロマン派的な手癖も手伝って、必要以上に忘れられていたのかもしれない。作曲家=ソラブジがこの作品で意図していたのは、新即物主義を背景にしたモダニズム版《フーガの技法》だったのではないだろうか? POCシリーズの目的は、古楽奏法を通じてクラシックレパートリーの真価を引き出した体験を通じて、作曲家自身も気付いていない現代作品の真価を引き出すことだったのを、いま一度思い出そう。
[PR]

by ooi_piano | 2017-01-29 15:01 | POC2016 | Comments(0)

1/22(日) ストラヴィンスキー総特集+大蔵雅彦新作

c0050810_7485570.jpg【ポック[POC]#30】
2017年1月22日(日)18時開演(17時半開場)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席)

【予約/お問合せ】 
合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
※お問い合わせ・メールフォーム: http://www.opus55.jp/index.php?questions

チラシ表側(pdf)  チラシ裏側(pdf)



c0050810_3141715.jpgイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971):
ピアノソナタ 嬰へ短調(1903/04)〔全4楽章〕(日本初演) 28分
  I.Allegro - II. Scherzo, Vivo - III.Andante - IV.Finale. Allegro
四つのエチュード Op.7 (1908) 8分
  I. Con moto - II. Allegro brillante - III. Andantino - IV. Vivo
ペトルーシュカからの3楽章(1911/21) 15分
  ロシアの踊り - ペトルーシュカの部屋 - 謝肉祭
交響詩《夜鶯の歌》(1917)(作曲者による独奏版、東京初演) 21分
  故宮の祭礼 - 二羽の夜鶯(本物の夜鶯と機械仕掛けの夜鶯) - 皇帝の病気と快気

 (10分休憩)

大蔵雅彦(1966- ):《where is my》 (2016)(委嘱新作・世界初演) 4分
イーゴリ・ストラヴィンスキー:11楽器のラグタイム(1917/18)(作曲者による独奏版) 4分
《兵士の物語》による大組曲(1918)(作曲者による独奏版、日本初演) 25分
  I.兵士の行進 - II.兵士のヴァイオリン - III.王の行進曲 - IV.小コンセール - V.3つの舞曲(タンゴ/ワルツ/ラグタイム) - VI.悪魔の踊り - VII.コラール - VIII.悪魔の勝利の行進曲
ピアノ・ラグ・ミュージック(1919) 3分
管楽器のシンフォニー集――C.ドビュッシーの思い出に(1920)(アルトゥール・ルリエと作曲者による独奏版、東京初演) 8分
コンチェルティーノ(1920)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 6分

 (10分休憩)

八重奏曲(1923)(アルトゥール・ルリエによるピアノ独奏版、日本初演) 16分
  I.シンフォニア - II.主題と変奏 - III.終曲
ピアノ・ソナタ(1924) 9分
  I. - II. Adagietto - III.
イ調のセレナード(1925) 12分
  頌歌 - ロマンス - ロンドレット - 終止曲
タンゴ(1940) 3分
仔象のためのサーカス・ポルカ(1943) 4分




大蔵雅彦:《where is my》 (2016、委嘱新作)
  本作はかつて現実に存在した音のみを使って生成された現実に重ねあわせるためのCメジャーペンタトニックスケールとその派生物からなるブルース尺度構造物であり、習慣的動作=手癖を取り除くためにMIDIシーケンサー上でステップ入力により作曲された。いくつかのパートではX軸とY軸の入れ替えと混同の手法が使用されている。(大蔵雅彦)

c0050810_315399.jpg大蔵雅彦  Masahiko OKURA, composer
  リード奏者、作曲家。1966年生まれ。1993年より中里丈人とのテクノイズ/ダブユニットDub Sonic Warriorで都内のクラブ、ライブハウスを中心に演奏活動を開始。以降アルトサックス、クラリネット類、自作楽器での即興演奏の他、Gnu(1998~ Reeds+Bassx2+Drumsx2編成のパズルジャズ/ファンク/ロックバンド)、室内楽コンサート(2006~2011 杉本拓、宇波拓との共同企画による作曲シリーズ)、 石川高、ジャン=リュック・ギオネとの即興トリオ(2007~)、Active Recovering Music (2013~ スライドホイッスルアンサンブル)、They Live(2016~ 宇波拓とのダークアンビエントデュオ)などで活動。USBメモリーレーベルNo Schools Recordings主宰(2015~ )。 https://soundcloud.com/masahiko-okura https://soundcloud.com/no-schools-recordings



ストラヴィンスキーの全体像───野々村 禎彦

c0050810_317031.jpg イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971) はサンクトペテルブルクを代表するオペラ歌手を父とし、少年時代からピアノ演奏を中心に音楽に親しみ、同地の芸術サークルに加わった。帝政ロシアはフランス文化圏に属し、アカデミズムはフランス同様保守的だったが、民間芸術サークルを通じてフランクやドビュッシーの小編成作品には触れることができた。在野の運動として始まったロシア五人組もこの時期にはアカデミズムの一翼を担っており、彼はむしろチャイコフスキーを好んだ。ただし、両親は息子が堅実な人生を歩むことを望み、サンクトペテルブルク大学法学部に進ませた。

 だが、彼の音楽への情熱は止まず、独学で作曲を始めると、友人を通じてリムスキー=コルサコフと知り合い、ピアノソナタ(1903-04) から本格的に指導を受けるようになった。師は音楽院の教授だったが、年長で独立心旺盛な(対位法を独学で身に着けるほどの)彼は音楽院には向かないと判断し、1908年に世を去るまで個人指導を続けた。泰西名曲や自作のピアノ草稿を管弦楽化させ、自分の仕上げと比較して玄人芸を学ばせる独特な教授法も水に合い、交響曲第1番(1905-07) を作品1と定めるまでに成長した。《花火》(1908) や《4つの練習曲》(1908) は修業時代を締め括る作品という位置付けになるが、ディアギレフは《花火》の初演に接してこの新進作曲家に注目し、立ち上げたばかりのバレエ・リュスの新作として《火の鳥》(1909) を委嘱した。

c0050810_3182612.jpg 《火の鳥》の成功は、ロシア民謡に取材した素材の新鮮さも理由のひとつだが、彼はバルトークのような組織的・科学的収集を行ったわけではない。この路線を継いで《ペトルーシュカ》(1910-11) を書いたが、両作の間の飛躍は大きい。複調の使用や不協和音の多用といった書法レベルでの変化もあるが、それ以上に持続の作り方が土台から変わっている。この飛躍の契機はドビュッシーとの直接の出会いだった。ロシアはバルトークのハンガリーよりは文化的に進んでおり、彼はドビュッシーの音楽を修業時代から知ってはいたが、《火の鳥》初演の晩にドビュッシーの方から彼を訪れ、新作を最初に見せて作曲の背景や秘密まで共有する、親密な個人的交流が終生続いた。

 《ペトルーシュカ》はドビュッシーにも刺激を与え、バレエ・リュスの委嘱で《遊戯》(1912) が生まれた。この曲の全面的な形式の自由は同時代には理解されず、約50年後に総音列技法が行き詰まり、ヨーロッパ戦後前衛の作曲家たちが打開策を探る中でようやくドビュッシーの真意が理解されたわけだが、同じシリーズの次の演目が《春の祭典》(1910-13) だったために、そのインパクトの陰に埋もれてしまったことも大きい。不協和音を一見不規則なリズムで打楽器的に叩き付ける書法は強烈で、前期ストラヴィンスキーの作風はしばしば「原始主義」と呼ばれてきた。

c0050810_3185887.jpg 彼は《春の祭典》と並行して、ふたつの実験的な作品を書いた。極めて無調的なカンタータ《星の王》(1911-12) を献呈されたドビュッシーは衝撃を受け、「プラトンの言う『永遠なる天体のハルモニア』のような非凡な音楽……我々の住む星ではまだ地の深みに埋まったままだろう」と返信した(実際、初演は1939年)。またシェーンベルク《月に憑かれたピエロ》(1912) の初演を聴いて、《3つの日本の抒情詩》(1912-13) で応えた(この試演を聴いたラヴェルは《マラルメの3つの詩》(1913) を書き、声と小アンサンブルという編成は小ブームになった)。いずれも「原始主義」とは程遠い音楽であり、この呼称の浅薄さは明白だ。なおブーレーズは「ストラヴィンスキーは生きている」という論文(1953) で、《春の祭典》はリズム細胞の精緻な(一見不規則に見えるほど複雑な)操作に基づいて書かれていると解き明かした。実は「原始主義」の対極の音楽だったのである。

 《春の祭典》初演の騒動は、ニジンスキーの振付によるバレエの異様さも大きな要因だったとされる。翌年の演奏会形式による上演は絶賛され、「原始主義」という誤解は長く残ったがオーケストラのレパートリーとして定着した(ただしドビュッシーは初演時点で、自身の《海》や《管弦楽のための映像》における試みを発展させた音楽だと冷静に受け止めた)。初演後程なく、私的な理由でニジンスキーがバレエ・リュスを解雇されたこともあり、バレエの再演は1920年まで行われなかった。第一次世界大戦後の資金難の中、ココ・シャネルの多額の援助で実現したマシーンの振付による上演は大成功を収め、バレエのレパートリーとしても定着した。その後も多くの振付が生まれている。

c0050810_320050.jpg 《春の祭典》を経たストラヴィンスキーは、第一幕を書いた後はバレエ・リュスの委嘱を優先して放置していたオペラ《夜鶯》(1908-09/13-14) をまず仕上げた。第一幕と第二幕の間にストーリー的にも断絶があり、音楽様式が大きく変化しても不自然ではない、という判断だった。後にディアギレフがこのオペラのバレエ化を打診すると、彼は第二幕以降の素材を交響詩《夜鶯の歌》(1917) として再構成し、バレエもそれに基づいて上演された。バレエ・リュスから毎年のように委嘱を受けるようになると、彼は大半の時間をヨーロッパ各地で過ごしていたが、《夜鶯》の初演後に久々にロシアに戻り、《結婚》(1914-17/23) のテキストとして民衆詩集を大量に買い求めたのが、祖国との長い別れになった。スイスの仕事場に戻った2週間後に、第一次世界大戦が勃発した。

 その後数年は、この時買い集めたテキストを用いた小編成アンサンブルを伴う声楽曲が創作の中心になる。その背景には亡命生活を強いられる中での望郷の念があるのは言うまでもない。《プリバウトキ》(1914)、《猫の子守唄》(1915-16)、《狐》(1916) と続く一連の作品は、ヴェーベルンの同時期の声楽曲と比肩し得る凝縮の美学を持つが(《プリバウトキ》と《猫の子守唄》はウィーンで初演され、立ち会ったヴェーベルンは彼の才能に驚嘆した)、大戦中は大編成作品の上演は困難だったという事情も大きい。この時期はバレエ・リュスも開店休業状態で、新作上演はサティ《パラード》(1916-17) のみ。ディアギレフに依頼され《結婚》もピアノ譜までは完成したが、上演の目処は立たなかった。ストラヴィンスキーは個人的な委嘱と祖国からの送金で細々と食い繫「でいたが、1917年にロシア革命が起こると祖国に残した全財産は没収され、経済的苦境に陥った。

c0050810_321591.jpg そこで彼とスイスの仲間たちが発案したのは、楽器を持ち運べる小アンサンブルのための音楽劇を作り、旅芸人のように演奏旅行することだった。ロシア民話に基づく音楽劇《兵士の物語》(1918) は3人の朗読・ヴァイオリン・コントラバス・クラリネット・ファゴット・コルネット・トロンボーン・打楽器という編成で書き上げられ、大戦末期の同年9月に初演されたが、折悪しくスペイン風邪が流行し、音楽家もスタッフもみな感染して巡業は行われなかった。彼は翌年、この企画を援助したスイスの実業家に感謝の印として《クラリネットのための3つの小品》(1919) を献呈したが、このパトロンはこの曲に加えて、《プリバウトキ》、《猫の子守唄》、《兵士の物語》トリオ版(1919) などからなる、スイス時代の彼の仕事を俯瞰する個展をスイス各地で主催することで応えた。

 《兵士の物語》は、旅芸人一座よろしく既成曲の断片の寄せ集めという体裁を持ち、まさにロシア民衆歌の時代と新古典主義の時代を繫ョ作品だが、寄せ集めた素材には当時流行していたラグタイムも含まれる。ロシア民謡を素材にした作品群で名を挙げ、スペインの酒場で耳にしたアラブ風音楽を素材に、自動ピアノのための《マドリッド》(1917) を作った作曲家だけに、黒人音楽の要素が強い新大陸発の民衆音楽には強く惹かれ、まず11楽器のための《ラグタイム》(1917-18) に取りかかり(完成は《兵士の物語》よりも後、《狐》に続くツィンバロムの使用は、ホンキートンク・ピアノの効果を模したのだろう)、アルトゥール・ルビンシュタインから名技的なピアノ曲を委嘱された機会に《ピアノ・ラグ・ミュージック》(1919) を書き、この音楽の王道編成も制覇した。

c0050810_3215012.jpg 《兵士の物語》を新古典主義の始まりと看做すかどうかは意見が分かれる。この潮流の理論的始祖はブゾーニ、音楽的始祖はドビュッシーであり、《白と黒で》(1915)、《練習曲集》(1915)、3つの室内楽ソナタ(1915/1915/1916-17) はストラヴィンスキーも通暁していたはずだ。この潮流がヨーロッパの主流になった背景は、普仏戦争以来の独墺系音楽の優位への、第一次世界大戦を背景にしたラテン諸国の反発であり、後期ロマン派~表現主義の複雑な和声を排した「古典回帰」が旗印になった。ドビュッシーの場合には、ラモーやクープランらフランスのバロック音楽への回帰だった。ドビュッシー追悼曲の拡大版である《管楽器のシンフォニー集》(1920) ではドビュッシー最晩年のこのような傾向は当然意識されている。ラグタイムやジャズのような民衆音楽を含むパッチワーク的構成も新古典主義の特徴である。それにもかかわらず、《兵士の物語》は新古典主義には含めないとする場合には、弦楽四重奏のための《コンチェルティーノ》(1920) が弦楽四重奏のための《3つの小品》(1914) と変わらぬ尖鋭的な書法を保っていることが大きな根拠になる。

 《狐》《兵士の物語》と、大戦中は自分の手の届かないところで仕事を得ていた彼にディアギレフは嫉妬していたが、新作上演が困難な中でもD.スカルラッティ/トマシーニ《上機嫌な夫人たち》、ロッシーニ/レスピーギ《風変わりな店》と、イタリアの有名作曲家の未出版曲を再構成したバレエが当たりを取ったことを踏まえ、ペルゴレージの素材を図書館で集め(ただし夭折の作曲家には偽作も多く、今日の研究ではその少なからぬ部分は同時代の他の作曲家のものだった)、それらを再構成したバレエの作曲を彼に打診した。ロシア民謡を素材にする際も、原曲を尊重するバルトークのスタンスとは対照的な、原曲を切り刻む再構成が身上だった彼にとって、かねてから関心があった後期バロックの作曲家と自由に戯れるのは魅力的な提案で、《プルチネルラ》(1919-20) が生まれた。

c0050810_3224140.jpg ディアギレフの指定通りの大管弦楽ではなく、アンサンブルを独奏者の集合体=合奏協奏曲として扱うスイス時代に慣れ親しんだ編成を用い、単なる編曲の域を超えて不協和音や複調を忍び込ませ、原素材を批評的に再構成する、新古典主義の出発点にふさわしい作品になった。彼はその後30年にわたりこの様式の延長線上で作曲したが、それ以前よりも作品の質にばらつきが出たことは否定できない。例えば、敬愛するチャイコフスキーの音楽を素材にしたオペラ《マヴラ》(1922) やバレエ曲《妖精の口づけ》(1928) は、《プルチネルラ》や盛期バロックの作曲家リュリの音楽を素材にしたバレエ・リュスのための最後のバレエ曲《ミューズを導くアポロ》(1927-28) ほどには成功していない。彼が考えていたよりも、この様式は素材を選ぶように思われる。

 個々の曲の優劣を語るのは総説としては不毛なので止めるが、総じて言えば特定の編成への最初の取り組みが最も成功しており、経験を重ねるほどにマンネリ化する傾向がこの様式では目立つ。積み重ねによる深化が期待できない、マンガで言えばギャグマンガのような様式であり、クラシック音楽の常識は通用しない。《プルチネルラ》の初演直後にフランスに移住した彼は、1939年9月にハーヴァード大学客員教授着任を機に第二次世界大戦勃発直前のヨーロッパを離れ、そのまま米国に亡命した。この際の講義録は『音楽の詩学』としてまとめられており、そこで強調されているのは対位法の重要性とロマン主義(ヴァーグナーに仮託された)の不純さへの非難だが、この理念と彼の新古典主義のあり方には齟齬があるのではないか。彼の新古典主義における対位法は、即興的な機知を発揮する枠組として機能し、ロマン主義的な素材はこの速度に感情の錘を付けるためにそぐわない。

c0050810_3233648.jpg 特に米国亡命後の作品ではこの矛盾が露わになる。大編成の「代表作」ほど音楽は堅苦しくなり、彼の創造性は、《サーカス・ポルカ》(1942)、《オード》(1944)、《エボニー協奏曲》(1945) のような作品表の隙間を埋めているかに見える小品に専ら表れている。ただし、彼の新古典主義の時期を真に代表するのは、フランス時代は《詩篇交響曲》(1930)、米国時代は《ミサ曲》(1944-48) という、同時期の他作品とは隔絶した宗教曲である。これらの作品は、『音楽の詩学』で示された理念との矛盾はないが、新古典主義に拘る必然性も感じさせない。彼の法的な身分ははスイスに亡命した1914年から米国市民権を得た1945年まで、フランス市民権を得た1934年以降数年以外は常に亡命ロシア人であり、著作権法的に不利な立場にあったので当座の生活費が必要だったという理由付けも可能かもしれないが、それだけでは困窮していたスイス時代の作品の質の高さは説明できない。

 新古典主義時代を締め括る大規模なオペラ《蕩児の遍歴》(1948-51) を書き上げると、彼はこの様式ではこれ以上書き続けられないと判断し、『音楽の詩学』の理念をより純粋に実現すべく、ルネサンス音楽の対位法を研究し始めた。程なくシェーンベルクが逝去し、個人的な確執から遠ざかってきた12音技法を忌避する理由もなくなった。1948年から助手を務めた指揮者のロバート・クラフトは、当時の米国における現代音楽の伝道師であり、彼を通じて新ウィーン楽派の作品を多く知った。なかでもヴェーベルンの音楽は、表現主義の身振りを残すシェーンベルクとも後期ロマン派的素材を新古典主義的に処理したベルクとも違い、ルネサンス音楽の対位法に根ざした、彼の理念を体現した音楽だった。当時の米国にはバビットのような独自のセリー主義者が現れ、カーターやセッションズも新古典主義から12音技法に転じ、コープランドまで12音技法を使い始めていた。

c0050810_3263011.jpg ただし彼は、同時代の流行として性急に12音技法を取り入れるのではなく、《ミサ曲》より先に進むための手段として、ゆっくりと身に着けていった。まず《カンタータ》(1951-52) では主題をセリーのように扱い、《ディラン・トマス追悼》(1954) では旋法的5音音列でセリー操作を行い、《カンティクム・サクルム》(1955) でようやく12音音列を用いた。彼が求めたのは厳格な対位法であり、オクターブの12音を均等に扱って調性感を消すことは目的ではなかった。最終的に12音音列に落ち着いたのは、6×2、4×3などのより細かいグループ化が可能で、構造化に都合が良かったからである(この点もヴェーベルンに倣っている)。この意味で、バレエ曲《アゴン》(1953-57) には特に注目したい。作曲年代から想像される通り、新古典主義的な素材と12音音列に基づいた素材が混在しているが、両者は全く矛盾なく一体化しており、12音技法は彼の血肉の一部になった。

 米国実験音楽は彼の眼中にはなく、ブーレーズやシュトックハウゼンとしばしば会って戦後前衛の動向を知ろうとした。ピアノと管弦楽のための《ムーヴメンツ》(1958-59) は、彼のテクスチュアが最も戦後前衛に近づいた瞬間である。同時期の作品表には宗教的作品が並び、静的な対位法構造を着実に築き上げた。だが彼はそれだけでは満足せず、TV用オペラ《洪水》(1961-62) で《アゴン》のダイナミズムを取り戻すと、管弦楽のための《変奏曲》(1963-64) では12声部の対位法の極致と彼らしい運動性が交錯する「20世紀で最も密度の高い音楽」(フェルドマン)を実現した。最後の大曲《レクイエム・カンティクルス》(1965-66) はもう少し落ち着いた調子で、セリー時代の創作を総括している。70歳から新しい語法に取り組み、創作歴の最後がピークになるのは並大抵のことではない。「彼の晩年は、ブラームスのように豊かだった」(シュトックハウゼン)。

c0050810_3272797.jpg 彼の歩みは20世紀音楽の歴史そのものであり、彼の「後世への影響」を議論することには意味がない。彼の後半生の理念を彼以上に体現した作曲家がヴェーベルンであり、戦後前衛の歴史はヴェーベルンの先に続いている。彼が米国実験音楽には全く関心を示さなかったのは、20世紀音楽の歴史を彼とケージに集約する上ではむしろ都合が良い。複数の音楽様式にまたがって活動を続ける中で、50年以上世界の第一線に留まった作曲家は、20世紀ではこのふたりだけである。



【関連公演】
СТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ ~二台ピアノによるストラヴィンスキー傑作集~
2016年9月22日(祝・木) 浦壁信二+大井浩明/二台ピアノ

ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)
  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード
ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)
  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)
ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)
  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り
  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り
(アンコール)ストラヴィンスキー:魔王カスチェイの邪悪な踊り
プロコフィエフ:邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り
[PR]

by ooi_piano | 2017-01-05 00:02 | POC2016 | Comments(0)